みんなのシネマレビュー |
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62. ドライブアウェイ・ドールズ コーエン兄弟でおなじみのイーサン・コーエン初の単独作品。 LGBTQへの理解がまだ発展途上中の1999年を舞台に、 レズビアンのカップルが車両配送で危険な物品の入った車を受け取ったことから始まる珍道中。 兄ジョエルが撮った重厚な『マクベス』とは対照的に、 超一流の監督と超一流の俳優で撮られた犯罪映画の中身がお下劣B級テイストという落差で、 物凄い無駄遣いしているというか、あれほどの実績を築いたからこそ肩の力を抜いた映画を作りたかったのかな? 徹底的に最後まで下らない内容でもコーエン兄弟らしい含蓄を挟み、 対照的なキャラクターである主演二人は魅力的で、ありきたりなストーリーを乗り切る。 また、一歩間違えば政治利用されやすい同性愛要素はギャグの応酬で深く考える暇すらなく、 85分でコンパクトにまとめたのは正解だった。 でも、自分には合いませんでした。 イーサンの力量なら下ネタ控えめでもう少しサスペンス寄りにできたはずで、ちょっと期待しすぎた。 次回作は兄弟合作に戻るのか、単独で続けていくのかそこが気になる。[インターネット(字幕)] 4点(2024-12-30 23:01:46)《改行有》 63. ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ 「良い映画を見たなあ」って素直に思える。 クリスマス映画の新たな古典誕生。 '70年代を意識したフィルムの質感と演出が、当時のベトナム戦争が影を落とす格差と差別を背景に、 傷と孤独を背負った者たちが如何に現実と向き合うかというテーマを普遍的なものにさせている。 三人が不本意ながら休暇を共に過ごしたことによって救われていく過程に、 たとえほろ苦い幕切れでも前向きに生きていく今後に思いをはせた。 大本命の『オッペンハイマー』がなかったら、アカデミー作品賞はこの作品だったかもしれない。[インターネット(字幕)] 8点(2024-12-27 23:13:26)《改行有》 64. キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン 《ネタバレ》 予想以上に淡々と描かれていく先住民オセージ族への静かな虐殺。 そこには西部劇における憧憬が完全に失われ、強欲と搾取がただの日常になった。 当初、ディカプリオが捜査官役だったそうだが、ヒーロー物語になることを恐れ、本人の希望で断ったという。 そのため、デ・ニーロ演じる有力者の叔父とオセージ族の妻との板挟みで苦悩する、 "平凡な男"という美味しい役どころではあるが、流されるがまま犯罪に加担してしまう時点で感情移入もない。 妻を愛しているのは事実だとしても、家族のために真っ向から抵抗しようとした時には既に手遅れで全てを失ってしまう、 そんな愚かな男の顛末を生々しく炙り出していた。 『羊たちの沈黙』でおなじみのFBIの原型はこうして生まれたのか。 エドガー・フーヴァーの名が台詞で登場したので、彼の伝記映画はいつか見てみたい。 前作の『アイリッシュマン』に並ぶ、3時間半に及ぶ大長編だが、スコセッシのテクノカルな演出と編集は冴えていて、 静かながら最後まで見届けるパワーは相変わらず。 トレンドの若者受け推しキャラアニメ映画、漫画実写化の対極に位置する"骨太な古典"が時代の流れと共に失われていく、 かつての黒歴史が風化されていく、その現実に対して必死に抵抗する巨匠の矜持が伝わってくる。[インターネット(字幕)] 7点(2024-12-21 12:51:09)《改行有》 65. AKIRA(1988) 15万枚のセル画に込められた、破壊、破壊、破壊、……そして誕生。 