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性別 男性
年齢 53歳

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121.  翼よ!あれが巴里の灯だ 誰しも思っていることだとは思いますが、改めて言っておきますと、「なんでもかんでも、歴史上の出来事を映画化しなくでもいいのに」と思う訳ですよ、まったく。しかもそのネタが「ひとりで飛行機の操縦を30時間以上続けました」というヤツですから、間を持たせるのが大変、お陰で予想通り、回想シーンが続くことになっちゃう。でコレ、面白いのかというと、残念ながら面白いです(笑)。映画前半はまるまる、飛行前のやりとりに費やされるのですが、例によって脚本が実に楽しく組まれていて、気の効いたセリフも数々登場、コメディ作品としてしっかり楽しませてくれます。いよいよリンドバーグが飛び立つ、前半のクライマックスなど、ちょっとした感涙モノで、いささかサービス過剰なんじゃないか、言いたくなるほど。もちろん、後半の単独飛行中も、「やっっっぱり回想シーンばっかしやんか」と思いつつも、見せ場が多く、そして何だか最後には感動してしまう。楽しんだ上でこんな事言うのもナンだけど「これでいいのか」と。弛緩するような無限の時間の中で睡魔との闘いをひたすら続けたであろうリンドバーグ本人の苦しみ「だけ」はさすがにこの映画からは感じることはできない。それを真正面から描いた退屈の極致のような映画があってもいいんじゃないの?と思いつつ、やっぱり本作は「面白い」のでした。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-07-18 04:09:09)(笑:1票) (良:1票)

122.  男はつらいよ 葛飾立志篇 御前様の身内で大学の研究者とやらいうヒトが、とらやに下宿する、だと! どっかで聞いた話だ! そうそう、「寅次郎夢枕」だ! そのヒトって確か、米倉斉加年演じる東大の助教授。 でも肝心の米倉氏は、本作では巡査役やってるぞ! どうなってるんだ、こりゃ、米倉二役か?! と思ったら、今回は米倉ヘンテコ助教授ではなく、考古学専門の女性の助手で、これが今回のマドンナでしたとさ。いや~びっくりしたよ、もう。というわけで、次シリーズのパロディを織り込んでいるという、なかなかシュールなギャグでありました。そういえば、女子高生役の桜田ズン子のそばで、米倉巡査が現実世界での彼女のヒット曲(ようこそここへ~クッククック~)を口ずさむシーンなども、これに近いシュール・ギャグ。というわけで、今回の作品は、パラレルワールド感あふれる作品となっていますね、あはは。もう一つ付け加えてきますと、マドンナの勤め先はセリフ中では触れられないけど、彼女が本郷通りから東大正門に入っていくシーンが、しっかりと織り込まれておりまする。前置きが長くなりました。本作、いささかストレート過ぎるかな、という展開で、スッキリアッサリしております。人はなぜ学ぶのか。先生が美人だから? うんそりゃ確かにそういうハナシなら、一生懸命勉強するわな。でも、田所教授を見よ。生活にはな~んの役にも立たん知識を山ほど有している。確かにな~んの役にも立たないようなんだけども、そのおかげで、寅さん程の異色の存在に対しても一歩も引くことなく、丁丁発止と会話を弾ませていく、そのカッコよさ。そうだ、ナゼ学ぶかと言えば、自分の世界が広がるから。とっかかりはそれでいいんじゃないの。学問が幸せに直結するとは勿論限らないんだけど(ってか、学問に打ち込んだ教授と打ち込まなかった寅さんが意外に相似してたりもする)、それでも、田所先生、カッチョよいぞ。こういう存在に、憧れる。[CS・衛星(邦画)] 7点(2006-05-29 20:40:47)(良:2票)

123.  アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル こういう作品はどうしても、「どこまで真相に迫っているのか」という観点で見られてしまう面があるのですが、その点、この作品は最初から「皆さんそれぞれ言い分があるでしょうけど」という立場を貫いていて、無責任と言えば無責任だけど、そこに適度にユーモアを交えることで、何となくはぐらかされちゃう。そもそも「本人へのインタビューを交えた再現ドラマ」であるかのような体裁をとっているにも関わらず、インタビュー部分も俳優が演じてるので、何でもアリ、なんですけれどね。ただ、「証言」がアチコチで食い違いつつ、時に彼らの「証言」をシンクロさせてみせる演出は、ちょっと面白い。何となくウサン臭いけど。 それにしても、アイススケートシーンが、実にお見事。ここがショボかったら、相当ウサン臭い映画になるところですが、CGも使っているのか、本当に高度な技を連発しているように見えて、迫真のシーンになってます。オリンピック本番の雰囲気と、その中で精神的に追い詰められていく彼女。靴紐云々の場面は、当時のオリンピック中継でも見た場面ではありますが、こうやって、彼女に寄り添った視点で舞台裏から連続して描かれると、やはり実際の中継映像とはずいぶん違った印象を受けることになります(で、ここで当時のことをふと思い出すのだけど、外野の騒ぎに流されてジャッジの点数までおかしくなってしまった、実に後味の悪い大会でした)。 全体的に、ややトーニャ・ハーディング寄りの描き方ながらも、何となく曖昧に終わらせようとしている部分があって、その点ではどうしても映画が弱くなってしまうのですが、それでも、肯定も否定も超えたところに、彼女の今を提示して見せるラストには、唸らされるものがあります。不運ではあったかもしれないけれど、不幸ではないんだよ、ってな感じで。[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-07-23 17:46:45)(良:2票) 《改行有》

124.  十三人の刺客(1963) 七人の侍と忠臣蔵を掛け合わせると、戦争映画になっちゃった、という作品。ラスト30分の死闘はもはやチャンバラではなく、戦争です。映画の始めのほうは断片的な描写のためモヤモヤしているのですが、それが明石藩主暗殺計画へと収束していくあたりでスッと見通しがよくなり、もうワクワクしてきます。途中、藩主一行が行方不明になり、オヤ、と思わせるも、あんまり大したエピソードに伸びないのは残念でしたが。それでも、落合宿についに藩主一行が現れるシーンは、ゾクゾクします。そして壮絶な死闘へ。要塞と化した宿場町には光と陰が交錯し、さらに砂埃も舞い上がって凄まじいばかり。狭い路地での戦いでは、自然、登場人物の動きはカメラに対し前後方向に限られることとなり、それが、こちら迫りくるような独特の迫力をもたらします。う~む、それにしても実に潤いの無い話だ、命を投げ出しての殺し合い、たどり着く先などどこにもない。リアルすぎるほどの殺陣とは対照的に、何か夢の中の出来事のような現実感の希薄さ、まさに悲壮感のみで紡ぎあげたような映画です。ところで、ナレーションはやっぱり芥川隆行に限りますなア。無条件に説得力を感じてしまうこの声。安心感があります。伊福部昭の音楽はいつもどおりの怪獣映画風の音楽(?)で、人によっては真骨頂と呼び、また人によってはマンネリとも言う。わたしゃ結構好きですが。8点(2004-05-23 16:09:40)(良:2票)

125.  パピヨン(1973) そりゃまあ、マックィーンが男前だとは言いませんけどね、かのヒーローがどうしてこの役にここまでフィットしてしまうのか(こりゃまるで、サルが人間にとっつかまって虐められる『逆・猿の惑星』by フランクリン・J・シャフナー、ですね)。見事なハマリっぷりに、観た後でふと一抹の寂しさすら感じないでもなく。一方、ダスティン・ホフマンはと言うと、いつになく役作りを放棄、地で演じてます(そんなワケないか)。この役は彼以外の役者が演じたら絶対イヤミになる。彼のスゴさは、演技力云々よりも、‘どんな「共演」もこなしてしまう’ところ、ですかね。それにしても、観てて切なくなる映画でありました。実録っぽさと、幻想味が、奇跡のように両立しております。残酷なまでに青い空、そして海・・・はあ~(溜息)。ゴールドスミスの音楽、甘いメロディも提供しておりましたが、エンドタイトルに硬派な音楽をぶつけてきたのが、映画をぐっと引き締めており(廃虚の映像に実にマッチしてる)、たまらない余韻を残します。必聴です。彼ほど、無調でありながら親しみ易い音楽を書いて来た作曲家もザラにはいないのではないでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-04-09 11:08:30)(良:2票)

126.  ゴーストライダー ニコラス・ケイジの似合わないカツラ顔(地毛だったらゴメン)に始まり、世にも情けない妖怪対決が次々に展開される、抱腹絶倒のアメコミヒーロー映画。大体、「落ちてる火を拾って投げつける」なんている攻撃方法、ありますか。この映画、意識的に笑いを狙ってますね。そこがズルイとも言えるし、痛快とも言えますな。“ゴーストライダー”の攻撃は、よくわからないモノが多いですが、とりあえず敵が焦った顔になったときは、攻撃が効いているらしい。[地上波(吹替)] 7点(2010-08-13 18:13:02)(笑:2票)

127.  男はつらいよ 寅次郎紅の花 《ネタバレ》 男はつらいよ・続男はつらいよ・新男はつらいよ・男はつらいよ征服、に続く、最後の男はつらいよ。←違うっての。実に48作に及ぶ巨大シリーズの、泣いても笑ってもこれが最後の作品。出番の少ない渥美清、声はかすれ、表情はやつれ、痛々しさが嫌でも目に付く。それでも何でも、これぞ最後に咲かせた一花。最終作と思わずに観れば、まだまだエピソードは続きそうだけど、最終作と思って観れば、ああ確かにこれこそが最終作にふさわしいと思わせる大団円。リリーと寅さんは、熟年夫婦のような落ち着きをもって、南の島で生活を共にしている。二人は何度喧嘩しようとも、やはり最後にはこの生活に落ち着くのだろう、もう、これが寅さんにとって最後の恋なんだ、と思って思えなくはない、納得の最終作であります。一方の満男と泉の関係も、まあ一つの決着がついたと言えそう。→満男が泉への愛をはっきり口にしたことは、寅さん(とその生き方)との決別、でもありますからね。しかし正直言って、泉ちゃんが満男とラブラブになってる様子を見ると、「泉が満男の愛を受け入れた」というよりは「満男に縁談をメチャクチャにされて、ショックで泉ちゃん壊れちゃった」と言う風に見えてしょうがないんですけどね~。泉ちゃん、早く正気に戻って欲しいですね~。ま、満男のことはともかく、リリーと寅さんの関係には、今回ばかりは、本当に心温まるものがあります。リリーを「家まで」送るという寅さん、二人の乗ったタクシーを、寅さんのカバンを持って追いかけるサンペーちゃん!心の中で「サンペーちゃん、ありがとおおっ」と叫ばずにはいられないのでした。またこの作品には、阪神淡路大震災の傷跡がしっかり刻まれていることも、忘れられない。まあ、テーマの取り上げ方としては、明らかに消化不良ですけども、この大シリーズの中に、確かにあの光景は刻み込まれた、ということで。[CS・衛星(邦画)] 7点(2007-04-15 14:54:21)(良:2票)

128.  サウンド・オブ・ミュージック ミュージカル映画という、伝統的ながら変テコリンなジャンル。その中ではたぶん、かなり取っつきやすい作品と言っていいんでしょう。耳になじみのある曲が続々と登場して、それだけでも親しみやすいし、ラストには脱出劇のサスペンスもある。私もたぶん、最初に触れたミュージカル映画って、コレだったと思います。 で、いきなり何ですが、ジュリー・アンドリュースの髪型、なんか変ですよね(笑)。ギターを抱えた姿など、ひと頃の漫才師みたい(かしまし娘とかちゃっきり娘とか)。しかし実際、彼女の元気いっぱいな様子とも相俟って、とても若く見えます。トラップ家に向かう場面の、ほとんどヤケクソみたいな歌いっぷりと、到着して大邸宅を前に立ち尽くす姿とのギャップが、可愛くも可笑しくって。 その純朴そうな彼女を見ていると、つい、こんなトラップ親父になんかダマされるな~と言いたくなってくる。クリストファー・プラマー、端正な顔立ちに威厳をみなぎらせ、何かとキビシイことばかり言いながら、実際には歌えば上手いしダンスもするし。何だか妙にモテるしなあ。こういうのは絶対、女性の敵だ!と言いたくなる、要するに「男性の敵」なんですけれども。そもそも、ですね、まずこっそり恋人と会う長女が雨にズブ濡れになり、次に、ボートから転落して7人の子供たちとマリアが濡れ鼠になる。と来りゃ、クリストファー・プラマーだって、彼らの仲間に入るには、一度はズブ濡れになって見せる、という「通過儀礼」を経験するべきだと言ってやりたいところ、しかるにこの色男は、「私はすでに“水も滴る”イイ男ですから」と言わんばかりに、水も被らず澄まし顔。まあ、彼までビショビショになったのでは、完全にコメディになっちゃいますけどね。 楽しい歌にダンスを、これでもかと繰り広げつつ、最後に映画に暗雲が漂ってくる、そこがまた良くって。同じ歌が、状況によって、異なる印象で聞こえてくる、ってのが面白いところ、かつ盛り上がるところ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-03-05 08:34:18)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

