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プロフィール
コメント数 4000
性別 男性
年齢 54歳

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1.  河内のオッサンの唄 私、生まれ育ちは河内と言っても「北河内」と言われるエリア、こういう本場モノには太刀打ちできず、ウチの方がナンボかお上品ざます、と思っているのですが、それでも何でも、子どもの頃、近所の盆踊りには必ず河内音頭が流れていて、たぶん、刷り込み入っちゃってます。 さてこの映画。ミス花子の同タイトルの歌にあやかって、適当にでっち上げられたような作品ですが、それでも何でも、面白いものは面白い。 主演はもちろん、川谷拓三。何がもちろんなんだかよくわからないけれど、これ以外のキャスティングは考えられません。新しいタイプのヒーローがここに誕生。ガサツで喧嘩っ早いんだけど、ちっとも強くない。ただし強くないと言ってもそれは腕っぷしのことであり、生命力という点では滅法、強い。この人たぶん、何されても死なないのでは。 そういう主人公を、これでもかと体を張って、過激に演じてみせる。川谷拓三という大部屋たたき上げ俳優の、真骨頂ですね。一方で、若き日の岩城滉一が、飄々としています。河内の原住民たちに交じった、異分子。 後半、舞台は東京へ。やくざ映画であれば、殴り込みをかけに敵地へと主人公が向かう場面で演歌調の主題歌が流れるところですが、この作品、人影のない薄明の東京の街に歩を進める主人公のバックに流れるは、もちろん、河内音頭。たぶん、ロケの都合上、人のいない明け方にでもゲリラ的に撮影したんじゃないのーとか思うのですが、それでも何でも、カッコいいものはカッコいい。東京の街に河内音頭が流れる、それだけでもう、充分ではないですか。それでも何でも。 ダサいって、素晴らしい。[インターネット(邦画)] 8点(2025-04-29 19:22:57)(良:1票) ★《新規》★《改行有》

2.  浮き雲(1996) 《ネタバレ》 これぞ、ペーソス。という作品。 地味な夫婦の、地味なお話ではあるのですが、夫婦そろって失業し、とにかくロクな事が無い。不運のお話を、淡々と描いていきますが、これが妙に可笑しく、可笑しい故になんとも言えぬ哀愁が漂っています。いかにもカウリスマキ作品らしく、登場人物はおしなべて無表情。不運で絶望的なのに、表情をはぎ取られてしまって、その想いを表出することもできない不自由さが、バカバカしくもあり、切なくもあります。この人たち、落ち込むことすらできないんだから、代わりに我々が落ち込んであげるしか、ないじゃないですか。 夫は職場で、仲間たちとともに、リストラの実施を宣言されます。手持無沙汰に並んだ職員たちの姿もどこか滑稽で、さらには解雇される者をカードで決めるなどという無茶が当たり前のように通ってしまうのも可笑しく、さらにはここで、上司がカードを扱う手捌きがムダに見事だったりするもんだから、さらに可笑しく、でも状況はもちろん笑いごとではない訳で、そのギャップが何だか、たまらない。 その後も、泣きたいような状況がひたすら続くのですが、彼らは決して泣かない。この状況にまるで関心がないかのごとく、淡々と不運が続いていきます。自分が悪いとか他人が悪いとかいうことも関係なく、強いて言えば「状況が悪い」んだろうけれど、それが当たり前の事のように、日常化されていて。 クライマックス(に相当するもの)は、何とか新装オープンにこぎつけたレストランに、お客さんが入るかどうか。これも淡々としていて、妙に可笑しい。開店直後は客が全く来ない閑古鳥状態、ああやっぱりダメだったかと思ったら、昼頃からだんだんお客さんが入り出して、とりあえず初日は大成功、というところで映画が終わります。静かなサスペンスの先に待つ、一種のハッピーエンド、ではあるのですが、およそ、ハッピーエンドとなるべき「根拠」は何もここには示されていないので、明日はどうなることやら。 悪い運が続けば、たまにはいいこともあるでしょ、と。希望があれば、それでいい。 相変わらず表情をはぎ取られたこの夫婦なのですが、ラストシーンで二人は、店の表に出て空を見上げ。なにせほぼ無表情なのでたいして嬉しそうでもないんだけど、二人の顔は光に明るく照らされている。 すみません、単純かもしれないけれど、こういうの、ホント切なくなるんですよね。[インターネット(字幕)] 9点(2025-04-29 07:22:22)★《新規》★《改行有》