かつて遠い昔に見たまま、理解できないまま終わった物語に再び触れた途端、 新たな神話と繰り返されて来た歴史の環が浮上する。 モノであふれかえり、精神が荒廃し、閉塞感打破のために暴力に回帰していく。 "アキラ"という概念に振り回され、大義名分として暴走がインフレしていくカオス。 当時の時代が生み出したこの圧倒的エネルギーは現在では絶対に模倣できないだろう。 超能力のぶつかり合い、アメリカンな台詞の応酬、 緻密なディテールに裏打ちされたメカニックとサイバーパンクな世界観。 日本アニメの一つの到達点であり、先行きの見えない現代において破壊の先に何があるのか、 自分自身で答えを見つけるしかない。[インターネット(字幕)] 8点(2024-12-06 23:37:52)(良:1票) 《改行有》 66. ブリッツ ロンドン大空襲 《ネタバレ》 タイトルの"Blitz"はドイツ語で"電撃戦"のことを指す。 1940年秋のナチスドイツによるロンドン大空襲を背景に、 黒人の血を引く少年が疎開を拒み、白人の母親の元に帰ろうとするシンプルなストーリーだが、 「戦争はやめよう、人種差別はやめよう」というメッセージの先にあるものがまるでなく、 内容が水のように薄かった。 母役のシアーシャ・ローナンをはじめ、俳優初挑戦の祖父役のポール・ウェラーの好演は言うに及ばず、 潤沢な資金を使った空襲シーンのCGの本気度、格調高い美術セットといった技術面のクオリティは高い。 だからこそ惜しい映画なのだと。 幾度の空襲に耐え抜いたイギリス国民の神話に対して異論を述べたかったのは分かる。 透明人間に近いマイノリティに光を当てたことは、黒人監督であるマックイーン監督ならではだろう。 だが、イデオロギーが強すぎて、物語と登場人物が"多様性社会"と上手く溶け合っていない。 別に祖父を死なせる必要はなかったし、最後に母子が再会しても何の感慨もなく、ただ終わっただけである。 とは言え、ディケンズの児童文学を彷彿とさせる雰囲気があり、ハードな描写が少なめのため、 児童からお年寄りまで家族で一緒に見るには丁度良いかもしれない。[インターネット(字幕)] 5点(2024-12-01 21:18:57)《改行有》 67. 黒猫・白猫 《ネタバレ》 一度見たら忘れないアクの強いキャラクターに、逆立ちしても撮れない唯一無二のシーンの数々、 ブレーキの壊れたハイテンションで臭いも生活感もあふれるエネルギッシュな世界観。 クストリッツァならではの強烈なパワーが感じられるが、 前作の『アンダーグラウンド』から"悲苦"と"政治"を抜いたら物語の緩急がなくなって、 一本調子で終わってしまったのが本作。 列車から石油強奪をするわけでもなく、大物のワルを出し抜くコン・ムービー的な要素もないので盛り上がりに欠ける。 クライマックスの望まない結婚からの延々と続くどんちゃん騒ぎがあれど、必要以上に長くダレてしまう。 クセの強さがはっきり分かるものの、前作が奇跡的なバランスで成り立っていたからこそ、本作には乗れなかった。 タイトル通り、幸せも不幸も、吉も不吉も同一で、切っても切れない関係。 それをひっくるめて人生はなるようにしかならず、全身全霊で人生を楽しんでいくしかないじゃないか。 故国の苦難の歴史を味わってきたクストリッツァの人生観が垣間見えた。[インターネット(字幕)] 4点(2024-11-30 18:47:10)《改行有》 68. テトリス 《ネタバレ》 一度はプレイしている人は少なくないのではないかという『テトリス』。 シンプルながらゲームボーイでかなり熱中していた世代の一人だ。 それを如何に映画化するともなると、ゲーム単体にストーリーを付けるのではなく、 冷戦末期の旧ソ連で誕生したゲームのライセンス争奪戦というユニークな造り。 