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プロフィール
コメント数 293
性別
自己紹介 【好きなジャンル】
ミュージカル/恋愛/戦争/コメディ/SF/社会派・人間ドラマ
【苦手なジャンル】
格闘技/動物/トムハンクス/アレン関係

最高の映像作品だと思うのは実は映画ではなく、NHKドキュメント「映像の世紀」。

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141.  十二人の怒れる男(1957) この映画では、少年の刑事裁判という端的な形で法治社会のあり方を示していく。確かに感動するし、素晴らしい。でも、私はここで一歩踏み込んで想像するのだ。もし、これが政治家の汚職疑惑やカルトの連続殺人疑惑であったなら、ヘンリー・フォンダはやはりこのような格好で無罪を主張しただろうか?。陪審員達も、やはりあのように気持ちよく別れることが出来ただろうか?。そして私もこの映画に感動することが出来ただろうか?、と。しかし、私は彼がやはり無罪を主張したと思いたい。法律は時に「冷たい」とか「人情味がない」などと形容される。もし悪徳政治家を弁護したなら、特に日本では確実に人非人扱いされるだろう。しかし、悪徳政治家を救うのが推定無罪という法理ならば、無実の少年を救うのも、また同じ法理であることを忘れてはいけない。「推定無罪」ばかりが印象に残りがちだが、この映画を貫いているテーマは、やはり同じように重要な法理の「法の平等」であると思う。陪審員は法律家でない、ただの一般市民だ。法律は「みんなのもの」で、一部のものではないという理念。高官であれ泥棒であれ、先入観や偏見を持ってはならない。誰が相手でも法は等しく適用されるべきなのだ、という厳しい自戒の精神がこの映画にはある。この映画を「国家権力VS大衆」の構図で読み解く向きもあろうが、(現実がどうであれ)そこには「国家や法は権力者のもので、自分たちのものではない。」という感覚がどこか潜んでいるように感じられ、この映画の「法や国家は自分たちで作り上げたもので、運用も行使も市民が行う」という自負と責任の精神とはまるで逆のものではないかと思う。この映画を観れば、法の正義や公正、陪審員の責務とは何か、といったことを通じて、人が人を裁くことの難しさや、法律に関わる人間の持つべき資質、法と社会正義の問題などを考えずにはいられない。だから大傑作なのだと私は思う。10点(2004-02-09 13:51:50)(良:3票)

142.  ニューオーリンズ・トライアル 《ネタバレ》 ラストに至るまでの緊迫感やテンポは素晴らしい。ニューオーリンズという街を舞台にしたのも、街が持つミステリアスな雰囲気と、謎めいた登場人物がうまく絡んで良かったと思う。ただ、ラストがイマイチというかありきたりで、そこにもうひとひねりあれば傑作になったかも知れない。蛇足..銃社会の告発はともかく、目的のためには身分詐称・脅迫・陪審操作等の違法行為もお構いなしの主人公の行動は正直感心できないと私は思った。銃を求め売る側にもそれなりの理由はあるのだから、それを正面から説き伏せてこそ「正義」の筋がとおるはずではないかと思うのだ。私怨を晴らすための違法行為を正当化するなら、それがそもそも司法・陪審制度への挑戦であることをこの映画は忘れている。また、この映画では、事件に使われた銃が「不必要に強力」な設定になっており、そこを原告側弁護士ホフマンが突くシーンがある。しかし、「銃社会への告発」をするなら、ここは「普通の拳銃でもいけない」という弁をすべきではなかったか。感情論ではなくて「銃に反対する法的な理由」みたいなものをキッチリ観客にも伝えるつくりにすれば、単なる法廷活劇を超えた作品になり得たのに、この映画ではホフマンの弁論はキチッと描き、被告側の弁護士の弁論をカットする、という安易な演出でその肝心な部分をしのいでしまった。「信を問う」という面からみれば、これは明らかに姑息というかフェアではないやり方で、言論の中身の是非よりも「面白さ」を追求したといわれても仕方があるまい。ここでこんなことは言いたくないのだが、ファンとして言わせて欲しい。この映画を観て同じ陪審員モノの「十二人の怒れる男」と同じと思うなら、それは誤解だ。あの映画は、この映画のように「社会正義(映画的面白さ?)のためなら違法行為も許す」という話では断じてなく、むしろそのような考えにブレーキをかける「法の公正」を追求する男の話であるから時を越えた傑作になった。「社会正義」と「法の公正」は時に対立するもので、もし「十二~」の第8陪審がこの陪審団に加わっていたなら、海兵隊出の男の、行き過ぎた発言に反発する感情から評決に至りそうになったあのとき、きっと銃器メーカーの意見を代弁したのではないかと私は思う。例え社会正義に反すると思っても、証拠がなければ推定無罪(ここでは不法行為責任無し)。それが「十二人~」の「正義」なのだから。7点(2004-02-09 11:07:23)(良:1票)

