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タイトル名 |
日蓮 |
レビュワー |
かっぱ堰さん |
点数 |
5点 |
投稿日時 |
2025-06-21 20:29:41 |
変更日時 |
2025-06-21 20:29:41 |
レビュー内容 |
「日蓮と蒙古大襲来」(1958)と同じ製作者による二度目の映画化である。前作と同じく安房での立教開宗から始まるが、ところどころに子役の出る過去の回想場面を入れ、最後は入寂までを扱うことで題名の人物の全生涯を紹介している。 前作のような大スペクタクルでもなくドラマが中心で、より一般向けらしく言動の過激さや、この人物に必須の奇跡・予言も控え目のようだった(ただし龍ノ口は派手)。超人でもなく一人の人間として戦った宗教者を表現しようとしたかも知れない。 また特徴的と思われたのは、いわば初恋の人(松坂慶子)が登場していたことで、これは原作がそうなっているらしい。役者の実年齢と無関係に少しお姉さんの立場だったようで、信徒らの受難で心が折れそうになった主人公をきつく励ましていた。
ところで全体構成を勝手に考えると次のように見える。 【一 希望】 立宗後、鎌倉での辻説法を中心に弟子や信徒を増やしていく。法華経の教えの何が人々を引き付けたのかこの映画でもわからなかったが、主人公は前作よりも人間味があり、普通に人格者であって好感が持たれた。微妙に可笑しい場面もある(丹波哲郎とサル)。 【二 逆境】 鎌倉政権への働きかけを開始したことで、各種の法難や流罪といった苦難が続く。その間には普通に幸せな場面もあった(池上季実子)が次第に殺伐とした雰囲気になり、主人公に共感できる場面もなくなっていく。 【三 晩年】 政治から離れて甲斐の身延山へ入ったが、文永・弘安の役は主人公の助力がなくとも日本が勝った(当然だ)。その後に信徒の受難に慟哭し逆上する場面があったが、個人的には全く共感できずに突き放した気分だった。 最後の場面(武蔵国池上)では後にいう「六老僧」に対し、日本中に法華経を広めるという夢の実現を託していた。しかし現代でも果たされていないその夢の実現は、この映画を見た全国の信徒に委ねられているという終幕だったと思われる。 前作のような愛国ヒーロー物語でもなくまともな宗教映画(宗教者の映画)だったようだが、やはり部外者にはついていきにくいところがある。途中まではなかなか面白いと思っていたが最終的には残念感があった。
その他雑事: ・天変地異の場面で、地震による山崩れや地割れは日本が沈没するかのような超迫力(誇大表現)だった。また凶兆たる彗星を人々が見ている場面があったが、「吾妻鏡」には実際に彗星が出たとの記事があるらしい。時期的にこの映画と合わないがハレー彗星も記録されているそうである(1222年)。 ・終盤の熱原法難の際、為政者を批判しているはずがまるで日本全部を呪詛しているかに見えたのは「保育園落ちた日本死ね」(2016年)に似ている。ここは主人公本人が悪鬼と化した印象だったがこんな演出でよかったのか。 ・佐渡でも撮影があったようで佐渡っぽい島影が見えていたが、有名な「波題目」は出なかった。現地では「梨ノ木地蔵」が映っていたようだが、こういう場での刃傷沙汰は(映画ロケで騒ぐのも)よろしくない。 |
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