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721.  透明人間(1992) 《ネタバレ》 透明人間には「見るだけの人間の孤独」って形而上学的なテーマもあるんだけど、そんなことにはこだわらない。本作は、透明人間というものをいかに具体的に想像できるかってのが本筋。食事をすると消化がすむまでは胃袋が見えてしまうとか、タバコを吸うと煙が肺に満ちるのが見えてしまう、なんてとこね(いささか尾籠な話で恐縮だが、子どものころ、透明人間の大便はどういう状況になったとこで可視になるのかってのに悩んだことがある。人間の内部と外部との境が曖昧だ、という事実にそこで突き当たった)。ガム噛んで膨らませるってのもあった。道を行くと人とぶつかりそうになる、なんて単純なとこにリアリティ感じた。引ったくりのバッグをサッと返すギャグなんか好きだな。一番好きだったのは酔っ払いをダミーにしてタクシーに乗るとこ。しゃべらせるのが傑作。じっと悪者の部屋の隅にうずくまってて伸びをしたときの足首のポキポキいう音で感づかれちゃうの。で悪者も誘うようにあくびをすると、つられちゃうとか。建物の部分が透明になってしまってるのも面白い。主人公の主観で見えるシーンと見えないシーンとがあるのも、映画として正しい。化粧するってアイデアもいいな。真っ白な歯。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-28 09:49:12)(良:1票)

722.  家族(1970) これはスタインベック/フォードの『怒りの葡萄』をはっきり意識した作品だと思う。とりわけ孫が上野で肉まんをもらったときのじいさんの反応のあたり。注目すべきは、あちらが最初から大不況下の物語だったのに対し、こちらは一応万博景気で沸いている日本を背景にしていること。その「好況下」と言われている真ん中で、しかも同時代に、このオデュッセイを描いた。けっきょく日本の戦後の好景気と言っても、その恩恵を受けたのは山陽線・東海道線沿いだけの話で、九州で失業した一家は、そこを跳び越えて北海道まで渡らなければならなかったわけだ。その北海道の酪農業の未来も、現在の私たちは知ってしまっている。車窓の風景が雄弁。東京までの工業活気と、東北本線になってからの農村風景。それは日本の美しい田園がかろうじて残っている風景でもあるわけだが、そういう「ディスカバリージャパン」的風景とは、つまり「取り残された」風景でもあったわけだ。西と東がくっきり分断されていることを車窓風景が語っていた。一家が到着したときのドアのとこでの虚脱した顔が重なる場が、本作で最も気合いが入っているカットだろう。ただその後がいけない。じいさんを死なせたことも含め、北海道の部分がせっかくドキュメンタリー的に積み上げてきたこれまでの成果を受け継いでくれてない。アタマだけで作られたような、薄ら声の労働讃歌に聞こえてしまう。こう描くのが実際の開拓労働者への礼儀だと思ってしまうところが、「東京のインテリ」の限界なのではないか、とつい意地悪く思ってしまう。[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-03-27 10:22:09)(良:1票)

723.  氷の微笑 自信ありげな女たちと振り回される男。上になり下になり、でも下になるのは怖い。本能が剥き出しになってる不気味さみたいの、シャロン・ストーンにありました。粘つく感情的なものが一切感じられないような。社会生活の下にあるもの、支えているのではなく、落とし穴として。車の追っかけが少しくどかった。観た日の日記には以下のようにも書かれているのだが、細かい記憶がないので、どの程度合っているのか検証できない。無責任にそのまま記すと「M・ダグラスがヒジテツを食らうとこからあとは、キャサリンを失ったニックの妄想と取ったらどうか。まだ出版されていない新作の中で主人公の同僚がエレベーターで殺されるのをベスは知るわけがなく、またそれをキャサリン自身が実行するはずもなく、たまたまそこを読んだニックの妄想と考えるしかない」のだそうだ。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-26 12:23:17)

