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121.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 どの自分がどの夢を見ているのか怪しくなっていく、って話だが、似た設定の『トータル・リコール』が後半面倒になったのか活劇に逃げたのに対し、こちらはじっくりその怪しさを楽しんだ。まずベトナムで始まり、それが地下鉄での目覚めになり、通り過ぎていく列車の窓に見えるあやかしの人々…って順にたどっても大変なので、一番不気味な振動する顔のイメージに行きましょう。気色悪いですな。ベーコンの絵のイメージだそうで(『ラストタンゴ・イン・パリ』のタイトルで覚えた画家)、表情がうかがえない・何かにとりつかれて振動させられてるって感じがある。映画はだんだん死体のイメージが漂い出してくる。頭に腫れ物のある病院の受付。病院の廊下は次第に廃墟になっていく。天使に導かれてヤコブの階段を上っていくんだな。さあ往生しなさい、って。うらみつらみなしで従容と上っていくところに傷ましさが湧き上がる。本人があまり無念と思ってないところ。このころアメリカ映画は死への興味・死後への興味が盛んだったんだ。[映画館(字幕)] 8点(2013-08-14 10:01:43)

122.  咬みつきたい このころ緒形拳は出すぎだったんだけど、こういう軽めのもけっこう選んでたな(『グッバイ・ママ』に続いて)。途方に暮れる役どころ。決断を回避して、当惑して、真正面の遠くを見ているような。自分の居場所を失った仕事人間という設定なの。その困惑ぶりが、やっぱりうまい。吸血鬼なのよ。ファザコンの安田成美とのコンビで、当然のように娘と父の関係も重なる。焼き場で喪服の女が謎めいた接近をしてくる、っていいんだよな。人の生き血を飲むなんてそんな非人道的な、と言ってたのが、ちょっと酸っぱい、とか飲み比べをするようになる。こういうホラーコメディを夏に企画していた時期もあったんだっけ、東宝。というか金子監督は日本では貴重なライトコメディの線を歩んでいた。こういう路線が大きな流れになってたら、邦画界ももっとバラエティ豊かになったのに。[映画館(邦画)] 8点(2013-07-25 09:13:49)

123.  達磨はなぜ東へ行ったのか 渋い題材を、渋い顔した人たちで、渋く描いている。深く深く沈んでいこうという意志。タルコフスキー的なものを予想してたんだけど、違った。タルコはかなり自分の世界を作っていく方なのに対して、こちらは自然をそのまま切り取ることことをルールとしてるみたい。タルコだと、水の中に壊れた自転車を置いといたりするけど、この人はしない。老師の灰を撒く水面は、枯葉が彩りを添えるだけ。自然物だけの、手を加えない美しさ。与えられただけの美しさ。西洋と東洋の感性の違いでしょうか。鳥は「畏れ」、牛は「平穏」の象徴か、なんて考えちゃうのも西洋的かなあ。老師を荼毘に付すときの鳥の鳴き声の効果が素晴らしい。そして牛に引かれてもとの寺に戻っていく。別に「禅とは何ぞや」という映画ではなく、「禅のある風景」と思えばいいんでしょ。夏から冬への森のたたずまい。夏の夜の虫の声、秋の枯れ枝のシルエット、といった味わい。少年が漂いだす瞬間は息を呑みます。無責任な西洋観光客の気分で、「う~んZENだ」などと禅を齧った気分になるのが一番いい鑑賞法かも。[映画館(字幕)] 8点(2013-07-24 09:54:11)

124.  ホット・スポット 《ネタバレ》 暑いスモールタウンにブラッとやってきたワルの男が、悪女と運命的に出会ってしまう。清らかな娘に惹かれてマットウに生きかけるが、やはりワルはワル同士の腐れ縁。ついに男をキャッチした女が一瞬見せる切実な表情、堕ちるとこまで堕ちてやろうじゃないかと開き直った男の表情、そこらへんに酔いました。「上辺は酷薄だけども…」「一皮剥けばもっと酷薄さ」。盲目の黒人やゆすり男が不意に立ってるとこ。J・コネリーの靴を見て、すべてを悟る瞬間。悪の魅力が透明感・清潔感にまで高まった純度を持ったフィルム・ノワールの醍醐味。[映画館(字幕)] 8点(2013-07-21 09:25:02)

125.  哀しみのトリスターナ 鐘の鳴り響くなか、おしの少年たちのサッカー(脚の競技)と、普通なような異常なようなブニュエルの世界に入っていく。フェルナンド・レイが、特別卑しい人間なのではないが(世間では立派な人間で通ってる)、内側を知る人間(たとえば姉)にはだめなわけ。かすり傷で勝負がつく決闘には激怒し、少年のコソドロをわざと逃がしてやったり、「偽善者」という分かりやすい分類では捉え切れない男。「茶番よりは悲劇がいい」と言ってて「悲劇的な茶番」になってしまう最期。ヒロインは自分で決めた散歩道に入ったとき、実質的に脚を奪われていく道にも入っていったってことなんでしょうな。廊下で繰り返し松葉杖を響かせる「散歩」に凝縮していく。そしてラスト、突然時間の流れが一方向から解放されたように、ファーストシーンへ向けて逆流が起こる。最初はヒロインが回想してるフラッシュバックかと、ブニュエルらしからぬことやってるな、と思ってると、それが止まらず、なんだなんだ、と思ってるとFINに行き着く。これ一回きりしか使えないアイデアでしょうが、単なる趣向じゃありません。あのときああしてれば(あのとき殺してれば)という後悔がヒロインの胸に押し寄せてきたところと見たが、どうだろう。それぞれの瞬間に、もう一方の道を閉ざしてきたわけで、しかし彼女は「自ら選ぶ誇り」も自覚してきた女であって、そういったもろもろ「これでいいのよ」という気持ちも感じられ感動です。私はこのように生きてきたという確認。[映画館(字幕)] 8点(2013-07-16 10:02:41)

126.  監督失格 主要記録媒体がフィルムからビデオに移ったことで、事件や事故が記録されやすくなったことに加え、プライベートな場が公に開かれ出した。フィルムも最初は金持ちのプライベートな場に入っていったが、手軽さがぜんぜん違う。本作はフィルムの作家では作られなかった。由美香さんの死の通報を受けてやってきた警察はビデオが回っていたことで疑ったが、それはそうだろう。前半の平野勝之監督の手法・というかいつもカメラを回している姿勢を知らなかったら、おかしいと思う。それが自然になるほど、ビデオカメラが日常的になりつつあったから、この記録は採れたのだ。かつて羽仁進は教室の自然な記録を採るために、子どもたちがカメラの存在に慣れるまで空回ししていた。いまビデオカメラがその状態になりつつある。個人的な場にカメラがあっても構えなくなった(平野さん太ったんじゃないですか、とエレベーターの中で挨拶するママ)。そしてプライベートな部屋に入っていく。恐ろしいほどの臨場感。腐臭が立ち込め、飢えたペット犬がはしゃぐ廊下、その奥の部屋の暗がり、かつてフィルムが秘境を収めたように、ビデオも現代の秘境を覗きかけるのだ。北海道への旅で、彼女が映した夕焼けと月の広々とした映像の対極のような、狭い暗がり。あの旅はあくまで平野の旅であって彼女はテントの中でも化粧をやめなかった。男女が相手に合わせようとすること、それでも合わないこと、それを無理に合わせようとすること。映像には現われなかったが、タケウマで日本一周をやっている人の危なっかしい歩みが想像の中に浮かんでくる。まったく人生とは、タケウマで日本を一周するようなものだ。彼女は人生の広さの中で脚をもつれさせ、数年後、狭い部屋に倒れ込んだのではないのか。[DVD(邦画)] 8点(2013-07-14 09:31:59)

127.  自由はパラダイス 繰り返し繰り返し脱走する少年、それも何と言うか「魂がみなぎってるような顔」でないのがいい。斜視で、ただ見てるぶんには、ちょっとひねくれたところのあるおとなしい少年。これが抵抗者の表情なんだろう。施設でうまくやってたほうが楽なのに、でも出てしまう。いちおうストーリーとしては父に会うために、いう設定があるが、それを越えて人が自由を必要とする根源的な衝動みたいなものまで感じさせてくれる。最初は蝿がカメラに止まるような南の町、ここから北へ。ただの少年が次第に不敵に見えてくる凄味が作品の芯で、それがラストでワッと少年として泣き崩れる(彼が感情を見せる瞬間)。自由とは、こういう寒々とした風景の中を繰り返し逃げ続けることなんだ。途中で出会う駅員、金持ちの少女、下船を手伝ってくれる農婦たちとの接触も味わい。[映画館(字幕)] 8点(2013-07-10 09:06:12)

128.  Wの悲劇 このころ映画評の重点が映像表現のほうに移ったので、鬱屈していたシナリオ作家が「どうだ」と凄んでみせたような作品。現実と劇とがこすれ合うシーンなんか、脚本書いててワクワクしたんじゃないか。ほかにも細かいとこはいっぱいあったけど、変に覚えてるのは、世良君と三田村君でちょいと揉め事があって次に稽古があって、三田村君が間を取ったのに薬師丸嬢がプロンプ入れてなじられる、なんてのがあった。こういうことあるんだろうな、とリアリティ感じました。役者ではやはり三田佳子。配役発表のときの「ハァ~イ」って感じから良かった。そして薬師丸嬢を部屋(死体で登場の仲谷昇)に呼び入れての長い独白が貫禄。非常識だと思いつつ言いくるめられていく感じは、長回しだから効く。主役おろしのいびりも怖い。蜷川さんまでオタオタする。薬師丸嬢に『イヴの総て』は似合わないと思ってたら、大女優に使われてしまう卵の話で、こういう設定ならアリだろう。石神井公園で将棋をさしていた世良君が歩み寄ると武蔵関公園になった、帝国劇場の中に入ると練馬文化センターになった、と至ってローカルな発見が当時の私のメモにある。 /1913/10・31追加 石神井公園・武蔵関公園の記憶は間違いないと思うが、練馬文化センターうんぬんの記述は30年ぶりに見てその根拠が思い出せず、怪しい[映画館(邦画)] 8点(2013-07-06 09:51:53)(良:1票)

129.  宮本武蔵 一乗寺の決斗 どこかに仕えている侍の物語では忠義がテーマになるが、武蔵にはそれがない。それなら爽やかさを生みそうなものなのに、彼は忠の代わりに「剣の道」という精神主義に目覚めてしまい、人間としてはさらに始末が悪い。精神主義の剣豪の反対側には、家を背負う吉岡一門があり、本作のドラマ性は、その対比から生まれている。今までは対戦相手との了解済みの果し合いだったが(たとえば宝蔵院の阿巌を倒しても寺は恨まなかった)、家を背負った者はその家の安泰を願いだす。家の存続のためなら、あらゆる手段を可能とする。そういう方向へ歪んだ剣術の名門家と、精神主義で研がれすぎた剣の道と、二つの噛み合わない思想が一乗寺下がり松で激突し、少年を含む多くの命が失われていく。ただ立ち回りとして迫力があるのではなく、狂気の氾濫が凄まじいのだ。「寄るな!寄るな!」と叫びながら泥田の中を逃げ回る武蔵は、常に自分を批判的に見ていた唯一の正気保持者河原崎長一郎の目を斬る。主人公が勝つ活劇映画の頂点で、主人公がこんなにも追い詰められて描かれた作品があっただろうか。[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-06-29 09:28:27)

130.  雪之丞変化(1935) 東海林太郎の「むらさき小唄」が流れて始まるが(トーキーになり映画主題歌でレコード業界とつながった最初のころだろう)、私が見たのは総集篇で、ハラハラの設定までナレーションで準備してしまうのは参った。でも舞台がらみのシーンはなかなか見せます。悪女伏見直江に閉じ込められたはずの雪之丞が、ちゃんと町娘姿で舞台に立つとこ。もちろん映画の観客は闇太郎に助けられたことを知ってるし、間にあうだろうかどうだろうか、なんて心配してないが、嬉しいね。毒婦の鼻をあかしてやって痛快、っていうのとも違う。女形というものの非現実性から来る不思議を目の当たりにした、という感じだろうか。あるいはやはり舞台シーン、雪之丞を狙う男二人、毒婦の差し金で野次ろうと待ち構えているゴロツキども、御簾の中で目を配る伏見のカットなど、純粋な悪意が描かれるあたり。どうして映画のなかの劇場ってのは、こうドキドキさせるんだろう。とりわけ歌舞伎という芝居は客席に花道を一本通しただけで、小屋全体が舞台になってしまった演劇であり、小宇宙になっている。奈落では仇の二人が取っ組み合って地獄を現出しているし、外の廊下では男が殺されているし、もう小屋全体がドラマの興奮に詰まって、それでいて客席以外は不気味に静まっている。何か良くないことが起こらずにはいられない、と納得させられてしまう。白い雪之丞と黒い闇太郎を同一人が演じる、ってのも大事なんだろう。悪役が『七人の侍』の村の長老、高堂国典だった。[映画館(邦画)] 8点(2013-06-22 09:57:52)

