みんなのシネマレビュー
ユーカラさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL //www.jtnews.jp/blog/24461/

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344454647

701.  一年の九日 《ネタバレ》 ダンスシーン以外ほとんど音楽的要素を排した静謐な緊張感と、主に幾何学的な建築物のラインに取り囲まれた深い構図の中、三角関係となる男女の機微が滲み出る。 その有機的なショットの連なりが素晴らしい。 モノローグによって献身と無力感の葛藤が雄弁に綴られるヒロインと、業務によって放射線被曝した男(アレクセイ・バターロフ)の寡黙と抑制との対比が、ラストのメモの切なさを増幅する。 映画の後半、夫婦となった二人は男の田舎へ帰郷する。 画面一杯の空と並木。開放的なロケーションに唯一心が安らぐ場面だ。 実家で会食中、被曝の苦痛で震える夫の手に重ね合わさる妻の手のアップ。温もりある木材の壁を背景に、別室でそれぞれベッドに横臥しながら、男の独白を聞く彼女。 そして、父親との別れのシーンの情景も忘れ難い。1本の線路上に立つ家族のロングショット。絶妙な雲の表情。列車が離れると共にトラックダウンして小さくなっていく父親の姿。 その哀惜の構図が、永遠の別離を予感させる切ないショットだ。 [DVD(字幕)] 10点(2011-08-07 22:26:05)《改行有》

702.  レセ・パセ 自由への通行許可証 レストランの場面を撮る撮影現場のシーン。主役である助監督役ジャック・ガンブランが女優の肩にかけるショールを持ってくるようスタッフの女性に言いつけると、彼女は画面右手の楽屋へ小走りで取りに行く。それを追うカメラ。彼女が角を曲がったところでカメラが静止すると、手前では男とスタッフが出演交渉している。女性スタッフが戻ってくると、カメラは再び彼女を追い、女優の肩に無事ショールがかかる。 深い被写界の中、縦横無尽に移動するカメラは1ショット内に複数のシーンを入れ込み、画面を奥行き豊かに重層化させる。 それはこの場面に限らない。冒頭の喧騒シーンから、画面奥で活躍するエキストラ一人一人の動きも疎かにすることなく、その活気とエネルギーを画面に載せている。 クルーゾー、カイヤット、スパーク、フレネーといった当時の「コンティナンタル」を巡る錚々たる有名監督・脚本家・キャスト名が飛び交う中での、大道具・小道具・照明・衣装スタッフや端役、即ち名も無き映画を支えるスタッフ一人ひとりに対する心配りと賞賛の証しであり、その眼差しの表出が心を打つ。 映画は、ユーモアとスリルが絶妙に織り交ざり、長丁場を飽きさせない。 善悪を超えた人間描写の豊かさと共に、田舎道を自転車で疾走するシーンの縦移動の爽快感が素晴らしい。 [DVD(字幕)] 9点(2011-08-07 22:25:29)《改行有》

703.  犯人は21番に住む 雨に濡れた暗い路地。バーを出た男を尾行していく犯人の主観ショットの緊迫感から一気に映画に引き込まれる。 50年代に一気に名声を高めるクルーゾー監督の優れたサスペンス演出は、戦中の処女作(コンティナンタル製)から随所で光る。特に冒頭の刺殺シーンを始め、幾度か登場する殺人場面はいずれも見事。(『悪魔のような女』的な浴槽殺人も登場) 大写しとなるシルエットの用法や「3」の記号の活用などは、ラングからの影響もあるのだろうか。 一方で、ピエール・フレネーとお転婆ぶりが可愛いシュジー・ドゥレールの掛け合いや、手品師とのスリ合戦など、楽しい見所も充実している。 「ミモザ館」住人達のキャラクターもそれぞれ個性的だ。 ナイフ、マッチ、ステッキといった小道具の扱いも各所でアクセントとなっており、特にラストショットでピエール・フレネーがマッチを擦る粋な仕草は鮮やかに映画を締めくくっている。[ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-07 20:52:22)《改行有》

704.  ルネ・クレールの明日を知った男 《ネタバレ》 意欲と技巧の先走った感もあるトーキー初期に比べ、40年代ハリウッド期(第3作)の「音」使いは控えめながら要所要所で対位的な面白味を加味して物語を引き立てる。 窓ガラス越しのショットによって、オペラハウス会場の歌声と拍手をロビー側の強盗シーンの騒乱に被せる。または、楽屋裏でのアクションに表舞台の楽曲をオフで被せてシンクロさせるといった部分だが、それら技巧の突出を控える分、魅力的なキャラクター達の造形と話術に力を注いで荒唐無稽な脚本をファンタジックに昇華している。 川に飛び込んだリンダ・ダーネルが、ディック・パウエルのダブダブのスーツを着て自室に帰るシーンあたりから、少々無愛想だった彼女が俄然魅力を放つ。 クライマックスのアクションも空間的な広がりとタイムリミットが活かされ大いに盛り上がる。 そしてラストの雨宿りの幸福感溢れるツーショットはまさにクレール印だ。 冒頭と釣り合う形で、50年後(金婚式)の二人のロングショットにカットバックしたかと思うと、いま一度若き二人の仲睦まじい笑顔に戻る。その魅力的な二人の表情がとても愛しい。 主人公を諭すジョン・フィリバーの柔和な佇まいも素晴らしい。 [ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-06 21:01:22)《改行有》

705.  沈黙は金 「雄弁は銀、沈黙は金」のごとく、無声からトーキーへの革新に難なく順応し、それぞれの特質を洗練させてみせたルネ・クレールのサイレント賛歌であり、トーキー賛歌である。 「喜び」はオープンカフェのヴァイオリンや、レストランのオーケストラ、アパート前の路地のシャンソンの音色によって変奏され、「悲しみ」は様々な破砕音(ガラス、花瓶)の形で変奏される。 それも直接的な視聴覚の融合だけではなく、音と主体(人物や対象物)を分離する演出も絡めながらドラマ効果をあげている点が匠の技だ。(サイレント演技する役者と演技指導する監督の声。あるいはオフ空間から響くガラスの割れる音と、後のシーンで心象として活きる「割れたガラス」のショット。アパート入り口前で仲睦まじく語り合う恋人同士の会話を、路上のシャンソンの歌声によって消すロングショットなど実に多彩。) 撮影所の監督部屋で衣装替え中のフランソワ・ベリエとドア外のマルセル・デリアンが、監督役:モーリス・シュヴァリエの仲介により顔を合わせぬまま挨拶代わりの握手をする。後に恋仲となる二人の手と手が結ばれる一瞬のクロースアップ。その短いショットだけで、二人が惹かれあうだろう予感を強く印象付け、物語る力。 二人が登っていく夜のアパートを外側から緩やかに上昇して追うカメラの慎ましさ。 アパート部屋の小さな窓から望むパリ夜景の情緒を実現する美術の技量。 馬車のシーンで、スクリーンプロセスとの絶妙なシンクロを見せる的確な照明操作。 撮影所の洗練された技術が活きる、撮影所の映画だ。 [ビデオ(字幕)] 9点(2011-08-05 21:59:59)《改行有》

706.  ナージャの村 河辺で戯れる少女たちが水面に作る波紋。昆虫たちの気配の充満する草むら。種まきから収穫までの農作業。そして、人間たちと共生する牛、豚、山羊、馬、蜂、鶏の姿。 写真家:本橋成一の撮る『ナージャの村』は、どこか静的で審美的な「映像美」中心に陥りそうな危うさを孕みながらも、その風景の中に生命の動態と時間性を呼び込んで固定化を回避している。 阿賀野川の生活者たちを魅力的に捉えてみせた佐藤真が編集を手がけた貢献にもよるだろう。 汚染の被害や影響といった観念的問題性に縛られることなく、故郷の土地に生きる人間の生活の動きある細部を中心に彼らの尊厳を画面に定着させていくアプローチも『阿賀に生きる』を忠実に踏襲している。 四季を綴る映像と、向けられたカメラを特に意識する風でもない村人たちの姿は、現地に腰を据え、彼らに溶け込んだ長期取材の証しでもある。 スカートの裾を気にしながら自転車を飛ばす娘らの爽快な移動ショットなどは素晴しいものの、ナージャさん一家が引越しするシークエンスを中心に、移動シーンの頻繁なカメラ位置変更は被写体の日常への介入が過ぎないだろうか。 [DVD(字幕)] 8点(2011-07-31 21:16:53)《改行有》

707.  さんかく 《ネタバレ》 常にトイレを視野の奥に入れた特徴的な2DKの構図の中、高岡蒼甫と田畑智子が何度もキスをし直すシーンや、マニキュアをめぐっての痴話喧嘩が別れ話に発展してしまうシーンなど、二人の関係性の変化を捉える持続的なワンシーン・ワンカットが真に迫る。 この長回しは、二人の達者な芝居を途切れさせないことで生々しいテンションの維持を達成しているだけでなく、男女間の視線の交換とそれに伴う感情の交流という古典ハリウッド的な切り返し編集を一切封印することで、二人の恋愛の不可能性を暗示する。 実際に、小野恵令奈と高岡蒼甫の「擬似恋愛」は幾度も偽の切り返しによって表現される一方、高岡・田畑の対話からは意識的に徹底排除されている。 監視カメラ映像を通して交わされた偽のそれと、ラストの美しいそれ以外は。 同時に、頻出する携帯電話での対話も常に一方の発話者側だけを捉え、関係の一方向性と非対称性を強調しているのも確信的に施された演出だ。 ラストのクロースアップによる男女の切り返しに至り始めて双方向的な結びつきが成立し、見つめること(視覚)と受け容れること(心理)の一致という原サイレント的美しさを見せ付ける。 [DVD(邦画)] 8点(2011-07-29 21:59:49)《改行有》

708.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 仮想的を「宇宙」に求めたバイロン・ハスキン版(53)とは異なるアプローチによる、本来あるべきウェルズ原作「世界間の戦争」の忠実な映画化である。 それは即ち、異なる価値観に生きる他民族同士の争いを問うという事だ。 第二次大戦後のパル=ハスキン版に対し、2005年にH・G・ウェルズをリメイクする意義とは、いわゆる9.11が触発した現在進行形のイラク侵攻(一方的軍事侵略)が突きつけた課題に映画人としてどう向き合うか、という事に他ならない。それを明確に象徴するのが旅客機の残骸の図であり、埃塗れのトム・クルーズであり、暴徒化し難民化する群衆の姿だ。 映画は大状況の説明には興味を示すことなく、小状況の中で争い合う人間の、いわば原理を追究していく。 だから、映画は地下壕での主人公自身による殺人行為に異様なほど十分な時間を割く。ドアを閉じ、ダコタ・ファニングを眼隠しすることがここで映画的効果を発揮している。 闇を効果的に強調するヤヌス・カミンスキーの撮影が相変わらず素晴らしい。[映画館(字幕)] 9点(2011-07-24 19:50:42)《改行有》

709.  吸血蛾 怪奇ムードを醸成する撮影と照明設計が全編にわたって素晴らしい。昆虫館の外観に内装(特に廊下)の凝った美術が濃い陰影の中に不気味に浮かび上がる。 手や足のオブジェやトルソは怪奇演出のみならず、殺人シーンの場面転換の技法としても活用され印象強い。 クライマックスの廃ビルもスケールを感じさせる絶品のロケーションだ。取り壊し中なのか、外壁が崩れ落ち、鉄骨むき出しとなった廃墟が異空間ぶりを際立たせている。 縦の構図で捉えられた夜のビル内、飛び交うサーチライトが警官隊と犯人を照らし出し、吐息と土埃と拳銃の火薬煙が闇に舞う。 発砲音と、着弾音、追跡の足音の反響も効果満点で、視聴覚的に豊かな造形だ。 ファッションモデル役の女優も多数出演する中、安西郷子が役柄通り様々なファッションを着こなし、俄然美しい。 その分、後半から登場の金田一役:池部良の印象が弱いのが残念なところ。 [映画館(邦画)] 7点(2011-07-24 19:42:36)《改行有》

710.  激怒(1936) 《ネタバレ》 前半の善良な青年から、後半の荒んだ復讐鬼へ。スペンサー・トレイシーの変貌ぶりが憎悪の奥深さを雄弁に物語り、映画に濃い陰影を投げる。 保安官事務所に民衆が集結してくるモブシーンのクレーンショットが、その後の波乱を予感させて秀逸だ。 事務所が火炎と黒煙に包まれる中、暴徒の笑顔のクロースアップが短く積み重ねられるモンタージュによって彼らの禍々しく残忍な印象が一層際立つのも、一種のクレショフ効果か。 裁判の重要な証拠となるニュース映画のストップモーションと共に、インパクトが強烈だ。 ショーウィンドウや、「22」の視覚的記号と共に、私刑と復讐の主題系はドイツ時代から連なるフリッツ・ラングの特色だが、ハリウッド的甘味を折衷させたラストはやはりどこか、渡米後第一作の不自由を思わせる。 床屋のシーンや、裁判長の宣誓シーン、犬やアヒルのショットなど、暗い主題を中和するユーモアも随所に散らばり、作品のバランスに対する苦心と配慮を窺わせる。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-23 19:51:37)《改行有》

711.  ラスト・ターゲット(2010) 全編通して、台詞の大幅な排除によって達成された寡黙の美質。 異邦人の孤立を際立たせる山岳地帯の望遠ショットの見事さ。 少々単調気味のクロースアップも、呆気ないまでに短い撃ち合いも、「娼婦と流れ者」のモチーフも、中盤に登場するセルジオ・レオーネ『ウエスタン』の引用が納得させる。 中世の趣を残す村の急峻なロケーションが絶景であり、山の斜面が作り出す地形的特色は狙撃のドラマにも巧く活かされている。 そして雨に濡れた夜の石畳が街灯の光を鈍く反射させる画は、紛れも無くハリウッド・ノワールの証だ。 暗い屋内で、サイレンサーを「職人の手」捌きで作り上げていくストイックな身振り。 銃器受け渡しスポットとなる食堂の疎らな客。抑制された静のムードが緊張感を呼び込んでいる。 草むらの中でジョージ・クルーニーとテクラ・ルーテンが距離を置いて交互にライフルの試射を行うシーンに『ジャッカルの日』の誤差修正シーンの緊張感が甦る。 娼婦を演じるヴィオランテ・ブラシドが醸す純朴と妖艶の入り混じったムードも出色だ。 [映画館(字幕)] 7点(2011-07-22 22:04:32)《改行有》

712.  ワイルド・フラワーズ 主演:鈴木美妃の存在感が光る。 新人俳優らしい序盤の垢抜けない硬さがあってこそ、リング上の立居や表情や本格的なレスリング技が次第に様になっていく姿が劇中の成長物語と通じ合い映画後半の盛り上がりを生んでいる。 タッグを組むこととなる石川美津穂、ライバルの東城えみ&キューティー鈴木といった実質的なプロたちに交じりながら、終盤には彼女たちの凄味、貫禄、技の切れとスピードに対し全く引けをとらない渾身のファイトぶりが素晴らしい。 クライマックスのタッグ試合でひたすら四人の身体がぶつかり合う迫真性は日本版『カリフォルニア・ドールズ』の趣だ。 また粗末なガレージ内の練習場、地味で狭い選手寮、寂れたキャバレー内に設営された試合会場といった真実味のある美術もまた王道的なスポーツドラマに納得性を与えている。[DVD(邦画)] 7点(2011-07-20 20:48:55)《改行有》

713.  日本列島 現代にも通じる、他国の戦争を踏み台にした「経済成長」のいかがわしさ、そして米国の実質的傀儡としての日本の姿。それは全編にわたって執拗に通奏され、強調される米軍機の暴力的な爆音として示される。 これが効果的なのは、日常場面での状況音・SEが相対的に小さく捉えられているか、あるいは部分消音されているからだ。 その不協和音が最高潮に達した時にシンクロする窓ガラスの破砕音と芦川いずみの絶叫が痛ましい。 ラスト、窓外に国会議事堂を配置した喫茶店内ではアフレコで芦川いずみらの会話だけを残し、周囲のテーブルにいる官僚たちの会話音声を確信的に一切消し去って世界を断絶させる音響演出が製作側の意図を如実に伝えている。 逆光でどす黒くつぶした国会議事堂を背景に、その闇と拮抗しながら毅然と歩く芦川いずみの姿を横移動で捉える長回しゲリラ撮影は、重々しい伊福部音楽と相俟って熊井監督の執念を示す渾身のショットだ。[DVD(邦画)] 8点(2011-07-20 20:32:17)《改行有》

714.  六ヶ所村ラプソディー DVD版の上映。 菊川慶子さんが育てているチューリップ畑の赤・黄・ピンク・紫などはほぼ純色に近い彩度の高さで画面を彩る。 彼女が鍋に押し込む青菜の緑と強い弾力、そして温かそうな湯気は食欲をそそる。 幼稚園児たちが笑顔で齧る有機栽培トマトの鮮烈な赤も素晴らしく眼に沁みる。 淡い水色の空に架かる黒い送電線。 カメラがパンダウンしていくと、苫米地ヤス子さんが無農薬有機栽培している黄はだ色の稲穂についた水滴が瑞々しく輝いている。 掘り出された山芋に着いた肥えた土の豊かな黒に、水揚げされたイカの飴色。 それらは、東北の「見えない汚染」が現実的な今、かけがえなく切実な彩りだ。 映画のコンセプトは、「反対派も、推進派も同じスタンスで」「偏りなく」「矛盾も含めてありのまま」映し出すことだという。 が、映画のなかで、苫米地さんが語るように、「中立」はあり得ない。中立は容認であり、賛成でしかない。 映画も対象を選択し、フレーミングによって取捨を迫られる。 この豊かな自然物の色彩と、村民の淡々と柔和な表情こそが、映画の強い主張だ。 [映画館(邦画)] 8点(2011-07-19 14:24:28)《改行有》

