SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

キック・アス(2010年【英・米】)

やっと観ました『キック・アス』。物語構成のべらぼうな巧さで、いろいろ突っ込みたいんだけどそれを許さない作品。
10点にしたいんだけど、自分の中の何かがそれを許してくれない。何なんだろう…。

二重構成の物語が、とにかく巧い。スーパーヒーロー映画と思わせながら、実質的には手堅いハードボイルド・アクション映画ですね。
キックアス君のいるアメコミな世界と、ヒットガールたんのいるガン=カタの世界。主人公が完全にスーパーヒーローの枠組みで物語を語りますけど、どこまでも一人称。ビッグダディとヒットガールの私生活も、「全てが終わった後」でキックアスが勝手に補完ナレーションしてる可能性が大きいです。そういう「語り手の美学による極端なバイアス」が感じられるという意味では、ダイレクトに『キングス&クィーン』を思い出します。
実際はあの親子、あそこまで派手なコスチュームしてないんじゃないかな。彼らふたりは、ヒーロー物じゃなくて警察物の枠組み内にいるから。たぶん、行動時は普通に黒装束だろうなと思います。そこんとこを、関係ない主人公の視点から描くコトによって、スーパーヒーロー物に語り替えたという荒技。
逆に、地味な警察ハードボイルド映画として撮ったら(ここでの語りはヒットガール)、キックアスは派手な目出し帽かぶってるだけのコミックマニアになるんでしょうね。今の時代、確実に売れる路線だからスーパーヒーローものにしただけのコト。
ここらへんの、ふたつの世界・ふたつの美学の並立の仕方が面白かったです。もうね、オーソン・ウェルズの『黒い罠』みたいですよ。『インスタント沼』でもいいよ。

話は変わって「純スーパーヒーローもの」として観た場合、定期的にやってくる一里塚=ヒーロー棚卸し映画と言えそうですね。
実は1日半かけてじっくりゆっくり観てまして、定期的に iPad 落として考えながら進めてました。
メディアが大きく変わる時に、ヒーロー像ってだいたい棚卸しされて、新しい時代に向けて脱皮してます。
まあ最初のヒーローをロビン・フッドあたりに置くと、電信と月刊誌で情報速度が爆発的に速くなった時代にホームズ、ルパンなんかが登場しますね。
もう少し後の、週刊誌の時代にはファントマやジゴマ(こやつはヴィランですが)。アメリカではコミックブックというメディアを通してスーパーヒーローの原型ができます。
ラジオ時代のスーパーヒーローは調べてないんでよくわかんない(有名どころでは怪傑ゾロとかですが…)。
テレビ時代にスーパーマンとその亜流。ここらへんは家庭における情報爆発時代なので、様々なベクトル/レベルの危機が想定され、ヒーローは常人じゃないレベルまで安全圏に「引いて」ます。
…とか順番に書くとめんどい!
そっから後に国際スパイの時代とかアンチヒーローの時代とかダーティポパイ刑事の時代とか、メディアがリッチになって一般人が触れる情報源が爆発するごとに、リアル世界の新たな危機が「発見」されて、それに対応するべく無駄に強かったり、神のように情報収集が速かったり…ってヒーロー像が棚卸しされていくわけです。
んで今回の『キック・アス』は、ここ10年のSNS時代にフォーカスし、おそらく史上はじめてネット上でオオヤケに存在を明かしたヒーローなわけですよ。YouTUBE や facebook じゃなくて myspace ってあたりが何ともショボショボですが、撮影当時はまだネットサービスの勝ち組の見えなかった混沌期ですから、いいチョイスだったと思います。
インターネットの匿名性は、かな~りスーパーヒーローにシンクロするモノがあって、ここらへんは本当にうまく使ってました(以前書いたけど『インビジブル』ってネットを舞台に描くと原作通りに作れて、かなり怖くなるはずなんだよね。まあ原作のグリフィン君はヒーローじゃあないですが)。
ヒーローの匿名性が保証できる世界なら、悪党側はもっと居心地がいいわけで、後半のクライマックスでのキックアス処刑の生中継なんか(おそらくアレは Ustream のイメージしてくれよ、ってんですね)、いかに悪の組織がネットで活躍しやすいかを示す好例。
そしてもうひとつ、SNS でヒーローに「守られる側」が変わった。もうパレスチナ問題だとか大量破壊兵器だとかで騒ぐ時代じゃなくなった。身近な危機を求める烏合の衆が、何となく自国の、それも近場の事件に盛り上がって、ヒーローと敵を発見しちゃう時代になった。まあぶっちゃけ、ネット炎上に働いてる心理なんてそんなもんでしょう。
キックアスはそういう時代の『観客』に寄り添うヒーローとして設計されてるわけですね。世界を救っても観客が喜ばない時代のヒーローとして。まあ、だからこそもうひとつの物語である『復讐譚』がなければ、観客を最後まで引っ張れないんですが。

最後に、成長物語としての『キック・アス』について一言。
この夏に漫画版の『ゼブラーマン』が Amazon Kindle で再刊されて、じっくり読んでるとこです。出だしの枠組みは完全に『キック・アス』と同じなんで、主人公の成長もかぶるかぶる。折々で「ヒーローの本質」に気付くシーンなんか、けっこう盛り上がって感動的になるところも似てて、アメコミヒーローと特撮ヒーローの出自の違いを超えてシンクロしてます。
ここで浅野さんがサイドキックになってればなあ…ってまあ、日本のヒーローはサイドキックいないけど。
案外『ゼブラーマン』って、スーパーナチュラルな要素がなくても成立したんじゃないかな、って思いました(いや映画は見てないから何ともわかりませんが…あの陣営で作った映画で絶対涙なんか流しそうにないし…)。
評価:9点
鑑賞環境:インターネット(字幕)
2014-08-24 05:14:46 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)