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プロフィール
コメント数 1274
性別 男性
年齢 43歳
自己紹介 嫁・子供・犬と都内に住んでいます。職業は公認会計士です。
ちょっと前までは仕事がヒマで、趣味に多くの時間を使えていたのですが、最近は景気が回復しているのか驚くほど仕事が増えており、映画を見られなくなってきています。
程々に稼いで程々に遊べる生活を愛する私にとっては過酷な日々となっていますが、そんな中でも細々とレビューを続けていきたいと思います。

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【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  オールウェイズ 《ネタバレ》 同時期に製作された『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』と同じく導く者と導かれる者の物語であり、あちらが導かれる側の視点であれば、こちらは導く側の視点でした。 死んだ熟練者には後進育成の義務がある、死者は生者と直接のコミュニケーションはとれないが深層心理に影響を与えることはできるという本作独自のルールはユニークだと思うのですが、残念ながら面白さには繋がっていないように思いました。 死者と生者という立場の違いを設けることで、若い人間に言いたいことがなかなか伝わらない年長者の苦悩という普遍的なテーマを扱ったものと思うのですが、主人公・ピートがコミュニケーションで悩んでいる様子を見せないために、この要素はほぼ死んでいます。しばしば比較される『ゴースト/ニューヨークの幻』ではコミュニケーションというテーマが掘り下げられていたことを考えると、本作はツメが甘いと感じました。 また、パイロット養成学校への入学時のドタバタや、レイチェルと良い感じになりそうなところでムードぶち壊しの話をしてしまう件などから本来のテッドは残念なイケメンであることが伺え、そんなテッドが逞しく成長していく過程にこそドラマが生まれたはずなのですが、この点もさほど掘り下げられていません。気が付けばテッドはパイロットとして一流になっているし、レイチェルに誘われた時にはダンスを断っていたテッドが、ドリンダと良い感じになった時には逆に誘う立場になっている。この辺りはピートによる指導の賜物という見せ方になっていればいいのですが、何か重要な場面を見落としたかと思うほどテッドが唐突に成長するために、特に感じるものがありませんでした。 ピート・ドリンダ・テッドの三角関係もうまく機能していません。レイチェルとの関係を進展させてやりたくてピートは口説き方や立ち居振る舞いをテッドに指導していたが、事もあろうにドリンダがピートの面影を持つようになったテッドに惹かれるようになった。ピートとしては現世に残した元カノが誰かのものになるなんて受け入れられないが、そうはいっても死者の自分がドリンダを幸せにすることもできないので、最終的にはドリンダとテッドの仲を祝福することにした。これが本来意図された図式だと思うのですが、まずピートがどの程度テッドに影響を与えたのかが不明確であるために、ドリンダがテッドに対して抱く思いに唐突感がありました。また、後進を育てたことが一時的にでも自分の悩みの種になるという因果な物語にもできておらず、こちらの要素も不発に終わっています。 スピルバーグのキャリアを振り返ると師弟関係をテーマにした作品はほとんどなく、天才として20代前半から活躍してきたスピには理解できない分野なのかなと思いました。同様に恋愛映画もほとんど作っていませんが、こちらも不得意分野なのでしょう。スピにとっての不得意が二つも重なってしまった本作は、非常に残念な出来に終わっています。[インターネット(字幕)] 4点(2018-07-17 18:55:53)(良:1票) 《改行有》

2.  ストリート・オブ・ファイヤー ウォルター・ヒルが少年期に好きだったものをブチ込んだ作品ということなのですが、確かにロックにバイクに軍隊上がりの凄い奴と、アメリカの男子の大好きなものが目いっぱいに詰め込まれています。さらには、物語は極めてシンプルであり、敵は同情すべき背景を持たない純粋悪だし、主人公の恋敵は粘着質の嫌な野郎で、理解の簡単な勧善懲悪の物語に徹しています。また余計な陰惨さは与えないよう、誘拐されたヒロインが暴行されたりはしないという青少年に対する配慮もばっちりであり、まさにアメリカの若い世代に全力でアピールした作品であると言えます。 そんなサービス精神満載で制作されたにも関わらず、アメリカではウォルター・ヒルの前作『48時間』の1/10程度の売り上げに留まるという大コケをしており、観客からは完全にソッポを向かれてしまいました。10代しか喜ばないような浅い内容であるにも関わらず舞台は50年代風の街に設定されており、若者を喜ばせたいのであれば世界観が古すぎたし、おじさんたちの懐古趣味に付き合いたいのであれば大人の鑑賞にも耐える内容にすべきだったし、どの観客の方向にも振り切れていない中途半端さが良くありませんでした。 現在の目で見ると、キメキメでやっていることが心底ダサく感じるという問題もありました。私はこの映画の世代ではないためか、冒頭のライブで「おぉ、ダサい」と感じてしまい、そこから先は全部ダメでした。楽曲がダサすぎてダメな場面もあれば、楽曲は悪くないのに演出がやりすぎてダサい場面もあって、基本的にはずっとダサかったです。また、主人公への恋心が募るほどに男勝りな態度に出てしまうサイドキックと、そんなサイドキックの思いにまったく気づかない鈍感なヒーローという図式にも悪い意味で80年代っぽい古臭さがあったし、作風に合わせて当時の若者言葉に寄せた日本語字幕(担当したのは女帝・戸田奈津子さん)もダサさを余計に助長していました。 当時、CEOのマイケル・アイズナーが旗振り役となった「ハイコンセプト(内容を一言で説明できる分かりやすい企画)」により売上を拡大したパラマウントの手法をユニバーサルが真似て作ったのが本作だったのだろうと思います。脚本が悪すぎるという指摘はあったものの、「本作については、脚本の出来は問題ではない」とジョエル・シルバーが言っていたという話からもそうした製作者側の意図は推して測れるのですが、パラマウントがエイドリアン・ラインやトニー・スコットといった高い映像感覚を持つ監督を使っていたのに対して、本作はウォルター・ヒルという泥臭いタイプの監督に任せてしまったことが、そもそものボタンの掛け違いだったように感じます。 さらには、ウォルター・ヒルが監督しているのにアクション映画としても締まりがないという大問題もありました。まず眠たそうな顔のマイケル・パレでは軍隊上がりの凄い奴には見えないし、またウィレム・デフォーは顔のインパクトでこそマイケル・パレを圧倒しているものの、サシで勝負させるとめっぽう弱く、強そうに見えないヒーローが顔色一つ変えずに見掛け倒しの悪党を終始圧倒し続けるというアクション映画では、さすがに面白くなりません。 さらには、暴走族に誘拐されたヒロインが恐怖の表情を見せておらず、このことが救出劇にエモーションが伴わない原因となっています。ダイアン・レインは本作を含む複数作品の不振により一時期は引退状態にまで追い込まれましたが、確かに本作では顔が綺麗なお人形さん程度のパフォーマンスしか見せられておらず、これでは女優としてのキャリアの仕切り直しもやむを得なかったかなと思います。[インターネット(字幕)] 4点(2018-07-09 18:46:08)《改行有》

