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シークレット・サンシャイン - 花守湖さんのレビュー
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Web www.jtnews.jp

タイトル名 シークレット・サンシャイン
レビュワー 花守湖さん
点数 9点
投稿日時 2011-10-12 19:53:38
変更日時 2012-08-25 21:15:47
レビュー内容
神はいるのか?という叫び声が聞こえてきました。この世に神がいるならなぜ悪党の犠牲になる人がいるのか?こういうケースでは、多くの宗教の考え方は、人間の持つ業に目をつけ、かりに不幸が我が身に訪れた場合でも、これは己の業に対する神の試練だ、といって耐えることを教え諭すのです。しかし業のない子供はどうなる?すなわち罪の無い子供が殺されるという事実。これが神の御心なのか?神は罪のない人間を裁くのか?もしそんな神がいたらクソだ。その子供の死─。この事実こそが、神が存在しないことを、見事に立証しているではないか。しかしである。神がいないと、どうやって人間は善人になれる? だから宗教は生まれた。我々が万引きしないのは法律が怖いからではないのだ。それは無意識の罰を自覚しているからである。神を信じなくなれば人は欲望の権化と化す。もはやその時は法律など意味は無い。世紀末は近い。しかし、俺は無宗教だけど善人だと思うと出張する日本人よ、では君らは初詣に行って誰に祈っている?交通祈願、受験祈願しかり。人は常に祈るのだ!神と意識ないうちに神に対して。刑務所で信者になり神から赦された殺人犯─、むしろ罪を自覚した彼こそ真の信者。これに対し主人公の女性─、なぜ人は─、特に信者たちは「罪の意識」が希薄なのか?すべての人間は罪人だからこそ我々は人生の過程において罰という試練を受ける、そして己の罪を自覚し、他人の罪を受け入れる土壌ができる、その先に、汝の敵を愛せ、という赦しの思想が生じる。他人を赦すという行為は、善人が、悪人に対し、高い立場から優越感を抱いて下すものではない。同じ罪を抱える意識がなくては成立しない。酷なことを言えば主人公は被害者だからこそ罪の意識がなかった。他者に対する激しい憎みの源泉は、己の罪の希薄さを象徴している。(だからといって被害者は責められない)結論を言おう。被害者ほど信仰は不可能に等しい。反対に、犯罪者ほど、キリストの教えの本質に近づける。これが私のこの映画を観た感想でした。しかし、救いようがないようで、この映画にも救いはある。つくづく映画はラストがとても大切なのだと改めて実感させられました。まさにシークレットサンシャイン。最後は涙が止まりませんでした。
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投稿日付邦題コメント平均点
2016-08-16オデッセイ(2015)96.82点
2015-10-12メイズ・ランナー85.82点
2015-08-16マレフィセント106.27点
2015-06-25ブルージャスミン06.43点
2015-06-25ゴーン・ガール106.87点
2015-01-04トランスフォーマー/ロストエイジ15.42点
2014-11-09シュガー・ラッシュ97.50点
2014-10-25チチを撮りに86.76点
2014-10-18永遠の016.27点
2014-10-05それでも夜は明ける96.50点
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