SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

夜明け前(1953年【日】)

戦中・戦後的な枠組では「神道=右翼」なワケですけど、神道が誕生した幕末時代には「自由主義思想」だったんすな。国学派がセッセと古文書なんかを紐解いちゃって古代へ、古代へと遡って行った結果、国学末期の平田篤胤は王朝成立以前の豪族時代とか縄紋期まで行っちゃった雰囲気があります。荒俣宏の本によると平田は海辺の貝殻を拾って笛のように吹くのが得意だったとか。そして自らを号して「伊吹屋(いぶきのや)」と名乗ったそうです。彼は、天皇の治世よりも長く大きなスケールを持ってたんじゃないすかね。ここから日本型の自由主義が出るなら、確かに不思議はないです。
はい、歴史の復習おしまい。

主人公の青山は、この平田篤胤に学問を教わった、自由平等主義に燃える幕末の庄屋さん。もちろん原作では島崎藤村の父がモデルなんだから、しかも虚飾や作者の判断を排してリアルに描く自然主義小説の代表作なんだから、実際にこんな人だったんだとは思います。
でもね、伊達信の演技があまりに理想主義者なんですわ。こんな人、例え地方の実力者であっても生きて行けないような気がしますよ。時代、時代の百姓たちをかばう場面なんか目をキラキラ燃やしちゃって、バッドエンドと知っているだけに純真さが痛い痛い。叩かれまくった歴史ゆえに防衛本能が強化された共産党なんかと違って、維新時代の純朴な神道の人ですから、「これで百姓が幸せになるんだー!」なんて信じ切っている。明治政府も結局は薩長士族政権ですから、そんな事になるわけがないけど、彼は一生勘違いし続けるんですな。そのまっすぐ過ぎる眼差しは、痛いくらいに観客を刺します。どうしてそこで疑うんだ。どうしてそこで争うんだ。どうしてそこで…と。

主人公の志を継いだ娘の粂は、乙羽伸子が演じるだけあって芯が強い。でも、父のように美しく目を輝かせる事はありませんでした。江戸期の闇を知らない彼女からは、父にあった何かが欠け落ちてしまった…現代の我々との間を橋渡ししてくれるキャラクターだけに、自分の中にある「信じる力」がすごいヘタリきってるのに気付かされましたわぁ。青山吉左衛門=100として、オイラ=3くらい。
逆説的に、江戸三百年の長い長い「夜明け前」が、どれだけ人を純朴にしたのか…そこに想いを馳せた作品でした。もちろん、半世紀を越えた戦後の「新・夜明け前」にも想像は巡る(本作は戦後直後に作られてるけどね)。何が正しいのかよくわかんない現代で、こんな人は生きて行けない(というか当時の主人公だって生きて行けなかった)。でもそれと、価値がないのとは全く違うんですよ。
無邪気に平和を、平等を信じる。そんな気持があってこそ、いつかそういう時代がやってくる(…可能性がある)。心のどこかに信じる部分が欠けていたら、きっと外見は平和に見えても、それは妥協とか打算って奴なんだろうな。
この輝く目を体得した、伊達信の演技に7点。
評価:7点
鑑賞環境:映画館(邦画)
2007-06-09 22:30:17 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)