3.  ザ・フライ 《ネタバレ》 尋常ではなくグロイです。残酷描写には比較的慣れている方なのですが、それでもこれはキツかった。オスカーを受賞した特殊メイクの威力はもちろんのこと、クローネンバーグのグロを見せる才能が本当に凄い。本作と同様の技術を使用した「Ⅱ」と比較すると、監督の手腕がいかに卓越したものであるかがわかります。実験失敗で皮膚がひっくり返ったヒヒや、腕相撲で腕をへし折られるおっさん、出産シーンの巨大ウジ虫等々、そのタイミングの絶妙なこと。来るぞ、来るぞ、と引きつけておいて、ドカンとえらいものを見せる抜群の間。クローネンバーグの手を離れた「Ⅱ」には、残念ながらこれほどのインパクトはありません。また、本作はクリーチャーの描き方も卓越していて、作りもの丸出しなのにキャラクターとしての生命を宿している辺りも演出の妙です。これまた「Ⅱ」のクリーチャーはやたらショボいです。やはり映画は技術ではなく演出なんだなぁと思い知らされました。 本作の脚本はかなり斬新で、オリジナルの『蝿男の恐怖』がただのモンスター映画だったのに対し、本作はモンスターへの変貌の過程を中心に持ってくるという、他に類を見ない構成となっています。しかもメインのテーマは男女の愛情。蝿男の映画を作れと言われて、こんな話を考えてしまうのは世界中でクローネンバーグぐらいでしょう。また50年代のB級ホラーを原作としながらも、科学的にそれらしく感じさせる工夫が多くなされていることにも感心します。無機物の転送はできるが、有機物についてはその構造をうまく理解できず、混乱したコンピューターが蝿と人間の遺伝子を混ぜてしまったという設定は、なかなか上手く考えたものです。サイエンスとフィクションがうまく組み合わされた、見事なSF的発想ではないでしょうか。ハエの生態に近づいていくセスの描写も科学考証を踏まえたものですが、爪が剥がれ、歯が抜け落ち、消化液を吐き出して物を食べるようになるという設定など、本当に細かく考えられています。こうして細かい描写を積み重ねつつも、クライマックスではセスの顔が一気に剥がれ落ち、ブランドル蝿の完全体が現れるという怒涛の展開。この辺りのテンポの作り方も絶妙で、映画的興奮が宿っています。本当にこの人は映画作りがうまいものです。 【2018/6/24追記】 あらためて見返しましたが、やっぱりグロくて感動的。これほど感情表現豊かなホラー映画はその後20年以上経っても類がなく、驚異的な傑作だと思います。 また、今回の鑑賞では2時間に及ぶメイキングも含めてがっつり鑑賞したのですが、クローネンバーグのみならず大勢の関係者が正しい選択をしながら生み出した傑作であることがよくわかりました。未公開シーンを見れば顕著なのですが、実は未使用フッテージが結構ある作品なのです。例えば、生存の方法を探るブランドルがヒヒと猫を使った実験をし、両者が醜く融合したクリーチャーを生み出す場面などは演技的にも視覚効果的にもかなり手が込んでいるのですが、観客がブランドルへの反感を抱きかねないとして完成版からはバッサリ落とされています。同様に、生存したベロニカのお腹にいる胎児はモンスターではないことを暗示する場面も手の込んだ視覚効果を用いて撮影されていたのですが、こちらも同様に削除されています。本筋とは無関係な描写や、キャラクターの個性を誤解させる可能性のある場面はカットし、シンプルに徹した作風が勝因となっているのです。 また、ベロニカ役のジーナ・デイビスに相当な負荷のかかっていた現場でもあったようです。誤作動も多いパペットを用いた撮影にはとにかく時間がかかり、クライマックスの撮影には2週間を要したのですが、泣き叫ぶ演技をしなければならないジーナ・デイビスはその2週間、ずっと泣いていなければならないというかなり過酷な状況を強いられていました。パペットが思い通りに動いた瞬間に「はいジーナ、今泣いて」と言われるような無茶な指示が出ていたこともメイキングには収められており、この完成度の裏側にはキャストとスタッフの並々ならぬ苦労があったことがよくわかりました。[ブルーレイ(吹替)] 8点(2018-06-26 18:21:14)(良:3票) 《改行有》

