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681.  フェア・ゲーム(2010) 友人達とのホーム・パーティシーンで白熱する政治論議。 マスメディアのサダム・フセイン悪玉論を得意げに受け売りする友人を、ショーン・ペンが一喝する。そのフセイン像は自身が実際に見聞した真実の姿なのか、と。 例えば、実際の現場を直接見てもおらずに『ユナイテッド93』の顛末を(「大本営発表」を以って)既に「知っている」つもりの少なくない観客にとっては耳が痛い台詞だろう。 CIAエージェントとしての身分を暴露され絶望するナオミ・ワッツを説得するシーンと共に、俳優ショーン・ペン本人の義憤が直裁に伝わってくるような響きの台詞であり、メソッド演技である。 パパラッチとの確執。国家と個人。いずれもショーン・ペン的なモチーフであり、役者の個性と、実録としての強みとの相乗効果がまず何よりも映画の推進力だ。 劇中のホワイトハウスは曇天にくすんでいる。 今後いくつの「イラク後遺症映画」が作られていくことになるのか。 [映画館(字幕)] 6点(2011-12-10 21:13:23)《改行有》

682.  アントキノイノチ 一種の流行なのか、役者の表情にハンディの高速ズームを度々入れてくるようなところが映画の統一感を欠いてさもしく煩わしい。 一方で、主演する岡田将生・榮倉奈々の二人の表情を捉えるショットは二人の瞳や口元の繊細な震えと動きを的確に伝えているし、部分的にVFXも使われているのだろうが、山の稜線やビルの高層階を捉えた高所のショットの危うい感覚などは見事だ。 二人は居酒屋、観覧車、ラブホテル、浜辺で互いに向き合い言葉少なに対話を紡ぐ。 二人の声のトーン、息遣い、ナイーヴな表情とぎこちない動きが素晴らしい。 にもかかわらず気になるのは、「友情出演」でクレジットされる壇れいのための水増しシークエンス。浜辺の波音、山稜の風音に負けず劣らず盛大な「泣かせ」の劇伴音楽。頻繁すぎて停滞を招く過去のフラッシュバック、、。 『感染列島』以降のシネコン症候群は如何ともし難く、しがらみと不自由を感じさせる。 [映画館(邦画)] 6点(2011-12-04 23:20:09)《改行有》

683.  未来を生きる君たちへ 作り手の良心を疑いはせぬものの、いかにも映画賞が絶賛しそうな優等生的「旬のテーマ」を取り上げ、通俗的な脚本に落とし込んだソツの無さに素直な共感を阻まれるのも事実。 トラックを追って走るアフリカ難民キャンプの子供たちのスローモーションなどには、作り手のスタンスと彼女らが抱く紋切型のイメージが露骨に出ている。 明快すぎる極悪キャラクターの造型や、爆弾のカウントダウンとジョギング中の母娘の劇的なカットバックによる通俗的なサスペンス演出を配置しつつ、 カタルシスを程よく担保した無難な落としどころへ収める語り口。 その模範的な図式化にどこか作り手の打算を感じてしまうというのは穿ち過ぎか。 この手の主題に関しては、理詰めの感覚が問題提起の強度を弱めてしまう気がする。 それでも、変奏される風のモチーフと二人の少年の表情はとてもいい。 廃ビル屋上の危うい感覚も、少年の心象に通じて胸をざわつかせる。 [映画館(字幕)] 6点(2011-09-25 20:23:45)《改行有》