724.  ウルガ 《ネタバレ》 この監督、草原趣味がある。草原を描くととてもいい。セルゲイ君登場のあたりの悠々とした演出。眠りと戦うために一生懸命はしゃいで運転しているトラック。何かを発見しあわてて戻り、間違って川に突っ込む。浅い水に浸かって呆然とする、ってのは『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』のラストをほうふつとさせる。で、心づくしの歓待になる。この心づくしの感じが丁寧に演出されていてよかった。気を許せることを強調しすぎず、ちょっとテレもあったりし、でも気を配りあってて、女の子のアコーディオンとか(思いのほか本格的で唖然とするセルゲイ君)、こういうところを自然に演出できるってのは、なかなかの力量だ。羊の解体のとき、切られた足先を子どもがバチに見立てて太鼓叩くみたいに遊んでいるスケッチ。宴も尽きて月のアップからゆっくりカメラが回っていくと川に突っ込んだままのトラック、なんてのも実にいい。翌朝、しぐれる中での夫婦の語らいも味わい。で町へ出るんですが、ここらへんからちょっとトーンが違ってきて、中国における少数民族とか、ロシア人のあり方とかいったお話を聞かせていただいてる、ってな感じになってしまう。ちょっと剥き出し。自分たちの基盤が不確かになっていく感覚が、チェーホフに通じるところもあるけど。前半の語り口が絶品だっただけに、若干残念。でもいい映画です。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-25 09:48:29)

725.  ハーヴェイ 《ネタバレ》 この手の話では最後に幻覚が消えていって、その別離の切なさ・健康な未来が開ける希望の輝き、ってなとこで締めるのが常道だったと思うんだけど、これの凄いのは、治らないの。せめて酒をやめるぐらいは示唆するかと思うと、それもない。それどころか幻覚が精神病院の院長に「感染」してしまうんだから凄い。日常に疲れきっていた院長に、大ウサギの幻覚が移っていく。徹底して「変わり者」の側から現実を眺める。ま、あくまでコメディで、けっして現実への批評として徹底させてるわけではないんだけど(酒場の裏手でハーヴェイとの出会いを語る場が一番現実批評になってたか。あそこいいシーン)、アメリカのホラ話の伝統と重ねて、実際に妖精かも知れないという含みを残している。ファンタジーに逃げてしまったな、という気もちょっとするが、ま、こういうのはアメリカにしか作れないコメディだ。病院内で本来噛み合わないはずの会話が噛み合ってしまうおかしさが絶妙。ハーヴェイを紹介しようとする主人公のセリフが、いちいちさえぎられてしまう。肖像画をアップで強調しないでじっくり笑わせる(実際どうやってあの絵を描かせられたのだろう。実は人に見えないことを承知しているダウド氏が構図を画家に説明したのか、それとも芸術家には妖精が見えるのか)。演出としては、病院内で座って医者と話すとき、ダウド氏の隣の我々には見えないハーヴェイの座っている椅子も、ちゃんとフレームに収めているのがいい。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-24 10:03:42)

726.  ミストレス 《ネタバレ》 トリュフォーの『アメリカの夜』に至るまでの物語、というか。一本の作品が生まれるまでに、幾多のドラマがあることか、いう話。自分の女を使わせようとする出資者たちのために、ストーリーがどんどん変わっていくおかしさ。妻とのやりとりのあたりは、しみじみしちゃったな。「もう夢を追うほど若くはないのよ」。現実と夢、そろそろ自分を社会と妥協させなくちゃならないころ。実力はあるらしい黒人女優も、自分を安く売りたくはないと思っている。「モンローも最初は端役だったのよ」と自分を納得させようとしているのもいる。散々な目にあった主人公が、それでも懲りずに次の電話に応えてしまうところが、微笑ましいしょうがなさ。ダニー・アイエロは、どってことない役だったけど、やっぱりいい人って感じが出ている。クリストファー・ウォーケンも、やっぱりいかにも自殺しそうな役。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-23 10:14:25)

