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タイトル名 |
サンセット大通り |
レビュワー |
鱗歌さん |
点数 |
8点 |
投稿日時 |
2025-05-04 11:21:46 |
変更日時 |
2025-05-04 11:24:22 |
レビュー内容 |
ハリウッドの売れない脚本家がたまたま足を踏み入れてしまった謎の大邸宅。そこでは、今や人々から忘れ去られてしまったかつての大女優が、過去の妄執にとらわれたまま、執事とともに暮らしており、主人公の脚本家もズルズルとその閉ざされた世界に引きずり込まれてヒモみたいな生活を送るハメとなる、という、サイコスリラー寸前みたいなお話。不気味な要素、多々あり。 いっそ作品をそういう路線に振り切ってもらうのも、歓迎、ではあるのですが、この作品はそこまではいきません。作品をサイコスリラー路線にしてしまうのは、「要するにこの人はサイコな危ない奴なんだ」という線引きをしてしまうことにもなり、ある意味、安心感にも繋がってしまう。主人公と悪役との対立軸、我々と悪役との対立軸、という分かりやすさ。 この作品では、充分に不気味さを醸し出しつつも、そういう路線とは少し距離を置いていて、いや、少しどころか、実は真逆なのかも知れませぬ。不気味さの一方ではシニカルな視点が常に存在していて、そもそも、冒頭で死体として発見された主人公が「自分が殺された顛末」を語る構成となっているのが、なんとも人を喰っています。まるで、「脚本家が脚本を書いている」かのような、分析的な語り口。 まあ、死人が語るなんてあり得ん訳で、ずいぶん嘘くさい話。だけど、その「忘れられたかつての大女優」を、実際にかつての大女優(グロリア・スワンソン)が演じ、それどころか実際のハリウッドの大物(セシル・B・デミル)を本人が演じるなど、ハリウッド関係者が本人役で(しかも、いかにもソレっぽい登場の仕方で)登場するもんだから、話は一筋縄ではいかなくなります。 実際の華やかなハリウッドの現実と、かつての大女優が信じ込んでいる虚構との対比。だけどハリウッドに長年いる人たちの中には彼女のことを覚えている人もいて、全く接点が途切れた訳ではなく、要は、全くの虚構とも言い切れない。ハリウッドではいわば雲の上の人であるセシル・B・デミル、彼に話を繋ぐにも、何人もの人を介してようやく話が繋がる、という、これも皮肉の効いたシーンがありつつ、その彼と(面倒くさがられつつも)一応は話が出来てしまう大女優。彼女はハリウッドの歴史の一部ではあるんだけど、歴史に構っていられないハリウッドは歩みを止めることなく、どんどん先へ進んでしまう。ハリウッドが必要としていたのは、彼女自身ではなく、彼女の所有するクルマ。およそ「撮影に使うクルマ」なんて、いくらでも替えがききそうなもんですが、俳優という職業は、そのクルマよりもさらに替えがきく存在に過ぎなかったのか? さらに、彼女と、彼女を支える執事との関係が、作中の中で明かされてみると、事態はさらに複雑になってきます。「かつての監督」が「かつての女優」を支え、彼女の妄信する虚構を演出していた、という現実。こうなってみると、華やかなるハリウッドも、彼女の閉じられた世界も、たまたま大勢の人が関わり大金が動いているのか、いないのか、の差だけで、本質的には同じ、虚構に過ぎないのではないか。とも思えてきます。 サイコスリラーであれば、彼女は悪として葬り去られるだけであったかもしれないけれど、この作品では、主人公すらも退場してしまった後で、彼女は一世一代の鬼気迫る演技を披露します。それを、周囲の者たちは痛々しく見守るのみ。その姿は、明日は我が身かも知れない。ここにいるのは警察官、ではなくって、警察官役の俳優さんだし、ねえ。 不気味さ、狂気、といったものを描きつつ、どこかシニカルなユーモアも感じさせてこのメタな作品を成立させ、演出の妙も、お見事。その上で、ハリウッドの残酷さ(ハリウッドだけではないだろうけれど)もしっかり、浮き彫りにしてみせます。 |
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