684.  これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫 時代風俗描写は控えめで、髪型・コスチュームにそれを匂わす程度。 前半はセット中心だが、後半はロケーションの投入によって映画に自由で開放的な空気が入り込んでくる。 信頼の置ける山根貞男氏も褒める夜の疾走シーンなどは断然引き込まれる。 セーラー服の浅野忠信と学生服の掘北真希が夜のゴールデン街を走りぬける、その二人の屈託ない笑顔と、画面の躍動感が素晴らしい。 浅野は、演じる役柄の幅広さを存分に見せつけ、また掘北も酒乱を懸命に演じるほど、逆に彼女本人の素直で健気なキャラクターイメージがより強調される点も首尾がいい。 屋台のチャーシューメンをすする。洋酒を一気飲みする。そうしたちょっとした食事シーンの魅力がいかにヒロインに対する好感度を高めるかも、よく心得てられている。 赤塚不二夫作品の特長が、戦略的な無意味・無目的・出鱈目・脈絡の無さなら、この映画の、特に後半の空想劇のナンセンスな諧謔こそ、赤塚に対する敬意であると云える。 大騒ぎの後、静かな夕焼けの屋上で見合う二人。西新宿開発の槌音が小さく響いてくる。シンプルなセットが不思議とノスタルジックな風情と一抹の切なさを醸す。 [映画館(邦画)] 6点(2011-07-02 15:44:57)《改行有》

685.  花の慕情 《ネタバレ》 会社側の要請とはいえ、ドライで硬質なサスペンスの鈴木英夫には、いかにも不得手そうな文芸メロドラマだ。 やはり持ち味は活かし難く、ドラマはメリハリを欠いて映画を長く感じるが、画面の落ち着いた色彩と陰影は十分堪能できる。 『その場所に女ありて』(62)で颯爽とスーツを着こなす司葉子は、鈴木作品5本目の本作では華道の二代目家元役で落ち着いた和服の美を披露している。共に一種のキャリアウーマンの役柄ともいえる。 飯村正撮影によるイーストマンカラーの淡い色彩が、生け花、着物の柄と良い感じにマッチしており、眼に沁みる。夕暮れの淡い光の具合も素晴らしい。 ラストの宝田明との再会シーンでは伊豆の山奥の雄大なロケーションがまた清清しく、山道の勾配とカーブが良いアクセントになって作品を締めている。 [映画館(邦画)] 6点(2011-06-20 22:29:16)《改行有》

686.  八日目の蝉 《ネタバレ》 例えば、施設から脱出するシークエンスで窓や鉄条網に対して永作博美がどのような所作によって娘を護り、どのように庇いながら封鎖を抜け出るか。そういう細部の動作によってこそ観る側に彼女の情愛を伝えることが出来るはずなのだが、そうした部分の演出が手薄である。 単に脱出の絵解きでしかない。 また、特に井上真央の台詞に削るべき部分が多い点、歌のモチーフの連携が活かしきれていない点なども気になる。 しかし、最後に登場する島の写真館の異空間ぶりと緊張感は素晴らしい。 寡黙な館主(田中泯)の超越的な存在感。 撮影用の長椅子に座る永作博美と渡邊このみの手と手が交わす授受のアクション。 オフ空間から静かに聞こえてくる波音。その波音が、高台や浜辺やフェリーから見た「キラキラ光る」海のショットと、その情景に結びつく二人の交流の記憶を観客にたいしても呼び覚まさせる。 井上真央は暗室の中で、黒く不鮮明なネガを「現像」する手続きを経なければならない。 現像液の中に滲み出るように浮かび上がってくる二人の記念写真。(「ネガ」から「ポジ」への直喩的転換) そして写真館を飛び出して歩む彼女の力強い闊歩が良い。 (小豆島の浜辺、自転車、唱歌、記念写真は『二十四の瞳』に連なる映画アイテムでもある。) [映画館(邦画)] 6点(2011-06-13 22:10:05)《改行有》

687.  ツーリスト 燃えカスとなった紙片のコンピュータ解析や、列車~本部間での顔写真照合を駆使するハイテクチームに対し、メトロの人波を計算して悠然かつ優雅に尾行グループをまいていくヒロインの貫禄が痛快で楽しい。 常に男の上手を行く対話劇も面白い。 一方の『間違えられた(?)男』ジョニー・デップは、ヒッチコック作品のケイリー・グラント的な鈍臭いアクションや非技巧的な演技設計に逆に技巧が透けてしまうのが難点か。 観光名所でのロケーションに、列車内での男女の出会い(『バルカン超特急』他)に、絞殺(『ロープ』)、屋根上のチェイス(『泥棒成金』、『めまい』)、パーティ(『汚名』)そして窓を通した監視(『裏窓』)と楽しい要素は数多く、またふんだんな空撮も豪勢感があって良い。 [映画館(字幕)] 6点(2011-06-07 23:14:33)《改行有》

