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プロフィール
コメント数 65
性別
自己紹介 不定期連載「どうでもいいランキング」

ミュージカル映画部門別ベスト5(ちょこちょこ変動してます)

曲の良い作品5傑
1 アニー
2 若草の頃
3 メリーポピンズ
4 オズの魔法使
5 オペラ座の怪人

ストーリーが面白い作品5傑
1 ヘアスプレー
2 アニー
3 レ・ミゼラブル
4 ウェストサイド物語
5 シカゴ

ミュージカルシーンへの入り方がナイスな作品5傑
1 ヘアスプレー
2 雨に唄えば
3 若草の頃
4 メリーポピンズ
5 シカゴ

衣装・演出・ダンス時の振り付け・その他総合的なミザンセヌ
1 ヘアスプレー
2 メリーポピンズ
3 雨に唄えば
4 チキチキバンバン
5 イースター・パレード

人物描写5傑
1 若草の頃
2 メリーポピンズ
3 シカゴ
4 ヘアスプレー
5 ブルースブラザーズ

神声1傑
バーブラ・ストライザンド

ミュージカル界に来て欲しい人
エフゲーニャ・オブラスツォーワ



その他 超独断&偏見

ルックスを「加点法」で評価すると最強な女優1傑
イングリッド・バーグマン

「減点法」で評価すると無双する女優1傑
エリザベス・テイラー

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評価順1234
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1.  風と共に去りぬ レビューその③ 前半のラストシーンを劇的たらしめているのはプロットだけの活躍ではなく照明の力も大きい。この映画、「スカーレットってあまりに度を越えてわがまま過ぎるからどうしても感情移入が出来ない」という人も結構いますけど、そんな人でもほとんどの場合は「でもまああの前半のラストシーンだけは良かったかな」と思われるんじゃないでしょうか。あんなに憎たらしいと思っていたスカーレットにどうしてあそこだけは感情移入ができるんでしょうか。あそこのシーンをよく見てみると、直前のシーンでスカーレットの顔がシルエットになって、どんな表情をしてるのかが分からないようになっている。実はこれがミソ。どんなにスカーレットが嫌いな人でも、いやむしろ嫌いな人ほど「こんな状況下であのわがままお嬢様がどんな泣きっつらをしているのかが見てみたい」と思うはず。もちろんスカーレットが好きな人(私はこっちです)もやはりこの重要場面での彼女の表情は凄く気になる。そのまさに“ここ”というシーンでなんと! 顔が見えない!! いや~、賢いですねえ。これじゃあ、スカーレットの心は自分で想像するしかないわけです。でも決して押し付けがましいシーンにはなっていない。実質上は「はい、今のスカーレットの絶望的な心情を察してね」という、誘導的、洗脳的なシーンのはずにもかかわらず、まあ、これはとにかく観て頂ければ分かると思うんですが、すごく自然にスカーレットに感情移入していき易く撮られている。この時代の映画で人の顔を隠すという手法を取り入れた有名映画としては「市民ケーン」がやたら持ち上げられてますけど、私は絶対にこっちの方が頭の良いナイスセンスな使われ方だと思いますよ。だってケーンの場合は「観客の注意を喋っている人物ではなくセリフの内容に向けさせる為」という、ある意味「見た目そのまんまやんけ!」という使われ方なのに対して、こちらは「表情を見せないことこそ最強の感情表現なんだ」というお洒落な使われ方ですから。ま、ともかく「単純にシルエット効果により威圧感が増すから」とか、あるいは逆に「見方によっては『彼女の名誉を守るため』という意味合いに取れなくもない」などといった他の様々な理由などとも相まって、スカーレットを白い目で見ていた人でもここだけは「ついフッと…」感情移入してしまうようになっているのであります。レビューその④に続く…。[地上波(字幕)] 10点(2013-12-03 12:03:10)

2.  トップをねらえ!  あしたのジョーという漫画があります。この漫画の中で、ジョーが力石にクロスカウンターを決めた瞬間の一コマ(以下Aとする)と、ジョーが真っ白に燃え尽きているラストの一コマ(Bとする)は共に物凄く強い感銘を受ける画です。でもこの二つの画の性質はかなり違います。Aは漫画以前にイラスト的に優れた画です。だからこのコマ単体を切り取って、あしたのジョーという作品のことを何も知らない人に見せてもその人はきっと「おお!なんだか知らないが異様な迫力のある画だね」とか感銘を受けると思うんです。するとこのコマは必ずしも漫画的に凄い画とは言い切れないんじゃないか?という疑問もなくはないです。一方、Bの方をそこだけ切り取ってやはりあしたのジョーの事を何も知らない人に見せたとしても、多分その人はそんなに感動しないと思うんんです。「ん、なにこれ?練習生の子が疲れてぐったりしてんの?」とか言うだけではないでしょうか。てことはこの画は漫画という流れの中で観たときにのみ❝見えない付加価値❞というやつが猛烈にブワ~ッと吹き出してくる画ということになります。「これがイラストではなく漫画の一コマである必然、意義」とかいうものが凄~く凄~くある画ということになります。漫画的に凄い画とはこういうコマのことではないでしょうか。  E.T.という映画があります。この映画の自転車のシーンは絵的には大変素晴らしいシーンで私も好きなシーンです。でもこれをあしたのジョーで例えたらAになりますよね。あの自転車のシーンだけを切り取って、何か全然関係のないプロモ映像のワンシーンとして作り直してしまって、で、やはりE.T.の事を何も知らない人(滅多にいないでしょうがw)に観せたとしてもその人は多分「おお!なんてセンスオブワンダーな映像なんだ!」とか感動すると思うんです。てことはこれまた「本当に❝映画的❞に凄いシーンと言えるのか?」という疑問も無くはないわけです。  第三の男という映画があります。この映画の中でのウェルズの初登場シーンもまた絵的に凄いインパクトがあります。しかし私が思うにこのシーン、下手にストーリーというものが存在し、そのせいで(この画的に)余計な制約が入ってしまう映画の中で観るよりも、何も知らない真っさらな状態でいきなりポンッと観せられた方が「うおお!なんじゃこの男の異様な迫力は! こいつはいったい何者なんだ? なんでこんな笑い方をしてるんだ? 何をしようとしてるところなんだ? そもそもここはどこなんだ? こいつは今までどこにいたんだ? 隠れていたのか? 誰かに追われるような悪いやつなのか? ここからどこかへ行こうとしているところか……」とかあれやこれやの想像力を連鎖反応的にブワブワブワア~ッと刺激されまくる凄まじくセンスオブワンダーな映像になったと思うんです。てことはこれはBとは全く逆にプロモ映像として観たときにこそ本当の真価を発揮する映像なんじゃないでしょうか。  セッションという映画があります。これのラスト何分かのシーンは上記とは全く逆、つまりBタイプだと思うんです。あのシーンだけを切り取って、やはり何も知らない人に見せたとしてもそんなに物凄くは感動しないはずです。ところがどっこい、これが映画の中で観せられた途端に❝見えない付加価値❞ってやつがギュ~ンと急上昇する訳です。てことは「これが映画のワンシーンである意義」ってやつが凄くあるシーンということになります。「これぞ映画だ!」ってやつです。  で、このトップをねらえなんですが、この映画のラストシーンもまた明らかにBです。あれ自体を何も知らない人に観せてもそんなには感動しないはず。あの猛烈な感動は映画の中で観たときのみのもの。❝見えない付加価値❞の上昇率がもう半端ないです。  続く……。[ビデオ(邦画)] 9点(2017-04-08 15:10:45)《改行有》

3.  メリー・ポピンズ 《ネタバレ》 冒頭のバンクス夫妻のミュージカルシーンへの入り方の巧さに感心。人前で突然歌い出すという行為自体を、マイペース人間を表す為の手段にすることによって巧みに「無駄の無さ感」を出している。この「無駄の無さ感」というやつがとても重要で、ミュージカルアレルギーな人が観ても「あ~も~いいから早く唄い終わってよ」という気にさせないようにしている。そもそもそれ以前の段階でも、バートの奇抜なキャラクターや、愉快な海軍提督を出すことによって、人が突然歌いだしたりしてもそれほどの違和感を感じさせない空気を作っている。また、「ミュージカルという非日常的行為が、ただ単体で存在するではなく、周りの日常に対して何らかの影響をパパ~ッと与えた結果、何らかの楽しい副産物が生まれる」という、私の大好きな方式が採用されているのも嬉しい。煙突から帰ってきてはしゃいでいる煙突夫たちを見てびっくりする家政婦達。だがあっという間に彼らのペースにハマッていく。おお、くるっと一回点。この年齢の家政婦では本来なら絶対無理な行為。つまり非日常が日常に影響を与えた訳だ。ここでもやはり無駄の無さ感(別の言い方で言うと「わざわざミュージカルという手法をとる意義感」とでも言おうか)が感じられて心地良い。ミュージカルシーンがただ単体でポンッと存在するだけの排他的性格を持つサウンドオブミュージックとは明らかに別種。おっと、別種といえば「悪い人をやっつける」ではなく「人の悪い部分を治していく」というお話になっているのも既存の映画とはやはり一線を隔てる存在。この映画の中でポピンズやバートが「無理解なるジョージ」のことをあからさまに批判するシーンは実はほとんど無い。普通の映画だったら多分ジョージはもうちょっとはっきりと「あなたの生き方は間違ってます」と引導を渡されるはず。そんな「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」ではなく「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」的なインテリマジカル(なにそれ)な空気がこのポピンズという稀有の魔法使いには本当に良く似合う。こんな魔法使い日本の漫画やアニメにいましたっけ?宮崎駿でも作れないキャラクターなのでは? 「清く正しい選ばれし存在だけが助かれば後の人はどうなろうと知ったこっちゃ無いのよ~♪」というノアの方舟的な思想が見え隠れするサウンド(以下略)とは好対照な終わり方もナイス。[地上波(字幕)] 9点(2014-12-24 02:52:59)

4.  となりのトトロ 原始ミュージカル映画。[地上波(邦画)] 9点(2014-10-10 09:18:08)

5.   個人的な話で恐縮なんですが、私は子供の頃からずっと疑問に感じていたことがありまして、それは「この世に神様がいるなら、どうして人間社会の争いごとがなくならないんだろう。どうして哀れな境遇にいる我々を救ってくれないんだろう」というものでした。そしてその疑問に対して、思いがけない解答を与えてくれたのが、チャップリンと黒澤明さんだったんです。「悲劇を遠くから見ると喜劇になる」これを教えてくれたのはチャップリンです。そして「人間社会のいかなる事象も神には美しく見えている」これを教えてくれたのが黒澤明さんだったんです。いや、もちろんはっきりとそう仰った訳ではありません(チャップリンは言いましたけど)。でもこの作品を初めて観た時、もう頭にズッガ~ンという衝撃が走ったんです。大勢の人間が殺しあう合戦シーン。燃える城。絶望に駆られて自決する女達。傍で見れば目も当てられぬほどに残酷なはずの首無し少女の死体…。不謹慎を承知で言わせて頂きますが、私は正直、これらを観た時「ハハ~、なっるほどな~! こりゃ神様も我々のことをほったらかしにするわけだわ!」と思ってしまったんです…。もちろん、だからといって黒澤さんが「ね、わかるでしょ? 神様は人間のことを善か悪かで判断してるんじゃないの。美しいか否かで判断してるんだよ」というメッセージを込めたという証拠などはありません。単なる私の個人的な感じ方です。でも私には、一般に言われている「黒澤さんが言いたかったのは、人間社会の愚かさ、因果応報、憎しみの連鎖、その他もろもろがなんたらかんたら…」という類の意見は割とどうでもよくって(←何様)、要するに「神の視点で見れば、こんな醜い争いもこんなに美しく見えてしまうんだよ」という、ある意味では「因果応報うんぬん」どころでは済まないスーパー絶望レベルのとんでも残酷メッセージが込められてるんじゃないかなーと思うんでありますが、どうでしょうか。 あ、それから最後に一言。私、だいぶ前に何がしかのレビューで「この映画におけるスローモーションシーンは大変に美しい」とかなんとか書いた記憶があるんですが、今回久しぶりにテレビでやってたのを観たところ、スローモーションなんぞ一ミリも出てこないことが判明しましたw あっれ~、おかしいな~^^(←バッキャロ~!)[地上波(邦画)] 9点(2014-05-01 23:18:52)

6.  シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語 現在絶賛中のゼロ・グラビティ(私も先日観て度肝を抜かされたクチです…)といい、この作品といい、私の様な古いおっさん映画好きにとっては「ヤバイ…。これは、今までの映画が『過去の遺物』となる時代がやってきてしまったのかも…」という、底知れぬ焦りを誘う様な作品です。ゼログラの場合はまだ「お、落ち着け…。こ、こんなの、要するに無重力描写だけがズバ抜けているだけだ、ハ、ハハハ…」という負け惜しみが成り立つかも知れません。でも、この作品は…ああ、この作品ときたら! 色の使い方、照明の使い方、スローモーションの使い方、etc…。はっきり言います。これは私が今までに観たどの作品よりも凄い映像です。でもいいのか? だって、こんなの「映画」じゃないでしょう。アトラクション、もしくはシルク・ドゥ・ソレイユという団体の為のプロモーション映像でしょう。そんな、「たかがプロモーション」に、私が今までに観たどの作品も勝ててないんですよ…。変な言い方ですけど、なんだか今までの私の映画人生を全て否定された様な気が…。いや、ホント、恐怖を感じる程の見事な映像ですよこれは。もちろん、ストーリーは全然大したことありません(有難い事です…)。ある女の子が、不思議な世界へ迷い込み、一目惚れの男性を追っての旅に出る…。ただこれだけです。でもこの女の子がと~っても魅力的なんです。ルックスはそれほどでもないんですが、サーカスガールだけあって、スタイルと姿勢(これがミソ!)が抜群に良く、ただテクテク歩いてるだけでも凄く絵になる子(と言っても30近いんですがw)なんです。衣装も考えられていて、スカートの丈の長さが絶妙(ひざの少し下辺りになってる)で、これは特にスローモーションで走っているときに、彼女の健康的なふくらはぎの美しさが際立つ様になってます。圧巻はラストの空中ブランコのシーンです。ここでほとんどの人は「あ!ここまで出来る子だったのか!」とビックリするハズです。特に私のお気に入りは、地上での前宙返り! ここは何度観てもウットリします。もう十回は見直したでしょうか。前述した様に、この作品は厳密には映画ではないと思います。でも映画ファンが絶対に観ておくべき作品でもあると思うんです。私は「とにかく脱帽させられたんだから」という事で9点としますが、「こんなもん、0点じゃ!」という方の考えも分かるつもりです。[地上波(字幕)] 9点(2013-12-24 00:41:00)

7.  若草の頃  実在した家族をモデルにしただけあって、各キャラクターが立ちまくってます。「こいつは主人公の魅力を引き立てるための将棋の駒だな」というキャラクターなどほとんどいません。若草物語に父親(これがまたいい役者さんなんだ)をプラスさせたとでもいうべき家族描写の微笑ましさが素晴らしい。当時7歳のマーガレット・オブライエンが、スープをサジですくっては「あぐ!」すくっては「あぐ!」とやるシーンは一撃必殺の可愛らしさです^^ 基本のドラマパートがこれだけしっかりしているので、ミュージカルがそれほど好きではないよという方がご覧になっても、十分に楽しめると思います。  路面電車のシーンがこの時代にしては恐ろしく画期的。というのもミュージカルと言うのは普通は「主人公が突然歌いだすことにより、一時的に周りの世界を置き去りにする」ものですが、ここでは全く逆に周りのみんなが歌いだす事により、主人公の方が(精神的な)置いてきぼりを食らう。一人寂しく螺旋階段(おろおろ感を出すミザンセヌ)を登る主人公。…と、彼氏が走ってくる!次の瞬間「ハイ、ここからは私が場の支配者よ」とばかりにサッと歌いだすジュディ。同時にまたサッと周りがジュディを祝福する側に切り替わる。このセンスが本当に素晴らしい。 2017.10.24  パーティーが終わった後、薄暗がりの中でジュディが隣人ボーイに唄いかける瞬間は凄まじく心地良いのだがそれもそのはず、ここでのミュージカルへの入り方は全ミュージカル史上でもトップレベルの入り方になっている。あの瞬間、男の方が女に観惚れている感じだが、しかしそのたったの数分前までは立場は逆だったのだ。パーティーが終わった直後の時点では明らかに女の方が一方的に男に夢中なだけであり、男の方はそれほどでも無さ気である。しかしここから長回し&照明が絶妙なコンビネーションを見せる。両者の間に漂う‟恋の制空権”が徐々にシフトしていくのだ。ある何らかの瞬間をきっかけにとかではなく徐々にという所がミソ。女が男に「照明を消すのを手伝って」と頼む。隣人ボーイはそれを快諾して照明を一つ一つ消していくのだが、この時の照明が本当に上手い。一気にではなく少~しずつ少~しずつ暗くなっていく。この家はジュディの家であり隣人ボーイにとっては敵地なのだからして、場の空気がボーイにとっては徐々に心細くなっていく。同時に両者の距離感が徐々に縮まっていく。さらに奥の手というか、他人の家の照明に不慣れなボーイが時々線の捻り位置を戸惑うのを女が教えて‟あげる”のである。このような過程を得て恋の制空権が本当にちょび~っとずつ男方から女方へとシフトしていく。ここでさらに第二の奥の手、階段の高低差を使った演出がズバッとハマる。女が男を見下ろし男は女を見上げる。この時点で観ている我々の立場としては「あ、これはもう恋の制空権が男側から女側へとガタ~ンと傾いたと思っていいんだよね? いいんだよね?」みたいな微妙な感じになっている。なにしろ恋の制空権のシフトのちょび~っとずつ具合があまりに上手すぎるために「ここらでぼちぼちはっきりした‟一押し”が欲しいなあ」という感じになっているわけだ。そのまさに「今だ!」というときにジュディが歌い始まるのである。「今の君の素晴らしさを何と表現しようか、え~と…」みたいな感じになっている男に対して女が「はいはい、しょうがないわね、あんたの言いたいことはこうでしょ」という感じで歌って‟あげる”のである。もうお分かりだろう。そう。このミュージカルの入り方というのは「はい、みなさん、お待たせしました~!もうここを持ってはっきりと恋の制空権が男側から女側へとシフトしたと思っていただいて結構ですよ~」という製作者からの我々への公認のGOサインを兼ねた入り方になっているのだ。そしてそれが「そうだと思いたいなあ」という状態でいる我々の願望をこの上なく心地良いタイミングで後押ししてくれるものなのでこれ程までの心地良さを感じることが出来るのだ。本当にセンスの良い入り方とはこういう入り方の事を言うのである。しかし本当に長回しの効果が絶大なシーンだ。実は私は世に存在する長回しシーンのまず8割方は嫌いなのだ。「なんちゅう芸の無い使い方じゃ。長回しが元々持っている特性をただそのまま使ったっていうだけやんけ。ある意味、『ほら見てください!星形のプリン型を使ってプリンを作ったらなんと!星形のプリンが出来ちゃいましたよ~!』とか言っとるようなものやんけ…」と呆れるものが多いし、眠たくなってくるものも多い。しかしここのシーンは別格である。  後半(秋パート)のミュージカルシーンで階段を上手く使って家族全体の沸点が徐々に下がっていく様子を表現したシーンも秀逸。この映画はミュージカルの見本ですな。[DVD(字幕)] 9点(2013-12-14 12:22:15)(良:1票) 《改行有》

8.  ライムライト 一見すると、非常にベーシックな感動系映画に思えるこの作品。実はこの手の映画としては異端児的な作品なんです。何が異端児か? 世の大半の感動系映画を思い浮かべてください。ほとんどの映画には「悪人」が出てきます。でもこの映画には出てきません。この違いは何か。実はハリウッド映画の大半は「悪とは自分の外に存在するものだ。君が不幸でいる時、それは社会の責任なんだ。ほら、目の前に悪い奴がいるだろう。そうそう、こいつの責任なんだ。うんうん、君は悪くないんだよ。被害者なんだよ」とする点では概ね一致するからです。それがライムライトという名のこの異端児は「悪とは自分の内に存在するものだ。君が不幸でいる時、それは君自身の弱さが問題なんだ。悪いのは君だ」と、ハリウッド映画界に喧嘩を売る様なとんでもない主張をします。この映画をおとなしい優等生映画だなんて思ったらとんでもない、これは天下の大ハリウッド様を著しく不機嫌にさせる不届き千万な映画なんです。「甘えるな!自分の運命は自分で切り開け!」このテーマをより効果的に伝える為にこそチャップリンは悪人を出さなかったんです。例えば、テリーを「パッシーーン!」と引っ叩くあのシーン。普通のハリウッド映画ならば大の大人が(まして主人公が)イタイケな少女を引っ叩くなどありえない。なぜありえないか?そういう作りになってるからです。通常の映画ならばあそこにいくまでの展開で「少女には借金取りだの関係を迫るオーナーだのといった悪い奴が日々付き纏い、同情の余地が十分にある」という話にしているからです。それでは引っ叩けない。もし引っ叩いたら「ちょ、ちょっとチャップリンさん、あーた何もそこまでせんでもええやねん…」という空気になってしまうでしょう。でも異端児ライムライトは違います。天才チャップリンの巧みな構成術によって「少女には一応同情の余地はあるんだが、なんとかがんばって欲しい」という絶妙の展開で進んできたからこそ、あそこでの「パッシーーン!」が生きてくる、とこういうわけなんです。この作品がいかにも世の左翼系の映画評論家が好きそうな話でありながら、チャップリン映画全体の中では今ひとつパッとしない(一応は褒めるんですが)評価でいるのは「いつもみたいに「悪いのは社会の責任だ」と言ってほしい」という彼らの願望を完全に満足させてくれないからではないでしょうか。[地上波(字幕)] 9点(2013-11-24 17:18:59)

9.  ヘアスプレー(2007) 《ネタバレ》 ミュージカル映画を冒険アドベンチャーモノのプロットで作ったらこうなりました、という見本のような映画。このプロットというのが本当にコテコテの王道プロットでして、割と色々な映画でも使われているものです。①主人公がある大きな難関に遭遇し、すごすごと引き返してくる。②社会的地位の低そうな連中(黒人の不良生徒達)の仲間になる。③野蛮なはずの彼らが実に洗練された技術(ダンステクニック)を持っていた。その技術を授かって難関を突破。④難関突破のご褒美イベントとして、主人公が以前から「いつの日かあそこに…」と憧れていた場所(TVスタジオ)で自由に行動できる状況に。以降、「忙しいが非常にやりがいのある充実した日々」が過ぎていく。さらに、素敵な異性との仲が親密になる嬉しいイベントも発生。⑤蜜月の日々から一転、主人公の運命が急激に破滅へと向かい始める。仲間達と離れ離れになり、主人公の立場が刻一刻と悪い方へと向かう。⑥絶体絶命の状況から一気に敵の懐までスッポ~ンと飛んでいくありがたいワープイベントが発生。⑦最後は愛する人との共同作業で敵にトドメを刺す。…と、まあ大体こんな感じの話になります。こうしてみると本当に教科書的な王道プロットです。実はこのプロットは、宮崎駿さんの傑作「天空の城ラピュタ」にそっくりの構成なんです。試しに②の「黒人の不良生徒達」を「海賊達」に、③の「ダンステクニック」を「飛行機」に、④の「TVスタジオ」を「大空」に変えてみて下さい。あとはほとんど同じになりますから。ま、ともかくこの映画、黄金期の宮崎駿さんも好んで用いたこの超優等生プロットのお陰で、ミュージカル映画としては驚異的なハイペースでサクサクと気持ちよくお話が進んでいきます。普通のミュージカル映画では、ミュージカルシーンに入るとそこで一旦ストーリー進行が途絶えがちになったりするものですが、この映画ではミュージカルシーンでもお構い無しにどんどんストーリーを進行させるという方法がとられているので、その疾走感たるやかなりのものです。ミュージカル映画でここまでのスムーズネスを実現した映画はちょっと例がないのではないでしょうか。シチュエーションを頻繁にチェンジさせて、視覚的にも飽きさせない工夫がなされているのも感心しました。これには「雨に唄えば」的なサービス精神を感じます。9点です。良く出来てます。[地上波(字幕)] 9点(2013-08-16 20:34:03)(良:1票)

10.  時計じかけのオレンジ 「悲劇を遠くから見ると喜劇になる」 by Charles Chaplin[地上波(吹替)] 9点(2013-08-14 23:15:17)

11.  青い珊瑚礁(1980) 《ネタバレ》 この頃のシールズを見ていると「果物は腐る直前が一番ウマイ」というのも頷ける気が(←こ、こら!)。また、シールズの影に隠れてはいるが子役の子だって十分に可愛い。といっても「プリティベビー」の頃のシールズにはやはり敵わないが。ラストがちょっとまどろっこしい終わり方になってるのは、製作者の立場からすれば「もし普通に『うう、もうダメだ、喉がカラカラで死にそうだ…。あ、船だ!お~い、助けてくれ~!』という終わり方にしてしまうと、なんだか『一時は気の迷いで島の生活を優先させたけど、いや~、やっぱり文明社会が一番だね。ああ、文明様や、ありがたや、ありがたや…』みたいな空気になってしまって、この映画で一番言いたかったことの焦点がぼやけちゃう危険性があるな…」という考えだったんじゃないでしょうか。また、「普通の映画みたいなドラマティックなストーリー展開がほとんどない」というのもこの映画的には大正解なんじゃないでしょうか。そもそも普通の映画がなんでドラマチックな展開になってるかと言うと、要するにそれによって「主人公の精神的な成長過程を表現する」のが目的なわけですが、この映画ではそのような“外的な要因”に対応することによってどうこうの話でなく、人間が元々持っている自然な“肉体的(性的)変化”に対しての二人の不器用だが一生懸命な対応の妙が面白いわけですから。考えてみりゃ、シールズとアトキンズが登場した時にはもう「いい年頃の若者」ですよね。それが「お~い、待てよ~、ハハハ~…」とか追いかけっこしたりする姿が微笑ましく観れるのも、変にドラマチック過ぎる展開にして急激な精神的成長をさせないからこそです。つまり「外界と遮断された世界」という設定を賢く使ってるわけです。「既に様々な知識を持っている男女なんかを外界と遮断された世界に送り込んだところで、身体的成長に関する話も面白く出来ないわ、精神的成長に関しても面白く出来ない(何しろ何も起こらない世界なんだから)わで、表現できることなど限られてるに決まってるじゃないか」とつっこみたくなる様なお間抜けな続編より断然クレバーな映画だと思ったんですけど…。平均点5点台…。予想を遥かに下回る点数にちょっとショックです…。これ、そんなにダメな映画っすかね…?[地上波(吹替)] 8点(2015-03-22 14:15:09)

