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プロフィール
コメント数 296
性別 女性
ホームページ kawamari7.hatenablog.com (質問と建設的な指摘をお待ちしています。JTNEWSに届けてあるほうでは文字化けします。)
自己紹介 取り締まる法律が必要な(1)XX中毒。生まれた場所のせいで3歳で兆候が現れ、13歳で表彰状物の重症に、今ではより強い刺激を求め(2)X屋の中だけではなくこのサイトに出没、ネットで(3)XXXXXXがないかと探し回るのに誰も助けてくれません。KW = 「かわまり」「はてなブログ」で原子力開発関連の「プロメテウス達よ」と19世紀ヨーロッパを夢と詩で描いた「黄昏のエポック」を公開しています。  (Xの数に文字数が一致する言葉を入れてください。)

空欄の答え:(1)XX=「言語」、「活字」も可、(2)X=「本」、(3)XXXXXX=「読める外国語」、キリスト教国際病院で生まれ、宗教は仏教。

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21.  テルマエ・ロマエ
厳しい意見が多いですがわたしは期待以上に楽しみました。何よりもこの作品は質の高いコメディーなのです。(個人的なきまりでコメディーは8点が最高点なのででスミマセン。)主人公の建築技師ルシウスは生没年も不詳で歴史上有名な人物ではありませんが、日本人の市村正親や宍戸開が演じたハドリアヌス帝やアントニウス帝は残されている胸像彫刻にそっくりだし、ローマ時代の装束トガを着て闊歩するローマ市民たちや古代ローマの市街など正にわたしが見たかったシーンでした。今までに制作された古代ローマを舞台とした映画は「クオヴァディス」や「ローマ帝国の滅亡」など悲劇しか思い浮かばず、またこの時代(紀元二世紀の五賢帝時代)の少し前を背景にした「ベン・ハー」や「クレオパトラ」もローマを舞台としているわけではありません。本作品を見て、日本の製作者と俳優陣が高い文明を誇った古代ローマ人の日常を描く作品を作ってくれたことに感謝感激しています。わたしが笑った箇所のほとんどは本歌取さながらのオペラ音楽BGMと切っても切れないシーンでした。ルシウスと真実がタイムスリップする際の「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」、エンド・ロールで人々が風呂でくつろぐ場面での「アイーダ」の凱旋行進曲、そしてルシウスが皇帝に表彰されるシーンでの「ツーランドット」の「誰も寝ない」等々、異文化に対する憧れと尊敬、そして対抗心がこの作品を面白くしています。蛇足ながら最後の曲はイタリアの中下層階級出身で国葬並の葬儀とともにこの世を去った歌手パバロッティの「人生のテーマソング」で、トリノ五輪の開会式ですい臓がんに侵されていた彼が(口パクではありましたが)「Vincero! Vincero!(勝つぞ!勝つぞ!)」と高らかに歌った曲(+荒川静香さんの金演技曲)でもあります。笑える、あるいはシリアスなストーリーに時代考証、音楽、美術すべてを盛り込んだこういう作品が日本でさらに制作されることを期待しています。
[DVD(邦画)] 8点(2014-01-22 14:10:27)(良:1票)
22.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
もう一度見たのですが、始めにちゃんと「イエス・キリストの物語」と書いてあるではありませんか。やはり、この作品は魂の救済をテーマとしているのです。復讐を遂げた後の人間というのは人生のバロメーターがマイナスからゼロになったようなもので虚脱感はあっても建設的な人生を築く土台はないわけだし、あれほどの目にあったらベンハーほどの強靭な精神の持ち主でも(といおうか強靭な精神の持ち主だからこそ)心はぼろぼろで「それは不当だ!」と叫んで夜中に飛び起きたりやなんかして(ここまで描写したらサイコホラーかコメディーになりますが)、元に戻るには数十回の治療セッションが必要なはずなのに、イエス・キリストは2回会っただけで治してしまうなんてすごいですね。さもなければベン・ハーはきっと、一生の間メッサラと同様の人間を攻撃し続けるサイコで終わっていましたよ。イエス・キリストはこの物語の頃に「やあやあ我こそは旧約聖書イザヤ書に予言されたる救世主なり・・・。」と言って(自分で言ったのではなくて後世の人が言ったことにして)登場、ユダヤ人達に「わてらの目の黒いうちにユダヤ王国は主権を回復するのかいな?(注:傀儡ユダヤ王国は存在)」と期待させながら「王国は汝等の心の中にあり。」なんて言ったものだから、「そりゃインチキや!」と処刑されてしまい、弟子たちのその後の努力によってその教えが各地に広まった(以上は新約聖書の超ダイジェスト版)そうですが、ユダヤ人の中にもキリストが正真正銘の救世主だと思った人もいたはずで、そういったユダヤ人はユダヤ王国の再興後に官僚になったり政治献金をするあてのない下積みだったと考えられがちです。でもベンハーのように金や実力のあるユダヤ人も結構キリスト教に帰依したのではないでしょうか。何しろ復讐は律法に従って実行すればいいし、金は自分で稼げばいいし、地獄の沙汰は金次第(これは浪速商人は言ってもユダヤ商人は言いそうにない)だけれど、生きているうちに心の平安を得ることは非常にむずかしいからです。従来の医療で直せない心の病を治すために精神分析を始めたユダヤ人医師フロイトのお弟子さんたち、聞いてくれていますか?
