みんなのシネマレビュー |
| スポンサーリンク
【製作年 : 1960年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
1. アントワーヌとコレット 《ネタバレ》 『二十歳の恋』というトリュフォーの他に四人の監督の短編を集めたオムニバス、他にはアンジェイ・ワイダや(なんと!)石原慎太郎も参加しているそうです。その中の一編となるわけですが、ちゃんと『大人は判ってくれない』とは話が繋がっているので、いわゆるアントワーヌ・ドワネルものの第二作と位置づけられています。 少年鑑別所を脱走した(のかな?)ドワネル君、それから三年後にはパリで一人暮らししながら音響メーカー・フィリップス社のレコード製作工場で働いています。前作でつるんで悪事を働いていた親友ルネも社会人となっていて、相変わらずアントワーヌのそばにいます。音楽会の会場で見かけた女子大生コレットに一目惚れしてしまったアントワーヌは彼女に果敢にアプローチ、自宅に招かれてコレットの両親には気に入られ、調子に乗ってコレット宅の向かい側に引っ越してきます。気を引くような素振りは見せるがイマイチ彼との距離を縮めようとしないコレットにいら立つアントワーヌ君、ある日彼女の家で両親・コレットと食卓を囲んでいると、コレットの本当の彼氏であるアルベールが彼女を迎えに来て鉢合わせ、アントワーヌの恋は無残に終わってしまうのでした。アントワーヌは、コレットの両親とTVを観ながら呆然自失となるのでした… とまあ、尺が三十分ですからこういう他愛のないお話しなんですが、これから本格的に大人になってゆくアントワーヌの波乱の恋愛人生を予感させてくれる感じでした。アントワーヌの部屋に『大人は判ってくれない』のポスターが貼ってあり、トリュフォーの遊び心が見れます。 このオムニバスには他にはロベルト・ロッセリーニの弟やマックス・オフュルスの息子が作品を提供しているのですが、現在ではソフトも見当たらないしCSなどで放映されたという話も聴いたことがない、ぜひ全編を通して観てみたいものです。[ビデオ(字幕)] 6点(2025-05-09 21:09:17) 2. 女系家族 《ネタバレ》 山崎豊子作品の中でも屈指のドロドロ劇だけあって、この映画もまさに超絶ブラックな『細雪』と呼ぶに相応しいストーリーでした。船場老舗の三姉妹、京マチ子・鳳八千代・高田美和のとても血を分けた姉妹とは思えない仲の悪さに加え、三人にそれぞれ愛人・婿・叔母といった後見人というか参謀がついて世間知らずの姉妹を操ろうとするわけです。一見は実直そうな大番頭=中村鴈治郎が遺言執行人であるが、実はこいつが先代存命中から背任横領で私腹を肥しており、そこに先代の愛人=若尾文子が名乗り出てくるという序盤から最悪の展開です。お嬢さん育ちで遊び好きな三女は多少可愛げがあるキャラだが、長女と次女の強欲さと性格の悪さは思わず引いてしまうぐらいです。医者を呼んで若尾文子の妊娠状況を無理やり調べさせるところには、ほんとドン引きさせられますよ。踊りの師匠なのに妙に不動産やら山林に詳しい愛人=田宮二郎もうさん臭さしかないですね。若尾文子だって「私は先代の子供を生んで無事に育てたいだけ、遺産なんていりません!」と言いながらのラストの大逆転、まあ演じているのが若尾様ですからこのままで済むわけないとは判っちゃいますがね(笑)。しかしなんといってもこの映画でいちばん光っていたのは、ちょっと愉しんでるのかな?、と感じるぐらい色々と策略をめぐらす中村鴈治郎の悪番頭ぶりで、名優の力量を感じさせてくれました。まあラストの展開を観れば判る通り、このストーリーは“婿養子の復讐劇”だったというわけですね。[CS・衛星(邦画)] 8点(2025-05-06 21:40:42)(良:1票) 3. 肉弾(1968) 《ネタバレ》 岡本喜八が予備士官学校生徒で終戦を迎えた実経験をカリカチュアしたいわば私小説的映画であるが、これが『日本のいちばん長い日』の翌年に撮った作品であることには重い意味が込められていると思います。岡本喜八作品は“反戦と明治維新の否定”をモットーとしているが、前年に国家体制の視点で太平洋戦争の敗北を描いただけに、どうしても同じ敗戦をミニマムな個人の体験視線で表現したかったんじゃないだろうか。東宝で最高給の監督にまだ位置していたのに、わざわざ自宅を抵当に入れた私費を投じてまで製作した情念には脱帽です。でもオフビートな喜八節は健在、というより彼のフィルモグラフィ中でもっとも作家性が色濃く出ている作品じゃないでしょうか。彼の人徳のなせる業かとてもATG映画の予算規模じゃ不可能な豪華なわき役陣の顔ぶれもさることながら、やたらと全裸演技が印象に残る寺田農とこれが18歳のデビュー作で瑞々しいヌードまで披露してくれた大谷直子の演技は光っていました。物語自体は終戦間際の昭和20年7月から8月あたりの設定みたいで、海岸が近いということから岡本喜八が在籍した予備士官学校があった豊橋が舞台想定なのかと思います。しかしそんな時空間や設定を吹っ飛ばしたメルヘンチックな異世界のファンタジーの様な世界観には、思わず引き込まれてしまいます。のんびりと飄々とした仲代達矢のナレーションにも味がありました。魚雷に乗って漂流するシークエンスはさすがに冗長感があり、もっと短くしてラストに繋げた方がインパクトがあったんじゃないかとも思います。でもラストのショットには、初見のときは自分も衝撃を受けました。あの幕の閉め方は、『火垂るの墓』のラスト・カットに影響を与えたんじゃないかという気がしてなりません。[CS・衛星(邦画)] 8点(2025-05-03 21:47:51) 4. 荒野の隠し井戸 《ネタバレ》 軍の倉庫には金塊が50キロ保管されていたが、隣接する靴職人の店からトンネルを掘り、倉庫番の曹長の手引きによってまんまと盗み出されてしまった。一味の一人が金塊を隠したが、ギャンブラーのジェームズ・コバーンと酒場で揉めて射殺されてしまう。かすめ盗った20ドル札に書かれた地図から金塊の隠し場所に気が付いたコバーンは、町の保安官の自慢の愛馬を奪って隠し場所に向かう。かくしてコバーン・保安官・コバーンに手籠めにされた男勝りの保安官の娘・本来の金塊強奪犯たちが四つもどえになって金塊の奪い合いが始まるのであった。 まったくと言って良いほど無名の西部劇コメディですけど、テンポも良く短い尺の中で二転三転するストーリーはなかなか愉しめました。なんといってもジェームズ・コバーンの飄々としたコメディ演技がシャレてます。バンバンと銃撃するシーンはあるけど、意外なことに序盤でコバーンが決闘で倒す一人の他に死人が皆無というところもイイですね。『OK牧場の決闘』風に各キャラクターの解説や心情を、カントリーミュージックで延々とナレーションするのも洒落ています。音楽担当は若き日のデイヴ・グルーシンで、グルーシンと言えば洒落た雰囲気の音楽というイメージなのにこんなコテコテのカントリーミュージックもできるとは、さすが多才です。クレジットはありませんが、ブレイク・エドワースがプロデューサーとして参加している影響も大きかったのかな。 とはいっても観る機会も少ないほとんどカルト的な映画ですが、観たら決して損はないと思いますよ。[CS・衛星(字幕)] 7点(2025-04-21 23:26:11) 5. 俺たちの血が許さない 《ネタバレ》 対立組織に襲撃されて絶命した昔気質のヤクザ組長には二人の幼い息子がいた。成長して社会人となった二人は、兄はきちんとしたスーツ姿の勤め人風で、別居しているが年老いた母親に毎月けっこうな金額を渡している。広告会社に務める弟は自由奔放で無鉄砲、同居している母親には心配ばかりかけているがサラリーマン生活には物足りなさを感じている。18年前父親を襲撃した男が刑期を終えて謝罪に親子のもとを訪れてから、この兄弟の運命の歯車は狂いだしてゆく… 監督が鈴木清純ですから、お約束のヘンテコなカットや映像は当然のごとく散りばめられていますが、ストーリー自体は割とまともな現代的な任侠ものといった感じで『殺しの烙印』のような訳の分からなさは無かったといって良いでしょう。対照的な性格の兄弟は兄が小林旭、弟が高橋英樹という組み合わせです。この映画でもやっぱ小林旭のカッコよさと渋さは際立っています。キャラ設定は苦学してなんと東大を卒業したのになぜか暴力団傘下のナイトクラブの支配人、毎月お手当を渡して貰っている母親は彼が組織の準構成員みたいな存在なのは知りません。こんなキャラ設定には不自然さはありますが、まあ良しとしましょう。組織のトップは小沢栄太郎でいかにも悪そうで、監視役として付けられた秘書の松原智恵子は旭と恋人関係になっています。この松原智恵子が暗い影を持った女なんですが、その色っぽさと言ったらなかなかのものでした。弟の彼女は勝気な同僚のカメラ・ウーマン、この兄弟カップルは対照的になっているのがこのストーリーの特徴です。高橋英樹も旭には貫禄負けはしてますが、その元気いっぱいのはっちゃけぶりは観ていて愉しいです。「息子らにはヤクザの道に入らせるな」という父の遺言を破って弟は組を再建しようとするのですが、途中からその話は有耶無耶になって消えてしまうのが、ちょっとなんだかなあと思ってしまいました。このころの鈴木清純作品にはカラーとモノクロが混在していますが、カラー作品の色遣いの鮮やかさは作品の内容は別にしてもハッとさせるものがあります。[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-03-04 22:58:12) 6. ガメラ対大悪獣ギロン 《ネタバレ》 いきなり予算が三分の一に減らされて「これが最後のガメラ映画だ」と思ってた『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』が予想を上回るヒットを記録、同じ予算でもう一本撮れと命じられて監督の湯浅憲明はその予想できるきつさに泣いたそうです。このころはすでに大映倒産が秒読み段階だったんですが、この後にも最後っ屁のように二作も昭和ガメラは続いたのでした。 もうここまで来ると、怪獣特撮というよりも完全に児童向け映画と化してしまった感があります。脚本も投げやりというか、「もう、どうにでもなれ!」という開き直りさえ感じてきます。敵役怪獣ギロンはそれまで実在の生物から造形してきたモチーフを捨てて、観ての通りの出刃包丁の擬人化ならぬ怪獣化という驚きのプロット、これは70年代以降のTV特撮番組でのモンスター造形に多大な影響を与えたんじゃないかと個人的には思っています。ゲスト出演した宇宙ギャオスをバラバラにして首チョンパ、まあ名前からしてギロチンが由来ですからね(笑)。いちおう設定は太陽を挿んで地球の反対側にある第十惑星としていますが、地球から少年たちがたどり着くまでの展開は、まさに子供だましでなぜか宇宙空間にガメラがいて宇宙空間を火を噴きながらついてくるのがわけわからない。第十惑星の宇宙人基地のセットは、さすがにあの酷かったバイラス星人の宇宙船よりはマシだったけど、少年たちが歩き回るとベニヤ板製(たぶん)の床がペコペコと軋むのがなんか情けなくなります。登場する宇宙人は地球でいうところの女性ペア、でも人間の脳みそを喰いたがるトンデモ無さです。あわれ少年の一人は開頭するためにバリカンで丸坊主、これは子役に対する虐待と捉えられて現代ではSNSで炎上するかも(笑)。 メキシコオリンピックの後だったからかガメラが鉄棒競技で大回転してウルトラCをキメるし、大村崑は「嬉しいと眼鏡が落ちるんです」というお得意のギャグを披露、まあこれが当時の観客にウケたのかは不明ですけどね。でもギロンに輪切りされた宇宙船をガメラが吐く息(?)で溶接してくっつけちゃったのにはもう唖然、ガメラの口からはアセチレンガスが出てくるのかよ![CS・衛星(邦画)] 3点(2025-02-01 22:23:10) 7. 大魔神逆襲 《ネタバレ》 昭和41年の年内で三本が公開された大魔神シリーズの掉尾を飾ることになった三作目、ほんとは第四作目製作の予定もあったけど本作の興業成果が赤字に終わったことで立ち消えになっちゃったそうです。まあシリーズと言ってもこの三作には共通点は大魔神が暴れるだけでストーリー上の繋がりはありませんが、前二作ではお姫様をヒロインにしていたところを少年4人を主人公に据えたところに工夫が見られると言えるかも。 前二作を鑑賞済みならば大魔神降臨が後半三分の一ぐらいしかないというお約束は承知でしょうけど、少年たちが魔人のお山を越えてゆくまでのシークエンスはけっこう丁寧に撮られています。ロケ地の山岳地帯もよくこんな場所を見つけてきたな、と思わせる風景です。この少年たちの一人が激流に流されて死んでしまうのは初期の大映特撮ものらしいダークな展開で、東宝特撮では考えられないところです。でもあの筏を一瞬で作り上げるところは、いくら何でも雑過ぎるでしょ。今回は遂に大魔神が腰の宝剣を抜いた訳ですが、武器としてはあまり見せ場がなかったのは残念なところです。それでも毎度のことながらも建築物の破壊シーンには眼が引き付けられます、大映京都の時代劇で培った技術力は恐るべしです。ちなみにシリーズ通じてスーツアクターを務めたのは元プロ野球選手だった人で、あの眼だけは本人の素なんだそうです。彼はカメラが回っているときは決して瞬きをしない演技で通したそうで、毎回終いには充血して血走った眼になってしまったそうですが、それがかえって大魔神の憤怒の形相に迫力を与えていると思います。 けっきょく大魔神は、三池崇史の『妖怪大戦争 ガーディアンズ』に新造形で登場したぐらいで、50年以上経ってもリメイクされていませんが、かえってそれが日本特撮映画史上に残る伝説としての輝きを放っているんだと思います。[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-01-07 22:35:40)(良:1票) 8. 女が階段を上る時 《ネタバレ》 菊島隆三と言えば黒澤映画の名脚本家というイメージがあるけど、成瀬巳喜男作品も書いていたとは知りませんでした、しかもプロデューサーまで務めていたとは。そして高峰秀子はやはり成瀬巳喜男とのコンビネーションがベストで、木下恵介作品で演じるヒロインよりも生々しい女性像を見せてくれます。銀座のバーで雇われマダムという役柄は、これが大映ならば間違いなく若尾文子が演じるだろうけど、色々と所帯じみた苦労を背負った身持ちが固く堅実なマダムとなると、やっぱ高峰秀子にピッタリのキャラです。若尾文子だとどうしても妖艶な不思議ちゃん的なヒロイン像になりがちですからね。高峰秀子が務めるバーは二階にあるので階段を昇って店に入るわけだが、これが苦労の絶えない私生活から自らの戦場である異界に足を踏み入れる様な感じがします。この階段を昇るというカットは、面白いことに2年後に川島雄三が『しとやかな獣』で若尾文子が再現(こっちは階段を下るんだったかな?)していて、これは一種のオマージュなのかな。ホステスたちの生態もけっこうリアルで、中でも高峰にモーションかけていた中村鴈治郎に横からちょっかいかけて、ちゃっかり独立して自分の店を持つ団令子がいかにもな感じで良かったな。ラストで高峰秀子の店を辞めて団令子の店に移ろうとしていた仲代達也を相手にしないしたたかさもあり、きっと彼女はこれから銀座でのし上がってゆくんじゃないかな。仲代達也は徹底的にクールで実利的な男を演じていましたが、ちょっと影が薄いキャラだった感があります。そして、やはり一番強烈なインパクトを残したのが加東大介でしょう。その正体が明らかになったところでは、それまであまりに善人としか見えなかったので、「この男はサイコパスだったのか…」とゾッとさせられましたよ。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-07-21 22:01:46) 9. ハッド 《ネタバレ》 テキサスの老牧場主とその息子の確執を描いていてこのモチーフは『エデンの東』を彷彿させるところもあるけど、冷徹極まりないストーリー展開と救いのない結末は一線を画しています。ポール・ニューマンが演じるハッドは倫理観が薄く享楽的な男で、問題児がそのまま大人になったような感じ。メルヴィン・ダグラス演じる父親ホーマーは律儀で頑固で真面目一徹、ハッドを激しく嫌っていてハッドの酒酔い運転のせいで死んだ長男の遺児ロンに目をかけて可愛がっている。そんな男所帯を住み込みの家政婦パトリシア・ニールが世話しているが、実質この四人だけで展開する物語です。牧場では口蹄疫が発生して全頭を殺処分しなければならなくなるが、その裏ではハッドは牧場の代替わりというか乗っ取りを画策していて、親子の対立は激しさを増してゆく。そんな小悪党じみたハッド、ポール・ニューマンは思わずハッドのキャラに感情移入してしまいそうになるところを突き放してくる様な見事な演技を披露しています。思えばニューマンは監督のマーティン・リットのアクターズ・スタジオでの教え子、彼の演技の上手さと凄みを引き出すには適任だったと言えるんじゃないかな。また撮影監督のジェームズ・ウォン・ハウの神がかった様なカメラが凄いんです。広角カメラで撮った広大なテキサスの地平線を捉えた冒頭のシーンなどで見せてくれる風景ショットには、ハッドと彼を取り巻く殺伐とした人間関係の心象が溶け込んでいたような気がします。また“ローキー・ハウ”の異名を授けられる彼の照明への拘りは、モノクロ映画ながらアップショットではニューマンのトレードマークである“ブルー・アイ”が見えたように感じるほどです。 死にゆく父親に「俺が長生きしたらお前は迷惑だろう」と言われるハッド、最後まで一ミリも理解し許しあわなかったこの悲劇的としか言いようがない父子関係は、リアルではあるけどなんか悲しくなりますね。そんなテイストの作品でしたが、当時勃興し始めていたアメリカン・ニューシネマとは明らかに一線を画す一編だと思いました。[CS・衛星(字幕)] 9点(2024-06-22 21:50:26) 10. 皆殺しの天使 《ネタバレ》 オペラがはねてからブルジョアの邸宅の夜会に招待された20人足らずの彼の友人・知人。その屋敷の使用人たちは、主人たちが客を連れてくるのが判っているのに、なぜか制止されても勝手に帰宅してゆき、けっきょく執事だけが残される。夜会も終わり夜も更けていたのに、なぜか客たちは広間から出て行こうとはせずにザコ寝で過ごし、朝になっても広間から出てゆくことができない。屋敷の門前では警察や野次馬が集まる騒ぎになるけど、こちらも誰も門から中へ入って行こうとしないというか出来ない。食料も飲料水も底をついたブルジョワジー男女は、普段のスノッブさが消えてゆき本性剥き出しの集団と化してゆく… 自分が今までで観た中で、たぶんもっとも奇妙奇天烈な映画であることは間違いないです。部屋や門の境界に透明なバリアが存在して物理的に通過を阻止しているという設定なら単なるSFという感じになりますが、どうも心理的な何かが彼ら彼女らに作用しているみたいなんで、不気味感が高まります。冒頭で使用人たちは「明日はここに入れない」みたいなことを言いながら帰っていくのが不可解だし、邸内に羊やヤギそして子熊までもがうろついているんだから、もうわけ判らんです。実はブニュエルの作品はほとんどこれが初見みたいなものなのであまり語れないんですけど、これこそが不条理劇というものなんですね。登場するのがブルジョワジー階級と平民、そして舞台がブルジョアジー邸宅と教会となれば暗喩とすればベタなくらい判りやすいんですけど、室内を徘徊する手首などにはホラー的な要素すら感じます。ラストの教会のミサからのモンタージュも意表を突かれてしまいますが、ブニュエルはこのシュールな物語をホラーでなくコメディのつもりで撮ったんじゃないかと推測します。だとしたら、この人はやっぱ相当人が悪いですよ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2024-06-01 21:48:35) 11. 日本海大海戦 《ネタバレ》 太平洋戦争をテーマにした『日本のいちばん長い日』から始まるいわゆる“東宝8.15シリーズ”は第三作目にして日露戦争に逆戻り。唐突感はあるが、これには同時期に新聞連載されていた『坂の上の雲』の影響があったのかもしれない。日露戦争を扱った作品としては新東宝の『明治天皇と日露大戦争』が12年前に製作されて大ヒットしたので、いつかその雪辱を晴らしたいという執念があったのかも。思えば当時は左翼全盛時代、日露戦争のことなんかは学校ではほとんどスルーだし、大日本帝国の富国強兵政策が起こした侵略戦争だなどと教えていたもんです。そんなご時世にこのテーマを選ぶとは、ある意味勇気ある決断だったかもしれません。■三船敏郎は山本五十六・阿南惟幾・木村昌福といった将軍や提督を演じていますが、自分はそんな三船の演技スタイルにもっともジャストフィットしたのが東郷平八郎で、まさにはまり役だったんだと思います。後年に流布された神格された人物ではなく、加藤友三郎参謀長の前で取り乱してしまうような人間臭い一面もきっちりと見せてくれました。笠智衆の乃木希典も、皆が持つ彼のパブリックイメージにはぴったりの好演で、乃木と東郷が対面する場面での「そのお言葉で、乃木はやれます、必ずやります」と203高地の攻略を誓うところは良かったな、名シーンです。■この映画はタイトル通り日露戦争でも海軍作戦がメインで描かれていますが、やはりここでものを言ったのが円谷英二特撮の技でしょう。実はこの映画が円谷の遺作となったのは周知の通りですけど、彼が拘ってきた“水の特撮表現”の集大成を見せてくれます。なんと107隻も製作された大スケールの日露艦艇の繰り広げる海戦シークエンスは見事の一語に尽き、水柱が上がるカットにはほんと拘りを感じさせます。陸戦関係では実質203高地攻防戦しか取り上げていないのですが、まあ尺の関係もあって仕方なかったかも。この陸戦シークエンスは明らかにカネのかけ方が海戦より貧弱なのは否めず、日露両軍とも火砲が発砲しても砲身が後座しないのはちょっとしらける、海戦シーンでは戦艦の主砲が後座するところまできっちり再現しているのにねえ。あとせめて大山巌と児玉源太郎ぐらいは登場して欲しかったな。■『坂の上の雲』ではとかくバルチック艦隊とロジェストヴェンスキーをディスる傾向がありましたが、冷静に考えればあれだけの大艦隊を極東まで引っ張て来れたというのはやはり歴史に残る偉業と言えるでしょう。休養および修理・訓練が十分で待ち受ける連合艦隊と長旅を続けてきて疲労蓄積しているバルチック艦隊では、やっぱこれはハンデ戦だったと言えるかもしれません。あと陸軍も海軍も、艦艇の大損害をちゃんと報告するし乃木将軍の更迭の許可を伺うなど、きちんと天皇や閣僚を通しているところには考えさせられるところがありました。“統帥権の独立”を盾にして天皇まで蔑ろにして好き勝手やった昭和の陸海軍に比べるとえらい違いです。[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-05-27 22:30:36)(良:1票) 12. マーニー 《ネタバレ》 プロットとしては殺人も起こらないしスパイも出てこない、ヒッチコックとしては珍しいタイプの作品、おっとそういや回想シーンでブルース・ダーンが殺されていましたね。製作された64年は、ショーン・コネリーにはジェームズ・ボンドとしては『ゴールドフィンガー』の時期。でもこの年には本作以外にも『丘』や『わらの女』にも主演していて、彼もジェームズ・ボンドを演じるのに嫌気がさして来ていた頃だったんじゃないかな。でも本作での彼は、ボンドとはまたイメージが違う色男ぶりを見せていて感心しますが、どう見てもアメリカ人には見えないのが玉に瑕かな。マーニー役に未練がましくヒッチコックはとっくに引退していたグレース・ケリーを希望していたそうですが、そりゃ当然断られますよ。代わりにというかティッピー・ヘドレンが『鳥』に続いて起用されたわけだが、撮影中ずっと険悪だった二人の関係は、映画史に残るようなトラブルになってしまいました。 殺人やスパイのサスペンス色が希薄なんですが、ヒッチコックにしては妙に理屈っぽい映画に仕上がってしまった感は否めません。コネリーのキャラは会社経営のボンボンというより、まるで精神分析医にしか思えない言動なんで違和感が濃厚です。なんでも原作小説ではサブ・キャラとして精神分析医が存在していたそうで、それを脚色段階でコネリーが演じるキャラに統合してしまった結果みたいです。そうは言ってもその精神分析はけっこう雑でとってつけた感がアリアリで、ティッピー・ヘドレンの幼児期のトラウマがなんで成人してからの盗癖に結びつくのかは説得力に欠けています。まあ彼女の演技には文句をつける余地はなかったですけどね。 恒例のヒッチコック御大のワンカット出演、いきなり部屋から出てきてしかも一瞬ながらもしっかりカメラ目線を決めてくる、いくら何でも調子に乗りすぎだよ(笑)。[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-05-09 22:28:21) 13. オーシャンと十一人の仲間 《ネタバレ》 御存じ『オーシャンズ11』の元ネタ。フランク・シナトラと言えば「スターよりもマフィアになりたかった」と言ったという伝説もあるくらいで、そんなマフィアとズブズブだった彼じゃないと実現できなかったストーリーです。60年代のラスベガスは実質マフィアの直轄地みたいな場所だったそうで、そんな物騒なところのカジノが一斉に強奪されるなんて普通の映画人が撮ったらマフィアが黙っているわけがない、仲間内のシナトラ(襲われるカジノの一つサンズは実はシナトラが当時オーナー)のおふざけとして大目に見られたんじゃないかな。 ソダーバーグ版との比較で大きな違いと言えるのは、ダニー・オーシャンがプロの犯罪者ではなくて退役軍人でチョイ悪ぐらいの男、そのダニーがかつての戦友たちを集めてグループを組むというところでしょう。彼らは第82空挺師団の所属だったという設定ですが、エリート部隊だった空挺師団に黒人のサミー・デイビスJrがいたというのは、ちょっと不自然。まあシナトラ一家総動員のこの映画にサミー・デイビスJrが出ないわけはないし、黒人差別意識がなかったというシナトラらしいとも言えます。正直言って11人のキャラ分けがきちんとできていたとは言えず、半分ぐらいは名前どころかキャラさえ見分けがつかないぐらいです。こういうところはソダーバーグ版の方がはるかにしっかりしていたと思います。黒幕のエイキミ・タミロフはこの映画に必要なキャラだったのかは疑問だったし、アンジー・ディキソンらの女優陣も有機的な効果をストーリーに与えていなかったと思います。でも所々にシャレた展開もあるのは、ビリー・ワイルダーも脚本に参加していた功績なのかな。ラストの展開はやはりヘイズ・コード(犯罪は成功してはいけない)が生きていた時代だから仕方なかったかもしれないけど、ソダーバーグ版の様な爽快なカタルシスとは比べるべくもなかったかな。 まあ言ってしまえばシナトラの肩の力を抜いたおふざけ映画と見るしかないけど、そんな目くじら立てるほどのことはないかと思います。あと一目で彼の作と判るソウル・バス謹製のタイトルバックは、現代でも通じるようなシャレた逸品でした。[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-05-03 22:01:39) 14. 雲の上団五郎一座 《ネタバレ》 いやはや錚々たる面子、昭和の喜劇役者が勢ぞろいしていて壮観でした。エノケンが座長のドサ回り劇団が、四国の公演に赴く船上で東京から流れてきた(一応)インテリの演出家と出会いタッグを組み、彼の吹っ飛んだ演出のおかげで大入り満員、ついには大阪の興行会社の眼に留まり大阪でも大成功をおさめるというサクセスストーリー、言ってしまえば他愛もないお話しです。菊田一夫が大ヒットさせた舞台の映画化だそうで、21世紀になってからもジャニーズ(おっと放送禁止用語でした)WESTがアレンジして上演しています。はっきり言ってストーリーなんてどうでも良しで、喜劇役者たちのパフォーマンスを愛でる映画でしょう。やっぱフランキー堺は凄くて、彼のパロディ『勧進帳』での弁慶は必見です。そして見逃してはいけないのは三木のり平の芸のキレっぷりで、八波むと志とのコンビで演じる『切られ与三』は抱腹絶倒でした。いやはや、この人はほんとに凄い役者だったんですね。あと花菱アチャコ、あの中気の芸は現代では炎上必至のヤバさがありますが、これが上手いんだよなあ。一座の団長役のエノケンの出番が少なく意外と大人しかったのはちょっと残念だったかな。このストーリーは続編も撮られたりTVドラマ化されたりしたそうで、埋もれてしまうのは惜しいエンターテインメントだと思います。[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-04-12 23:12:21) 15. 江分利満氏の優雅な生活 《ネタバレ》 直木賞受賞作の山口瞳の原作は、短編小説のコンピレーションというかどちらかと言うとエッセイに分類されるような作品。それを江分利満氏=山口瞳を主人公にして彼のそれまでの人生を落とし込んで脚色した感じです。勤務先だったサントリー宣伝部をそのまま江分利氏の勤め先にして、“アンクルトリス”の産みの親であるサントリー宣伝部に在籍していた柳原良平=天本英世も登場している。この江分利氏=山口瞳は自分の亡き父親と同年産まれなので、なんか親近感がありますね。 ストーリーテリングは特に前半は軽妙洒脱、柳原良平のアニメを使ったりして、岡本喜八じゃなくて市川崑が撮ったんじゃないかと思うようなリズム感があります。実際のところ、始めは川島雄三の監督作として企画され本作とは違う視点でのオリジナル脚本が完成していたけど、川島雄三の急死で岡本が監督することになったそうです。とくに靴だけが歩き回って会話するというシュールなカットには驚きました。登場キャラでは破天荒かついい加減極まりない江分利氏の父親=東野英治郎がやっぱ光ってましたね、ほんとこの人は上手い。ストーリー自体は江分利氏が大酒を飲みながらもなんとかサラリーマン生活をこなし、ひょんなことから雑誌に連載を載せることになり直木賞を受賞するという山口瞳の半生をテンポよく描いているのですが、ラスト近くになって江分利氏が戦中派としての心情を延々と十分にわたって同僚・後輩に語るという展開は、明らかに作品のテンポを壊してしまった感があります。その語り口も軽妙さは無くてほとんど演説みたいな感じで、こりゃ聞かされる方も堪ったもんじゃありません。こういうことは他の岡本作品には見られなかったところですが、江分利氏と同世代の岡本の真情が迸ってしまったんじゃないでしょうか。この真情が後の『日本のいちばん長い日』『肉弾』『沖縄決戦』などを手掛けるエネルギーの源泉だったのかもしれません。[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-03-29 23:07:20) 16. 影の軍隊(1969) 《ネタバレ》 これほど地味で暗いレジスタンス映画は観たことがないというのが素直な感想です。派手な破壊工作や戦闘場面はほとんど皆無だし、ゲシュタポに囚われた者たちも拷問されるところは見せずに、終わってボコボコになった顔の姿を見せるだけ。仲間を救出しようと救急車を仕立てて監獄に乗り込んでゆくシークエンスなんかでも、これから派手な見せ場が来るぞと期待するのに、瀕死の同志を救い出せずにすごすごと退却してしまう、これは観ていてサプライズでしたね。リノ・ヴァンチュラたちが属するのはいわゆる自由フランス・ドゴール派の組織なので、共産党系の組織・マキ団の様な派手な武力行使が少なかったからなのかもしれませんが、まるでスパイ組織のお話しみたいです。劇中では殺したドイツ兵よりも密告者を粛清した人数の方がどう見ても多い、こりゃ話が盛り上がらないわけです。でも原作者も監督ジャン=ピエール・メルヴィルも戦時中に実際にレジスタンス活動をしていたわけで、きっとこれがリアルでしょうね。戦後フランスではレジスタンス活動は神話化されていたわけで、この映画はそのタブーを無言で批判する様な意図があったのかもしれません。 レジスタンス側のフランス人は全員フランス解放まで生き残れなかったという壮絶な結末、まさにフレンチ・ノワールの巨匠メルヴィルだからこそ撮れたストーリーだったと思います。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-03-26 23:07:28) 17. 赤毛 《ネタバレ》 製作当時はもう五社協定は雲散霧消しているわけですが、こうやって岩下志麻や乙羽信子が東宝映画で三船敏郎と共演しているのが観れるというのは珍しいことです。明治維新のときの赤報隊の史実をもとにしたオリジナル・ストーリーですが、穿った観方かもしれないけど70年安保闘争をカリカチュアしたような脚本であるような気がしてなりませんでした。官軍=佐藤栄作政権という図式で、宿場に突入してきた官軍が村人と対峙する絵面はまるで機動隊と衝突する学生デモ隊が彷彿されます。その村人たちも代官に反抗していたのは女郎屋の女たちと老師に扇動された若者だけで、半分以上の住民がこの騒動を眺めるだけの野次馬だったというのも意味深です。けっきょく赤報隊として官軍に利用されて果てる権三=三船敏郎なのですが、若者たちに詰め寄られて「理想と現実は違うものだ」と逃げを打つ老師=天本英世のセリフを聴くと、70年安保闘争後の無残な学生運動の成れの果てを予言していたようにすら感じます。 前半はとくに岡本喜八節が快調で、岡本映画常連の伊藤雄之助だけでなく三船敏郎までもがコミカルな演技を見せてくれます。権三が吃音気味というキャラ設定のおかげで、三船は普段は聴き取りにくいセリフ回しなんですが切れ切れに喋るおかげでいつもより耳に入りやすかったです。そして全編で効果的に使われるのが“ええじゃないか”節で、あの踊り狂う群衆の迫力は後年の珍作『ジャズ大名』の前振りみたいに感じました、もちろん今村昌平の『ええじゃないか』よりもずっと早いですね。コミカルな前半から打って変わって悲劇的な結末を迎えるわけですが、後半はちょっとテンポがもたつく感はありました。宿場に潜入していた幕府側の遊撃隊のエピソードは、ちょっと詰め込み過ぎた脚本のような感じでもたつきの原因だったと思います。とは言え個人的には珍しい三船敏郎のコメディ演技は堪能できたかなと思います。[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-02-11 22:09:40) 18. いぬ 《ネタバレ》 決して複雑なお話しではないはずなのに、とくに前半は独特な語り口のせいで異様に判りにくい映画になっているんじゃないかな。冒頭でモーリス=セルジュ・レジアニがなんで故買屋を殺すのかとか、モーリスとシリアン=ベルモンドとの関係性とかが特にね。こういうところがフレンチ・ノワールらしいと言っちゃえばそれまでなんでがね。登場人物たちは犯罪組織の上層部というわけではなくローン・ウルフの集まりみたいな感じなのに、妙にきちんとした服装でとくにベルモンドのトレンチコートの着こなしなんか惚れ惚れさせてくれます。完全に“いぬ”はベルモンドだと思わせといての後半での急展開はちょっと都合よすぎるところもあるけど見事な脚本でした。ベルモンドにしても決してカッコよいだけでなく、けっこう躊躇なしに人を殺すダークヒーローなんです。それにしても60年代のベルモンドは、この作品も同様ですけど死ぬ間際の一言がカッコ良いんですよ、死ぬ寸前で女に電話して「フェビアンヌ、今夜は行けそうにもない」ですからね。[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-02-08 21:58:13) 19. 女は二度生まれる 《ネタバレ》 小えんはドドンパしか知らない芸無しのいわゆる枕芸者、つまり客に春を売る方が得意と言うわけ。やたらと靖国神社が映るので、たぶん神楽坂あたりの置屋の芸者なんでしょう。そんな小えんが芸者を辞めてバーのホステスから一級建築士の妾となり、その建築士と死別するまでの男性遍歴がメインストーリーです。とは言っても体を許した男たちとは短いエピソードの羅列みたいな構成で、一種の群像劇みたいな感じです。まあ昭和三十年代のお話しですから、この映画に出てくる登場人物たちの行動というか言動は、現代の観点からは顰蹙を買わざるを得ないでしょう。小えん=若尾文子からしてよく言えば自由奔放、何を考えているのか理解不能な感も無きにしも非ずです。そんな彼女に建築士の山村聰だけは彼なりの愛情を注ぎ小えんもそれに応えようと努力するのですが、だいたい愛人を囲って所帯を持たせて妻や娘を蔑ろにするってのは、ちょっとどうなんでしょうかね、まあこの頃は“男の甲斐性”という感じで決して悪行とはとられていなかったんだからしょうがないかも。山村聰にしては珍しく男の欲望に正直なキャラを演じていました。唯一小えんと純愛的な関係性を持っていた藤巻潤にしても、芸者に復帰した彼女を取引先の外人顧客に接待で上納しようとして、とにかくこの映画に出てくる男どもはどいつもこいつもろくでなし揃いですな。おっと映画館で知り合った若い工員=高見國一だけは例外だったかもしれませんね。あと不協和音が強調される妙に不安を煽るような音楽が、印象的でした。 と言うわけでちょっと変わったテイストの作品ですが、妙に後味が残るところがあります。ところで小えんはこの映画のどこで“二度生まれた”んでしょうかね、やはりラストなんでしょうかね?[CS・衛星(邦画)] 7点(2024-01-31 22:01:36) 20. クレオパトラ(1963) 《ネタバレ》 “映画史上空前の失敗作“としてその名も高い本作、でも意外なことに世界中で大ヒットしてその年のNo.1の興行収入をあげていますが、20世紀フォックスは製作費の半分も回収できなくて社運が傾いて撮影所を売却する羽目にまで陥ります。当時の日本円で143億も製作費が掛かってたら(現在の貨幣価値では幾らになるんだろう…)、そりゃあ利益が出るわけないですよ、ここまで来ると不条理の世界です。金が掛かった原因は監督の交代から始まってエリザベス・テイラーとリチャード・バートンの不倫スキャンダル諸々で撮影期間が四年近くになったこと、ゴタゴタが続いて苦労して完成させた映画は報われない、というジンクス通りになっちゃったわけです。やはりこの映画で「カネかかってるなー」と唸らせてくれるのは、クレオパトラのローマ入城とクレオパトラが船でアントニウスを訪ねて来るシークエンスでしょうな。入城シーンはあまりの壮大さにバカバカしくなってしまうほど、船なんて巨大なガレー船を建造して撮影しているぐらい、もっとも遠景に映るのはどう見ても撮影当時の地中海沿岸の街並みでしたけどね(笑)。クレオパトラの衣装も豪華絢爛の極み、でもなんか現代風のオスカー受賞式で観られるようなドレスが多かった気がします。そう言えば宮殿内の机やソファーなどのインテリアも妙にモダンな感じだったのも違和感があり、考証的には他にも首を傾げるところがありました。 四時間の長尺ですけど、開幕から一時間余りがカエサルとクレオパトラ編、残りがアントニウスとクレオパトラのストーリーという感じで、リチャード・バートンは前半にはまったく登場しません。そういう面ではカエサル編とアントニウス編ではまったく違う映画の様な印象さえ与えかねないところですが、当初の構想ではカエサル編とアントニウス編は別々の映画として合わせて六時間という企画だったのを一本に纏めたそうです。正直なところカエサル=レックス・ハリソンの実に堂々とした演技が光り、肝心のアントニウス編になると単なるメロドラマというテンションになってしまいます。あとクレオパトラの子供がカエサリオンだけでアントニウスとの間に設けた子供が存在しないかのような描き方は、史実とは大幅に相違しています。バートンはアレキサンダー大王を演じているのを観たときも感じましたが、史劇になると妙に大芝居をするようになって持ち味を殺してしまうんじゃないかな。 とは言え歴代クレオパトラ女優の中でもやはりエリザベス・テイラーは別格、まさにクレオパトラのアイコンに相応しいと思います。当時彼女は31歳の女盛り、脱ぐわけじゃないですがあの豊満な乳には視線が釘付けにされてしまいます。パスカルには「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら…」という有名な言葉がありますが、テイラー=クレオパトラを観ていると「クレオパトラがもし貧乳だったら、歴史が変わっていただろう」と言いたくなりました。[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-01-04 22:24:39)
|