688.  ブラック・スワン 明らかにそれと判るデジタルエフェクトほど無粋なものはない。 観客が気付かないぐらいが効果的なのであって、過度に充血した眼やら、鳥肌やら、自傷やら、大仰な効果音付で繰り返されればさすがに興も冷める。 二次加工も半端に使われてしまうと、実写画面への信頼性すら揺らぎかねない。 『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオらが踊ったアイリッシュダンスのように、モーフィングによってダンサーの下半身と俳優の上半身を繋ぐ事などもはや造作もないのだから。 ダンスシーンの、演者に肉薄していくような手持ちキャメラワークを始め、役者の身体性と演技に拘るのなら尚のこと、過剰な特殊効果は控え、出来る限り役者の生身だけで勝負してくれなければ価値を減じてしまう。 つきつめていけば、「演技賞」とはどこまでを言うのかという事にもなる。 地下鉄の車窓、ドレッシングルームや稽古場の大鏡の錯覚的な重層性と迷宮感。CGの援用はこれらに限定するだけで十分かと思う。 [映画館(字幕)] 6点(2011-05-15 20:49:56)《改行有》

689.  RED/レッド(2010) 質素な居住空間の中、6時起床、7時朝食、12時昼食の定時行動を示すショットを反復した上で、翌日早朝の異変を旋回のショットと時計のショットとで仄めかす。 ここで示されるブルース・ウィリスの鋭敏な時間感覚の設定は、カール・アーバンとの電話の逆探知シーンやCIA本部の脱出シーンでの伏線ともなる。 フライパンで炒られ暴発寸前の銃弾や、蜂の巣となる家屋から悠然と歩み出てくる主人公の図が、波乱の幕開けの演出として効果的だ。 ハイテク対ローテク、理論対経験則、理性対直感といった頭脳戦の要素は薄く、CIA本部の包囲網脱出のアイデアなどを始め、『レオン』や『ミッション・インポッシブル』の二番煎じで意外性がなく物足りないが、強引な力技も悪くはない。 特に3人のREDがそれぞれ見得を切る射撃シーンの貫禄がいい。 旋回する車を降り立ち、躊躇無くカール・アーバンの車に弾丸を撃ち込んでいくブルース・ウィリス。 炎上する貨物を背景に仁王立ちで暗殺者と対峙するジョン・マルコビッチ。 そして、白いドレスを纏い瞬きひとつせずにマシンガンを撃ち込むヘレン・ミレン。 銃撃の反動にも姿勢を崩すことない、その立ち姿が凛々しい。 廃車にカモフラージュした隠れ家といったアイデアなども奇抜で楽しい。 [映画館(字幕)] 6点(2011-04-30 16:01:42)《改行有》

690.  ザ・ファイター マーク・ウォルバーグがみせる、ブランク時とリングシーンの体格調整アプローチは『レイジング・ブル』のデ・ニーロを意識したか。 クリスチャン・ベールの演技も、擬斗シーンの打撃の効果音も過剰気味で今ひとつ面白くないが、母親(メリッサ・レオ)が父親(ジャック・マクギー)に投げつけるフライパンや、左拳を折る警棒のほうは痛々しくていい。 役者に対して主舞台となるホームタウンの印象も薄いが、それぞれ二階建ての家の造りなどは独特で面白い。この映画では玄関先がドラマの場だ。 マーク・ウォルバーグが再起を決意し歩き出す朝の玄関先、クリスチャン・ベールがエイミー・アダムスらを背に歩み去る玄関先の道。その無言のシーンが、饒舌な映画の中では活きている。 ミット打ちのリズミカルなコンビネーション、パンチングバッグの連打音、そして玄関先での呼び鈴の応酬なども、挿入曲と併せて音楽的でいいけれど。[映画館(字幕)] 6点(2011-04-23 23:57:45)《改行有》

691.  中共脱出 極東部劇でもあり、それぞれの役柄も全く違うが、『ラスト・シューティスト』で感動的に再共演することとなるジョン・ウェインとローレン・バコールのやり取りを観るだけでも感慨深い。 ロケーションは米国なのだろうが、生活感漂う河岸の光景にはアジア的風情が良く出ている。 中盤に登場する難破船群の朽ち果てた様、そしてそのそばで開始される砲撃戦もまた壮観で、『つばさ』の過激な着弾ショットにも引けをとらない危険な爆発シーンが続出する。キャストの至近距離で木材の破片が四散し、豪快に水柱が聳え立つ。そのただ中で、ボイラー室で葉巻を半分吹き飛ばされながら表情も変えず短くなった葉巻を平然と燻らせ続ける機関士の横顔のショットが渋い。 暴風雨のシークエンスで、「サウンド版無声映画」となるのも『つばさ』のW・A・ウェルマンらしいアクション演出。 脇役ながら、スースー役:ジョイ・キムが前半に見せる愛嬌、後半で聞かせる歌声が良い。 [ビデオ(字幕)] 6点(2010-11-20 18:09:55)《改行有》

692.  悪人 《ネタバレ》 各役者とも決して動の演技が少ないわけではないにもかかわらず、表情芝居のショットが多い。ために、キャラクターへの心理的同化の効果は高いだろう。 (久石譲の雄弁な劇伴も相変わらずだ。) 雨の事件現場、傘の中で柄本明に無言で応える満島ひかりの表情の切り返しショット、続いて真上からの俯瞰ショットを繋げた喪失感の演出などをはじめ、確かに随所で達者な表情が引き出されている。 けれどよりエモーションを掻き立てられるのは、遺体安置所の廊下で支えあう夫婦のシルエットや、バスにお辞儀する樹木希林の背中であったり、湯によって温まる足指や、引き離される手と手といった部位による芝居だ。 あるいは・夜・曇天・風雨が主体の撮影のなかで、フロントガラスを流れる雨垂れを通して滲んだ不鮮明な表情や、灯台のシーンで夕闇の黒の中に消え入りそうになりながら強風の中を駆け上がる深津絵里の俯瞰ショット。つまりは見えない表情の喚起力である。 そしてその夜間においても見事な情景撮影は、凍えるような外気温と、二人の体温をも確り伝えている。 灯台に迫る警官隊のライトの列は、伊藤大輔の御用提灯を想起させるような粋な趣向だった。 [映画館(邦画)] 6点(2010-09-20 22:04:23)《改行有》

693.  息もできない 《ネタバレ》 対峙する人物達のすぐ後方あるいは真横に密着する手持ちカメラは同化の効果と圧迫感を生み、勝手口で諍う姉弟の場面の生々しさなど一部では非常に効果を挙げている。が、開巻から延々と繰り返されるカメラの不自然な揺れはあまりに煩わしい。海外市場志向の韓国映画のひとつの傾向というべき主流ハリウッド大作スタイルに対する浅薄な模倣が明白だ。キャメラをぶん回してうわべの迫真とスペクタクルを捏造する撮影にはうんざりする。もっとも、暴力的手ぶれショットがほぼ全編にわたるゆえに、娘と主人公が何度か並び座り、膝枕するシーンでの静かな叙情が逆に活きてくるのも事実だが。フィックスで暴力を冷然と凝視し、絶命の過程を大幅に割愛する小津作品の省略の凄みと過激さ。または北野作品のそれと比較するのは酷か。[映画館(字幕)] 6点(2010-04-10 23:13:21)

694.  人間失格 原作や荒戸監督の前作『赤目四十八瀧心中未遂』の印象から勝手にイメージする陰鬱なムードとは裏腹に、冒頭の岩木山を望む津軽の場面を始めとする明るい屋外シーンの多さや、主人公を取り巻く錚々たる女優陣の豊かなバラエティもあって、どこか陽性の印象が強い。 『ファザーファッカー』ほど派手ではないにしても、CGによるイメージシーンの多さもさらに映画に華やかさを添えている。 販売戦略としてのアイドル映画という側面もあるのだろうが、良い意味で無色な新人・生田斗真のキャスティングによって映画版のほうは達者な脇役陣の中でより一層主人公の空疎な存在が体現されることともなった。 太宰の時代として昭和初期を再現するロケーション・美術も『ヴィヨンの妻』以上に充実し見事な出来だ。 葉蔵(生田)と良子(石原さとみ)が暮らす木造二階建ての部屋から、夕景の推移を丁寧に見せる画面の風情などは非常に印象に残る。 灯の揺れや細やかな音使いも前作同様にデリケートで端正だ。 五輪中継などの時代描写は少々説明過剰か。[映画館(邦画)] 6点(2010-03-17 21:06:50)《改行有》

695.  海角七号/君想う、国境の南 まず魏監督の来歴から楊德昌のスタイルをつい期待していると、肩透かしを食う。 冒頭のバイクの疾走などはまず『百年恋歌』現代篇を想起させ、風情ある地方部が主舞台となり、日本統治時代の回想が入るなど、どちらかといえば楊德昌というよりも80年代の侯孝賢的なルックを持つ。 序盤の垢抜けないコメディ・パートといい、詰め放題・拡散し放題の生温いドラマ展開といい、劇中でのなかなか結束しないバンドと同様にどうなることやらと最後まで心配になってしまうが、逆にその雑然・混迷ぶりがクライマックスのコンサートの集約感を一気に高め、高揚させる。 それまでの丁寧な人間関係描写あってこそ個々のメンバーの合奏が魅力を持つものになっている。 複数の世代、国籍、生活言語が共存する齟齬が生み出すドラマの実感、夕日に染まる漁港を始めとする美観にバイクの運動を組み合わせた情景ショットの見事さなど、徹底してローカルに拘ったゆえのヒットは肯ける。[映画館(字幕)] 6点(2010-02-11 20:44:27)《改行有》

696.  サブウェイ123 激突 《ネタバレ》 『エネミー・オブ・アメリカ』においても、通過する列車の向こう側に渡る事でジーン・ハックマンとウィル・スミスが追手を撒く一場面がある。列車の車線を越えたとたん、二人は暢気に口論を始める。列車の流線が遮断する事で全くの別空間が現出する感覚。この映画でも、列車の車線を越える事が大きな意味を持つ。一旦、犯人グループと直接対峙したデンゼル・ワシントンは車線を越える事で彼らから逃れ、マンハッタン橋で再び車線の向こう側へ越える事でジョン・トラボルタと再び相見える。(中盤で一旦は出会う二人だが、同一列車内の二人は構図上、二つの窓枠(フレーム)で分離されている。また、終盤で車線を越えない警官たちは全く空間を異にし、彼ら二人に近づく事が出来ない。)その境界となる地下鉄列車は、トニー・スコット作品に特徴的なフレーム内メディア(各種パネルディスプレイや暗視スコープ、監視映像など)と通底しており、地下内の暗闇に浮かび上がる列車の明るい車窓はまさに重層的なスクリーン内スクリーン(映画)である。このメタファーは、エンディングロール後まで含め、列車の疾走がフィルム映写を模した形で頻繁に映し出されることで容易に仮定できるだろう。スクリーンという断面を越えることで始めて、実体と相見えるという『デジャブ』的主題がここでも反復されている。[映画館(字幕)] 6点(2009-10-07 21:07:31)

697.  レッドクリフ Part I 観客の多様な嗜好に対応しスペクタクル・アクション・史劇・ロマンスといった多要素を網羅した、香港ノワール出身の監督には明らかに不向きな典型的ブロックバスター型作品。本来ならば、戦争映画『ウインドトーカーズ』でそうした限界は明らかなはずなのだが。第二部とも共通して、VFXによる天・地・河はいずれも物質感を欠き、その「どこでもあり」の誤った視点の数々は却って箱庭感を露呈する。動かない対象に対し必然性もなく動き続けるキャメラは偽のスペクタクルを画面に与え続け、「オールスター」への配慮と思しきクロースアップの過多は、終始画面を閉塞させる。『ハードボイルド』や『フェイス・オフ』等の傑作であまりに印象的な、赤子を抱いてのバイオレンスも「善人」ではインパクトがない上、アクションつるべ打ち状態の中ではなかなか高揚をもたらさない。そうした大作につきものの不自由を抱えながらも、やはりマルチカメラよって多角的に繋いだ主役陣の武俠アクションは明瞭性があり素晴らしい。ショットを細断して誤魔化すモンタージュ悪用の似非アクションとは違う。重量感のある矛を主体とし、キン・フー的に様式化した円形の動き、黒澤的な馬上のアクションなども良い。[映画館(字幕)] 6点(2009-09-01 22:37:22)

698.  地球が静止する日 平和的異星人との会談を徹底して拒否するアメリカ大統領は一貫して画面から排除される。この点、、オリジナル『地球の静止する日』(1951)の忠実な踏襲である。ロバート・ワイズ版の中では、異星人がリンカーン像を見上げ褒め讃える一場面などもあり、これが原爆認可と切り離せない映画公開当時の大統領トルーマンに対する逆説的非難であることは一目瞭然だ。その意味では旧作のほうがより直接的な政権批判を主眼とした政治風刺映画ということが出来よう。無論、本作における大統領個人の不在や軍の好戦姿勢、現実としてのアメリカ覇権主義描写もそれに倣ったものだが、リメイク版が志向するのは旧作が「物語」や「啓蒙的メッセージ」といった非映画的要素に重きを置く都合から各シークエンス間で省略した、より即物的な「アクション」部分である。具体的には、地球人の発砲により負傷したキアヌ・リーブスの治療の生々しい模様。隔離ブロックからの脱出経緯。二者が黒板に数式を黙々と書き込み合う動作等であり、特に前半部分は旧作に即した物語展開の為、その相違点は明確に際立っている。説明を極力排した活劇重視による画面主導の語り口が非常に潔い。宇宙人の翻意は、無表情で、(明快な)論理でないからこそ世界の豊かな多義性というものが映画に取り込まれている。●また、序盤で示されるタイムリミットの意外性に始まり、中盤のジェニファー・コネリーを上空から拉致する強引さ。彼女が墓地に再登場する唐突さ、戦闘機登場の突発性など、展開の目まぐるしさも良い。[映画館(字幕)] 6点(2009-03-24 23:05:22)

699.  坂道のアポロン 《ネタバレ》 題名に忠実に、長崎のロケーションを活かし、レコード店と地下室を繋ぐ階段を活かし、レコードプレイヤーのある二階とピアノのある一階の階段を活かす。 ドラムを叩く中川大志、ピアノを弾く知念侑李、本人それぞれの実演をしっかり撮る。 原作由来といわれればそれまでのありきたりなエピソードの羅列ではあるが、そんな美点がよくカバーしている。 映画のアイテムとして携帯を敵視する側からすれば、糸電話を使ってみせるというような気の利いた配慮は嬉しくなる。 男子二人に演奏させておいて、結局のところ小松菜奈に歌わせないというのはNGだろう。[映画館(邦画)] 5点(2018-03-11 22:28:11)《改行有》

700.  空海 KU-KAI 美しき王妃の謎 《ネタバレ》 久々のチェン・カイコーという事で、スタティックで審美的な画面が来るかと思いきや、 絢爛豪華なCGで粉飾された舞台をカメラは目まぐるしく動きまくってまるで落ち着かない。 人物間をやたらに回り込むわ、ところどころ違和感のあるカット繋ぎもあるわで、特に前半は構図の意識があるのかどうかも 疑わしい。 『キャットピープル』なども意識したかどうか、黒い影で表現される猫のショットが怪奇ムード満点でいいのと、 空海らがアクティブに動き回って謎解きしていくというのがいい。[映画館(吹替)] 5点(2018-02-28 21:53:48)《改行有》

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