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【製作年 : 1970年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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2. 惑星ソラリス 《ネタバレ》 ラストの父親は、神の象徴だと思います。(父=一神教の神、というのは一般的)、、、、ソルジェニツィンなどに典型的にみられるように、70年代のソ連では、政治的抑圧の中で、精神性、宗教性にすがるというのが流行でしたから、この映画でも、最後は神にすがっているのでしょう。、、実際、食べかけのリンゴ(=知恵の実)が最初の方にありましたし、最後の方では母親か何かがリンゴをかじっていました。、、、、、また、観念が現象を作り出してしまうというソラリスの環境は、物質が観念を作り出すのだというマルクス主義の唯物論的前提とは完全に対立するわけですから、70年代のソ連にあっては、ずいぶんと刺激的であったはずです。、、、、そうした中で、愛、生死といったものがテーマとなっていたように受け取れました。、、、、、、、全体として、良きにつけ悪しきにつけ、きわめてロマン主義的だと思います。、、、、映像美、叙情性、ロマンティックラブという点は、よい意味でのロマン主義です。、、、、そして声を大にして言いたい悪い点は、すべての人物、出来事が主人公のクリスの主観性以外に基礎づけられていないということです。例えばハリーは、クリスの思いでにのみ基礎づけられた存在で、全く自立しておらず、自分固有の感情も判断もない。、、、だけどそんな人間、実際にいるのだろうか。それじゃあ、アイドルおたくが思い描くアイドル像とかわらんではないか。、、、、、、そういう風に、周囲の世界を自分本位に、自分の感情にのみ従って染め上げようとするロマン主義には、ちょっと待ってよ、と言いたい。7点(2005-03-13 00:10:40) 3. 旅芸人の記録 4時間という時間を無駄にすることなく、この映画を見るには、次の三つのことが必要だと思います。、、1.1937年頃から1952年までのギリシア史の概略的知識、2. 「アガメムノン」の概略知識、3.映画の中で、誰がアガメムノンで、アイギストスで、エレクトラで、オレステスなのかという区別。、、、、特に配役は、最初は、誰が誰だかわからないはずです。映画の中でも、その名前を呼ばれるのはオレステスだけですし、、、。しかし、例えば、最初の方のシーンで、椅子の上で、「父よ世界はなぜかくも美しい」を歌うのはアイギストスであるというのがわからないと、どんどん退屈になってしまいかねません。、、、、また最初の出だしが1952年で、そこにはアガメムノンもアイギストスもいないけど、一番最後のシーンは1939年で、アガメムノンもアイギストスも揃っているということも、一度見ただけではわかるはずもありません。、、、、、、以上、1.2.3を踏まえつつ、これが1975年の作品であること、つまりギリシアは軍政下にあり、ヨーロッパではユーロ・コミュニズムが登場した頃であることを考慮して、見たあとの感想は、、、、、、演劇的空間(=長まわし)を、あまりに見事に映像に表現した作品。そしてなんという歴史やリアリティの存在構造についての卓見!!、、、、比喩的に言えば、消費者である我々が、リンゴ農家にとってリンゴがどのような存在であるかを知るには、別のものでリンゴを象徴させるか、リンゴ農家の日常を詳しく説明するか、いずれかになるわけで、物質としてのリンゴを提示するだけではうまく行かないわけです。何故って、リンゴを見せられると消費者としてのイメージが混入しちゃうからです。、、、、前者の象徴的な技法が、この映画では極めて有効に随所に使われ、そのおかげで、過去の出来事のリアリティに想像的に接することができると思います。(でも個人的には、いまのところ「ユリシーズの瞳」の方が好きです)10点(2005-03-06 13:17:36) 4. ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 ジーン・ハックマン(牧師)の最後、神への訴えは、十字架のキリストに重なって見えました。、、、、私にとっての問題は、牧師の死を、キリストの自己犠牲と解釈し、だからあの6人(=我々)は救われた、と解釈するのか、それとも牧師の死=神の死と捉え、だから、我々は、この先、神の存在しない世界を、自分の意志に従って、誰の助けもなく、一人で生きていかねばならない、と理解するのか、ということ。、、、、淀川さんだったら、前者だというんでしょうね。少女=天使、ツリーを昇る少女=天使の導き、と淀川さんは解釈するわけですから、天使が最後まで生き延びるわけですから、神は死なないことになる。