みんなのシネマレビュー |
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1442. わらの犬(1971) すみません、コレ、好きなんです。ヘンな映画ですけどね。バイオレンスを片田舎のフツーの家庭の日常に持ち込んだ、画期的(?)な作品。 何しろ、ヤな奴ばっかり登場する、この不安感。主人公ですら、そんなに好感もてるヤツじゃない。妻が村の男に暴行されるも、彼女の自業自得みたいな面がある上、その事実を主人公がまるで知らないってのがスゴイ。普通なら、クライマックスで展開される暴力は、この事件に対する復讐として描きそうなものですが、本作ではそうは描かない。暴行事件自体はこれでもかと我々の前で描きながら、一方、知らぬは亭主ばかりなり、あくまで哀れでマヌケな小心者として描かれる。そして、クライマックスの一軒家での攻防戦は、まったく別の事件をきっかけに巻き起こり、ここに至って主人公はブチ切れる。「ここは自分の家だ」という、ただその理由で迫りくる敵と戦い、言う事を聞かない妻に対しても暴力を辞さない(この点からしても、本作は「復讐譚」の真逆を行ってます)。もうここからは、ホラーかオカルトの世界。暗闇の中で周囲から隔絶された一軒家、ここではBGMも用いられず、霧笛だか何だか知らんけど不気味な低音が断続的に聞こえてくるだけ。無軌道な破壊が繰り返され、そして鮮烈な銃声が響き渡る。 外から迫りくる敵の狂気に対し、ダスティン・ホフマン演じる主人公も、完全にイッちゃってます。いったん暴力に踏み出せば、もう引き返すことはできない。ラストのセリフにもそれが表れていて、虚無感に満ちた余韻が残ります。[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-12-30 09:17:29)《改行有》 1443. 金融腐蝕列島[呪縛] 《ネタバレ》 総会屋への利益供与事件に揺れる銀行を舞台に、再生に向けた中堅社員たちの奮闘が描かれる。大荒れが予想される、事件後初の株主総会を、無事に切り抜けることができるのか? ってなオハナシですが、まずはこの小難しくなりかねない内容をスリリングな娯楽作にまとめた手腕は、お見事です。 ただ、気になることは色々あって、この会社、そもそも企業体質自体に問題があるだろうに、「現在のダメ幹部」対「一部の熱血社員」という構図に落とし込み、現トップさえ一掃すれば良し(あとは外敵だけだ!)、みたいなノリが、ちと楽観的すぎるんじゃないか、と。ラストの独白によると、大蔵省の方はちゃんと末端まで腐敗してたらしいんですけどね。 クライマックスの株主総会の場面で、荒れる総会の中、新頭取である根津甚八が見せる抑制された必死さが、映画を盛り上げるのですが、その割にこのホノボノとしたオチは何やねん、と。これも随分、楽観的。 あと、椎名桔平をはじめとする脇役たちが、それぞれ個性を発揮してこれも楽しめるのですが、その反面、いちいち状況をまとめたり図星をついたりする「解説セリフ」を挟んでくるのが、ちょっと鬱陶しい。鬱陶しいけどそのおかげで物語を取っつきやすいものにしているのも事実で、映画の題材が題材ですから、ある程度は仕方ないのかな、とも。 ところでこの銀行、各社員の机の上が異常に整理されてますね。これだけちゃんとした会社なら、確かに再生できるかも???[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-12-30 08:39:52)《改行有》 1444. オズ/はじまりの戦い 《ネタバレ》 冒頭に流れてくるダニー・エルフマンの音楽が、早くも我々をティム・バートンの世界へといざなってくれます・・・あ、違った、サム・ライミなんだそうです。 売れない奇術師が、ひょんなことからファンタジーの世界へと飛ばされてきて、魔女と戦うハメになる、というオハナシ。奇術を駆使して敵に一泡吹かせようとする、なんて聞くと、映画の特殊効果マンが持ち前の技術を駆使して敵と戦う『F/X 引き裂かれたトリック』なんて作品を思い出したりもするのですが、本作の面白さは、そういう物理的な部分にとどまらなくって、そう、まさにあのMGMの『オズの魔法使』におけるオドロキにも繋がるものがあります。