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1.  太陽(2005)
日本を照らし続けるものの象徴として、「昭和天皇」を「太陽」として喩え、彼が敗戦という事実を受けとめて終戦を迎える日の一コマを、外国人の視点から描いたもので、静かな中にも終始緊張感の漂う作品となった。敗戦国の風景と天皇ヒロヒトの姿をシンボリックに描いたのが本作のポイントであり、それらは独特の映像で表現された東京の景観であり、イッセー尾形の形態模写的なソックリぶりとして、それぞれ独自の表現方法で画面に定着させていく。一人芝居で培ったイッセー尾形の独壇場ともいえる演技は、天皇ヒロヒトにどこまで迫れたか。それは映画を観た人の多くが納得いくものであろうし、少なくとも彼を起用した意図は十分に感じとれるものである。顔立ちや表情或いは何気ない仕草に加え、口癖のように「あっ、そう~」という言葉の言い回しや、“口モゴモゴ”の癖などをデフォルメして表現してみせるのも、生まれながらにして本当に言いたい事も言えず、言葉を呑み込まなければならない、その置かれた立場と哀しさをより強調したいからに他ならない。しかし、そのボソボソとした言葉は至って明瞭であり、全編に流れる微かな効果音と対を成していて、極めて印象的な演出方法だと思う。また、本編のセリフにもあるように、その容姿から“チャップリンのような”と形容され、事実、モーニング姿のおどけたような仕草に、ジャーナリストから好奇の目で見られるが、自身、意に介さないばかりか、むしろどこか得意気であり、そこに道化師の悲しみに似たものを感じさせる。多くの民を失わせた、その最高責任者としての表情と、一方で、どこにでもいそうな平凡な家族思いの男として、人間味を滲ませるなど、いかにも本物らしく、又は本物に近づいたかの如く、見事なまでに様々な表情を見せてくれる。未だ夜が明けきらぬままの、暗く重苦しい東京が終始映し出される。エンドロールに於ける、その上空から俯瞰で捉えた画面の端に、微かに鳩(だろうか?)が現れては消えるを繰返す様は、平和を願って已まない者の心の現われなのか、或いは、これからの日本の行く末を見守るものの象徴としてなのか。宮中の防空壕の暗い闇の中を、手探りで彷徨う天皇の姿と重なり合う。本作は、皇室の気品に溢れた調度品の様式美に至るまで、統一された色調による映像と演技者たちの表現力で、言葉だけでは伝えきれないものを我々日本人に齎してくれた力作である。
[映画館(字幕)] 9点(2007-02-18 17:21:05)
2.  海を飛ぶ夢
人間の死生観に纏わる究極の問いかけをテーマにしている作品であるが故に、それぞれの生き方や考え方の違いから、観る人によって感じ方や捉え方などといった価値判断も違ってくる。テーマがテーマだけに明確な答えなどなく、作り手側もそんなことを求めてはいないのは明らかだ。様々な異なった意見はあって然るべきであり、それほどに考えさせられる作品だと言う事である。主人公のラモンは若い頃に遭遇した事故で四肢麻痺となり、終生ベッドに横たわるだけの生活を強いられているのだが、病魔に襲われていつ死が訪れるかも知れない病人とは違い、あくまでも身障者なのである。だからその気にさえなれば人生を全うする事も可能だった筈だ。しかしながら、彼は自ら人生にピリオドを打つ決断をしたのだ。映画はそんな彼のとった行動に対し“何故?”ではなく、あくまでも“どう思いますか?”と問いかけている。端的に言えば、身の回りの世話をし見守ってくれている人々に対する気遣いと、自分では何ひとつ出来ないという屈辱的な日々に耐えられなくなり、もはや生きていく事に意味を見出せなくなってしまったからだろう。要は彼のプライドが許さないのだ。人間とは様々な人々と関わり合い支え合いながら生きている。それは健常者であろうと身障者であろうと。そして身障者の多くは自らその苦境を乗り越えて生きているのも事実であり、だから28年もの間、支え続けてくれた家族や友人たちに対して、ラモンのとった行動は余りにも身勝手だという意見も良く分かる。しかも死ぬことすら人の手を借りなければならないとならば、尚更である。取りも直さず、ずっと見守ってくれ支えてきてくれた人々に対し、彼には生きる「責任」があり、人生を全うする事によって初めて、生きる「義務」を果たしたと言えないだろうか。それが延いては「感謝」や「礼儀」という事にも繋がってくる。しかし生ある限り強く生き抜いて欲しいという周囲の願いは、所詮「綺麗ごと」に過ぎないのかも知れない。映画はドラマ性を極力抑え、ラモンを取り巻く人たちの日常を冷静な眼差しで綴っていく。だからその味わいは意外なほど淡白だ。本作は表層的には魂の救済の物語のようだが、寧ろ人に愛され大切にされる事の意味を問いかけているように思う。
[映画館(字幕)] 7点(2005-08-25 17:26:09)
3.  ヒトラー 最期の12日間
第2次世界大戦末期に於ける、連合軍進攻によるベルリン陥落までの十数日間を描いた実録風戦争ドラマ。原題は「The Downfall(=陥落、崩壊)」であり、独裁者としてのヒトラーの知られざる側面を描きつつ、むしろ側近を含んだ彼の周囲の人間模様により焦点が充てられている作品だと言える。独裁者たるヒトラーを嘘・偽りの無い一人の人間として描く事や、陥落寸前のベルリンの悲惨な当時の状況を語る事は、何かとタブー視されて来ただけに、今回の映画化にあたっては、それ相当のリスクや軋轢があっただろう事は想像に難くない。しかしそれらを可能にしたのが彼の秘書であったユンゲの回顧録である。従って、映画はあくまでも彼女の視点から描かれていて、それがそのまま我々観客の視線ともなっている。映画である以上多少の誇張もあるだろうが、ここで描かれるヒトラーはおそらく最も真実に近い姿のような気がするし、今となっては彼女の回想を信じるしかないが、それでもユダヤ人団体から“人間的に描きすぎる”というクレームが来たそうだ。歴史上の人物を描くのが如何に難しいかという事だろうか。しかしながら、狂気と重厚さを併せ持った独裁者を演じるB・ガンツはそのソックリぶりで、名優ならではのヒトラー像を見事に体現してくれた。しかしその割にカリスマ性は然程感じられなかったのは残念だとしか言いようがない。それと言うのもやはり彼の側近たちの狼狽ぶりに力点が置かれている為であり、そう言う意味でヒトラーは言わば狂言回しではなかったろうか。組織の崩壊を目前にして素直に敗北を認める者と徹底抗戦する者、或いは国家を憂い将来を悲観して玉砕する者、それでもなお虚勢を装って退廃に耽る者など、国家や戦争への思い入れや立場の違いで、身の処し方も違ってくる。そんな悲惨な極限状況の中、追い詰められた者たちそれぞれの葛藤を、映画は極めて冷徹で淡々としたタッチで描出していく。壮絶で生々しい描写とは裏腹に、感情の無くなった兵士たちの表情がとりわけ印象的だ。本作は戦争が如何に狂気じみたものであるかという事とその戦争を終わらせるのは更に難しいという事を、強烈なメッセージとして世界に訴えかける。戦後60年を迎えた今、この映画を製作した意義は大きく、同じ敗戦国である日本人としては実に身につまされる作品である。
[映画館(字幕)] 9点(2005-08-09 00:52:42)(良:4票)
4.  エレニの旅
アンゲロプロスの映像世界には、他の誰もが真似ることが出来ないこだわりとオリジナリティがある。今日に至るまで、死守され続けてきたこの人だけの映像スタイルは、黒澤とそして小津の影響が明々白々であり、その姿勢は愚直なほど一貫している。オープン・セットでは超望遠レンズを多用して映像に奥行きと重厚さを生み出し、室内シーンともなると固定キャメラで延々と芝居をさせる事などがその顕著な特徴である。本作はギリシア悲劇をベースに、繰り返される戦争の虚しさとそれに翻弄される民族、そして愛する者への慟哭を描いたものである。これはアンゲロプロスが作家として追い続けている永遠のテーマであり、また世界的に見ても唯一無二である事で、独自の地位を築き上げてきた人である。一大叙事詩とも謳われるその映像は、まるで能の舞台を観るかのような様式美で統一されていて、室内よりむしろオープン・セットにより彼らしさが表れている。それは彼の作品のモチーフでもある「河」に象徴的に描かれる。ときに国境として、あるいは祖国を分断するものとして、さらに民族の分裂から仲間や家族との別離といったシーンにより深い意味が込められ、今まで以上に大きな役割を担っていると言える。オープニングの難民たちに始まり、洪水に見舞われ水没する村々、あるいは多くの舟が整然と並び、漕がれる櫓が幾何学模様となって河を渡るシーンなど、それらはまるで静物画のような美しさで描かれる。また、木に逆さ吊りにされた無数の羊たちのショット、あるいは土手を挟んで二人の息子が再会する様子を、幻影として見つめる母親の姿を捉えた終盤のシーン等々、物言わぬ映像が多くの事を語りかけてくる。悲しくも美しい映像には枚挙の遑が無いほどだが、ひとつひとつのシーンはまさに芸術品であり、あたかも美術館を巡っているようである。細かなプロセスが省略されていても、個々のエピソードは十二分に理解でき得る。映像の持つ力とはそういうものなのである。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-15 18:32:14)(良:2票)
5.  コーヒー&シガレッツ
喫茶店などの喫煙タイムで、我々が日常よく目にする光景を掬い取ったのが今回のJ・ジャームッシュ作品。 11のエピソードから構成されているが、ここに登場する人物たちは必ずと言っていいほど複数であり、寸暇を一人で楽しむR・フレンチ嬢ですらウエイターが絡んでくると言った具合。それぞれのパートには実に個性的な顔ぶれが並んでいる。で、そのアトランダムな組合せから生じるミスマッチな会話の面白さが、本作の狙いなのかと問えば、否、会話そのものは大して面白いものでもなく、むしろ会話の噛み合わなさから来る気拙い空気を、コーヒーや煙草で間を持たせようとする、彼らのリアクションそのものに妙味があるという事なのだろう。エピソードとしてはS・クーガンとA・モリーナのパートが面白い程度で、それ以外は実に他愛ないものばかり。それにしても、ここに用意されている喫茶店あるいは喫煙室の無機質で殺風景なこと。モノクロだから余計そう感じるのかもしれないが、少しも楽しそうには見えないぞ。オセロの碁盤のようなテーブルクロス(カップが何故か余分にある)に、マルボーロとキャメルなど定番ものばかりで、忙しなく啜るだけのコーヒーと、ふかすだけの煙草など、まったく美味そうには見えない。コーヒーと煙草という本来の主役も、ここでは間を持たせる為の道具としてしか存在しないという、アンチテーゼともなっているようだが、旨みやコクといったことにはほとんど触れられない事で、「スモーク」でW・ハートがさり気なくお洒落に煙草をふかしていたシーンから伝わるものが、本作からは感じとれなかった。だから、少なくともこの作品を観た後で喫茶店に入ろうとは、私は思わなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2005-06-02 18:33:29)(良:1票)
6.  スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー
“よくぞここまで映像化して下さった”と、感謝するとともに思わず拍手したくなるほど、これぞ私が久しく求めていた超娯楽映画。理屈抜きの大スペクタクル冒険活劇とはこのこと。第二次世界大戦の歴戦の勇士といったイメージで登場する美男パイロット。ロイス・レインを彷彿とさせる美人女性新聞記者。世界征服を企むマッド・サイエンティストとその手下たち。巨大ロボット群団の攻撃。空中に浮かぶ航空母艦。プロペラ戦闘機による空中戦。時代を象徴する飛行船に始まり、クライマックのノアの箱舟風ロケットに至るまで、荒唐無稽なドラマを演出する為のお膳立ては総て揃えられている。それと同時に、本作は「キングコング」から「007」に至る過去の名作活劇映画へのオマージュともなっている。光線銃といった小物から大掛かりなメカに至るまでの、レトロな感覚で統一されたデザインは、まるで昔の少年雑誌のイラストから抜け出てきたようであり、何故か懐かしさのようなものがこみあげてくる。序盤の“Tの字”型の影となって、ビル街を低空飛行するロボット群団を俯瞰で捉えたシーンと、彼らから発せられる光線砲の音などは、年配の人なら思わずニヤリとするに違いない。時代色を出す為にカラートーンを極端に抑え、ドイツ表現主義を模した陰影に富んだ映像にしているが、物語が進むにつれ映像もどこか近未来SFっぽくなり、エンディングが近づくにつれ、いつの間にやら鮮やかな総天然色に変貌しているのには驚かされる。本作は、昔ながらのオーソドックスな古臭さの再現と、現代風のスピード感と軽快なテンポが絶妙にミックスされた、古くて新しいエンターティンメントだと言える。他愛ないと言えばそれまでだが、古き良き時代のいい意味での陽気さというものが全編から溢れている好篇だ。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-05 16:38:15)
7.  パッション(2004)
今年上半期で見た映画の中でも、おそらく最も評価の難しい作品ではないだろうか。まさに賛否両論渦巻く問題作であり、個人個人の感じ方や考え方がこれほど顕著に反映される映画というのも、そぅ滅多にお目にかかれるものではない。“これでもか式”の執拗に繰り返される鞭打ちという名の悪魔の儀式。それは、気の弱い人でなくとも体が震え正視できないほどの過激さであり、残酷描写もとうとうここまで来たかと思わせるほど。この救いようのない処刑シーンは延々と続けられ、いつ終わるとも知れずひたすら激痛に耐えるキリストの姿に、我々はいつしか言葉を無くし、涙すら出ない。そして“主よ、お許しください!彼らは自分たちのやっている事が判らないのです。”と苦悶の表情で呟くキリストの言葉が重くのしかかる。キリストの受難とは斯くも凄惨なものであったが、しかし、人間の愚行は変わることなく残虐の歴史は繰り返され、この世ではもっと悲惨なことが起きているという現実を、映画は我々に訴えかけているようだ。一本の映画としてみた場合、本作は確かに良く出来ていると感じさせるが、果たしてここまで目を背けたくなる程の壮絶な描写に徹する必要があったのだろうかと、大いなる疑問をも感じさせる。全身血みどろになって熱演したJ・カヴィーゼルは、この作品でようやく彼に適した役に巡り合ったようだ。
8点(2004-07-26 18:21:26)
8.  ぼくは怖くない
画面いっぱいに広がる黄金色に輝く麦畑に思わず目が奪われてしまう。ややセピアがかった緑の陽光が包み込む中、ひたすら疾走する自転車。そして、そのまるで絵画に描かれたようなクリアーな風土は、まさしく遠い夏の日の記憶そのものだ。どこか懐かしさが込み上げてくる、その清々しさ、初々しさ。大自然の変化を少年の心象風景として捉えたカメラの素晴らしさ。ひとつの作品の出来を左右する、これはまさにその好例と言えるだろう。そして、それらが美しければ美しいほど際立つ、その下に蠢く大人たちの愚行や浅はかさ。疑いを知らない少年が、大人たちの世界に足を踏み入れたときの不安と困惑。その不条理で抑圧的な大人社会に翻弄される子供たち。何色にも染まっていない純粋なものが壊されていくことへの警鐘を鳴らした本作は、人間関係(とりわけその取り巻き)次第では、そのしがらみから抜けきれず、やがて個々の人生を狂わせてしまうことの危うさと、その一方で、人を慈しみ心を通い合わせることの大切さというものを我々に教えてくれる。まさに心が洗われる思いだ。
8点(2004-07-19 15:46:01)(良:2票)
9.  暗黒街のふたり
もぅ随分昔に観た作品だが、古代フランスから継承されているギロチンという処刑儀式の在り方に異を唱えた作品として、永く記憶に残っている。それは本人に知らされないまま、或る日突然やってくる。深夜、眠っているところをいきなり起こされたA・ドロンの凍りついた表情を尻目に、余計な感情が芽生えぬよう、粛々と準備にかかる関係者たち。その無表情さ。やがて真っ白なワイシャツに着替えさせられ、この世で最期に口にする一服の煙草と一口の酒を飲まされた後、首を剥き出しにする為、ワイシャツの襟をハサミで切り取るという念の入れよう。そして今まさに舞台が始まろうとしているかのように、正面の幕がさっと開けられると、そこには断頭台がそびえ立つ。足が竦みながらも、両脇を抱えられて向かう彼が一瞬振り返りざまに見たのは、彼の保護観察司であるJ・ギャバンの眼。なんという切ない眼だろうか。それは、更生を誓った男を、恩赦も適わず社会の誤解や偏見から守ってやれなかった一人の人間としての無力感を指し示す眼である。罪を犯した者の社会復帰が如何に難しいかを改めて問い正した秀作。
8点(2004-07-08 00:24:08)(良:4票)
10.  ヘヴン 《ネタバレ》 
冒頭、いきなり高層のエレベーターの爆発から物語は始まる。夫を失った悲しみとその恨みから、或る麻薬密売人に復讐する為に爆薬を仕掛けたのだ。覚悟の上での犯行だったが、しかし恨みを晴らすどころか、関係ない人たちを爆死させてしまう結果に。この時のヒロインの英語教師を演じるC・ブランシェットの凍りついた表情が印象的だが、普通の一般市民のテロ行為がまかり通る国家の恐怖を感じざるを得ないエピソードではある。この後、取調べに通訳として立ち会った若き憲兵が、彼女を助けながら思いを遂げさせるという展開となるが、何故彼はそこまでして彼女に想いを寄せるのかは、あまり多くは語られないので、やや唐突な印象を受ける。絶望感に打ちひしがれ、もはや生きていく気力も失いかけていた彼女だが、青年の純粋な愛に応えるべく、共に逃避行を決心するのが物語の後半。それはまさに絶望に向かってのものだが、サスペンス・タッチの前半から舞台がトスカーナ地方に移ったこともあって、陰惨さというものが徐々に薄れていき、いつの間にかピュアで詩情溢れた画調に変転している事に気づく。極度にセリフを抑え、表情だけで純粋な愛の形を描出したT・ティクヴァ監督の、この流れるような演出の手際の良さは実に見事である。ブランシェットと相手役のJ・リビジは共に本作のイメージ通りの透明感溢れる好演を見せているが、既に「ギフト」で共演していた事もあって、さすがに息がピッタリであった。二人を乗せたヘリが上空高く舞い上がり、やがて小さく小さくなって空に吸い込まれていくラストは、まさしく天国に召されていくという象徴的なイメージで、近年における名場面だといえる。
8点(2003-11-25 01:02:45)(良:1票)
11.  華麗なる殺人
“もし戦争というものが地上から無くなったとしたら・・・”という仮定に基づいたこの作品は、人間の闘争本能を満足させる為、国家がついに殺人を公式に認めるという、かなり過激な近未来のお話。10人勝ち抜けば高額賞金と特別な名誉が与えられるこの殺人ゲームには、誰でもが参加できるなど様々なルールも設けてあり、また対戦相手の顔が分からないスリルや、手段を選ばない様々な殺しのテクニックが味わえるという趣向。しかもその模様を“殺人ショー”としてTV中継するという念のいれようだ。まさに悪趣味の極みのような人間の愚かしさは、戦争が無くなった未来でも基本的になんら変わらないという皮肉がこめられている。が、本作に限って言えばやはり娯楽色が強く、むしろそれらの新趣向の殺し方を楽しんでいる我々観客のほうに、皮肉な目が向けられているようだ。
7点(2003-08-24 17:44:19)
12.  ブルジョワジーの秘かな愉しみ
巨匠L・ブニュエルが、6人の男女の遭遇する奇妙な日常を寓話的に描くことで、ブルジョア社会を痛烈に皮肉るという怪作。ここでは晩餐会(もしくはパーティ)というブルジョアジーの典型例をモチーフとして描かれていくが、なにやらボタンの掛け違えのような様々なエピソードを挟みながら、何故か終始食事にありつけない彼等の人間本来の姿が炙り出されていく。愛欲も食欲も普通の人間そのものだが、彼等はあくまでも見かけに拘る。体裁に構う。表層的なもので身を覆う。そしてその事により悪夢にうなされ続けるのである。繰り返し挿入される、着飾った正装姿でなぜか車にも乗らずに田園の一本道を歩く彼等。しかし何処へ行こうというのか、定かではない。あたかも夢の堂々巡りを象徴するかのようなエンディングに、ブルジョアジーの傲慢さと退廃の臭いを感じさせる。素人の批評など挟み込む余地の無いほど、ブニュエルの偏屈ぶりとイメージの奔放さは、本作でも独特のブラックな作品世界を築き上げ、異彩を放っている。
8点(2003-08-14 00:27:25)(良:2票)
13.  WATARIDORI
時折挿入されるナレーション以外、鳥たちがひたすら飛んでいるシーンで占められるというユニークな作品。俳優でありこの作品の監督でもあるJ・ペランは「決してドキュメンタリーではない」と言い切る。懸命に羽を動かして飛翔する鳥たち。その“被写体”に接写し“彼ら”と並列しての撮影技術の素晴らしさにより、我々人間が抱く空を飛ぶという感覚を存分に味あわせてくれる。決して大空高くというのでなく、海面すれすれ、あるいは木立の間を縫うようにして飛べるということが素敵なのだ。この作品を作るにあたって、あらかじめ沢山の鳥を調教・訓練し、膨大なカメラテストを経て撮影に臨んだとか。そういう意味においてもドキュメンタリー作品ではなさそうだが、労作である事には違いない。金と時間をかけて作る映画にも、こういうジャンルもあるのだという事を知りえただけでも、観た価値があろうというもの。
8点(2003-07-26 23:31:02)
14.  一票のラブレター
舞台はキシュ島。長く続く白い砂浜と大部分が砂漠で占められた小さな小さな島。物語は、おそらく何の変化も無い毎日を湾岸警備に従事する青年兵士の前に、ある日1艘の船に乗って一人の娘がやって来るところから始まる。彼女はいわゆる選挙管理委員として投票箱片手に、数少ない島民になんとか投票させようと、選挙の重要性を説いて回る役目を担っていた。限られた時間の為、運転手として兵士が娘と島中を奔走するハメになる。この理想に燃える娘と現実的な兵士との珍妙な遣り取りがなんとも微笑ましく、(砂漠の真中に何故かある信号機に従うような愚直な兵士だが、彼女の直向きさにやがて好意を寄せ始める。しかし彼女はそんな空気が読めないというもどかしさ!)宗教と古い因習の根強い島の人々とのギャップともども、心を伝えるというコミュニケーションの難しさと、民主主義への矛盾や疑問というものを痛切に考えさせられる。声が大きく多弁さが圧する現代において、時が止まったかのような風景の中、この囁くような作品は貴重だ。終盤、帰路に間に合わなかった彼女にドラマチックな味付けが施されるという憎い演出もあり、また彼女の去った後の兵士の寂寞感漂う後姿に、言い知れぬ余韻を残しつつ終わるという、幕切れも実に鮮やかなものである。
9点(2003-07-24 00:50:14)(良:1票)
15.  ゴスフォード・パーク
30年代のイギリス貴族の屋敷を舞台に繰り広げる、R・アルトマン監督お得意の群像劇。複雑に入り組んだ登場人物を手馴れた演出でひと通り紹介した後、ある殺人が生じる。しかし本作は犯人当てのミステリーと言うよりも、むしろ階上の貴族たちと階下の召使たちそれぞれが織り成す人間模様に、より重点が置かれている。とりわけ表向きは平静を装っているものの、台所事情の苦しい名ばかりの貴族や、様々な思惑が交差する中での退屈極まりない浮世離れした宴といった描写など、彼らのエゴむき出しの俗物ぶりが炙り出されていく。貴族と召使との対比の構図ながら、建前と本音とを使い分けて世の中を生きていくことは、人間すべてに通ずる事。結果的には復讐劇のようでもあるが、これは人間の宿命と情愛の物語と捉えるべきだろう。それにしても、登場人物それぞれに見せ場をもたらすこのアルトマンの新作には、ある種の爽やかさと品格を感じずにはいられない。
8点(2003-02-01 00:01:35)
16.  モンスーン・ウェディング
冠婚葬祭にまつわる様々な人間模様といったテーマは、古今東西を問わず普遍であることを、この作品で改めて知らしめてくれる。ありきたりと言えばそれまでだが、ここに登場する人々それぞれに当然ながら、悩みや問題をかかえている。しかし彼らの決して後ろ向きでない生き方に、やはり共感せずにはいられない。上流階級のこれ以上ないと思えるほどの、煌びやかで華々しい結婚式の陰で、ぎこちない愛の表現ながらやっと見つけた幸せを、ひっそりと二人だけで永遠の愛を誓うシーンには、胸が熱くなる。国民性とはいえ、すべてをのみ込むように踊り狂う大団円に、爽やかな後味を残す。
8点(2002-12-29 00:43:34)
17.  SOS北極.../赤いテント
実話の映画化で、テーマは、傷ついた隊員を残してリーダーがまっ先に救い出されて良いのかといった、探検隊の指導者の人間性を追及するというもの。北極での飛行船の遭難で、40年もの歳月を経てもなお事件を振り返って苦悩するノビレ将軍。その前に犠牲者たちなどの亡霊が次々と現れ、彼を非難し始める。その中には生涯を極地の探検にかけ、救出に向かったまま消息を絶ったアムンゼンの姿もある。本作では、この偉大な人物を失った深い悲しみとその損失の大きさ。さらに彼が将軍の良き理解者だったことにも焦点があてられていく。この過去と現在を交差させながら、生者と死者がひとつのテーブルを囲み、真実の究明に対峙するという劇的構成がユニークで、テーマを浮かび上がらせるには実に効果的だが、本当の主役は、このちっぽけな人間たちをそっと見守っているかのような北極の大氷原にほかならない。ひたすら真っ白で厳しい大自然の美しさ。まさに本物の迫力には圧倒される。そして氷山が海に崩れ落ちていく美しいラストシーンにかぶる、雄大で哀愁を帯びたA・ザツェービンの旋律が、この作品を格調高くより印象深いものにしている。必聴。
9点(2002-08-18 17:16:16)(良:1票)
18.  ノー・マンズ・ランド(2001)
迫力ある戦闘シーンが売り物の昨今のハリウッド製戦場映画とはがらりと趣の違う作品。むしろ戦闘シーンなどは皆無で、しかも決して反戦を声高に叫んでいないにも拘わらず、そのメッセージ性は強烈で、言わんとするところは十分理解するに足り得るものがある。一度は心を通わせかかった二人だったのに、なんとも呆気ない結末を迎えてしまうが、国家レベルでの争いも個人レベルでの諍いも所詮人間の愚かさ故、いや人間とはむしろ本来そういうものなのだと作者は言いたげだ。そして寝返りすらうてないまま、ただ地面に横たわっていなければならないという残酷で象徴的なラストに、この作品のすべてが集約されている。
8点(2002-07-28 14:30:02)
19.  新・黄金の七人=7×7
「黄金の七人」シリーズ中、個人的には本作が一番のお気に入り。ブレイン以外、前2作からがらっとメンバーを代えての今回の作戦は、英国を舞台に監獄にいる事をアリバイにして、本物のお札をこれも本物の英立造幣局で堂々と刷ろうと計画するお話。メンバー以外に心臓発作の持病を持つサムという男を道連れにしたばっかりに、予想外のピンチに見舞われるエピソードが実にユーモラスに展開していく。英国人がサッカーに熱中することを巧みに利用したり、監視モニターの映像をすり変えたりと、後年この種の犯罪モノの定番の基礎ともなった作品。コミカルで泥臭さくスマートさに欠けるが、それだけ余計親しみの湧く作品だったと言える。
8点(2002-05-09 23:48:05)
20.  天地創造
聖書ってクリスチャンでもない限り、我々日本人にはあまり馴染みが無いシロモノ。そのほとんど断片的にしか知らない内容を、終始一貫して原典に忠実に、しかも解かり易く一大スペクタクル歴史絵巻風に映像化したのが本作。実物大(?)に造られたノアの箱舟の巨大な迫力映像と乗船する様々な動物たち、或いは各国の言葉が生まれる発端となったバベルの塔の崩壊などといった、今ならCGで当然のように再現されるであろう様々なシーンを、この時代の最高レベルの技術と豊かなイマジネーションで、巨匠J・ヒューストン監督が万人向けのエンターティンメントとしてスケール感をもって描いていく。アダムとイヴの若い二人の全裸シーンが当時話題になったのも、今となっては時代を感じさせてくれる。
8点(2002-04-12 00:37:30)(良:1票)
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