4.  ビバリーヒルズ・コップ2 『トップガン』での働きをいたく気に入ったプロデューサーがトニー・スコットを監督に迎え、主要スタッフもほぼ『トップガン』のチームに入れ替えられた第二作ですが、分かりやすく派手にが特徴だった当時のスコットの作風が良くも悪くも色濃く反映された作品となっています。前作のレビューにて、見せ場が少なめであることと、英語のスラングを理解できない人には厳しい内容であることを指摘しましたが、続編ではこうした前作のアキレス腱がほぼ解消されていました。 まず見せ場については、カーチェイスに銃撃戦に爆破と当時のアクション映画の見せ場が一通り詰め込まれたフルコース状態となっています。さらには、トニー・スコットの定番カラーであるメタリックな色調で画面全体の見栄えを一新した上に、敵方にモデル出身のブリジット・ニールセンを配置したことで、映画全体の見てくれはゴージャスかつシャープなものになっています。観客の目を楽しませるという点では、本作は大幅なパワーアップができているのです。 なお、ブリジット・ニールセンは前作の制作過程で気まずい関係になったスタローンの奥さんであったにも関わらず、スタローンは広い心で本作への出演を了承。そんなスタローンの寛大さに感銘を受けたドン・シンプソンは、感謝の意を表するためにローズウッド刑事の部屋に『ランボー2』のポスターを貼らせていたというわけです。ただし、そのニールセンは撮影中にトニー・スコットと浮気をしてしまい、本作はスタローンに対して大変な不義理を働くという結果になってしまったのですが。 次にコメディ部分ですが、こちらもアクセルのつくウソの質が変わったおかげで細かなニュアンスを理解しなくても笑えるようになっており、笑いの量は前作よりも確実に増えています。ただしこれには弊害もあって、「さすがにこんなことじゃ騙されんだろ」みたいな大ウソや口からの出任せが劇中ではまかり通ってしまうので、物語のリアリティは著しく減退しています。また、前作にはデトロイトの下町刑事とビバリーヒルズの役人的な刑事の異文化交流的な側面がありましたが、本作ではアクセル固有の要素が強く出すぎてしまい、もはや異文化交流の物語ではなくなっています。[インターネット(吹替)] 6点(2018-06-22 22:27:40)(良:1票) 《改行有》

5.  危険な情事 《ネタバレ》 1987年に公開されたすべての映画の中で世界興収がもっとも高かった作品なのですが、R指定の不倫映画が世界的な大ヒット作になるなど前代未聞の事態。公開当時の空気を知らない私としては「これは一体どうしたことか」と思ったのですが、実際に本編を鑑賞してみると、確かに本作はそれだけの実力のある作品だと感じました。 セクシャルな題材を得意とするエイドリアン・ラインの演出は絶好調。ダンとアレックスの出会いから不倫に至るまでの序盤の流れは王道のラブストーリーとして撮られているし、アレックスがちょっとずつ面倒臭くなっていく中盤のいや~な緊張感や、アレックスが完全に常軌を逸した終盤のショック描写など、そのパートごとに必要な色をきちっと出せています。 また、ストーカーが社会問題化する前に制作された作品ながら、アレックスの人となりもよく出来ています。基本的には常識をわきまえた普通の人間なのだが、ダンに関係することとなると感情がすべての理性的な判断を押さえ込んでしまい、自分自身でも制御が利かなくなってしまう。そして、そんな不安定な状態でしばらくいる内に理性が感情に従属するようになり、衝動的な嫌がらせが計画的な犯行へと転じていくという症状の経過が実にリアルなのです。ドラマはやや荒唐無稽な着地点を迎えるものの、アレックスのキャラクターの作りが良いおかげでリアリティが棄損する一歩手前のところで踏みとどまっているし、その描写の緻密さから社会啓蒙的な意味合いもある作品だと感じました。 難を言えば、性欲の塊にしか見えないマイケル・ダグラスでは、家庭一筋の善良な男に魔が差したという話が成立していないことでしょうか。本作は、遊び慣れていない男が遊び相手のチョイスを間違え、遊び方を間違え(避妊を怠ったり、言っちゃいけない場面で相手を本気にさせる言葉を言ったり)、また遊びの終わらせ方を間違えてドツボにハマる物語でもあり、そのためには真面目一徹みたいなイメージの俳優の方がドラマを具現化できたはずなのですが、マイケル・ダグラスではその点が表現できていません。実は本作はブライアン・デ・パルマが監督する予定だったものの、デ・パルマはダグラスを外さなければ自分が降りると主張。プロデューサーはダグラスを支持して監督がエイドリアン・ラインに交代したという経緯があるのですが、確かにデ・パルマの見立ての方が正しかったように思います。[インターネット(字幕)] 7点(2018-06-18 18:44:42)《改行有》

6.  ビバリーヒルズ・コップ 元はリチャード・ドナー監督×シルベスター・スタローン主演の企画だったものの、まずドナーがフォックスの『レディホーク』を優先して降板し、スタローンもプロデューサーと方向性が合わずに降板。その後、監督としての実績は少ないものの急なスケジュール確保が可能な人材だったことからマーティン・ブレストが、また『おかしな関係』の撮影がちょうど終了するところだったことからエディ・マーフィーが各々代打に選ばれたという経緯があるのですが、アクション映画の経験がほぼなかったエディ・マーフィーに合わせてアクション要素が大幅に削られ、代わりにコメディ要素が拡充されて完成版の形に落ち着いたようです。 また、十分な準備時間を確保できなかったことからストーリーも至ってシンプルであり、脇道にそれたりせず一直線に話が進んでいきます。つまり、アクションもストーリーも最低限度に抑えられ、見せ場はエディ・マーフィーのおしゃべりのみという作品だったわけですが、これが日本人にとっては厳しかった。エディの早口の英語を聞き取れず、もちろんスラングも分からない日本人には、この作品の面白みはほとんど伝わってこないわけです。本作については2種類の吹き替え(富山敬の地上波放映版と山寺宏一の新録版)と字幕版を見たことがありますが、どれもアクセル・フォーリーのセリフの1/3も表現できていないように感じました。そのためかコメディではあるものの大笑いできるような場面は少なく、全盛期のエディ・マーフィーが醸し出す楽しい雰囲気のみで何とか105分を完走できたという状況です。[インターネット(吹替)] 5点(2018-06-18 18:43:56)(良:1票) 《改行有》

7.  背徳の囁き 《ネタバレ》 劇場公開当初からさほど高い評価を受けた形跡がなく、今では映画史に完全に埋もれた感のある作品ですが、汚職警官ものとしてはなかなかよくできた作品だと思います。制作された時期がかなり前なので現在の目で見ると展開の鈍重さ等が多少気になるものの、そうした欠点には目をつむれるほど主題部分は良くできていました。 リチャード・ギアにとって初の悪役ということですが、当て書きかと思うほどギアとデニス・ペックの相性が良く、ギアが本来持つ清廉なイメージとうまく混ざり合うことでペックの多面性がうまく表現されています。「子供を持てばすべてが変わる」という彼のセリフが象徴的なのですが、本来面倒見の良いペックが低い年収で生活苦にある仲間や後輩たちに割の良いアルバイト先を紹介しているうちに、闇の仕事の総元締めみたいになっていったという経緯が推測されます。出発点に悪意はないが、仲間や家族の生活を丸ごと背負うようになったことで、悪の道から外れることが許されなくなった同情すべき背景を持つ悪党として描かれているのです。 他方、アンディ・ガルシア演じるレイモンド・アヴィラは一応正義の側に立っているものの、背負うものを持たない者ゆえの薄っぺらさのある人物として描かれています。こちらもまた、若手の有望株として絵に描いたような正義漢を多く演じていた当時のアンディ・ガルシアのパブリックイメージをうまくひっくり返したキャラクターとなっており、演者とキャラクターとの間での化学反応が起こっています。 アヴィラはキャリアウーマン(死後)の奥さんとのダブルインカムである上に子供も持っておらず、経済的には満たされた生活を送っています。また仲間たちとの交流も少ないためノンキャリアの警察官たちの切実な現状が見えていません。そんなアヴィラですが、ペックからの心理的な揺さぶりを受けると醜態をさらしたことからも伺える通り、彼は根っからの正義漢ではなく、清濁併せ呑まねばならない場面に遭遇したことがない人物が教科書的な正義を唱えているだけという描き方となっています。 結局、ペックもアヴィラも何かしらが欠けた人物であり、どちらが正しいのかについて、監督は答えを出していません。勝ったのはアヴィラだったが、ペックの悪事が暴かれたことで彼の家族や世話していた警察官たちの人生は大きく狂ってしまったはずで、果たしてそのことが正義の執行と言えるのかは疑問です。ペックは尻尾を掴まれかけたために逸脱した行動をとったものの、それ以前の彼は堅気に迷惑をかけない範囲内でうまくやっており、彼が生み出していた均衡を許しておくこともひとつの正義だったのではないかと思います。[インターネット(字幕)] 7点(2018-06-18 18:41:09)《改行有》

8.  アンタッチャブル デヴィッド・マメットによるキレのあるセリフ、持ち前のクセの強い演出を封印して王道の娯楽に徹したデ・パルマの意外な引き出しの多さ、重量級のベテラン俳優と当時伸び盛りだった若手俳優を組ませて化学反応を起こさせたキャスティングの妙と、あらゆる要素がうまく機能した教科書的な娯楽作だと思います。 特にケヴィン・コスナー起用は神がかっており、赴任時の挨拶で初めて顔を見せた瞬間から神々しいまでの爽やかさで、男の私でも目がハートになってしまいました。エリオット・ネス役についてはミッキー・ローク、ドン・ジョンソン、ジャック・ニコルソンに断られた後にケヴィン・コスナーが抜擢されたという経緯があり、デ・パルマは無名のコスナーの起用を渋っていたという話もありますが、その爽やかさなルックスと、コネリーやデ・ニーロとも互角に渡り合う堂々たる存在感で、この大作の顔をしっかりと務めています。スター誕生の瞬間がここまではっきりと映し出された映画は珍しいのではないでしょうか。 ただし、現在の目で見ると多少の難も見つかります。「娯楽作は2時間以内に収めるべし」という不文律があった時代に制作されたためか、本来はボリュームのある内容がかなりコンパクトに詰め込まれており、展開が異常に早くてカポネ逮捕までトントン拍子で行ったように見えてしまっています。 また、せっかく4人で特捜隊を組織したのに設定上あったと思われる役割分担が本筋に反映されておらず、チーム戦としての面白さが追及されていません。 ・ネス:全体戦略の立案。部下が上げてきた作戦を実行に移すかどうかの意思決定。 ・マローン:具体的な作戦の立案。コネと経験を活かした情報収集。 ・ストーン:切り込み隊長。高い戦闘スキルで前線に立つ。 ・ウォレス:ブレーン。立件に向けた証拠の整備。 各キャラクターの得意分野はざっとこんな感じなのですが、ストーンの射撃スキルが活かされる場面が駅での銃撃戦しかなかったり、ウォレスの会計知識に至っては活用される場面が一切なく(カポネ逮捕の理由が脱税という史実とは異なり、暗号化された賄賂の記録を解読できる証人の争奪戦が映画の争点)、途中からは普通に戦闘に参加するようになったりと、キャラクターの動かし方がどうもうまくありません。[インターネット(字幕)] 7点(2018-06-15 18:15:56)《改行有》

9.  ブラック・レイン ちゃんと大阪でロケをしたことや、日本の芸能人を使ったことなど、プロダクション上はめんどくさいことをわざわざやって他のハリウッド映画とは異質のリアリティを築き上げた点は評価できます。こういう映画ってメインの役どころにはちゃんとした日本人俳優を使っていても、隅っこに日本人でも聞き取れない日本語を話す脇役がいることが多いのですが、本作については端役に至るまで日本の芸能人で固めているので好印象です。 ただし、面白い映画だったかと言われるとそうでもありません。リドリー・スコットが監督しているのにキレのある見せ場がないし、当時ありふれていたバディアクションのテンプレートに当てはめて作られた物語には大した面白みがありません(元は『ビバリーヒルズ・コップ2』として書かれた脚本が流用されているようです)。 異文化交流ものとしてもさほど深みがなく、せっかく日本を舞台にしているのだから、NYのはみだし刑事が役人的な日本の刑事に影響されて個からチームへと意識を変えていく話にでもすればいいのに、ニックはスタンドプレーやルール軽視といった姿勢を最後の最後まで崩さないので、基本設定があまり活かされていません。NYで横領していたという原罪をニックに負わせた意味って何だったんだろうかと思ってしまいました。[インターネット(字幕)] 6点(2018-06-15 18:15:04)《改行有》

