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841.  メイズ・ランナー2 砂漠の迷宮 《ネタバレ》 砂漠の荒野を超えてその先に聳える山を目指す。という西部劇的で魅力ある設定だが、これがあまりにもあっさり踏破してしまうので拍子抜けする。 どうやら2~3日で難なく麓まで着いてしまう程度の距離だったらしい。 ご都合主義こそ映画とはいえ、このシリーズでは所謂デストピアとその世界観が売りなのだろうから、その中でどのように食料を調達し、 水をどのように確保するかくらいの設定はせめて描写の中で提示して欲しい。子供相手とはいえ、申し訳程度に水筒一本で誤魔化そうとは虫が良すぎる。 一方では『マッドマックス』最新作があれだけ水の扱いを重視しているのに。 この時点で、まともに付き合う気はなくなる。 とりあえず、目先の危機また危機という小状況を繋げていくことで刹那的なサスペンスを持続させていくのは前作同様、ある意味簡単である。 その前提の部分で、もっともらしい嘘をついて欲しい。 腹も減らない、喉も乾かない、何百キロ歩いても疲れ知らずの若者達がどれだけの危機に陥ってもハラハラなどしようがない。 最近こればっかりといった感じの廃都市のCGスペクタクルを楽しむのみ。[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-10-30 23:09:03)《改行有》

842.  アンフェア the end 《ネタバレ》 ノワール的ムードの冒頭シャワーシーンや、篠原涼子と佐藤浩市が静かな炎に照らされる夜の隠れ家のシーンがいい。 黒ずくめ篠原涼子の黒髪がアクションごとにスローで官能的になびくのもいい。 敵か、味方か。信用ならない人間関係がサスペンスを孕むが、 中盤の拉致、脅迫、逃走という危機脱出の一つの山場にはもっと知略が欲しい。 これでは敵側の詰めが甘すぎて間抜けに見えるばかりだ。 今どきの映画なら、逃走劇の中でもっと市中の監視カメラも強調されるべきだろう。 クライマックスの舞台をビル高層階に設定し、階段やエレベーターでの追いつ追われつのアクションにしたのは面白い。[映画館(邦画)] 4点(2015-09-20 05:09:27)《改行有》

843.  筑波海軍航空隊 《ネタバレ》 特攻に出撃しながらたまたま敵が不在であった事で生還できた柳井和臣さんをはじめ、元特攻隊員4名の方々が語る証言は それぞれ90代でありながら佇まいも語りも明晰で、やはりエリートだと思わせる。 大戦で戦死した日本軍兵士の大半が餓死・病死であったことを踏まえれば、出撃直前まで食事には困らなかったというごく少数の海軍飛行予備学生の方々は 特殊な部類ではあるに違いない。貴重な証言であることは勿論だが。 作品として凡庸なのは、その貴重な証言に対して聴き手のレベルが低いからである。 記念館関係者らしき人物の、戦争は良くない的な半知性的コメントなど、作品の質を下げるだけだろうに。 2015年のこの次節に、あくまで「責任」から眼をそらす。テレビ的で八方美人の無難なインタビュー集に堕している。 作品中盤で、戦死された吉田信さんの日記が紹介される。これが活字のキャプションをナレーションと共に流すという代物なのだ。 恐らくは、旧仮名遣いで書かれた原本では観客には解りづらいだろうとの配慮なのだろう。 全くの余計なお世話だ。それでは、単に文の意味だけを差し出したにすぎないではないか。 肉筆の字面・筆跡に込められた感情を画面に提示させてこそ映画ではないのか。 柳井さんが披露してくれた、遺書替わりのアルバム。その感動的な紙面が一方にはあるのに。[映画館(邦画)] 4点(2015-09-19 15:57:30)《改行有》

844.  進撃の巨人 ATTACK ON TITAN 《ネタバレ》 一般常識的にやってはいけないこと、するべきではないこと。 それは映画内でこそどんどんやればいい。現実の場ではないのだから。 軍律的におかしな行動だろうが何だろうが、それが出来るのが映画の特権だ。 そもそもこれは荒唐無稽な『怪獣映画』の一種ではないか。 騒いで、性交して、規律違反して、トラブルを積極的に呼び込み、周囲をそれに 巻き込んでこそ戦争アクション映画のキャラクターの王道だ。 話題の前田某らは数々の戦争映画主人公のアナーキーな迷惑キャラぶりも知らぬのかと。 最前線での性愛シーンなどだって、普通にいくらでもあるだろう。 『英霊』、『内地』などの単語に大して意味は持たせていないようが、 そもそもこの未熟な軍隊の有様は図らずも現在日本の世代批評と見れなくもない。 ここで三浦春馬がみせる直情径行、情緒不安定、喧嘩早さなど映画史の中では実に可愛いものだが、 そのような性向の描写と彼に降りかかる理不尽とがあって、 クライマックスの呪詛と化身が一応はカタルシスとなるわけである。 と、誰でも批判出来る評判の悪い脚本をとりあえず擁護はしてみるが、 世評のよろしい空中飛行のショットはまるで不出来である。 夜明け前の設定によって照明は薄暗く、重量と飛翔の感覚も活きていない。 人間と巨人の、見上げる-見下ろすの視線処理も不全である分、恐怖感を削ぐ。[映画館(邦画)] 4点(2015-08-22 01:26:50)《改行有》

845.  日本のいちばん長い日(2015) 《ネタバレ》 『投入せよ!「あさま山荘」事件』なり、『金融腐蝕列島』なりで 監督の立ち位置は明白だし、何よりもこの製作委員会でのシネコン仕様なのだから その批評精神の生ぬるさは推して知るべしである。 原田眞人は「彼らを狂気の存在にしたくなかった。」という。(映画パンフレット) その為に、原作や岡本版にはある首相私邸放火の顛末などは都合よく省略した ということか。ならばフェアではない。 あるいは松竹路線に倣った訳でもなかろうが、「家族のドラマ」を描きたかった、ともいう。 公人の、良き家庭人である一面を弁明的に盛り込めばそれは印象操作も簡単だろう。 彼らもプライベートでは実にイイ人でした。 『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)などと同じ、常套的な方式である。 そんな姑息なやり口で公人の戦争責任を免罪でもしようとする気かと。 後半ではドラマの流れすら阻害しているだろう。 だから上野昂志氏にも某旬報で書かれてしまうのである。「戦後七十年にして、これかよ!」と。 英語題が示すように、長く表象タブーであった昭和天皇を中心に『日本のいちばん長い日』を映画化する。 これも今回の主眼なのだろうが、 その一方で岡本版でもよく指摘された(が、実際は決してそうではない)「民衆不在」はさらに徹底している。 広島の原爆はキノコ雲のあからさまなCG画面のみ。長崎の原爆は単に台詞のみだ。 ナレーションとはいえ、お仕着せ大作のしがらみの中で学徒兵や民間人犠牲者の姿をしっかり映し出し、 大戦の犠牲者数をラストで大書して「殺される側」のこだわりを示した岡本版の目線との何という相違か。 監督がどこを向いて仕事をしているか、よくわかる。[映画館(邦画)] 4点(2015-08-16 21:45:37)《改行有》

846.  リアル鬼ごっこ(2015) 《ネタバレ》 折角の85分という魅力的な上映時間を長く感じさせてしまうのはNGだろう。 オープニングの空撮には『シャイニング』、羽毛のモティーフは『新学期 操行ゼロ』を連想させ、 ヒロインは『幻の湖』のように疾走しまくるが、後半は文字通り失速してしまう。 羽毛が宙に舞い、枯葉が巻き上がる前半は健闘するが、それも後半には露骨にメタファーと化し、 風は吹き止み、説明へと至る。 ヒロインの運動神経の鈍さは見るからに歴然だが、鈍いなりにもう少し見れる走りをして欲しい。 懸命に走っているつもりなのはわかるが、それでも生温い。 そうでなければ、後半の叫びも運命を変える決意も響いてこない。[映画館(邦画)] 4点(2015-07-20 14:01:50)《改行有》