本作を見て思い出したのは、 『アルゴ』を彷彿とさせるポリティカル・サスペンスの側面と、 『AIR/エア』で描かれたビジネス映画としての側面だ。 (どちらもベン・アフレック監督作品で、前者で幾分影響を受けていたのではないか)。 実話と言っても、展開を盛り上げるためにかなり誇張している箇所があり、 主人公の家庭が崩壊直前までに追い詰められたり、開発者が起こしたボヤ騒ぎ、 終盤のカーチェイスからのソ連脱出劇はほぼ創作だろう。 最終的に大成功を収めるのは分かるのだが、 駆け引きに、裏切りに、友情に、期待に、失望に、信頼に、と上手く絡まり合い、 ある種のフィクションとして見るならラストまで目が離せなかった。 時折、挟み込まれるゲーム的演出が心憎く、任天堂が深く関わったこともあり、日本への目配せも忘れない。 監視と密告とハニートラップと賄賂が当たり前のソ連体制側においても、 国家の利益のために主人公に手を貸す誠実な者、国家すら信用せず私腹を肥やしたい腐敗した者、 それぞれの思惑があって、いつか国が崩壊するのも分かっている。 共産主義国の恐さと閉塞感がひしひし伝わるも、一つのゲームが歴史を変えた壮大な物語に仕上がっていた。[インターネット(字幕)] 7点(2024-11-18 22:17:34)《改行有》 69. マクベス(2021) 《ネタバレ》 幾度も巨匠たちによって映画化されてきたシェイクスピアの4大悲劇の一つ『マクベス』。 本作はコーエン兄弟でおなじみのジョエル・コーエン初の単独作品であり、 彼のシャープな映像センスが遺憾なく発揮されていた。 何と言っても色を削ぎ落したコントラストたっぷりのモノクロ映像にとことん無駄を省いたモダンなセット。 そしてデンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドを始めとする実力派の演技合戦が、 挑戦的な造りの映画の強度を支えている。 誠実な将軍が権力欲から唆されて主君殺し、やがて権力欲から安息も得られず、権力欲で破滅するまでの物語。 初心者にも非英語圏の人にも分かりやすいシンプルさは、前述のストイックな映像と連動している。 そこにシェイクスピアの台詞回しを理解し堪能できるなら、 仮想空間とも言えるような独創的な世界観と見事にマッチさせたジョエル・コーエンの力量に改めて唸らされる。 物語を復習した上でもう一度見てみたい。[インターネット(字幕)] 6点(2024-11-18 21:35:32)《改行有》 70. ぼく モグラ キツネ 馬 《ネタバレ》 わずか34分の短編なのに傑作長編映画を見たときのような濃度と満足感。 原作絵本のタッチをそのまま活かしたラフの線を残したアニメーションに、 家までの旅路を静かに優しい眼差しで見守っている。 だからこそ、時折挟み込まれる哲学的で、下手すればあざとさも感じてしまう台詞の数々が、 スッと心に入ってくる。 「弱さを見せることは強さだ」。 「今まで言った中でいちばん勇敢な言葉は何?」。 「助けて」。 「助けを求めることは諦めるのとはちがう。諦めないためにそうするんだ」。 彼らは出会うまでどこか孤独だった。 モグラが罠にかかったキツネを助けた勇気、肉食のキツネが彼らと一緒にいる勇気、 馬が自らの秘密を明かした勇気、それが大きな力となって目的地の少年の家に導かれていく。 ところが少年は我が家ではなくて、二匹一頭の元に帰ることを選んだ。 目頭が熱くなる。 なぜ少年は雪原に迷い込んだのか、そして目的地だった我が家が本当の居場所なのか分からない。 そこを踏まえると、様々な隠喩と想像を掻き立てられる。 愛にあふれ、優しくて、温かくて、美しい映画だった。[インターネット(字幕)] 9点(2024-11-18 21:13:58)《改行有》 71. パリ、テキサス 《ネタバレ》 愛が深いほどお互いのことが分かりすぎてしまい、傷つき、現実と折り合いを付けられなかった元夫婦のすれ違い。 