143.  シベリア超特急 《ネタバレ》 「シベ超」...それはレビュワーにとって悪魔的な響きを持つ言葉だ。告白すれば、私はずっと後ろめたい思いをしてきた。「シベ超」を観ていなかったからである。私は辛い思いをしてきた。「シベ超」を観ていなかったからである。しかし、今ここに私は高らかに宣言する。「シベ超」を観た、と。私もついに真のレビュワーの仲間入りを果たした。もはやレビュー板が「シベ超」そのものを語る場というより、"「シベ超」で何を語るのか"を競う場になっているのをみれば、この映画から何か人を狂わす電波のようなものが出ていることは明らかである。再び私は宣言する。確かに電波を浴びた、と。「洗礼」を受けた、といってもいい。密室内の交換殺人という驚愕のプロット、そしてそれすらも軽々と無きものにする2重のどんでん返し。何をどう「どんでん返し」たのかや、「窓の揺れ」など問題ではないとばかりに、水野の愛を客室にギッチリ詰めこんで「シベ超」は勝手に疾走する。例えば想像して欲しい。友人の部屋に遊びに行ったとき、「シベ超1~4」がビデオラックに鎮座していたとする。こういう時、あなたならどう思うだろうか?私ならこう思う。「信用できるヤツ...」、と。例えば想像して欲しい。いつかこの映画をまだ見ぬ息子と観ることが出来る日を。「パパ!昨日は"シベ超11"を観たから、今日は"12"だね!」...あなたは頬が緩まないだろうか?。私なら緩む。私にとって「シベ超」とは、つまりはそういう映画なのである。再び告白する。私はこれほど稚拙で、これほど作り手の愛に溢れた映画を知らない。だから採点は放棄させて欲しいのだ。0点(2004-02-07 11:54:15)(笑:9票) (良:4票)

144.  ザ・ローリング・ストーンズ/レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー おおおお!!こんなものがレビューにあるとは!っていうか、これ映画なんでしょうか?でもカッコイイ!最高にカッコイイ!フットボールスタジアムでのライブだけれど、本当の映画みたいにカッコイイ!特に「友を待つ」あたりで日が落ちて暗くなっていくのが最高に心地いい。「ホンキー・トンク・ウイメン」で、女性がズラズラステージに出てくる演出も素晴らしい。ライブの空気感とか楽しさ、スケールの大きさを味わえる傑作。10点(2004-02-07 00:36:30)(良:2票)

145.  キャノンボール 「Mr.BOO アヒルの警備保障」と二本立てで観たのは我ながら素晴らしいと思う。何故だか思い出せないが、当時は確実にファラ・フォーセットが好きだった。5点(2004-02-06 18:03:52)

146.  Mr.BOO!ミスター・ブー 「アヒルの警備保障」から遡って観たんですが、やっぱり広川太一郎氏の「こんなことなんかしたりなんかしちゃったりして~」みたいなトーク芸は、本当に下らなくて素晴らしかった。正直、無形文化財くらいの価値はあると思う。5点(2004-02-06 17:54:54)(笑:1票) (良:1票)

147.  張り込み(1987) 《ネタバレ》 ドレイファスが電話を切るシーンで、吹き替えの広川太一郎氏お得意の駄洒落が炸裂。「でんわまた」....この人は本当に尊敬に値する人物だと思う。6点(2004-02-06 15:05:00)

148.  羅生門(1950) 美しい。しかしそれが「検非違使」や「羅生門」という字の美しさを上回っているとは思わないのでこの点数。余談:「難解」じゃないというレビューがあったけれども、ストーリーがどうとかそういうこととは別に、この映画のように映画の「経験値」がある程度ないとその良さがわからない映画って、十分「難解」だと私は思う。6点(2004-02-06 02:18:36)