847.  ターミネーター:新起動/ジェニシス 《ネタバレ》 追う、追われるという第一作のシンプルなシチュエーションが恋しくなる。 下手に状況を複雑化させることで、小賢しい理屈付けで戯れる羽目になって ますます映画から遠のいている。 ここでは逃走のサスペンスよりも、真贋不明のサスペンスが主となるのだが、 小状況が一旦終了するとひとまず収監のパターンで切迫感が途切れ、 作品を貫くべき大きなサスペンスが持続しない。 そしてジェイ・コートニーはクライマックスにおいても全くの奮闘不足であり、 それが為にエミリア・クラークとのラブストーリーも淡白すぎて中途半端だ。 彼らのエモーションを核としてこそヒューマンドラマが成立すると思うが、 擬似父娘のドラマの比重を高くせざるを得ないのは スター俳優を偏重するシステムの弊害か。 ともあれ、『マッドマックス』最新作にしても本作にしても、 女性の強さがよりアピールされている ところが時代性とマーケティングの反映ともいえそうだが。 それから、殺人マシン同士が激突する金属音の良さは特筆したい。[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-07-10 23:56:54)《改行有》

848.  アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 《ネタバレ》 例えとしては、さる方の表現を借りるなら 「スペシューム光線を打ちっぱなしのウルトラマン」みたい。 手始めに各人のアクションを順々に見せていく1ショットなど 児童向けの日本製特撮ヒーローものそのままだ。 神経症的に画面を動きと物量で埋め尽くし、視覚効果で押しまくって全編クライマックス化を図る。 あの大人数の見せ場をバランスよく配置して各キャラクターを立てねばならないのだから作り手も大変だろう。 いろいろと苦心しているのは良くわかるが 案の定、各キャラクターが入れ替わり立ち代りの飽和状態でシーンも裁断され、感情も持続しない。 緩急はつけたつもりでも、メリハリがある訳ではない。 クライマックスも『1000年女王』の関東平野レベルでは逆に 小ぢんまり感のほうが強くなってしまっていないか。 その戦闘の中、暗い屋内でのジェレミー・レナーがエリザベス・オルセンを励ますシーンが光る。 弾着跡の穴からの一条の光はジェレミー・レナーにだけ当てられていて、 エリザベス・オルセンの方はまだ暗がりの中にいる。 こういうちょっとした演出がその後の扉を開ける彼女のアクションを引き立てるのだが、 それも結局は単発的になってしまうのが惜しい。[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-07-05 14:21:55)《改行有》

849.  ストレイヤーズ・クロニクル 《ネタバレ》 序盤のアクションがとりあえず面白く、どう転がるか解らぬ ストーリーで何とかもたせる感じだが、 述懐シーン、気絶シーンの度に流れが淀む。 ほぼ全編が愁嘆場の釣瓶打ちみたいなもので、 特に後半は次々とこときれる登場人物達の遺言ショーの趣で、辛気臭い。 主人公の反逆も、まず台詞ではなく行動から入って欲しい。 折角の廃墟のロケーションならもっとその空間や構造を巧く使って欲しいし、 折角の(押井守風)夜の水路も不発だ。 意味不明の挿入歌もただ煩い。[映画館(邦画)] 4点(2015-06-28 16:00:54)《改行有》

850.  ビッグ・アイズ 《ネタバレ》 ゴースト・ペインターが晴れて陽の目を見るという物語ならば、 もう少し画面の明暗、あるいは光と影を以て語って欲しいところである。 法廷内の入射光、判決後の正面玄関シーンなどは特にそうだ。 逃亡先のハワイの明るさなどにしても、雑多なエピソードにしても 実話をなぞることに拘りすぎている感がある。 絵画の映画は、出来るだけ静止した完成品ではなく 画家が絵筆を動かす様や、変化していく筆跡でもって 見せて欲しいところでもある。[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-04-17 23:56:39)《改行有》