10.  スキャナーズ 《ネタバレ》 税務上の損金処理の関係で脚本が完成する前に撮影を開始し、かつ2か月以内に映画を完成させなければならないという無理なスケジュールで制作された作品のようで、その生い立ちに起因する粗さは随所に見られます。 人間ドラマはほぼ壊滅状態で、ベイルとルース博士の間の信頼関係や、ベイルとキムの恋愛関係など、本来は描こうとしたと思われる要素がほぼ死んでいます。ついに相まみえたレボックとベイルのやりとりは噴飯もので、レボック「俺はお前の兄だ」、ベイル「そんなもん知ったことか」で式次第通りに開始される超能力バトル。兄を殺さねばならないことの躊躇も、殺した後の後悔もなく「はい、勝った勝った」でアッサリと終わってしまうので、これでは兄弟設定を置いた意味がまるでありません。 ただしそれでも凄いと思うのが、博士が善の超能力者を刺客として鍛え上げて悪の超能力者軍団を追跡させるという、もはやマンガとしか思えない内容を至極真面目にダークに映像化できていることであり、私たちが知らないだけでこういう人たちが実在しているのではないかと観客に錯覚させるような雰囲気もあって、SF映画としては成功しています。『ザ・フライ』でも感じたのですが、生化学や生物学を専攻していたクローネンバーグはサイエンスとフィクションを繋ぐことに非常に長けた監督だと思います。 また、序盤の頭ボーンやラストの血管浮き出しバトルなど映画のキーとなるヴィジュアルを見事ものにできているし、その特徴的な見せ場を登場させるまでの仰々しい雰囲気や演出上の溜めも効いており、効果的なタイミングで物凄いものを見せるという映画監督としてもっとも重要な仕事ができていることには感心させられました。[インターネット(字幕)] 6点(2018-06-09 17:40:35)(良:2票) 《改行有》

11.  ウォーカー(1987) 《ネタバレ》 伝記映画と見せかけつつ、自国の利益のためであれば他国の主権を平気で侵害している80年代当時のアメリカを批判した作品。オリバー・ストーン監督の『サルバドル/遥かなる日々』と同一のテーマを扱った作品ではあるものの、『サルバドル』が強力なドラマ性によって時代に囚われない価値を有していることと比較すると、本作は今見ると古臭さを感じさせられました。 主人公・ウィリアム・ウォーカーは代表的なフィリバスターであり、作品は彼が私設の兵を用いて勝手にソノラ共和国を作った後に国軍により鎮圧される場面から始まります。独特の真っ赤な血糊やスローモーションの使い方がサム・ペキンパーっぽいなぁと思っていたのですが、後から調べてみるとアレックス・コックスはペキンパーの大ファンということでした。 その後、本国で裁判にかけられるも無罪となり、また彼の履歴に注目した富豪から、運河が通ると噂されているニカラグアの政権を取ってこいとの話を受けるウォーカー。彼を引き留めていた聾唖の婚約者もコレラで亡くなり、ウォーカーは再び中米に戻ることを決意します。この通り、序盤の段階でまぁいろいろ起こるわけですが、ここまでドラマ性ゼロ。監督は話を前に進めることのみに専念しており、ウォーカーの心情に触れようという気はビタ一文ないわけです。ソノラ共和国の挫折からウォーカーはどうやって立ち直ったのか、また婚約者の言葉を彼はどう消化していたのか、そもそも彼はなぜ他国への軍事介入をライフワークとしているのかなど気になる点は多いのですが、そこにまったく触れてくれないのでドラマに入り込めませんでした。 中盤以降もウォーカーの心情にはほぼ触れられず総合的には失敗した映画だと思うのですが、他方で司祭のような黒服を着て、銃撃戦の最中でも気にせず大通りのド真ん中をズンズン歩いていくウォーカーの、自殺願望があるんだか神の使いか何かだと勘違いしてんだかよく分からない姿などは妙に印象に残りました。どちらにしてもウォーカーはイっちゃってる人ではあるのですが、これにエド・ハリスが実によくはまっています。常にまっすぐ前を向いてはいるものの、どこに焦点を合わせているのかはよく分からない視線の動かし方や、ほとんど中身のないことを自信タップリに話す様など、信念を持ったキ〇ガイ演技がなかなか堂に入っているのです。 傀儡政権がどうも言うことを聞かなくなったということでこれを処刑して自ら大統領に就任したり、部下の反対にも耳を貸さずに奴隷制を復活させたりと問題行動が目立つようになったことから、ウォーカーは最終的にアメリカ政府からも富豪からも切られるのですが、ウォーカーの人となりは冒頭から何ひとつ変わってはおらず、問題が大きくなるまではこんな異常者を重宝していたアメリカの政府や財界こそがおかしかったのではないかという結論で映画は締めくくられます。時代劇でありながらリムジンやヘリを登場させる場面には、これが現在のアメリカの物語であることを示すための演出意図があったとのことですが、これらの演出がどうにもあざとすぎるように感じました。また、制作時点から30年以上経った今となると、これらのメッセージも古臭く感じられました。[DVD(字幕)] 5点(2018-05-08 19:02:51)《改行有》

12.  愛と哀しみの果て 美しい撮影や壮大なロケーションに支えられた重厚長大な時代劇。オスカーを獲るために作られたんじゃないかと思うようなザ・ハリウッドな作品であり、その思惑通りに同年のアカデミー賞では主要部門を独占したのですが、これが名物に旨い物なしみたいな仕上がりとなっています。 冒頭から確かに見ごたえはあるものの、まったく心に刺さらない時代劇がダラダラと長時間続くわけです。見ていることがここまで苦痛に感じる作品も久し振りであり、最後まで完走できた自分が誇らしくなりました。 あと、邦題がおかしくありませんか?確かに愛も哀しみもあったけど、それがすべての映画でもないような。[インターネット(吹替)] 2点(2018-03-24 03:12:16)《改行有》

13.   良い評価も悪い評価も与えられる作品であり、鑑賞の度に評価が変動しそうで点数をつけづらいのですが、今のところはどっちつかずの6点とさせていただきます。 古典を原作としていることの弱みがドバっと出た作品であり、現在の目で見ると突飛な展開、薄っぺらな人物描写が気になりました。特に次郎の動きは理解や共感が困難であり、兄嫁に簡単に篭絡させられ、その操り人形となって今の妻を殺そうとする展開などはもう少し説明が欲しいと感じました。そもそも『リア王』を知っていて物語を脳内保管することが可能であり、「うまく換骨奪胎したものだ」という目で見ることができる客層からしか支持されない内容であり、シェイクスピアに馴染みのある欧米で高評価を受け、逆に日本では不評だったという現象にも納得がいきます。 なお、映像の迫力や美しさには素晴らしいものがあり、芸術作品としてはハイレベルです。色分けされた軍勢が織りなすマスゲームの美しさ、本物志向で建てられたオープンセットの説得力、そしてそのオープンセットを豪快に燃やしてしまうという気前の良さなど、画面で起こることすべてに見ごたえがありました。ハリウッドならば中規模作品に分類される予算でここまでの映画を撮りあげた黒澤明の手腕には圧倒的なものがあり、うまくお金を使うことも映画監督の才能のひとつなのだということがよく分かります。[インターネット(字幕)] 6点(2016-11-09 13:11:20)《改行有》

14.  グレート・ウォリアーズ/欲望の剣 《ネタバレ》 奪われたお姫様を王子様が救い出す物語。そんな古典的な題材であっても、バーホーベンの手にかかるとグログロバイオレンスに早変わりします。「中世なんてメルヘンの世界じゃなかったんだぜ!」という御大の熱い主張がビンビン伝わってくる120分。毎度のことながら、この強烈な作家性には敬意を覚えます。 誘拐されたお姫様は古城に幽閉(無傷で)…なんてことが現実にあるわけなくて、本作のお姫様は容赦なく輪姦されます。そのお姫様もお姫様で、貞操を守ろうと必死で抵抗するのかと思いきや、賊の首領に積極的に接近し、身の安全を確保しようとします。これを悪女の振る舞いと見ることもできますが、お姫様のメンタリティなんてそんなものでしょう。彼女達には自由恋愛などなく、家が決めた相手であれば、どんなにキモかろうが、おっさんだろうが、そこに嫁ぐしかない運命にありました。本作のシチュエーションにおいては、アグネスもまた最も高く売れる相手に対してわが身を売った。それだけなのです。こうした、本作の突き詰められたリアリティには感心します。 描写はグロの極みをいきます。頭をカチ割られた尼さんがおっぱい(ついでに陰毛も)丸出しでもんどりうったり、王子様とお姫様が腐乱死体の下で永遠の愛を誓い合ったり、王女様が輪姦される場面では、腰の動きに合わせて少年が太鼓をトコトコ叩くといういやらしい演出が入ったりと、いちいち神経を逆撫でするバーホーベンの過剰演出は、史上最高レベルに達しています。 さらに、その上をいくほど過激なのが、極限状態で露わになる人間性の醜さで、当初は美男美女だった王子様とお姫様の人相がどんどん悪くなっていきます。偶然起こったことを手前勝手に解釈し、悪事を正当化するという信仰の問題点や、その信仰を自分の目的のために利用する人間が現れるなど、本作の指摘は多岐に及び、かつ、深いです。 そんな業にまみれた物語でありながらも、主要登場人物は一人も死なず、それぞれがあるべき場所へ戻っていくというラストには妙な爽快感がありましたが、これには、続く『ロボコップ』にも通じるバーホーベンの人生哲学を感じました。『ロボコップ』では数人の悪党が成敗されただけで、オムニ社という巨悪はほぼ無傷で生き残ったし、マーフィの人権問題も有耶無耶にされたまま終わりました。結局のところ、物事は解決しないまま終わるのだということがバーホーベンの人生観のようです。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2015-09-08 16:05:03)《改行有》

15.  炎628 冒頭、二人の少年がドイツ兵の銃を掘り出すところから、何とも言えない不気味な雰囲気が漂っています。題材や内容のショッキングさも然ることながら、全体に渡って訳のわからんアクがあって、人の心に残る強い映画だと思います。 とはいえ、ヨーロッパ映画特有のよく分からない場面や、冗長すぎる描写が多々あって、特に前半は退屈させられました。俳優もオーバーアクト気味で、素晴らしい部分以上におかしな部分が目立っていました。 後半は主人公の少年の地獄巡りとなりますが、祭りみたいな大騒ぎをしながら人を殺しまくるドイツ軍は山賊か何かにしか見えず、もはや軍隊の有り様ではありませんでした。この辺りの極端なデフォルメも、歴史映画としての魅力を低下させる原因となっています。 なお、ドイツ軍が民間人にまで手をかけざるをえなくなった理由の一端は、ソ連にありました。モスクワ政府はドイツ軍の後方攪乱のためにベラルーシで赤軍パルチザンを結成しましたが、こうしたゲリラ作戦をとられてしまうと、ドイツ軍は正規軍以外の民間人も敵と疑わざるをえなくなります。本当に自国民が大事であればゲリラ作戦はとらないのですが、ソ連は民間人を戦争に巻き込んでしまう作戦を選択したわけです。さらに、ドイツ軍の現地調達手段を断つために焦土作戦もやっており、人命軽視はソ連側の方が酷かったくらいです。 また、本作が制作されたのは1985年ですが、その後にソ連が崩壊し、第二次世界大戦の東部戦線では、ソ連軍もかなり酷い虐殺をやっていたことが判明しています。東部戦線は共産主義vsファシズムの戦場であり、共産主義を嫌ってドイツに味方する人々も少なからずいました。特にウクライナは国を挙げて反共の姿勢を示しましたが、ドイツ敗走後、ソ連はそうした人々を許しませんでした。まさに、本作でドイツ軍がやったとされるような蛮行をソ連軍は行い、略奪や強姦はかなり酷かったと言われます。 映画ではドイツ軍のみが悪とされていますが、それを額面通りに受け取ったのでは戦争の恐ろしさの一部分しか理解できていないことになります。特に、東部戦線で起こったことに対しては誤った理解をすることになるため、本作は危険性の強い作品だと言えます。世界的に評価の高い作品であることは知っていますが、私としては作品のあり方に疑問があるため、低評価とさせていただきます。[DVD(字幕)] 4点(2015-08-15 02:23:38)《改行有》