131.  男はつらいよ 寅次郎忘れな草 このシリーズでは旅先の風景シーンがいつも素晴らしく、本作も北海道の広さなど見事なものの、今回心に残るのは、東京のリリーがらみの二つの情景だ。母との場、それとリリーが立ち去った部屋のうつろさ、まるで北海道の広さの対照物のような狭さ・暗さがザックリ心に染み入り、こういうシーンがあるせいで、作品はぐんと深まる。「俺たちアブクみたいなもんだ」とかっこよく詠嘆しながらも、寅には北海道まで迎えに来てくれる身内がいた。身内がいるっていいものだ、と思わせておいて、後段になって、リリーの身内=母が登場し、金をねだる。リリーが悪態をつき、言い返すか何かしてくれればまだいいのに、ここで母に泣かれる。このベトベトした「身内」というもののやりきれなさが、五反田(?)の高架下や濁った川が画面を埋める狭苦しさと重なる。明るいとらやの人たち全員に拮抗する暗さをこの母(利根はる恵)は一人で持ち、ワンシーンだけなのにこれまでの母娘の軋轢の長い歴史をしっかりと示した。あと寅がリリーの去った部屋を訪れるシーンもいい。彼女の内面を語ってくるすさんだ室内。別の部屋の住人がこわごわ応対する。かたぎの住人にとっては、女に逃げられたやくざのヒモにしか見えない寅なのだ。アブクみたいなリリーと寅、「とらや=身内」という背景を除いてしまうと、寅もこの荒廃した情景にふさわしいという現実を一瞬のうちに見せたシーンだった。ヒロシが憧れる「広いところを旅する気ままな暮らし」の後ろには、こんな部屋が隠れている。[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-06-14 09:58:33)(良:1票)

132.  獅子座 獅子座の運勢は30代はぶらぶらしてて40代になると幸運か不幸かハッキリするんだって。幸福になるってんじゃなく、いいか悪いかハッキリするってところがミソ。曲がりなりにも社会人だった主人公がルンペンになっていくのを、関数のグラフを眺めるように描いていく。このテンポの堂々としたとこ(人が不潔になっていく関数でもある)。金銭が正確に表示される。友人に渡さなかった6フランで9フランのパンを買ったり、推理小説の古本10冊で400フランとか、彼の金銭出納簿がキチンと観客の頭に書き込まれていく。とりあえず目的ありげな通行人になって社会人を装うんですな。鞄はまだ持っている。でも衣服の汚れなどで、だんだん街中で浮いていってしまう。それを糊塗しようとするんだが、それも面倒くさくなって、服のしみを取るより、そのしみの側に転がり込んでしまう。恵んでもらう経験が、社会人としての誇りを放棄した瞬間か。ここらへん実に実感迫ります。セーヌの遊覧船から落ちた菓子袋を石を投げてこっちに寄せようとしたり。イタリア映画だったら重いネオリアリズモの題材が、フランスはエスプリの笑いに仕上げている。苦笑いだけど。ゴダールがベートーベンの弦楽四重奏曲15番の第2楽章中間部を繰り返し聴く場があり、のちの『カルメンという名の女』(全編にベートーベンの弦楽四重奏が流れた)を思い合わせると、これはゴダール本人の好みのスケッチなんだろう。[映画館(字幕)] 8点(2013-06-10 09:38:59)

