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1.  ブラックブック
レジスタンスものは、近年の戦争映画の中では少数派とも言えるが、本作ではむしろ一人のユダヤ人女性の戦争体験による、波乱に満ちた数奇な運命を中心に、戦争というものがいかに残酷で、人間の運命を狂わしていくかを描いたものである。しかも監督がP・ヴァーホーヴェンという事もあり、展開は必ずしもセオリー通りとはならず、かなりアクの強い作品に仕上がっている。ナチスとレジスタンスという明確な対立の構図の中を、女スパイとして綱渡りをするのも、肉親を虐殺された事による私憤の為であり、映画としては常識的に、彼女の復讐劇が描かれていく筈のものが、そうはならないのは、従来から既成概念に捉われず、自由闊達な視点で創作するヴァーホーヴェンの一つの特徴と言えるだろう。そういう意味においては、中盤の見せ場である仲間の救出劇や、ムンツェとのラブ・ロマンスにしても、敗北感や虚無感ばかりが覆い尽くしている。つまりは本当の意味で、溜飲を下げる要素は何一つ無いと言ってもよく、波乱万丈の大娯楽作品としての味わいとは程遠いのである。しかしながら、ただひたすら荒っぽい筋立てで、まったく先の読めないまま、目まぐるしく展開していく事と、彼の作品の特徴でもある、残虐性や露骨さ、或いは猥雑さ(中でも美女を裸にして汚物まみれにするという悪趣味の極み!)等が渾然一体となって、本作を魅力的なものにしている事も事実である。全編、既成の善悪の判断の無意味さと、欲望に駆られた人間の愚かしさが痛烈に炙り出されていくが、やがて平和を迎えた時に、かつて、仇の男と毎夜の如く情痴を繰り返していた、もう一人の女性と再会した事から物語が回想されていくのも、何やら皮肉な運命を感じさせる。女たちの生きる事への貪欲さとしたたかさに、改めて人生を教えられた思いだ。注文を付けるとすれば、何の前触れも無く唐突に出現した感のある、肝心の“ブラックブック”の(まるで葵の印籠のように)有無を言わせぬその信憑性と齎す意味に 、あまり説得力を感じない点だ。
[映画館(字幕)] 8点(2007-07-29 15:53:51)(良:1票)
2.  16ブロック
R・ドナーとB・ウイリスとの初のコラボレーションは、二人の新たな代表作と呼べるに相応しい作品となった。共にアクション映画で今の地位を築いてきた二人だけに、その拘りには並々ならぬものを感じさせる。本作は「48時間」や「ミッドナイト・ラン」といった“80年代アクション”の流れを汲むものであり、シチュエーションに至っては、まさに「ガントレット」そのものと言ってもいい。昔から、アクション映画に於ける“コンビものにハズレ無し”と謳われる通り、本作もその例に漏れず見事なコンビネーションぶりを発揮していて、アクロバティックで荒唐無稽さがウケる昨今、確りと地に足が着いた大人のアクション映画として、近年出色の作品だと言える。“僅か2時間足らずの内に人間は変われるか?”という裏テーマが内包されている脚本は、単なる友情や連帯感といったものを超えた、視点の新しさを感じさせ、 それをアクションに絡ませていく語り口の巧さは絶妙であり、またテンポの良さと研ぎ澄まされた編集の見事さなど、まったく無駄と言うものが無い。それに応えるべく、三者三様の役作りの卓抜さは、お見事と言う他ないが、世界一運の悪い男を演らせたら、やはりこの人、B・ウイリス!歩き方からその風体まで、ほとんど特殊メイクと言ってもいい程の凝りようで“決してジョン・マクレーンであってはならない!”と自らを言い聞かせているように見える。しかし充血したその眼がひとたび鋭くなった瞬間の凄みと迫力は、まさしくアクション俳優としての本領発揮の瞬間として、あたかも歌舞伎の大見得を切るようなイメージで迫り、大向こうを唸らされるものがある。相手を出し抜き、次々と難局を切り抜けていく頭脳戦も、かつて敏腕刑事として鳴らした裏付けがあればこその説得力を生み出しているが、同僚でありながら敵役でもあるD・モースは、善人なのか悪人なのか蓋を開けてみないと分らない程、人間味を滲ませながら両極端を演じ分けられる数少ない俳優で、彼なくしてはここまでの濃密なドラマとはならなかったのではないか。執拗に追う者と追われる者とのバランスが程良く描き分けられ、また群集との絡ませ方など、ロケーション効果も実に鮮やかだ。それにしてもR・ドナー、御歳七十を過ぎてまだこれ程の余力(?)が残っていたとは、もはや脱帽せざるを得ない。
[映画館(字幕)] 8点(2007-01-28 16:24:36)(良:1票)
3.  007/カジノ・ロワイヤル(2006)
任務を遂行しながらも、頭の中は、昨夜寝た女のコトばかり考えているような好色漢で、身のこなしはスマートかつエレガント。何事にもアクティブで多趣味だが、いかにも頑張っているイメージには程遠く。ピタリと決まるキザなセリフも嫌味にならず、どこか人を喰っているような余裕すら感じさせ、それでいてそれらが決してマンガチックにならない。我々が記憶するJ・ボンドのイメージの一端を述べたものだが、半世紀近くリアルタイムでシリーズと接してきた者にとって、ボンド=コネリーの強烈なイメージは、そうそう拭いきれるものではない。世代によっては肩入れが違うのは無理からぬところで、、比較的若い人は、P・ブロスナンを推すようだが、あの金太郎飴のような表情の乏しさだけは許しがたい。今回の新作におけるボンドは果たして如何に?“ジェームズ・ボンド・ビギニング”と呼称してもいいような、ボンド誕生前史を描いているだけに、D・クレイグ=ボンドはやたら人間臭く、無鉄砲で、いかにも若々しいがむしゃらさを前面に押し出して描かれている。“21世紀のニュー・ボンド”と言うよりも“先祖がえり”という意味で、我々がイメージとして定着する前のボンドであり、シリーズに於ける過去のあらゆる約束事をブチ破りながら、ストーリーそのものと、ボンドという人物像を築き上げていくプロセスの面白さで、純粋なアクション映画としては上々の作品であり、見せ場作りの巧さでは定評のあるM・キャンベルの新たなる代表作と言っていいだろう。しかし、言い換えると、ここには本来の“お正月映画としての007”の楽しさと言うものは無く、むしろ異質のものに感じるのは致し方のないところ。全般に演出も演技も真面目で手堅いものの、遊びや余裕が感じられないのが、シリーズを楽しんできた者にとっては、やはり物足りない。談笑しながら見向きもしないで、的をものの見事に命中させる離れ業を見せたのが、「サンダーボール作戦」でのクレー射撃場でのひとコマ。そのあと、まるで射撃が初心者であるかのように「単なるまぐれさ。俺は何の取り得もない、つまらん男さ!」のセリフで相手を煙に巻くコネリーの不敵さと、この痛快極まりないシーンを編み出した、T・ヤングのハッタリ演出が、今では懐かしい。
[映画館(字幕)] 8点(2006-12-16 17:24:53)(良:1票)
4.  ヒトラー 最期の12日間
第2次世界大戦末期に於ける、連合軍進攻によるベルリン陥落までの十数日間を描いた実録風戦争ドラマ。原題は「The Downfall(=陥落、崩壊)」であり、独裁者としてのヒトラーの知られざる側面を描きつつ、むしろ側近を含んだ彼の周囲の人間模様により焦点が充てられている作品だと言える。独裁者たるヒトラーを嘘・偽りの無い一人の人間として描く事や、陥落寸前のベルリンの悲惨な当時の状況を語る事は、何かとタブー視されて来ただけに、今回の映画化にあたっては、それ相当のリスクや軋轢があっただろう事は想像に難くない。しかしそれらを可能にしたのが彼の秘書であったユンゲの回顧録である。従って、映画はあくまでも彼女の視点から描かれていて、それがそのまま我々観客の視線ともなっている。映画である以上多少の誇張もあるだろうが、ここで描かれるヒトラーはおそらく最も真実に近い姿のような気がするし、今となっては彼女の回想を信じるしかないが、それでもユダヤ人団体から“人間的に描きすぎる”というクレームが来たそうだ。歴史上の人物を描くのが如何に難しいかという事だろうか。しかしながら、狂気と重厚さを併せ持った独裁者を演じるB・ガンツはそのソックリぶりで、名優ならではのヒトラー像を見事に体現してくれた。しかしその割にカリスマ性は然程感じられなかったのは残念だとしか言いようがない。それと言うのもやはり彼の側近たちの狼狽ぶりに力点が置かれている為であり、そう言う意味でヒトラーは言わば狂言回しではなかったろうか。組織の崩壊を目前にして素直に敗北を認める者と徹底抗戦する者、或いは国家を憂い将来を悲観して玉砕する者、それでもなお虚勢を装って退廃に耽る者など、国家や戦争への思い入れや立場の違いで、身の処し方も違ってくる。そんな悲惨な極限状況の中、追い詰められた者たちそれぞれの葛藤を、映画は極めて冷徹で淡々としたタッチで描出していく。壮絶で生々しい描写とは裏腹に、感情の無くなった兵士たちの表情がとりわけ印象的だ。本作は戦争が如何に狂気じみたものであるかという事とその戦争を終わらせるのは更に難しいという事を、強烈なメッセージとして世界に訴えかける。戦後60年を迎えた今、この映画を製作した意義は大きく、同じ敗戦国である日本人としては実に身につまされる作品である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-08-09 00:52:42)(良:4票)
5.  エレニの旅
アンゲロプロスの映像世界には、他の誰もが真似ることが出来ないこだわりとオリジナリティがある。今日に至るまで、死守され続けてきたこの人だけの映像スタイルは、黒澤とそして小津の影響が明々白々であり、その姿勢は愚直なほど一貫している。オープン・セットでは超望遠レンズを多用して映像に奥行きと重厚さを生み出し、室内シーンともなると固定キャメラで延々と芝居をさせる事などがその顕著な特徴である。本作はギリシア悲劇をベースに、繰り返される戦争の虚しさとそれに翻弄される民族、そして愛する者への慟哭を描いたものである。これはアンゲロプロスが作家として追い続けている永遠のテーマであり、また世界的に見ても唯一無二である事で、独自の地位を築き上げてきた人である。一大叙事詩とも謳われるその映像は、まるで能の舞台を観るかのような様式美で統一されていて、室内よりむしろオープン・セットにより彼らしさが表れている。それは彼の作品のモチーフでもある「河」に象徴的に描かれる。ときに国境として、あるいは祖国を分断するものとして、さらに民族の分裂から仲間や家族との別離といったシーンにより深い意味が込められ、今まで以上に大きな役割を担っていると言える。オープニングの難民たちに始まり、洪水に見舞われ水没する村々、あるいは多くの舟が整然と並び、漕がれる櫓が幾何学模様となって河を渡るシーンなど、それらはまるで静物画のような美しさで描かれる。また、木に逆さ吊りにされた無数の羊たちのショット、あるいは土手を挟んで二人の息子が再会する様子を、幻影として見つめる母親の姿を捉えた終盤のシーン等々、物言わぬ映像が多くの事を語りかけてくる。悲しくも美しい映像には枚挙の遑が無いほどだが、ひとつひとつのシーンはまさに芸術品であり、あたかも美術館を巡っているようである。細かなプロセスが省略されていても、個々のエピソードは十二分に理解でき得る。映像の持つ力とはそういうものなのである。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-15 18:32:14)(良:2票)
6.  ウィスキー
下町で古びた靴下工場を細々と経営する初老の主人ハコボの元へ、疎遠になっていた弟のエルマンが訪ねてくる。ハコボは事もあろうに、従業員のマルタに偽装夫婦になる事を頼み込み、三人での束の間の奇妙な共同生活が始まるというのが、大雑把なストーリー・ライン。何故、ハコボは結婚していなかったのか、或いは偽装結婚を何故する必要があったのか、などと言った素朴な疑問には殆んど触れられないまま、ドラマは進行していく。勿論、それらには然したる意味はなく、何の変化もない同じ事の繰り返しで明け暮れしている所へ、一石を投じた事によりドラマが生まれ、やがて人間の本性が炙り出される面白さ。様々なエピソードを積み重ねる事でそれらは的確に描出されていく。静かな語り口だが演出は実に巧みで、ドラマらしいドラマがなくとも、多くの事を語りかけてくる作品だ。もう若くもなく、同じスタイルに固執し変化を望まない一組の男と女。仕事以外のことには無気力・無関心で、自分の殻に閉じこもって人生を楽しもうとしないハコボ。今までどのような人生を送ってきたのだろうか。しかし羽振りのいい弟には弱みを見せたくないという、兄としてのプライドだけは持っていて、その頑なな姿勢はどこまでも崩さない男だ。年配の従業員マルタも寡黙で仕事には従順な女性として描かれるが、利己的で単純なハコボと違い様々な表情を垣間見せる。彼女は一人では生きていけない事を自覚し、そして何かに期待を抱きながら生きてきた女性なのである。偽装夫婦を頼まれた時に快く応じたのもやはりその何かを期待したからで、たまたま年恰好が同じという程度の理由で、マルタを選んだハコボとは大違いだ。だからラストのしっぺ返しも当然の成行きとも言える。表向きは例え同じ方向を向いているようでいても、生き方や考え方というものはやはり人それぞれ違うという、至極当然のことを映画は改めて教えてくれる。“チーズ”と“ウィスキー”の違いはあっても、人生を笑顔で過ごしたいのは何処の国の人も同じだと、作者は言いたげだ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-09 16:21:21)(良:3票)
7.  ビヨンド the シー/夢見るように歌えば
「天は二物を与えず」の格言からすると「天は、ときには幾つも与える」という事なのだろうか。とにかくK・スペイシーの才能には改めて脱帽するしかない。その歌唱力の確かさは大向こうを唸らせ、堂々とした歌いっぷりには男の色気が漂う。さしずめ歌舞伎の大見得を切るイメージと言ったところか。とりわけ”♪Mack the knife”で颯爽とステージに登場するオープニングのシーンは鳥肌モノ。そしてこの人にもこんな面があったのかと、楽しげに踊るダンス・シーンの見事さにも感心する。“俺には生まれながらにしてこんな才能もあるんだぞ”と言わんばかりの自信満々ぶりが表情にも出ているが、決して嫌味にはなっていない。そして、これらがハードなレッスンの賜物であることも想像には難くない。 B・ダーリンに心底傾倒し、本人に成り切りたい一心で作り上げられた本作は、完璧主義者=K・スペイシー一世一代のお祭りムービーであり、作品に対する意気込みや熱意というものが、画面からビンビン伝わってくる。奇しくも同時期に公開された「Rey/レイ」とは、伝説のミュージシャンを扱った作品という点では同じだが、前者がしっとりとした湿り気のある作風であるのに対し、本作はより深刻なテーマを内包しているにも拘らず、むしろカラッとしたテイストの作品に仕上がっている。だから、ひたすら明るく楽しいエンターテインメントに徹して描いている点は、作り手側の潔さを感じるし、それと同時にまったく無駄というものがない音楽映画の秀作だと言える。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-17 15:17:38)(良:1票)
8.  セルラー
今や我々の日常生活に欠くことの出来ない携帯電話の特質を巧妙にとり入れた、サスペンス・アクションの佳作。それはそれはタイトルが始まってからエンドロールに至るまで徹底されていて、主役はあくまでも携帯電話なのだという事が否応なく印象づけられてしまう。本作はいわゆる巻き込まれ型サスペンスで、プロットはいたってシンプルだが、さらに二重構造にすることで空間的な広がりが生まれ、またそれぞれがラインで繋がっていて、移動することにより局面が次々と変化し、そこに予測のつかないスリルが展開されていく面白さ。ストーリー・テリングの巧みさやトリックの仕掛け方など、考え得るありとあらゆるサスペンスのエッセンスをふんだんに作劇に絡ませ、娯楽作品として絶妙の味付けを施している。まさにアイデアの勝利といったところだが、やはり電話をモチーフにした「フォーン・ブース」の脚本で既に実証済みのL・コーエンならではの発想で、アイデアマンとしての面目躍如たるものがある。人助けという思いもよらないトバッチリを受けながらも、咄嗟に機転を利かせて大活躍をするC・エバンスが作品全体を盛上げているが、いかにも小市民的なおじさん俳優W・H・メイシーの意外性のある活躍も見逃せない。ただ、J・ステイサムは「トランスポーター」などで既にヒーローを演じている人だけに、今回の役にはそぐわないような気もする。いずれにしても、小品だが時々こういったキビキビした作品に出逢うから、やはり映画は止められない。
[映画館(字幕)] 8点(2005-05-17 00:24:46)(良:1票)
9.  ボーン・スプレマシー
“続編に妙味なし”という定説が崩れつつある昨今、それを決定的にしたのが本作で、近年のアクション映画の中でもピカ一の作品とだけは言っておきたい。前作に引き続きハード・ボイルドな姿勢は一切崩されておらず、大技小技を効かせたアクションは全編に渡り、そのリアルさは些かの輝きも失ってはいない。ひたすら一直線に雪崩れ込んでいくストーリーは、人物造形の巧みさもあり、よりシリアスで濃密なドラマへと展開していく。不自然さなど微塵も感じさせないほど、本作が稀に見る上質のエンターティンメントだと言えるのも、ポイントとなる場面を正確に把握し、ディテールをきっちりと描き重ねてきた結果に他ならない。だからこそ、クライマックスへ到達するまでの数々の逃走劇が見事に描かれることにより、この荒唐無稽なカーチェイスも生きてくるのである。鞄に入れた銃をロッカーに忍ばせるているシーンに示されるように、満身創痍のJ・ボーンが孤立無援の中、脱出するスリリングさは、スパイ映画の王道を行くものであり、007がすでに失ってしまったものを、ここで改めて復活させているように感じる。(そう言えば、ジェイソン・ボーンのイニシャル“J.B.”はジェームズ・ボンドに符合する!)まさにD・リーマン製作総指揮のもと、監督P・グリーングラス、脚本B・ヘルゲランドといった頭脳集団のチ-ムワークの良さが勝利に導いた作品だと言える。ただ、実年齢よりも老け顔のJ・アレンに対し、童顔のM・デイモンのラストのあの決めゼリフはいかにも不釣合いな感じがした。
[映画館(字幕)] 9点(2005-04-29 18:23:31)(良:1票)
10.  コーラス
戦後間もないフランスの田園地帯。それは「池の底」と呼称され、寄宿舎というにはおよそ程遠く、まるで牢獄の様な佇まいをみせている。そこには親との死別あるいは理由あって離れて暮らすことを余儀なくされ、日々寄宿生活を送る少年たちの姿があるのみ。その寂しさゆえ荒ぶ心の拠りどころを得られぬ彼らには、「目には目を」という体罰主義の校長の方針で、その自由さえ叶わない。そこへ舎監としてやってきたのが主人公のクレマン・マチュー。彼は落ちこぼれの音楽家であるが、校長のやり方に反撥し、悪ガキたちに手を焼きながらも、音楽の素晴らしさを教えていくというのが物語の大筋。確かに、かつて何処かで観たような聞いた事のあるようなお話しで、目新しさというものは感じられない。所詮「学園ドラマ」とはいつの時代でも同工異曲で、基本的なパターンは同じということ。しかし描き方によっては感動を呼び興すものがあることもまた事実。まだまだ無邪気さが残る少年たちそれぞれに個性が光るが、もう一人の主人公ピエールを演じるジャン=バティスト・モニエは本作の白眉であり、クールでナイーブな心の表現も然ることながら、なんと言ってもその透き通るような美声にはやはり聞き入ってしまう。一方、マチューをG・ジュニョに演じさせたのはやはり正解で、これが若くてハンサムな男優だと、もぅそれだけでクサい映画になっていたに違いない。初めて教室に入ってくるシーンでの子供たちの挨拶代わりの悪戯を、ウィットで切り返すという、定番ながら彼にしか出せないユーモラスな味というものが感じとれる。また、人生に失敗し身なりも粗末で風采の上がらぬマチューが、ピエールの母親に恋心を抱くも願い叶わず、ペアになった椅子を別の客に持ち去られた後、呆然としている姿が哀れみを誘う。彼にとっては最後のチャンスだったかも知れないだけに、人生のホロ苦さを感じさせる秀逸なシーンだ。ただ、マチューがどこまでも純粋で善良な人間で、校長はどこまでも悪人という描き方は、人間ドラマを底の浅いものにしているし、少年たちの心の叫びを歌声に変えるまでのプロセスは性急に過ぎる。そしてJ・ペラン演じる老成したピエールの回想シーンが、本筋にさほどの意味を帯びてこないのも残念で、バスで去っていくラストに深い余韻が残るだけに余計そう感じる。
[映画館(字幕)] 8点(2005-04-22 17:31:48)
11.  春夏秋冬そして春
キム・ギドク作品は過去の例をみても分かるように、外界と隔絶された異世界(異空間)を舞台に展開されるということが、まず特徴として挙げられる。そして本作ではそれがより顕著で象徴的な形として綴られていく。それは山奥深い、まるで水墨画のような幽玄の世界。湖上に静かに浮かぶ庵。それらのピンと張りつめた佇まいは、この作品を語る上で、これ以上ない舞台設定だと言える。そして、自然の美しさと造形された美しさとが見事に融和し、鋭く的確に捉えたカメラの素晴らしさを語らずにはいられない。それは決してカラフルなものではなく、むしろ程よく抑制の効いた色彩効果といえるものであり、四季の移ろいを人生訓として特徴づけた撮影技術は本作の功労者だと言える。物語は桃源郷に生まれ育った人間が、外界(俗世間)に触れることにより人間本来の生き方を悟るという、あくまでも寓意に満ちたものである。生まれてから死ぬまで業を背負っているのが人間なら、生きていく上で俗社会に関わっていく事を避けて通れないのも事実。閉ざされた空間から飛び去り、再び舞い戻ったとき、人はそれぞれ何を学びとって来るのであろうか。本作は、そういった人間の一生の在り様の教えと捉えたいが、平易な語り口だけにより深く考えさせられる作品である。天空から下界をそっと見守る菩薩像に 「2001年宇宙の旅」のスター・チャイルドをついついダブらせてしまうが、作品イメージとしては実相時昭雄作品に近いのではないだろうか。
9点(2005-02-12 15:28:06)
12.  白いカラス
いくら四番バッターばかり集めても面白い野球は出来ないと言われているのと同じで、アカデミー賞授賞監督や主演俳優たちが一堂に会したからといって、必ずしも良い映画が生み出されるとは限らないという見本のような作品。そもそも、今どきよくこんなテーマが企画として通ったなぁと感心するぐらいアナクロっぽく、ストーリーラインに至っては新味もなければ捻りもない。今や大メジャーであるN・キッドマンやA・ホプキンスらが、自らトラウマを背負って苦悩し、人生に絶望している人間にはとても見えないことに根本的な欠陥があり、映画をつまらなくしている基本線でもある。確かにR・ベントンの味わいのある演出は健在だし、錚錚たる顔ぶれの演技人ひとりひとりの演技も決して悪くは無いと思う。しかしその一方で、それらの個性のぶつかり合いが微妙な化学変化を生じさせ、かくも中途半端な印象しか残らない作品となってしまった事は実に残念であり、作り手側からしてみてもまったくの想定外だったに違いない。
6点(2005-01-04 16:45:42)
13.  ツイステッド
犯人は常に主人公の側にいて、しかも公私に渡って旧知の間柄の人物というのが、最近のサスペンス映画の定番となりつつある。したがって皆さん↓のご指摘の通りで、犯人は誰にでも凡その察しはつく。意外性のある人物が些かも意外でない時のサスペンス・ミステリーは、筆舌に尽くしがたいほどツマラない。男にダラシないヒロインの性癖を利用したトリック殺人と、それまではよかったが、そこまで手の込んだ殺人を犯してまで、何故彼女を陥れなければならなかったのかという、犯人の動機が極めて曖昧であり意味不明。要は、強引な作劇とご都合主義が全体を支配している作品と言わざるを得ない。危険な匂いを発散させるアシュレイ・ジャドも、どちらかと言えば悪女的なイメージで描かれ、犯人の罠にかかったのも身から出た錆で、同情するまでには至らない。そしてラスト、犯人が射殺されて海へドボンというのもセオリー通りなら、いつの間にやら大勢の警官隊が駆けつけるのも然り。しかも湾岸警備隊まで出動させるという手回しの良さには、半ば呆れてしまった。これがあの才人カウフマンの作品かと思わず耳を疑いたくなるほどの凡作だ。
5点(2004-10-25 23:58:18)
14.  モンスター(2003)
当初は確かに被害者的な立場だったアイリーンも、単なる金が目的の行きずりの強盗殺人犯に変貌していく。そしてその金も、その日暮らしの生活にと言うよりは、むしろセルビーとの関係を繋ぎ止めておく為であるかのようだ。何とも虚しい二人の関係だが、愛に飢えていた彼女にはセルビーが最後の砦だったのだろう。が、そのアイリーンへの曖昧な愛は、ラストの証言台でのセルビーの姿に象徴される。セルビーの描写の希薄さは、そのままアイリーンへの気持ちの希薄さそのものではないだろうか。そもそも、アイリーンの幼い頃に両親が離婚した事。虐待されて男に憎しみをもっている事。娼婦として体を売って一人で生きてきた事。これらの事はよくある話で、さほど珍しくも無い。ただ、彼女が自暴自棄になって男を殺し続ける事とは本来何の関連性もなく、その生きざまにも必然性が感じられない。映画は決して彼女を美化していないし、ほとんど事実に即して描いているのだろうけど、ありのまま描き過ぎて彼女の行動そのものが即物的な印象を受ける。そして愛を知らずに苦悩し彷徨する人間というよりも、男に憎しみと恨みを抱いているという大義名分を振りかざしている人間にしか見えてこない。だから、一度上手くいった事に味を占め次々に罪を犯す彼女にもはや感情移入などできなくなってしまうのである。それにしても、こういった車での道すがら娼婦を買うという行為は、いかにもアメリカ社会ならではの特徴とも言え、そういう意味でも本作は、この国の病巣と人間関係の不毛さをえぐり出した作品だと言える。
8点(2004-10-19 17:40:20)(良:2票)
15.  グッバイ、レーニン!
一つの国家が、紛争あるいは統合などといった歴史的なターニングポイントを迎えたとき、国民は如何にそれに向き合い、どのような行動をとって生きていくのだろうか。本作は東西ドイツの統合が、とりわけ旧東ドイツにとっていかに驚天動地の出来事であったかという事を、ひとつの家族を通して描いたものだが、遠い国の出来事と無関心ではいられないほど、当時の彼らの心情が痛いほど伝わってくる秀作である。物語の発端は、主人公アレックスがある日デモに巻き込まれ、間違って補導されてしまい、その事がショックで母親が倒れてしまう。長期に渡る昏睡状態の後、奇跡的に回復するが、その最中に東西ドイツの統合という歴史的変革が生じてしまう。自国に誇りを持って生きてきた母親にこの事を知られまいとするアレックスが、あれこれと捏造を重ね大芝居を打つ姿を、映画は終始コミカルなドタバタ調で描き綴っていく。咄嗟の判断でその場を切り抜けたり、皆で寄ってタカって嘘を演出するというのは、洋の東西を問わずコメディの常套的手法だが、アイデアが少々お堅いのはお国柄だろうか。けれども、いかにも嘘っぽいそれらを彼らが大真面目にやるからこそ、余計面白いとも言えるのだが。アレックスたちの涙ぐましい努力と徹底した行動力というのは、あたかも旧東ドイツを象徴しているかのようだが、果たして彼らのとった行動にどれほどの意味があったのだろうか。虚構のシナリオが大袈裟になればなるほど嘘っぽさも増していくという皮肉とその虚しさ。すっかり新しい社会環境に慣れきった彼らに比べると、母親のブランクが余りにも大きいという事なのだが、人間とは本来社会の変化の真っ只中にいると、その変化に知らず知らずのうちに順応していくものでもあると、映画は語りかけてくる。ところで、息子の嘘つまりはドイツの変化に気づかぬ振りをしてこの世を去った母親の愛情を、アレックスは果たして汲み取ったのだろうか。急激な社会の変化に翻弄されても、現実に背を向けることなく生きていく為の一歩を踏み出すこと、そして家族の大切さを彼女に教えられたような気がする。
8点(2004-09-28 00:33:33)
16.  ヘヴン 《ネタバレ》 
冒頭、いきなり高層のエレベーターの爆発から物語は始まる。夫を失った悲しみとその恨みから、或る麻薬密売人に復讐する為に爆薬を仕掛けたのだ。覚悟の上での犯行だったが、しかし恨みを晴らすどころか、関係ない人たちを爆死させてしまう結果に。この時のヒロインの英語教師を演じるC・ブランシェットの凍りついた表情が印象的だが、普通の一般市民のテロ行為がまかり通る国家の恐怖を感じざるを得ないエピソードではある。この後、取調べに通訳として立ち会った若き憲兵が、彼女を助けながら思いを遂げさせるという展開となるが、何故彼はそこまでして彼女に想いを寄せるのかは、あまり多くは語られないので、やや唐突な印象を受ける。絶望感に打ちひしがれ、もはや生きていく気力も失いかけていた彼女だが、青年の純粋な愛に応えるべく、共に逃避行を決心するのが物語の後半。それはまさに絶望に向かってのものだが、サスペンス・タッチの前半から舞台がトスカーナ地方に移ったこともあって、陰惨さというものが徐々に薄れていき、いつの間にかピュアで詩情溢れた画調に変転している事に気づく。極度にセリフを抑え、表情だけで純粋な愛の形を描出したT・ティクヴァ監督の、この流れるような演出の手際の良さは実に見事である。ブランシェットと相手役のJ・リビジは共に本作のイメージ通りの透明感溢れる好演を見せているが、既に「ギフト」で共演していた事もあって、さすがに息がピッタリであった。二人を乗せたヘリが上空高く舞い上がり、やがて小さく小さくなって空に吸い込まれていくラストは、まさしく天国に召されていくという象徴的なイメージで、近年における名場面だといえる。
8点(2003-11-25 01:02:45)(良:1票)
17.  クジラの島の少女
本作は、島の族長を男が継承するという伝統と古い因習の残る島で、女として生を受けた少女パイケアの「男として生まれたかった」ことへの苦悩と反撥を描くと共に、自ら運命を切り開いていき、やがてアイデンティティーを確立するまでの闘いの物語と捉えたい。ここでの女性たちは皆それなりに自己主張を貫き、決して男尊女卑といった単純な図式としては描かれてはいない。あくまでも島の伝承にのみ拘っているのだが、パイケアが島の他のどの少年たちよりも、族長を継承する能力に優れているかが痛快なほどに示される。それだけに「男として生まれてきて欲しかった」と、孫娘パイケアをこよなく愛する祖父の無念さもまた胸に迫るものがある。映画は島の人々の生活を現実感溢れた描写をする一方で、ファンタジックな味付けをも施している。終盤のエピソードがそれなのだが、このあたり宮崎アニメにでもなりそうなドラマツルギーではないだろうか。まさに1000年の時を経ての「鯨への恩返し」と相成った訳で、島の人々の思いと願いとが十分に伝わってくる感動的な幕切れであった。
8点(2003-11-13 23:54:55)
18.  スナイパー(2002)
オープニングからエンディングまで、狙撃手としての主人公がひとつの部屋に張り付いたままというのも珍しい設定だが、この「静」の主人公に、蜂の巣を突っついたような他の登場人物たちの「動」という対比が本作の狙いであり面白いところ。ただ、ここに描かれている状況や彼のモチベーションを理解するのに時間がかかる事と、それを知ってしまえば、もっと他に方法がなかったのかと思うこともしばしばで、状況設定の面白さとは裏腹に、命懸けとは言え、彼の回りくどいやり方には少々矛盾を感じてしまう。そしてそれは監督カリ・スコッグランドの演出プランに責任を負うところ大であって、そのメリハリの無さが作品を凡庸な印象にしてしまっている。
6点(2003-11-08 23:07:30)
19.  トゥームレイダー2
P・ブロスナン=ボンドの「007」シリーズにしても本作にしても、最近のアクション映画の大半がアクロバッティックで見かけだけは派手だが、胸のすくような活躍というよりも、まるでサーカスまがいの曲芸でも観ているかのようだ。要はアクションに移る時の“タメ”がなく、全てが“段取りアクション”になっていて、ただ映像が流れているだけだから、そこに興奮もなければカタルシスも生まれない。つまり“見せ場”が“見所”になっていないので、ほとんど印象には残らないということ。そして世界中を舞台にしているシリーズの割には、作品的な大きさや広がりといったスケール感がまったく感じられないし、A・ジョリーに至っては女サイボーグじゃないかと思われるぐらい表情の変化に乏しく、とりたてて魅力は感じない。(パート1で父親に相対したときの人間味のある表情は印象的だったが・・・。)
6点(2003-10-30 23:36:16)(良:1票)
20.  閉ざされた森 《ネタバレ》 
次々と事実が変化していくことにより、再現シーンも同様に変化していく。(「HIRO」のように最近の一種の流行りか?)いったい何が、そしてどこまでが真実なのか最後の最後まで解からない仕掛けになっている本作、“結局全部ウソでした~!”って結末には正直シラけてしまう。酒やご馳走が並べられた途端、お開きになった宴会みたいで、C・ニールセンより、必死になってストーリーを追い、煩雑な人物名をも整理していた我々観客こそイイ面の皮だ。ビールを飲みたくなるのはこちらの方で、消化不良を起こしてしまう程の後味の悪さ。本国では“リピーター続出”などと冗談のように書かれていたが、リピートするほど面白い話では決してありません。
4点(2003-10-16 00:11:43)
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