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681.  眠るパリ 《ネタバレ》 フランスの下町を魅力的に活写したクレールの第一作もまた、巴里の街が主役だ。(当時20代半ば) 主にエッフェル塔からの俯瞰で捉えられる様々な街の表情をはじめ、苦心が窺える無人のロケーション撮影に、若い作家の情熱と愛着が篭っている。 塔の鉄柱に取り付いてのアクションは、同年のアメリカ映画『ロイドの要心無用』の高所アクションにはたして影響したのか、されたのか。 高所のスペクタクルとスリルを十分に味あわせてくれる。 スローモーションの映画『幕間』に対し、ストップモーションで捉えられた『眠るパリ』の斬新な姿。 静止していた画面が動き出す瞬間のアクセントが、街の生気と映画(モーション・ピクチュア)の感動をダイレクトに伝えてくる。 当時の複葉機や、街路を走る自動車や馬車、セーヌ川を渡る遊覧船の動きを見るだけでも「新しさ」を発見させてくれる映画だ。 エッフェル塔の高層階に並び座る男女がパリの街を見下ろすラストのショットの幸福感がいかにもクレールらしい。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-08-09 20:35:08)《改行有》

682.  レセ・パセ 自由への通行許可証 レストランの場面を撮る撮影現場のシーン。主役である助監督役ジャック・ガンブランが女優の肩にかけるショールを持ってくるようスタッフの女性に言いつけると、彼女は画面右手の楽屋へ小走りで取りに行く。それを追うカメラ。彼女が角を曲がったところでカメラが静止すると、手前では男とスタッフが出演交渉している。女性スタッフが戻ってくると、カメラは再び彼女を追い、女優の肩に無事ショールがかかる。 深い被写界の中、縦横無尽に移動するカメラは1ショット内に複数のシーンを入れ込み、画面を奥行き豊かに重層化させる。 それはこの場面に限らない。冒頭の喧騒シーンから、画面奥で活躍するエキストラ一人一人の動きも疎かにすることなく、その活気とエネルギーを画面に載せている。 クルーゾー、カイヤット、スパーク、フレネーといった当時の「コンティナンタル」を巡る錚々たる有名監督・脚本家・キャスト名が飛び交う中での、大道具・小道具・照明・衣装スタッフや端役、即ち名も無き映画を支えるスタッフ一人ひとりに対する心配りと賞賛の証しであり、その眼差しの表出が心を打つ。 映画は、ユーモアとスリルが絶妙に織り交ざり、長丁場を飽きさせない。 善悪を超えた人間描写の豊かさと共に、田舎道を自転車で疾走するシーンの縦移動の爽快感が素晴らしい。 [DVD(字幕)] 9点(2011-08-07 20:43:17)《改行有》

683.  ルネ・クレールの明日を知った男 《ネタバレ》 意欲と技巧の先走った感もあるトーキー初期に比べ、40年代ハリウッド期(第3作)の「音」使いは控えめながら要所要所で対位的な面白味を加味して物語を引き立てる。 窓ガラス越しのショットによって、オペラハウス会場の歌声と拍手をロビー側の強盗シーンの騒乱に被せる。または、楽屋裏でのアクションに表舞台の楽曲をオフで被せてシンクロさせるといった部分だが、それら技巧の突出を控える分、魅力的なキャラクター達の造形と話術に力を注いで荒唐無稽な脚本をファンタジックに昇華している。 川に飛び込んだリンダ・ダーネルが、ディック・パウエルのダブダブのスーツを着て自室に帰るシーンあたりから、少々無愛想だった彼女が俄然魅力を放つ。 クライマックスのアクションも空間的な広がりとタイムリミットが活かされ大いに盛り上がる。 そしてラストの雨宿りの幸福感溢れるツーショットはまさにクレール印だ。 冒頭と釣り合う形で、50年後(金婚式)の二人のロングショットにカットバックしたかと思うと、いま一度若き二人の仲睦まじい笑顔に戻る。その魅力的な二人の表情がとても愛しい。 主人公を諭すジョン・フィリバーの柔和な佇まいも素晴らしい。 [ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 20:42:18)《改行有》

684.  犯人は21番に住む 雨に濡れた暗い路地。バーを出た男を尾行していく犯人の主観ショットの緊迫感から一気に映画に引き込まれる。 50年代に一気に名声を高めるクルーゾー監督の優れたサスペンス演出は、戦中の処女作(コンティナンタル製)から随所で光る。特に冒頭の刺殺シーンを始め、幾度か登場する殺人場面はいずれも見事。(『悪魔のような女』的な浴槽殺人も登場) 大写しとなるシルエットの用法や「3」の記号の活用などは、ラングからの影響もあるのだろうか。 一方で、ピエール・フレネーとお転婆ぶりが可愛いシュジー・ドゥレールの掛け合いや、手品師とのスリ合戦など、楽しい見所も充実している。 「ミモザ館」住人達のキャラクターもそれぞれ個性的だ。 ナイフ、マッチ、ステッキといった小道具の扱いも各所でアクセントとなっており、特にラストショットでピエール・フレネーがマッチを擦る粋な仕草は鮮やかに映画を締めくくっている。[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 19:34:52)《改行有》

685.  ナージャの村 河辺で戯れる少女たちが水面に作る波紋。昆虫たちの気配の充満する草むら。種まきから収穫までの農作業。そして、人間たちと共生する牛、豚、山羊、馬、蜂、鶏の姿。 写真家:本橋成一の撮る『ナージャの村』は、どこか静的で審美的な「映像美」中心に陥りそうな危うさを孕みながらも、その風景の中に生命の動態と時間性を呼び込んで固定化を回避している。 阿賀野川の生活者たちを魅力的に捉えてみせた佐藤真が編集を手がけた貢献にもよるだろう。 汚染の被害や影響といった観念的問題性に縛られることなく、故郷の土地に生きる人間の生活の動きある細部を中心に彼らの尊厳を画面に定着させていくアプローチも『阿賀に生きる』を忠実に踏襲している。 四季を綴る映像と、向けられたカメラを特に意識する風でもない村人たちの姿は、現地に腰を据え、彼らに溶け込んだ長期取材の証しでもある。 スカートの裾を気にしながら自転車を飛ばす娘らの爽快な移動ショットなどは素晴しいものの、ナージャさん一家が引越しするシークエンスを中心に、移動シーンの頻繁なカメラ位置変更は被写体の日常への介入が過ぎないだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2011-07-31 20:52:01)《改行有》

686.  さんかく 《ネタバレ》 常にトイレを視野の奥に入れた特徴的な2DKの構図の中、高岡蒼甫と田畑智子が何度もキスをし直すシーンや、マニキュアをめぐっての痴話喧嘩が別れ話に発展してしまうシーンなど、二人の関係性の変化を捉える持続的なワンシーン・ワンカットが真に迫る。 この長回しは、二人の達者な芝居を途切れさせないことで生々しいテンションの維持を達成しているだけでなく、男女間の視線の交換とそれに伴う感情の交流という古典ハリウッド的な切り返し編集を一切封印することで、二人の恋愛の不可能性を暗示する。 実際に、小野恵令奈と高岡蒼甫の「擬似恋愛」は幾度も偽の切り返しによって表現される一方、高岡・田畑の対話からは意識的に徹底排除されている。 監視カメラ映像を通して交わされた偽のそれと、ラストの美しいそれ以外は。 同時に、頻出する携帯電話での対話も常に一方の発話者側だけを捉え、関係の一方向性と非対称性を強調しているのも確信的に施された演出だ。 ラストのクロースアップによる男女の切り返しに至り始めて双方向的な結びつきが成立し、見つめること(視覚)と受け容れること(心理)の一致という原サイレント的美しさを見せ付ける。 [DVD(邦画)] 8点(2011-07-28 20:53:22)《改行有》

687.  吸血蛾 怪奇ムードを醸成する撮影と照明設計が全編にわたって素晴らしい。昆虫館の外観に内装(特に廊下)の凝った美術が濃い陰影の中に不気味に浮かび上がる。 手や足のオブジェやトルソは怪奇演出のみならず、殺人シーンの場面転換の技法としても活用され印象強い。 クライマックスの廃ビルもスケールを感じさせる絶品のロケーションだ。取り壊し中なのか、外壁が崩れ落ち、鉄骨むき出しとなった廃墟が異空間ぶりを際立たせている。 縦の構図で捉えられた夜のビル内、飛び交うサーチライトが警官隊と犯人を照らし出し、吐息と土埃と拳銃の火薬煙が闇に舞う。 発砲音と、着弾音、追跡の足音の反響も効果満点で、視聴覚的に豊かな造形だ。 ファッションモデル役の女優も多数出演する中、安西郷子が役柄通り様々なファッションを着こなし、俄然美しい。 その分、後半から登場の金田一役:池部良の印象が弱いのが残念なところ。 [映画館(邦画)] 7点(2011-07-24 19:39:23)《改行有》

688.  激怒(1936) 《ネタバレ》 前半の善良な青年から、後半の荒んだ復讐鬼へ。スペンサー・トレイシーの変貌ぶりが憎悪の奥深さを雄弁に物語り、映画に濃い陰影を投げる。 保安官事務所に民衆が集結してくるモブシーンのクレーンショットが、その後の波乱を予感させて秀逸だ。 事務所が火炎と黒煙に包まれる中、暴徒の笑顔のクロースアップが短く積み重ねられるモンタージュによって彼らの禍々しく残忍な印象が一層際立つのも、一種のクレショフ効果か。 裁判の重要な証拠となるニュース映画のストップモーションと共に、インパクトが強烈だ。 ショーウィンドウや、「22」の視覚的記号と共に、私刑と復讐の主題系はドイツ時代から連なるフリッツ・ラングの特色だが、ハリウッド的甘味を折衷させたラストはやはりどこか、渡米後第一作の不自由を思わせる。 床屋のシーンや、裁判長の宣誓シーン、犬やアヒルのショットなど、暗い主題を中和するユーモアも随所に散らばり、作品のバランスに対する苦心と配慮を窺わせる。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-23 19:50:19)《改行有》

689.  ラスト・ターゲット(2010) 全編通して、台詞の大幅な排除によって達成された寡黙の美質。 異邦人の孤立を際立たせる山岳地帯の望遠ショットの見事さ。 少々単調気味のクロースアップも、呆気ないまでに短い撃ち合いも、「娼婦と流れ者」のモチーフも、中盤に登場するセルジオ・レオーネ『ウエスタン』の引用が納得させる。 中世の趣を残す村の急峻なロケーションが絶景であり、山の斜面が作り出す地形的特色は狙撃のドラマにも巧く活かされている。 そして雨に濡れた夜の石畳が街灯の光を鈍く反射させる画は、紛れも無くハリウッド・ノワールの証だ。 暗い屋内で、サイレンサーを「職人の手」捌きで作り上げていくストイックな身振り。 銃器受け渡しスポットとなる食堂の疎らな客。抑制された静のムードが緊張感を呼び込んでいる。 草むらの中でジョージ・クルーニーとテクラ・ルーテンが距離を置いて交互にライフルの試射を行うシーンに『ジャッカルの日』の誤差修正シーンの緊張感が甦る。 娼婦を演じるヴィオランテ・ブラシドが醸す純朴と妖艶の入り混じったムードも出色だ。 [映画館(字幕)] 7点(2011-07-22 21:43:17)《改行有》

690.  コクリコ坂から 《ネタバレ》 非映画的な「説明のための説明」など無い方が良いのは、言うまでもない。 主流シネコン映画の「全面介護式」に慣らされ、1から10まで手取り足取り映画に説明してもらわねば何も「ワカラナイ」観客、あるいは「見ていても気づけない」観客、(ついでに言うと「メッセージ依存者」)には不向きな映画であることは間違いない。 エスケープから戻った路面電車乗り場の告白シーン。カメラ正面に向いた少女の後景に次第にヘッドライトが入射し、今度は切り返された少年の正面へ順光が入射する。続いて横からのショットとなり、少女のいる画面右手から少年の立つ左手へと光は伝わり、彼らの後方でドアが開く。 古典的で寓意性豊かなシーン作りが絶品だ。 あるいは、『天空の城ラピュタ』的な垂直線上の出会いの鮮やかさ。 マッチを摺る、キャベツを千切りする、あじフライをフライ鍋の中で箸で裏返すという細やかな調理動作の見事さ。 そして金槌打ち、ハタキ掛け、壁塗り、箒掛け、雑巾掛け、荷物運びといった清掃の動作のアニメーションも過去作の群を抜いて多彩だ。 何故、宮崎駿は「労働」のシーンを重視するか。それは、アニメーター自らが徹底した観察と実演を通さねば描き得ないアニメーションの基本だからだろう。 だから彼は何よりもまず労働の場としてカルチェラタンを設定・脚本化し、スタッフに作画を課す。 彼は、人間の細部の動作を写実する地味で困難な作画を通してアニメーション文化の継承と若い人材育成に専心しているように見える。そしてスタッフはそれに見事に応えている。 宮崎駿を不遇時代から理解し、支え続けた故・徳間康快氏もあからさまに登場するが、それはこの作品が、宮崎から亡き恩人への直截な返礼と手向けであることを示す。 助力してくれる旧世代への信頼と肯定。そこから新世代の進歩が生まれるというメッセージ。それは討論会のシーンでも少年の演説の形を借りて直裁なまでに謳われている。子供達の未熟を映画は否定しない。 宮崎吾朗組は、先達の信念を肯定し尊重しつつ、それを継承することから、新しきを模索してゆこうとする。 少年と少女は、オート三輪やタグボートを駆る大人達の助けを素直に借りて協働しながら坂道を下り、海を渡る。 前半の「上を向いて歩こう」に呼応する武部聡志のサントラナンバー「明日に向かって走れ」に乗って二人が坂道を並び駆け下りて行く横移動シーンの高揚感、ロマンティシズムが素晴しい。 [映画館(邦画)] 9点(2011-07-19 23:41:36)《改行有》

691.  六ヶ所村ラプソディー DVD版の上映。 菊川慶子さんが育てているチューリップ畑の赤・黄・ピンク・紫などはほぼ純色に近い彩度の高さで画面を彩る。 彼女が鍋に押し込む青菜の緑と強い弾力、そして温かそうな湯気は食欲をそそる。 幼稚園児たちが笑顔で齧る有機栽培トマトの鮮烈な赤も素晴らしく眼に沁みる。 淡い水色の空に架かる黒い送電線。 カメラがパンダウンしていくと、苫米地ヤス子さんが無農薬有機栽培している黄はだ色の稲穂についた水滴が瑞々しく輝いている。 掘り出された山芋に着いた肥えた土の豊かな黒に、水揚げされたイカの飴色。 それらは、東北の「見えない汚染」が現実的な今、かけがえなく切実な彩りだ。 映画のコンセプトは、「反対派も、推進派も同じスタンスで」「偏りなく」「矛盾も含めてありのまま」映し出すことだという。 が、映画のなかで、苫米地さんが語るように、「中立」はあり得ない。中立は容認であり、賛成でしかない。 映画も対象を選択し、フレーミングによって取捨を迫られる。 この豊かな自然物の色彩と、村民の淡々と柔和な表情こそが、映画の強い主張だ。 [映画館(邦画)] 8点(2011-07-18 20:54:25)《改行有》

692.  マンハッタンの二人の男 《ネタバレ》 ネオンが輝く夜の街路を緩やかな縦移動で捉える冒頭からして、ニューヨークの街そのものが映画の主役といって良い。 地下鉄内のメルヴィル自身を映し出すゲリラ的な撮影スタイルに、摩天楼の背景とアパートベランダの男たちとを同格で捉える構図に、つまりは人間と街の空気をまるごと捉えようとする画面自体に、アメリカ狂らしい「街」への偏愛が滲んでいる。 メルヴィル自身が監督・脚本・主演のみならず、撮影までこなしているのもその証左だ。 深夜のマンハッタンを中心にラストの明け方の街路に到るまで、屋外シーンは生々しい感覚と魅力に満ち、混沌としている。 一方で、病院内で面会を強行するシーン、女優のアパートで真相を知るシーンといったセット撮影での静かな緊張感も陰影の深い撮影によって印象強い。 さらには聞き込み先の録音スタジオ、ダイナー、バーの各所で効果的に採り入れられるジャズ演奏も、相乗的にノワールムードを盛り上げている。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-17 19:03:56)《改行有》

693.  星守る犬 ファンタジックな向日葵畑と、美しく輝く三陸の海岸。それらが引き立つのは、一方で厳然たる地方の閉塞状況にもしっかりと眼が向けられているからだ。 半壊した家屋や、シャッターの下りた商店が連なる寂れた国道を無言で見届けていく西田敏行の複雑な表情が忘れがたい。それは紛れも無く作り手が現場の風景に触発され生まれたショットであって、台本をなぞるだけのスタイルからは決して挿入され得ない。 だからこそこれらのショットは強度を以って迫る。 新聞の見出しにさりげなく登場する「小泉圧勝」、「リーマンショック」の文字と平行しながら描かれる地方企業のリストラと、家族の分解。 現代的な孤独死の様相までを丹念に見据え、単なる「悲惨」に留めずに積み重ねていく語りには作り手の誠実な人間観と社会観が伺える。 青森の夜の埠頭で、一人ダンスを踊る可憐な川島海荷のロングショット。 三浦友和、余貴美子、温水洋一、濱田マリらの多様な佇まいは、単純な「善良」には陥らず、豊かな人間性を醸し出す。 そして映画のラスト、いわきの漁港で漁船の仕事に精を出す中村獅童の姿を、3.11後の今、冷静に見ることはできない。 奇しくも、フィルムに収められることとなった被災前のいわき、遠野のロケーションの風情がリアルタイムと交錯しながら、ロードムービーとしての情緒を倍増させている。 覚束ない足取りの犬を困難な超ローポジションで捉えていく撮影も頑張っている。 車のナンバー「746」「2525」といった細部も作り手の拘りの証だ。[映画館(邦画)] 8点(2011-07-16 23:59:36)《改行有》

694.  0課の女 赤い手錠 作り手が統御し得ない火、水、風の要素が画面内で不定形に狂乱する。 水飛沫をたてながらバスタブに後ろ向きに突っ込んで悶死する一等書記官と、バーのマダム。 泥水の水溜りも、ことごとく画面に飛沫を撒き散らすために配置される。 水責めとバーナー責めの拷問や、真っ赤に噴出する血飛沫、ススキ野原、櫓の炎上もまた然り。 何より眼を奪うのは、クライマックスで過剰なまでに散乱する紙片(即ち、風)の凄まじさだ。 激しく舞い踊る紙片の狂騒ぶりが理由もなく活劇的に映画を盛り上げる。 杉本美樹の無表情、室田日出男や郷英治の神経症的な顔面を際立たせるネオン照明の照り返しも秀逸だ。 ヒロインの受ける拷問、傷跡、バスタブ、風、そして破り捨てられる警察手帳は、 どことなくイーストウッド譲りといった趣。 [DVD(邦画)] 8点(2011-07-15 23:08:18)《改行有》

695.  SUPER8/スーパーエイト(2011) ゾンビ映画とともに『東京公園』とのもうひとつの細部的な類似は、相手を正面から真っ直ぐに見据えることによる、相互把握と理解というモチーフだろう。 メディアを介さず、素の眼差しで互いを見詰め合うことで、差異を超えて互いの個を把握する異星人と主人公の少年。 その視覚的コミュニケーションの主題は、単なる映画史的ノスタルジー以上に、9.11報道を経て「異質な者」への偏見と連鎖的憎悪が煽られていく現代の課題として、共産圏への憎悪の時代を背景に発展的に変奏され、問いかけてくる。 映画の中で強く印象に残る場面は数多いが、 ナイトシーンの随所で不規則的に画面を輝かせるブルーの光の帯。タメの場面で静かにざわめく木々の不穏な音。駅でリハーサルを行うエル・ファニングの驚異的な変貌ぶりなどをとくに挙げておきたい。 [映画館(字幕)] 7点(2011-07-10 21:32:47)《改行有》

696.  モラン神父 モノローグのナレーションを活かし、男女の機微を静かに見つめる作風は、デビュー作『海の沈黙』の趣向と非常に似通う。 様々な対話の劇によって映画は進行するが、神父(ジャン=ポール・ベルモンド)とベルニー(エマニュエル・リヴァ)の対話においては、古典的な「心を通わす」切り返し編集は抑制され、距離を置いて二人をツーショットで捉える構図を中心に展開される。(告解室の二人の構図が特徴的だ。) 「切り返しの排除」あるいは不徹底と、そして特に神父側の心理を表象させない自制的な人物造形(表情と仕草とリアクション)によって、悲恋を予感させながら緊張感を呼び込んでいく。 そして、結部のシーンの静かな情感の高ぶりが素晴らしい。 階段上にある神父の部屋。風が窓を震わせ、戸を揺らしている。向かい合う二人の対話。アンリ・ドカエのカメラは二人をどのように捉え、どう切り返すのか。正面中央に大きく据えられる神父と、距離を置いて中心からずらされるベルニー。その非対称の視線劇がせつなく印象深い。 ※バルニーの娘役で、マリエルとパトリシアのゴッジ姉妹が共演。幼少期と少女期をそれぞれ愛らしく演じている。 [DVD(字幕)] 9点(2011-07-09 22:09:20)《改行有》

