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プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 1970年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順123456
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1.  激動の昭和史 沖縄決戦 “沖縄軍の戦死者10万” “沖縄県民の死者15万” 太平洋戦争末期、「沖縄」という地で失われた命の数がラストのシークエンスで大写しにされる。 その膨大な数が表す通り、この映画は最初から最後まで延々と、愚かさと絶望の中で続いた「死」を容赦なく映し出し続ける。 「地獄絵図」という比喩表現そのものの光景に対して、憤りを通り越した虚無感に襲われ、ただただ涙が溢れ、逃げ場を見失う。 ただ、「これが現実」という絶望的な悲劇の中で、同時に強く印象に残ったことは、それでも残った命の存在とその意味だった。 「死」の中で残った数少ない「生」の描写こそ、このあまりにも絶望的な映画において、監督が手繰った希望だったのではないか。 敗色濃厚というよりも敗戦が必然の中で葛藤し続けた高級参謀然り、息子を亡くしそれでも表向きにはひょうきんに従軍し続けた散髪屋然り、最後は強引に生き残ることを命じられたひめゆり学徒隊の少女たち然り、息絶えた母親の背で泣き続ける赤ん坊然り、そしておびただしい数の屍の中を歩き続けた孤児の少女然り。 あの時、彼の地で生き延び、後の時代に継いだ命の価値と、命を継がれた者たちの“声”を真摯に受け止め続けることの意味をこの累々とした死を描きつけた映画は物語っているのだと思う。 彼らの死と、継がれた命が語る「事実」を、総ての人々は今一度知らなければならない。 この重く、辛く、だからこそ誰しも一度は観なければならない映画を描きぬいたのは、岡本喜八監督。 この映画はドキュメント要素が強く、普通ならばただただ淡々と暗く悲しい事実に対して、一方的に耐え忍ぶように観なければならない映画に仕上がっていたことだろう。 しかし、娯楽映画に秀でた大巨匠だからこそのあまりに巧い演出力が光る。 悲壮と絶望が渦巻く戦禍において、敢えてユーモラスなキャラクターやシニカルな台詞回しを適所に配し、的確な可笑しみを効果的に加味している。それにより映画的な抑揚が生まれると共に、現実の悲劇性はより深まっている。 その演出方法は、岡本喜八という大巨匠の映画監督としての意地と誇りの表れのように思えた。 繰り返しになるが、重く、辛い映画であることは間違いない。 でも、この映画は決して説教臭くもなければ、何かしらの思想を強要するものでもなく、娯楽文化としての「映画」という表現の中で、しっかりとその意味と価値を表している。 そのことが、本当に素晴らしいと思う。[CS・衛星(邦画)] 10点(2015-08-15 20:16:26)(良:1票) 《改行有》

2.  ダーティハリー サンフランシスコの深い青空を背景にして、ライフルの漆黒の銃身が伸びる。遠く照準の先には、真っ青なプールに映える黄色い水着を着た美女。冷淡な凶弾は音もなく美女を襲いあっさりとその命を奪う。 オープニングクレジットと共にサングラスをかけた“スター俳優”が颯爽と事件現場に現れ、映画が始まる。 冒頭数分間のこのシークエンスで、一気に映画の世界に引き込まれた。 「凄い映画だ」ということは、その時点で確信できた。そして、今この瞬間までこの映画を"未経験”だったことを後悔した。 あまりに有名なハードボイルド映画の「傑作」であることはもちろん知っていたけれど、今この時代に初めて観て、これほどまでに心底「格好良い」とあらゆる意味で思える映画だとは思わなかった。 全編に渡るカメラワークの格好良さ、音楽の格好良さ、台詞回しの格好良さ、そして何と言っても“クリント・イーストウッドの格好良さ”もうそれに尽きる。 世代的にクリント・イーストウッドという映画人に対して、“ベテラン名俳優”そして“名匠映画監督”としての認識が大部分を占めるので、“スター俳優”としての馴染みが実際無かった。 時を越えてようやく、クリント・イーストウッドという稀代のスター俳優に邂逅できた気分だ。 映画史に残る「傑作」故に、この映画の価値と見所は多岐に渡ると思う。 時代に楔を打つバイオレンス性、正義と法の矛盾に対しての憤り、娯楽映画における警察像の変遷、この映画を観たのは初めてだが、おそらく観る程に新しい発見があり面白味が深まるだろうと思える。 でも、個人的に何よりも重要視したいことは、やはり主人公の魅力に尽きると思う。 演じた主演俳優の時代を越える格好良さ、そして彼が演じたキャラクターの映画史上に残るアイコン性。 登場した瞬間に、当然の如く「ああ、ダーティハリーだ!」と初めて見る者にすら思わせるその強烈な個性。 この映画の主人公に、クリント・イーストウッドという俳優が起用されたのは、決して既定路線ではなく、様々な巡り合わせが重なった上でのことらしい。 だからこそ、その「誕生」は映画史にとって奇跡的なことだったと思う。[CS・衛星(吹替)] 10点(2012-11-11 01:12:40)(良:1票) 《改行有》