CGなんぞ当然無い時代に、まさかと思うような不思議を、カメラを通じて我々の前に展開してみせたあの映画は、まさに一大奇術ともいうべき作品で、驚きと楽しさに満ちておりました。一方の本作、モノクロとカラーを使い分けるなどして明らかに『オズの魔法使』を意識した作りになっているけれど、だからと言ってもはやCGの時代にアレと同じことはできない訳で(同じことしようとしたら、単なるギャグになっちゃう)、そこは一線を画して、CGならではの面白さを追求してます(あのエテ公のいつも困ったような表情、可笑しいと同時に愛着も湧いてきて)。ただ、それでもなお、奇術師を主人公に据えただけのことはあり、ここにはやっぱり『オズの魔法使』と同じく、奇術の楽しみがあります。CGが使えるからといって何でもかんでも見せりゃいいってもんじゃない。相手の意識を手玉に取り、裏をかき、時には相手をじらせ、時には見てないものを「見た」かのように相手に錯覚させる。主人公の言動にもそういうのが現れていて、空中浮遊の術の最中に「ワイヤーで吊ってるぞ」と騒ぐ観客の前で、そのワイヤーを切って見せるのなんか、まさに裏をかく楽しさだし、それと同時に、映画観ながら理屈ばっかりコネてるんじゃねえぞ、と言われてる気もしてきます。終盤、いったん魔女に倒されたと見せかけた後で復活するまでの間、「まだ早い!」とじらせ続けるのなんかも、「復活する」という事実が楽しいんじゃなくって、そのじらされる緊張感を演出することこそが、奇術の、そして映画の楽しみなんでしょう、と。しかも、いざ復活のゴーサインを出したらトラブルでうまくいかず、我々も焦らされる、というメタ構造のオマケ付き。 さすがティム・バートン。あ、サム・ライミでしたっけ。[CS・衛星(吹替)] 7点(2016-12-29 12:07:32)《改行有》 1445. ダーク・シャドウ(2012) 200年前の吸血鬼が現代に(といっても70年代)蘇り、子孫たちに何やら貫録のあるところを見せつけるも、なにぶん時代遅れの存在なもので、言動がカルチャーギャップネタへと繋がっていく。慌てず騒がず、ご先祖様かつ吸血鬼としての落ち着きを見せ続ける一人合点のチグハグさが、みどころ(このトホホな吸血鬼、趣向は違うけど、ちょっと『処女の生血』を思い出したりして)。ではあるのですが、本作のさらに気が利いている点は、吸血鬼が吸血鬼なら、子孫たちも子孫たち、妙なキャラクターたちを配置して、さて物語をどうまとめるのかと思ったら、まとめるどころかラストではさらにとっ散らかし、でも何か妙にナルホドと思わせる。ナルホド、そうやって盛り上げるのか。もう何でもアリアリ、好き放題やってて気持ちいい。 と手放しで楽しめるのかというと、正直、残念なところもあって、いやこれは単なる好みの問題かも知れないけれど、コワそうなシーンではもうちょっと本格的にオカルト映画風のコワい雰囲気を出してくれたら、コミカルなシーンの可笑しさがさらに際立ったんじゃないか、とも思うのですが(その点、『ヤング・フランケンシュタイン』のモノクロ映像は、効果的でした)。ダニー・エルフマンの音楽は、いかにもコワそうに頑張ってたんですけどねえ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-12-26 22:30:03)《改行有》 1446. タイタンの逆襲(2012) ネタ元をギリシャ神話に求めようがアメコミに求めようが、結局は同じような映画に仕上げてしまう。なんか、アレですね、「CG技術がどれだけ進化したか」のデモ映像と思って観ればたしかに、同じような映画だと比較もしやすいってもんです。確かにこりゃすごいCGです。ごく単純な設定以外にこれといってストーリーらしいものがないのも、CGサンプル映像ならではの醍醐味といったところでしょうか。ただこれが、いえデモでもサンプルでもなく映画なんです、と言われるとどうも面食らってしまうのですが。 クライマックスではいかにもモットモらしく、戦争ごっこが始まり、『世界侵略ナントカ決戦』と云い、この監督さん、こういうの好きなんですかね。 好きなんだったらそれはそれで結構なのですが・・・それにしては、このクライマックスで流れるのが、何と安っぽく盛り上がらない音楽であることか。