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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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2. 生きる 《ネタバレ》 妻投稿■人生において他人を満足させる事、もっと言えば他人とってに意味のある人生を送る事は実は簡単。財産を全部ささげるか無報酬で奴隷のように他人の為に働けば良いのである。が、反対に人生において自分自身を満足させる事は非常に難しい。自分の人生を自分に据え置く行為は、他者や社会に何の利益ももたらさない「無意味な行動」なのである。■主人公はこの無意味な行動に終始した。その姿はその場では狂気に見え、その狂気を持った人間が単なる物体化した後に「客観性」の立場とともに人々に再評価、回想される。が、結局その「無意味な行為」は何かを変えたりする事はない。そもそも「無意味な行為」は「人間に尊敬、評価、肯定」され、「啓蒙」する事が目的ではないのだから、それは当然なのである。■はっきり言おう。主人公には生きる価値などなかった。そもそも「生きる」という事はそういう事なのだ。故に、社会で生きるよりもハードな責任感が実は必要なのだ。[ビデオ(邦画)] 9点(2011-02-08 01:14:43) 3. 血のバケツ 《ネタバレ》 妻投稿■えー、下の方にこの映画の魅力を全て書かれてしまったのですが(笑)、この映画を見てふと思ったのが、「いい白黒映画って絶対カラーじゃ再現できないな」という事。この映画がまさにそう。あの白い石膏のシュールさは絶対モノクロじゃないと生きない。主人公の個展が開かれている時、白い石膏像が並べられ、それを画面が舐めるように映すシーンでは不覚にもゲラゲラ笑ってしまった。もう、悪趣味な趣向に大喜びする8歳か9歳くらいに誰でも感じたと思う「うひひひひひ」という背徳的な笑いを久しぶりに感じた気がする。お人形さんがモノクロ世界で際立ちまくっていて、白というものがここまで悪趣味な色だとは思わなかった。■内容も、下の方とかぶるんだけど、限られたセットの中で展開されるストーリーは、よくコンセプトとして語られる「へいさかん」とやらよりも「井の中の蛙」的な困った焦燥感に満ちていて、際立って真っ白なんだけど、モノクロのなかの白でしかないお人形さんの顔とあわせて結構観客個人個人に覚えのあるものを突きつけていると思う。私ももう少しいろんな事を勉強しなくちゃ。[ビデオ(字幕)] 8点(2010-06-28 07:06:01)(良:1票) 4. ピーター・パン(1953) 《ネタバレ》 妻投稿■こ、これがマイケル・ジャクソンが行きたかった世界かー。彼が死んで間もないころ、「ネバーランド」ってなんだろうと思ってみました。この映画を見てわかりました。彼は「子供たちにサービスするスター」ではなく、「子供の仲間に入れて欲しいスター」なんですね~。■これは私の勝手な妄想なんだけど、ピーターパンって凄いお金持ちで、南の島と海賊船と反重力推進システムを持っていて、フック船長もインディアンも彼に雇われて子供たちを誘拐したんじゃないかと思います。ティンカーベルはピーターパンの「魔法」に掛けられた元俗世間の女の子ではないでしょうか…■で、果たしてピーターパンは何でウェンディたちに巨額の費用をかけて冒険世界にいざなったのか? 子供たちに夢を与えるため? いえいえ、自分が子供たちと冒険したいからです。ウェンディに対するあの嫉妬がその事を裏付けているのではないかと思います。■つまりこの物語は、マイケル…じゃなくてピーターパンが持てる財力を全て投じて子供時代を取り戻そうとする切実かつ切羽詰まった物語なのです。でもそれがいい。「子供に夢を与える」なんて動機よりよっぽど有機的規格外野菜みたいないかがわしさがあって、私は物語に楽しみながらノレます。[ビデオ(吹替)] 8点(2010-05-24 23:44:23) 5. 二十四の瞳(1954) 《ネタバレ》 妻投稿:図書館で鑑賞■自分の家族や自分より年下の人たちが、国家や社会の事情で死んでいく。この状況に対して個人に残された道は2つしかない。