727.  甘い生活 もしかすると有名な話なのかもしれないけど、中盤でマルチェロがうるさいと言ってラジオを止めさせた「天使のような少女」が聞いていた曲は、ラストのストリップの音楽と同じ“パトリシア”だったのね。その曲に導かれて怪魚の海岸に「天使のような少女」が戻ってきたとも取れるわけか。この二つのエピソードは対照されているよう。少女もやがて喧騒の中でタダレていくぞ、という幻滅の予感なのか、あの曲にいざなわれてもまだ少女はなんとか怪魚の腐臭からは隔たっているぞ、という確認なのか。観るごとに発見のある映画だ。それはともかく、本作は以後続くフェリーニ・ワールドとでも呼ぶしかない偉大な山脈への習作って気がする。前作『カビリアの夜』までで、物語を語っていく才能は十分に証明された。しかし監督はそれに飽き足らなかった。ここから物語を壊していく映画群・真にフェリーニの世界が始まる。冒頭、キリスト像を引っ提げたヘリコプターの影が路上を滑りビルの壁面を這い上がっていき、物語ではなく映像で何事かを見せていく姿勢をはっきり示している。以後も、物語を語るまいという意志と、まだそれに代わるものが整っていない困惑とが、渾沌としたまま展開されていく。だからちょっとおとなしい。古邸探検のエピソードなんか、以後のフェリーニだったら人々のメイクがどぎつくなっていただろう(カラーだったらもっと青く)。スターに群がるパパラッチや聖母を見たという混乱あたりに、かろうじてフェリーニ的祝祭感が味わえるが、ラストのドンチャン騒ぎなどあんまりドンチャンしていない。早朝の噴水にあったような喧騒の後の静けさが、すでに疲れとともに忍び寄ってるみたい。だいたい海が本物の海だ。フェリーニ・ワールドへ向かう化学変化が起こり始めた作品って感じで、奇っ怪に変貌するかも知れぬ気配をみなぎらせつつ、かろうじて「普通」にとどまっている緊張、それが本作独自の面白さなんだろう。現代の馬鹿騒ぎの背後から忍び寄る古代ローマの影の静けさ、ってのは彼の重要なモチーフであり、ロータの音楽も何か古代ローマをほうふつとさせた(レスピーギ『ローマの松』の“カタコンブ”に出てくる五拍子の弦楽器の刻みに似たモチーフが聞こえたり)。『フェリーニのローマ』は、歴史を越えたローマ巡りという同じテーマに、カラーで再挑戦したとも言えそうだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-22 09:39:37)

728.  ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間 意味ありげなものを重ねて重ねて、意味から遠いところへ行くのがこの人の世界。だから「解決編」と思ってはいけないんだろう。非難すること、されること、あるいは「糾弾」というきつい言葉を使ったほうがいいのか、それが繰り返される。手が汚れているとネチネチ言い出すあたり、車で見知らぬ男に急に糾弾されるシーンとか、自分の分からない理由で、あるいはぼんやりと「あれかな」という程度に思い当たる理由で、不意に糾弾されるんじゃないかという不安。この作品の手応えはそこらへんにありそう。へんにオカルトがかった部分はつまんない。それはそれで「糾弾」で、叫ぶけど、叫べば叫ぶほどウツロなの。ウツロで埋めるために叫んでいるような。この監督、力がこもるのはいかがわしい場所のシーン、音楽の力もあったけど、思春期の若者の目を通してみられるその雰囲気がなんか独特。外側にだけ世界が広がっていくんじゃなくて、内側にも広がっていく。覇気のない歌声に導かれて。赤と青。それと安っぽいセット趣味も独特。赤い部屋なんか。宙吊りにされる、ゆっくりとした前傾。なんなんだろう、こういう趣味。ブームになるような万人受けするもんじゃないと思うんだけど。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-21 10:01:05)