12.  MAMA(2013) ホラー映画というのももう随分作られてきたし、モンスターの造形をはっきりさせない、あるいははっきり見せないことによる恐怖心の増幅術なんてもう完全に出尽くしただろうと思ってたんですが、この映画のオープニングを観て「うわ~、やられた!その手があったか!」と脱帽。 “幼い子供達の手による拙い絵”…いや~、もうね、とにかく観ていただければ分かるんですが、これがメチャメチャ効果絶大なんですわ。子供達に混じって何だか明らかに“変”な奴が映ってるんですわ。「この子達はこんな奴と一緒に5年間も何してたんだろう…」と考えただけでもうゾ~ッとするんですわ(わーわーうるさいですか?w)。オープニングが終わった頃にはもうすっかり掴みはオーケー状態。一旦こうなってしまったら後は製作者の思う壺。以降は徹底して直接的な描写を避けるんです。「はっきりさせない、見せない」という心理効果をこれでもか!ってぐらいに効果的に使ってきます。いやもう巧いのなんのって。映画センスありまくり。驚きました。この新人監督さん只者じゃないですね。まるでベテラン監督みたいに映画を知っている。今まで何してた人なんだろ。本当にズブの素人からいきなりこれ作ったんなら「天才」以外に言葉が見当たらないな。無理やり表現するなら「エイリアンとリングを合体させたような怖さ」とでも言いましょうか。いや、こんなんじゃダメだな~、私では文才がなさ過ぎて上手く表現できないや…。もうとにかくみなさん観てください。それもできれば二回観てください。ここ十年ぐらいでは最高のホラー映画だと思いますんで。 《追加レビュー》新人監督さんを褒めちぎりましたが、よく見たら製作はギレルモ・デル・トロだったんですね(早よ気付け!w)。但しどうでしょうか。はっきりとギレルモっぽいなと思えたのはラスト10分程だけですし、しかも皮肉なことに私にとってはその10分が一番つまんなかったんですよね。この映画の核である3分の2ぐらいの部分が誰の力量によるものなのかがいまいち良くわかんないんですが。あと、エイリアンよりもプレデターっぽいかなと思った部分もかなりありました。ある意味では半透明的な存在ですからね。恐怖の生み出し方もエイリアン的でもあるがプレデター的な怖さでもあるなと思えました。狂人という設定にしたのも賢い。適度にいい加減な行動をとってくるので常に油断がならない。[地上波(字幕)] 8点(2015-03-13 00:35:33)

13.  小さな恋のメロディ この映画で一番可愛いのはメロディではなくダニーのママ。異論は認める。[地上波(字幕)] 8点(2015-01-01 00:51:43)(良:1票)

14.  雨に唄えば しかし本当によく「動く」映画だ。ミュージカル界のとなりのトトロだな。…いや、待てよ、「となりのトトロの方がミュージカル的なんだ」というべきなのか…。ま、ともかく「走る、跳ねる、回る、叫ぶ、笑う、バンザイする…などといった、一定以上の複雑な思考を必要としない、人類が太古の昔からやってきた本能的な感情表現を、「サイレントからトーキーへの移行期」という設定をなんともまあ巧~いこと使って、違和感なく流れの中に盛り込んだという天才的作品です。もう「唄うついでに動く」のではなく「動くついでに唄う」の領域ですもんね。「♪ローゼス、モーゼス…」なんて、思考などという上等なものはほとんど働いてなくって、掛け声を叫んでるみたいな感じですからね。そもそもここのシーンでのミュージカルに入っていく動機というのも、まず発声練習させられてるジーン・ケリーが退屈でいかにもかったるそうな様子であるのを見せておいてから「さあ、観ている方もぼちぼちイライラしてきたよね?動きたくなってきたよね?ハイ、じゃ、ここでちょっとふざけて茶々を入れて、ほ~ら、一息つこうよ、先生」という風な、実に子供じみた理由ですから。また、オコナーがアクロバチックなダンスを披露するシーンでも「なに?自分に自信が無くなった?そんなときはとにかく動いて無理やりにでも笑うんだ!」というやはり子供じみたパッパラパー本能で入っていきますから。「ここで動きたい」というときにミュージカルに入ってます。結構これが分かってないミュージカル映画が多くって、「ここで唄わせたい」という理性的な理由でミュージカルシーンに入っていこうとした結果、「…さて、それじゃ、ただ唄わせるだけなのも芸がないからちょっくら動かしてみるべ」という本末転倒な行為に及んでいるノーセンスな作品のなんと多いことか。「お前ら、本当にそこでそんな動きをしたいと思って動いてるのか?」とつっこみを入れたくなる作品のなんと多いことか。人間、動く必要のないところで動くことほど不思議で気色悪いことはないのである。その点、この作品は本当に「そもそもなんで踊るのか、唄うのか」というのをよく分かってるし、わざわざミュージカルでやる意義のある作品だと思います。「唄うついでに動く」というタイプの作品の大半は、比較的容易に小説化が可能ですが、この作品の面白さを小説で表現するのはさぞや骨が折れるでしょうね。[地上波(字幕)] 8点(2014-09-26 20:33:18)(良:1票)

15.  道化死てるぜ! 将来の大物コナー・マクマーンに期待を込めて8点。[地上波(字幕)] 8点(2014-06-14 23:59:31)

16.  シザーハンズ 《ネタバレ》 ひねくれまくりのプロット進行が斬新でした。主人公が異質な世界に遭遇するお話と言うと、普通は「平凡な主人公がある日を境に特異な世界に飛び込んでいく→最初は敵かと思われた連中がひょんなことから仲間になってくれる→彼らのおかげで主人公の状況が好転する→そのおかげで様々な難関に立ち向かえるようになり、その度に人間的に前向きに成長していく」という話の流れになることが多いのですが、この映画では何もかもがあべこべで「特異な主人公がある日を境に平凡な世界に飛び込んでいく→最初は友好的だった連中がひょんなことから敵に転じる→難関に遭遇する度に酷い目に遭って精神的にへこんでいく→それでも経験を積んでいく内になんとか成長はするのだが、それは「自分は他者と共に生きていく事が出来ない」という現実を悟るというマイナス方向の成長であった」と、普遍的な王道映画の主人公とは全く反対の方向へと進んでいきます。難関に遭遇しても立ち向かわない(むしろ逃げる)というのもハリウッド映画の模範的主人公からは程遠い存在です。ここまで綺麗にひねくれたプロットになったのは単なる偶然でしょうか。ひょっとしたらティム・バートンさんは「究極的に反社会的でピュアなキャラクターがいたとしたら、そいつの物語は王道的な映画の主人公とは全く逆の展開になるのではないか」みたいな事を考えたのではないでしょうか。そうそう、ヒロインが必ずしも善人でないというのも斬新でした。ヒロインの狡さに関しては不満のある方も大分いらっしゃるようですが、私はリアリティがあって良かったと思います。そのおかげでラスト近くでの孫との会話の中で「私はあれ以来ずっと彼に負い目を感じて生きてきたのよ」とでもいうべき重苦しさ、いたたまれなさの様なものが濃く出ていたように思います。そして私が一番感動したのはラストシーン。雪の舞う城を映しながらカメラがゆっくり引いていくんですが、そのときのスタッフロールの流れ始めるタイミングがもう絶妙なんです!初めて観た時(その時は映画館でした)には余りの素晴らしさに思わず声が出そうになりました。私はあのスタッフロールの入り方は映画史上でも屈指のナイスタイミングだと思うんですが、既見のみなさんはどう思われたでしょうか。そして未見の方、この素晴らしいラストシーンを観る為にも是非ともこの映画をご覧になってください。超A級のラストシーンです。[地上波(字幕)] 8点(2013-11-18 01:43:41)(良:3票)

17.  モロッコ 《ネタバレ》 もしも役者のタイプというものを大まかに①演技力がなくてオーラもない。②演技力はあるがオーラがない。③演技力はないがオーラがある。④演技力があってオーラもある。という4つに分けるとしたら、普通の役者さんというのは①→②→④の過程を経て成長していくものだと思うのですが、このクーパーという人は「いきなり③の状態でデビューして、しかもその後も生涯を通じて③のままの自分を貫き通した」という豪傑タイプの人だったのだと思います。ジョン・ウェインのように①→③の順に「成長した」のではなく、あくまでも最初から一貫して③だったというのが面白い人です。こんな人がひょっこり出てきたのは単に時代のせいでしょうか。あるいは、ズバ抜けたハンサムであるという条件と、デビューが遅かったという条件とが重なった事により、「俺は演技なんて知らない。だが長いモテモテ人生のおかげで女性のハートのつかみ方だけは経験で分かってるんだぜ~!」というような状態だったからでしょうか。ま、ともかくこの稀有の役者さんの特性が結果的に上手く生きたなと思えるシーンがあります。ディートリッヒからこっそり貰ったカギでクーパーがディートリッヒの部屋を訪れるシーン。ここのシーンでは、二人が腹の探りあいを兼ねた「カッコつけ合戦」ともいえるやり取りを交わすのですが、徐々にクーパーの方が、「む、これは相手の方が一枚上手だったか」というような感じで押され気味になり、終いには「いや、あんたにはまいったよ」という感じで一時退散してしまうことになるのですが、これが「オーラというハッタリのおかげで、ディートリッヒになんとか上辺だけは対抗して見せるが、全体としては、演技学校に通った事もあるディートリッヒの圧倒的存在感とのレベルの違いを見せつけられて、まるで子ども扱いされてしまう」という具合に、二人の役者としてのテクニックの差とシーンの内容とが上手くシンクロしてとても面白く観ることが出来るんです。スタンバーグがこのような効果をどこまで「意図的に狙って」作ったのかは私にはわかりません。例え結果的にだとしても、この二人による他の映画ではちょっと例がないと~ってもヘンテコな空気感は凄く面白い、貴重だ、ナイスだと私は思うのですが、どうでしょうか。確かに変わった映画で、万人に(特に若い人に)オススメ出来る映画ではありませんが、私はすっごく好きです。8点です。[地上波(字幕)] 8点(2013-10-01 21:26:16)

18.  スティング 《ネタバレ》 長いハリウッド映画史の中でも脚本の面白さという点ではトップクラスではないでしょうか。実はこの映画、万人向けエンターテイメント作品としては「主人公の仲間の能力が高すぎて、主人公はひたすら助けられる側にばかり回ってしまい、そのせいで人間的な成長過程があまり描かれない」という欠点が一応はあるんです。でもその欠点も、軽快なBGMや、章ごとに区切って小題を出すなどの洒落た演出によって、観ている者に「ストーリーを追うことに意識を集中してね」という暗示をかけることによって巧~く誤魔化しています。それでもなんか巷のサイトなどを見ていると、「女の殺し屋がフッカー殺害をあそこまで引き伸ばすのは不自然だ」とか「主人公は結局一人では何もしてないに等しいじゃないか。要するに仲間の考えてくれた作戦にのっとって行動してるだけ。ハリウッド映画の主人公のくせに、ピンチになっては仲間に助けてもらってばかりで情けない。最後の敵も結局きちんとトドメは刺さなかったじゃないか」とか言う意見が目に付いたのですが、これらについては反論があります。まず、殺し屋がフッカー殺害を引き伸ばした件ですが、理由はズバリ「フッカーと寝たいと思ったから」ではないでしょうか。映画をよく観ると、例の飲食店内でフッカーがちらちらと殺し屋(もちろんこの時点では殺し屋だと分かっていない)の方を見るシーンが出てきます。殺し屋は凄腕ですから当然フッカーの視線に余裕で気付いてたでしょう。そしていい年の女ですから「ふうん、この子私に気があるんだ。じゃあ、このハンサム君を頂いてからでも殺すのは遅くはないか」と、こう思ったんじゃないでしょうか。お世辞にも美人とは言い難い容姿なので、フッカーの程の美男子からの熱視線というのはそれほど経験がなかったはずで、職業柄表情には絶対出しませんが、実際にはかなり「ときめき」を感じていたんじゃないでしょうか。そしてもう一つ「フッカーが頼りなくてラスボスにトドメも刺していない」という件についてですが、いやいやとんでもないですよ、何言ってんですか。フッカーは見事にラスボスを「パッカーーーン!!」とノックアウトしましたよ。ロネガンを超える究極のラスボスである「我々」を…。[地上波(字幕)] 8点(2013-08-29 21:04:34)

19.  ショーシャンクの空に 《ネタバレ》 この映画が名作になったのは、主人公が二人いたからだと思います。この映画、確かに話はとても面白いんですが、万人受けするためにはアンディがちょっとばかしスーパーマン過ぎるんですよね。大体この手の話で面白い展開というのは「主人公がある特異な状況にポーンと放り込まれ、自分一人の力の限界を痛感させられる。だがまもなく頼もしい仲間との出会いがあり、彼らから何らかの力を授かることによって主人公の状況が好転し、また精神的にも成長していき…」というものが多かったりします。実際この映画も例外ではなく、劣悪な環境下で仲間との出会いがあるというところまでは割りとスタンダードなストーリー展開で進んでいくんですが、ここから先が主人公が影響を受ける側ではなく与える側に回ってしまうんですね。このままでは主人公の心の成長が描きにくい。でもその欠点をもう一人の主人公のレッドがカバーしてくれるんですね。もしレッドがいなかったらこの映画は「どんな状況でも決してめげない強い男が見事脱獄に成功しました。ハイ、めでたし、めでたし」というだけの大味な映画になっていた可能性もあったと思います。でもアンディが脱獄した後でもそこで話を終わりにせずに、さらに続けて「俺は生きる方を選ぶぞ」というレッドの人間的成長を見せてくれたお陰でラストシーンであれだけの感動を生み出すことが出来たんだと思います。そしてもちろん一番の見せ場である脱獄のシーンも爽快感いっぱいです。やはり人間の心理として「ああ、もうダメか、ここまでか~!」という状況から一気にスッポ~ンと抜け出していくワープイベント的なものはとても気持ちの良いもののようです。そういえば、この映画同様に「世界的にはそれほどでもないが日本ではとてつもなく人気がある」というバック・トゥ・ザ・フューチャーのクライマックスシーンも同じ心理効果によるものですよね。ひょっとしてこれは日本人の感性に合ったイベントということなんでしょうか?ま、ともかくこの映画、かなり良く出来てますが、刑務所長をはじめとする何人かの心理描写が若干甘いかなと思えたので8点です。[地上波(字幕)] 8点(2013-08-20 21:28:44)

20.  七年目の浮気 《ネタバレ》 マリリン映画の中ではこれが一番好きです。一般的に評価の高い「お熱いのがお好き」の方は、なまじ作品自体の完成度が高いだけに、マリリン以外の女優がヒロインをやっていてもそれはそれでヒットしていたような気がします(歌のシーンは良かったですけど)。それに引き換え、この作品はどうでしょう。もしヒロインがマリリン以外の女優だったら単なるしょうもないコメディ映画で終わっていたんじゃないでしょうか。つまりこの映画はマリリンが出た甲斐のある映画という事です(この映画以外では「王子と踊り子」なんかもそうですよね)。この、「ストーリー自体のしょぼさを女優自身の魅力だけでここまでのレベルで救うことが出来る」という点が、彼女と同時代のライバル達との一番の違いかなとも思えます。名前はいちいち挙げませんが、同時代の人気女優のほとんどは、ストーリーに救われることはあっても、ストーリーを(本当にここまでのレベルで)救ったことは実はほとんど無かったんじゃないかと思うんです。そういった意味で、マリリンの凄さが良く分かる好サンプルなのではないでしょうか。ほかに「お熱いのがお好き」よりも好きなところは、単純にカラー映画であり、しかも明るい画面が多いので彼女のブロンドがとても冴え渡って見えるというところ。あと、声もポイント。彼女の声質が、この映画のほんわか~っとした雰囲気に本当にマッチしてます。特に私のお気に入りが、トム・イーウェルの「マティーニの大盛り?」の問いに「U-HUN♪」と、なんとも可愛らしい声色で返事をするシーンと、チョップスティックを、それはもう楽しそうに「パパパパパパ♪」と演奏するシーンです。彼女の声って、人を安らかな気分にさせると思います。そんな声で、酒の上の不埒を後悔してしょんぼりしているイーウェルに「あなたは立派な人よ」と優しく慰めてくれるってんだから、も~う男はたまりませんよね!こんな特殊な天然キャラを、1ミリの違和感もなく演じられるマリリンはやっぱり凄い人だったんですよね。日本人でいえば石原裕次郎さんではないでしょうか。全然違うか。ま、ともかく8点です。[地上波(字幕)] 8点(2013-08-19 23:16:32)(良:1票)

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