SCAT/くちずさむねこ(2007)

 

キス・オブ・ザ・ドラゴン(2001年【米・仏】)

「凄い」作品じゃないけれど、非常に考えさせられる、示唆に富んだ映画。ぶっちゃけ、画面を観ながら文明について、人類について想いを馳せた。西洋/東洋、欧州/米国、男/女、自由/隷属、孤独/組織…様々な対立軸が、尖りまくった痛い出会いを繰り返す。それが、ちゃんとアクション(の中で各人が取る戦術・戦略)に影を落しているのが凄い。哲学的なカンフーアクションなんて、初めて観たよ。
詳しい所はいずれ書きます…。

●2巡目メモ:
観れば観るほどうならされるアクション。
フランス警察側は常に3手先を読み、必要十分なパワーを計算づくで投入し、必要な場面ではためらわずに撃つ。警察というより軍隊的(ただしUS式)な戦略の上に立っていて、なおかつスペック的にはとてもスマートな、知的な、獰猛な敵である。それが実際のアクションではああもバカに見える。
対する主人公は無策である。無策ぶりが、最初の殺人場面やコインロッカーやボートの場面で、何度も繰り返して強調される。彼は3手先を読む頭脳を与えられていない代わりに、臨機応変という能力によって護られている。その場その場に応じて最前の手を打つ…それが圧倒的な敵と対等に渡り合う原動力になっている。
これは、西欧の映画におけるドラマツルギー&香港映画のドラマツルギーの出会いに他ならない。もっと幅を広げて、このアクションシーンは「西洋と東洋の(社会統治から処世術に至るまでの幅広い)思想的な本質が、肉体を通して出会っている」という表現に変えてもいいんじゃないかと思う。好例がシリル・ラファエリ演じるカンフー使いの刑事が、足技を封じられて自滅する場面。後に『アルティメット』の中で「戦い方が綺麗すぎる」と言われてしまう彼だが、「西欧から見た武術というのはルールありきの紳士的スポーツだ」というのを、ラファエリは自らの肉体で体現しているんじゃないだろうか。

フランスの軍事文化を擁護しておくと、仏軍式の戦術思想「エラン・ヴィタール」というのは、この「臨機応変」という言葉に対する体系的な規範なんじゃないかと思う(ってエラそうに言ってますがあまりよくわかってません)。そこんとこ、フランス警察も毎度戦略を練り直して臨んでいるから駒の動かし方が間違っているわけじゃない。
最終的に主人公が無敵である理由は、どこまでも孤独であり続ける(=人間的な弱みから縁遠い)からだ…というのが今んとこのオイラの考え。マイ聖書『ジャッカルの日』を連想させる、お約束の対立構図だからね。
でもここは、ブリジット・フォンダ演じる娼婦が関係して来る部分だし、おそらく『ニキータ』『アサシン』という、過去の関連2作との繋がりも視野に入れる必要があるんじゃないかな(いや〜『レオン』も関係するんだろうけど、オイラどうしても最後まで観切れないんですよ…序盤がとことん面白くなくってさぁ…)。
なので、ジェット・リーが無駄に超人化してる理由を本当に見切るには、まだまだ時間がかかりそうですわ…。
評価:9点
鑑賞環境:DVD(吹替)
2007-12-25 23:12:00 | 実写作品 | コメント(0) | トラックバック(0)