729.  失われた週末 《ネタバレ》 サスペンスには何も殺人が必要なのではなかった。人殺しなしでも作れるサスペンス映画の傑作。とりわけ前半は「アルコール依存症はいかにして酒を得ようとするか」というモチーフだけで、グイグイ見せていく。冒頭の窓辺に吊り下がった酒瓶だけでもう観客の心をつかむ。回想の中でのオペラシーンも傑作。ほかの観衆は「乾杯の歌」に聴き入っているのに、主人公だけはステージ上の乾杯の酒そのものに魅入られている。そしてステージ上のコーラスたちの揺れ動く姿が、外套の中に忍ばせていたラム酒を強く喚起していく幻想。セリフなしで彼の心中の動きが伝わってくる。ピークは酒場で隣席の客のバッグを盗むあたりから、タイプライターを質入れしようと街を彷徨するあたりまでのシークエンス。酒の代金を盗めてホッとしたあとトイレから室内に戻ってくるときのほかの客たちの視線で、ジワジワと発覚を知らせてくる緊張の高めかた、惨めさのどん底の室内でライトの上の酒瓶が神の顕現のように(あるいは悪魔の魔法のように)光っているとこ、シャンと立ち直ろうとする気持ちがどんどん崩れていく怖さが圧巻である。田代まさしもこんな心理的体験してたんだろうな、としみじみ思う。おそらく監督はサスペンス映画を作る楽しみで前半突っ走り、原作がどうなっているのかは知らないが、最後で映画の啓蒙性に考慮したような落着をとりあえず付け加えた。尻すぼみにはなってるが、映画にはそういう社会的使命も当時あったのだろう。看護士が依存症の幻覚について「ピンクの象は出ないが…」と言っていた。あちらでは過度に酔うとピンクの象が見えてくるという言い回しがあったんだな。ダンボが酔っ払ったときの幻想シーンがピンクの象から始まるのは、その通言に乗っかってたんだと、いまさら納得した。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-03-20 12:29:30)

730.  アンモナイトのささやきを聞いた イメージが広がらないの。わざと広げないその閉塞感が狙いなのかな。アンモナイト・螺旋・円運動といったものに、本当はもっと「機械」が拮抗する予定だったんじゃないか。観覧車・時計仕掛けのアンモナイト、あるいはプラネタリウム・幻灯機といった光源など。それらが絡み合って膨らんでくれて、初めて夢幻的な世界を構築していくんじゃないの。そういうふうに「展開」する映画じゃないみたい。だとすると70分は長すぎる。段落ごとにタイトルを入れておくかしてくれてればまだしも。ハッとするイメージをわざと入れない、そのまどろむ感覚を持続するのが狙いなのかな。海の上を逆に撫でていく風。妹的な話って本当は好きなはずなんだけど。[映画館(邦画)] 4点(2012-03-19 10:38:08)

731.  グランド・ホテル 頽廃の匂いと言うほどではないが、アメリカがヨーロッパ・とりわけドイツに抱いている世紀末的な雰囲気への憧れが感じられた。子どもが大人に抱くような視線。滅びや衰退ってものの厳粛さへの過剰な評価。死が近づく病人、人気下降気味のバレリーナ、崖っぷちの会社、それらがウィンナワルツをBGMに旋回していく。当然のように犯罪も入り込んでくる。歴史を重ねてきた都市だけが醸し出せる「大人」の雰囲気。アメリカ映画が持てなかったヨーロッパ的なものを、とりわけ大事そうに画面に塗りこんでいるところが、いじらしくも楽しかった(ドイツの小説をアメリカで戯曲にしたのの映画化と聞いている)。この様式が拡大されたのが、アルトマンってことか。『グランド・ホテル』にはアメリカのヨーロッパへのコンプレックスが感じられるが、アルトマンがそれをより発展させ、混在国家アメリカに文化にしてしまった。最後に「事件」を置いてキュッと全体を締める手法なんか、『ナッシュビル』でより大規模に再現してくれた。そのアルトマンの映画が、ヨーロッパでより高く評価されたってあたり、旧世界と新世界の相互の「憧れ合い」が微笑ましく見えてくる。この手のドラマでは、人々がそれぞれの人生を担って同時に生きていることを示すため、当然のように長回しの手法が生かされてくるんだ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-18 10:02:32)(良:1票)