全編英語、アメリカロケながら西ドイツ・フランス合作なあたり、ヴェンダースのアメリカへの憧れと郷愁があるだろうが、 その広大で空疎とも取れる風景が家族の歪さ・脆さを内省的に、より引き立てている。 ただ、共感できるかは別の話で身勝手な男女に振り回される息子と育ての親である弟夫婦が不憫すぎる。 ロードムービー要素はそこまでなく、中盤から最後まで出番なしの弟夫婦へのフォローがないまま、 息子を妻に押し付けて再び旅に出て終了。 ケジメを付けるためとは言え、これは無責任すぎるのでは? 結局、妻は息子を弟夫婦の元に返して、振り出しに戻りそうな気がする。 劇伴のギターも相成って'80年代のアメリカンな雰囲気に痺れるも、 冷静に見たら主人公が一方的に掻き回しただけの自己陶酔にしか見えない。[インターネット(字幕)] 4点(2024-11-09 14:12:15)(良:1票) 《改行有》 72. JUNK HEAD 《ネタバレ》 ギレルモ・デル・トロの世界観に近いものを感じる。 退廃的な廃墟の緻密なセットといい、グロテスクなクリーチャーの造形といい、 受け狙い一切なしのクリエーターが独学で本気でぶつけた情熱に、 ギレルモ本人の目に留まったのだから。 不気味で暗さを感じさせる内容ながら、 ユーモラスな登場人物にゆる~い会話の数々が上手くバランスを取っている。 生理的に拒絶しそうなのにどこか虜になりそう。 切り取られたクノコや三人組のペットの尻尾が生殖器に見えてしまい、 永遠の命と引き換えに失った生殖能力へのアンチテーゼにも見える。 生命の危機に直面したからこそ見えてくる、主人公の発する"生きている実感"があまりに皮肉だ。 3部作とのことで最終的な評価は完結編ができてから。 現段階で7点にしておきます。[インターネット(邦画)] 7点(2024-10-26 00:22:03)《改行有》 73. ベルリン・天使の詩 《ネタバレ》 子供は子供だった頃──。 ノートで書き出したシーンから始まる詩は、 確実に死を迎える人間になることを選んだ天使に開かれた世界そのものである。 美しいモノクロで紡がれた天使と人間のメルヘンチックなラブストーリーであるものの、 舞台がベルリンであることに大きな意味があるように思える。 かつて多くの子供たちも命を落とした第二次世界大戦の記憶が風化していき、 いつ戦火が上がるか分からない冷戦の象徴であるベルリンの壁が東西を分断している。 この舞台装置が本作を唯一無二の独特の雰囲気へのし上げている。 人々の悩みや想いを読み取れる、太古の時代より生きていた天使たち。 だが、彼らは人間に触れることもできず、ただ見守ることしかできない。 生きる喜びとは無縁の、無機質でモノクロな世界が眼前に広がっている。 やがてブランコ乗りの女性に恋をしたダミエルは、限りある命を持つ人間になることを選ぶ。 モノクロからカラーに移り変わり、存在の重さを知り、色を知り、コーヒーの温かさを知り、 好奇心というスポンジで新たな驚きを吸収していく。 それは詩で描かれていた子供たちの世界そのものだ。 先輩にあたる元天使が刑事コロンボでおなじみのピーター・フォーク本人役なのが良きアクセント。 この人が天使から俳優になった経緯を想像したくなる。 一度見ただけでは理解できたとは言えない。 眠気に襲われるときもあるだろう。 だが、寂しさによって自分自身を認識できたからこそ、誰かに心を開ける。 きっと楽しいことばかりではない、醜く汚い現実を知ることになっても、 前向きに歩いていくことのメッセージが感じられるヴェンダースの人生賛歌。 ふと思い出して見たくなる一本の一つに加わった。