[CS・衛星(字幕)] 5点(2016-12-25 21:23:32)(良:1票) 《改行有》 1447. 大鹿村騒動記 普通のおっちゃん達が一生懸命、歌舞伎の練習してる。これが高校生とかのオハナシだったら来る日も来る日も練習一色、そこに恋愛なんかも絡んだりして、ってなところかも知れませんが、なにせおっちゃん達は日々の仕事を抱えており、あくまで「片手間に」一生懸命。人間模様の中には、何やら三角関係のようなものもあるけれど、ま、もはや過去の遺物みたいなトホホな三角関係だったりする。 とにかく、この映画の中では、まるで別の時間が流れているような感じ。そうそう、50歳ちょっとの佐藤浩市なんて、ここでは完全に若者扱いです。 この時間の中で、ラストにこれまたたっぷり時間をとって、大鹿歌舞伎が演じられる。いつまでも見ていたくなっちゃう。素人が演じる歌舞伎、ということなんだけど、映画に出演しているプロの俳優さんたちだって、本職の歌舞伎役者ではないんだから、やっぱり実際に、映画の登場人物たちがやってたように、地味で華の無い練習を繰り返してきてのこの舞台、なのでしょう。ユーモラスでもあり緊張感もあり、しかしそれ以上にほのぼのしているのは、やっぱり観客であるエキストラの皆さんの存在によるものが大きいですね。[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-12-23 03:43:57)《改行有》 1448. サタデー・ナイト・フィーバー 主人公の部屋にロッキーのポスターが貼ってあり、そう言われればこの主人公のダメダメな感じ、確かにロッキーと重なるものはあります。だけど、ロッキーが素朴なダメダメさを貫くことであのクライマックスの興奮を呼び起こしたのに比べると、本作の主人公、中途半端に分別臭いもんだからいけない(せっかく髪型もバシッとエキセントリックにキメてるのに)。無軌道かと思いきや、何かと分別臭い良心的な言動を挟んでしまい、結局、主人公の人物像としては平凡なものに終わりました。 明日への希望を語るのに、「今までの友人とは手を切る」などと、過去を否定しまくってしまうのが、なかなかのユニークさですが、まあ、実に身も蓋もないんですけどね。 それでも何でも、やはり魅力なのが、トラボルタのダンス。もっと観ていたいと感じさせる素晴らしさ。相手役の女優さんにはもうちょっと頑張ってほしかった。[CS・衛星(字幕)] 4点(2016-12-11 12:31:44)《改行有》 1449. エンド・オブ・キングダム 余計なものも必要なものもすべて削ぎ落したコンパクト設計、大規模テロでロンドンが壊滅状態(って程でもないけど)という一大スペクタクルを、正味90分ほどの小品に仕上げたという、その奥ゆかしさ。そんなに遠慮しなくても、ねえ。 そもそも、主人公が大量の敵と必死で戦う理由がどこにあるのか、職業に対する矜持なのか、大統領への友情なのか、あるいはテロリストへの憎悪なのか。そういうメンドくさいことはもう描かない。「主人公はもうすぐ父親になるらしい」っていう設定も楽チンで、うん、これなら、主人公と家族の関係をわざわざ描くこともなく、何となく主人公の人物像に肉付けできたようなフリができる(ただ、年齢的に言ってもジェラルド・バトラーにもうひとつ似合わない設定だけど)。テロに襲われるロンドン、これも点数で70点前後かという微妙な完成度のCGを乱発し、サラリと仕上げる。もちろん、パニックに襲われた人々、などというのもメンドくさいから描かない(街が破壊され、さらにカーチェイスまで展開されてるのに、皆さんフツーに歩いてます)。 そこまでメンドくさがって一切合財削ぎとして、じゃあ何を描いてるんだよ、と言えば、ひたすら敵が襲ってきて、ひたすら主人公が戦い続ける、それだけ、ですね。そういう意味では『コマンドー』魂が注入されてます。ただ『コマンドー』の方がよほど、アクションごとに趣向を凝らしていて芸達者。本作は、主人公が無数の敵を撃ち殺しまくるだけ、やってることは派手でも、印象としては地味になっちゃう。特に敵のキャラが立ってる訳でもなし。「誰が敵かわからない」という設定のハズも、基本的にほぼ全員敵だと主人公が承知してるので(笑)、サスペンスにならない。主人公は敵を淡々と撃ち殺し、敵は淡々と撃ち殺される。