149.  バトル・ロワイアル 人生はゲームじゃないと思う。4点(2004-02-05 22:37:41)

150.  ミッション・トゥ・マーズ ラストに至るまでに築いた世界を,一挙に消し去るデ・パルマの核爆弾ぶりには本当に驚いた。4点(2004-02-05 18:38:50)

151.  戦場のピアニスト 《ネタバレ》 レビューがこれだけあって、主人公を助けたあの将校が「ナチス」じゃなく「国防軍」だということを明記しているのはクルイベルさんただ一人(恐縮です(汗))。レビューの内容から察するに、両者の区別がついてる方は恐らく数名でしょう。....ガックリ。それがわからなきゃ何故彼が主人公を助けたのなんかわからないんじゃないですか?。この映画に関しては、それはポーランド人とユダヤ人の区別と同じくらい重要で、大変失礼な言い方ですが、もしこの映画を観て「国防軍」と「ナチス」の違いが気にならなかったら、ご自分に軍事一般について重大な知識の欠如があるかも?と疑ったほうがいいと思います。「軍事知識」といっても戦車や大砲の形式がどうのといったオタク的なことではなく、軍隊の組織や戦争の流れのことです。そういう初歩の知識なしで戦争映画を観ると、大きな誤解をする可能性がありますから。例えば、彼を描くことで、ポランスキーが「ナチスにもいい人がいる」とか「ナチとの心の交流」を描こうとしているなんて思ったら、それは大きな大きな誤解ですよ。彼は「ナチ」じゃない。この映画では徹頭徹尾ナチス=悪で、ナチとの交流なんてあり得ない。ナチにいいとこ無し。皆無です。ポーランド人のナチに対する憎悪は、我々日本人が考えるほど甘くないってことを感じるシーンですね。また、ラスト近くで収容所待ちのドイツ兵達に対して主人公の知人(ユダヤ人)が唾する場面がありますが、あれも恐らく国防軍で、ユダヤを主に迫害したナチの兵隊じゃない。過酷な東部戦線を生きのび、残酷なソ連軍の捕虜にだけはなるまいと必死に逃げた人たちです。大尉は確かに「いい人」かも知れませんが、周りに座っている兵隊達だって決して「悪い人」じゃない。ある意味ユダヤ人みたいな立場で、彼らのその後の運命がとても暗いことを知っていれば、「ざまーみろ」じゃなく、哀しくむなしいシーンだと、まるで正反対の感想を持つんじゃないでしょうか。「ライフ~」や「シンドラー」のように手取り足取りのサービスがなければ、こんなにも誤解する人がいるってのが正直私は恐ろしい。「収容所モノ」は最近多いですけど、この手の映画のレビューに関しては、知れば知るほど「ユダヤ悲惨」みたいな通りいっぺんの言葉は使えなくなります。偉そうですみませんが、自戒をこめてということで。7点(2004-02-05 16:34:49)(良:4票)

152.  ショーシャンクの空に 調査の結果、高、高、高、高、低、高、高...高、高、高、高、低、高、高....というレビューリズムを持つ映画だということが判明した。7点(2004-02-05 16:28:25)(笑:2票)

153.  シティ・オブ・ゴッド 映像&音楽センス・カメラワークが素晴らしい。ウルトラバイオレンスとしか言いようのない映画で、これが事実をもとにしているというのが心底恐ろしい。子供の殺し合いが日常茶飯事のブラジルと、「バトルロワイヤル」でギャーギャー喚く日本。「世界で一番遠い国」ではあるが、両者の距離は物理的なもの以上だと思った。9点(2004-02-05 15:40:36)