10点(2004-03-06 10:03:40)(良:1票)
23.  恋の闇 愛の光
原題“Restoration”は「王政復古」の意味。原題が示すとおり歴史ファンには超お奨め作品ですが、今までのみなさんの感想が示しているように、ラブ・コメでならしたメグ・ライアンのファンには期待はずれの映画です。どうせ見ればわかることなのだから、中身を反映した邦題をつけてほしいものです。イギリスは17世紀半ばに、フランスは19世紀初頭にそれぞれ王政復古を経験しました。フランスで王政復古を遂げたフランスのルイ18世は愚王の典型で「共和政下で何物も学ばず、何物も捨てず。」と揶揄されましたが、作品中のイギリス王チャールズ二世は対照的で、この王様をストーリーの中心として見ないと面白くありません。チャールズ二世も最初は専制君主、その上に愚王で医者や科学者のことを屁とも思わなかったのが巻頭から登場する医師のロバートと平行して成長し、専制ぶりは生涯変わらなかったものの「王は君臨すれども統治せず。」というイギリス立憲王政の基礎を築くというお話です。「王は君臨すれども統治せず。」だったら実際は何をするのか、というのは作品を見てください。日本の皇室もこのストーリーのイギリス王と同じ道を地でいっています。泥臭いといっては何ですが頭と体の両方を使う学問、医学とか実験物理とか土木工学に関心を示す皇族方がいらっしゃればいいんですけれどね・・・。お茶目な雰囲気のメグ・ライアンはロマンチック・コメディーにしか出演しないのかと思ったら、なかなかいい味を出しているじゃありませんか。時代劇にどんどん出演してほしいものです。ニューヨーク・タイムスがこの作品を絶賛し、一般的に過小評価されていると言っていました。ジャーナリストになるような人にもお奨めできると思います。
9点(2004-03-31 13:48:27)(良:1票)
24.  バベル 《ネタバレ》 
その昔、バビロニアの人たちが人間の実力を誇るために天まで届く塔を建てようとしたのを見てびっくりした神様が造りかけの塔をこわし、各民族が違う言葉を話すようにしたそうで、「バベルの塔」とは混沌と人類の不和の象徴のはずなのですが・・・この作品では巻頭から観光バス狙撃事件の経緯は明らかで、ブラッド・ピットが演じる被害者の夫がいくらうろたえたところで、見る側としては冷めて眺めてしまいます。作品の面白さはむしろ、メキシコ、日本などで展開されるストーリーとモロッコでの事件との関りを解きほどくことにあります。それにしても、国際テロ事件の解明を手がける日本のどこにでもいそうな刑事、終わり近くで「あのモロッコの事件の結末は・・・。」と報道する東京の場末の飲み屋のテレビ、高層住宅の上階で父娘が愛情を確認するラストシーンなどから感じられるのは「バベルの塔」からはほど遠い調和の世界でした。メキシコ人ベビーシッターのおばちゃん、普通のおじさんとガキどもといった感じのモロッコ人の羊飼い役、どれをとっても俳優さんの演技は見事でしたが、「やはり何と言ってもアカデミー賞にノミネートされた菊池凛子さん!」なんて日本人としてナショナリズムを感じたりして・・・。後ろの席に座っていたアラブ系の人たちがモロッコ・シーンになると英語と私にはわからないアラビア語で茶々を入れるのも聞いていて楽しかったです。神様が言葉を乱してくれたせいで、人類は戦争もしたけれどオリンピックや万国博覧会みたいな楽しいお祭りをやって神様に舌を出しているわけで、製作者が同時多発テロ以降のテロへの過剰反応に対抗して「バベル」という題名で調和や国際協調を描きたかったのなら舌を出してもいいけれど・・・でなければ作品が醸す調和の雰囲気と砂漠の雄大な景観、東京の夜景、各国俳優の競演などに敬意を表して超甘の点数を献上。(拙投稿の小ネタもご覧下さい。)
[映画館(字幕)] 8点(2007-03-06 11:56:28)(良:1票)
25.  ドクトル・ジバゴ(1965)