敵が迫りくる危機感とか、敵との駆け引きの緊迫感とか、なーんか無いとやっぱり、寂しいですね。 長回し(疑似か?)の使用も、それ自体の驚きは薄れてきている訳だし、ああ「恒例の」長回しね、と見られているようでは盛り上がりに繋がりません。頑張ったその気持ちはワカリマスけれど。 さて。次作では(次作があるとして)そろそろ、テロリストが地球自体を破壊するのでしょうか。[ブルーレイ(字幕)] 5点(2016-12-11 08:56:00)(笑:1票) 《改行有》 1450. プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂 さまざまな戦いや冒険を、おカネをかけたファンタジー映画でございますとばかり、あれやこれやと描くけど、結局のところ、作品の中で例えば主人公が何らかの成長をするなり葛藤をするなり決断をするなりしたのかと言えば、およそ何にもない訳で。「あの時ああしときゃよかった」という後悔、それを、時間の砂とやらを使ってチャッカリやり直すだけ。ってんだから、何ともおめでたい。 ま、このテの映画を、人生の何らかを求めて観る人なんていないだろうから、これでいいんでしょうけどね。ただ、お気楽に楽しむにしたって、特にオモロイ作品という訳でもないんだけど。[CS・衛星(字幕)] 5点(2016-12-05 22:00:48)《改行有》 1451. ニック・オブ・タイム 《ネタバレ》 おおよそ物語が進行する時間軸と映画の時間軸がおおよそ一致した(あくまで「おおよそ」であり、映画のテンポが優先されるところがミソ)、巻き込まれ型追い詰められ型サスペンス。いや~面白い。主人公が理不尽に追い詰められてナンボ、外堀埋められてナンボ、ですからね。孤立無援、これぞサスペンスの醍醐味です。娘を人質にとられた主人公は、ある人物の暗殺を強要される。その人物とは何と、カリフォルニア州知事。え~、それってもしかしてシュワじゃないの~。絶対返り討ちにあうよね。 という訳ではなくって、幸いにもこの当時はまだシュワ知事ではなく、狙われるのは女性の州知事。映画は正午に始まり、13時30分までに暗殺が実行されなければ娘が殺される。暗殺を実行すれば、自分はSPに射殺され、すべてが闇に葬られることは想像に難くない。何とか誰かに助けを求めることはできないか、と足掻くも、そうは問屋が卸さない、何しろクリストファー・ウォーケンだってこの映画の脚本を読んでいるワケだから、すっかりお見通しなのです(きっとジョニー・デップは自分のセリフの分しか読んでないからこういう目にあうんでしょう)。 一方でユニークな存在感を示すのが、靴磨きのオジサン。彼の存在自体が、物語の成り行きと密接な関係を持っていて、ラストの一撃が見事に効いてます。 人を楽しませることに関して右に出るものがない、というのが80年代のジョン・バダム監督であったなら、90年代にもその健在ぶりを見せたのが本作、と言えるでしょう。[CS・衛星(字幕)] 8点(2016-12-04 09:48:19)(良:1票) 《改行有》 1452. 10 クローバーフィールド・レーン ごめん、もうちょっと面白い映画を想像してた。勝手な期待を抱いていた私が悪うございました。 ものすごく美人と言ってよいのかそれ程でもないのかよくわからない女性主人公が出ずっぱりで、緊迫感があると言ってよいのかそれ程でもないのかよくわからない密室劇が続き、意外な展開と言ってよいのかどうかよくわからないクライマックスを迎える、という、要するに、よくわかったと言ってよいのかよくわからないと言ってよいのかが、そもそもよくわからないビミョーな珍作でした。珍作と呼んでよいのかそれほどでもないのか(しつこいってば)。 謎めいた開始の割に、状況を(つまり何が謎なのかを)スッキリと整理して見せてしまったのが肩透かしで、結局はジョン・グッドマンの怪演に頼らざるを得ない。色々と伏線を張って見せるけれど、いかにも伏線のための伏線という作為を感じさせる近視野的なものが多く、ふーんなるほどとは思うけれど感覚的にドキリとさせるものが足りない。 まあそれでも、この限られた舞台の中で、緩急をつけながらジワジワと盛り上げていき、それなりに楽しませてくれます。ところで、この映画のシチュエーションを見ていると、ふと、なーんにも関係ない作品ながらフランソワ・オゾンの『焼け石に水』を連想してしまい、つい苦笑してしまいました。そう思えば、アチラがどれだけトンデモ映画だったことか、本作がいかに穏当な作品であることか。クライマックスで突然の大脱線をして見せたところで、ちょっと遅いんだなあ。[ブルーレイ(字幕)] 6点(2016-12-04 08:42:56)《改行有》 1453. キック・オーバー メル・ギブソンという人は、映画の中でよく走っているという印象。いや「よく」と言っていいのかどうかはわからないけど、少なくとも彼の走っている姿というものが結構、印象に残ってるのですが、実際、すっかりいいオジサンになり、こういうグータラな映画のグータラな役を演じていても、やっぱり走るシーンってのが登場して、ああ、ガンバってるなあ、と。さすがに、マッドマックスやリーサル・ウェポンでの走りほどの迫力は無い、オジサン走りですが。 映画はいきなり、大金を奪ったメル・ギブソンが警察に追われる場面から始まり、国境を越えてメヒコ側でとっ捕まる。入れられた刑務所がとんでもないところで、悪が支配する何でもアリアリの、ひとつの街といった感じ。で、そこで逞しく生きる母子と知り合い、彼らの将来を待ち受ける暗い運命に対し共に戦うことになり、さらには例の大金にまつわる争奪戦にも巻き込まれていく。という、何だかとてもよくデキたオハナシなんですが、もうひとつ見せ方に工夫が感じられず、気持ちが乗りません。刑務所(とは思えないスゴいところですが)のバッチイ感じはよく出てるし、そういう中でも必死で生きている人々の生命力も感じさせて、さらにそんな中で、一人称で語りつつも素性の知れないメル・ギブソンがちゃっかりとたち回る姿、いかにも舞台は一通りそろっているのですけれど、普通にイマドキの演出が繰り返されるだけで、どうもメリハリが無い。せっかくのルチャリブレのシーンなど、客席で会話している光景なんてどうでもいいから、もうちょっと試合の方をカメラに収めてくれたらいいのに、ねえ。 いっそこのまま盛り上がらなかったら、ケチだけつけて終わろうものを、シャクなことには、メル・ギブソンが傘を持って現れる一連の場面が何ともシャレていて、さらに腹が立ってくる(笑)。くそ、面白いじゃないの。 こういうのを、映画の中でももっとやって欲しかったな。 【2024/5/12追記】久しぶりに見て面白さに唸りつつ、自分が何とたったの5点などという信じられない点数をつけていたのに気づき、またビックリ。いやこれ、メリハリが無いなんてとんでもない。最初の方こそ主人公の独白がいくぶん、状況を説明するけれど、映画はその後どんどん加速、暴走し、状況は映画の後からついてくる。何でもアリ、ルール無用の刑務所が舞台、いや映画の舞台は刑務所を飛び出して、ますます何でもアリ。主人公のクールさが実にキマってるし、クールなだけじゃないところが、ますます光る。 これぞ、ハードボイルド、ではないですか。今さら申し訳ないですが、9点に変更させていただきたく。[インターネット(字幕)] 9点(2016-11-27 08:40:10)《改行有》 1454. インセプション 映画の最初の方は、いろんな映像を散らかして見せただけ、という感じで、ちょっと辟易してしまいます。「夢だから、支離滅裂なんです」という事を言わんがために支離滅裂な映像をわざわざこんなに時間を使って見せてくれなくても、なあ、と(ただしそれでは申し訳ないということか、ラストへの伏線にちょっとだけなっているんだけど・・・こういうのを伏線って言うんだろうか。冒頭とラストをただ機械的に繋いだだけ)。 という訳で、それなりに派手だからそれなりに目を楽しませてはくれるけど、結局回りくどい説明を聞かされただけなんかい、という出だしに対して、物語の主部に入ってくると、夢の夢、そのまた夢、さらにその夢、という階層構造を提示して、いやコレ、支離滅裂なハズの夢の世界の割には、なかなかよく整理されてます。ちゃんとその階層構造を意識できるように各段階を並行して描く親切設計。この映画でやってることは「火災を消火する夢を観たらオネショしてた」とかいうレベルの何ともアホらしい事で、でもそれをホントに映像にしてみせてくれると、何だかワクワクしてきちゃう。 ただ、それはいいけど、この物語において、何がゴールなのか、がピンとこないので盛り上がり切れません。