SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

王と鳥(1980年【仏】)

2011/12/3、この作品のキモが突然わかったので追記。

【元のレビュー】
かんたーたさん、ほとんど私信ですんません(笑)。地下世界の、ヘタクソなライオンのシーンは(オイラの記憶では)旧作にはなかった部分。『暴君』ではもっとアッサリと地上へ出てきたような気がします(まー小学生時代の記憶だからなあ…)。たぶん今回の書き足しシーンです。『暴君』の製作時、グリモー監督はクォリティを守ろうとして作品をいつまでも完成させず、プロデューサーが未完成シーンを無断でイギリスへ発注して補完し、強引に公開した…っていう経緯があるので、新作パートではあんまりクォリティを下げて欲しくなかったってのが本音ですけど。でもやっぱりグリモー監督の「生涯反骨」ってな努力と根性には頭が下がります。作品の所有権を争う裁判でも負けちゃって、「自分の作として作り直したかったら買い取るしかない」って状況に追い込まれ、それでも堂々と買っちゃうんですもん。徹底した芸術家魂というか、全て自分の手掛けたモノでなければ、自分の作品とは呼ばないんでしょうね。だから、ヘタレなライオン君ではありますが、オイラはあのシーンでも監督が誇りを持って描いてるんだろうと推測してます。

2011/12/3 追記:
戦前から終戦にかけて、鳥と子犬はグリモー作品の中で特定の記号を背負っている。
「かかし」「避雷針泥棒」「魔法のフルート」などの短編作品群を観れば、これはもう一目瞭然で、鳥=自由(そしてプロパガンダを叫ぶもの)/子犬=庶民(弱くて無能で浅ましい)という位置づけ。そして本作での鳥と子犬は、過去の作品とは微妙に役回りが違う。子犬は警察に飼われてる「敵」だし(相変わらずマヌケだが)、鳥は成長し弁舌巧みになった。
グリモーが常に政治性のある作品を描いてきたことを考えると、この微妙すぎる変化は彼の「後悔」なんだろうな、とようやく気づいた。
大戦が終わってみると、鳥ってのは明らかにアメリカの役どころだったわけで、陰鬱なナチスの統治からフランスを救った彼らは、同時にフランス全土を焼き尽くしもした。市民は「自由」の奴隷になって、以前よりはマシだが本当のところはどうかわからない生活を送っている。それが『王と鳥』発表の1970年代当時の世相だ。
この時期、グリモーは他に暗ァ〜い映画ばかり作っている。鳥から飛行艇へ乗り換えて植民地主義をやらせてみたり、子犬は面白半分に核戦争を起こして世界を破滅させたり…。
彼の怒りは、到来するはずだった幸せな世界が結局訪れないのだとわかった、その虚しさに由来するのだと、今さらながらに気づいた次第。
本作だけを観たら、作者のその微妙な心の襞、記号の綾を見失うだろう。グリモーその人を理解して観るべし。そうすればこの作品から、アニメや、アニメ作家や、芸術なるもの全体を包み込むメタファーが観えてくる事だろう。

宮崎をはじめ、ジブリの古強者たちが本作のデジタライズに踏み切った理由も、多分そのあたりにあると見た。
『王と鳥』は「強い失望」を逆説的に創作のモチベーションにした、危険な危険な作品なのだ。
評価:6点
鑑賞環境:DVD(字幕)

ベイツ・モーテルにご案内

YouTUBE で見つけた5分ちょっとの『サイコ』の宣伝フィルム



例によってヒッチコック監督が登場し、セットを案内して回るんですが、オチが…!
このラスト、恐怖とベタなギャグの組み合わせは凄いね。ヒッチ伯父さん伊達じゃないね。
音楽もサイコのテーマを上手に見え隠れさせて、手が込んでます(あれ単調だからやりやすいんだけど)。
オリジナルを見てる人こそが楽しめるように作られていて、オススメ。

ファニーとアレクサンデルと宇宙戦争

某所でたまたま話題にしてしまったので、ちょっと詳しいとこを調べとこうと思い、リメイク版『宇宙戦争』買ってきました。
両作とも思いっきりネタバレするので要注意ナリ。
あと大日本人とかのアウルクリーク系も要注意。

まーレビューの方には書いてないんですが、ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』のラストシーンって、解釈がガラリと変貌するほどに超気になってる事があります。今までダレもレビューで指摘してないし、他のサイトでもそういう解釈は見たことがないんで自分の胸の内にしまってあったんですが。
『市民ケーン』の解釈はいまんとこ百歩譲って他レビューに解釈を合わせてるけど、『ファニーとアレクサンデル』の方はちょっと妥協できないかな〜…と、スピルバーグ版『宇宙戦争』を見直していて真剣に思った。
いやマジで、『ファニーとアレクサンデル』のラストって、

あの二人の子供は死んでるよね?
一族が集まって宴会やってるのに、大人は誰一人、彼らに声かけてないよね? 母さんの方はあんだけ労ってるのに。
死んでるのに(一族的には)死んでない、という大トリックを描くために前半の幽霊ネタが配置されてるんだとすると、全体バランスから見ても非常に完成度が上がりますし。まあアレクサンデルの成長物語として見ると、最後で死んでちゃまずいんですが。
…と考えると、爺ちゃんが子供たちの脱出用に使った棺桶の蓋を開けた瞬間の「しまった!」って表情、それに続くホワイトアウトが解釈の分岐点になります。そっから後は極度に幻想的な展開になりますから。あの場面で本来なら主人公の死が観客に明かされなきゃなんないんですが、この作品は生者と死者の本質的区別がないので、スルー(またはミスリード)されちゃってるんですナ。
…だもんで、この作品は自分的にはアンブローズ・ビアスの『アウルクリーク橋の一件』のバリエーションであり、もっと豊かな表現の後継でもあると思ってるわけです。

ここでスピルバーグの『宇宙戦争』。

ボストンにたどり着いたのってダコタだけだよね?
これは初見時から気になっていた点ですが、ボストン到着時の親父はダコタの幻覚だったとしても成立しちゃうんだよね。ただし、これには一大トリックがあって、ボストン駐在の米軍全部が幻覚(『ファニ&アレ』で言うとこの死者)になってる必要があります。
今回はここの部分に目を凝らしてみたんですが、米兵の空気度は確かに凄くて、避難民から完無視されてます。一般人で唯一言葉を交わすのがトム・クルーズだという徹底ぶり。まるでCGで後から配置したかのように、避難に来た一般人の行動と重ならない。
当然ながら、最後に登場するロビーも死んでる。ダコタが抱きつきに走った元奥さんは(たぶん)生きてます…というのはホントは微妙なんだけど、ここの根拠は派手に枯れ葉が舞う演出があって、実はスティーブン・キングの『デッドゾーン』のラスト(映画では描かれていない)が、全く同じシチュエーション・人物配置・街だから。ここは、かの名作からの引用と見てます。

さて、そんなこんなを連ねていくと、「トムが死んだのはいったいどこか?」というのが問題なんですが…。
今までオイラは単純に「トライポッドに捕まってから手榴弾で自爆テロ」のシーンだと思ってた。ダメパパの男の建て方としてはちょっと悲しいけど、テーマが「アフガン戦争の主客逆転」にある(ってのは面倒だから説明省くけどオイラのレビュー見てくればわかるかと)ので、モチーフ的には美しく決まる。
ところが、キッチリ見返してみるとトライポッドに捕獲される時点では、もう物語の語り手がダコタに移ってるのがわかっちまった。正確に言うと、ダコタが目隠しされてトム vs ティムのオッサン対決の場面から切り替わります(これを補強するセリフとして、もう少し前に「救急車で死なない奴は、目を開けて見開いてる」という話題が)。
以後のトムはかなり空気度が高く、ダコタの脳内経験と捉えて差し支えないと思われますだ。特に「小屋の外で逃げまわる→捕獲」のシチュエーションを親子で二度繰り返してるのは注目で、数分後の自分を見てしまう(ように見えて実は数分前の記憶を脳が追体験させてる)と言われるドッペルゲンガー現象そのままの造り。
まあ100%の証拠がない(というかスピルバーグの映像文法をそこまで理解してない)から、どこまでも憶測の範囲内なんですが。
あ、あとティム・ロビンズ演じるオーグルビーが実在するかどうかも疑った方がいいですね(未検証)。明らかに生き別れた息子の延長線上にある彼の思想は、トム親父の幻覚の領域と考えるコトもできます。ダコタの視点から見るとかなり空気度高いです(家探しに来る宇宙人もそうだけどさ)。

と、順を追って説明してきましたが、オイラ的な結論としてこの版の『宇宙戦争』は、『ファニーとアレクサンデル』の後継となるレベルの技術と話法を駆使して、重層的に解釈できるようになっているはずなんです。
実際には大量の屍の上に築かれた物語だと。そんで慎重に視点をずらしながら、ハリウッドの禁止表現を回避して、なおかつラストのナレーションで「これだけの死を積み重ねて、人は共存の権利を得ていく」という(意味に取れる)絶望的なフレーズで結ぶ、と。

それはテーマ的には、アメリカの観客に911テロを受け入れるよう迫るものであり、不遇の死を受け入れる(まさに『ファニーとアレクサンデル』のテーマの一端)という事でもあり、痛みを伴うオハナシだったという事になるようです。
あくまで個の視点を脱することができないで、結果、ただの臨死体験で終わりを迎えた大日本人とは相当な違い。ま、あれはあれでその表現の厳格さ・ストイックな姿勢が好きなんですけど(あちこちで叩かれてる「インタビュアーに聞こえないはずの音まで聞こえる音響ミス」なんかは、意図的にやってるはず)。

最後に。
最多票を獲得してる take4 さんのレビューを読んでると読んでないとでは泣き所が完全に変わって、今回は子守唄のシーンが相当泣けたっす(笑)。
あと、序盤のダコタの病み上がりメイクがだんだん生気を持ったメイクに変わってくあたりの意味がまだわかんないんだよなあ…彼女、冒頭では完全に死にフラグ立ってるんだよな…いつかまた研究してみます。
2011-08-16 23:14:49 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)

花見酒の終わりに

記念として日記的に。
米国債の格付け引き下げ。とうとう今年後半の大震災が始まったようだ。
分を超えた借金はいかんのだ。

…というメッセージが世界に流れたのなら、(同じように過分な借金漬けになってる)日本の円は買われないはずなんだがなあ…。
いずれにしろ、アメリカ自己崩壊の長い旅が始まった。台所方だった日本も巻き込まれるだろうし、韓国も、タイも国のあり方を変えるだろう。

旧ソビエト圏が「プロパガンダ崩壊」したのが、ベルリンの壁の崩壊から。アメリカの場合、ドルの信用の厚い壁がこれに当たるように思うんですよ。「エコノミー崩壊」すね。
よく考えると、ベルリンの壁崩壊から4半世紀近く経ったんだな…また歴史が回り始める時期か…。

『デンデラ』(2011年【日】)

突然ですが明日、ハタチの女の子と映画に行くことになりました。相手が選んだお題がコレ
かつてない社会派映画(?)
まじっすか…アイパッチ姿の倍賞美津子…これがイマドキの女の子の感性なんですか…? まーこっちも調べもしないで「きっと『スーパー8』みたいなハリウッドもんだろー」とかタカくくってたわけだけど(笑)。

…明日のレビューを待て(汗)。

鑑賞18時間後の追記:
まだ考えがまとまらない…。
興行がコケるのは予想がつくけど、ある意味予想以上に客が入ってたし。
前衛文学的な生硬さが欠点で、でもそれは本作の味にもなっている。
本作が引用している原典は、ちょっと思い浮かべるだけでも、
・ロビンソン・クルーソー(モチ、宗教的な意味も含む)
・白鯨
・蝿の王
・各宗教の生死観
・民間伝承の山姥
・スタンダードな西部劇
…幅が広すぎ。場所の限定×メタファーの広さについては、ほとんど『キャットピープル』に肩を並べてる。
それが最終的に「いい映画」に結びついてるかというと、疑問なんだ…これが。
まだ続く。
2011-06-25 23:45:07 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)

X-MEN:ファースト・ジェネレーション 2011年【米】

1ヶ月ぶりくらいでフルの休みが取れました。
というワケでユナイテッド・シネマまで行って、むやみに評判のいい本作を観てきた。
いかにも2000年代の「イイ作品」なんだけど、(おそらく本作の教科書になっているであろう)J.J.エイブラムス版の『スター・トレック』に及んでいない印象。
7点。

前半はチャールズ・エグゼビア/エリック・レンシャーという対照的な2大キャラのエピソードを交互に進めるため、つながりが悪くノリが持続しない。これは本作に限った欠点じゃないわけで、2000年代流儀の作品はみんなそうなんだから減点には当たらないんだが「超惜しい!」という気がするんだよね。
もちろん、これまでのシリーズを観てきた人間には既知のエピソードの再整理なんだから、事務的なシーン消化であっても楽しみはいっぱいある。何より作品の始まりを『Xメン』1作目の冒頭と同じにしたのは秀逸で、シリーズ中で「本作の収まるべき位置」がピタリとわかる親切設計。さらにこの冒頭シーンのノリはレンシャーの抱えるテーマとして作品のクライマックスまで強固なリズムをもって発展していく。
でもねー、レンシャー真面目すぎなんだよ。スポックならあの演技でもいいけど、後にマグニートーと呼ばれる男は硬ァい思想主義の輩であると同時に、多くの人間を従える魅力を持った洒落者でもあるワケで。ここでは教科書が悪い方向に作用しましたな。
カリブを舞台にした後半もよくない。マイケル・アイアンサイドの贅沢な起用はちょっと嬉しかったが、基本的にはエピソードの事務的な消化っていう感じで話が続いていく。特に気になったのが…。
以下ネタバレ。

こないだの『スター・トレック』では「スゲエ!」とひっくり返ったシーンがふたつあって、
1)ウーラが思わずキスしちゃうシーン
2)スポックがカークをグーパンチで叩きのめすシーン
「スタトレでこれやっちゃやばいっしょ」ってなお約束破りをあっさりやりやがった。しかもこれが物語の勢いに物凄いパワーを与えてる。

本作の場合だったら、
1)レンシャーがショウを殺すシーンでは凶器のコインを映すんじゃなく、レンシャーの目と指先をじっくりと撮って、いろいろ感情の生起を見せなくちゃ!
2)エグゼビアが脊髄を負傷するシーンは、ここぞとばかり泣き叫ばなきゃ! おそらくエグゼビアの生涯の中で、唯一心が動いた瞬間なんだから。
こういう、シリーズの根幹に関わるシーンが事務的に消化されていくのを観るのは、ちとツライ物がありますな。
もちろんセレブロ初号機のデザインとかは見事な設定にうなってしまったし、きっと出ると思っていたローガンの予想通りすぎる登場にはニヤリとしたし。ファンが観るには楽しい作品でしたよ。
あと、ウンチク垂れておくとキューバ危機の時期にはまだDNAは発見されてないです。これ以外にも70年代ファッション多用とか、時代錯誤ってより時代に無頓着なとこが多くて、「このいい加減さはマーベルらしい味だなあ」と妙に納得したりしてました。

映画館のチラシを見たら、今度はマイティ・ソーとキャプテン・アメリカが来るみたいっすね。マーベルブランド、ちゃんと波に乗ったようだ。
キャプテン・アメリカ、戦時中版の第一話での、丸腰の悪党を撃ち殺しちゃうシーン、再現するんですかねえ…ちと気になってたりします(笑)。
2011-06-23 18:02:50 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)

丹下左膳よりチョビ安が怖かった件について

『大日本人』のハリウッドリメイクの報にヘナヘナと脱力。
コロンビア(ソニー)で製作ってああた…『ファニーゲームUSA』じゃないんだからさ。
製作陣を見る限り、B級のやっつけ仕事人たちが集まってるので、しょーもないCG映画になりそうな予感(『デスレース』級は望めないってコト)。
ま、B級CG満載でも監督がティムール・ベクマンベトフだったら公開初日に駆けつけるけどな(挑戦状>吉本)。

さて、枕はこのへんにしてお題の『丹下左膳』なんですが。1958年の大友柳太郎版をネット配信で見ました。
左膳モノはもう「こけ猿の壷」ネタばっか見てるんで、いいかげん忠臣蔵みたいな気持ちになって鑑賞してました…が、この版の左膳は殺陣がナカナカ華麗です。姿勢を低くして、なくした右腕の代わりに右足を活用するのが左膳独自の剣法なんですが、こいつの見せ場がたんまり入ってます(戦前の『百萬両の壷』でも、GHQにカットされた部分で足蹴りしながら斬りかかってるのがありました)。この荒っぽい剣法が左膳映画で一番好きな部分。さすが作中で「バケモノ」と連呼されるだけのコトはある。
あと、元祖左膳の大河内傳次郎が怪しい行者姿で登場するのも見物で、なかなかいいツボ突いてました。他の脇役も(みんシネのレビュー見るとみんな異口同音のようですが)芸達者ぞろいで全員キャラが立ってます。ある意味すごい贅沢な映画。

…だが、そんな完成度をぶち壊しにするほど、強烈に異彩を放っていたのがチョビ安の松島トモ子!
まるわかりのヅラ姿に濃い演技、「この時代にCGワークが!」と驚いてしまうほどの手毬あそびの異様さ…これは怖いよ…左膳より怖いですよ…。
まあ途中から嫌でも落とし種ネタに気付かされますし(複線の張り方はキレイだったと思う)、ただのガキって扱いにもできなかったのかもしれませんが…存在感ありすぎです。

それでもラストシーンで、旅立つチョビ安に手を振りながら涙を流す左膳を見てたら、思わずもらい泣きしてました。
…ああ、山中版に毒されて来てるかもしれない(笑)。
2011-06-06 22:49:28 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)

解放されたモロー博士の島

そういう視点で原発問題を斬りたいわぁ…こんな時間まで仕事してる毎日でなければね…。
とりあえず、東電を叩くのはお門違い、真犯人は保安院だろとツッコミを書いておこう。
個人的な感想めいたことはケン・ローチの『ナビゲーター』のレビューが全てなんで、まあ特にはいいか…。