715.  エクスペンダブルズ 《ネタバレ》 ジェット・リーとドルフ・ラングレンの格闘まで、編集で「ワンショット(一打)・ワンショット」まで切り刻む愚に悲しくなる。 打撃間の「間」を削ることが、キレの良さとでも勘違いしていると思われる。 おまけに顔面アップの連続で、まともに体技も間合いも見せてくれず、徒手格闘戦の面白味がまるで無い。CGを大幅に封印したとしてもせっかくの格闘系俳優自身によるアクションが活きていない。 二度のカーチェイスも単に派手で大味。格闘シーン同様に運動の持続性も緩急も無く、空間と位置関係の提示には全く無頓着で、興を削ぐ。 「売り」らしいスリーショットは、まともなスリーショットならず。バランスの配慮か、役者の絡み演技未熟のためか、スケジュールの都合か。各々の短い単独ショット、あるいは無言のツーショットの組み合わせを単調に繋いだのみで、三人の正面姿を1ショットに収めた持続的画面はほとんど無い。背中だけの代役が一人いれば、三人揃わなくても撮れてしまう貧弱で胡散臭いシーンだ。 クライマックスに至ってもひたすらな「作戦無き」乱打戦の連続に、途中から安泰感すら感じさせてしまうのも良いのか悪いのか。 一方でフルオートショットガンの重低音や、中盤の橋桁での空爆ロングショットといった派手な見せ場、音響は良い。 『デモリションマン』風のベレー帽、『コブラ』風のレーザーサイト、サングラスといったセルフオマージュ的アイテムの数々は懐かしく、橋桁での泥臭い「全力疾走」ショットはシルヴェスター・スタローン映画必須の刻印ともなっている。 [映画館(字幕)] 4点(2011-07-18 20:05:24)《改行有》

716.  マンハッタンの二人の男 《ネタバレ》 ネオンが輝く夜の街路を緩やかな縦移動で捉える冒頭からして、ニューヨークの街そのものが映画の主役といって良い。 地下鉄内のメルヴィル自身を映し出すゲリラ的な撮影スタイルに、摩天楼の背景とアパートベランダの男たちとを同格で捉える構図に、つまりは人間と街の空気をまるごと捉えようとする画面自体に、アメリカ狂らしい「街」への偏愛が滲んでいる。 メルヴィル自身が監督・脚本・主演のみならず、撮影までこなしているのもその証左だ。 深夜のマンハッタンを中心にラストの明け方の街路に到るまで、屋外シーンは生々しい感覚と魅力に満ち、混沌としている。 一方で、病院内で面会を強行するシーン、女優のアパートで真相を知るシーンといったセット撮影での静かな緊張感も陰影の深い撮影によって印象強い。 さらには聞き込み先の録音スタジオ、ダイナー、バーの各所で効果的に採り入れられるジャズ演奏も、相乗的にノワールムードを盛り上げている。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-07-17 19:26:18)《改行有》

717.  星守る犬 ファンタジックな向日葵畑と、美しく輝く三陸の海岸。それらが引き立つのは、一方で厳然たる地方の閉塞状況にもしっかりと眼が向けられているからだ。 半壊した家屋や、シャッターの下りた商店が連なる寂れた国道を無言で見届けていく西田敏行の複雑な表情が忘れがたい。それは紛れも無く作り手が現場の風景に触発され生まれたショットであって、台本をなぞるだけのスタイルからは決して挿入され得ない。 だからこそこれらのショットは強度を以って迫る。 新聞の見出しにさりげなく登場する「小泉圧勝」、「リーマンショック」の文字と平行しながら描かれる地方企業のリストラと、家族の分解。 現代的な孤独死の様相までを丹念に見据え、単なる「悲惨」に留めずに積み重ねていく語りには作り手の誠実な人間観と社会観が伺える。 青森の夜の埠頭で、一人ダンスを踊る可憐な川島海荷のロングショット。 三浦友和、余貴美子、温水洋一、濱田マリらの多様な佇まいは、単純な「善良」には陥らず、豊かな人間性を醸し出す。 そして映画のラスト、いわきの漁港で漁船の仕事に精を出す中村獅童の姿を、3.11後の今、冷静に見ることはできない。 奇しくも、フィルムに収められることとなった被災前のいわき、遠野のロケーションの風情がリアルタイムと交錯しながら、ロードムービーとしての情緒を倍増させている。 覚束ない足取りの犬を困難な超ローポジションで捉えていく撮影も頑張っている。 車のナンバー「746」「2525」といった細部も作り手の拘りの証だ。[映画館(邦画)] 8点(2011-07-17 12:02:16)《改行有》

718.  0課の女 赤い手錠 作り手が統御し得ない火、水、風の要素が画面内で不定形に狂乱する。 水飛沫をたてながらバスタブに後ろ向きに突っ込んで悶死する一等書記官と、バーのマダム。 泥水の水溜りも、ことごとく画面に飛沫を撒き散らすために配置される。 水責めとバーナー責めの拷問や、真っ赤に噴出する血飛沫、ススキ野原、櫓の炎上もまた然り。 何より眼を奪うのは、クライマックスで過剰なまでに散乱する紙片(即ち、風)の凄まじさだ。 激しく舞い踊る紙片の狂騒ぶりが理由もなく活劇的に映画を盛り上げる。 杉本美樹の無表情、室田日出男や郷英治の神経症的な顔面を際立たせるネオン照明の照り返しも秀逸だ。 ヒロインの受ける拷問、傷跡、バスタブ、風、そして破り捨てられる警察手帳は、 どことなくイーストウッド譲りといった趣。 [DVD(邦画)] 8点(2011-07-15 23:14:55)《改行有》

719.  SUPER8/スーパーエイト(2011) ゾンビ映画とともに『東京公園』とのもうひとつの細部的な類似は、相手を正面から真っ直ぐに見据えることによる、相互把握と理解というモチーフだろう。 メディアを介さず、素の眼差しで互いを見詰め合うことで、差異を超えて互いの個を把握する異星人と主人公の少年。 その視覚的コミュニケーションの主題は、単なる映画史的ノスタルジー以上に、9.11報道を経て「異質な者」への偏見と連鎖的憎悪が煽られていく現代の課題として、共産圏への憎悪の時代を背景に発展的に変奏され、問いかけてくる。 映画の中で強く印象に残る場面は数多いが、 ナイトシーンの随所で不規則的に画面を輝かせるブルーの光の帯。タメの場面で静かにざわめく木々の不穏な音。駅でリハーサルを行うエル・ファニングの驚異的な変貌ぶりなどをとくに挙げておきたい。 [映画館(字幕)] 7点(2011-07-10 21:42:40)《改行有》

720.  モラン神父 モノローグのナレーションを活かし、男女の機微を静かに見つめる作風は、デビュー作『海の沈黙』の趣向と非常に似通う。 様々な対話の劇によって映画は進行するが、神父(ジャン=ポール・ベルモンド)とベルニー(エマニュエル・リヴァ)の対話においては、古典的な「心を通わす」切り返し編集は抑制され、距離を置いて二人をツーショットで捉える構図を中心に展開される。(告解室の二人の構図が特徴的だ。) 「切り返しの排除」あるいは不徹底と、そして特に神父側の心理を表象させない自制的な人物造形(表情と仕草とリアクション)によって、悲恋を予感させながら緊張感を呼び込んでいく。 そして、結部のシーンの静かな情感の高ぶりが素晴らしい。 階段上にある神父の部屋。風が窓を震わせ、戸を揺らしている。向かい合う二人の対話。アンリ・ドカエのカメラは二人をどのように捉え、どう切り返すのか。正面中央に大きく据えられる神父と、距離を置いて中心からずらされるベルニー。その非対称の視線劇がせつなく印象深い。 ※バルニーの娘役で、マリエルとパトリシアのゴッジ姉妹が共演。幼少期と少女期をそれぞれ愛らしく演じている。 [DVD(字幕)] 9点(2011-07-10 19:19:59)《改行有》

010.11%
150.53%
2202.14%
3384.06%
4717.59%
510311.00%
610811.54%
721522.97%
821823.29%
911412.18%
10434.59%

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS