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プロフィール |
コメント数 |
772 |
性別 |
男性 |
ホームページ |
http://blog.livedoor.jp/no_the_war-since2010/ |
年齢 |
43歳 |
自己紹介 |
ブログでは文字数気にせずレビューしています。 併せてご覧ください(^っ^)b
こんな僕ですが父になりました。しばらくは子育てで映画どころじゃありません。じゃんじゃん笑投票なりなんなりしてください。 2015年1月、ついに700レビューに届きました。記念すべき700レビュー目は・・・『ゲームセンターCXザムービー』うっかりしてたぜとほほ
2018年、今年は12本映画館で観れました。つきいちペースは健康的。 |
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1. 自転車泥棒
《ネタバレ》 ラストシーンがいい。やり場のない切なさ。貧乏が憎い。少年なりにおとうちゃんを励まそうとするけど、どうしてよいかわからなく、ただただ手をつないで歩くしかない。その二人の後ろ姿が、みじめでみじめで、だけども切なくいとおしい。
僕自身、どうもひとごとに感じられないのも痛切だ。僕もおやじと二人で、ああやって貧乏に街を歩いたことがあるような気がする。気持ちのいいもんじゃない。自転車を大事そうに整備する少年も泣ける。戻ってきて嬉しかったんだろうな。だけども映画は、自転車が戻ってきて喜ぶ少年のシーンを撮らない。そこがしぶい。
泥棒はよくない!とか、子供の愛は深い!とか、そういう表面的な感想を上回る、もっと大きな社会構造の矛盾、弱者と強者、貧困と幸福、そんなところまで言及している。
映画前半、職を得て、作業着(ダサいつなぎ)を支給され、家でそれを着て奥さんに見せていたときのやりとり、死ぬほどせつねぇよ。やめてくれよ。貧困映画の金字塔。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-23 00:37:45)(良:2票) 《改行有》
2. 晩春
《ネタバレ》 (僕のブログより部分コピペ)照明のあたり具合や、まるで壷から聞こえてくるようないびきの音といったところから、{父∽壷}は明らかだ。そこで僕はDVDを巻き戻して調べた。他のシーンでも壷が写っていないかどうか、そしてそのシーンはどんなシーンなのか。これがあると、もしかしたら壷の真意の手がかりがつかめるのではないか。僕は見つけた。あと1カ所だけ、壷が映り込んでいるシーンがあった。それは、京都の宿屋の初日の朝(つまりあの夜の前)、京都観光の準備をしている父と娘、そこに訪れた父の友人、3人の室内。友人に「なんでまた急に京都旅行にきたの?」と尋ねられたときの父の発言の際。
「ああ、娘が急に嫁ぐことになってね、最後に二人で旅行に来たんだ」みたいなことを語る。カメラは父を正面から捉え、いつものようにカメラ目線でこれを言う。そのとき、父の奥に、こっそりと壷が映っていた。ピントは父にあっているので、奥にある壷はぼやけているものの、それが壷であることはよくわかる。そしてそれしか壷は登場せず、次に登場するのは例の夜。
この時の壷が、意図せず偶然映り込んでしまったものだと言えば、それまでなんだけど、意味を見いだすことも意外と容易だ。つまり、壷は、父をうしろから“覗き見”していたのだ。なにを覗いたかというと、「娘が突然嫁に行くことになったことへの気持ち」である。台詞が台詞だからそうに決まっている。このとき、壷は父の本音を知った。壷は父を反映した。カメレオンが環境に体色を馴染ませる感じに、壷は父に擬態した。そして夜、壷が2度“反映した父として”現れる。
(その他いろいろブログにて)[DVD(邦画)] 9点(2013-01-06 17:32:49)《改行有》
3. 素晴らしき哉、人生!(1946)
いい映画だと思います。けれども本作からちょっと離れて考えてみます。いまこの世の中で、産まれてこれなかった人はたーくさんいるはず。使い捨てられたコンドームの数+中絶件数+α。この子たちがいればこの世は更に良くなっていたのでしょうか?あるいは天国から今のこの世を見て「もし私が生まれていたら(自分にとって)すばらしい人生になるのに!」と思っているのでしょうか?。身近なところで、両親が避妊失敗して兄弟がもう一人いたとしたら、僕の人生はその兄弟にとってすばらしいものなのでしょうか。兄弟がいた人生と、いなかった人生、はたしてどちらが優れているかなんて採点できるでしょうか?。また、その兄弟の兄弟、その友人、そのいとこ、……と、無限連鎖するパラドックスになります。更に、「自分が生まれていなければあの時モノゴトは良いほうに運んだに違いない」ということが少なからず必ずあるはず。劇中、ジョージがそんな自分にとってのネガティブな面を見なかったのはあの天使のおかげなのでしょう。もし悪魔だったら・・・6点(2004-03-28 15:30:32)(良:1票)
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