16.  レインマン 《ネタバレ》 昨日まで存在すら知らされていなかった兄に親の金融資産をすべて持って行かれ、さらにはチャーリーが触ればマジギレされていた父親の愛車で運転を教わっていたというレイモンドの思い出話に、チャーリーは憤ります。それは、アテにしていた遺産を相続できないという現実問題に加えて、父親との関係が悪かったチャーリーにとって、自分が得られなかった親の愛情がレイモンドに注がれていたのではないかという嫉妬心によるものですが、物語の後半において、二人は似た境遇であったことが明かされます。元々、レイモンドは実家で育てられていたものの、チャーリーの誕生により幼い弟を傷つける恐れが発生したことから、病院へと隔離されました。弟すらその存在を知らなかったという事実が示す通り、レイモンドという人物は半ば葬り去られており、父親が遺産のすべてを彼に相続させたのも、レイモンドが人生を終えるまでの面倒を赤の他人に見させるための前払金としての意味合いが強いものでした。二人とも、親から捨てられた子供だったのです。 その事実が判明して以降、レイモンドに対するチャーリーの態度が一気に軟化します。この辺りの導線の作り方は見事なものだと感心したのですが、一方でクライマックスは感動の押しつけが酷すぎて、少々うんざりさせられました。あれだけ自己中だったチャーリーが兄弟愛とヒューマニズムに目覚め、兄を引き取りたいと言って医者とケンカをするのですが、さすがにこれはやりすぎ。私にも自閉症の親戚がいるので多少は現実が見えていますが、自閉症患者と過ごしてあのような感情に至ることはまずありません。自閉症を患う身内がいると本当に大変で、愛情とか愛着以前の問題として、家族全員の日常生活に大きな支障が生じます。 当初の構想ではダスティン・ホフマンがチャーリー役で、ロバート・デ・ニーロかジャック・ニコルソンをレイモンド役にと考えられていたようなのですが(それはそれで見たいかも)、紆余曲折あってトム・クルーズが参加したことから、新境地開拓に挑むベテラン俳優と伸び盛りのアイドルスターの共演作となり、作品に幅ができました。怒鳴ってばかりで不快感を抱かれかねないチャーリーも、トムが演じたおかげでギリギリ観客から受け入れられる人物となっているし、現在あらためて見返すと、オスカーを受賞したホフマンよりもトムの活躍の方が目を引きました。[DVD(吹替)] 7点(2015-08-11 01:39:42)《改行有》

17.  戦場のメリークリスマス 日本人監督が撮ったとは思えないほど日本人キャラクターが薄っぺら。帝国軍人として一般に連想されるまんまの人物が出てきます。本作の4年後にスピルバーグが作った『太陽の帝国』の方が、まだ日本人キャラクターに奥行きがあり、ステレオタイプ化を避けようとする努力が見られました。しかも、切腹やら武士道精神やら、外国人が関心を示しそうな要素を前面に押し出していることもマイナスで、西洋文化と東洋文化の衝突というテーマを扱う割には、文化の比較方法が表層的で感心しません。だいたい、切腹なんて明治時代にはとっくに廃止されていて、以降は一部の高級士官がパフォーマンス的に切腹することは稀にあっても、軍隊内の処分として切腹を命じるなんてことはありませんでした。監督は象徴的な意味合いで切腹を出してきたのでしょうが、世界市場を意識した歴史もの映画なのだから、こういう大きなウソをつくことは好ましくありません。 また、録音が悪いため、セリフが聞き取りづらかった点もマイナス。日本人キャストのセリフすら分かったり分からなかったりの状態であり、カタコトの日本語を話すローレンス中佐(安倍晋三似)なんて、何を言ってるんだかほとんど聞き取れません。字幕スーパーがつく英語パートがオアシスに感じました。 評価できるのは意表を突くキャスティング。勝新太郎と監督が対立したからビートたけし、沢田研二のスケジュールが合わなかったから坂本龍一、ロバート・レッドフォードに断られたからデビッド・ボウイと、出演したのは当初意図されていたキャストではないのですが、プロの俳優に断られたから、ならば他ジャンルの巨人達を集めてきて主要キャラクターを演じさせるという思い切り。監督のこの判断は神がかっていたと思います。ビートたけしも坂本龍一も演技はうまくないのですが、それぞれの生きるジャンルではトップを走っているという、そのカリスマ性は映画にきちんと反映されています。各キャストの不得手を隠そうとするのではなく、のびのびとやらせて各々の強みを見せる。素晴らしい演出だったと思います。さらに、主要3人の不安定さを補うために配置されたローレンス中佐役のトム・コンティの縁の下の力持ちぶりも見所です。主要3人とは違って地味。一応はタイトルロールなのに見せ場も与えられずほとんど印象に残らないという損な役回りではあるものの、そのポジションを堅実に守りきっています。[DVD(邦画)] 5点(2015-07-29 17:59:52)《改行有》