[インターネット(字幕)] 7点(2024-10-22 22:32:22)《改行有》 74. ポトフ 美食家と料理人 《ネタバレ》 小鳥のさえずり、葉が擦れる風の音、虫の鳴き声が外から聞こえ、 調理場には野菜が切られ、肉が焼かれ、鍋のスープが沸き立つ、自然と人工の音のアンサンブル。 全編にわたって長めのワンショットと少ない台詞によって調和が貫かれ、細やかな所作に適度な距離と緊張感が伝わる。 なぜ料理を作るのか?という問いかけ。 20年間、公私ともにパートナーだった美食家ドダンと女性料理人ウージェニー。 やがて結婚するも彼女が病で先立たれ、喪失感に打ちひしがれた彼が如何にして料理への情熱を取り戻していったか。 そこには哲学があり、愛情があり、物語がある。 調理場を滑らかに捉える、カメラの360度パンから回想シーンに移行していく。 ワンカットで時空を超越させるアンゲロプロスの演出を彷彿とさせる。 生前のウージェニーがドダンに問う。 「私はあなたの料理人? それとも妻?」 ドダンが導き出した答えは……もちろん分かっているだろう。 複雑なストーリーもない、意外な結末もない、伏線回収もない、さらには人物の背景や説明すらない。 まるで当たり前であるかのように、営みは誇張なしにただそこにあれば良い。 「映画にこれ以上の何がいるのか?」と本作は気付かせてくれる。 ただ無駄に豪華で贅沢な素材を使っただけの皇太子がもてなしたコースより、非常にシンプルなポトフにこそ真髄が宿る。[インターネット(字幕)] 8点(2024-10-05 23:48:22)《改行有》 75. シビル・ウォー アメリカ最後の日 《ネタバレ》 アメリカは世界一の経済大国であり、IT大国であり、エンタメ大国だ。 だが、新自由主義を推し進めたが故に格差が著しい大国でもあり、今なお残る人種差別に、 機会はあれど能力に恵まれなかった者にはひたすら容赦なく残酷だ。 それが圧倒的な凶悪犯罪率であり、大都市には麻薬に溺れた路上生活者で溢れ、絶望死した者も少なくない。 一方で成功した一部のマイノリティが己の価値観を強制するポリコレによって保守層の不満が募り、 上記の極端な事例によるトランプの台頭、やがて対立・分断し、長年の社会の歪みがツケになって顕著化した成れの果てが本作だ。 関わることを諦めた地方の無関心、そして「お前はどういうアメリカ人だ?」という問い。 そこには外部がズカズカ入り込めないアメリカの病みが詰まっている。 世界の警察やらグローバリズムやらを伝搬して、諸外国に首を突っ込んでいるクセにである。 そんな世界をジャーナリストは誰かを犠牲にすることでフレームに真実を収める。 初心な新人カメラマンが次第に冷徹な人間へと変わっていき、最後は主人公の犠牲をも手柄にしていくのは皮肉だ。 大統領の死体と兵士の笑顔が写る一枚に、アンミスマッチな曲が流れるエンドロールの居心地の悪さと来たら。 自分事にならない限り、自国の危機に誰も動かないだろう。 次期大統領がトランプになろうが、カマラになろうが、詰んでいるとしか言いようがないアメリカ。 外部から対岸の火事として見ている日本はどうだろうか? 大国にひたすら媚びへつらって搾取される側を選ぶのかね。[映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 23:59:48)《改行有》 76. カリスマ 《ネタバレ》 刑事ものの導入部分からホラー・ファンタジーを彷彿とさせる不条理劇への移行、 時折挟み込まれるシュール・コメディな演出の数々に、 ジャンルらしいジャンルが分からない唯一無二の雰囲気が醸し出されている。 カリスマという一本の木を巡り、その存在に振り回されていく人間模様。 どの勢力にも属さないアウトサイダーだった刑事がやがて狂気の中心になっていき、 「世界の法則を回復せよ」の問いに対する「ありのまま」の対応は下界にさらなる混沌を巻き起こす。 しかし、しがらみがある以上、誰もが「ありのまま」にはなれない。 