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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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2. 2012(2009) 《ネタバレ》 ローランドエメリッヒ監督の過去の作品を列挙すれば分かることだが、 全体的に「極限状態での人間」を力点に置いた映画作りが多い。 本作もしかり。監督の伝えたいメッセージはシンプルで、 「極限の状況に追い込まれてもなお人間に残っているモノは何ですか」 「生きることよりも大切なモノはありますか」 という問いだと思われる。 妥当な解答は愛とか家族とか希望であることは、この映画を見なくとも簡単に想像できる。 これは人間の尊厳であるが宗教的な価値観が多分に含まれる内容でもある。 しかし終末が近付くにつれ現代にはびこっている幻影はことごとく打ち砕かれるのだが、 なんと驚くことにこの幻影の中に一般的な宗教観の「神」が入っており、 逆に幻影かと思われていた「現代社会」が幻影ではなく最後には人類に救いと希望を与えたのである。 ここである論理的な思考をしてみる―――。 もしある宗教的な教義が世界的に実践されていたならば、 現代の科学力は間違いなく質素だと思われる。 宗教的な神を否定してたアインシュタインの相対性理論は生まれず、 その影響と功績で確立した量子論や素粒子物理学も実用性は皆無であったはず。 言うなれば現代のIT社会は訪れなかったのである。 となると2012年で起きるカタストロフィは映画のようには回避することができず、 人類滅亡は必然であり換言すれば「神が望んだ」シナリオそのものである。 しかし映画では宗教の英知を包み込んだ人類の英知が神の作った宿命を跳ね除けたのであった。 だから私はこの映画を見て「神は死んだ」とニーチェの言葉が喚起され、 願わくば映画の最後で「夢オチ」に似たフィクションの中のフィクションを求めたが、 監督はこれまたニーチェのように「力への意思」を訴え、 「徹底的に運命を受け入れ今ある生を肯定せよ」と「超人」になることを観客に提示するのであった。 人類滅亡の危機を神に救われることなく自力で生き抜いた人間達の宿命は、 究極の自己責任のもとで希望ある未来を創造することではなかろうか。[映画館(字幕)] 10点(2009-12-06 09:23:33)《改行有》 3. マイケル・ジャクソン/THIS IS IT 歌がうまい人は沢山いる。ダンスがうまい人も沢山いる。 しかし彼ほどの天性の「魅せるスター」はいない。 「THIS IS IT」は公共の劇場で観ることによってマイケルが目指したライブを疑似体験できる趣きがあった。そのため自宅での観賞はナンセンスであることを付け加えたい。[映画館(字幕)] 10点(2009-11-07 10:02:14)《改行有》 4. 仏陀再誕 映画は批判はでなく他者への想像力を試されるモノだと私は思っている。 共感できぬのならそれでいい。理解できぬのならそれでいい。 神を知るより人を知ることのほうが困難なのだから。 だから深く思慮せよ。浅はかな物言いは災いの元になる。 人を知る者は神だけだが、神を知る者は大勢いることを忘れてはいけない。[映画館(邦画)] 5点(2009-10-25 08:46:14)《改行有》 5. ザ・ムーン 始まり―――世界は母の胎内だった。そして生まれ出て世界が家になった。 歩けるようになり外に出ると世界が町になり国なって、最後は世界が地球になった。 現在大多数の人類の世界は地球。それより大きな世界を体感してきた者はごく僅か。 言うなれば彼らは世界が宇宙まで拡張した「新人類」たち。 彼らから見たら地上しか知らない人類は鳥かごの中の小鳥のようなものかもしれない・・・。 ――私は願う。 この先誰もが宇宙空間に飛び立ち、全人類の世界が宇宙に広がることを。 そして世界が地球だった私達の頃よりも大きく進歩した明るい未来を。 そんな可能性を与えてくれる宇宙。――この世は美しい。[DVD(吹替)] 10点(2009-07-02 01:37:40)《改行有》 6. 死ぬまでにしたい10のこと 私は彼女の行動に共感できない。それは至極当然だ。 なぜなら彼女は死を受け入れたことで「本物の」いち個人として生きているから、 誰であっても彼女の本物の魂を触れたり汚す事が出来ないのだ。 第一共感なんて言うモノはこの先「独りで」死に行く者とって何の意味があろうか? 