主人公のコブはコブで勝手に妄想みたいなのに苦しんでるし、ロバートも勝手に何やら父に対する微妙な感情を抱えているし、サイトーさんに至ってはゴメン、もうどういうヒトなのかサッパリわからない。登場人物それぞれに、てんでバラバラの悩みや重荷を抱えさせ、ドラマに形だけの「重み」を持たせてみせてくれても、物語がどこにも向かっていないのではどうしようもない。そりゃ、夢なんだから、いずれ、醒めるでしょうよ。 とは言え、劇中では別途、ある種のタイムリミットらしきものがちゃんと提示されていて、それが、「超スローモーションで落ちていくクルマが着水するまで」っていう訳ですから、ああこんなおバカなタイムリミットの可視化の方法があったのね、と、これには笑わされ、感心した次第。[CS・衛星(字幕)] 6点(2016-11-23 11:42:36)(笑:1票) 《改行有》 1455. 君の名は。(2016) 《ネタバレ》 阪神淡路大震災、東日本大震災という大災厄を前にしながらその当事者ではなかった私のような人間が持つ、3つの「思い」。いやそれは、大災厄に限られる訳ではなく、凶悪な殺人事件のニュースを目にして何ともやり切れない気持ちになった時にも持つ「思い」なのだけど。いずれにせよ、その3つの「思い」が、この作品にも色濃く反映されているのを感じます。 1つ目の「思い」とは・・・死んでいった人たちの無念や苦しさは如何ばかりか、と、つい想像してしまうこと。もし自分がその死んでいったひと本人であったなら、と。到底、生きている自分には想像などし切れないにも関わらず、ただ感じる、息苦しい思い。この作品の物語では、ズバリ、実際に他人に成り代わってしまうという設定が用いられ、しかも主人公のひとり(男)は、成り代わりえたもうひとりがすでに死んでいるという事実を突きつけられる。他人の死を自分事として認識することすらもできたはずの自分、にもかかわらず、そのチャンスは失われ、すべてはもう終わっていた、という事実。その虚しさ。 2つ目は・・・すでに終わってしまった、もはや取返しがつかない事であるのがわかっていながら、つい、本当にもうどうにもならないのか、何とかなるんじゃないのか、と考えてしまうこと。この作品は、ファンタジーとして敢えてそこに夢を紡いで見せる。本来ならばあり得ない、最後のチャンスを。 そして3つ目は・・・そのように悲しみや憤りを感じていたにも関わらず、結局は、過去のこととして忘却していってしまう自分に、気づくこと。この3つ目の点にまで踏み込んだ本作だからこそ、我々の胸に痛切に迫ってくるものがあります。 作品を通じて、どのようにあの震災と向き合うか、多くのクリエイターたちが悩み、苦しみ、格闘してきたんだと思いますが、震災への「思い」にまで真摯に踏み込んでみせた本作、しっかり感動させていただきました。[映画館(邦画)] 8点(2016-11-21 22:28:20)(良:3票) 《改行有》 1456. ボーン・アルティメイタム カッコいい映画、ではあるんでしょう。駅の雑踏の中で携帯電話をつかったコンタクトや、街中で突然展開されるカーチェイス。ただ、正直、ストーリーはもうネタ切れじゃないですか、これは。世界各地を舞台にイロイロやってるけど、オハナシはあまり先へ先へとは繋がっていかず、どうも何を描きたいのかよくわからない。主人公のアクションもそりゃカッコいいけど、建物や自動車のガラスをこうも何度も突き破ってみせられると、他にやることないのかよ、と。 で、どうもこの映画は、ただの追いかけっこ映画であって、これといってストーリーと言えるものがないんじゃないか、と思えてくる。そう思えてきつつも、「自分が誰なのか」というこのシリーズの結末を、最後にはちゃんとつけてくれるんだろう、と思っていたら。 なーんか、とってつけたような結末なのでした、とほほ。[CS・衛星(吹替)] 5点(2016-11-19 16:03:11)(良:1票) 《改行有》 1457. 日本のいちばん長い日(2015) 「日本の」というより、「昭和天皇の」いちばん長い日、といったところでしょうか。 と言っても、昭和天皇のみにスポットを当てる訳でもなく、全体をボヤボヤっと描いて、どうも焦点が定まらない感じ。