732.  遥かなる大地へ 病んだアメリカになる前の爽快なアメリカ。上下二巻本の長編小説を読んでいるようなロマン。アイルランド時代のちょっとはぐらかし気味のユーモア感覚がよかった。ジョセフとシャノン二人にとって「フリーの国アメリカ」の意味が違うの。女にとっては因習のないモダンの国ということであり、男にとっては自分の土地がフリーで手に入る国ということ。渡ってから幻滅も快哉もあるけど、それぞれのフリーランドを手にしていく。西部劇への敬意も随所に感じられ、フォードの『三悪人』のランド・レースが、カラーのトーキーで再現される。モヤモヤ解消のために、ワーッと乗り込んでいって一発殴っちゃうあたりのリズム感が面白い。オクラホマの再会なんかかなり強引なんだけど、蹄鉄一個で納得させちゃう。シャノンのお母さんが洗濯してるのも正しい。指でつまんでグルグル回すやつ。どうしようもない暴れ馬に乗るのも正しい。喧嘩は嫌いだといって殴る(三度)のも正しい。一つ一つはどうってことないけど、丁寧な印象を与えている。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-17 10:14:03)

733.  ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録 創造するということ自体がホラーなんだ。関わる人間が作品に取り込まれていってしまう。未知の領域に入り、得体の知れないものが膨らんでくる。そして現実が映画の中に吸い取られていってしまう。コッポラはカーツに、マーチン・シーンはウィラードに、限りなく近づいていく。ドロドロになってるマーチンのシーンなぞ、映画の場面を越えてもろにベトナム戦争がダブってくる。本物の虎(一週間エサやってないんだ)をけしかけられたフレデリック・フォレスト。実際のゲリラ討滅に帰っていってしまうヘリコプター。デブデブになって撮影現場にやってくるマーロン・ブランド。収拾のつけようがなくなっていくエンディング。M・ブランドをデニス・ホッパーと対決させようか、いやいやそれこそどうしようもなくなってしまう、などと、何とか結論めいた方向を探るも、作品自体がそれを拒んでしまう(たぶん物語としてだけなら、ウィラードがカーツを殺して新しい王になる、ってのが一番納まりがいいように思うが、その納まりのよさを作品自体が承認してくれないんだ)。つまりこれは小説なら「未完」となって初めて落ち着く作品だったのだな。ときどき映画では、本来未完となるべき、とめどなく膨らんで収拾がつかなくなってしまう怪作が誕生し、ガンスの『ナポレオン』とかシュトロハイムの『愚なる妻』とか、不気味に映画史の中で輝いている。『地獄の黙示録』もそれに連なる赤色巨星となった一本なんだろう。没になったフランス植民地シーンに興味をそそられたが、それは後に完全版によって目にすることが出来た。コッポラが何度も何度も「俺の金で作ってる」って言うのは、あの国ではプロデューサーの力が強いんでしょうな。面白いのはこの『ハート・オブ・ダークネス』という映画、監督が妻を退屈させないぐらいのつもりで始めさせたのが、だんだんと夫の狂気を記録する姿勢に腰が入ってきてしまうところ。こっそり録音までして。まったくフィルムというやつは、関わる全員を狂わせていく。[映画館(字幕)] 7点(2012-03-16 10:13:55)

734.  遠き落日 《ネタバレ》 差別用語とされる「てんぼう」という言葉をちゃんと使ってたことは褒めましょう。文久三年(1863)に尾羽嬢だったシカが明治元年(1868)にはもう三田佳子になってるのには驚いた。中盤のちゃっかりと手術費用を捻出するとこ、餞別をもらい回るとこ、山本圭のとこに強引に乗り込むあたりなどに「人間野口」が感じられかけるとこは若干あるんだけど、やっぱり偉人伝ものの枠からは抜け出せなかった。母の手紙が映画のキモで、このころはまだ有名ではなかったのではないかな。東西南北を読み込む中国の文章の伝統が、こういう僻村にまで及んでいることに驚かされる。母との再会のとき、左手の手袋は脱いでるの。ついにオッカアに「こんな手にしたのはおめえじゃねえか」と言ってしまった後の愁嘆場はモロ「日本映画」でしたなあ。牧瀬里穂の無理なフケメイクがなくてホッとした。[映画館(邦画)] 5点(2012-03-15 12:31:04)

735.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 ひっくり返るシーンは、当時はとてもドキドキさせられた。「普段でないものを見せる」というエンタテイメント映画の基本を確認させてくれた。今見ても「天井」のテーブルにぶら下がる人たち、ってのはインパクトある。でも脱出行になると、あんまり「さかさま」が生きてこないんだ。いちおう非常灯が脱出行の床(つまりかつての天井)で照ってるんだけど、この時代のフィルムの感度ではその光だけをくっきりとは印象づけられなかったのか、あるいは当時の映画作法として画面を暗めにするのは客に対し礼儀に欠けるということだったのか、全体がぼんやりと明るくなってて、光源による「さかさま」感は出せていない。ま、そんなことはともかく、一番懐かしかったのは牧師の感じ悪さ。もしかするとこの映画を観たおかげで、私の「信念の人嫌い」が決定的になったのかも知れない。根拠のあまりはっきりしない自信満々で次々行動を決定していく。いや、一応言ってるんだ、「海水が流れ込んでくる」とか。でも「という考えもあるなあ」じゃなくて、確信になってる。ほとんど信念。ベトナム戦争で自信喪失してたアメリカにとって、こうパッパ決断していく強いリーダー願望みたいなものが、下地としてあったんでしょうな。アメリカ精神の基本を「感じ悪さ」とともに納得させられたという点で、私にとって名作でした。救助隊の人に「船首に逃げた人は助からなかった」ってまでわざわざ言わせて牧師の行動を補強するシナリオにしてんなら、ついでのもひとつ「皆さんがここまで来て船底をドンドン叩いてくれなかったら帰っちゃうとこでした」ぐらい言ってもらいたい。あそこまで行ったことに意義がなくちゃ、刑事の妻リンダのどたんばでの死があまりにも不憫じゃないか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-03-14 10:15:46)

736.  愛という名の疑惑 《ネタバレ》 偏執狂っていう存在のおかげで、スリラー映画はずいぶん面倒くさい計画を立てる犯人を創造することが出来るようになった。ありがたいことだ。こんな面倒なこと普通しないよ、と言われたら、そこが偏執狂なんです、と答えられる。ただ後味がちょっと悪い。男は恋する女に潜在的にそうとうな不安を持ってるんでしょうな。逆も言えるか。だからこの手の映画は何度でも作られる。映画としては、小僧が電話で連絡してるときに、後ろの倉庫の大型エレベーターが下りてくるあたり。灯台のらせん階段、女性の落下、ってことになると、映画史の導きによって舞台は当然サンフランシスコになるわな。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-13 10:13:11)

737.  限りなき前進 《ネタバレ》 たしかにこのフィルムの改変はひどいもので、肝心の狂っていくとこを切っちゃって、無理にハッピーエンドにし、単に上映時間を短くし回転率を上げようとしたのか、とにかく残念至極であります。おそらくあの夢の長さがバネになってるわけだから、ネッチリ狂っていったんだろう(欠落部分の字幕化を頑強に拒んでいた脚色の八木保太郎の死後、フィルムセンターでは字幕による経過の解説を加えた。恣意的な読み取りが入っては困るという脚色者の気持ちも分かるが、観客としてはやはりないよりは助かる。欄外の脚注と思えばいい)。前半の明朗スケッチは原案小津お得意のもので、これに陰りを加えるくらいなら自分で監督できただろうが、もの狂いにまで至るとなると松竹のニンではない、と日活に任せたのだろうか。子どもたちの会話、デパートの放送を使ったやり合いのギャグなど快調。でもそこに「金勘定」が忍んでくる。冒頭の轟夕起子の登場からして「日当95銭」なんだけど、明かりの下で、小杉勇が妻の滝花久子と数字をあげて余生の経済設計を立ててるあたりから、ジワジワとくるものがある。成瀬巳喜男も金勘定の好きな監督だったが、あっちは生活感を出す金勘定。こっちは勘定していくほど、実生活がもろく見えてくる金勘定。娘を嫁に出さねば…、息子へ約束したカメラ、家の費用の割り増し、などなど、これらすべて後の夢のシーンに取り込まれていく。ちょっと不気味なのは、帰ってきた娘に「雨が降ってきたのか」と聞くシーン。狂いの予兆なのか、娘がキラキラする服を着てたのか、そのあとで娘は弟に水鉄砲を浴びて(画面には出ないが)実際に服に水がつく設定になってる。まるで小杉が予見していたようで、そこらへんでも何か不気味なものがゆっくりこの家庭を覆ってきつつある雰囲気が出た。で、定年制の導入によるショック。辞令をもらった幻想。会社で重役の椅子に座るなどという欠落シーンは、きっと幻想シーンや出勤シーンなんかが生きてたんだろうなあ。几帳面に机の上を磨いてハンコを取り出すシーンがあったの。[映画館(邦画)] 7点(2012-03-12 09:54:41)