世間で言う道徳とは生きる者にとっての道であり、死に行く者にとっては懐かしい道である。 本物の道徳とは、己にとってのただひとつの正しい道である。 その道が世間とズレているならそんな世間など無視をすればいい。 なぜなら世間に正しいも間違いも無いからだ。 私は私の「正しい道」を進む。そうすればこの世は悪くなんかならない。 人間とはそういう存在だと私は信じている。 人はみな違う。この当たり前の事実が真理として輝くのは己が死ぬときだ。 ある意味人生とは協調と妥協の中で生きる宿命を負わされている。 そんな中で自我の輪郭はボヤケ「自分とは何か」とゆう愚問に人は陥る。 死とはそんな自我を確立させる力であり、唯一の私だけの真理なのである。[DVD(字幕)] 5点(2009-05-09 18:04:37)《改行有》 7. GOEMON 前作「CASSHERN」はよくも悪くも前衛的過ぎたため万人に薦められる映画ではなかった。 しかし「GOEMON」は見事なまでに一級の娯楽作品に仕上がっている。 まず前作では音楽の使い方が漠然的で浮いていたが、本作は映像と音楽の調和がとても素晴しく、驚嘆するほどダイナミックでドラマチックな作品になっている。 そして物語の展開が一本調子ではなくなりカットのタイミングや場面切り替えが絶妙で飽きさせない。 映像も情報量が増えたことにより立体的になり、衣装や美術の奇抜さも相まって映画としての重厚感が増した。 そのおかげでケレン味な演出にも説得力が増し、独特の世界観を見事に構築しきっている。 CGはリアルさを追求するのではなく表現や演出を第一に作られており、それゆえ大資本ハリウッド映画に劣らぬ先進的で個性的な映像を生み出している。 映画に流れるメッセージ性は有史以来人類が逃れることの出来ない因果に真っ向から立ち向かい観る者に訴えかける。 これは前作「CASSHERN」と同じく業(カルマ)に対する足掻きであり、その主張は解脱への道を示しているかのようで興味深い。 ある意味紀里谷ルックな独自の映像よりもこの変わらぬアジア的な?哲学に深く感動したのであった。私にとってこれほどカタルシスを強く感じた映画は滅多に御目にかかれない。 監督2作目にして己のもったオリジナリティ、ビジョンを崩すことなくここまで作品のレベルを正統進化させた人は珍しい。今後目の離せない日本を代表する映画監督が誕生した。[映画館(邦画)] 10点(2009-05-01 22:57:14)《改行有》 8. イントゥ・ザ・ワイルド 人は知りえぬことを勝手に解釈し構築する生き物。 現代の情報化社会はそのことに無自覚な人を生み続ける。 荒野を知らずに荒野を語るべからず。 私はこの映画を観てなに不自由なく生きている自分はなんと無知で傲慢かと思い知った。 彼の言行は現代人が放棄した真理の一端を垣間見せる。[DVD(字幕)] 10点(2009-04-14 22:46:30)《改行有》 9. ドーン・オブ・ザ・デッド 本作を劇場で見たとき、あまりの恐怖とスピード感そして問答無用のアグレッシブなゾンビ達に度肝を抜かれ、気が付いたら映画が終わっていたほどとてもエンターテイメント性に優れた傑作だった。 たしかレーティングはR-15だったはず、はたして地上波でノーカット放送できるのかと見てみれば、 あらゆる残酷描写をピンポイントでカットしてあるために編集が破綻しており目も当てれぬほどの酷さであった。 これは大袈裟でなく映画、芸術に対する冒涜だ。 まあ、放送したテレビ側の理由や言い分はだいたい想像付くが、それならば映画の冒頭なのでことわりの一文でも添えるべきであろう。 よって点数は劇場で見たオリジナル版でつけるのが道理である為、 ここではテレビディレクターカット版『ドーン・オブ・ザ・デッド』は除外する。 私はこれに懲りて二度とCMを挟んだ映画は見ないだろう。[地上波(吹替)] 10点(2008-10-23 23:41:00)《改行有》 10. スカイ・クロラ The Sky Crawlers 無駄のない展開と強いメッセージ性、そして地上の閉塞感(静)と空の開放感(動)との映像の緩急は見事だ。 音響も素晴しく、スカイウォーカーサウンドの緻密にして繊細なサウンドデザインは、その場の空気を感じさせる。 とくに、日常の些細な物音や環境音などの録音が素晴しく、アニメ空間にリアルを描き出していた。 声優陣も素晴しく、スイトは他を寄せ付けない圧倒的な存在感があり、ユーイチはどこか傍観者的で無垢な感じがうまく出ている。 とくにトキノとミツヤの声はキャラクターとのズレを微塵も感じさせなかった。 