3.  炎上 《ネタバレ》 今どきこのタイトルだと、他のコトを連想しかねない・・・面倒な時代になったもんです。実際、このページの上部を見ると「炎上の口コミ・評価まとめ」とか書いてるしなあ。 もちろん、そういう内容の映画ではなくって、三島由紀夫の「金閣寺」を元にした作品です。 原作を読んだのは中学か高校の頃で、あの頃はどういう訳か、純文学と呼ばれるもの以外は読んじゃダメだとかいう妙な思い込みがあり、要は必至で背伸びをしていたのですが、今振り返ると、あれはあれで悪い経験ではなかった、と思いつつ、いろいろと未消化のままになっちゃってるなあ、とも。 当時、途中までは主人公に肩入れして読んでいたものの、放火のくだりになって、急に飛躍したというか、ついていけなくなった記憶があります。私小説でも読むような読み方をしちゃってたんでしょうなあ。本は実家に置いたままになってて手元に無いのだけど、もし今の自分が読んだら、この小説について、そして自分自身の変化について、どう感じるんだろうか。 さて、その小説の、映画化。タイトルも舞台となる寺院の名前も変えられていて、さらに監督が市川崑なのである程度表面的な「金閣寺」になるのはやむを得ない(笑)のですが、小説の観念的な部分を無理に映像に置き換えようとはせず(映像のお遊び的なところは、別の意味で「観念的」だけど)、若手スターの雷蔵に敢えて地味な主人公の鬱屈を演じさせる、という、ある意味平凡な路線に落ち着かせたのは、これは正解だったのではないでしょうか。 今の感覚からすると、別に若手スターが意外な役作りをしたとて、それがどうしたの、ってなもんですが、まだまだ映画スターとの距離感が遠い時代ですしね。それに、歌舞伎時代の雷蔵の不遇から、彼の夭折までに思いを馳せると、この主人公像にも痛切なものを感じてしまう・・・というのは完全に後付けですが、でもやっぱり、この作品に対する雷蔵の意気込みには並々ならぬものがあったんだろう、と感じさせられます。 作品自体、この主人公に寄り添う形で描かれ、彼が憧れる「驟閣寺」との対比は、あまり強くは感じさせません。かなり薄れた原作の記憶の中で、妙に印象に残っているのが、主人公が金閣の模型を見る場面なのですが、これも映画には出てこない。言っちゃなんだけど、モノクロ映像だと正直、古びた寺院、でしかなく、それこそ、この寺院のモデルがキラキラの金閣なのかワビサビの銀閣なのかもよくわからん。。。ということで、主人公がなぜこの寺院にここまで惹かれるのか、映像的にはあまりピンと来ないのですが、彼の抱える屈託が前面に押し出されることで、間接的にアンビバレントな想いが描かれます。 モノクロ映像の強さが間違いなく発揮されるのは、クライマックスの炎上シーンでしょう。この力強さ。圧倒的です。終わり行くことの残酷さと、最後に輝く一瞬の美とが、ここには表れています。 やっぱり、雷蔵の人生と、どこか重なってしまう。[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-04-27 08:29:00)
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4.  フォーエバー・パージ 《ネタバレ》 年に一度の“パージ”の一夜、その12時間だけはどんな悪事をはたらいても罪に問われない、ということなのですが、どの行為が正確に何時何分に行われたのか、アウトなのかセーフなのか、後から確定できる訳もなく、このルールはアカンでしょ、と思ってたら案の定、ルールが形骸化しちゃった、というこの第5作。モラル維持のために導入された劇薬とも言うべきパージ法が、かえってモラルの低下を招き、というかモラルを壊滅させ、パージ信奉者たちが終了時刻を過ぎてもパージを継続。収集がつかなくなったアメリカを後にして、隣国への国境を目指すサバイバルが描かれます。トランプ大統領の訴える「国境の壁」の、裏返し。 もともと、アメリカ社会の分断を描いていたのがこのパージ・シリーズですが、とうとう分断もここに極まって、今回描かれるのは、「危機からの脱出」どころか、「アメリカからの脱出」。もはや、諦めの境地、のような。 社会の分断を、ここまで徹底して二陣営間の対立として描くと、結局は、作品の賛否がそのまま社会の分断に輪をかけるだけ、だったりしないか、ちょっと心配になります。見たいもの、知りたいことだけ受け入れ、それ以外は駄作だとか偏向だとか言って拒絶する今の社会に、この作品は一石を投じることになるのか、それとも分断を批判することで分断を深める、自己撞着に陥るのか? ちなみに、私もこれまで、“駄作”なる言葉を全然使わなかったとは言いませんが、極力、使わないようにしています。ただ、思ったこと感じたことを書きはするけれど、ある映画が駄作かどうかを判断する力が自分にあるとは、思っていないので。 それはともかく。この作品では、パージが終わらない世界が、描かれます。パージの一夜が明けてもそれは本当の夜明けではない、もはや真の夜明けがやってくることのない世界。 昼間が舞台になり、メキシコ国境近くの荒野なども舞台になってくるのが、新趣向。閉塞感みたいなものはちょっと希薄。多彩な登場人物が織りなす逃亡劇、だけではなく、集団抗争劇っぽい内容にもなっています。長回し(あるいは長回し風?)の演出もあったりして、緊迫感も充分。 先住民の長老っぽい人物も出てきたりして、西部劇の世界を逆サイドから描いたような要素も。 結局、アメリカを突き放すように終わってしまいましたが、トランプ政権が復活した今、パージシリーズも、復活するのか、どうか。[インターネット(字幕)] 7点(2025-04-26 19:14:03)★《更新》★《改行有》

5.  座頭市牢破り 冒頭、カメラが水平に移動してくると座頭市の姿を捉え、その後で「勝プロダクション第一回作品」のテロップ。この冒頭の座頭市が例によって、スルメだか何だかをガシガシ食っており、やっぱり座頭市って――というより勝新太郎という人には――健啖家のイメージがありますね。大胆不敵な生命力、みたいなもの。これを、映画の画面に叩きつけてみせる。 これも例によって、タイトルの「牢破り」の意味はわかりませんけれども(誰がタイトル決めてるんだろう?)、監督が山本薩夫。社会派の印象が強いですが、『忍びの者』なんかでアクション作品もこなしてますしね。 監督が効いたのか、勝プロ第一回の意気込みが効いたのか、一筋縄ではいかないヒネった作品になっています。座頭市が反省を迫られる展開。前半の座頭市は、「世の中の役に立たないヤツは大嫌い。大嫌いなヤツは殺さなくちゃ気が済まない」などと嘯いている。 そういや話は飛びますけど、『トゥルーライズ』という作品は、キャメロン監督が明らかに軽薄さを意識して作っており、『ターミネーター2』で忌むべきものとして描いた核兵器を敢えてオチャラケ風に扱っているのもそうだけど、シュワ演じる「平凡なパパ」が、今までに殺したのは悪いヤツだけだ、などとすまして言ってのけるのも、スパイ映画の類型的な軽薄さを軽薄なまま楽しみましょうよ、というノリ。 ここでの我らが座頭市、もちろんそういうパロディ的な扱いではないですが、類型的なヒットマンの側面を持った存在として描かれています。いざとなれば平気で人の命を奪う冷酷さを持った、死神のごとき側面。しかし、人を斬り命を奪えば、そこには悲しみが生まれ、残された者の人生を狂わせてしまう、という現実を、座頭市は突きつけられる。 敵役はあのふてぶてしい表情でお馴染みの遠藤辰雄・・・と思ったら話はそう単純ではなく、西村晃に三國連太郎、それを上回る曲者たちが登場して物語は錯綜し、根深い悪が描かれます。 一方で、農民たちの描かれ方を見ていると、映像のタッチは異なるとは言え黒澤映画なんかも思い出したりするのですが、そうすると『七人の侍』を彷彿とさせる豪雨の中の殺陣が展開されたりも。 この作品、音楽がやたら荘重で、こちらも気合い入ってます。が、クライマックスで流れる音楽はこれ、「カルミナ・ブラーナ」のパロディですね? ちょっと意外な。。。[CS・衛星(邦画)] 7点(2025-04-20 09:07:29)《改行有》

6.  劇場版「進撃の巨人」Season2 覚醒の咆哮 停滞感、甚だしく・・・。 別に、巨人の正体が誰だとか、作品が描く世界にどんな秘密があるとか、そんなことを知りたいがために見てるわけじゃないし。 例えばミステリを読んでいる時って、早く真相を知りたいと思いつつも、「最後まで真相を知りたくない」という思いも持っていて、「ページをめくればそこに真相があるのに、マヌケにもまだページをめくっていない自分の今の状態」ってのが、実は一番楽しい点なのかも知れませぬ。そして、そう思わせてくれるだけの魅力を備えた謎がそこにあればありがたいけれど、重要なのは、謎の見せ方、語り方。手品だって、トリックが高度かどうかは関係なく、見た目の不思議さを楽しむのです。 なーんか、Season2になって、いやもっと前からか、新たな巨人を登場させては謎がどうの正体がどうのと、ひたすらマッチポンプ。正直、あまり興味も湧いてこない。同じことの繰り返し。なんだか、キャラを登場させては浪費していってるような、物語運び。 アクションシーンも変わりばえせず、既視感あり。静止画を交えてくるのも何だかベタな印象。森を登場させたのだから、森ならではの「何か」をやって欲しかった。 とは言っても、さすがに実写版より悪い点つけたらあかんかなー、しかし実写版に何を書いたかまるで記憶なし、、、と思ったら、現時点でまだ何も書いてなかった(書けなかったらしい。ははは)。ので、そこはあまり気にせず。[CS・衛星(邦画)] 3点(2025-04-20 07:36:35)《改行有》

7.  名探偵コナン 純黒の悪夢 ↓いやホント、私もアムロとシャアが会話しているようにしか聞こえませんでした。これ、絶対わざとやってますよね。シャアの喋り方そのもの。 ちょいとコナン映画の興行収入ランキングみたいなのを調べて見ると、前年の『業火の向日葵』に大きく水を開ける大ヒット、このあたりから毎年春の興行の話題をかっさらっていくオバケシリーズになったような。 冒頭のカーチェイスからして、完全にアクション路線に振り切っており、ミステリらしい不可能興味だの意外な犯人だのといった要素は皆無。コナンに「オレの推理が正しければ・・・」なんていうセリフをあえてしゃべらせているのは、曲がりなりにも「名探偵」をタイトルに背負った矜持かもしれないけれど、いやそれ、推理じゃなくって単なる想像でしょう、と。 CG多用でアクションやスペクタクルが緻密に描きこまれ、別に悪い意味ではなく「ウケる」作品になっております。ただ、こうなってくるとだんだん、これがコナン映画でなきゃいけない理由がよくわからなくなってくる。いくら手の込んだ作品にしようと、テレビ版のイメージを崩すところまでは改変できないだろうから、自ずとアニメーション描写の制約にもなるし、結局ストーリーの方も、これまでの経緯に寄りかかったようなものになって新味が無く。まあ、ハリウッドの超大作SFシリーズにありがちな「毎回、誰なんだかサッパリわからん新たな敵が登場しては、今度こそ地球の危機だと騒ぐ」ってのもどうかとは思いますけれども。 肝心のスペクタクルシーンで、観覧車が貸し切り状態として描かれるのも、パニック感を削いで今ひとつ・・・とか思っちゃうのですが、これも、あくまでコナン映画なんだからこんなもんでしょ、ということなんですかね。 舞台としてわざわざ水族館を設定しているのに、魚を描かないのも、なんか、もったいない気がしちゃうんですけど、そんなことコナン映画に誰も期待していない???[地上波(邦画)] 4点(2025-04-20 06:40:36)《改行有》

8.  ノー・セインツ 報復の果て 《ネタバレ》 アクションシーンがただただゴチャゴチャしていて全くうまく撮られておらず、もちろんこれは本当にヘタなのではなくって意識的な演出なのだろうとは思う(思いたい)のですが、でもやっぱりアカンでしょ。これでは。 というこの一点で、いくら減点されてもしょうがないと思う一方、それでもなお、この作品には無視できないもの、心を惹かれるものが、あります。 元殺し屋の主人公が、誘拐された息子を救うために再び暴力の世界に身を投じていく物語。主人公にはイエス・キリストのイメージが重ねられている……と言うにはあまりにやっている事がかけ離れていて、他の人々の原罪を背負って磔刑に臨んだイエスとは逆に、この主人公は行動すべてが凄惨な暴力へと繋がり、罪を作り出してしまう。いわば人類の原罪そのもののような存在。そういう意味では、作品の背景にイエスの存在というものがあったとしても、それを真逆から、裏返しに描いたような主人公像となっています。原題はThere Are No Saints. 聖人などいない。 その息子というのがこれまた、イヤミなほどの美少年で、どうしてまたこんなムサい親父にこんな息子が?などと人を見た目で判断してはイカンのだろうけれど、無垢のイメージが強く感じられます。 息子の行方を追い、助け出すためには手段を選ばない主人公。行く先々で、血の雨が降る。息子を救うためとは言え、本人のこれまでの荒んだ半生が招いた事態でもある訳で、過去の暴力が新たな暴力の連鎖を生み続ける無間地獄のような世界が描かれています。 で、その終着点に待ち受けている、悪の権化のような男。ロン・パールマン演じるこの男は、まるで中村文則氏のいくつかの小説に登場する悪そのものを体現したような怪人物(「掏摸」「王国」の木崎とか、「悪と仮面のルール」の久喜幹彦とか、「教団X」の沢渡とか)を彷彿とさせます。もはやそこには悪意すらない、形而上学的な純粋の悪。その存在がロン・パールマンの姿をもって、我々の眼前に現れる。 クライマックスにおけるこの圧倒的な絶望感たるや、作品に瑕疵はあってもやはり、無視できんなあ、と思うのです。[インターネット(字幕)] 8点(2025-04-13 08:40:20)《改行有》

9.  打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(2017) 『打ち上げ花火、~』、アニメから見るか? 実写から見るか? 実写の方が先行作品であることは言わずもがな、ですが、もしかしたらアニメを先に見た方が、ストレスがナンボか少ないかも―――どうしても両方見ないといけない、ということであるならば。 実写版における、奥菜恵の「掃き溜めに鶴」感も、なかなかにエキセントリックなものがある一方で、アニメの方はというと、こちらは逆にだいぶ丸め込まれた感じ。登場人物の年齢層が上げられ、それと同時に登場人物たちの個性も薄まってしまって。いかにも「今どきのアニメです」という描き方が、だいぶ裏目に出ている印象。かえって違和感が。 一応、設定は中学生ということらしいけれど、正直、この描き方では高校生にしか見えない。主人公の身長を低めに描いているのが「中学生です」というアピールなのか、でも見えないものは見えないんだから仕方がない。大人びた格好をすれば「16歳くらいに見える」というセリフも、まるでピンと来ず。 男子どもはどうかと言うと、会話の内容のレベルが、小学生という設定だったからこそ成立していた訳で、これも何だかチグハグ。 どうしてこんな中途半端な改変をしてしまったのか?  と言ったあたりは、ひとまず置いとくとしても。 アニメーションのクオリティは、そりゃまあ間違いなく(かつてのテレビアニメなんかよりは)上がっているんですが、どうしても、ところどころで薄味に感じてしまう部分があります。もっと細かい描写が必要なんでは。例えば自転車で二人乗りする場面とか、この程度の表面的な描写でいいんだろうか? むやみにCGを取り入れ、メカニックな動きをしつこいくらい見せるのも、何だか味気ない。あえて強調しているんでしょうが、違和感ばかりが残ります。 実写ドラマをわざわざそのまんま再現したかのようなシーンもあったりして。これもまた愛嬌・・・というのを超えて、なんだかわざとらしい。 別に実写版に特に思い入れがある訳でも何でもないんですが(あれはテレビドラマでしょ、と思っちゃうし、テレビドラマは正直、苦手)、何がやりたくてのアニメ化なのか、どうもよくわからないのでした。[地上波(邦画)] 3点(2025-04-12 14:10:27)《改行有》

10.  ヤング・ブラッド よくわからん邦題ですが、原題は『The Musketeer』なので、三銃士・・・いや、単数形なので、これはダルタニアン1人のことを指してるんですね。実際、三銃士たるアトス、ポルトス、アラミスはあまり目立たず、やはりというか何と言うか、ダルタニアンと三人との出逢いのエピソード(3人それぞれとモメて、それぞれと決闘の約束をする)なども描かれず。 なにせ、原作がクソ長くって、とは言ってもこれでもダルタニアン譚の一部にしか過ぎないのですが(私も角川で「三銃士」と「仮面の男」を読んだのみなのだけど)、それでも長い。というか、話があっちこっちに行ってしまって、もしかして作者のデュマ自身、自分が何書いてるのかわからなくなっちゃってるんじゃなかろうか、と不安になってくるほど。それでもちゃんとお話が完結するのだから、さすが!と妙に感心してしまいます。小説が終わるのは当たり前っちゃあ当たり前なんですが、でも世の中、著者が完結させ切れずに未完に終わる小説ってのもありますからね。 で、この『ヤング・ブラッド』ですが、かなり原作を端折ってすっきりさせており、しかしそれにも関わらずやたらゴチャゴチャしているという謎の怪作。かつてと異なり、今回もピーター・ハイアムズ監督は脚本を自分で書いておらず、たぶん、ストーリー自体にほぼ関心を持っていなさそうな。 とにかく、物語の方はどうも要領を得ないのですが、映像の方はいちいち、バッチリとキメて見せる。その点ではとても良い映画だとは思いますよ。監督の関心もそちらにばかり向かっているような気がして、しょうがない。 アクションはどういう訳かカンフー仕立て、見るからにこれ、ワンチャイそのまんまでしょう、というシーンも登場します。スピーディなのはいいけれど、なんとなくチグハグ。 印象としては、画をあまり動かさずにじっくり撮りたい監督と、その一方、やみくもに動き回るアクション、その両者に挟まれて息苦しそうに何とかかんとか進行するストーリー。といった感じ。 あまり成功した作品のように思えないのですが、、、こういうチグハグさもまた、ハイアムズ作品の魅力、ということで。[インターネット(字幕)] 5点(2025-04-12 04:56:38)《改行有》

11.  名探偵コナン 天国へのカウントダウン 《ネタバレ》 ウチの子供(大学生)の話では、高校の物理の時間に、この作品の終盤だけを見せられた、とのこと。私はずっと「高校物理の力学を勉強するのなら、綾辻行人の『殺人方程式』を読みなはれ」と言ってたんですけどねー。とにかく、楽しんで勉強できれば、それが何より。 劇場版コナン、第5作ですか。前作の『瞳の中の暗殺者』と比べると明らかにアニメーションの緻密さが上がってますね。手が込んでます。背景の人物が全く動かないなどのリミテッドアニメ風の部分は多々見られますが、陰影の描写は細かくなり、髪が風に揺れる描写なんかも目を引きます。一部のシーンでCGも活用。 劇場版コナンのお約束、と言ってよいかどうか、例によってミステリよりも活劇への指向が強くはあるのですが、トリックや論理性のところは弱くとも、フーダニットないしホワイダニットの面では、バカミス寸前の「ちょっといい味」、出してるんじゃないでしょうか。 活劇の面で言うと、パーティ会場、ヘリポート、展望エレベータ(すぐ横で爆発!)、、、と明らかに『タワーリング・インフェルノ』が意識されていて、ウチの子供も「既視感しかない」と笑っているのですが、さらにホースでダイブ、という露骨な『ダイ・ハード』。でもって、ツインタワー? 自動車? そりゃ『ブラックライダー』じゃないのかよ、と思ってたら(ワイスピSKY MISSIONよりは先だけど)、さらにそこに『ルーキー』風味が加わるという、、、 さすがにここまでくると、単に「引用」とか「オマージュ」とか言うレベルを超えていて、ちょっと気が引けてきてしまうんですけどね。 でもまあ、盛り上がりには事欠かないし、イヤミにならない程度にうまく仕込まれた伏線も、物語のまとまりに貢献しています。いいんじゃないですか。力学の勉強にもなるし。 顔写真を撮ったら10年後の顔を予想する、という装置が出てきて、阿笠博士の10年後が今と全然変わらん、とか言ってイジられてるんですけど、いえいえ、アンタたちだって、10年後も20年後も、小学生のままですよ。[地上波(邦画)] 6点(2025-04-06 08:35:08)《改行有》

12.  ネゴシエーター 《ネタバレ》 『交渉人』という作品と『ネゴシエーター』という作品があってややこしいけれど、交渉するのが『交渉人』、しないのが『ネゴシエーター』という、とりあえずの覚え方。 とは言え、ごめん、正直、路面電車のアクションがスゴかったよなあ、という点以外は何も印象に残っておらず、久しぶりに改めて見ながら、やっぱり路面電車スゴいなあ、とテンション上がっちゃいました。いったいどれだけ下り坂が続くのやら。 しかしこれは全然記憶に無かったんですけど、こんなに雨のシーンが多い映画だったとは。「雨のシーンを入れる」というひと手間が、見る側としては嬉しかったりもするのですが、こうやってやたらと雨を降らせるのも、何だかよくわからなくなってきます。1998年の『GODZILLA』で雨が降ってたのは、もしかするとCGの都合もあったのかもしれないけれど、雰囲気の面でもそれなりに納得するものがありましたが。。。 雨の暗さでもって、エディ・マーフィの陽気さと対比しようとしたのか、中和しようとしたのか。納得感以前に、そもそもこの主演はエディ・マーフィで良かったんだろうか?とも思えてきます。ここはやはりウェズリー・スナイプス、、、ではちょっとベタ過ぎますかね。いや、エディ・マーフィも今回は「お調子者」ぶりを控えめにして、持ち前の軽妙さは残しつつシリアスな演技にも挑戦しています。チグハグ感は否めないですけどね。でも、まあ、頑張ってます。もともと、アクション俳優としてのキレのよい身のこなしは、持ってますしね。 犯人側が何かとモタついたり(自分だけ刃物を持ち、相手の不意をついておきながらなお、女性を仕留められないって・・・)、相棒がイマイチ魅力なかったり(終盤、隠密行動なのに「今から狙撃します」という目立つ服装をしているのは、ちょっと愛嬌ありますけどね。笑)、キャラの弱さに関してマイナス要素もありますけれども、それが互いにちょうどバランスが取れたのか、中盤の路面電車だけでなくクライマックスの港の対決も、なかなか盛り上がります。 小気味よさに、派手なアクション。悪くないんじゃないでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-04-06 06:46:36)《改行有》

13.  SISU/シス 不死身の男 フィンランド映画はアキ・カウリスマキだけでは無いんです・・・にも程がある、という映画。 寡黙なジジイが、ナチスの小部隊と淡々と戦い続ける、本当にそれだけのオハナシで、章立ての構成(各章にタイトルあり)になっているのが、なんだかコミック調、劇画調。いや、単に私がゴルゴ13を思い起こしただけなんですけれども。しかし何だか、タランティーノあたりに気をつかった構成のようにも思われて、そういうの、ヤだなあ。いいけど、なんかヤだ。でもまあ、いいか。 繰り広げられるのはひたすら荒唐無稽な戦いで、でもそれを大真面目に映像化している。ジジイひとりで強敵に立ち向かう設定なもんで、意表をつく攻撃も登場すれば、「そんな攻撃に耐えられる訳ないやろ」という攻撃にもしっかり耐えてみせる(そしてそれをしっかり映像で見せつける)意外性もあって、いや、なかなかの楽しさ。 ただ、飛行機のくだりはさすがに荒唐無稽にもほどがあり、真面目が取柄だった作品が、一気に不真面目になっちゃった。これは残念。 はっきり言って、主人公のジジイについては、「不死身の(またはそれに準ずるほどの)強さ」という以外、何もわからない存在なので、大して興味も湧かず、この人がいつ死のうがどうでもよくなってきて、唯一の心配は「もしもこの人が途中で死んだら、映画が途中で終わってしまう…」という程度のもの。それとて、映画が途中で終わる訳がないので、ますます主人公に興味が持てない。でも、「ヒールの魅力」って、そういうもんですよね。勧善懲悪とかではなくって、ヒールvsヒールの闘い。 これは、デスマッチ、なのです。 で、そういう作品がなぜか、フィンランド映画。ってことなのですが、確かにというか何と言うか、広がる荒野はの映像はいかにも北欧っぽく、アメリカ映画には無い独特の雰囲気を感じさせます。こういうのも魅力。 一応、夜のシーンもあれば昼のシーンもあるようですが、全体的に夜明けとも夕暮れともつかない薄明の雰囲気が漂っていて、こういうのも北欧らしさ、ですかね。独特の味わいがあります。[インターネット(字幕)] 7点(2025-04-05 05:10:44)《改行有》

14.  インフィニット 無限の記憶 転生、がテーマですね。人類の中に、前世の記憶を持って生まれ変わりを続ける連中がいて、2大勢力同士が戦っている、という。 ところで超常現象ネタとしてこのリインカネーションってヤツが話題になったりするのですが、地球人としての前世記憶はあっても、宇宙人としての前世記憶の持ち主がいなかったとしたら、宇宙人の存在を否定することになるような気もするが、超常現象ビリーバーとしてはOKなんだろうか?(とか言ってると、自称“元”宇宙人がそのうちワンサカ出てきそうな気もするけど)。 それはともかく、転生をくりかえす一族(?)の一人である主人公、演ずるはマーク・ウォールバーグ。この筋肉男、「何やら過去を後悔しているようだけど、実際は中身空っぽで全然後悔なんぞしていないようにも見え、しかしそういう人ほど意外に後悔を抱えてたりするのでは」ってな事を感じさせる雰囲気がありますよね。そうでもない? とにかく、何となくそれに類する感じがするのが、この人の魅力。 そしてもちろん、アクション俳優としてちゃんと「動ける」魅力・・・という点で言うと、この作品ではもう少しガンバって欲しかった気もするけれど、メンタル面で不安を抱えた役どころでもあり、アクション一辺倒という訳でもなく。 日本刀での殺陣あり、カーチェイスあり、飛行機内の無重力チックな格闘あり、SFとしての自由さを活用したごった煮的なアクションが散りばめられた作品にはなっていて、マーク・ウォールバーグ云々よりもむしろ、アントワーン・フークアがこういうのを撮りたかったりするんだなあ、と。 輪廻転生がテーマとして取り上げられているもんで、断片的な記憶、と思しき映像が登場し、それが後々、焦点を結んでいく展開が(それなりに)面白い。正直、ゴチャついた印象もあるのですが、ゴチャついた内容をゴチャつかせて描き切るのも、意欲的と言えば意欲的。意外性もある。 だけど結局、作品全体の印象としてはもう一つ弱く、同じく輪廻を取り上げた『リトル・ブッダ』なんかの余韻を思うと、いくらこちらがSFアクションでアプローチが異なるとは言え、この余韻の無さ、味気なさは、ちょっと奇跡的。。。この作品を「無限に記憶」しておくことは、ちと難しい。[インターネット(字幕)] 6点(2025-04-05 04:37:24)《改行有》

15.  食人族 《ネタバレ》 この作品が困っちゃう点というのは、「意外にマトモ」ということでして、あの当時の騒ぎ(?)は何だったのか、あの「これ以上見せられない」というCMにビビりまくってた自分は一体、何だったのか。以下、3つの観点から、作品を味わってみます。 ➀ 食人族に喰われた模様を捉えた実際の映像、っぽい触れ込みであったとは言え、作品自体がコレを「実際の映像」と言っているかというとそれは微妙で、あくまで作品前半は普通に役者が演じ、ショットも切り替わる、フィクション作品としての描写。この部分は、そんなにクォリティが低い訳でもありません(これよりヒドい演出の作品はナンボでもある)。そしてその登場人物たちが作品後半を「実際の映像」として扱っているんだから、後半だってフィクションな訳です。 むしろ作中では、この後半の映像を残した連中のことをインチキ呼ばわりする場面すらあるのですが、作品中盤で示される彼らの別の「インチキ映像」とやらが、本当にインチキなのかどうなんだか。そうなると作品後半の真偽も不明確になってくる。動物を殺し解体するシーンも登場し、これは明らかにホントに殺しちゃっているから、真偽はますます曖昧に。 ホントとウソの階層構造。この作品のメタな構成、画期的なのでは。 フィクションが内包する、真偽不明のアヤしさ。そういえば、論理学において「AならばB」という命題があった時、Aが真でBが偽であればその命題は偽ですが、Aが偽であれば、Bの真偽によらず命題は真となる。アレと同じですね。違うか。 ② さらにこの映画、煽情的な作品として作られているのは間違いないけれど、一方で、批判精神みたいなものも織り込まれています。で、煽情的な部分と文明批判的な部分とが、有機的にリンクしている、これが心憎い。良質なポルノ映画を見た時のような不思議な充実感、煽情的であるがゆえに持ちうるパワー、煽情的であることの必然性が、確かに感じられます。 そりゃま、撮影のために動物殺したらアカンでしょ、と言われたら返す言葉もないんですが、それでもここでは、カメの解体を見て嘔吐した女性が、焼いたカメの肉は美味しそうにパクついている、という皮肉が描かれており、カメの解体をこれでもかと執拗にカメラに収めた上で「後で出演者が美味しくいただきました」とばかりにそれを食した彼らが後に、自分達が解体され美味しく食されてしまうという、因果応報が描かれております。レイプの描写もやはり、因果応報の一種として描かれていて(いきなりアソコをチョン切られてるしなあ)。 その一方、前半パートでは、フルチンになれば裸族と仲良くできる、という描写もあって、こんな凄惨な作品なのに、ユーモアも漂います。ポルノ的語法の強み、ですね。ハダカで相手の警戒心を解く、という同じような発想をしておきながらパンツは脱ごうとしなかった『北京原人 Who are you ?』の緒形直人は、反省すべし。 ③ さらにさらにこの映画、最近では時々見かけるようになった「登場人物自身が撮った映像」というモキュメンタリの、先駆的な作品、と言えると思うのですが、なかなかに巧みな演出で、その路線としてはかなりの完成度だと思います。いよいよ殺戮が開始される肝心なシーンでカメラがブレまくるのは、正直、ゴマカシの演出なんですが、「ここだけは見せたい」という部分はちゃんとカメラが押さえている、というのが心憎い。混乱する映像の中でも、アレやコレやがチョン切られたことだけは、伝わってくる。意外に丁寧な仕事をしているのでは。 カメラ1台だと視点が固定されてしまう、という問題も、「二人がカメラを持っている」「テレビ放送用に編集されている」という設定で、楽々とクリア。カメラを持った登場人物が映し出され、次にそのカメラの映像に切り替わることで、何となくリアリティを感じさせます。その切り替えは、ややアバウトな印象はありますが、リアリティなんて強調すればするほど逆にウサン臭くなったりするもの。いい感じのユルさに収まっていて、この作品、早くもモキュメンタリの「あるべき姿」に到達してしまったのでは。 人の死を収めた映像を編集し、音楽まで付けて、テレビ放送という商業ベースに乗せようとする資本主義。それこそが真のカニバリズムと言えるのではないか……しかしそれらもまた、商業映画という器の中の世界に過ぎない、という無限の階層構造。③が②を呼び、②が➀を呼び起こす構成。 ここまで褒めたら10点付けざるを得ない雰囲気になってきちゃったけど、もちろん満点映画という訳ではなく、単に④以降を書かなかっただけなので、7点で勘弁してください。 そういや、助監督としてランベルト・バーヴァもスタッフに加わっていたんですね。エンドクレジット眺めてて初めて気づきました。。。[インターネット(字幕)] 7点(2025-03-30 12:06:02)《改行有》

16.  マキシマム・ソルジャー 監督:ピーター・ハイアムズに、主演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、という組み合わせ、しかし製作が2013年ですから、その20年くらい前ならテンション上がっただろうけれど(過去に手を組んだのもその頃だけど)、さすがに今さら感も色濃く、これじゃあまるで・・・とまたけしからぬ喩えを書こうとして、気が引けてきたので、やめておきます。他人の事を言える立場でも年齢でもないしなあ、という自覚からの、自主規制。。。 邦題がもう、ヴァン・ダム映画2本組み合わせただけの、「誰か、レンタル屋で間違って借りて下さい」的なタイトルで、自己主張は皆無。しかし、ヴァン・ダムのメジャーな活動はユニバーサル・ソルジャーに始まりマキシマム・リスクに終わったのだ、という隠れ総括がもしもこの邦題に込められているのであれば、実は悪くない邦題なのかも知れませぬ。 という毒にも薬にもならない邦題の話はさておき、映画の中身はというと、いやこれも、実は悪くない、と思いましたよ。さすがハイアムズ、さすがヴァン・ダム、と持ち上げてみたとて、遅いか。まずもって、ヴァン・ダムの変な髪型に意表を突かれ、今回は悪役に回っているということにまた意表を突かれます。舞台は、のどかな森林が広がる、とある島。そこを住み込みで警備しているお兄さんがこの映画の主人公で、他に島に住んでいるのは、気難しい爺さんくらい。そして警備と言っても、仕事と言えば、たまにやってくる若者を注意するくらい。そんな島に、ヴァン・ダム率いる極悪一味がやってくる。冒頭の小型機墜落シーンで、あっと思わせ、一味の狙いがそのシーンに繋がることで、おっと思わせる、上手さ。 かつ、もう一人の登場人物が、この島にやってきます。主人公に逆恨みのような感情を持つ男。この男と主人公との間に緊張感を孕ませつつ、悪党一味との対決が描かれていき、映画の尺はたったの85分で、その攻防の一夜が、物語のメインとなります。 夜を描く、となると、撮影監督ハイアムズの腕の見せ所。と言っても辺鄙な森林が舞台ということもあり、夜が舞台だとおしなべて同じようなシーンになりがちですが、救援を求めるためにあげた炎の照り返しの赤い光などで、画面にアクセントを加えたりして。 ヴァン・ダムの怪人物ぶりもまた、この作品の楽しさ。これぞ、ハイアムズ&ヴァン・ダムのコンビの真骨頂。というより、変に大作を期待せず、こういう小品こそ彼らに任せるべきなのでは、と思えてきます。[インターネット(字幕)] 8点(2025-03-30 07:46:39)《改行有》