3.  ロッキー 映画鑑賞が趣味だと言って、何千本の映画を観ていたとしても、当然ながらその全てを観られるはずも無く、絶対的な名作にも関わらず、未鑑賞の作品が多々ある。 「ロッキー」もまさにそういう作品群の中の1本だった。(ちなみに「ロッキー4」は観ている……) 「圧巻」だった。 有名すぎる映画なので、未鑑賞であってもラストの顛末に至るまで大体のストーリーは知っていた。 驚くべきは、それにも関わらず、まったく予想外のドラマを見せつけられたことだ。 もっと分かりやすい主人公のアメリカンドリームを描いた映画だと思い込んでいた。 が、実際に描きつけられていたのは、不遇な環境と自分自身に対するコンプレックスからの脱却に対する飾り気の無い「願望」だった。 そこには、大義名分もなければ綺麗ごともない。ただ幸運に恵まれたチャンスを生かし、現状から抜け出したい。 もっとあざとくいえば、降ってわいたラッキーをものにして、名声を得て、幸福を掴みたい。 ひたすらにその思いしかない。だから凄い。 ストーリーをもっと盛り上げようと思えば、いくらでも感動的な要素を加えられたはずである。だが、敢えてそういう安直な“創作”を加えず、無骨に鍛え上げられた肉体のように、物語が研ぎすまされている。 これはまさに、シルヴェスター・スタローンという映画人のドキュメントなのだと思う。 オーディションに落ち続け、日銭をかせぐ毎日だったスタローンが脚本・主演を務め、一躍スターダムにのし上がった様は、まさしくロッキー・バルボアそのものである。 「自分の夢で名声を得たい」というロッキーとスタローンの思い。 そこにあるものは、決して綺麗ごとだけでは済まされてない野心に溢れた強かさだ。 だからこそ、この映画は長年色褪せることのないリアルなエネルギーに満ち溢れている。 だから知っていたラストシーンを初めて観て、涙が溢れた。[ブルーレイ(字幕)] 10点(2009-12-28 15:58:24)(良:5票) 《改行有》

4.  柳生一族の陰謀 時代の流れの中で度々生まれる悪意に満ちた陰謀、将軍家継承における柳生但馬守のそれを壮大に描く。素晴らしいのは、明らかな悪意をメインに描きつけた潔さである。劇中、陥れられた西郷輝彦演じる家光の実弟忠長の「善か悪か誰が決められよう」という台詞が印象深い。そう、善と悪が入り乱れ、あらゆる思惑と陰謀が渦巻く時代の流れの中で、どちらが善悪かなど認識することは不可能であり、無意味だったのだと思う。生き残った者が、そして綴られる歴史がすべてだったのだ。存在感溢れる俳優が揃い、深作欣二が大いなるパワーをもってまとめあげた大河に圧倒された。10点(2004-03-24 15:55:56)

5.  仁義なき戦い この映画を観たほとんどの人が感じることであろうが、とにかく、菅原文太が凄い。その物腰、啖呵、存在感に圧倒されっぱなしである。日本映画において仁侠映画というジャンルの存在はとても大きいところであるが、その原点であり頂点であるのがこの「仁義なき戦い」であることを認識せずにはいられない。「エネルギーに溢れた~」などという常套句では足りない、まさに血と肉に形作られた生々しいパワーがこの映画のすべてである。クエンティン・タランティーノ、ジョン・ウーが崇めるわけだ。10点(2004-03-03 16:10:20)

6.  竜馬暗殺 古めかしいモノクロームの映像世界に幕末の英雄、坂本竜馬の最期の生き様が鮮烈に映し出される。何よりも、飄々と男臭い独特の坂本竜馬像を体現した原田芳雄の存在感が光る。独特ではあるが、このキャラクターこそ坂本竜馬本人の人物像にもっとも近いのではと思わせる説得力とインパクトに溢れていた。石橋蓮司、松田優作、桃井かおりと脇を固める俳優陣も揃って曲者揃いで、印象的な映画世界に見事に息づいている。その先見性も含めて動乱の時代をあまりに早く走りすぎた英雄の喜怒哀楽に溢れた最期の3日間を描いた傑作。10点(2004-02-29 03:46:42)(良:1票)

7.  幸福の黄色いハンカチ よくよく考えてみれば、この映画のタイトルも宣伝ポスターもすごい。 何せ思いっきり“結末”を晒しているわけだから。その上で燦然たる名作なのだから。 2014年11月末日の日曜日の夜、他界した大巨星を偲んで再びこの映画を観た。 これでこの名作の鑑賞は、通算4度目になるだろうか。はっきりと、この映画が自分の映画遍歴におけるマスターピースになったことを認識した。 もはやあれこれと論ずることすらあまり意味を持たないように思える。 子供の頃に初めて観た時は、面白みを理解しきれなかったけれど、その後観るほどに魅力が倍増した。 きっとこの先も、自分自身が歳を重ねるほどこの映画の魅力は膨らみ続けることだろう。 映画も古くなれば当然、色は褪せる。 ただし、色褪せるほどに魅力的になる映画こそが、本当の意味での「名作」なのだと思える。 もうこの世に高倉健はいないけれど、僕はこの映画を観る度に「おかえりなさい」と心の中で呟くに違いない。[CS・衛星(邦画)] 10点(2004-02-11 18:27:41)(良:1票) 《改行有》

8.  ルパン三世 カリオストロの城 純粋なルパン映画というよりも、今作においてはジブリの宮崎映画という要素が強いので、ルパンの少年ぽさだったりその他のキャラクターが全体的に可愛らしかったりとある意味での違和感はあるけど、相当に面白いことは確実である。 ルパンらしいアウトローさや毒々しさはほとんどないが、アドベンチャー的な雰囲気が秀逸だ。 しかし、何と言ってもこの映画の最大の魅力は銭形警部。 「いや、やつはとんでもないものを盗んでいきました。……あなたの心です」 ってとっつあんしか言えません![DVD(邦画)] 10点(2003-11-26 10:32:01)《改行有》

9.  フェイズIV/戦慄!昆虫パニック 《ネタバレ》 聞きしに勝るカルト的なSF映画だった。 ただし、決して奇をてらった“とんでも映画”というわけではなく、気が遠くなりそうに緻密な演出と撮影、そして揺るがない美意識に支えられた極めてアーティスティックな映画だった。 とある宇宙線の影響により、砂漠地帯の“蟻”に劇的な「進化」がもたらされる。 高度な知性を得た蟻とうい種が、徐々に周囲の環境を支配し、ついに人類と敵対する。 というのがこの映画の導入部。即ち“PHASE I”である。 その進化にいち早く気づいた科学者二人と蟻との攻防が描かれるわけだ。 この映画が、邦題「戦慄!昆虫パニック」というテイストの通りだったならば、良くも悪くもB級モンスター映画に仕上がっていたことだろう。 しかし、この映画の邦題は大いに見当違いであり、そんな生半可な仕上がりを許すものではなかった。 この特異な映画が描き出すものは、この世界の支配者とされる人類とそれを脅かすものとの攻防などではなく、現状の支配者が新たな支配者によって確実に速やかに取って代わられる様そのものだ。 蟻の脅威的な進化に対して、人間は必死に抵抗を試み、攻防を演じているように見える。 だが、実際はそうではない。 観察者であった筈の人間が、実際は蟻によって観察されていたことを知った瞬間、そもそもそこに攻防などという関係性は無かったのだと気づく。 この映画に映し出されていたものは、その“資格”を持った新しい支配者が世界を支配するという、あまりに自然的で、だからこそ残酷な生物の「理」だったのだと思い知った。 ついに支配を受け入れた人間の雄と雌が、禍々しく赤く灼けた太陽を臨むシーンでエンディングを迎える。 一寸それは夕陽に見え、世界の終末を感じさせる。 しかし、すぐにそれは昇る朝日だと分かる。“終末”ではなく、新しい世界の“はじまり”だったのだ。 そして「PHASE IV」というタイトルバック。参った。[DVD(字幕)] 9点(2014-10-19 08:58:58)(良:1票) 《改行有》

10.  スティング 若々しいロバート・レッドフォードが、ブラッド・ピットに見えて仕方がなかった。“そっくり”ということはないけれど、醸し出される俳優としての雰囲気が、とても似ていた。 個人的な推測だけれど、これだけの名作において現在に至るまでリメイクの企画が出ていないわけはなく、その度に“フッカー”役にはブラッド・ピットがキャスティング候補として挙ったのだろう。 そして、ポール・ニューマンの“ゴンドーフ”役には、ジョージ・クルーニーあたりが挙っていたのだろうけど、「オーシャンズ11」を先にやられてしまい、そのままのキャスティングではあまりに二番煎じすぎてインパクトがなくなってしまったから、リメイクの企画が頓挫しているのではなかろうか。まあ邪推に過ぎないが。 とにもかくにも、「詐欺師映画」の金字塔とされる名作と呼ばれるに相応しい素晴らしい娯楽映画だった。 往年の娯楽映画においては、どんなに「名作」と呼称され、作品の“売り”を見聞きしていても、“肩すかし”を食らうことが多い。 それは、次々に生み出される映画が、過去の名作を踏まえてより観客に衝撃を与える作品として製作される以上仕方がないことだと思う。 今回、今作の鑑賞に至っても、映画世界そのものの雰囲気と往年のスター俳優たちの格好良さを堪能出来ればそれでいいくらいに思っていた。 しかし、しっかりと「詐欺師映画」として“驚き”と“娯楽”を楽しむことが出来、そのことが最大の「衝撃」だったと言える。 ブラッド・ピットに見えるロバート・レッドフォードも良かったが、何と言っても、ポール・ニューマンの老練熟達した“男ぶり”に惚れ惚れしてしまう。 この二人のスター俳優の「名優」としての記憶が新しい限り、“リメイク”のハードルは極めて高く、そのことが慢性的なネタ不足のハリウッドでさえなかなか本腰を入れて手が出せない最たる要因なのかもしれない。[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-12-12 16:55:51)《改行有》

11.  昭和残侠伝 死んで貰います なんていうか、こういうモロ任侠映画の中で育ったわけではないのに、“くうぅ~”と唸りたくなるのは何故だろう?まさにどっぷりと“不器用な男”の世界にはまってしまう。大筋顛末は分かっちゃいるのだけれど、男の生き様に心が震えてくる。ストーリー自体にサプライズを求めがちな昨今の映画にはない、文字通り真っ向勝負の映画に溢れるパワーが物凄い。高倉健という俳優がなぜ今尚崇拝されるのか、その答えは丸々この映画の中にあると思う。[DVD(邦画)] 9点(2005-02-01 02:40:00)

12.  子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる 凄い。何といっても若山富三郎の濃厚な存在感と圧倒的な殺陣が物凄い。時代劇きってのエンターテイメントシリーズと言われるだけに、全編に溢れる斬新な娯楽性に惚れ惚れするほどだ。三隅研次による秀麗な映像センスにも目を見張る。実弟・勝新太郎の「座頭市」に並ぶ革新的な娯楽時代劇だと思う。クエンティン・タランティーノが惚れ込むわけだ…まさにケッサク。[ビデオ(邦画)] 9点(2004-05-16 15:28:10)

13.  ルパン三世(1978) まさに「カリオストロの城」とは対称関係にあるルパン映画の傑作である。シュールな展開とキャラクター、アウトローな台詞回しは、ルパンらしいルパンという呼び方がふさわしいと思う。壮大で破天荒なラストの顛末も見応えがあるし、怪人マモーの声を担当した西村晃のにじみ出るいやらしさが光る。9点(2003-11-26 10:44:09)(良:1票)

14.  エイリアン この映画をまともに観るのは何年ぶりだろうか。 いや、実際は、かつて淀川長治氏の日曜洋画劇場で放映された吹替え版を何度が観た程度で、字幕版をしっかりと観るのはこれが初めてだったのかもしれない。(しかも今回はBlu-ray特典のディレクターズカット版) もちろん、エイリアンがどういう場面でどういう登場を見せるかということは把握しており、ストーリーの顛末も当然知っているのだが、それでも次の瞬間にもエイリアンが襲いくるというシーンでは、恐怖の余り目を背けがちになってしまった。 リドリー・スコットが生み出したこのSFモンスター映画の醍醐味は、何を置いてもやはりその「恐怖」だと思う。 宇宙船という完全に閉鎖された空間に突如として付加された恐怖。 それは、モンスターそのものに対する恐怖というよりは、それから逃げられないという恐怖の真髄だ。 そこにある思惑により隠された真意による不信感が巧みに混じり合い、映画史上かつてない恐怖感を生み出したのだと思う。 今回どうしてもこの映画を再見したかった最大の理由は、今作の前日譚として公開されたばかりの「プロメテウス」を観るため。 改めて今作を見返してみると、エイリアンそのものの出生をはじめ、その発端となるシーンのあらゆる「謎」が気になる。よくもまあリドリー・スコットは、このあからさまな「伏線」を30年も放っておいたなと思う。 そして、30年前の映画にも関わらず、映し出される映像世界のスタイリッシュさに舌を巻く。本編開始前の“20世紀フォックス”のタイトルロゴの古めかしさに「そんなに昔の映画なのか?」と違和感を感じるほどに。 P.S.あたり前だが、シガニー・ウィーバーが若い!終盤の“半ケツ”が、その瑞々しさを極めて分かりやすく表現している。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2003-10-21 00:45:25)(笑:1票) 《改行有》

15.  JAWS/ジョーズ 今でこそスティーブン・スピルバーグは娯楽映画の大御所という見方が一部では強いが、この映画などを観ると、スピルバーグこそ映画界における革命児であり鬼才であると言えるのではないか。製作当時の限定された技術と制作費でこれほどまでサメという生物に恐怖とサスペンスを植えつけた彼はまさに野心に包まれた挑戦者という名称がふさわしい。そして大御所と呼ばれる現在も彼の映画製作における探究心は揺るぎない。9点(2003-09-27 20:02:56)

16.  男はつらいよ 望郷篇 2024年も映画初めは“寅さん”でスタート。今年も50年以上前の人情喜劇に心が安らぐ。 「望郷篇」とういタイトルに相応しく、寅次郎の故郷東京柴又をはじめ、この国のかつての風景や風俗描写が何気なく映しとられている。 撮影当時とすれば、それは至極当たり前のロケーションだったのだろうけれど、それから50年あまりの月日が流れた現在では、一つ一つのありふれていたのであろう描写がことさらに印象的だった。 江戸川の河川敷、発展途上の札幌や小樽の街並み、小沢駅前の旅館、北海道の広い大地を縦横する蒸気機関車、浦安の豆腐屋、河口を行き交う船……。無論私自身はその光景を実際に目にしていたわけではないけれど、郷愁を覚えるのはなぜだろう。 前2作では監督から離れていた山田洋次が監督に戻り、作品としての安定感が増しているように感じた。 キャラクター設定やストーリー展開等やっていることはほぼほぼ同じなのに、何とも言語化しづらい絶妙な間合いによる可笑しみや人間ドラマ、それに伴う情感が、山田監督の演出力と、彼に絶対的な信頼を置くキャスト陣の安心感によって増幅されているのだと思えた。 前2作では今ひとつ出番が少なかった妹さくらの登場シーンが多いことも嬉しかった。映画内の季節が真夏なこともあり、さくら役の倍賞千恵子のミニスカート姿も眩しい。 随所で、脚本通りなのか、アドリブなのか、NGスレスレなのか、その境界がアバウトなシーンも見受けられ、それらも含めて「作品」として成立させてしまう“ライブ感”みたいなものが、本シリーズの核心である人間模様の豊潤さを生み出しているのだとも思う。 前述の各地のシーンにおいても、当たり前の光景を当たり前のように映し出しているように見えて、そのロケーションの素晴らしさや、画作り、カメラワークの巧みさが、印象的なシーンとして仕上がっている要因なのだろう。 流石は山田洋次である。この日本映画史に残る巨匠監督が、2024年現在においてもバリバリの“現役”であることの価値と意義を改めて認識すべきだと痛感した。 さて5年に渡って毎年正月に「男はつらいよ」を観ることを恒例にしているが、全50作を観終わるにはあまりにも年数がかかりすぎてしまうことに今更気づいた。 よくよく考えれば、撮影当時の製作ペース自体が当初は2〜3作ペースなので、今年からはこちらも2〜3作ペースで鑑賞していこうと思う。[インターネット(邦画)] 8点(2024-01-06 00:04:37)《改行有》