川井憲次の音楽も素晴しくハープの調べは観る者の情感を強く刺激し、オルゴールの旋律は無機的で、何ものにも制約を受けない絶対的な摂理のようである―――。 【最後に】 スカイクロラを系列の違う劇場で三度見たが、とても残念なことがあった。 それは画面(映像)が縦に揺れる(ブレる)のである。原因はフィルム焼付け精度の低さ。 出回っている全てのプリントがこのような粗悪品ではないと思うが、 ブレの強弱を抜きにしても、どのプリントもこの傾向はあるに違いない。 この現状を何より遺憾に思うのは監督を含め、作品に関わった人達であろう。 演出上、カメラをフィックスで長回しが多いこの作品にブレは致命的だ。 このような事からスカイクロラは、ブレの心配の無いDLP上映が望ましいのだったのだが・・・。[映画館(邦画)] 10点(2008-08-03 02:39:08)《改行有》 11. スピード・レーサー また新たなる歴史に残る作品が生まれた。久しぶりだ、これほどミラクルな作品を体感したのは。まさにファンタスティック!! 世界の映像クリエーターが驚嘆と嫉妬する映像を生み出したウォシャウスキー兄弟に賞賛を贈りたい―――。 私は原作を知らないが、現代において「スピードレーサー」のストーリーや設定はいたってシンプルである。 即ち、この映画を普通に撮ってしまったらとても緩慢な作品になることは予想できる。 そこでウォシャウスキー兄弟は、原作のエッセンスを脳内のルツボに垂らし、 そこから抽象的なビジョンを抽出、映画という媒体に収めるべく具現化した。 いわゆる、イメージをCGを使って表現できる数少ない天才である。 ここで着目するのは、彼らの想像力は既存の枠に納まっていない事である。 ものごと何でも、限度の枠が有るほうが収拾が利いて楽なのである。 それがデジタル化時代に入って曖昧な枠が消え去った。 CGの可能性は無限になり、その中で未開の地を開拓するウォシャウスキー兄弟の偉業はとても大きい―――。 絢爛豪華なビビッドな色彩と光の軌跡は、もはやアートの境地。既視感は何ひとつ無かったのではないかと思えるほどオリジナルティに溢れている。 編集も秀逸で、玩具を組み立てるように様々な素材のピースを巧みに繋ぎ合わせ、しっかりとある一点に収束させている。 その中でも特筆すべきは、映像のカットやエフェクトに普通場面転換等に使われるスライドトランジションを多用、未知のリズムと軽快なテンポを生み出したことであろう。 それらが醸しだすコミカルな展開とスピーディーな映像はこの題材に見事に調和している。 めくるめく刺激のオンパレードに陶酔しながらも、笑い・信念・葛藤・愛がしっかりと描けているのにも脱帽だ―――。 圧倒的な情報量の多さから何度も楽しめる映画「スピードレーサー」。 それ故に思うことは、この映画の幹である数多の作り手の意図や思慮を僅かしか計り知れないことである。 「マッハGoGoGo」は日本の大切な遺産である。 これを時代を経て、国の違う人たちが「スピードレーサー」として蘇らした。 鑑賞後、この事が一番の意義あることの様に思え、深く心を打たれた。[映画館(字幕)] 10点(2008-07-06 10:36:30)《改行有》 12. サンシャイン 2057 見るもの全てが奇跡のような現象であり、 生命を否定しているかのような深い闇のなかで、 母なる地球から離れたヒトは、 何を想い太陽へ向かうのか・・・ 宇宙空間とは、地上にいる人間の既成概念では計り知れない場所だということを前提にこの映画は見るべきだ。 [DVD(字幕)] 10点(2007-12-13 14:34:24)《改行有》 13. ボーン・アルティメイタム 文句なしの10点満点。ほとんどの人が前作の「スプレマシー」を超えたと判断するだろう。(私は前作のほうが好みだったが)まさに徹頭徹尾抜かりのない作品に仕上がっている。特にボーンシリーズファンにはたまらなく楽しめる映画だ。「アルティメイタム」はそういう意味でも前2作を観てからの観賞をお勧めする。 ―――グリーングラス監督の卓越した演出力は健在で、畳み掛ける映像と音で観客の目を引きつけ離さずグイグイと映画に引き込む。これがとても手馴れなのは、ひとえに映画の質を支えるカメラマンと編集マンが前作の「スプレマシー」から変わっていないのも上げられるだろう。音楽のジョンパウエルも続投しているのでシリーズとしての一貫性があり安心して楽しめる。そしてジェイソンボーンの頭脳プレイは本作の見所であるが、これがとてもよく練られボーンの非凡さを遺憾無く発揮している。様々な小道具や美術セット等を応用した攻防はドラマを大いに盛り上げ、アクションシーンは見せたいショットが明確になり、それを軸に素早くカッティングされ前作よりも成熟されている。カメラの高速ズームイン/アウトの使い方も上手く、シーンのテンポが上がり良いスパイスになっているのも見逃せない。特筆はグリーングラス監督のお家芸でもある、カメラと役者の間に遮蔽物を入れ、被写体を大きく遮ってしまう映像だ。乱暴に見えるこの演出が、独自の臨場感を生んでいるのは明白だ。恒例となったカーチェイスは既存に捕われないまたひとつの新しいスタイルを確立している。ぜひ大画面大音響の劇場で確認してほしい。「アルティメイタム」は前作の良さを踏襲しつつ、さらにアクション性とドラマ性を見事に昇華させ、素晴らしくクオリティの高い作品に仕上がっている。これは映画館で見て損なしの映画だ。[映画館(字幕)] 10点(2007-11-06 08:10:00)《改行有》 14. ボーン・スプレマシー 「ボーンスプレマシー」はとても瞬発力があり、スピーディーでクールな映画だ。 ボーンの動きは反射的であり一切の無駄がなく一瞬で相手の急所を刺すように殴り蹴り倒す。 彼の脳の思考回路がそのままの映像のカッティングになっているかのように本能的に次から次へととてつもない速さで切り替わるカットはとても躍動的だ。 乱暴に見えるカメラのブレも手持ちカメラを直感的に操作しているためだろう、とても臨場感があり緊迫感を感じる。 音楽も的確に心情に合わせており、特に緊張感の高まるシーンでしっかり映像に音楽が追随し映画を盛り上げているのが素晴らしい。 ラストのカーチェイスシーンはまさに上記で述べた事の集大成。5分間のカーチェイスでカットの数は300以上。これは平均一秒間に1カット以上の計算である。もはや観るのではなく感じろの境地。他の映画のカーチェイスをヌルく感じさせる次世代の演出である。 ―――私はこの映画を劇場で優に十回以上は観た。ラストのカーチェイスに至っては三十回近くは観賞したマニアである。 のちにDVDソフトが販売され、それを購入し自宅で観て愕然とした。 それなりのシステムで再生してはいるが劇場クオリティには到底及ばず映画全体がとてもチープに見えてショックを受けたものだ。 周知の事だが映画は劇場で再生されるのを前提に制作している。なのでその作品の意図や本質を理解するには、映画館で観賞(体感)するのが自然である。どのメディアで映画を楽しむかは個人の自由だが、作品のクオリティを意識するという事は作り手側は当然だが受け手側も考える必要が私はあると思う。 【追記】HD-DVD版「ボーンスプレマシー」を視聴した。 映像もサウンドも劇場クオリティーに大きく近づいているのに深く感動した。[映画館(字幕)] 10点(2007-11-03 01:36:30)《改行有》 15. トランスフォーマー こういう映画を観ると私は思う。 映画に限らずどんなことにも「能動的か受動的」かと。 例えば、子供はガラクタで様々な世界へ旅立てるイマジネーションを持つ。 自らの働きかけでガラクタが宇宙の果てに飛び出し魔法を放ち言葉を話す能動の生物だ。 そして歳をとると、人は受け身に回りやすい。 自らで思考を放棄し貪るように外からの刺激を待つ受動の生物だ。 しかし自らの望むモノを得たいのなら自身の働き掛け無しには成立しない。 感動している時の人はとても能動的な筈だ。 ―――最後に。 映画で使われるCGは、お金と技術さえあれば簡単に作りだせると考える人がいるがそうではない。よく考えてみて欲しい。無から生み出しそれを有あるモノに見せる、もしくは有あるモノに組み込みそして調和させている事を。これは無限の可能性を秘めた高度なクリエイトだ。だから本作のCGロボットの一挙一動見るだけで私は感嘆のため息が出るのである。[映画館(字幕)] 10点(2007-08-08 03:25:58)《改行有》 16. CASSHERN 映画は芸術である。CASSHERNを観て再認識した。作品全体にオリジナリティーが溢れ、新しい刺激に満ち溢れている。映像、カッティング(編集)、音楽の使い方、どれも独自の世界観を創り、とくに或るルールに伴って表れる幾何学模様は神からの啓示であるかなような錯覚を生む。 ・・しかし・・・なぜ、劇場版とDVD版のBGMの使い方が違うんだ?私は劇場版のほうが好きだった・・・[映画館(邦画)] 10点(2006-12-29 16:20:52)
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