数年前に見た時、繊細で貫禄のあるジバゴ役の俳優さんが印象に残り、「あまり見かけない俳優だな・・・。」なんて、思ったのですが、今回は「アラビアのロレンス」を見ていたのですぐにわかりました。同作品でアラビアの魂アリを演じたオマル・シャリフですよね。しかし、アラブ人がよくロシア人に化けました。欧米のスペクタクル映画でモンゴル人(例えばジンギス・カン)や中国人(英雄・才人・美女・烈女は目白押し)を演じる日本人俳優が出ることを願って甘い点数をつけようと見る前に決定しましたが、最後まで画面に引き込まれっぱなしでした。この作品はただの不倫の話ではありません。日本が幸か不幸か経験しなかった革命の動乱の時代には価値観が揺れ動き、言葉までが影響を受けます。ロシア語のことは知りませんが、革命期の中国では、旧体制の枠組みの中で親や権力者によって結婚させられた相手のことを太太(タイタイ)とか丈夫(チャンフ)とか呼び、共通の理想を持って一緒に暮らす異性のことを愛人(アイレン)と呼び、「愛人」はまともな「配偶者」の意味、毛沢東などの偉いさんたちはみんな太太と愛人の二本立てでした。それは、是非とは別の事実なのです。この作品ではトーニャはジバゴの「太太」でパーシャはラーラの「丈夫」で、お互い同士が「愛人」です。マイホーム獲得を夫婦共通の目標にする現代日本とは違います。男性が女性にもてる条件には、通常考えられる魅力に加えて「女性の魅力に敏感なこと」と「家庭を築く気があり、また、家庭を大切にすること。」がありますが、オマル・シャリフは理想の男ジバゴをうまく演じていましたね。彼がアカデミー賞にノミネートさえされなかったのは、革命というものがアメリカで理解されなかったのか、それともアラブ人がロシア人を演じるのが変に見えたのか・・・それにしてもオマル・シャリフはよくロシア人に化けました。日本人の俳優からも・・・(←くどい)。
[ビデオ(字幕)] 10点(2005-08-18 23:22:37)(笑:1票)
26.  めまい(1958)
男性と女性の脳の働きで最も異なるのは男性は思考に当たって右脳と左脳を別個に使用するのに対して女性は左右の脳の連携プレーに長けているとのことです。そのせいか女性が「彼こそわたしの運命の人!」と思って追いかける相手は大体ハズレのことが多いとか(笑)。左脳データベースに貯まっている「こういう人は誠実」とか「こういう人がわたしのタイプ」という客観的(?)情報が情動を司る右脳に影響するからだからだとか。。。 そういう目でこの作品の高所恐怖症の主人公スコティを見るとかなり女性的な感性の持ち主のような気がします。そして依頼人の妻マデリンの尾行を開始した後に彼女を追って入場した美術館で彼女そっくりな女性の肖像画の前のベンチに打ち捨てられた、肖像画の女性が持つのと同じピンクの薔薇のブーケと肖像画の前でたたずむマデリンの美しく結い上げられたプラチナブロンドの髪の渦巻。。。 監督のヒッチコックは「何の意味もなく打ち捨てられたものに恐怖が感じられるように映画を撮影する」と言ったそうですが、確かに黒猫や髑髏や短刀などのうわべだけの怖さを与えるものよりも一層恐ろしい世界が再現されていました。モノクロ映画を卒業してテクニカラーの時代に入ったモノクロの巨匠の面目躍如たるものを見ることができます。でも恐怖の源泉をカッコで括ってマデリンを追うことに専念するスコティの行動は男性的でやはり元犯罪捜査官です。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2020-03-26 11:41:00)(良:1票)
27.  カラマゾフの兄弟(1958)
個性的な禿髪で多彩な役柄をこなすユル・ブリンナーのファンは多いはずなのに本作品ではわたしが一番のりです。どうしても先に見たフジテレビ版と比較してしまうのですが、フジテレビ版では次男が主人公に近いのに対して本作品ではユル・ブリンナー演じる長男が中心です。特筆したいのはグルーシェンカを演じたマリア・シェルという女優さんで金髪がきらきら輝いて圧倒的な存在感と魅力がありました。フジテレビ版のグルーシェンカ(久留美)はちょっと暗すぎです。そう言えば長男ミーチャ(ドミトリー、満)もフジテレビ版では軟派すぎました。原作に重ねた場合、次男がちょっと年を取りすぎに見えるほかはすべての配役に関してこちらのほうがわたしが得たイメージに近いです。全編、言葉は英語ながらロシアの雰囲気がよく再現されていると思います。
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2014-09-12 08:29:27)(良:1票)
28.  ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 《ネタバレ》 
機密文書の内容は「3政権に渡って国民は騙されていた」というだけで最後まで詳しく明かされないません。地味な作りの作品という印象でした。というか、真面目に歴史を勉強したアメリカ人なら機密文書の内容は言われなくて知っているので必要ないのでしょう。表現や出版の自由は英語圏の国々では国家体制の根幹をなすもので、その意味では政府 v.s.ニューヨーク・タイムズ紙と政府 v.s.ワシントン・ポスト紙の法廷での争いも最初から結果は見えていました。でも同じ訴訟が日本で起きたらどうなるのか、あるいは法廷が支持率の高い政権や蝋燭デモの主張を忖度するような国でははどうなのか、考えさせられます。日本では本作のケイ・グラハムやベン・ブラッドリー、反戦主義者たちや終わり近くで登場する兄を戦場に送った若い女性のように人が死なないことが国益だということが明々白々すぎてこんな訴訟は今のところ起きそうにありませんが、日本政府がこのまま軍事装備を増強していけば遅かれ早かれ仮想敵国には絶対秘密の軍備の内容などを巡って機密漏えいが国益に反するか国民の知る権利のほうが大切だとかの議論は起きるでしょう。それにしても権力の奢りというものは怖いです。それから、ニューヨーク・タイムズ紙のすっぱ抜きのエピソードはワシントン・ポスト紙から見ると「なぜか」ですが映画の視聴者から見れば経緯は明らかで記者クラブ制のない国ではこんなことも行われるのだと驚きました。メリル・ストリープは年を重ねても色っぽくて相変わらず理知的だし、仕事人間の役では右に出る者のないトム・ハンクスが演じる編集主幹のベン・ブラッドリーが自宅の一室にこもって部下と仕事をしている時に「一杯25セントです。」と言ってレモネードを差し入れた小学生の娘に「50セント払うぞ!」と言うシーンが微笑ましかったです。
[映画館(字幕)] 8点(2018-02-01 11:45:02)(良:1票)
29.  蝶々夫人 《ネタバレ》 
あるインタビュー番組で八千草薫が青春時代の思い出として口パクとはいえ懸命に役作りをして歌詞も全部覚えたことをあまりに懐かしそうに語ったのでDVDを探しまくって国際通販サイトを通じてスペインから購入しました。八千草薫にこだわらなければ名指揮者、名男性歌手(蝶々夫人の相手役のアメリカ人は贔屓の歌手にはあまりやってほしくないけれど…)、主演は中国人女性歌手だったり白人の名女性歌手だったりとか各種ありますがこの版では(明治維新直後の日本の状況の説明がスペイン語なのは仕方がないとして)東宝が美術と日本人のキャスティングを担当しているだけあって、これがカラー作品だったらとため息が出ました。そのせいか台詞・歌唱のない日本の伝統音楽を次々とオーケストラ演奏で聴くことができ、その合間合間に歌われる蝶々夫人とアメリカ人士官ピンカートンのアリアやデュエットはあくまでも甘く、はたまた糸引きモッツアレラチーズのようでした。ストーリーは改めて紹介するまでもなく、元武家の娘の蝶々さんとアメリカ人士官の文化を超えたラブストーリーがアメリカ人の方の裏切りで蝶々さんの武家のしきたりに従った自害に終わるという悲劇です。なんだか日本の異国情緒をてんこ盛りにして舞台にのっけるためにストーリーを作り、「純心で高貴な日本女性を欺く薄情男はアメリカ人にしちゃえ!」みたいな作品で、そのせいかイタリアでの初演は不評だったそうですが、まあそれでもいいじゃないというのが感想です。一応、日本の高い文化や美意識は表現されているし、若き日の八千草薫は純心で高貴な雰囲気をよく出しているし…、ということで八千草薫のファンにはお勧めです。初演は不評ながらいろんな主演女性歌手で再演され続けている理由は納得できます。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2021-09-01 18:20:58)(良:1票)
30.  真夏の夜の夢(1999) 《ネタバレ》 
ストーリーを原作ではなくてチャールズ・ラムが書き直したバージョンで読んでいる人でないとわかりづらいかもしれません。四人の恋人たちが夜の沼地で泥試合をし、翌朝目が覚めたら全員真っ裸で妖精が洗ってアイロンまでかけた服がたたんで横に置いてあるシーンがいかにも現代的で良かったです。ミシェル・ファイファーは以前アカデミー作品賞を受賞した「羊たちの沈黙」の主演獲得でジョディー・フォスターと競ったそうですが、ファイファーはラブ・コメディーに特化させたほうがいいという配慮でフォスターが選ばれたとのこと。この作品での妖精の女王は正に当たり役です。ヘレナ役がコミカルでよかったし最後は結婚式(ここでは専制的な大公とその婚約者を含めた三組のカップルによる観劇と妖精の王と女王の和解)というコメディーの伝統的パターンを守っているのもちょっと冗長だったけれど良かったです。妖精パックは本の挿絵ではいたずらっぽい少年になっていたのですが、ここでは老練な下僕という感じで、パックのセリフに良く耳をすませれば少年には発言できないような人生に対する洞察などが聞こえるのかもしれません。 (閑話休題)英語圏の高校生向けに古典を解説しているサイト(http://www.cliffsnotes.com/WileyCDA/LitNote/id-78,pageNum-56.html)はこの作品をけちょんけちょんにけなしていました。この作品中の妖精たちは宴会気違いでしかないし、ミシェル・プファイファーにシェークスピアを理解してその役柄の雰囲気を演じる実力があるとは思えない。原作では尊大な君主として描かれている大公はただのくたびれたおっさんになっている、パックが中年のおっさんなのも変だ、等々・・・。私は結構楽しんだんですが、シェークスピアの戯曲がいろんな空想を喚起するせいか、演出によっては「こんなのあるかよ!」という人もぞろぞろ出てくるようです。キャストを変えてまた、映画化してほしいです。
[映画館(字幕)] 8点(2004-01-29 06:27:24)(良:1票)
31.  コールド マウンテン
「銃後の守り」という言葉は平和な今の日本ではほとんど死語になっていますが、戦時下の日本では父、夫、頼りにしていた息子などが戦地に赴いた後、残された女性は男性に頼らずに家事や家業をきりもりするのが美徳とされていました。「女は弱し、されど母は強し。」なんて言葉もあって、ボーボワール流にこの言葉を解釈すれば、「女は男を魅了するためにはか弱くなくてはならないが軍国の妻や母はもちろん強くなくてはならない。」なんていう社会のご都合主義が見え隠れします。だから恋人に「帰ってきて・・・。」と手紙を書き送ったエイダを決して責めることはできないのですが・・・でもやはり、南北戦争というご時世に、特に太平洋戦争と違って地続きの場所で戦っている男にこんな手紙を送るなんて非常識で身勝手もいいところです。女も母も適度に強いのが普通という平和な社会に生まれ育った私としては「こんな時代に生まれなくて良かった・・・。」というのが一番ぴったりな感想です。結末はエイダの弱さに対する決定的な天罰だと私は受け取りました。インマンはどうころんでも脱走兵(=重罪人)としてエイダと幸せに暮らすことなどままならないはずなのに、エイダは「結婚」という甘い夢に最後までしがみつきます。「社会の変動期にどんな人間が生き延び、どんな人間が淘汰されていくのかを描きたかった。」と優雅な生活を捨てられないメラニー/アシュレー夫妻と逞しいスカーレット・オハラ/抜け目ないレット・バトラーを対照的に描いたマーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」と、本作品のテーマは同じながら、スカーレットの二つの面を分けたようなエイダとルビー、とりわけルビーに触発されたエイダの成長ぶり、そして美しい風景が印象的で2時間40分を長いと感じませんでした。
10点(2004-05-30 10:13:10)(良:1票)
32.  ゼロの焦点(2009) 《ネタバレ》 
松本静張生誕100周年記念特売(中国語字幕付)というDVDセットを期待して買って見てがっかりしました。その昔十朱幸代主演でNHKで見た同作品が非常によかったせいもあります。十朱幸代版は一、二回ぽっきり放送のTVドラマだったのでこのサイトには載らないんですね。松本静張は新婚7日目でお嬢さんの主人公が社会の暗部に目覚めていくという重厚なテーマを描きたかったのだと思います。十朱幸代版では主人公は最後までお嬢さんっぽさが抜けないもののきちんと推理したり検証したりしたのに、このバージョンではその過程もすっ飛ばして簡単に犯人との対決にもっていってしまって残念です。それにしても元米軍兵相手の暗い過去が以前のバージョンではずしりと重たい過去の事実に見えたのがこのバージョンでは「それがどうした。」と言いたくなるほどの重みしか感じられなかったのは脚本や演出のせいでしょうか、それとも良家のお嬢さんまでが援助交際とやらをする現代の風潮のせいでしょうか?
[DVD(邦画)] 4点(2012-08-08 03:48:31)(良:1票)
33.  幻影師アイゼンハイム
天性の俳優エドワード・ノートンが演じるプロ仕込みの奇術の鮮やかさに現実と幻想の境もわからなくなるほどです。女性なら「これほど愛されたら幸せ(でも二人の男性に同時には・・・)。」と感じることでしょう。敵役皇太子と狂言回しの刑事の演技、カメラワークも最高です。さて、作品の中で悪者になっているオーストリア皇太子ですが、時代背景からみて、セルビア人に暗殺されて第一次世界大戦の直接の引き金となったオーストリア皇太子をそのままもってきたようです。同時に殺された妃の名前がソフィーでしたが、こちらは映画とは異なって平民出身の妃で、皇太子の人気と相まって暗殺者と彼が属する民族(スラブ人)全体に対するドイツ・オーストリア連合の憎悪を一層高めました。一番手のレビューでしかも登録要請しておきながら渋い点数をつけて恐縮ですが、世界史のターニングポイントを作った実際のオーストリア皇太子と比較したりする歴史性やメッセージ性は本作品にはなく、ただひたすら堪能できる映画ということで、個人的に娯楽系作品につけることにしている最高点しかあげられないのです。でもお勧めの作品です。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-25 08:41:16)(良:1票)
34.  イル・ポスティーノ
イタリア!イタリア!イタリア!地中海と空の青さは言うまでもなく、さりげないシーンのBGMにさえ感じられるイタリア情緒がたまらないです。さえない郵便配達夫のマリオがノーベル賞候補者(1972年に受賞)の詩人ネルーダから詩の書き方を習うなんて非現実的な話なので始めのほうで頭を「おとぎ話モード」に切り替えました。美人をみれば後を追う情熱的な気質と並んで、ルネッサンスやローマ帝国の担い手の末裔としての自負心がこんなむさい兄ちゃんの外国人詩人ネルーダに対する態度にも見え隠れし、ダンテやダヌンツィオが会話に登場する・・・これぞ私がイメージするイタリアなのです。マリオがネルーダ専属の郵便配達夫になった時、自分が始めてネルーダの詩集を手にした時の記憶とダブりました。その詩集はピンク色の表紙で「100 Love Sonnets of Pablo Neruda」という英語とスペイン語の対訳本でした。イタリアと文化的に近接したスペイン語圏の作品だけあって情熱ほとばしる詩がオン・パレード・・・そのピンク色の表紙が私のスペイン語学習を促したようなものでした。だからマリオとネルーダとの関係は私の場合と同じ文芸との出会いを象徴的に描いているのだと思ったのですが、どんでん返し的に話が発展していって面白かったです。「共産主義」がこの作品の一つのキーワードです。情熱的なラテン諸国では学者や政治家など、多くの一流インテリが論文で表しきれないことを詩に託し、そのせいかノーベル賞詩人が目白押しで、詩人は英雄視さえされます。かのダンテも大作「神曲(Divine Comedy)」で教会制度を皮肉った反体制詩人でした。これらを念頭におけば、この作品を単に美しい風景の中で美しい女性を追い回す様を描くものではなく、主演のマッシモ・トロイージの生き様と死に方にも通じるヒロイズムの物語として見ていただけるでしょう。ネルーダは帰国後、新政府の閣僚に抜擢され、亡命中にお世話になった人に手紙を書くどころではなかったのですよ(本当の話)。それにしてもラストは哀しすぎる・・・自責の念にくれるネルーダ(そっくりさん俳優の・・・全くそっくりです)の後姿が本当に哀しい・・・でも哀しい結末でもからりと明るく、情熱はほとばしっても血は出ないのはさすがイタリア・・・なのでしょうか?
9点(2004-04-22 23:51:32)(良:1票)
35.  ラスト サムライ
日本のことをよく勉強しておるのお・・・褒めてつかわそう。途無来須(トム・クルーズ)の殺陣もあっぱれじゃ。(ラストバカ殿様) ・・・さて真面目に戻って、この作品について英語のレビューサイトを見たところ、中に「勝元の叛乱の理由がわからない。」というのがありました。作中で主人公オルグレン大尉が手記の中で明確にしている年月日をからもわかるように、このストーリーは1877年の西南戦争と西郷隆盛をモデルにしています。上記のアメリカ人とは異なってこの映画を見た日本人のほとんどは西南戦争が起きた年を覚えていなくても西南戦争は知っていてそのせいで作品のストーリーにすんなり入っていけたと思います。でも、どれだけの日本人が西南戦争の本当の理由を説明できるのかは疑問です。少なくとも私は「征韓論に敗れたから。」なんて理由は納得できません。だから登場人物の大村(=岩倉具視?)が近代化に名を借りて私腹を肥やしていた、という大胆な仮説を採用してストーリーに肉付けしたハリウッドの製作者は偉いと思うのです。
7点(2004-03-06 10:20:37)(良:1票)
36.  アマデウス
トム・ハルス演じる世渡りは下手だけれども子供っぽくて純真そのもののモーツアルト、そしてエイブラハムが演じる俗物根性丸出しでモーツアルトの才能に嫉妬する憎らしいおっさんのサリエリ、この二人の対比をネビル・マリナー指揮のモーツアルトの音楽をバックにたっぷりエンジョイしました。他のみなさんのコメントを拝見するとモーツアルトの肩を持つ人、サリエリを支持する人、中立派などに分けられるようです。この作品に限って、見た人それぞれがどの派閥に属するかを人気投票形式で調査してみると面白いでしょうね。私は完全にモーツアルト派で、作中で私に一番近い登場人物はサリエリの音楽のレッスンを受けながら「モーツアルトさんの自作で監督と指揮も自分でやるオペラのオーディションを受けたいんですけれど、どうしたらいいのでしょう?」なんて意味のことを口走り、サリエリの心中が煮えたぎっているのを知っていても知らなくても「だってモーツアルトさんは音楽は素敵だしハンサムだし・・・。(これは私が作ったセリフ)」なんて言ってきゃあきゃあ騒ぐミーハー歌手のカテリーナです。この映画を見てモーツアルトを本当に(そしてミーハー的に)好きになりました。 アカデミー賞主演男優賞に一作品で二人(モーツアルト役とサリエリ役)が揃ってノミネートされるなんて異例だと思うし、サリエリ役の受賞がちょっと皮肉(といおうかあの世にいるサリエリに対するほんの少しばかりの慰め)ですね。
10点(2004-02-23 05:51:09)(良:1票)
37.  戦場のピアニスト
原題はただの「ピアニスト」。そうでなくてもタイトルに惹かれてピアノ演奏を聴こうと映画館に足を運ぶ音楽ファンは多いと思いますが、作品中演奏されるピアノ曲は多くはありません。ピアノ演奏のためにこの映画を見ようと思った方は忍耐を強いられます。でも、そんな忍耐、ナチの脅威に晒されながら逃げまくった実在のピアニストの忍耐には比べようがないでしょう。ナチの暴虐、非人道性はこの手の作品では当たり前のように出てきますがその中にちらりと「ドイツ人だって芸術もわかるし家族もいる人間なんだ・・・。」あるいは「時代が悪かった。」というやるせないメッセージが汲み取れれば映画を見る鑑賞態度は及第点。もちろん、そこは抑えて抑えて表現されています。敢えてネタばれを恐れず言うならば、最後のシーンで主人公が生き延びた喜びを謳歌するかのようにショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を弾きます。彼の両親も兄弟姉妹もみんな殺されちゃったんでしょうに・・・。でも、ラストがショパンの葬送行進曲じゃさまにならないですからね・・・。薄暗い色調の画面の中で展開される主人公の孤独と不安のサスペンスは圧巻ですが、主人公が生き延びたからこそこの映画ができたという事実も見る前から自明・・・。むしろ、生き延びるために主人公同様の壮絶な努力をしながらもあっけなく殺されていったユダヤ人が大勢いたという事実を肝に銘じるべきでしょう。この映画はナチの歴史のほんの氷山の一角を見せ、残りを想像にゆだねているところに価値があると思います。
9点(2004-01-22 10:49:20)(良:1票)
38.  コーラスライン 《ネタバレ》 
「すばらしい!」と思った舞台の思い出になるかとビデオを購入して「失敗した。」と自分では思っている作品。舞台では道具等一切ない暗い背景にオーディション応募者の色とりどりのレオタードが映え、最終選考のインタビューに残った応募者全員がきらびやかなユニフォームで登場するラストまで息をつかせないのですが、舞台と比べて良かったのはちらっと入ったニューヨーク世界貿易センターやブルックリン橋の映像と選考開始直後の群舞くらいでした。舞台ではディレクターは一切姿を見せず、観客の後ろからマイクを使って呼びかけるだけなので、観客は自分たちも選考に加わっているような錯覚に陥るのですが、もちろんそれもなし。ディレクターだってスポンサーの好みや批評家のレビューに戦々恐々とする一人の人間なのは当たり前・・・でも、舞台では人間味を一切排した神ような存在で、それが一つのポイントだったのに、マイケル・ダグラスの無表情が何とか救いになっているとはいえ姿が頻繁に画面に出るのは興ざめでした。また、舞台ではインタビューを受ける応募者は体全体でダンスに対する想いを表現するのに映画では時には顔だけを大写しにするし、唯一の東洋人であるミス・ワンが舞台ではいかにも貧しい中国移民の中から体をはって(もちろんダンスのことです)這い上がってきたような不敵な面構えだったのに映画では最近急増中のアッパー・ミドルの中国人家庭で甘やかされて育ったお嬢さんみいだし、舞台裏が不必要なほど頻繁に映るし、ディレクターの助手はネズミみたいにちょろちょろするし・・・と文句をつければきりがないのですが舞台に敬意を表した点数をつけておきます。
3点(2004-05-13 05:53:26)(笑:1票)
39.  ミリオンダラー・ベイビー 《ネタバレ》 
単なるスポコンものにしては話がトントン拍子に進みすぎるので何かある、と思っていたらやはり・・・。でもあんなに汚いボクサーはいませんよ・・・非現実的!あんなことしたらただじゃすみませんよ・・・非現実的!まあ、叙情性に的を絞っているから気にならない人も多いでしょうけど・・・。というわけで、今までコメントをしたみなさんはみんな褒めて高い点数をつけていますが、私は辛いめの点数をつけます。俳優陣の演技とカメラワークがこれだけ優れているんだから、ストーリーがこんなに大味じゃないほうがいいと思います。原作がそうだからしかたがないのかもしれませんけれどね。
[映画館(字幕)] 6点(2005-05-26 12:49:33)(良:1票)
40.  300 <スリーハンドレッド>
映画を見に行く前にこのサイトを一見すればよかったのに、「ギリシアの(Greek)」や「スパルタの(Spartan)」という単語を鑑賞半ばにしてやっとキャッチするというみじめさ・・・本来はレビューを書く資格もあるのかどうかなのですが、まず、ミーハー的感想としてはレオニダスが三船敏朗を白人にしたみたいでセクシーだったことと王妃との濡場がいい雰囲気でストーリーにはまっていたことが印象的でした。まあ、筋肉むきむきのおじさんたちがちゃんちゃんばらばらやるのは日本版ちゃんばらの西洋版か変わった趣向のちゃんばら映画みたいに楽しみましたけれど、もすこし深く考えてみると、ペルシアに対するギリシアの優位を何が何でも示さなくてははならなかった理由って何だったのかよくわかりません。これが民主主義の本家のアテネだったらわかりますけど、スパルタってギリシア連合の中でも後進国っぽいでしょう・・・。アテネは一体何してたんやねん・・・。民主主義の本場やからアゴラ(広場)で参戦の是非について喧喧囂囂やってたんとちゃう?とにかくレオニダスはんが頑張らんことにはアテネの連中、喧喧囂囂止めんかったんやろな・・・なんてウィキペディアを読んで後から感心したりしましたがこれは微視的なお話し。クセルクセスは世界制覇を目論んだからヒトラーと同じでワル、というのは短絡的な発想ですよね。欧米の映画ではジュリアス・シーザーやナポレオンがワルに描かれることはあまりないのです。西洋人にはこういうお話はじーんとくるんでしょうが・・・。閑話休題。確か岩波文庫の「女の平和」(アリストファネス作)の中ではスパルタ人がなぜか九州弁をしゃべっているのですが、本作品ではいくら注意して聞いても英語しかしゃべっていませんでした。吹き替えでレオニダスが「おいどんは・・・でごわす。」なんていったら鑑賞していて笑ってしまうでしょうか?
[映画館(字幕)] 6点(2007-06-07 10:27:38)(笑:1票)

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