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プロフィール |
コメント数 |
1244 |
性別 |
男性 |
自己紹介 |
【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。 【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。 【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。 5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。 また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。 |
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1241. 第五福竜丸
《ネタバレ》 何年か前、暇をみて夢の島にある第五福竜丸展示館に行って来たのを思い出した。
映画はドキュメンタリー調ということのようだが、特に前半は歌声あり恋あり適度な下品さありの労働賛歌といった印象で、事件後も深刻にはなり切らず、笑いの場面を入れてあるのがかえってリアルに思えた。亡くなった無線長も、最後まで快活さを忘れないようふるまっていたのは人格者らしい。
ところで、後半は無線長とその家族に焦点が当たっていたが、病状が悪化するにつれ、その存在が社会性を帯びてきていたようだ。家族にマスコミが集団でつきまとうのは苛立たしいが、これはまあそういうものかも知れない。また汽車の中で遺族が見せ物のようになっていたが、これも別に悪気はなく、そもそも遺骨と遺影を持ったまま乗車していれば当然そうなるかも知れない。しかし、変に盛大な告別式に「国務大臣」(?)とかアメリカ人が来て弔辞を許される一方、外ではなぜか大勢で鳩を飛ばす行事などもやっていたのは、様々な人々がそれぞれの思惑で一個人の死に関与しようとしているように見えたというのが正直な印象である。
なお、この時代から60年近く経った現在も、世界は核廃絶からほど遠い状態である。経費節減のための核兵器削減こそ行われているが、公認の核保有国は核兵器を手放す気など全くなく、一方で核拡散は着々と進んでいる。映画の当時であれば、人々が声をあげることで世界を変えていく希望があったかも知れないが、現代においてこの映画の持つべき意義が何かということは、また改めて考える必要があるように思う(前の方の皆さんがいろいろ書かれているので、その通りかも知れない)。[DVD(邦画)] 5点(2012-03-03 17:21:51)《改行有》
1242. 涼宮ハルヒの消失
《ネタバレ》 文庫で出ている限りの原作は全て読んでいる。TVアニメも一応全部見た。
原作はわりと淡々とした印象の小説だが、映画化に当たってはストーリー上のポイントになる台詞が特に強調されていたり、また原作ではモノローグのようだった箇所に独自の映像が充てられているなど明らかに効用を増しており、かつ原作のストーリーの根幹も完全に保たれている。原作をいわば純粋な形で映像化したもので、そこまで含めてファンの期待通りである。
また、いわゆる“消失長門”に関してもファンが見たい映像の宝庫だろうと思う。個人的には別に消失長門フリークでもないのだが、それでも見ていて破顔というかニヤニヤしてしまうような場面が多かった。映画では、このキャラクターを象徴するアイテムとして、眼鏡のほかに膝かけが加えられていたのも要注意かも知れない。
ただし、この映画を一般の人が見てどう感じるのかはわからない。長編一冊分をまるごと映画化しているので一応のまとまりはあるわけだが、シリーズ開始以来の登場人物の微妙な変化が前提となって今回のストーリーがあることや、このエピソード自体がシリーズの一つの転機になっているといった背景事情がどの程度伝わるのかと思うと、一本の映画としては疑問があるのも確かである。
しかしそれでも、結局は見た本人がどう思うかが基本だろうから、一応のファンとしては、やはり見てよかったと開き直るしかない。
なお余談として、この映画ではTV第1期のオープニングテーマが復活していて嬉しいのだが、その直前に県立北高校の空撮映像があり、劇中の部室が校舎のどの位置に設定されているのかわかったので、Google Earthで目印をつけておいた。どうでもいいことだが。[DVD(邦画)] 7点(2012-02-26 17:47:05)《改行有》
1243. 時をかける少女(2010)
《ネタバレ》 とにかくヒロインの芳山あかりが陽性で表情豊かで楽しい。タイトルを生かすため冒頭で無意味に元気よく走ってみたり、タイムリープの場面でも走りまくっていたのはご愛嬌。深町の本名を聞いた時の微妙なリアクションは可笑しかった。他の登場人物もみな魅力的だったが、変にナイスガイになった深町が、冷徹なようでいても情に負けて目こぼししてしまうのは少し見直した。彼も心に痛みを感じていたのかも知れない。
今回のヒロインが行くのは1974年で、その年代自体には特に必然性が感じられないが、劇中に出ていたような“窮鳥懐に入らば”的な律儀さが生きていた時代とすればわかるような気もする。現代人が体験する70年代の青春というのも、時間モノとしては面白い趣向かも知れない。また、この時代から見た21世紀のイメージは劇中に出たとおりの未来都市が典型だったのだが(ちょっと古臭いか)、その後実際に起きたのは、あかりが誇らしげに示した携帯電話に象徴される情報通信ネットワークの急速な発達だったわけで、この辺の現実認識は適切だと思う。
ところで劇中では、中学生の和子が「記憶は消えても…心で憶えてる」と言っていたが、それよりも現実に誰にでも起こりうるのは、劇中の涼太が危惧したように“記憶はあるが思いは失われる”ことだろう。そこで涼太が、いわばタイムカプセルに封入するような形で思いを残そうとしたのは自然なことであり、あかりの側でも記憶がないことで、かえってその思いだけを前向きに受け取れたようだった。また和子も実際には記憶を取り戻して、双方が相手をちゃんと認識した上で再会を果たしており、1983年版のシビアな印象がかなり緩和されていた。これは映画全体の雰囲気からすれば妥当と思える。
ただ、ストーリー作りのために死人が出たことだけは理不尽だ。能代の母はこの先どうすればいいのか。
なお余談だが、完全版DVDの特典ディスクには劇中映画の完成版が入っており、何となくその後の新たな展開を予想させる内容になっているが、これは完璧なハッピーエンドを期待する特別なファンの思いに応えようとするものかも知れない。[DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 22:49:09)(良:1票) 《改行有》
1244. 時をかける少女(1983)
《ネタバレ》 冒頭の場面で原作のオチを軽く蹴飛ばしてしまい、この映画は違うんだと宣言しているかのようだ。違っている点は、原作の登場人物が中学生のため思春期の一時的な心の揺れで済ませられるのに対し、この映画では年齢が高校生まで上がっているので、劇中の出来事がその後の人生を直接左右する恐れがあるということである。果たしてこの映画ではヒロインと、その幼馴染みがとばっちりで人生を狂わされてしまった。こんな理不尽な映画に誰がした、と怒りを覚える。どこが理想の愛だ。だいたい深町が憎たらしい。
しかし、本編終了後のプロモーション映像のような場面になると一転、ヒロインがにこにこしてとにかく可愛いので、見ている方も顔が緩み、テーマ曲に合わせて身体を左右に揺らしてしまう。周囲の登場人物もヒロインを盛り立てようとしているのが嬉しい。この幸福感で本編のいろんなことは全部許してしまい、あーよかったという気分になって映画の評価が確定。終わりよければ全てよしという結末。
ところで、舞台の街が超レトロであり、また一部の特殊効果が超安手なのは、映画自体が古いせいだと思う人がもしかするといるかも知れないが、これはリアルタイムで見てもそのように感じられたと証言しておく。[DVD(邦画)] 7点(2011-12-31 23:49:07)(良:3票) 《改行有》
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