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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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2. 七人の侍 何度も見たくなるこの歴史的傑作を、今回初めて映画館で鑑賞した。野上照代女史をして「これ黒澤さんに見せたかったな。」と言わしめた4kリマスター。平日の朝だと言うのに映画館は混んでいた。長尺映画には珍しく、後半よりも前半の方が短く感じる作品。未熟な自分には未だに消化しきれていない部分があるが、今後自身の成長とともに真に理解できる時が来る事を期待しつつ、きっとまた観るだろう。それにしても三船敏郎が美しすぎる。[映画館(邦画)] 9点(2016-10-14 21:50:31) 3. 生きる 《ネタバレ》 この映画は基本的にコメディであろう。それも風刺の効いたとびきり上質なブラック・コメディ。とかく感動的な人間ドラマの最高峰と捉えられがちな本作だが、例えばもしこれから本作を初めて見るような若い世代の方がいれば、「なんだか、最後にほろっと出来るコメディ映画らしいぞ」と言うくらいの心持ちで観た方が、「重厚な泣ける映画なんだって」と思いながら見始めるよりも格段に良いだろう。黒澤明もそのつもりで作っているだろうし、それを証拠に「俺は生まれ変わったつもりで頑張る!」と言っていた新課長が場面が変わると結局今まで通りと言う流れは、「生まれ変わる」という宣言が大きなフリになっており、これはお笑いの基本的な構造そのものである。本作にはそうしたお笑いの構造を用いられた場面がいくつもあり、明らかに笑わせる事を優先して作られている。さて「死んだように生きるのか、それとも死にものぐるいで生きるのか」というのは「現代人」にとって永遠のテーマであり、「ショーシャンクの空」でも「Get busy living or get busy dying」でそのまま触れられている。そういった重厚なテーマを扱いながらもクスクス(時にはゲラゲラ)笑わせながら、考えさせる映画というのがこの作品の本質だろう。ちなみにお葬式のシーンでの役所の方々の立ち振る舞いをみながら、小田切さんの付けたあだ名の主が誰か?と想像するのも楽しい。[映画館(邦画)] 9点(2016-09-29 14:59:46) 4. 羅生門(1950) 《ネタバレ》 「昨日から彼氏と南の島に来ています。こんな景色、日本じゃ絶対見れないよぅ」とバカンスの写真をアップする女性。もしくは、「今日は会社の先輩が所有するクルーザーでナイトクルージング!海の上から見上げるレインボーブリッジも最高!」などと友人と一緒に賑わう写真を上げる男性。 この物語のテーマは、人間の弱さ、そして自己顕示なのだろうか。 一人の男性の死にまつわる関係者それぞれの証言が食い違う。志村喬演じる杣売の話が本当だとするなら、当事者3人はそれぞれ事実とは異なる事を言っている。何故そんな事をするのか?事実には自分たちに取って都合が悪い事が含まれているからである。事実そのままだと、正直かっこ悪いのだ。(本当は、多襄丸と金沢武弘二人ともへっぴり腰で戦っている!) 「少しでも本当の自分よりかっこよく見せたい」という想いがある。ここでのポイントは、すでに生死には拘っていない事だろう。(多襄丸に関しては、原作の中で「どうか極刑に遇わせて下さい。」と言っている。)死ぬ事よりも大事な物があり、それは人間としての尊厳や見栄なのだ。つまり、死ぬ事よりも周りからどう思われるかを気にしているのである。「死んでいる人間が嘘をつくとは思えない」という台詞が出てくるが、いやはや金沢武弘は既に死んでいるのであるから、それこそ生死にこだわりはなく、であるなら、そこには少しでも周りから良く思われたいという思いのみがあるのだ。死してなお、自分の体裁を気にするのが人間。だから恐ろしい。 さて、現代においてバカンスの写真を上げる女性は真砂であり、クルージングの写真を上げる男性は多襄丸であり金沢武弘なのである。みんな、自分の事を少しでも良く見せたいと必死なのだ。そう。この物語は普遍であるどころか、SNSの浸透により一人一人が己の自己顕示欲と対峙せざるを得なくなった現代人にこそ、強く響くのではないだろうか? 「昨日買ったエルメスのバッグ〜」、「今日はお友達とおしゃれなレストランでランチ♥」、「ジャーン!新車買っちゃった!」etc,etc,etc...... 本当に人間とは弱く、不思議で、恐ろしい物なのである。 ちなみに小生はそういった人間の自己顕示がある時急に恐ろしくなり、某Facebookをやめてしまった。(本当にFacebookをやめようとすると、結構面倒な手続きが必要です。) 杣売[ブルーレイ(邦画)] 9点(2015-11-09 10:32:23)《改行有》
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