17.  暴走パニック 大激突 いやはや、なんともトンデモナイ。 大胆で、猥雑で、非常識。時代を越えた昔の映画に対して、現在の倫理観と照らし合わせることはナンセンスだと思うが、あまりに自由で、あまりに奔放でエキサイティングな映画世界には、いまや「羨望」の眼差しを向けざるを得ない。 先日鑑賞した「狂った野獣」に続いての渡瀬恒彦主演作(同年製作)だったが、やっぱりこの時代のこのスター俳優の存在感と“アクション”は唯一無二であったろうことがギンギンに伝わってくる。 80年代生まれの者としては、渡瀬恒彦という俳優を認識した頃には、すでにサスペンスドラマに多数出演する好感度の高いテレビ俳優という印象が先行しており、渡哲也の実弟という立ち位置もあり俳優としてそれほど強いインパクトを感じたことはなかった。 しかし、この時代の彼の佇まいと雰囲気は、アクの強いダークヒーローであり、あらゆるアクションシーンを自分自身でこなしたという逸話も伝説的だ。 本作においても、決して正々堂々としたヒーローではなく、姑息さや残酷さも持ち合わせた犯罪者であるというキャラクター性が、ダークヒーローとしての存在感と哀愁を際立たせている。 そしてそこに「深作欣二」という巨大な劇薬が混ざり、映し出された映画世界は娯楽の混沌と化している。 中盤、本筋と外れたところで、或る変態医師のアブノーマルプレイがじっくりと映し出された時には、思わず「一体何を見せられているんだ」と困惑し呆然としてしまったが、それすらも最終的には娯楽の混沌の一要素としてまかり通してしまう圧倒的なエンターテイメント力にひれ伏すしか無かった。 クライマックスで待ち受けていたのは、タイトル通りの大暴走と、大パニック。 主人公のみならず、川谷拓三、室田日出男ら演じるこれまたアクの強い脇役たちや、通りすがりの端役に至るまで、それぞれが孕んでいた狂気性が爆発し、泥と爆音と共に入り乱れる様はまさしく阿鼻叫喚。 この時代を生きるすべての人間たちの鬱積が撒き散らされているようだった。 現代の最新カーアクション映画の筆頭といえばご存知「ワイルド・スピード」シリーズだが、50年近く前のニッポンに“元祖ワイルド・スピード”と呼ぶに相応しい映画が存在していたことを、ハリウッドの映画人たちは知っているだろうか。 あ、クエンティン・タランティーノ以外でね。[インターネット(邦画)] 8点(2022-04-16 00:39:11)《改行有》

18.  資金源強奪 溢れ出る「昭和」のギラつく雑多感。 人からも、服装からも、街並みからも、すべてから放たれるそのギラギラに圧倒される。 展開される犯罪アクションの卓越したエンターテイメント性もさることながら、映し出される「昭和」そのものが揺るぎない「娯楽」だった。 ムショ帰りの主人公(北大路欣也)が、塀の中で知り合った仲間と共に、自身の組が主催する賭場の資金強奪を謀る。 計画は見事に成功するが、そこから報復と裏切りが織りなす容赦ない強奪金争いが始まる。 ハリウッド映画などでは、玉石混交に描きつくされたプロットであるが、それがこの時代の日本映画で、これ程まで娯楽的な完成度の高い作品として存在していたことにまず驚く。 ストーリーテリングのテンポの良さとユニークさ、そして何よりも、登場するキャラクターたちの個性がそれぞれ際立っていて、そのアンサンブルが娯楽映画としての質を高めていると思う。 北大路欣也の決してヒーロー然としてはいない悪党としての男臭さ。梅宮辰夫演じる悪徳刑事の軽妙さと曲者ぶり。そして何と言っても、川谷拓三の泥臭すぎる雑草魂。 最終的に“三つ巴”となって、「金=命」を奪い合う三者のキャラクター性が、俳優本人の個性とも掛け合わさり、特に印象的だった。 匂い立つような昭和娯楽の匂いにクラクラしっぱなしだった。 各種動画配信サービスの普及に伴い、これまでその存在すら知り得なかった“昭和映画”にも容易に触手を伸ばすことができるようになった。今一度、昭和娯楽の真髄を掘り起こす沼にハマっていきそうだ。[インターネット(邦画)] 8点(2021-06-05 14:55:59)《改行有》

19.  仁義なき戦い 頂上作戦 ドン底からの暴力による抗いを描きつけるシリーズ第4弾。 東京五輪を間近に控え、時代が生んだアウトローたちの一寸のカタルシスは、権力と時代の激流により徐々に確実に淘汰されていく。 暴力のカリスマ二人が、極寒の留置所で諦観じみた掛け合いをする様が哀愁に満ち溢れる。 菅原文太、そして小林旭、稀代の映画スターの存在そのものが、今作における圧倒的娯楽である。 いつの時代であれ、暴力団という存在を肯定するつもりは一切ないけれど、敗戦に伴う喪失と屈辱、国全体の貧困と飢えが、彼らを暴力に駆り立てたこともまた事実だろう。 言うなれば、この稀代の暴力映画シリーズの根底にあるものは、この国の覆い隠された生身の姿なのだろうと思う。 だからこそ、ひたすらに繰り広げられるバイオレンス描写と愚かしいヤクザ世界の人間模様に、一抹の滑稽さと多大な娯楽性と共に、どこか拭い去れない侘しさを感じてしまうのだ。 クエンティン・タランティーノをはじめ、世界の映画ファンからも愛される日本のヤクザ映画だが、日本人にとってのヤクザ映画には、時代を越えた特別な感慨がじっとりと染み付いている。 それは、ヤクザ稼業の人種に関わらず、この国のすべての人達がかつて味わった「侘しさ」を思い起こすからだろう。 この「仁義なき戦い」シリーズをはじめ、この国のヤクザ映画が老若男女に愛された理由は、そういうところにあるのではないかと思える。[インターネット(邦画)] 8点(2017-04-22 20:30:32)《改行有》

20.  パララックス・ビュー この映画、冒頭からラストまであらゆる場面でキョトンとしてしまう。「え…?」という絶句に近い反応をしてしまうシーンが連なる。 それは決して安直に奇をてらっているというわけではなく、娯楽映画の予定調和がひたすらに崩されていくことに対しての違和感だと思う。 でもそれこそが、逆接的に「現実」と直結しているように感じられ、ぞわぞわと恐怖感が沸き上がってくる。 「俺たちに明日はない」のウォーレン・ベイティが、野心的でアウトローな記者を演じていて、この主人公が辿る運命の描かれ方には、まさに“アメリカン・ニューシネマ”のムーヴメントの中で生まれた作品らしい辛辣な味わい深さを感じた。 とても“変な映画”であることは間違いないので、ちょっとでもそりが合わなければ、まったく入り込めない類いの作品だと思う。 そもそも主人公の「動機」は何だったのだろうか。 陰謀に対する記者としての使命感か正義感か功名心か、はたまた元恋人(らしい)を殺されたことに対する怒りか、悲しみか。その心情は結局最後まで明確にならぬまま終幕する。 混沌とする主人公と目線を同じくして、観客も陰謀の渦に放り込まれ、そのまま放置された感覚を覚えた。 迫っているようで、迫っていない。迫っていないようで、迫っている。真実は近づいては離れていくの繰り返し。更には、すべては主人公の妄想という可能性も捨てさせない映画的なウマさも孕んでいる。 結局、映画として面白いのか面白くないのかも判別を付け辛いが、総てを突き放すようなラストシーンは「見事」と言わざるを得ない。 本編中盤で映し出される「適性テスト」の映像の錯綜、正体が見えない巨悪の不穏、そういったえも言われぬ心地の悪さを終始覚える。ただ一方では、70年代のアメリカの建築美や様式美が印象的に残る。映画としての完成度以上に、カルト的な魅力が詰まった作品だった。[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-09-17 00:12:57)《改行有》

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