129.  愚か者の船 《ネタバレ》 ↓クリムゾン・キング様御指摘の点、まさに同感であります。冒頭で「あなたもこの船に乗ってるかも?」などと言われると、一瞬、蛇足に感じ、「どうせ、この船は社会の縮図です、だってんだろ、そんなの見る前から想像つくんだよ!」な~んてことを思っちゃう訳ですが、ラストのセリフを聞いて、ああこりゃ一本取られたナ、と。普通はこの逆ですよね、最初は我々と映画との関係に距離を置き、最後に「うむ我々と無関係ではないわな」と考えさせるお決まりの公式。これを逆にする見事な効果に、一本とられました。しかも、セリフの多い本作において、このラスト前にはしばらく音楽だけが流れるんですよね。憎いぜ。さてこの映画、いわゆる群像劇というやつでしょうが、まるで、緻密に書き込まれた管弦楽曲を演奏するオーケストラを思わせます。オーケストラの各演奏家たちが、ある時は表情豊かにメロディを演奏し、またある時は内声部において楽曲に深みを与えて、万華鏡のごとく色彩を変えながら楽曲は進行していく。そこにおいては、各声部を演奏する演奏家たちの間に調和と矛盾が常に混在しており、そのバランスを指揮者がとることで、推進力が生み出されていく・・・実際には、劇中で奏される音楽以外には、音楽は多用されていない作品ですが、それでも、何か音楽的な印象を受ける映画でありました。ところで、↓へちょちょ様御指摘の、スタジオ撮影の件、これは正直、私もいささか不満に感じております。海の映るシーンでは船の左舷が多く、大抵、背景の海が右から左へと流れていく映像になってます。これもまあ、もしかしたら、時間の流れを表現しようとした意識的な演出なのやも知れませんが、この単調さが、船の空間的拡がり(あるいは空間的狭さ)の感覚を損なってしまっているように思えます。しかも、背景の海と空の映像、一部使い回してるもんだから、違う日なのに同じ形の雲が出てたりするんだもんなあ。気をつけて欲しいゾ(笑)。ま、しかし、そのくらい、敢えて船上の人間模様にこだわった作品と言う事で(船外での本来の人生についても色々語られはするが、抑え気味でやや抽象的)、貴重な映画ではないかと。[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-04-09 23:16:13)(良:2票)

130.  1917 命をかけた伝令 全編ワンカット(風)、とか言ってるけど、途中、主人公が気絶するので、全編ツーカット(風)です。だからどうという訳でもありませんが。 戦争映画というと、どれだけ派手にスペクタクルを演出するか、がキモみたいなところがありますが、本作は比較的その点、抑制されています。むしろ静かなシーンが多いとも言える中、代わりに、打ち捨てられたような無数の死体とか、人間を後目に我が物顔のネズミたちの姿とかが、戦争の恐怖を物語っています。加えて、どこまで続くとも知れぬ塹壕が示す、戦争の巨大さ。 上空からの俯瞰で一気に規模感を示すのも一つの手ではあるのでしょうが、本作では主人公とともにカメラも地を這い続けることで、この映画ならではの規模感を出しています。 はたまた、主人公の移動に伴って画面に登場する、様々な光景。ときには、この近所で本当に凄惨な戦いが繰り広げられているのだろうか、と思わせる牧歌的な平原も登場しますが、それでもドンヨリとした雰囲気が晴れることは無く。 かつてヒッチコックが『ロープ』でカット割りなし映像に挑戦した時は、「いかにカットを割らずに、カットを割ったような効果を上げるか」みたいな、もはや意味不明の努力にハマりこんでいたようなところがありましたが、本作も、サテ、このワンカット風の映像がどこまで効果的なんだろうか、ってな面はあって、しばしば作品の制約にもなってます。例えば、作品に赤ん坊が登場したら、やっぱりカメラがその表情を捉えて欲しい、と思うのが人情ですが、ワンカットの制約下ではそういうこともできないし。 一方で、上述の塹壕の表現などはワンカットならではだし、飛行機の墜落シーンなどもワンカットと(おそらくは)CGとの組み合わせで独特の緊迫感を出しています。 そして何よりも、あの、出撃する大勢の兵士たちが走っていく中を、主人公だけが異なる方向に走り続けるシーンの、印象的なこと。直前までボロボロでヨロヨロだった主人公が一人、周囲を異なるベクトルを持ち、人とぶつかってこけつまろびつ、いやむしろぶつかるたびに走りの力強さを増していくようなその姿。これは、本作の白眉と言ってよいと思います。[映画館(字幕)] 7点(2020-02-22 05:34:51)(良:2票) 《改行有》