697.  東京公園 《ネタバレ》 奇しくも、ゾンビの劇中映画で同時期公開の『SUPER 8』と微かに繋がりあうところが面白い。 『リップスティック』、『ゾンビ』、『瞼の母』といった直接的な映画ネタが飛び交う脚本は好みではないが、榮倉奈々のリズミカルな台詞廻しは小気味よくて大変よろしい。 大福をほおばりながら、あるいはおでん、さらにはケーキや肉まんや赤ワインを美味しそうに飲み食いしながら話す姿も愛らしい。 順撮りか、中抜きか、炬燵を挟んで向かい合う彼女と三浦春馬の対話シーンで、正面からの切り返しごとに二人の多彩な表情を見せていく編集が新鮮な感覚だ。 (後半さらに反復されると共に、木登りで笑わせてくれる高橋洋と、神秘的な井川遥の「正対」切り返しショットの幸福感もいい。) それに対して、彼との正面からの相対を避ける小西真奈美。彼女は表情を隠そうとするがゆえに、三浦との抱擁シーンで見せる手のアクションは感動的だ。 今回のキャメラマンは月永雄太氏。屋内・屋外シーン共に、揺れる木漏れ日を繊細に捉えていて素晴らしい。 潮風公園、筆島のショットにおける波音、風音も聞き逃せない。 [映画館(邦画)] 9点(2011-07-03 20:29:56)《改行有》

698.  緋色の街/スカーレット・ストリート ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。 トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。 見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。 エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。 豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 [DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:24:58)《改行有》

699.  これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫 時代風俗描写は控えめで、髪型・コスチュームにそれを匂わす程度。 前半はセット中心だが、後半はロケーションの投入によって映画に自由で開放的な空気が入り込んでくる。 信頼の置ける山根貞男氏も褒める夜の疾走シーンなどは断然引き込まれる。 セーラー服の浅野忠信と学生服の掘北真希が夜のゴールデン街を走りぬける、その二人の屈託ない笑顔と、画面の躍動感が素晴らしい。 浅野は、演じる役柄の幅広さを存分に見せつけ、また掘北も酒乱を懸命に演じるほど、逆に彼女本人の素直で健気なキャラクターイメージがより強調される点も首尾がいい。 屋台のチャーシューメンをすする。洋酒を一気飲みする。そうしたちょっとした食事シーンの魅力がいかにヒロインに対する好感度を高めるかも、よく心得てられている。 赤塚不二夫作品の特長が、戦略的な無意味・無目的・出鱈目・脈絡の無さなら、この映画の、特に後半の空想劇のナンセンスな諧謔こそ、赤塚に対する敬意であると云える。 大騒ぎの後、静かな夕焼けの屋上で見合う二人。西新宿開発の槌音が小さく響いてくる。シンプルなセットが不思議とノスタルジックな風情と一抹の切なさを醸す。 [映画館(邦画)] 6点(2011-07-02 15:44:57)《改行有》

700.  アンダルシア 女神の報復 《ネタバレ》 バルセロナの路地で、異変に気付く織田裕二のショット。その後景に、意味ありげにバイクを止めている男が映っている。続くチェイスシーンでは既に織田はオートバイを駆っている。という具合に、鮮やかな省略の妙味を随所に見せてくれる。 一方で、カットは多めに割られながらも、そのうちの1ショット内に難度の高いアクションを取り込んでインパクトを作る工夫も徹底されている。(タクシー後方からの清掃車の激突、マーケットでの三つ巴の追跡シーン) 空ショットは極力抑え、自然光を活かしながらロングショットでロケーションと人間とを同化させることで、双方の存在を見事に際立たせている。 その白眉が、緑の地平線を背景に黒木メイサが片足を引きずりつつ歩む横移動のショットだろう。 あるいは、風の感覚を伝える演出の数々も細かい。空撮の、風に乗るような感覚のみならず、ホテルや車の窓の開閉によって主人公らの顔に吹き付ける風は、独特の情感を醸し出すとともに、説話的にも無駄なくシークエンスに活かされている。 伏線としての小道具、仕草の活かし方もさらに良くなっている。 [映画館(邦画)] 7点(2011-06-26 22:22:47)《改行有》

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