17.  名探偵コナン 瞳の中の暗殺者 《ネタバレ》 何年か前に金曜ロードSHOWで放送された際、「視聴者投票第1位」とか銘打たれていたのですが、コナン好きの皆さんは納得なんですかね? イマイチ1位になる要素がよくわからず・・・まあ、選挙で有力候補が複数立候補すると票が割れて意外な人は当選してしまう、ということもあり得ますけれども。これ、映画版としては比較的初期の、古いっちゃあ古い作品で、例えばいきなり電話ボックスなどというアイテムも登城しますが、今の子供にピンとくるんでしょうか。 右利きだの左利きだのという、手垢がついたと言うより手垢そのものみたいな理屈をこねくり回していますが、メインとなるのは、射殺が行われたにもかかわらず誰からも硝煙反応が出ない、という謎。多少、物理トリックめいたものが登場しますが、現実性の観点では突飛だとは言え、あまり複雑なものでもなければ意外性の高いものでもない(事前にヒントが充分過ぎるほど提供されているし)、というのが、アニメ映画としての作品を理屈っぽくし過ぎず、良かった点かと。ただし、物理トリックを絡めた時点で、犯人が準備さえしていれば大抵のコトは回避策アリ、という前提になってしまうので、あの古き良き「右利き左利き」の理屈に、あまり説得力が無くなってしまいますが。。。 たぶん、映画版の名探偵コナンを純粋ミステリとして捉えるべきではなくって、あくまで活劇指向。アニメーション動画のクオリティとしてはお世辞にも高いとは言えず、テレビ版と雰囲気を大きく変える訳にはいかない、ってのもあるんだろうけれど、とにかくそういう制約がいろいろある中で、現場に駆け付ける・犯人と対決する、といった冒険活劇の部分をしっかり織り込んで、そこが見どころになってます。←別のコナン映画についても全く同じ事を書いてしまいそうな気がする。 それにしても、あの、遊園地で着ぐるみが迫ってくるシーン、あれって、エンパイア・ピクチャーズの『ドールズ』のイメージじゃないかしらん。違うか。それとも『AKIRA』の病室のシーン、「ベビールーム」のシーンとか(笑)。[地上波(邦画)] 5点(2025-03-29 08:34:27)《改行有》

18.  ハンバーガー・ヒル 《ネタバレ》 1980年代後半、『プラトーン』が社会現象といえる程の話題になってから、ベトナム戦争関連の映画が続々と作られた時期があって、大抵の作品は、監督が誰だとか、主演が誰だとかいった売り文句がある中、これと言って馴染みのある名前が全く出てこない無印の作品だったのが、この『ハンバーガー・ヒル』。 このベトナム戦争映画ブームとでも言えそうな時期の前にも、『地獄の黙示録』はさすがに特殊だとしても、80年代前半には『ランボー』だとか『地獄に七人』だとかいった娯楽映画の中ですでに、かつてベトナムに従軍した兵士の「一人称で語る」ような作品が出てはいたけれど、『プラトーン』を皮切りに、あの経験、あの時の想いを、胸を張って語っていいんだ、語るべきなんだ、という流れができたような。 でももしかしたら、「なんだ、ベトナム戦争の映画だったら、あまり大勢のエキストラ雇わなくっても戦争映画が作れちゃうんだ」という経済的な気づきが、あのブームを支えていたんだったりして。 で、この無印の『ハンバーガー・ヒル』ですが、あまり知られていない若手俳優ばかりで構成された群像劇、ということもあって、まとまった物語と言えるものは無いのですが、ケンカしたり、娼館で騒いだり、戦闘があったり・・・という日々があり、いわば「等身大の兵士」たちが描かれているあたりは、『プラトーン』以上に“オレたちのベトナム戦争”に目を向けた作品、とでも言えましょうか。 母国から見ればほとんど地球の正反対に位置するようなジャングルで泥にまみれた彼ら、時には友軍の誤射で仲間を失うという矛盾にも直面しつつ、その彼らを待ち受けるのは、大勢の兵士が命を落とし肉塊と化していった丘、いわゆる、ハンバーガー・ヒル。 終盤はいつ果てるともない戦闘と、次々に命を落としていく兵士たちが、容赦なく描かれていきます。作品のバランスとしてどうなのか、という意見もあるでしょうけれど、これだけ徹底してこそ、当時の諸作品の中でも異彩を放った作品になりえていると思います。 にしても、音楽がフィリップ・グラスって、、、勘弁してよ(笑)。この人の音楽が映画にマッチする訳もなく。劇中で殆ど使用されていないのが唯一の救い、ですな。[CS・衛星(字幕)] 8点(2025-03-23 13:43:50)《改行有》

19.  誰かに見られてる 《ネタバレ》 『誰かに見られてる』ってのも妙な邦題ですが、おそらく、メアリ・H・クラークの小説のタイトル「誰かが見ている」をモジって付けたんでしょうなあ。原題が『Someone to Watch Over Me』だから、当たらずとも遠からず・・・だいぶ遠いけど。先日、エンドクレジットを眺めてて初めて知ったのですが、この原題は、ガーシュインの歌曲のタイトルから来ているようで。あと、さらに余談ですが、その昔、日曜洋画劇場で『ニューヨーク25時・少女誘拐/恐怖の地下密室!レイプ殺人が招く二重犯罪』なる映画が放送されていて、これが実はメアリ・H・クラークの「誰かが見ている」の映画化作品であったのだそうな。そりゃ気づかんかったわい(笑)。何となく原作小説よりも面白かった印象もあるのですが、シャワールームの少女を映す無駄なサービスカットがあったりして(大したシーンでは無いけど)、もうテレビ放送とかはできないのかなあ、とか。 余談が過ぎました。さて。 1980年代にリドリー・スコットに対して持っていたイメージというと、「CF出身のスタイリッシュな映像作家」というもので、要は都会的なイメージ。特にブレードランナーあたりの印象が強かったんでしょうなあ。ところが90年代以降を見てると、結局どうやら、そういう監督さんでは無かったらしくって。『デュエリスト/決闘者』の監督であり、『エイリアン』の監督なのであって、「都会的」どころか、時代が現代ではなかったり、そもそも舞台が地球上ですらなかったり。現代が舞台であっても、都会的、というのとは大なり小なり、距離があるような。 そんな彼のフィルモグラフィの中で、この『誰かに見られてる』は珍しく、「都会的」と言ってよい作品だと思います。大都会の中心、ではなく、多少ゴミゴミしてますが、夜の街の雰囲気。リドリー・スコットって本当は、こういう作品をこそ撮りたかったんじゃなかろうか、と思えてくるぐらい、神経を使って作られた作品であるように感じられます。ぶっちゃけ、ストーリーは大してオモシロくないんですけどね、雰囲気が魅力的なのです。 大人の恋愛を絡めたサスペンス。いや、サスペンスを絡めた大人の恋愛映画、なのかな。殺人事件を目撃した女性と、彼女を警護することになった刑事のちょっと不器用なラブロマンス。彼女を付け狙う犯人役は、あの『逃亡者』の「片腕の男」のヒトで、確かに悪そうだし怖そうでもあるのですが、ガンガン襲ってきて大活躍するようなタイプでもないので、どちらかというと主人公である男女をめぐり合わせる方便として存在しているような、やや黒子じみたところがあります。 トム・ベレンジャー演じる刑事には妻と息子がいて、家族仲睦まじく暮らしてきたのですが、この事件に関わるようになり、警護のために夜は家を空ける生活に。さらには、その守るべき対象であるミミ・ロジャースとも何となくいい関係になってしまって、家族との間がギクシャクしてくる。 という設定も映画のための一種の方便であって、この設定のお陰で、ミミ・ロジャースと逢うのはいつも夜。彼女は、夜の雰囲気をまとった女性、なんですね。一方、妻や息子と会うシーンは、主に昼間となる。夜、妻と息子が不安そうにしていても、そこにはトム・ベレンジャーはいない。 女性と夜に逢う、と聞くと、何となく隠微な感じがいたしますが、実際にはあまりそういう印象が無いのは、刑事の不器用さ、ってのもあるのですが、彼女に関わるシーンでバロック音楽やオペラが流される、ということも関係しているようです。これがジャズ全開だったら、一気に2人はいい関係になりそうなところですが、そうはならないし、映画もそういう演出はしない。最初の方で小雨の中をトム・ベレンジャーが機嫌よく(?)歩いていると、流れてくるのはやや場違いとも思える、ヴィヴァルディのグローリア。ただの夜の雰囲気では、無いんですね。こういう音楽の使い方もあって、二人の関係がベタベタした印象にもならず、二人がだんだんいい関係になったとて、共に朝を迎えるシーンが無いから、エロい感じはいたしません。 二人でダンスするシーンは、これはやっぱりジャズですね。二人っきりではないので、ジャズが流れても安心です。いい雰囲気ではありますが、すでに少し、二人の間には距離もある。 で、クライマックス。例の悪人との対決。ですが、浮気相手と妻子が鉢合わせ、なもんで、ある意味、それ以上の修羅場かもしれぬ。男は妻子のもとに行き、女とは視線のみを交わす。このシーンも夜。夜が明けてから改めて別れるシーンとしてもいいのかもしれないけれど、あくまで夜のまま、女は立ち去り、映画も終わる。 うーん。いいじゃないですか。[インターネット(字幕)] 8点(2025-03-23 08:42:55)《改行有》

20.  トリプルX 体育会系007映画。ロジャー・ムーア時代の007シリーズとか、MIシリーズとか、あと『ザ・ロック』とかいった作品から、アタマの悪そうな要素をこれでもかとかき集めてきたような作品で、これで面白くならない訳が無い・・・というのは短絡だけど、実際面白いんだから、仕方がない。 こんな映画の主役、いったい誰につとまるのか、と言えば、うーむ、今となってはやっぱりトム・クルーズの専売特許としか思えなくなってしまっているのだけど、この貧乏くじを引いたのがヴィン・ディーゼル。製作総指揮にも名を連ねているんだから、別に貧乏くじではないですね。前年の『ワイルド・スピード』に続いてのロブ・コーエン監督との再タッグ。それにしても、あれからたった一年で、早くもこんなぶっ飛んだ世界観に至るとは。 で、このヴィン・ディーゼル演じる今回の主人公がどうなのかと言えば、えーい、どうなのよ、と思っちゃうんですけどね。ヴィン・ディーゼルは別に演技らしい演技をしなくても、スカしていればそれで良い、と思うのですが、この映画ではおよそ似合わないような感情表現を、それもホンのときたま思い出したように、入れてくる。ちょっと余分だなあ、と思っちゃう。バカ映画のノリで突っ走っていれば、それでいいのに。 しかしもちろん、そんな事で失速するほどヤワな作品では無い訳でして。だいたい、この主人公自体、特に映画の最初の方では、顔よりも、首の後ろに彫られた3つの✕の入れ墨が優先的に映し出される。こういうのを見てると、ふと、「10円玉とか100円玉とかの硬貨は、算用数字で大きく金額が書かれている側が実は裏なのである」というお馴染みのトリビアを思い出したりして、ああ、この人もきっと、首筋の入れ墨の側がオモテで、ヴィン・ディーゼルの顔がついている方がウラ、なんだろうなあ、とか思っちゃう。とにかくこの3つの✕に象徴される、3度の重罪(?)を犯した極悪人。やることなすこと、すべて派手。破天荒。大暴走。まさにスパイにうってつけの人材・・・って、一体スパイを何だと思っているのか? とにかくスパイとしての見込みを買われた彼。3つの✕と呼応するかのように、物語もスカウト1次試験⇒2次試験⇒本番、の3段構成で進みます。その展開の中で、オハナシそっちのけで主人公は大暴れして見せるのですが、特殊効果も少なからず使用されているであろうとは言え、驚きのスタントも多く織り込まれていて、やっぱりこういうのには、度胆を抜かれてしまう。戦場を駆け抜け炎の中を駆け巡るバイクスタントもエゲツ無いけれど、スノボ履いてのスカイダイブから、雪崩とのチェイスまで、どうしてここまで無茶なことをする必要があるのかサッパリわからない超人的アクションの数々。まず、こういうことを映画の中でやろう、と思いつくことがスゴイし、実際に映像化しちゃうのがスゴイ。 そして何より、化学兵器を搭載したミズスマシみたいなオマヌケなマシーンが、風光明媚な趣き溢れる街の中、ヴルタヴァ(モルダウ)川と思しき川面を疾走する、あのオマヌケなシーン。いやこれ、オマヌケ過ぎるでしょ。と言いつつ、そのオマヌケなマシーンが、本気モードで疾走し、それを主人公が本気モードで追跡するのを見ていると、その場違い感ゆえに、感動すら覚えてしまいます。しつこいようですが、オマヌケなんですよ、でも感動的なのです。[インターネット(字幕)] 9点(2025-03-22 07:17:09)《改行有》

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