18.  ザ・パッケージ / 暴かれた陰謀 《ネタバレ》 『野獣捜査線』『刑事ニコ/法の死角』等アクション俳優との仕事が多かったアンドリュー・デイビスが、渋い大人のキャストを得て作り上げたサスペンスアクション。後の傑作『逃亡者』へと繋がる要素が多く、彼の演出スタイルを確立する上での重要作であったことは伺えるのですが、映画の出来自体は大したものではありません。。。 米ソの歴史的和解を拒む軍産複合体による大規模テロを背景とし、殺人の濡れ衣を着せられた主人公の逃走劇と謎解きという、たいそう面白そうなお話であるにも関わらず、これがイマイチ盛り上がりに欠けます。主人公の行動は自分の身を守るためなのか、それとも軍人としての大義のためなのかが明確に描写されないため、感情移入が難しいのです。主人公を演じるのはジーン・ハックマンですが、オスカー受賞で名優と持て囃されたのも今は昔、本作製作時は低迷期にあり、『追いつめられて』や『カナディアン・エクスプレス』等、同傾向の映画に出演しまくっていました。本作もそんな雇われ仕事のひとつに過ぎず、肩に力の入らない演技で映画のテンションを下げまくっています。軍縮会議場警備に失敗しても、護送中の囚人に逃げられても、自身に殺人容疑がかけられても顔色ひとつ変えず、常に余裕の表情。その貫禄には素晴らしいものがありますが、巻き込まれ型サスペンスでこの安定感は不要でしょ。他方、当時無名に近かったトミー・リーは、少ない出演時間ながらなかなかの存在感を披露しています。おしゃべりで気の良さそうな男から一転して、口数の少ない殺し屋の本性を現すという演技の振れ幅も素晴らしく、後の大スターの片鱗を見せつけています。[DVD(字幕)] 4点(2014-08-27 00:26:47)《改行有》

19.  ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 《ネタバレ》 学生時代にDVDを購入したものの、あまりにチンタラした展開についていけずに1時間で鑑賞を断念(ファンの方、ごめんなさい)。その後、10年以上ほったらかしになっていたのですが、今回、腹を決めて4時間の長尺に挑み、無事、完走いたしました。。。 で、感想ですが、やっぱり長いです。長すぎです。勝手に短縮版を作成し、これを全米公開版としたアーノン・ミルチャンの気持ちがよくわかります。長尺が悪いと言っているわけではないのですが、本作については、内容に見合った尺ではなかったと思います。叙情的と言えば聞こえはいいものの、ひとつひとつの場面に妙な間があり、そうした動いていない時間が積み重なって長尺となっているのです。相当体調の良い時に見なければ、確実に寝落ちします。。。 また、全体のレイアウトもおかしいと感じました。映画は突然はじまり、冒頭30分は何が起こっているのかわかりません。よくわからないが、どうやら主人公・ヌードルスが大変な事態に陥っているらしい。この冒頭の引きの強さは素晴らしく、残りの3時間近くをかけて、ここに至る物語が描かれるのだろうと思っていたですが、肝心の本編は、このネタふりとうまく整合していません。ヌードルスがヤクザから命を狙われるに至った経緯はアッサリとスルーされてしまうのです。どうやら、ヌードルスがヤクザの逆鱗に触れてしまったことは映画における重要な要素ではないようなのですが、ならばなぜ、冒頭にあのシーンを持ってきたのかの理解に苦しみます。冒頭のネタふりは、主題と直結したものであるべきです。。。 論争の的となっているオチについても同様。ヌードルスの初登場シーンは阿片窟であり、本編の終わりには再び阿片窟に戻る。つまり、結末と冒頭はループしており、通常の映画文法であれば、これは主人公の妄想でしたというオチと解釈できます。しかし、本編には若き日のヌードルスが知らないはずのカラーテレビや60年代仕様の自動車が登場しており、こうしたテクノロジーの齟齬に着目すれば、本編を夢オチと捉えることはできなくなります。この辺りの処理のマズさは気になりました。[DVD(吹替)] 4点(2014-08-15 01:14:14)(良:1票) 《改行有》

20.  ソフィーの選択 《ネタバレ》 純朴な青年がほろ苦い大人の恋愛を垣間見て成長するというオーソドックスな青春映画なのですが、そこに壮絶なキ〇ガイ演技を絡めることで、相当にインパクトの強い作品となっています。なかなかブレンドの難しい素材だったと思うのですが、これを違和感なくまとめてみせたアラン・J・パクラはさすがの手腕を見せています。。。 物語の成否は、主人公・スティンゴの行動をどう合理的に説明するかにかかっていました。ソフィーとネイサンは、常人ならば絶対に関わり合いになりたくないカップルです。決して変わり者ではないスティンゴが、そんな彼らと深い親交を結ぶに至る経緯の説明は困難だろうと思うのですが、映画は、その辺りを実にうまく処理しています。ある時は強引に連れ出され、ある時はプレゼントで友情を示され、そのうちにスティンゴはこの三角関係の一員になるのですが、その過程にまるで違和感がありません。出色なのは、ヤれると思っていた女の子とヤれずに悶々としていたスティンゴが、その代わりに、あわよくばソフィーとヤれればと親切な男ぶって話しているうちに、思いがけず彼女の壮絶な過去を聞いてしまうという件。ここから物語は核心部分へと突入していくのですが、正義感や人道主義ではなく、男のスケベ心をその発端とした語り口は面白いと感じました。。。 ホロコーストが主題となる後半パートは、見事な出来だった前半と比べるとイマイチでした。ナチスシンパの父親の元で育ち、その後は一転してレジスタンスの男と交際してアウシュビッツに送られたというソフィーの半生は波乱万丈すぎて作り物感全開だし、収容所のドイツ人達は鬼畜すぎて、かえって生々しさから遠ざかっています。どうすれば普通の人間が殺戮者へと変貌するのかという点までを考えて人物造形がなされていた『シンドラーのリスト』と比較すると、本作のアプローチは表面的すぎて訴求力に欠けます。。。 メリル・ストリープの演技はとんでもないことになっています。業を背負いぶっ壊れてしまった女を、押しの演技と引きの演技を巧みに使い分けながら完璧に演じています。うますぎて嫌味に感じてしまうほど。ただし、魅力的な年上美女というソフィーの設定をストリープが具現化できているかという点には、少なからず疑問符がつきますが。容姿やエロさまでを考慮すると、同年のオスカーを争ったジェシカ・ラングの方が役柄にマッチしたように思います。[ブルーレイ(吹替)] 6点(2014-07-30 21:04:03)(良:1票) 《改行有》

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