、、、、でもどうなんでしょう。長年連れ添った妻を失った老人、最愛の妻を失った警官、兄を失った姉ちゃんにとって、船外への脱出はほんとうの救いだったのだろうか、彼らはこれから先、神の支えがあるから、生きていけるというのだろうか。、、、、、もしかしたら欧米の人間達は、「そうだ」と即答するのかもしれません。ヨブのように親しいものを全て奪われたとて神は絶対なのだ、ほにゃららみたいに。、、、、、、しかし私個人としては、牧師の死は神の死と受け止められてしまいました。9点(2005-02-09 10:33:17) 5. 1900年 イタリアの農村の風景、農民達の共同性豊かな生活、地方領主の権勢、時代の情景などが、見る側の想像力を強く揺さぶるように伝わりました。どの登場人物も、型にはまらず、生き生きとしてエネルギッシュです。・・・・特にオルモ、アッチラが最後まで印象的。アッチラを見ていると、豊かなものに対する屈折して執拗なルサンチマンが、ファシズムのエネルギーを供給し続けた状況がよく理解できました。アルフレートについては、跡を継承したあたりから、描く方のビジョンが混迷して、躍動感がなくなった印象を受けました。・・・・・ただ、人物達があまりに生き生きと、自分たちの生を全うし始めるので、だんだん収拾がつかなくなり、最後の1時間ほどは、断片的で脈絡が不明な寄せ集めになったのではないでしょうか。特に最後など、農民は祖父達のように静かに眠りにつき、地主は、正義、神の裁きを受けるということを、アンナカレーニナ以来の、鉄道の象徴を使って示したのかもしれませんが、とってつけたようでした。・・・・とはいえ、全体として記憶に残るシーンにあふれていました。例えば冒頭のシーン。脈絡を知らず見ると、アッチラ、レッジーナが哀れに見えますが、4時間後、事情を知った上で、同じシーンに接すると、全く違った感情がわきます。客観的認識とは一体何なのかが問われていたのでしょう。・・・・全体として、私たちが歩いてきた道を、想像力豊かに描いた素晴らしい作品だと思いました。9点(2004-09-21 09:20:23) 6. ひまわり(1970) 丘に広がる墓標、それと一面に広がるひまわりが重なり、花の一つ一つが、戦地に倒れた兵士の生死を表現していると、切々と伝わります。その一人一人に、その死を悲しむ肉親、友人たちがいて、それぞれに重く、悲しい物語がある筈で、このアントニオの物語も、そういう物語の一つなのでしょう。だから、ひまわりという題名がつけられているのだと思います。、、また、東西対立の時代、近代化されたソ連を写せという映像的無駄を甘受しつつ、ソ連ロケを敢行したのも、次に戦争が起これば、このひまわりが、再び血に染まるのだという、反戦のメッセージを伝えたかったからなのでしょう。、、ただ、判断に迷うのは、ソ連の駅での再会シーンです。もし私がソフィア・ローレンであったら、誰の旦那になっていようと、本当に生きていてくれたことが、うれしくて、うれしくて、思わず足の力が抜けて、その場にへなへなと崩れてしまうのではないかと思うのです。、、、だから、ここから先、ストーリーの論理が、戦争から恋愛に断絶的に転化するようで、、、。そこが素直に共感できないところです。7点(2004-08-24 18:14:17) 7. 八月の濡れた砂 最初に見たのは、中学か高校の時だったでしょうか。学校の講堂で、みんなで食い入るように見た記憶があります。、、、、もちろん男子校でした、、、、、。考えてみるとちょっとグロテスクですね。、、、、、内容的には、みたい、やりたい、したい、という意識に支配されている、リビドー爆発的男子の、ある夏の出来事を描いたもので、今からすれば、陳腐だし、セクハラそのものだし、、、、、。ただ、日頃の義務感から解放された、そしてややけだるい、夏の日常の雰囲気がよく表現されているし、また主人公が湘南の海辺をバイクで走っているところとか、70年代の空気が漂ってくるようです。、、、、、テーマは、人間の奥底の情念を描くことでブルジョワ的道徳の欺瞞性を暴露するということだったのでしょうか。あるいは、奥底には、不条理ということもあったのかもしれません。学生ならみんなカミュとか読んでいた頃です。、、、さらに、70年安保が去り、ある種の脱力感が漂う中、政治の季節が終わったということを告げた映画だったという解釈も成り立つのでしょう。日活はこの後、ロマンポルノ路線に突入してゆくことになります。、、、、、、、秀逸なのは、石川セリの主題歌。ラストシーン、テレサ野田の心を歌うように流れる歌は、小さくなってゆくヨットの映像とともにずっと記憶に残っています。そして、この歌が好きだった、今は亡き林美雄さんも。8点(2004-07-15 09:55:42)(良:1票)
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