851.  味園ユニバース 《ネタバレ》 主演俳優の歌唱力を誇示する三か所が、どうも歌の力に依存しすぎの感がある。 映画ではなく。 よってその一つ、クライマックスのパフォーマンスも感興が湧かない。 縁側に座っての西瓜の種飛ばしも、既視感が邪魔して乗れない。 [映画館(邦画)] 4点(2015-03-25 14:12:00)《改行有》

852.  ソロモンの偽証 前篇・事件 タイトルと同時に大きく表記される原作者名が、 まるで「映画」より「原作」こそ至上ですとでも言いたげで不安になる。 前後編と分けたことで、却って語りが冗長になってはいないか。 前篇だけを見る限り、まず(勿体ぶった)現代パートを配置しての 回想形式であることで既に水増し感が強い。 くどいシーンも数知れず。 「口先だけの偽善者」という台詞のフラッシュバックはご丁寧にも 三度も繰り返される。 次のショットでまた出るな、と予想していると案の定なので脱力するしかない。 車に跳ね飛ばされる少女、電車に轢かれるヒロインでインパクトを 狙ったであろうショット。これも読める。いまや定番だから。 やるな、と思っていると案の定やらかす。つまり、古臭い。 リポーター、教師らの戯画化された誇張芝居にも疲れる。[映画館(邦画)] 4点(2015-03-12 11:54:21)《改行有》

853.  百瀬、こっちを向いて。 向井理と中村優子が喫茶店で向かい合いつつ過去に遡るわけだが、 そこで語られるエピソードの大半は向井だけが知るものだ。 接点の少ないこの二人の回想物語という形式が、まずチグハグである。 おまけに、現在と過去を幾度も無意味に往還させる、回想の回想まで採り入れる、と ドラマの停滞感が半端ではない。 自転車もキャッチボールも、なかなか映画として機能しない。 ようやく後半、夜明け前の土手のロケーションが現れて、映画の体裁となる。 風に草が靡く中、ショートヘアの早見あかりの後ろ姿が強く印象付けられる。 [映画館(邦画)] 4点(2014-05-25 21:36:35)《改行有》

854.  白ゆき姫殺人事件 画面が物語の単なる絵解きなら、そこに溢れるTwitterのキャプションも単なる文字説明。しかもご丁寧なことに音読つきだ。 肉声の伴わない無機質な活字の匿名性と威力にこそ、ネットの恐ろしさがあるのでは ないのか。 文字情報を羅列し、それをそのまま「読み聞かせ」て良しとする。 それを延々と繰り返すのだから芸がない。観客は赤ん坊か。 そして安直な絵解き画面はラストで極まる。 画面左手に向かって灯をかざす貫地谷しほりのショットに続くのは 同じく画面左手に向かって視線を送る井上真央。 灯を交わし合う彼女らの切り返しはイマジナリーラインすら無視され、 その位置関係を意味上は把握出来ても、 二人は映画感覚としてまるで繋がり合っていない。 折角、言葉によらない交流のシーンを段取りながら、 最も肝心なところでこの繋ぎはないだろう。 [映画館(邦画)] 4点(2014-05-01 23:59:46)《改行有》

855.  探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点 《ネタバレ》 サービスのつもりで盛り込んだであろう乱闘やらベッドシーンやらが、 単に騒がしく乱雑なだけの乱闘であり、無意味なベッドシーンでしかない。 市電のアクションや、中山峠のカーアクションがそれなりに見れるのは 風物やロケーションの魅力に負っている。 バーで自責の涙を流す尾野真千子。「自惚れるな。」と返す大泉洋。 二人の芝居が醸す清らかな情感はなかなか良い。 続く尾野の演奏シーンでは、フラッシュバックと共に『砂の器』でもやらかすのかと 冷や冷やしたが、そうはならずに一安心。 かわりに、スポットライトを受ける彼女の凛とした表情と潤った瞳に 映画が引き締まった。 [映画館(邦画)] 4点(2013-05-22 23:14:00)《改行有》

856.  スノーホワイト(2012) すのー口づけの奇跡の根拠として観客を納得させるショット、 つまりクリス・ヘムズワースのクリステン・スチュワートに対する想い・ あるいは二人の関係性の変化を決定的に示す描写がないというのは如何なものか。 会釈する大鹿に向き合う彼女を見つめる視線がそれだとしても、あまりに弱い。 そのために、彼女が目覚める感動や驚きが観る側に届いてこない。 焼き討ちに遭う村の火を見て、クリス・ヘムズワースが翻意するシーン。 サム・クラフリンとの再会シーン。クライマックスの城門突破シーン。 基本的に盛り上がってしかるべき場面のエモーションがことごとく欠落しており、 淡白すぎて拍子抜けしてしまう。 スカートの丈をつめたり白装束や甲冑を纏ったりといったせっかくの衣装替えの趣向も、 コスチュームをドラマ的に活かす工夫が欠落していてさしたる面白みもなければ華もない。 よって甲冑を着けたヒロインのアクション自体も 『アリス・イン・ワンダーランド』のミア・ワシコウスカと代わり映えせず、 活劇的にも物足りない。 [映画館(字幕)] 4点(2012-07-04 23:59:08)《改行有》

857.  タイタンの逆襲(2012) 《ネタバレ》 白熱する槍の衝撃などは、ハリーハウゼンのダイナメーションならばそれを持つ人間のリアクションをフルショットで撮って絶妙に表現したことだろう。 単に透過光処理に頼るだけの超常パワー表現にはまるで魅力がない。 『南の島に雪が降る』のニューギニア戦線の兵士たちが、紙製の偽物の雪に感動したのはそれが本物そっくりであったからではなく、あくまで理想イメージとしての雪とダブらせ、尚且つ人間が心を込めて手作りした触覚的な感覚を受け取ったからこそだろう。 前作および本作のCGIクリ―チャ―がいかにリアリスティックでも、1981年版『タイタンの戦い』のダイナメーションのもつ文化的感動に及ばないのも恐らくそれに近い。 キメラやミノタウロスの目まぐるしく「本当らしい」動きと慌ただしいカメラワークは結局のところ魅力的なキャラクターとして、あるいは印象的なショットとしては残ることはない。 アレスとペルセウス一騎討ちの単調な肉弾戦も同様だ。 3Dも含めたテクノロジーの飛躍は刺激と錯覚にのみ向かっている。 CGIが精巧かつ迫真であるほどに当然ながら失われてしまう人工的輝き。 そうしたパラドックスがここにも見られる。 [映画館(字幕)] 4点(2012-05-11 01:37:33)《改行有》

858.  ももへの手紙 《ネタバレ》 『となりのトトロ』が感動的なのは、気丈な姉サツキが泣く姿を妹メイが影から「黙って」「見つめる」からであり、迷子になった妹を探しまわる姉の懸命な走り(アクション)とひたむきな表情が露呈しているからである。 この映画はそこをどう処理するか。アルバムに落ちる涙の滴は、娘ももに見つめられることはなく、娘は母がアルバムを見て泣いていたことを、後姿の回想から「憶測し」我々観客に「お母さんは泣いていたんだ。」と言葉によって二重説明してしまう。 この一点からして演出の凡庸ぶりを物語っている。心ある演出家ならアルバムに落下する涙の滴は、間違いなく娘の「見た目のショット」となるよう、処理を工夫するだろう。成瀬巳喜男のように。 見られることそのものこそ映画の要である上、「落下」と「滴」はこの作品の重要な主題なのだから。具体的な涙を介して見る/見られることで二人の絆は回復されるべきだ。説明台詞などもっての他だろう。 母親の影の苦労・心労が具体的アクションで提示されることが一切ないのは勿論、不安に駆られながら娘を心配して探しまわるアクションが説明的ショットの連続に終始し、描写になっていない。 前半で「息絶え絶え」の娘の走りを丹念に見せるなら、後半に母のそれを照応させるのは基本だろう。 それが半端な為に映画はクライマックスにおいても母娘間のエモーションが高まらない。 なまじプロットを類似させているからこそ、映画的資質の差が如実に現れてしまう。 ご当地描写は模写の域を出ることはなく、異化効果がまるでない。アニメーションである意味はどこにあるのか。 巻頭巻末を繋ぐ水滴の落下と、少女の飛び込み。その下降のモチーフも中盤にみかん畑の傾斜を配置しておきながら、弱い。 単にロリコン趣味だけが浮き上がっている。 [映画館(邦画)] 4点(2012-04-23 23:32:23)《改行有》

859.  カルテット! 《ネタバレ》 同日に催されることとなる、将来を賭けたデビューコンサートと家族のコンサートとの挟間で引き裂かれる青年のドラマとなれば、古典『ジャズ・シンガー』(1927)まで遡る音楽ものの定番的なプロットである。 その『ジャズ・シンガー』の潔いラストと比べて、演奏シーンにフラッシュバックを俗に絡め、舞台上の家族の笑顔と観客席の拍手であまりにも型通りに締めて良しとする安易で、くどく、大甘で、観客に媚びたラストは、『スイングガールズ』や『フラガール』以降の退行的慣例とも云えよう。 浦安市のドラマでもあるこの映画、ロケーションの選び方も、エキストラの用い方もどこか画一的・排他的で街の印象が非常に薄い。震災直後のクランクインでありながら、被災の光景を復興と再生のドラマにリンクさせないのも官僚的で勿体無い。 良かったのは、コンサート会場にやってきた高杉真宙のかじかんだ手を鶴田真由と剛力彩芽が両側からさすって温めてあげるショット。そしてその間、細川茂樹が間をもたすために壇上で語る昔話のシーンで、湖を飛び立つ白鳥を捉えるショットの美しさだ。 [映画館(邦画)] 4点(2012-01-27 17:08:13)《改行有》

860.  聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実― 硬直した静の画面が多くならざるを得ない題材に対し、作り手は食事のアクションを以って画面に動感を呼び込もうとする。 鰯、西瓜、汁粉、水饅頭、カレイの煮つけ、干柿、干芋、茶漬け、ウイスキー。 それらを美味そうに食べる役所広司の表情が一種の人柄描写としても機能している。 あるいは、艦橋や作戦室との対比として演出されただろう新聞社のセットの活気と雑然感もいい。 短期間での度重なる首相交代、大本営発表に迎合するマスメディア、景気浮揚の為なら必要悪も歓迎する庶民、ラストの瓦礫の街のイメージなどは2011年の現代時評となっている。 しかしドラマは概して役者の表情演技に偏重しすぎであり、特に香川照之のエキセントリックな芝居などは噴飯ものだ。これにOKを出す監督とは何なのか。 そして山本=悲運の平和主義者的スタンスも、私人としての「人間性」に重点を置くスタイルも、過去の映画・ドラマで既出であり「70年目の真実」と呼ぶべき新鮮味は何も無い。 ヒトラーの著書を引き合いに、「大元をたどれ」という割には日中戦争無視も相変わらずであり、昭和戦争史としても山本の人物史としても肝心部分が不備だ。 新たな視点というなら、せめて海軍航空隊による上海その他への無差別爆撃くらいは言及したらどうなのか。 「(勝てない対米)開戦に反対」し、(勝てると誤算した)対中国戦争には積極的に加担する。 その両面を描かなければ山本の「合理的思考」なるものや人間性は正確には伝わらない。 山本=反戦・平和主義といった誤解を相も変わらず助長させていくこととなる。 清濁・正邪・賢愚を出来る限り多面的に取捨していかななければ、「人間描写」とはいえまい。愛人関係まで描いたテレビドラマ版よりも劣るとは、それでも映画か。 真珠湾の宣戦布告・ミッドウェイの換装問題に対する弁明的脚本も実にせこく嫌らしい。 [映画館(邦画)] 4点(2011-12-25 19:07:21)《改行有》

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