131.  ジュラシック・ワールド 私も正直、恐竜大暴れパニック超大作の割には「驚きの乏しい映画」になっちゃってると思います。無難な作品に仕上がっていて、それなりに楽しく、しかし現時点でのシリーズ4作品中、最も意外性が無い。まず前半、少々テンポが悪くて気分が乗らないのですが、「この後きっと事故が起こります」という事をわざわざ説明し過ぎではないかと。クリス・プラットがラプトルを手なずけるシーンなんかは面白いんだから、これで十分。「説明だけの伏線」なんて要らないのです。今回目玉の新種恐竜(インド何とかレックス。名前覚えられずスミマセン)が暴れ始めたら、各登場人物たちの危機が並行して描かれ、テンポも持ち直して盛り上がってきます。1作目の遺跡(?)なども登場させ、これはシリーズのファンへのサービスかも知れませんが、まあちょっとだけ面白かったかな(笑)。それより、恐竜に襲われた主人公が車の下に隠れる場面(あるいは子ども達の乗った乗り物が襲われる場面なども)、1作目をいかにも彷彿とさせるパロディのようなシーンですけど、1作目のあのティラノ最初の襲撃場面の、これでもかという執拗さ、ああいう執拗さがここには無い。1作目は確かにコワイ映画であって、一方のこの4作目はコワくないんです。2作目には破綻寸前のバカバカしさがあり、3作目には冒険とユーモアがあり、ではこの4作目には何があるのか。そういった過去のシリーズ作の良さをちょっとずつ取り入れながら、最新のCG技術を披露してみせた(しかしあまり目新しくはない)、という無難さが、まずは目についてしまう。まあはっきり言ってしまえば、昨年のエドワーズ版『ゴジラ』の後では、こんな大人しい発想の「新種恐竜」や「恐竜バトル」では、驚きようもないんですけどね。ついでに言うと、翼竜の襲撃シーン、群衆パニックを描いて大いに盛り上がる(盛り上げねばならない)場面ですけど、ここも工夫があまり無く、さほど印象を残せていません。こういうシーンを観ると、ヒッチコックの『鳥』なんて、そりゃ特撮面では大いに劣るけど、工夫しまくり考えまくり(ちょっと考え過ぎなくらい)で撮られていたんだなあ、と改めて思ってしまいます。とまあ、イロイロ不満を書いてしまうのですが、これも期待が大きかったから。ジュラシックパークシリーズへの期待というより、恐竜映画そのもの、あるいはパニック映画そのものへの期待値の大きさですね。その大きすぎる期待は、本作において、完全には満たされなくとも、それなりに楽しませてくれてます。寡黙な男前クリス・プラットはカッコいいし、彼を前に変化を遂げるヒロイン(ロン・ハワードの娘ですね)のコミカルさも楽しい。シリーズすべてに子どもが登場するけれど、兄弟の絆の深まりを描いたのは本作だけでしょう。そして何より、改めて「恐竜って、カッコいいなあ」と思わせてくれる、そこがイイではないですか。[映画館(吹替)] 6点(2015-08-23 09:09:51)(良:2票)

132.  男はつらいよ 寅次郎の青春 泉ちゃんシリーズ4部作の掉尾を飾る本作。と言うには、あまりにも物足りない。いやまあ、泉ちゃんシリーズ自体、無理が多かったけど、本作はムリヤリにも程があります。前半の舞台は宮崎県。よもや、後にそのまんま東が知事になるとは、誰も思っていない頃の話。それはどうでもいいんだけど。何だかんだで寅さん・満男・泉を散髪屋のマダムの家に集めてしまう展開が、あまりにも強引かつ不自然、マダムの家がほとんど学生のアパートのごとき溜まり場と化してます。マダムが寅さんに惚れてるだの、いや2人は別れた方はいいだの、浮ついた軽々しいセリフの数々。あっさり宮崎エピソードは幕を閉じ、3人は東京に戻る。前半はいったい、何だったんだ?と言いたくなるんですが、本作のストーリーにおいて、この前半にはどうやら意味が無いわけじゃないらしい。おそらく、・宮崎旅行で有給を使い果たす泉ちゃん→・母が体調を崩したので泉ちゃんは名古屋に帰りたい(しかし母親には彼氏がいたんでは?)→・有給取れないんだったら会社やめま~す ってな感じらしいですね、ははは。大体、泉ちゃんが東京にこだわる理由がさっぱりワカラン、名古屋だって大都市だし、帰ればいいやんか、邪魔な満男とも別れられるしなあ。と思ったら!!! なんと、泉ちゃんが名古屋に向かうクライマックス、彼女と満男は東京駅のホームで、ああ、何と言うことを!! いかんいかん、減点です、減点!!(←怒りすぎ)。4作も引っ張った2人の関係、こんな安直な形でケリをつけるとは。随分と安いドラマでしたなあ。ところで、泉ちゃんが乗る新幹線、乗り込む瞬間の場面は「こだま 新大阪行き」なのに、発車直後のカットでは「ひかり 広島行き」となってますね、これは大チョンボ。発車直後、泉ちゃんはドアの向こうから満男に声をかけるが聞き取れない(このシチュエーションも旧作のパクリだけど)。おおかた、「もしかして私、新幹線乗り間違えちゃった?」とか言ってたんじないんですかねえ(ホームの案内表示によると、彼女が乗るべきは、「ひかり号 博多行き」だったハズなんだけどなあ)。[CS・衛星(邦画)] 5点(2007-01-26 17:09:11)(笑:2票)