それが今の現実で、狡猾な政治屋なり、口が巧い実業家なり、寂しさに付け込んでくる宗教家なり、 彼らに振り回されて疲弊してなんて滑稽なことか。 "カリスマ"とは土壌に張り巡らされた毒そのものだ。 『CURE キュア』をさらに難解にその一歩先を行く世界をラストで描いているわけだが、 "何か"に縋り付いて自由を失った普通の人と、執着を手放しありのままを受け入れた刑事、 どちらが正常でどちらが狂っているのだろうか? 一度破壊された世界に"カリスマ"が新たな秩序を形作っていく。[インターネット(邦画)] 5点(2024-10-03 22:56:47)《改行有》 77. Cloud クラウド 《ネタバレ》 黒沢清の映画は多作故に当たり外れが非常に大きい。 本作は明らかに後者。 タイトル通り、雲のようにあやふやで掴みどころがない。 それは主人公のはっきりしない対応であり、転売で当たるかどうか分からないギャンブル要素であり、 ネットで増幅する姿の見えない悪意である。 悪びれることなくどこか他人事で、常に棒読み台詞で人の形をした空虚みたいに。 射幸心。 一山当てたいがために中毒性のある一過性の幸福を手に入れ、ひたすら視野が狭くなっていく。 主人公の関心は如何に安く仕入れた大量の商品が高く売れるかで、 物欲大好きな恋人よりも、猟友会の男が死んでも、殺人による死の危機を脱しても、 売り物が無事であるか、そして売れるかどうかしか見ていない。 それはSNSの「いいね」にそのまま当てはまる。 不特定多数の何かに依存し、四六時中ウォッチして、「いいね」が少なければ人は病んでしまう。 黒沢清ならではのダークな画作りと演出に、おおっと思わせるシーンはあった。 ところが中盤以降の廃工場のガンアクションで映画が既視感だらけの薄っぺらになってしまった。 ほぼ『蛇の道』のクライマックスのまんま。 助手にパソコンを使われたり(パスワード掛けろよ…)、主人公が攫われて殺されるかもしれないのに忍び込む恋人、 なぜか主人公に執着する狙う側の元職場の経営者と守る側の助手(どこかボーイズラブらしさがある)、 それぞれの背景がはっきりしないまま終わってしまった。 100%描き切れば良いわけではないが、この曖昧さのバランスの悪さが足を引っ張っている。 素性がバレ、恋人に裏切られ、これから巨大な組織に取り込まれるだろう主人公には深い地獄の入り口が待ち受けている。 自業自得と言えばそれまでで転売ヤーに対する目が厳しくなっている以上、 彼らに一切関わらない、ネットに依存しすぎない、真面目に働こう、という教訓が得られるくらいか。[映画館(邦画)] 5点(2024-09-27 22:58:18)《改行有》 78. エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス ネットで検索すると時折、魑魅魍魎な映画が存在していることを知る。 噂には聞いていた特級呪物がアマプラをはじめサブスクで配信されているという狂気。 確かに軽い気持ちで、気の知れた家族や恋人や友人と見るものではない。 エロ・グロ・バイオレンス全開の傍ら、アバウトすぎる設定にナンセンスでコントのようなやり取りが同居し、 不愉快・不潔・不謹慎も合わさって闇鍋のようなカオスな様相が強烈なパワーとなって怒涛の如く押し寄せる。 全編シリアスなら見るに堪えない(これでも監督・主演コンビの『八仙飯店之人肉饅頭』よりはマシらしい)。 今の時代なら絶対に作れないし、案外しっかりとしたエンタメで最後まで目を離せなかった。 いろんな意味で記憶に残る映画で、鬼畜っぷりもここまで来ると清々しいレベル。 私はこの手の映画、一か月先はお腹いっぱいです。[インターネット(字幕)] 6点(2024-09-21 00:26:01)《改行有》 79. 風が吹くまま 《ネタバレ》 物語の行く末を左右する100歳越えの老婆は最後まで姿を見せることなく、 独自の風習が残る村の葬儀目当ての都会人であるテレビマンが振り回される。 携帯電話で会話するにも電波が届く、くねくね曲がる道の先の丘まで車で走らなければならず、 他方で村の人々はのんびりマイペースな分、滑稽に映る。 とは言え、一見美しい黄金の麦畑が広がる長閑な村でも、 家族への忠誠のため、面子のために辛い因習に従わざるを得ない現実がある。 死を待っていてもやって来ることなく、苛立ちを隠せないテレビマンが、 村人の生き埋め事故を切っ掛けに人命を救う側に回っていく。 このまま放っておけば珍しい葬儀を取材できるのにである。 撮影して放送して、ただエンタメとして消費されるだけ。 裏側を見ない我々は普段提供されているものに対して、それを期待しているのではないか? そこに人間の矛盾と不可思議さが感じられる。 キアロスタミの芳醇な会話劇は今作も健在で、医者の詩の引用にハッとさせられる。 「天国は美しい所だと人は言う、だが私にはブドウ酒の方が美しい」。 "風が吹くままに"生きられたらどれだけ素晴らしいのだろうか。 仕事に雁字搦めのテレビマンは執着を手放し、現実に折り合いをつけてこれからの人生を生きていく。[インターネット(字幕)] 6点(2024-09-20 23:59:02)《改行有》 80. わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ♡ゲームの世界で大冒険! 《ネタバレ》 ネタバレ踏む前に鑑賞したが、内容が内容だけにこの手の映画は敷居が高すぎる。 恒例のシリーズ作品の映画版ともなると追加戦士が登場するが(実は本作を含め2作しか見てない)、 ただの追加戦士ならともかく、「2年連続で男子プリキュアが登場するのか」という情報が錯綜し、 界隈では意見が分かれる事態になっているからだ。 当初は「女の子だって戦いたい」というコンセプトだったが20年も続く現在において、 メインターゲットの女児による売上が少子化で減少し、 次第にリアルタイムで当時のシリーズに触れ、成人になって出戻ってきた層にシフトしている。 それが後日談だったり、舞台版のぼくプリだったりするわけだ。 そう、新陳代謝を促すために、去年はレギュラー初の男子プリキュアであるキュアウイングを発表し、 個人は個人としてそれなりに受け入れられているものの、 これが恒例になっていくことでシリーズのアイデンティティーが逸脱していくのではないかという懸念がされていた。 それで結論を言えば……出る。 ペットと飼い主の関係性がテーマであるが故に、男子ペアが登場するのである。 71分の短い上映時間の中で、詰め込むだけ詰め込んだ"お祭り映画"として頭空っぽに楽しむ内容なので、 ストーリーの整合性とか映画の深い背景はなく、歴代シリーズのクロスオーバーにワクワクして、 とにかく暴力的なまでの映像の洪水がカオスの如く押し寄せて体感するしかない。 近年の邦画でよく見られる薄っぺらなメッセージや安い感動でゴリ押ししてくるより、 映画館に見に行く人たちを第一に楽しませる姿勢において誠実だろう。 アカデミーやカンヌで賞を取るような映画ではないし、数年経てばファン以外から本作の存在を忘れ去られるかもしれないが、 短い間だけでも非日常を楽しみたいという意味ではエンターテイメントとして健全な姿だと言える。 ただ、映画館での謎の一体感みたいな、そういう異様な空気は多分忘れないだろう。 今頃、お待たせしましたと言わんばかりに追加戦士のファンアートが捗っているはずだ。[映画館(邦画)] 6点(2024-09-14 00:26:34)《改行有》
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