■1つは「自分の大切な人が、強い人間の事情で殺されたり暴力をふるわれたり強姦されたりという事は人間世界の摂理として至極当然」と考え、何を奪われ続けても自分の命を奪われるまでは大切な人たちの為に戦い続けるという選択。これ、私の旦那がどっちかというとそのタイプだ。私の旦那は妻である私を含めてどちらかというと所謂池沼の仲間が多く、社会に「運動」という形で何かを主張要求するタイプではないが、「自分たちが殺されたり殴られたりしても文句を言う資格はない」という現実を背負う覚悟を決めた野郎だ。■もう1つはひたすらその不条理を憂い泣き続けるという大石先生タイプ。これはこの映画を見ていただければわかるであろう。■まあ、グループわけは非常に極端であって、実際その当事者はその折衷で生きて行く場合が多いという事は当然として、旦那タイプは悲しみから、大石先生は「現実を背負う事」からある意味「逃げた」とも言える。そしてどちらのタイプが正しいのか、強いのかを判定するのは「家族や年下の大切な人」が不条理に死んでいく悲しみを経験していない市民だったりする。■そしてこういう結論を出す私が一番卑怯なのだとも思うが、「救いのない現実」の前には、絶対旦那タイプと大石先生タイプの両方が必要なのだと思う。その両方あってこそ「陰惨な現実」の果てに「優」を見いだせるのではないかな。片方だけだったら「呪」「卍(の逆バージョン)」になっちゃう。■とにかく、この映画は現代では「戦争はこんなにかわいそーだよー」という「反戦映画」になっちゃうが、1954年当時(ゴジラが初めて現れた年だ!!)は、きっと別の意味が成立していたはず。戦争が終わって9年(殺人の時効は15年)、きっと当時は「これは反戦映画?」と裁定する余裕さえなかったんじゃないかな。[レーザーディスク(邦画)] 9点(2010-04-11 14:56:40) 6. 誓いの休暇(1959) 「戦争は何でダメなの?」と聞かれたとき、答えはすべてこの中にあると思う。[ビデオ(字幕)] 10点(2009-03-03 21:42:04) 7. 七人の侍 映画の見方を変えてみました。ストーリーではなく雰囲気を楽しむのなら、この映画は戦国の泥臭さと血なまぐささを感じられる白黒映画とは思えない傑作だと思う。江戸時代の時代劇は何か綺麗になって匂いが消えてしまっているものが多いしね。[ビデオ(邦画)] 9点(2008-04-29 01:11:00) 8. ローマの休日 妻投稿■突然ですが、何で女の子はお化粧をしたりおしゃれをするのでしょう・・・私は「自分らしい美しさ」を表現したいからだと思います。■でも王女さまは国家の象徴・・「自分=国家」で存在していますから、お化粧も振る舞いも全部自分ではなく国家を表現することになっちゃう。■この映画はたった24時間「1人の女の子」として輝く王女さまの美しさをどれだけ表現するかに全てを注いだ映画。時間も登場人物も限定し、映画の1秒1秒を素晴らしいものにしようとする監督だからこそ、限られた時を1秒1秒楽しもうとする王女さまの気持ちをうまく表現し、この映画自体をこの世で最も美しい白黒映画にしているのだと思います。[地上波(字幕)] 10点(2008-03-01 22:38:54) 9. ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 これほど怖く、悲しい怪獣映画はあっただろうか。逃げまどい焼き殺される人間たち。その背後にうごめくまっ黒な影。惨状を前に、科学者としての良心に苦しむ芹沢博士と、彼が人類のために下した悲劇的な決断。そして断末魔の悲しい咆哮をあげて消えていくゴジラ。骨になり消えてしまったゴジラをよそに無邪気に喜ぶ船上の人々。全てが戦争に対する恐怖、怒り、そして悲しみを見事に表現している。ラスト、喜ぶ人々をよそに「あれが最後のゴジラだとは思わない」とつぶやく山根博士は、戦争の忘却に警鈴を鳴らしていると解釈できるし、最後の敬礼シーンは戦争で殺された全ての人々にこの映画を捧げるという意味なのだろう。この映画は素晴らしいエンターテイメントであると同時に現代未来の人類に贈られた強いメッセージである。[地上波(邦画)] 10点(2008-01-31 01:35:25)(良:1票)
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