133.  オスカー(1991) スタローンのコメディ、って線で宣伝してた記憶があるけど、古風なカッチリした喜劇としてよく出来ていた。ある日の朝から昼まで、ひとつの屋敷に限定し、人の取り違えや鞄の入れ替えなんかで見せてくれる。冒頭人形の歌うフィガロで作品の質を保証してくれる。スタローンはシュワルツェネッガーほど器用でなく、慣れない世界で固くなっているのがかえって「いい奴」って感じがありました。またちょっと周囲にナメられてるようなところもあって、ギャングよりカタギののほうが向いてるんじゃないか、いう感じも合ってました。どういう順で作られたのか知らないが、まずスタローンのコメディという注文があってから出来た映画なら、成功だったと思うけどなあ。昔のコメディをなかなか超えられないと思っているのなら、ときどきこうやってキチンと復習することも大事だろう。[映画館(字幕)] 8点(2013-06-06 09:16:23)

134.  歌っているのはだれ? 《ネタバレ》 いろいろな人が乗り合わせてバスは行く、いうよくある設定だけど、よくある映画にはなってない。非凡。このバス、親父が絶対権力者として君臨し(他の乗客は諦めている)、軍隊やらテロリストやらが絡んできたり、ジプシーや喀血男が心理的に排斥されていったり、政治風刺的にも見えるが(1941年セルビアからベオグラードにバスは向かっている、ってのはドイツ侵攻とかち合うとピンと来るらしいんだけど)、そう見ちゃうよりブニュエル的コメディと思いたい。回り道をすると、なぜか道を耕している、とか、紳士が落下して泳いで帰ってくる、とか自由奔放(追放された猟男も再登場するんだったっけ? 常に乗客を回収するバスだ)。こういう自由さがドイツの侵攻という歴史と吊り合っていたのかもしれん。川辺での宴はラストを知ってから思い返すと哀切。運転手青年の笑顔が忘れられませんなあ。[映画館(字幕)] 8点(2013-05-27 09:56:54)

135.  道成寺(1976) これより前に『鬼』という作品があり、こちらの習作の感じ。繁みの中を歩いていくとき、太棹三味線に合わせたり、人形浄瑠璃のノリ。画面の手前に金粉散らしたりしてるのはガラス越しに撮ってるのか。同じように物狂いに至る女の話だが、まだ「日本的な美」に寄りかかったものを感じた。しかしこちら『道成寺』はそういう日本的なものを使いながらも、それを越えられたという気がする。たしかに絵巻物風の構図はあるが、清姫が日高川に飛び込んで波に炎がチラつき出すあたりのリズムは人形浄瑠璃ではなく「映画」だ。ベッタリとした平面で蛇が鐘へ向かう図も面白い。情熱を抑えに抑えている気配が生きてくる。おそらく監督ピークの作品。[映画館(邦画)] 8点(2013-05-17 09:42:42)

136.  ロビン・フッド(1991・ケビン・レイノルズ監督作品) 車も銃も出ない活劇の基本を楽しんだ。人物造形がちゃんとしてることね。複雑な内面の個性は持たせないが、特色は持たせる。悪役(『ダイハード』のA・リックマン)をちょいと三枚目にしたのもいい。ナイフをカカカカってやるところなんか。混乱の中でまず結婚式を挙げようとする律儀さとか。C・スレイターの翳りもポイント。これが実は…ってあたりも嬉しい。まとまって吊るされてた人々を台を倒して助けちゃう、とか。活劇にいちいち工夫があって、ただ火薬を多くすればいい、ではないの。盗賊の息子が、父と命の恩人との戦いを楽しげに眺めてるような気のいい連中、ってのも大事だね。リチャード王の特別出演S・コネリーは、昔ロビンをやったことがあるってだけじゃなく、K・コスナー(『アンタッチャブル』)、C・スレイター(『薔薇の名前』)二人の師をやったことがある、ってのも響いていそうだ。[映画館(字幕)] 8点(2013-05-16 09:54:19)

