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【製作年 : 1920年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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2. メトロポリス(1926) 《ネタバレ》 短縮版なので不明な点が多い。天才博士は実験の失敗が原因か、片腕が義手。人間のような姿で、人間のように働くロボットの制作をめざしているようだ。自らの保守のためには殺人も厭わない性格。一種のマッド・サイエンティストだ。資金は支配者から出ているのだろうか。支配者が博士に労働者弾圧の口実をつくるためマリアに似せたアンドロイドを使って労働者を扇動するように依頼する。資料によれば支配者と博士は元恋敵だそうだ。博士は依頼を受けながら、支配者への恋の恨みからか、アンドロイドに労働者を扇動して機械を破壊するように命じる。単純な労働者達は機械を壊し、自らの地下都市を水没させる。子供達が死んだことを知って怒りに駆り立てられた労働者達はマリアを火刑にする。火刑に処せられたマリアはその正体を現す。死んだと思った子供達は支配者の息子とマリアに助けられていた。息子を仲介として支配者と労働者代表が握手をする。◆脚本は単純で見るべきところはない。冷静に考えてみれば、支配者は労働者達に危険思想を吹き込むマリアを拘束すればよかっただけの話。それなのに解決を博士に委ね、博士が暴走した結果、雨降って地固まるという帰結に至った次第。もしこの映画に斬新なデザインのアンドロイドが登場しなければ、忘れられた存在になっていた可能性がある。あの美しいアンドロイドの造詣があればこそ、都市デザインや機械デザインも生きてくるというもの。ところで労働者達の仕事内容がよくわからないですね。ランプの灯ったところに大きな針を動かすことに何の意味があるのか?他の人も機械の前に立ってうろうろしているだけの軽作業。自動管理、自動運転という観念がなかったのでしょう。アンドロイド以外は先見の明が無く、SFとしては失格です。ともかくも労働者達は疲れ切っている。共産主義的考えでいえば、支配者に搾取されているわけです。マリアは預言者。仲介者は息子。ところで息子の仲介の動機は、労働者達に同情したというより、マリアに恋したことが大きかったように見受けられます。階級闘争も恋の力で解決というマルクスもびっくりのオチ。白眉のアンドロイドが数分しか登場しないのが惜しい。大衆から逃げ回り捕まる姿は惨め。◆あと見所はアンドロイドが踊って人間達を魅了する場面、大勢のエクストラを用いた場面でしょうか。洪水の場面は迫力がなく、不出来です。[地上波(字幕)] 7点(2011-10-28 12:18:11) 3. キートンの大列車追跡 《ネタバレ》 300人以上のエキストラを使い、実際に汽罐車を橋から落としたりして大がかりな撮影だ。しかしそれが笑いには直結せず、無駄にお金を費やしているように見える。本題がドタバタコメディなのだから、妙にリアリティを出しても仕方がないと思う。南北戦争を題材とし、戦争賛美の内容。実際に何人か戦死する。キートンも偶然とはいえ敵を刺殺する。これでは笑えない。架空の戦争を茶化すような軽い話にすればよかったのにと切に思う。喜劇と戦争は相性が悪いです。コメディはもっと長閑な状況で観たいです。◆コメディパートはキートンのアクションに尽きる。やっていることは汽車の追いかけっこ。次々と飛び出すアイデアが精彩を放つ。表情が少ないのが玉に疵。もっと驚いたり、あわてふためいたりすれば良いのにと思いました。[地上波(字幕)] 6点(2011-10-26 21:23:52) 4. サーカス(1928) 《ネタバレ》 魅力の無いヒロインだ。娘は義父から虐待同然の扱いを受けて、泣くばかり。チャップリン(C)に優しくされて好意を持つが、好意どまり。占いで好きな人が近くにいると暗示を受け、ハンサムな綱渡り師が現れると恋のとりこになる。しかし再び義父に叱責されると、サーカスを出てゆくCに「連れてって」と懇願する。Cが綱渡り師を連れてくると喜び、プロポーズを受諾、義父の元へ戻る。一人では何もできず、知能は幼児並み。◆恋のパートも弱い。Cが娘に会ったとき一目惚れしなかった。お金を稼ぐのは自分のためで、娘のためでは無い。したがって良く練られたラストシーンだが、ペーソスが薄い。◆Cの映画ではリアルな女性像は描かれない。女性は類型的、あくまでお飾りにすぎない。可憐だが、独立心が無く、誰かの助けを必要としている不幸な存在。簡単に言えば、不幸な境遇にある幼い娘。◆自立した女性が登場するのは「モダンタイムズ」から。演じたポーレットはCの3番目の妻となる。若く見えるがCと出会った時点で離婚経験があった。彼女は私生活でも活発で、好奇心旺盛、面倒見が良かったらしい。Cと離婚した妻の元にいた息子達とが週末に会えるように取り計らったのも彼女。彼女の存在がCに与えた影響は大きい。◆フロイトの分析によれば、「Cは非常に単純な人間で、不遇だった少年時代を忘れられず、何度も演じ続けている」とのこと。Cは完璧主義者だが完璧な人間ではない。Cは自分が弱者だと感じていたので、自分よりも弱者に対して深く同情してしまう。