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タイトル名 |
親鸞 白い道 |
レビュワー |
かっぱ堰さん |
点数 |
5点 |
投稿日時 |
2025-06-21 20:29:42 |
変更日時 |
2025-06-21 20:29:42 |
レビュー内容 |
明らかに初心者向けでない。当初はひたすらわけがわからないのでこんなのに付き合っていられない気もしたが、そのうち一般に知られた人物名も出てきて伝記との対照ができるようになる。 最初に京都での弾圧をイラストなどで見せた後、新潟県(頸城〜蒲原)→群馬県→茨城県下妻市小島?→同県笠間市稲田と移動し、栃木県真岡市高田に寺ができたところで終わりになる。回想場面では弾圧時の斬首風景のほか、法然上人への入門に先立ち京都六角堂に参籠した場面らしきもの???があった。かなり荒唐無稽な展開になっているところがある。
題名の「白い道」とは浄土教でいう「二河白道」のたとえの中にある、現世から浄土に向かう道に由来すると思われる。それだと真宗だけでなく、同じ浄土門の浄土宗・時宗などにも共通ということになるが、この映画での意味は主人公が言った「我が命を尽くすことのできる道」のことらしい。その道に立つのが「往生」であり、そこから新しい生き方が始まる(=終幕場面)とのことだった。観念的で、屁のようなものだとその辺の男に言われたのも仕方ないが、考え方感じ方は人それぞれなので当人が納得できるかが大事とはいえる。 なお主人公は来世を否定していたようで、専門用語風にいえば現生正定聚→命終往生ではなく現世往生を説いていたらしい。死後の世界に関知しないということで近代的解釈ではある。
社会的な面では、いわゆる反差別の立場から被差別者を登場させていたと思われる。うち全編を通じた重要人物の「犬神人」が終盤で問いかけた内容は、この時点の主人公にも答えが出せない問題だったようで、これを現代社会(または真宗教団?)に改めて問わねば済まないという趣旨の映画だったかも知れない。なお劇中なぜか唐突に「아이고」と叫ぶ人物が出ていたのは差別と関係あるか不明だった。 また反権力ということでは、世の中が権力者の欲と争いで動かされているという基本認識はいいとして、地方権力者が権謀術数の道具として念仏衆を利用したからこそ、真宗が関東で影響力を拡大できたように見えたのは皮肉に思われる。特に「真仏」という人物が、自ら権力者の手先になった結果として高田の寺を預かったという展開は、見る人によっては(高田派など)反発を覚えるのではと思った。 これを嫌った主人公が最後に一人で去ったのは「沙弥教信」(実在の人物)の例に倣ったようで、ここまで名前はずっと「善信」だったが、この後が本当の「親鸞」だという意味かも知れない。しかしここで本当にいなくなったとすると、まるで立派な寺を建てた地方権力者が現在の真宗教団の基を作ったように見えてしまうがそれでいいのか。あるいは実際に、現在の大教団の存在をこの映画が否定的に捉えていたのなら、かなり皮肉な映画を作ったものだということになる。ただしこの映画は「西本願寺・東本願寺」も後援していたのでどうなのかはわからない。
見る前は、どうせ作った本人のこだわりばかりで変な映画だろうと思っていたら結果的にはそれほどでもなかったが、しかし個人的にはどうせ葬式仏教徒なので関係ない。ちなみに脚本には微妙に裏日本への差別感情が見えた(暗い・寒い・ツツガムシ)。この映画自体が差別者だ。 |
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