天皇だって、阿南陸軍大臣だって、みんなひとりの人間として苦悩したんだよ、ってことでしょうか。戦死していった名もなき大勢の人たちだって、そうだろうと思うんですけどね。 宮城事件の描かれるウェイトもあまり大きくない印象で、あっさり終わってしまう。いや、岡本喜八版と本作、どちらの方が実際の事件の雰囲気により近いのかは知りませんけれども、映画のもつ緊迫感、喜八さんの映画とは比べるべくもありません。あの息詰まる焦燥感は、どこへ。 心に残る映画と、残らない映画との、違い。[地上波(邦画)] 5点(2016-11-19 15:35:34)《改行有》 1458. ライオン・キング(1994) 「ジャングル大帝」との関係はともかくとして、やっぱり「白い」ライオンを王とすることは、人種問題に繋がりかねないということでアメリカでは出来なかったのかな、とも思ったり。 本作、主人公の冒険譚なり成長物語として観るには、尺も短くエピソードもあまり豊富だとは感じられなくって、少し物足りない気もするのですが、何といってもこのアニメーションの見事さ。手描きアニメの究極とも言えそうです。登場人物ならぬ登場人物たちの、動物らしさと擬人化された要素をうまく組み合わせた動き、またその描写には立体感も十分に感じさせますし、様々に現れる表情も魅力的。ヌーの大群の描写も圧巻でした。 ただ、まあ、どうなんでしょう、この半分ライオンみたいで半分人間みたいな顔は。クライマックスの対決は、ライオン同士というよりは、狼男のケンカみたいでしたが。[DVD(吹替)] 7点(2016-11-06 16:21:00)《改行有》 1459. 超高速!参勤交代 超高速!と言うほどスピード感が無いのが残念で、例えば、追っ手から逃げて隠れている最中に何やら身の上話を始めちゃったりするのでは、「敵に見つかるのではないか」というドキドキ感などあったもんじゃありません。 藩の面々は愚直でよいのですが、そこに加わる謎の助っ人・雲隠段蔵は、もっと謎めいていてほしい、クセのある人物でいて欲しい。「結局は、いい人」というヤツですが、その「結局」さ加減が、あまりにスケール小さくって、まるで想定内の人間像に収まってしまっていて。 あと、殺陣も、確かに派手ではあるのですが、これもスピード感という点ではもうひとつ。[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-11-06 15:31:03)《改行有》 1460. 1941 スピルバーグという人は、80年代に入ると、いかにもアカデミー賞欲しい欲しい的な作品を監督するようになりましたが、結局、90年代まで取れませんでした。多分、その前にこの『1941』なるアホバカ映画を撮ってしまったので、映画の神様の逆鱗に触れ、バチが当たったのでしょう。 面白いのにね。 いや、もう、まともにストーリーらしいものはなくって、ひたすら変な人たちが現れ、ひたすらドタバタを繰り広げるだけ。なんですが、ラストに向けてそれらがちゃんと収束していき、盛り上がっていく、その楽しさたるや、もうこれはスピルバーグの最高傑作ではないか。とは思いませんが、でも実に楽しいのです。 それに、ジョーズのパロディから始まる本作ですが、むしろ、後の作品を彷彿とさせる先取りのような作品にも思われて。インディ・ジョーンズシリーズを思い起こさせるシーンが散見されますし、クライマックスの観覧車、こりゃA.I.か。それに、本作と太陽の帝国、監督作で2度も日本軍を題材に取り上げるなんて、まあ物好きというか何というか、変わってますねえ。 という訳で、本作はもしかして、「スピルバーグが映画の中でやってみたかったこと」が最も豊富に詰め込まれた作品なのではないか、と。しかし自分のやりたいことを詰め込むのでは誰にも相手にされないので、以降の作品では、一応みんなが喜びそうな物語を提供したうえで、その中に描きたいものを盛り込んでいくようになったんでしょう。 ただし、本作におけるこのアホバカの流れは別途、ユーズドカーへと繋がり、バックトゥザフューチャーとして結実していくことになります。[CS・衛星(吹替)] 8点(2016-11-05 03:55:38)《改行有》
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