世間を脅威と感じており、恐れていた。弱い者しか信用できなかったとも言える。助けを必要とする娘、子供、動物などには強い同情を抱くが、成熟した大人に対しては恐れを抱いていたのだろう。自分に狂気の血が流れているのではなかと恐れ、母親のことも周囲には隠していた。◆ドタバタ喜劇の基本は追っかけとばかりに、追っかけシーンが繰り返される。笑われているのに、本人はそのことに気づかない。本人は周囲を笑わせる気が無いのがおかしい。子供のお菓子を盗む食いするシーンに6週間もかけ、綱渡りは700回以上もやったという。完璧主義の極致、芸人魂の発露である。Cは得意げに演じているが、他の出演者は楽しそうには見えない。ヒロイン以外の共演者を育てるつもりなどないのだろう。良くも悪くもCのCによるCのための映画である。[ビデオ(字幕)] 7点(2010-12-14 14:26:57) 5. チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 アラスカのゴールドラッシュとシエラ・ネバダ入植団の悲劇(カニバリズム)が元となっている。欲のために命を落とし、或いは生きるためには同胞をも食べる。チャップリン(C)の創作アイデアの元は常に悲劇や不幸である。「街の灯」「モダンタイムス」「独裁者」「殺人狂時代」「ライムライト」全て悲劇・不幸を扱っている。彼が「悲劇を笑い飛ばそう」という強い精神力の持ち主であり、それはCの不遇で過ごした少年時代に由来する。彼自身の言葉「しばしば悲劇が笑いの精神を刺激してくれる。笑いとは反骨の精神だ。たとえば大自然の威力の前では、自分の無力ぶりを笑うしかない。笑わなければ気が狂ってしまうだろう」狂気と天才は紙一重である。 ◆空腹のあまり靴を食べたり、相手が鶏に見えて殺そうとしたり、小屋が崖から落ちそうになると、相手を踏みつけて床を登ったり、ブラックユーモア炸裂である。悲劇の切迫度が高ければ高いほど笑いの密度が増す。Cは、幼少時代のひもじかった日々、それでも母親が笑わせてくれたことなどを思い出しながら撮影していただろう。靴は甘草で作られていたが、食べ過ぎたために副作用の下痢に悩まされたそうだ。プロ根性というものだろう。大勢のエキストラや特撮を使ったりと、気合が入っている。 ◆冒頭、Cの後をつける熊が登場する。一歩間違えばCは食われてしまっていただろう。だが偶然Cは助かる。Cはそのことを知らない。後に熊は小屋に現れ、射殺され、C達に食われてしまう。これが運命の皮肉だ。運命はCの預かり知らぬところで決定され、所詮人は運命を受け入れ、笑い飛ばすしかないのだ。 ◆もう一つの主題は恋。Cは単純に金持ちを夢見て金鉱探しに参加。しかし失敗して町に降りてくる。そこで酒場娘に一目惚れ、今度は娘と約束したディナーの資金を稼ぐために仕事に励む。だが約束の日に娘は現れずに失恋、失意のどん底へ。一方娘は約束を忘れていたことに気づき、小屋を訪ねるがCが不在。ディナーの準備の様子でCの恋心と失意を知る。そなんときCは山の相棒と出会い、二人で金鉱を見つける。期せずして夢は叶った。凱旋の船上で二人は再会する。皮肉にも立場は逆転していた。Cは金持ち、娘は落ちぶれて二等席。Cは昔の服装をしていたが、娘はそれでも好意を示した。身分を証し、キスしてハッピーエンド(サイレント版)。純愛は黄金に勝る。[DVD(字幕)] 8点(2010-12-13 16:07:30)(良:1票) 《改行有》 6. 偽牧師 《ネタバレ》 ◆チャップリンお得意の巻き込まれ型のドタバタ・コメディ。次から次へとハプニングが起こり、気の弱い主人公が事件に巻き込まれてゆきます。そこそこ笑えるので見て損はありません。 ◆一方で、後期の名作に到る過渡期の作品として観れば、尚興味深いものがあります。 ◆脚本にいくつかの難点があるように思います。 ①男はいくつかの罪を冒している。入獄に到った何らかの罪と脱獄の罪。そして牧師の服とお金を盗んだ罪。母娘のお金を悪人から取り戻したというだけで、これらの罪がチャラになるだろうか。 ②男がどういう罪で刑務所に入ったか不明。ジャン・バルジャンのように男に同情すべきようなシナリオを用意すべき。脱獄も同様。偶然脱獄のチャンスが訪れたとか、どうしても誰かに会わなければならないとか。それが無いので人間が描けていない。少なくとも悪い男ではないという点をもっと強調すべき。その前にあんなドジな男が脱獄などできるはずないと思うのだが。 ③男は教会ではお金に執着を見せるが、母娘の家ではお金に無頓着。それは娘に対する恋心に起因するものだろうが、このところが弱い。心変わりする決定的な契機が欲しい。 ④ラスト・シーン。男は保安官の親切心に助けられるのですが、これが弱い。これが当時のチャップリンの限界か。後のチャップリンなら男は収監され、その悲劇性と社会批判とで観客の心をつかんだはず。喜劇と悲劇の両立の域に達するまであと一歩の作品。笑いだけにこだわった作品。 ◆それにしてもカメラのズームもパンも無いが、当時は技術的に難しかったのでしょうか。ピントを合わすのに一苦労したものと推測します。それでも今でも笑えるのは、やはり凄いことです。[ビデオ(字幕)] 5点(2010-10-11 02:16:23)《改行有》
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