154.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 運命の大波にあらがいながらも結局は流されていく,ローレンとマストロヤンニの2人に共感できるかどうかがこの映画の鍵。私も残念ながら,プチみかんさんと同じ意見だ。あのロシア女性のひかえめさが際立つだけに,ローレンの溢れる愛情や逞しさ故の暴言が許せなくなる。恐らくあのウクライナ女性は,「いつかこの幸せも壊れてしまうのではないか」という予感に恐れおののきながら日々を過ごしたことだろう。また,再会の時にみせる彼女の毅然さからみて,彼を愛することにかけてもローレンに負けないほどの自信があったことをうかがわせるし,同時にローレンの気持ちを思いやる優しさもある。過酷な東部戦線からの帰還兵や,息子の無事を聞いてよろこぶ義母に対して一人よがりの暴言を吐き,何も言わない現地妻を思いやる気持ちさえ持ち合わせない身勝手なローレンと,かつての敵兵の命を救い,しかも彼を夫としたあの美しいサベーリエワとでは,どうひいき目にみても後者の方に私は共感を覚えるのである。6点(2004-02-04 22:11:36)(良:1票)

155.  シンドラーのリスト ホロコーストのドキュメント映像が2時間続けば,多分ほとんどの方は逃げ出すだろう。ユダヤ人の悲劇を題材にした「娯楽」映画に感動する自分が見えないのなら,それはやっぱり偽善だと私は思う。この映画がなんらかのキッカケになるのならいいが,「この映画で悲惨さを知った!でもドキュメントは気持ち悪いから嫌」みたいな意見を読むと,心の底からゲンナリする。5点(2004-02-04 18:47:52)(良:1票)

156.  めぐりあう時間たち 《ネタバレ》 冒頭、ヴァージニア・ウルフの自死から映画が始まるが、このシーンがこの映画を象徴するシーンだ。なぜならこの映画は「なぜウルフは自死を選んだのか?」という問いのダルドリー監督流の「答え」だから。ウルフが入水自殺する直前の「走馬灯の絵」であるといってもいい。この映画が難解にみえるのは、3人とも全然別人&別の時空に生きている存在であるかのようにみせて、現実に存在するのはヴァージニア・ウルフ1人だけ、あとの2人は実はウルフの想像中の人物であるという凝った脚本になっているからだ。同時に目覚める朝・花・卵・レズビアン・つきまとう死のイメージ・場面転換の連続性はが3人が同一人物であることの暗示である。他にもそう思う根拠は沢山あるが、とりあえずウルフの姉が言った「ヴァージニアは、複数の人生を生きているから幸せ」というセリフが、この映画の骨格をズバリと表現しているのではないか。この映画は要するに「ウルフの自叙伝+ダロウェイ夫人"現代版"」という構成であり、ウルフは「ダロウェイ夫人」を"書く"ことで時空を越えた"3人分の時"を生き、人生に満足したからこそ死を選んだ、というのがウルフの死に対する監督の解釈だろう。"The Hours"という原題も、"めぐりあう時間たち"という邦題も、そう考えてみれば実に見事なタイトルだと思う。傑作。9点(2004-02-04 12:59:25)(良:5票)

157.  コクーン 《ネタバレ》 老人たちは「若さ」や「不老不死」を手に入れるけれど、だからといって幸せになったわけではない。若さを手に入れられなかった人からの嫉妬を受け、永遠に生きるために友や家族と別れなければならないのだから。ロン・ハワードだからはっきりとは言わないのかも知れないが、この映画にはアメリカで当時流行っていたであろう「健康ブーム」とか「皺取り整形」みたいな、「老いる」ことがまるで罪悪であるかのような風潮への彼なりの批判もかなり含まれていると思う。「老い」という重いテーマを取り上げながらも、映画自体は重くならずにどこかほんわりしたところがある。そこもいい。8点(2004-02-04 10:10:53)

158.  X-MEN2 《ネタバレ》 面白い。前作も観たが、結構前のことなのでレビューはこちらに。脳天気なアクションが多いなか、こういうアメコミヒーローものというのはどこか湿り気があっていいと思う。「サイボーグ009」「仮面ライダー」「ハルク」にも通ずるような、スーパーマンだけど、望んでそうなったわけじゃないっていう哀しい涙の湿り気が。サイクロプス...確かに目立たないし役にも立っていないが、彼がやっぱり一番可哀想だ。愛する人を直接見ることは出来ず、憎む者・殺したいと思う者だけみられるなんて....。きっと彼は、ジーンが死ぬ前に自分の眼で直接彼女の姿を見たかったんじゃないかと私は思う。悲しいぞ!サイクロプス。彼は人気無いみたいだが、少なくとも私は応援する。頑張れ!あとケリー・フーも個人的にはいい感じ(死んじゃったけど)...余談:井筒監督。あんたの眼はやっぱり節穴だと思う(何のことだかわからない方は、No2・ぐるぐるさんの熱意溢れるレビューを読んで下さい)。7点(2004-02-04 02:05:22)

