みんなのシネマレビュー
ダゲレオタイプの女 - ちゃじじさんのレビュー
◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

タイトル名 ダゲレオタイプの女
レビュワー ちゃじじさん
点数 9点
投稿日時 2017-09-24 20:27:59
変更日時 2017-09-24 20:41:34
レビュー内容
写真というものが、身体的外見を人工的に固定し、存在を時間から引き離す事で、存在を生につなぎとめるものであり、被写体を死の運命から解き放つ事で、生者の心をかき乱す存在であるとするならば、それは幽霊とも似ているのではないか。
ドゥニーズは幽霊となりステファンの前に現れ恐怖させ、悩ませる事で、彼の精神を縛り続け支配下に置いていた。
それは生前彼女が、”写真を撮る”という行為を通して行われていたであろう束縛を、最も体現した報復律。
彼女は、そのように死後幽霊として夫を苦しめていた時の方が、マリーは死後幽霊としてジャンと逃避行をしていた時の方が、生前より自由であったのではないか。
肉体的な生と死(人が一般に定義する生死)、どちらがより自由で幸福であるかは、他人の尺度で測れる事ではない事実と同時に、生と死の境界線の曖昧さも描いている。
そして、写真が良くも悪くも、身体と精神を永遠に縛り付けるものであるとするならば、映画という映像芸術は虚構を映像化する事で、そのものを解放する作業(今回であれば、幽霊となったドゥニーズとマリー)となり得る。
正負どちらにも転びうる、生と死の概念、映画と写真という芸術の関係性や特性を見事に表現していた。
他にも、水銀が植物園を枯らしてしまう(ステファンの罪がマリーの尊厳を犯す)という視覚的表現や、階段下にカメラを置く事で原因を不明にし、結果のみを伝えるという落下表現も瑞々しい。
この監督は、あらゆるものの可能性、とりわけ映画という媒体の可能性に挑戦し、生と死の境界線を揺るがし続けている。
だからこそ、その大きな挑戦から目を離すことが出来ない。
ちゃじじ さんの 最近のクチコミ・感想
投稿日付邦題コメント平均点
2017-12-16君の名は。(2016)56.97点
2017-12-13ワイルド・アパッチ96.90点
2017-10-28エル・スール97.60点
2017-10-23最前線物語76.72点
2017-10-14ノスタルジア76.97点
2017-09-24ダゲレオタイプの女97.25点
2017-09-24SCOOP!55.44点
2017-09-22ダンケルク(2017)56.02点
2017-09-16三度目の殺人86.29点
2017-09-10散歩する侵略者86.03点
ダゲレオタイプの女のレビュー一覧を見る


Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS