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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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2. 虐殺器官 《ネタバレ》 すごく面白かったです。虐殺器官とは人間が戦争やホロコーストを起こしてしまうには、脳内の特別な器官が発動するのではないかという推測に由来します。しかしこの行動はエーリヒ・フロムやスタンリー・ミルグラムらの学者によって、人間が難しい判断を他人にゆだねがちで、しかも間違いと分かっていても従ってしまうある種の「間抜けさ」から逃れられないことが証明されています。 そうは言っても未開の社会には戦争はあっても皆殺しをする虐殺戦争はなかったわけで、それら平和な戦争はパプアニューギニアの山岳部族の一部にも近年までみられた文化でした。この映画では非常に上手に、またSFアニメのカッコよさを損なわないままに虐殺戦争を行う人間および集団の意図が、所有や貯蔵されたものを略奪するためと説明されていました。その部分が哲学的であり、いわば考古学的ともいえる部分です。とにかく私の説明以上に満足感の高い作品です。[映画館(邦画)] 8点(2018-06-09 16:13:02)《改行有》 3. 万引き家族 《ネタバレ》 現代の貧困社会を描いた作品という先入観で見てきましたが、象徴的に「スイミー」が引用されているように限界な人たちのコロニーへの逃避の話でした。黒い魚がいなかったからでしょうか、彼らは現実に勝てず現実的な、終盤の警察のシーケンスに入っていきます。気のきくオヤジ(柄本明)の店が忌中だったところが映画的なサインなのでしょうか。 全体を通して演技は自然に行われ、序盤の食卓のシーンから高い品質が伺えます。各人の労働の設定も現代的で、ダメそうなオヤジが「日雇いだけど労災出るって」とぬか喜びして帰ってくるところや、クリーニング工場のパートというリアル感。また若い女が性風俗で働いているという設定も、他作ではありがちな安易にキャバ嬢にせず「見学JKリフレ」という2010年代のガチ性風俗トレンドをぶっこんでいます。 審査員が一新されたカンヌで大賞を取った要因は、信代(安藤サクラ)のシーンのほとんどがカンヌ女性審査員長の好みに適合した、これに尽きるでしょう。特にゆり(じゅり・りん)ちゃんの持ってきた服を庭でたき火して「好きだからたたくなんてのは嘘。好きだったらこうするの」と抱きしめるシーン。「このシーンでカンヌを取った」といっても差し支えないところです。ほかにも祥太にゲップ指南するところも秀逸です。4人の女性はそれぞれの年代の危機を乗り越える人でありながら、彼女たちの強さや誇りは一様に弱者に対する共感です。是枝監督のエゴの表出でもあるわけです。 お互いのことを皆まで話しているわけではないこの家族もどきたちは、例えば男関係で今日いいことがあった信代と亜紀(松岡茉優)は出来事のヒントだけで楽しく盛り上がれます。亜紀は意地の悪い女性警官(池脇千鶴)に吹き込まれ、おばあちゃんは金のために私と生活していたのかと疑うことになりますが、ときおり亜紀の体温を感じては「良いことがあったの、嫌なことがあったの」と見破る態度は彼女のことを親身に心配していることがわかります。警察は都合を優先し共感を後回しにしているのでこの作品では悪者ということになるでしょう。 しかしこの人たちがそれこそ「偽物だからこそ、選んだからこそ絆が深い」とは言えないと思います。これはあくまで友情です。ラストシーンでは、乳歯が抜け、海へ行った思い出を持ち、アホな数え歌を覚えたゆりちゃんが、あの人たちを探すようにします。きっと彼女はそれなりに成長を果たしたといえるのでしょう「洋服を買ってあげる」にきちんと拒絶の意思を示せました。2月のあの日、コロッケを3つ食べていなければ死んでいた彼女は、それまでの人生、天国にいったおばあちゃんに優しくされて育ちました。そのあとの人生の危機に訪れた家族のようなふりをしたがるあの人たちはきっと、のび太にとってのドラえもんのような存在に違いありません。[映画館(邦画)] 9点(2018-06-09 01:10:04)(良:2票) 《改行有》 4. ザ・スクエア 思いやりの聖域 《ネタバレ》 この話は現代アートへの風刺と聞いていたが、実際にはシリア難民についての問題が透けて、その意味合いが強かった。 難民が目的地としたドイツよりも西のフランスだからこそ、罪悪感と自分たちの無力を苦笑するような空気があり、本作はそれを具体化している。 話は初めからずっと、助けを求めたり求められたり、いやむしろ、知らん顔したり知らん顔されたりの連続。ホームレスは皆クローネを要求する。そしてフランスの言葉に不自由だ。食事の時間になるとシェフが料理の説明をしているのに、聞こうとしない記者たち。世の中は心遣いのない人たちであふれている。 トゥレット症候群の男が野次をしてしまった記者会見。それを影で馬鹿にした記者の女アンと成り行きでセックスしてしまうと、後日、仕事場に現れて嫌な気分にされる。この時のひどい頭痛のようなスクラップの騒音は、若い広告屋の2人が仕掛けたひどいネット動画CMの後始末で記者会見をする時にも響いている。セックス後のコンドームの取り合いは映画史に残るシーンだ。 トゥレットの男の野次の最中、「みんな怒らないであげてくれ」と良識ある人が諫めるが、映画の終盤になって、たびたび登場していた「モンキーマン」オレグがパーティー会場に現れるパフォーマンスによってその良識は破壊される。アートだか事件だか分からなくなったその状況で、人は社会的な恥をかかされる不安から徐々に動物的な恐怖に絡めとられていく。自分のテーブルだけを守ろうとし、さらには自分の身内すらも助けられない。いよいよ女性が強姦されそうになったとき、飛びかかったひとりの老人によって勇気をもらうと今度は多勢に無勢で殴りつけ「殺して」と声すらかける。 無実の罪を着せられた少年はしつこく謝罪を要求するがクリスティアンは怒りのあまりに彼を突き飛ばしてしまい、その後助けを求める子供の声が続く。実際の呼ぶ声なのかそれとも幻なのかずっと聞こえているが、クリスティアンは助けない。後日罪悪感からもう一度謝罪しに行くが、その時にはその少年はいない。少年はどうなったのか最後まで分からない。怪我をして入院したのではないか。両親は少年をそれ以上責めたりしなかっただろうか。少年の両親はクリスティアンを責めるために姿を現したりしなかった。彼はどんな家庭に育っていたのだろう。そもそも、少年を知っている男の語る少年と、あのうるさい少年とは同じ人物だろうか。 シリア難民に対する想いと、うるさい少年に対する思いはどこか似通っている。[映画館(字幕)] 10点(2018-05-11 00:35:10)《改行有》
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