159.  もののけ姫 《ネタバレ》 私はこの映画の主人公が宮崎映画の中では珍しく「飛ばない」ことに興味を持った。なるほど,くびきから解放され,自由に飛行するナウシカを主人公にすれば必然的に開放的で夢のあるストーリーとなるだろう。しかし,そのような「解放された人間」を主人公にする限り,地べたを這って生活するものの残酷な生き様は描けまい。宮崎監督は飛行に憧れた人であり,解放を描くことに才能を発揮し,またそれを深く自覚していた人である。だが彼は,その成功の過程の中にあって,自分が描けないもの,つまり「解放されない物語」にいつしかを想いを募らせたのではないだろうか。あの断筆宣言は,自分にはそのような物語を描く才能はない,という彼の深い確信と,「それでもやらねば」という覚悟から生まれたものであると私は思う。事実「もののけ姫」は地を這いつづけ,内向きのまま一向に解放されずに終わる。まるでそれが「生きる」ということだといわんばかりに。メイキングDVDを最近見たが、脚本を書かず、方向の定まらぬままに絵コンテを描き進めるやり方を採用したのは、要するにそれが最もナチュラルに「宮崎駿」を表現できると思ったからだろう。脚本の通りに作れば整った作品にはなるだろうが、それでは「生きる」ということは描けまい。私が思うにこの映画はある「生き方」を提示する類のものではなく、「"生きる"ための脚本はない」ということを提示しているのだ。別に援護するつもりはないが、そういうことを踏まえて言えば,この映画は天才のたどり着いたある地平であり,監督宮崎の手腕を持ってしてもまとめきれない「宮崎駿」という人間の底知れぬ闇を故意に反映したもので、混乱漠然とした印象を与えるのはある意味当然だろう。この映画を評して「わかりやすい」とか「難解」とか言うのは、評価のツール選びからして違うと私は思う。7点(2004-02-03 17:48:49)(良:5票)

160.  風の谷のナウシカ よくも悪くもジブリ宮崎映画の印象を決定付けた作品。ナウシカに登場する人物は皆優しいと思う。「こいつは心から憎い」というキャラクターは皆無で、蟲にすら惜しみない愛情を注ぐナウシカは、優しさを通り越して神々しく見えるほどだ。まさに、こういう「優しさ」や「愛」こそが宮崎映画の最大の長所なのだろう。しかし、よく考えてみれば、それはいわば「日本風」の「優しさ」であり「愛」で、ナウシカの無国籍(というか非東洋風)な舞台設定とはほとんど関係のないのがこの映画の最大の欠点であることに思い当たる。最近は日本を舞台にした宮崎作品が目立つが、それは恐らく「ナウシカ」のような映画では、優しさや愛が「どこか遠い場所」にあるもの、自分とは関わりのないファンタジーの世界にあるもの、あるいは逆に人類に普遍なものだという捉えられかたをされかねないと思ったからではないか。もし日本が舞台ならば、観客は「優しさ」や「愛」が自分の生まれた場所や環境と切り離せないものだと感じるだろう。誤解されそうなので言っておくが、「優しさ」とか「愛」なんてものを、文化や歴史や生活の影響抜きに、それだけを取り出すことなんか出来ないと私は思っている。西洋には西洋の、アラブにはアラブの「優しさ」があり「愛」があるはずだ。ナウシカの「優しさ」をポンと中央アジアに置いたとしても、それはあくまで日本の「優しさ」であって中央アジアのそれではないのである。「子供だから難しいことは抜きに・・・」という向きもあろうが、私は子供だからこそ、誤解を招くようなメッセージを送ってはいけないと強く思う。宮崎監督の優しく愛に溢れたこの世界は、映画の中の光景がどうであれ、はっきりと日本の風土から生まれたものである。もしそれを自覚させないのなら、あの鬱陶しい「アメリカ正しい」と同じ無邪気さ傲慢さを持つ子供が育っても不思議はないだろう。8点(2004-02-03 15:39:25)

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