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目隠シストさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2255
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 52歳
自己紹介 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2024.1.1


※映画とは関係ない個人メモ
2024年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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21.  悪魔を見た 《ネタバレ》 
(ネタバレあります。ご注意ください。)もう30分尺を足してスヒョンと婚約者の関係性を描写していたら、もっと主人公に感情移入できたと思う。本作のアプローチはやや手緩い。もっともコレは観客に対する気遣いかもしれない。正面から受け止めるには、結構な精神力の要る物語でありました。『悪魔を見た』の悪魔とは誰を指すのか?強姦殺人狂のギョンチョルか。確かに奴の所業は畜生にも劣る。でも欲望の赴くまま、場当たり的に犯行を重ねる様に狡猾さは無い。印象としては我侭な子供。では復讐者のスヒョンはどうか。敵を追い詰める眼差しには確かに鬼気迫るものがあった。執拗な暴行にも躊躇がない。でもトラブル発生時の対応策を考えていなかったのは間抜けだし、反撃について考慮していなかったのは愚の骨頂。スヒョンもまた目的達成のため、周りが見えなくなっていた子供です。2人がやっていたのは、やられたらやり返す子供の喧嘩。つまり本作に“悪魔”はいなかった。タイトルは『子供を見た』が正しい。もっとも子供とは、人間の生の感情のこと。押さえつけている状態の方が不自然なのかもしれない。個々の直情を制御し社会を形成するために編み出された知恵が、法であり、刑罰です。だから刑罰は大人の理屈ではなく、子供の感情を満足させるものでなくては、本来の意味が無いと思う。倍にして返せとは言わないが、せめて同等の痛みは感じてもらわないと。一発殴られたら、一発殴り返す。それだけのこと。それが許されない理屈って何なんだろう。本作を観て、あらためて死刑制度の必要性を認識しました。死という結果はもとより、死刑囚として過ごす1日1日に本物の反省が期待できるのではないか。いや、期待するより仕方がない。無益な復讐の連鎖を生まないために必要な刑罰があると思う。利口になり過ぎた私たちの社会は、今試されている気がします。スヒョンの復讐について。“遣り過ぎだ”と思う場面は皆無。ただ唯一引っかかるとすればラストです。親を巻き込むのは構わないが、息子だけは勘弁してやって欲しかった。あれでは息子が狂ってしまう。新たなギョンチョルを生んでは、一人を始末した意味がないです。(余談)イ・ビョンホンとチェ・ミンシクのキャスティングを換えても面白そうだと思いました。ただイ・ビョンホン好きのおば様たちからは非難轟々かもしれませんが。
[映画館(字幕)] 8点(2011-02-27 00:54:01)(良:2票)
22.  アンストッパブル(2010) 《ネタバレ》 
一度失敗したとはいえ、ヘリで運転室に乗り込むのが最も確実に列車を止める方法でした。然るに、何故2度目のチャレンジは行われなかったのか。それは対策本部に責任を取る覚悟がなかったからです。一度目の失敗は言い逃れできても、2度目はそうは行かない。出て来るプランは惨事を防ぐための最善策ではなく、経営陣保身のため次善策。だから決断が後手に回る。デンゼルとクリスがいなかったら、手をこまねいて最悪の事態を眺めるだけでした。かといって、2人は善意で命を張ったワケでもない。デンゼルに有ったのは解雇に対する怒り。彼は経営陣に言ってやりたかったのだと思う。「お前らの判断は(いつも)間違っているんだよ!」と。要するに意地です。手柄を立てれば、解雇が取り消される目論見もあったのかもしれない。若造の方はプライベートのゴタゴタで判断が鈍っていたところを言いくるめられた。美談ではありません。彼らは賭けに勝っただけ。でも、結果的に多くの人命や財産が救われたのは事実。それで十分。ヒーローが生まれる時って、案外こんなものだとも思う。事態終結後のインタビューは本来であれば無粋な描写です。でも冒したリスクの分、見返りは欲しい。誰だって良い事をしたら褒められたい。そんな人間の本音をさらけ出したラストだったと思います。キレイ事で終わらせなかった。でもそこがイイ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-02-03 20:52:29)(良:2票)
23.  悪魔のいけにえ 《ネタバレ》 
ホラー・スプラッターのジャンルで、名作の誉れ高い本作。それ故に鑑賞を躊躇してきたのですが(気分が沈むのが嫌だから)、ついに観てしまいました!監禁や追いかけられる恐怖は、類似作品とそんなに変わらないし、残酷描写のエグさは『SAW』シリーズの方が上だと思います。飛躍的に技術が向上した視覚効果の分野では、70年代作品に勝ち目はありません。にも関わらず、本作はこの先も名作であり続けるであろうことを確信しました。本作の何がスペシャルなのか。それは“理解出来ないモノ”で溢れているからです。例えば、印象的な瞳の接写。これだけ執拗だと確かに気色悪い。けれども、監督の意図は理解出来ます。理不尽な監禁と容赦ない虐殺。でも殺人鬼ならそれくらいやるでしょう。理解できるものは、克服できる。しかし、キーパーソンと思しき車椅子の男をアッサリ殺したり、ミイラ爺さんに無理やりトンカチを握らせたりするのは、意味が分かりません。親父が女性を捕えたときに“ほうき”を使ったのも。完全にツッコミ待ちのボケですもの。実際、ミイラ爺さんがタライにトンカチを落とす度に爆笑しました。笑いながら、気分が悪くなりました。怖かったはずなのに、笑うって何なのさ。隣り合わない2つの感情が同居した事が不快でした。監督のセンスが、自分の許容範囲を超えていたのだと思います。極めつけは、レザーフェイスのダンス。何それ。何だお前。これ、一歩間違えば、いや半歩間違えばクソ映画です。でもその半歩を外さない手堅さも感じます。クソ映画と傑作が紙一重とは。良い映画とは何なのでしょう。
[DVD(字幕)] 8点(2010-09-19 21:27:21)(笑:1票)
24.  アイアンマン 《ネタバレ》 
“遠足は遠足の準備のためにある”は、確かさくらももこ(ちびまる子ちゃん)の名言だけど、本作を観るとまさしくコレが当てはまります。“実戦は準備を楽しむためにある”。アイアンマンの製作過程が楽しくて楽しくて、仕方なかった。1号機は、悪条件下での製作というシチュエーションに燃えたし、2号機以降は丁寧な試作実験の繰り返しに痺れた。製作過程をつぶさに観ることで、スタークのアイアンマンではなく、僕のアイアンマンになっていく。ラストの決戦。上空で凍結した敵をコツンとやる快感!!こちとら、そんな欠点は克服済みなんだよ、と。アイアンマンスーツがボロボロになっていくのもタマラナイ。マジンガーZでもガンダムでも、最終回では壊滅状態。少年の心を酔わせた、あのヒロイズムが蘇ってくる。もう、アイアンマン、カッコ良すぎ。大好きだ!この際、物語の薄っぺらさなんて気にしません。フィギアも買います。遊ばせて。
[地上波(吹替)] 8点(2010-04-25 19:09:41)(良:2票)
25.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
“アバターはイチローである”。自分は本作をそう結論付けました。『アバター』は言わずもがな最新3D映像が最大のウリ。その圧倒的な画力によって観客は異郷の惑星パンドラを体感します。世界の美しさに息を飲み、スピード感溢れる極上のアクションに酔い痴れます。本当に素晴らしい。ただ、脚本は普通だと感じました。良くも悪くもない。ナヴィたちは人間に比べて遥かに優れた能力と豊かな文明を有しています。主人公じゃなくても生まれ変わりたい。ミイラ取りが特上ミイラになっただけの話です。命を賭した主人公にその資格はありますが、冷静になれば結構身勝手ではないかと。ナヴィ=アメリカ先住民族と見立てられる設定ですが、ナヴィ=クジラと見ることも可能です。だとすれば主人公は、某エセ環境保護団体と変わらない。同種族間の侵略行為と異種族間の闘争では意味合いが全く違います。意思疎通が可能な人間とナヴィの関係は、丁度その中間くらいと捉えるのが正しい気がします。主人公の微妙なスタンスを把握しておかないと、人間が一方的に悪いと感じてしまう脚本なので注意が必要だと感じました。心情的にはナヴィを応援したいですが、主人公には最後まで人として生きて欲しかった。ただし、鑑賞中はそこまで思考が回らない。映像の感動に引っ張られて、物語も非の打ち所が無いように感じてしまう。ここで冒頭の結論に戻ります。イチローは国民的ヒーロー。それは彼がプロ野球選手として活躍したからで、人間性は関係ありません。本来は。でも現実にはそんな区別はなく、人間イチローが丸ごと素晴らしいと評価される。もちろん評価は総合点ですから、得意分野で点数が稼ぐのは構わない。本作の評価もそれと同じと考えます。世界興行収益の記録を塗り替え、観客を劇場に呼び戻した本作の功績は絶大です。この人気を一過性の流行に終わらせるか、映画復興の呼び水と出来るかは、後発の映画に懸かっている。ただし視覚効果のインパクトは必ず薄れます。爆発力があるほど、飽きられるのも早い。3D特需の今こそ、求められるのは良質な脚本だと思います。
[映画館(吹替)] 8点(2010-01-31 19:25:51)
26.  OUT(2002) 《ネタバレ》 
小説の中の人間に、匂いやかたちはありません。声色も分からない。読み手が頭の中で、作者の世界を“再構築”する訳です。言わば映画もひとつの解釈例。自分の原作解釈とは随分違いますが、監督の“理解”は面白いと思いました。遺体をバラバラにする主婦たちの会話。「まずは頭を落としましょう」「魚じゃあるまいし」。水着に着替えるかどうかで、じゃれあう2人。ニュースの中の出来事が、いざ目の前で起きている現実に心が追いつきません。泣きもせず、気も触れず、罪悪感で押し潰されもしない。いつものように笑っている自分に驚きます。追い詰められた4人がカラオケボックスで集うシーンが秀逸。『人生いろいろ』の歌詞が彼女らの生き様にオーバーラップします。挿入される解体場面。えも言われぬ不快感が胸を過ぎります。忘れていた古傷が疼くような。ああ、こうやって今までも不具合に目を瞑り、自分を騙してきたのだと気づかされます。何も今回が特別なことじゃない。法という枠組み、倫理観の縛り、自分が知っている自分を、飛び越える「OUT」。境界を踏み越えるのはかくも容易い。終盤の流れは映画オリジナル。これがまたいい。雅子と邦子を乗せたトラックが、大平原の一本道をひた走ります。脇道が無いのは、選択肢が無いあかし。彼女らの行く末の暗示です。先は霞んで見えません。これを恐怖と感じるか、希望と捉えるか。邦子はともかく、雅子の瞳には後者の輝きがありました。しがらみを捨て去った開放感と、人生の半分を無駄にした虚しさが入り混じった眼差しでした。最後にキャスティングについて。間寛平は普段のイメージが少し邪魔をしました。香川は滅法上手い。室井、倍賞、西田は100点。原田美枝子は200点。彼女の描いた雅子の魅力的なこと!素っ気無い口ぶりがたまらないです。あの雅子なら、家庭の崩壊も、一連の事件の成り行きも、妙にしっくりきます。イケてる女は、倒れてもまた、立ち上がる。
[DVD(邦画)] 8点(2009-06-05 18:44:57)(良:2票)
27.  アフタースクール 《ネタバレ》 
「なんか理科室の匂いがするな」。大泉が佐々木の車に乗り込んだときの台詞です。この言葉が本作の構造を言い表しています。アフタースクール=放課後。学校をとうに卒業したはずなのに、今なおどっぷり“学校漬け”の大人たち。そんな図式が見えてきます。理科室の匂いとは、みなさんご存知のとおり酢酸臭です。佐々木が根城にするアダルトショップにもご存知…じゃないかもしれませんが、独特のニオイがある。何となく似ている。どちらも実験資材が揃っていますしね(笑)。大人の視聴覚室に、大人のクラブ活動。それに生徒会長選挙ですか。よくよく日本人は学校が好きなよう。というより、学校も一般社会も変わらないということなのかもしれません。世間の荒波に揉まれて人は変わる。広い世界を知る。でも井の中の蛙が公園の池を見て、全てを分かった気になっているだけかもしれない。大人になるとは、どういうこと?私達は一体何を知っている?内田けんじ監督のシニカルな視線がイタ気持ち良いです。でも決して嫌らしくないのは、監督が人間を根本的に信用しているからじゃないかと思いました。本作も今までの作品同様、監督の人柄が窺える映画でした。決してトリッキーな脚本だけがウリの作品ではありません。でも、やっぱり上手い。緻密な脚本には相変わらず唸らされますが、キャスティングセンスがまた抜群です。特に田畑智子。あの顔じゃなきゃ、この役は務まらなかった。子供の頃から変わってないと思うもの。反芻すればするほど、味わいが増す作品だと思います。あえて欠点を探すなら、上手すぎてインパクトに欠けることでしょうか。「器用貧乏」と呼ばれないための魅力的な画作りを要望します。 贅沢ですみません。
[映画館(邦画)] 8点(2008-05-26 21:26:19)(良:2票)
28.  アポカリプト 《ネタバレ》 
懸命に守ってきた財産や家族、プライド。己が命と同等に大切なものを一方的に奪われる痛みたるや想像を絶します。侵略の罪は果てしなく重いと考えます。主人公と同じく怒りと恐怖に打ち震え、自身の無力さに絶望しました。体の芯がジンジンし、硬直しました。ゆえに主人公の逆襲には大きなカタルシスがありましたし、結末には心から安堵しました。逃げることではなく戦うこと選択したジャガー・パウ。追われる限り逃げなくてはなりません。其処に尊厳などあろうはずもなく。主人公の父が言う「怖れるな」は、「勇気を持って立ち向かえ」ということだと感じました。ただ、彼は矛盾していたとも思います。侵略の予兆から目を逸らしたのは、恐怖に蓋をしただけではないでしょうか。それでは意味がありません。勇気を持って脅威に立ち向かうべきでした。侵略を憎むこと、自らが侵略しないのは当たり前。重要なのは侵略されないために何をなすべきか。自分の(我が国の、我が人種の)狭い価値観で物事を判断するのは、あまりにも危険な行為だと感じました。最後に冒頭の一文「文明は内部から崩壊する」について。外的要因(キリスト教宣教師団)を肯定する言い方に聴こえますが、自分は支持出来ません。人を生贄にする野蛮な原始宗教も、博愛主義のキリスト教も、主人公にしてみれば同じ侵略者に違いありません。自己の存在を肯定し、自分たちの文化文明に誇りを感じるのなら、他者のそれも同じように尊重すべきだと思います。主人公は“新たな始まり”を求めて森を目指しました。彼らがこれから築くであろう新たな財産が、彼らの手に在ることを願うばかりです。
[DVD(字幕)] 8点(2008-03-04 18:55:59)
29.  或る夜の出来事 《ネタバレ》 
ラブコメというジャンルは凄い。時代を超える普遍性があります。当時の時代背景等の知識がなくても、すんなり入っていける。『ローマの休日』然り『お熱いのがお好き』然り。本作もそんな古典ラブコメの名作とのこと。もっとも自分はそんな事も知らずに鑑賞したのですが、これが滅法面白い!そして上手い!例えば、娘が所持金4ドルの状態で1ドル60セントのチョコレートを買おうとするところ。これだけの描写で、彼女の人となりが伝わってきます。探偵相手に2人で芝居をするエピソード。ここで一気に2人の距離が縮まります。何十回の気楽なデートよりも、たった1回共に苦難を乗り越えるほうが、絆が深まる。よく分かります。そして後々唸らされたのが、序盤での主人公のある台詞。彼は世間知らずな娘をたしなめるために、こんな言葉を投げかけています。「何でも金で解決できると思うな」。これは、娘の父親が婚約者に多額の慰謝料を払う部分の伏線でもあります。“金で解決できないものがある”は、すなわち“解決できるものは大して重要ではない”ということ。このエピソードひとつで、これまで語られることが無かった婚約者の人格を想像することができます。彼を殊更におとしめることなく、“金目当て”であったことを匂わせる。2人を快く祝福するためには、婚約者は“嫌なヤツ”でなくてはなりません。もっとも、これはひとつの解釈。婚約者は泣く泣く彼女を諦めた可能性もありますし、金の力無くして2人は結ばれなかったのも事実。二重の意味で「金の力で~」は深い台詞になっていると思いました。ラブコメとして優れたフォーマット。ニヤニヤクスクス、ときに大笑い。やきもきしつつもハッピーエンド。見事な恋物語であり喜劇を堪能させてもらいました。
[DVD(字幕)] 8点(2007-05-21 18:21:09)(良:3票)
30.  アンジェラ(2005) 《ネタバレ》 
主人公は、自分がダメな人間だと知っています。短所についてはよく分かっている。でも長所については気付いていません。いや“気付かないように”していると言ったほうが正しいのかも。窮地に追い込まれたのは、“自分がダメだから”。一見自己責任を認めているよう。でも違います。ダメが故に失敗した。つまり失敗しか在り得ないのなら、もはや自分に責任はありません。必然だから。これは自虐的だけど、本当は凄く“楽な心のあり方”なんだと思います。でも決して心は満たされません。彼はアンジェラによって、本当の自分と向き合います。アンジェラは彼自身だという。彼のあるがままを映し出す鏡。短所も長所も含めて自分を認めることから、自分らしい生き方がはじまる。それが本作のテーマだと思います。そしてもう一つ大切なこと。それはアンジェラが地上に残った意味です。アンジェラが天に戻ってしまったら、彼女の存在は無かったことになってしまう。主人公が束の間見た夢。でも彼女は間違い無く存在しました。これが重要だと思います。大切なことに気付いただけでなく、2人で行動したことに意味がある。今在る自分は、生きてきた(行動してきた)結果の積み重ね。笑ったり、悩んだり、泣いたりしてきた自分の選択だから、信じなきゃならない。それが自分を偽らないこと。そして自分らしく生きること。「自分は何処から来たのか分からない」と泣くアンジェラ。ずっと誰かの鏡であり続けてきた彼女。常に主体ではありません。積み重ねてきたものが無いから不安なのです。彼女はこれから積み重ねていけばいい。物語は起伏に乏しく、問題の解決の仕方には無理があります。気取った演出も鼻につく。でも大目に見ようと思います。主人公は、自分自身だから。(あんなに純粋じゃないですけど。)恥も外聞もなくアンジェラにしがみついたアンドレ。カッコ悪いけどカッコイイ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-04-16 18:02:43)(良:2票)
31.  アバウト・シュミット 《ネタバレ》 
職を離れ、妻を亡くし、友を失い、ひとりになったウォーレン。孤独な現実が彼に突きつけます。お前の生きてきた証がこれだ。お前の歩いてきた人生がどんなものか判るだろう。最後の砦、娘まで奪われて失意のうちに帰宅する主人公。そんな彼を待っていたのが、援助をしている子供からの手紙でした。この手紙に彼は涙します。それは無意味に思えた人生を僅かながらも肯定してくれたから。ウォーレンの泣き顔が心に沁みます。そしてこの事は全てに通じる“どんでん返し”でもありました。「恵まれない子供への援助」は、主人公に心情を語らせる演出上の仕掛けのように見えます。チャリティ自体も結構インチキ臭い。でもそれは自分の“勝手な思い込み”でした。彼の援助は本当に子供を救っていた。彼は必要とされていた。それは本作の既定事実にも当てはまることに気付きます。妻と過ごした歳月は虚しいものだった。娘の結婚は間違いだ。主人公の人生は無意味だった。これらの結論は全て彼の“勝手な判断”です。いみじくも彼は結婚式でスピーチしています。「2人の道は交差した」と。人生は自分だけのものではなく、関わり合った全ての人のものでもあります。だから一人でその価値を判断することに意味はない。そんな気がしました。苦くて切なくて笑える「シュミットについて」。彼は30年後の自分の姿でもあります。
[CS・衛星(吹替)] 8点(2007-02-08 18:04:30)(良:2票)
32.  アイ,ロボット 《ネタバレ》 
ロボットのデザインがキャッチーでないこと、お遊びの要素が強すぎて緊張感が削がれた部分があったこと、不必要に凝ったカメラワークなど、やや不満な点もありますが、これは個人的な好みの範疇。全体的にみれば、巧みな展開、スピード感あふれるアクション、質の高いCG、テーマ性、どれをとっても良いと感じます。中でも特筆すべきは、自我を持った新型ロボット“サニー”のキャラクターの立ちっぷり。同じく自我に目覚めたロボティック社のマザーコンピュータ“ヴィキ”との対比が絶妙です。「君の理論は分かるけど、それではあまりに心が無い」とヴィキに言い放つサニーにシビレます。主役を食わんばかりの見事な芝居をみせるサミー(主人公とアイコンタクトをとるシーンでの“微妙な頷き”には脱帽!)に驚かされます。伏線の張り方もそつが無く、ラストの余韻は秀逸です。もともと期待していなかったせいもありますが、満足度の高い作品でした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-01-04 18:20:50)
33.  或る殺人 《ネタバレ》 
人が殺されるから殺人です。ところが当の殺された“人”はほとんど出てきません。殺される場面も、生前の生活も人柄も、声も仕草も、顔さえろくに出てきません。オープニングでは死体を思わせる図形が、記号としての死体があります。被害者の“生きている”情報を出さないことで、単なる「裁判事案」であることを意識させ、さらに客観性を持たせています。主役が弁護士、しかも好感度が高いジェームズ・スチュアートですから、観客は弁護側の視点で(弁護側に肩入れして)この事件を見ることになりますが、だからといって弁護側=正義という感覚ではありません。ゲームの行方を見守るという感じです。はっきりしているのは、加害者が被害者を殺したという事実のみ。そこに至る流れ、動機、心理状態はすべて検察側と弁護側の後付でしかありません。どちらの言い分を認めるかは、観客に委ねられています。(判決後、真実の種明かしはありません。そこが上品。)法廷劇ではありますが、適度な笑いを含んだエンターテイメント作品としても楽しめました。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2006-06-28 18:19:31)
34.  ある閉ざされた雪の山荘で 《ネタバレ》 
ネタバレしています。ミステリー作品です。未見の方はご注意ください。  「何だ雪山が舞台じゃないのか」から始まり「ビデオカメラで犯人探すミステリーとかありなの?」と終始訝しんだものの観終えてみれば納得。物語の構造も凝っていますし決して悪くありません。ただ釈然としない部分も。ネタバレ厳禁なので詳細は伏せますが、そもそも設定に無理があるような。 例えば本作では久我(重岡大毅さん)が探偵役をしています。でも初期設定上、仕込み以外の人は全員探偵役を買って出なくてはいけないのでは。そういう趣向のオーディション。でも彼以外誰も探偵らしい動きなどせずモヤモヤ。てっきり『名探偵登場』(懐かしい!)みたいな名(迷)推理合戦が見られると思ったのに。それにそもそも久我をこの場に呼ぶ必要ありましたか?一般的にミステリーで探偵が登場するパターンは「偶然」か「犯人があえて呼んだ」のいずれか。わざわざ探偵(部外者)を犯行現場に呼ぶなら当然目的があって然るべし。「目撃者、証人として」あるいは「本心では犯行を暴いて欲しかった」など。本作の久我はどれにも当てはまりま・・・と、ここまで書いて私は思い違いをしている事に気付きました。そう、久我こそがこの計画に最も必要な人物、キーパーソンではなかったのかと。もし犯人の思惑通りコトが運んだとして誰が得をするのかという話。一時的にあの人を満足させたたとしても、騙し通せるはずありません。いずれ嘘はばれるでしょう。あの人の「心」を救えなければ意味がないのです。それにはむしろ久我のような第三者の力が必要だったのではないか。水滸の中の人ではなく、外の人だから出来ること。彼に真相を解き明かしてもらい、いやあの人の心を解きほぐしてもらい、初めて目的が達成される仕掛け。そういう意味では久我にガチで推理力を発揮して貰う必要はなく、彼も仕込みの一員で良かったかもしれません。しかし、この説は否定しておきましょう。何故なら久我にはそこまでの演技力が無いから(失礼)。今まで彼は水滸のオーディションに受かっていません。彼が今回キャスティングされたのは、演技力ではなく人間性を買われたから。久我には初期設定どおり本気で探偵役(オーディション)を引き受けて貰ったのだと思います。もし期待通りに探偵役が出来なければ「アドリブ」で種明かしすれば良い訳で。みんなその辺は得意でしょう。久我とあの人を除く全員がグル(演技者)の可能性さえあると考えます。となるとやっぱり本作は「ミステリーではない」が正しいのかもしれません。 さて最後に結末について。綺麗に纏まった、そして驚きもある感動的なフィナーレで文句はありません。そうきたかという感じ。ただ私だったら全員を立たせてカーテンコールを受けさせたと思います。性格悪いですか。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-04-16 17:19:55)
35.  アイの歌声を聴かせて 《ネタバレ》 
令和の『鉄腕アトム』くらいのつもりで観たら、新訳『僕らの7日間戦争』いやいや別解『ターミネーター3』でしたか。嘘うそ。冗談です。とはいえ想像以上に考えさせられる物語で、本作をどのように捉えたらよいのか非常に迷うのは事実です。右脳(感情)で捉えるなら、シオンちゃんはウザくもありましたが親子愛の結晶として感じ入る点がありました。でも左脳(理性)を優先させると正直いって恐ろしい。取り返しのつかない事態に思えてなりません。そう「クマさん可愛いから森へ逃がしてあげようよ」案件と変わらない気がします。いや脅威レベルで言えばアンゴルモアの大王を天空に放ったようなものでは。下手すりゃ人類終わります。もっとも、現実世界でも何時だって終わりにする用意は出来ている訳で。そうか、もっと大局的にみる必要があるのかもしれません。世界大戦かウイルスか、はたまた巨大隕石か分かりませんが、いつか人類が滅びたときの後継者が誕生したハッピーバースデーと考えれば良いのかも。人類の意志を継いでいくのがシオンちゃんなら、それはそれで悪くない気がします。 以下余談。地元がロケ地になったとの噂を耳にし見覚えのある景色を探しましたが全く分からず。結局ネットで答え合わせをしましたが、流石にこれは分かる訳ありません。というか本当に其処で合ってますか?というレベル。島国日本ですから、海辺のロケーションは何処にだってありそう。もちろん聖地巡礼で来て頂くのは有り難い限り。地元唯一の映画館も盛況だったようで何よりです。ありがとうございます。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-29 18:21:48)
36.  アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち 《ネタバレ》 
本作はミステリーです。ネタバレありますのでご注意ください。  時は19世紀末。世紀の変わり目であり時代の転換期。精神医学においては黎明期でしょうか。舞台はイギリスのとある精神科病院。医学実習生=エドワード・ニューゲート氏を通じて当時の「治療技術」や「患者の置かれていた立場」といった「精神医療の現在地」が描かれます。其処には相対する視点がありました。医師と患者。あるいは常識とされる治療法と先進的なアプローチ。立場が変われば見方が変わり、価値観が変われば正義も変わる。観客は精神科講師の言葉「聞いたことは信じるな。見たことは半分だけ信じろ」を頼りに事象の真偽、そして善悪を見定めることになります。観返してみると最序盤から実に巧みなミスリードが施されており感心します。人は他者を記号化して認識するのですね。ミステリーとして上質で、最後の最後に明かされる「真相」は、はたと膝を打つ切れ味でした。果たして主人公は「何者」と評価されるのが妥当なのでしょう。狂人か詐欺師か、はたまた医者か。どの「半分」を信じるかで真実は形を変えるでしょう。エンディングは「酷い話だ」かもしれませんし「いやいやハッピーエンドだろ」かもしれません。どちらの受け取り方も間違いではありません。多角的な観方が可能な「奥行がある」物語で私の趣向に沿うものでした。ただし一か所だけ異を唱えたい点が。それは看護師役の少女の死について。彼女は何故殺されたのでしょう。本作を極めて単純化するなら「ラブストーリー」です。一目惚れしたあの人を探し出し添い遂げるまで。でもやっている事は狂気の沙汰ですし、倫理的にも完全にアウト。その不都合な事実をカモフラージュしロマンスの体裁を整えるために少女の死が利用されたのではないか。2人の未来を阻む障害を除去し、悪党(敵)を明確化してサスペンスを成立させる一石二鳥の仕掛け。彼女はドラマの都合で殺されたと感じます。このあたりがご指摘のレビュワー様もおられるように「安っぽい」と感じられる所以かと。結局のところ「不倫逃避行」という事実は変わりません。ならいっそ少女も連れて行けばよかったのにと思うのです。エピローグは庭園で踊る2人を見つめる少女の笑顔。一体この先どうなるのか見当もつきません。でも2人にそこまでして茨の道を進む覚悟があるなら、納得できた気がします。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-22 20:58:54)
37.  愛ちゃん物語 《ネタバレ》 
成長に必要なこと。良質な栄養を適切なタイミングで摂取すること。多過ぎても少な過ぎてもいけませんし、タイミングを逸してもいけません。また有害物・阻害物を取り除くことも重要です。農作物の場合は主に「水」「肥料」「農薬」を用いて品質管理をしますが、人間の場合も変わりません。ほったらかしでは育たない。しかも「心」と「からだ」両方の面倒を見なくてはいけません。考えれば考えるほど子育ては「無理ゲー」だなと思うわけです。ですから愛ちゃんを「箱入り娘」にした父親の気持ちは理解できます。とりあえず悪い虫が付かなければ安心ですから。でもこれで万全でないのは言わずもがな。もし愛ちゃんが父の課したルールを従順に守り高校生活を終えていたらと考えると・・・。女子高生の成長に必要なのは「おしゃれ」「お化粧」「門限破り」「友達とカラオケに行くこと」で合っています。たぶん。とりわけ心の栄養は「経験を積むこと」「様々な価値観に触れること」で供給されます。もちろん「良いもの」だけを選べればベストですがそれは無理。そもそも何が「良い」かも分かりませんし。ですから「一般的なこと」を「しかるべきタイミングで」「きちんと経験しておくこと」が心の栄養のリスク管理的に適切と考えます。そういう意味で聖子さんとの出会いは僥倖でした。愛ちゃんは良きタイミングで箱から出られたと思います。亡きお母さんの愛情が、聖子さんを通じて愛ちゃんに届いたのかもしれません。 主演は坂ノ上茜さん。BS-TBS『町中華で飲ろうぜ』の『伝道師』としてお馴染みの元気娘。もちろん成人しており実年齢と役柄との年齢差は10歳程度かと。よく見れば成熟していますがこの程度なら許容範囲でしょう。顔立ちも可愛らしい童顔なので全く問題ありません。一方女装家の聖子さんを演じたのは黒住尚生さん。劇中の設定だと愛ちゃんの母親と同級生ですが全然そうは見えません。愛ちゃんより少し年上くらいでしょうか。実年齢は2歳差だそう。つまり坂ノ上さんは10歳若くサバを読み、黒住さんは20歳ほど老けサバを読んでいる計算になります。同年代の2人が同一方向へサバ読んでいるならいざ知らず、反対方向にサバを読んでいるため違和感が半端ありません。この年齢差は女装メイクで誤魔化せる範囲を超えていました。だから「キャスティングに難あり」と言うつもりはなく、聖子さんから「母親の同級生」という設定を無くせばいいだけだと思います。それで物語から深みが消えるわけでもありません。2人以外の役者さんについては「難あり」かな。あるいは「味」かな。演技がちょっと気になる人もいるかと思います。 ポジティブ且つライトな少女の成長物語。不穏な展開になる要素を孕みつつも、コメディテイストが強めに効いており終始心穏やかに観ることができました。最近ストレスフルな事ばかりだったので、今の私にとっては「丁度良い塩梅」の楽しい愛のお話でした。6点と7点の中間くらいですが、伝道師加点で繰り上げとします。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-09 18:59:17)
38.  アウターマン 《ネタバレ》 
私は監督名を確認せずに映画を観ることがよくあります。本作もそうです。もちろん予想は付きました。どこをどう切っても河崎実印ですから。氏の作品を一度でも観た事がある方なら、その意味がお分かりいただけるでしょう。しかし、それでもなお、エンドクレジットを確認するまで、別監督の可能性を捨てきれずにいました。というのも、“実によく出来ていた”からです。いや失礼。でもこれが本心。チープな映像、不出来な脚本、役者の熱演、そして特撮愛が謎の化学反応を起こしたとしか言いようがない出来栄え。中でも「アウターマン」と「シルビー星人」の造形が絶妙でした。立場が変われば見方が変わる。知識と経験で人は変わる。どちらの異星人も、ちゃんと「いいもの」にも「わるもの」にも見えました(技術論的にはカラーリングの上手さ。そして原則は“能面”と同じ理屈と思われます)。いつもは決して上手とは言えない(実は監督お得意の)社会風刺も、驚くほど鋭く(あらぬ方向に)突き刺さります。群衆の手のひら返しを、あなたは笑えますかと。基本的にパロディ。紛うことないバカ映画。しかし真摯なヒューマンドラマでありました。もしかしたら本作は河崎監督にとって会心の一作では?あるいは私は、監督を見くびっていたのかもしれません。ちゃんと河崎監督作品を観直してみようと思います(暇が出来たら)。なお、公開当時に鑑賞していたら、職人が一個一個丹念に製作するという変身アイテム(25,000円(税別)也!)に手を出していた可能性すらあるのが恐ろしいです。
[インターネット(邦画)] 7点(2020-07-15 18:54:52)(良:1票)
39.  アルカディア 《ネタバレ》 
いきなりネタバレしています。ご注意下さい。  本作で採用されているSFギミックは、限定空間における時間のループ。特徴的なのは、集団(場所)によってループの間隔が異なること。数日(特定できませんが3日以上?)から、最短数秒(!)と幅広いです。恐らく死がループの終点としてセーブされる仕組みなのでしょう。脱出を試みて失敗した分だけ、ループ間隔が狭まる危険性あり。となると、下手に抗わずループ間隔を確保する方が、快適な生活を送れるワケです。ものは考えよう。衣食住足りて、病気の心配もなく、永遠の若さを保てると捉えるならば、そこは理想郷(=アルカディア)なのかもしれません。ですから囚われの身になろうとも、弟が村に残りたいと希望したのも無理からぬ話。それほどまでに、兄弟の現実は辛く厳しいということ。しかし、自由なく、成長なく、未来に対する希望のない場所に、幸せはあるのでしょうか。少なくとも“生きる”とは、自由や成長を欲し、未来に希望を持つこと。この場所を統べているのが神なのか宇宙人なのか分かりませんし、天国か地獄かも判然としませんが、いずれにせよ生きている人が居てよい場所ではないでしょう。ループ空間から脱出直後の兄弟のやり取りが秀逸です。たとえガス欠でも走り続けよう。今までだってそうだった。でも意外と走れるものなのよ。クソみたいな現実を生きていく為に必要なのはバイタリティ。そして生き方を自分で決める主体性。己が人生と向き合う覚悟ができた兄弟は、しぶとく現実を生き抜いてくれるはずです。もちろん彼らの置かれた状況は、以前と何ら変わりません。進む道の傍らには、あの杭が無数に見てとれます。そう、ループに入るのは簡単なこと。私たちは何時だって、死と隣り合わせに日々を生きているのですから。
[インターネット(吹替)] 7点(2020-01-20 19:26:48)
40.  アドレナリンドライブ 《ネタバレ》 
“大金を奪って逃げる”という犯罪行為の後ろめたさを打ち消す仕掛けは抜かりなく、主役から脇役までキャスティングも含めてキャラクター造形はお見事です。特にジョビジョバの起用が功を奏しており、シリアスに寄り過ぎることを防ぎコメディのスタンスを堅持しています。その結果、スリリングであっても不快な気持ちになる心配を払拭しました。娯楽作品としてなかなかの完成度です。安心して感情移入して問題ありません。あえて注文をつけるなら、本題(逃避行)に入るまでが長かったり、逃げ切ったあと油断して下手を打ったりと、サスペンスに必要な緊迫感やリズム感に欠けること(これは最近の展開が早いドラマに慣れてしまっているせいもあるかも)。タイトルに違わず、もう少し疾走感を感じられれば文句無しでした。ところで運命の2人は幸せになれたのでしょうか。浮かれっぷりを見る限り、典型的な破滅型に見えますけれども。購入してきた車が、国産車だっただけマシということにしておきましょう。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-11-20 22:23:31)
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