738.  ボンデージ ちょっと歳喰いかけている娼婦の身の上話映画。といっても『西鶴一代女』のようにおどろおどろしくも格調高くもない、しみじみよりも軽快なノリ。主人公がときおりカメラに語る映画ってのはけっこうあるけど、全篇ってのは珍しい。おそらく『ファンタジア』を観てるヒロインと、友人(黒人男)との愚痴と、車の中のヒモとの議論、のような形式になる。身の上話といっても湿っぽい愚痴だけではなく、ヘンタイの客の話とか、男社会への反発とか、社会はこういうふうに娼婦の目には見えているのか、という新鮮な視点が与えられている。とくべつ責任をとらずに人の話を聞く楽しみ、ってのが「身の上話」にはある。いくぶんかの好奇心も手伝って。画面はこの監督にしてはあまり作り過ぎない地味目。くるみ割り人形のバレーを観るシーンは、『ファンタジア』の伏線か。孤独に至る性ってのがあるんだな。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-11 09:30:25)

739.  わが青春に悔なし 本作が作られたのは、まだこれからの日本の進路が定かでないころで、世情もとりあえず共産党的な気分が沸騰していた(とりわけ東宝撮影所内は)。そういうシナリオをもらった監督は、こんな感じでいいのかなあと手探りで前半を作ったよう(藤田進の事務所の前、入るのをためらう原節子のカットの連続で季節のうつろいを表わすのは『姿三四郎』の復習だ)。後半の農村の場になって、好きだったソ連映画のタッチを大っぴらに練習することが出来た。ここに至って気合いが入ってきたのが分かる。原が昼間一人で田へ出て行くあたりの悲壮感、木々が嘲うところなどなど、もう完全に黒澤タッチ(『蜘蛛巣城』のバーナムの森)。原節子も全編を通し徹底してバタ臭く、しばしば泰西名画風のポーズを決めたり、ヨーロッパ・とりわけロシア的なものへの傾斜がうかがえる(彼女が弾いていたのはムソルグスキーの「展覧会の絵」だし、原が出たもう一本の黒澤映画はドストエフスキーの『白痴』だ)。監督はこのシナリオから左翼イデオロギーでなく、「平凡なものよりギラギラしたものへ志向する」ヒロイン像を中心に据えたのだ。[映画館(邦画)] 6点(2012-03-10 10:04:43)

740.  花嫁のパパ(1991) いちおう同時代の物語としてリメイクしてるんだろうが、自国がこうであった家庭を懐かしむ姿勢が切実に感じられ、現代から目をそらし、必死に過去へ過去へと向いている当時のアメリカの痛々しさを一番に感じた。ミキサーを贈られて専業主婦になるつもりはないわ、なんて設定もあるんだけど、取って付けたよう。娘が婚約したと言ったあと、少女時代の娘が同じセリフを繰り返すとこなんかはいい。しかしだんだんコメディとしての基盤が不確かになっていって、人情ものでいくのかと思っていると、プールにはまったり、牢屋に入れられたりドタバタめいて、ふらふらしてる。落ち着けない。マッケンジー君のダメぶりは、「テレビのお尋ね者コーナーで見たことがある」ってタイプじゃないんだけど。パッヘルベルのカノン流れる結婚式に、ちゃんと太ったデンマークの叔母さんが来てるのは正しい。弟もガールフレンドと踊り、世代の流れを見せておく。[映画館(字幕)] 6点(2012-03-09 10:03:52)

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