137.   三重の苛烈さがある。風土が苛烈。体制が苛烈。そして血族の掟が苛烈。この血族の掟は風土の苛烈さから来ているんで、よそ者が簡単に「封建的だ」と非難することは出来なく、それだけに内部の人間が告発する声は、いっそう真実が籠もる。映画の焦点もこの掟の苛烈さにあったと思われ、それを乗り越えようという意思がもう祈りになっていて、この息苦しさのなかに清澄さも感じた。義兄を見殺しにした男のエピソード、列車のシーンが素晴らしい。血族の掟の一方に夫婦のやむにやまれぬ愛があり、掟渦巻く世界で小さな個室のみが自由になる。単刀直入にほとんど無機的に訪れる決着、それがかえって夫婦の愛を昇華していた。ゲリラの死体検分のときほんとに蝿がたかってたのは、なんか臭うものを使ったのか。あと焼けた針金での虫歯の治療も、これまた苛烈。[映画館(字幕)] 8点(2013-05-14 09:49:51)

138.  詩人の生涯 人形ではなく切り絵アニメ。沈んだタッチが美しい。その分ラストの赤いジャケツが鮮やかになる。母の血の色。唐突に巻き込まれていく母。脇で疲れ果てて眠っている若者。「その糸は持っていかれては困るような気がするんだけどな」。そして凍りついていく描写の数々が素晴らしい。赤いジャケツが若者の背に負ぶさっていくところ。老婆や糸買いの女の顔がいい。何度もチェコのアニメに賛辞を寄せるなどアニメーション好きだった安部公房は、自作の映画化のなかでも本作を気に入っていたらしい(やがて川本がチェコでアニメを撮ることになるのだが)。労働者が液体人間になっていく「洪水」などと同じく、プロレタリアSFとでも呼べる初期の傑作短編が原作で、独特の終末が進行していくイマジネーションの奔放さが圧倒的。[映画館(邦画)] 8点(2013-05-13 12:38:15)

139.  櫻の園(1990) 「最後の夏」もの、ってのはあるけど、「最後の春」は珍しい。夏の終わりはもうそれだけで「抒情」なんだけど、春の終わりなんてすぐ次に生命力あふれる夏が来るんで、ほんとなら味わいないんだよね。でもつまりそこなんだな、まどろみの季節の終わり、あわあわとした気分がここで終わるということ、の気分。卒業の櫻じゃなくて、最後の一年が始まるところの櫻なんで、このゆとりが「最後の夏」ものにはない透明感ある味になった。部長中島ひろ子が良かった。こういう子、確実にいるんだけど、今までの青春ドラマではライトが当てられることがなかった。しっかり者であんまり目立たなくて、でも突然パーマかけてきちゃう。大袈裟に言えば「生きよう」と決意した子なんです。部長が実に新鮮だった。映画の最後は誰もいない部室に、部長が開けた窓から櫻の花びらが…。[映画館(邦画)] 8点(2013-05-12 09:25:03)

140.  客途秋恨 《ネタバレ》 香港中国返還のころって、いい映画が多かった。故郷というものに敏感になってたんだろう。家族が離れ離れになったり、神経が研がれていた。まして監督は母が日本人で、さらに複雑になる。ふしだらでわがままで奔放な母と娘の物語、っていうジャンルがあるな。たとえば日本なら『香華』とか。やや黄色みを帯びたマカオ時代の回想が美しい。おじいちゃんのおなかでの昼寝。ゆっくりと後退していくカメラ。まるで子どもを起こしてしまわないように。そして南由布への旅。街全体が記憶の中に沈んでいるような美しさ。イギリスの大学院を卒業して、を会う人ごとに繰り返す母。鬱陶しい母であるが、母の別の面も次第に見えてくる。山口百恵のポスターのあるビリヤードでの和解。そしてハンコを作るのが泣ける。小さな楕円形の故郷、墓のようでもある。で香港に残り、テレビ局に勤めることになり、これで終わるかと思っていると、とっておきのラストシーンが待っていた。病気のおじいちゃんのとこへ行くの。青っぽい色調。詰めた息をゆっくり吐き出すようなフェイドアウトが繰り返される。もうおじいちゃんのおなかの上には乗れない。失われた良きものが凝縮している。しかしそれは失われねばならないものでもあるという認識があって、脚本が孝候賢チームの呉念真なんだ。ラストは橋、どこかとどこかをつないでいる一本の橋。マカオ、香港、台湾、日本と東アジア全体をつなぐように。[映画館(字幕)] 8点(2013-05-05 09:38:42)

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