133.  脱出(1972) 《ネタバレ》 ストーリーだけを見てしまうと、いまいち煮え切らないサスペンスもどき、というコトになってしまいそうなこの映画、しかし、撮影ロケーションの素晴らしさによって、充分な魅力を放つ作品となってます。観てると何となく、ブアマン監督が「この岩の形が素晴らしい! よしここで撮影だ!」とか嬉しそうに言ってる光景が目に浮かぶよう。「この急流を滑り降りる撮影をしよう! せいぜい岩に頭を打たないように気を付けたまえ!」とか言って4人の俳優の顔が青ざめている光景が目に浮かぶよう。おそらくは実際、過酷な撮影であったのでしょうなあ。ヒゲのないバート・レイノルズに、ヒゲのあるジョン・ヴォイト。野性味あふれるレイノルズに対し、ジョン・ヴォイト演じるエドは、普通の家庭の父親であり、理性的な人間。しかしその彼が、異常な事態の中で、タガが外れていく姿がこの映画では描かれますが、最後には、ダムの底に消えゆく自然とともに、すべての「異常」は水底に葬られることとなり、各々が心なり体なりに傷をかかえつつ、日常に戻っていく。ラスト近くで保安官と交わす会話が印象的なんですが、このイイ味出してる保安官を演じているのが実は原作者というのも、またさらに意味深。また、エドの息子役はブアマン監督の息子ですが、本作の“ダム建設で消えゆく自然”というテーマは、息子ごと『エメラルド・フォレスト』に引き継がれます。父親であるエドのパッとしない態度にご不満の方は、コチラの作品もどうぞ。 ・・・ところでキミは、財津一郎の“キビシーッ”のポーズで死ねるか?[DVD(字幕)] 8点(2011-10-01 16:42:46)(笑:2票)

134.  JAWS/ジョーズ2 さすがに2作目ともなると、ジョーズがウジャウジャ出てきて「今度は戦争だ!」、じゃなかった、ゴメン、他の映画と間違えた。当時はそういう発想は無くって、相変わらずサメが1匹、人を襲うという、それだけの映画。監督も代わって演出の方はサッパリ。それに、ブロディ署長はサメの専門家みたいな口調でやたら偉そうだし、サメが振動に敏感だと言えば、バカの一つ覚えみたいにもうそればっかし。それでも、動物パニック映画に断然興奮してしまう私にとってはそれなりに大事な映画、かも。7点(2003-10-19 00:51:36)(笑:1票) (良:1票)

135.  アマデウス 《ネタバレ》 この映画については以前から気になっている事があります。それはレクイエムの一節Lacrimosa(モーツァルト葬送のシーンで流れます)を作曲したのは誰か、ということです。実際の伝説は以下の通り。「ある日モーツァルトの元へ、レクイエムの作曲を依頼する匿名の手紙がもたらされる。オペラ作曲に多忙のため、その作曲は遅れ、結局レクイエムは未完成のまま、1871年12月5日0時55分、モーツァルトは他界した。書かれていたのはLacrimosaの最初の8小節までであった。後に弟子のジュスマイヤーが補筆完成させた(註1)」。では映画の方はどうでしょうか。レクイエムの匿名の依頼主はサリエリであり、病床に臥すモーツァルトにその作曲を迫る(註2)。サリエリの代筆により、Confutatisの作曲が進められるが、あまりにも高度なその作曲技法はサリエリの理解を超えていた。サリエリの心に激しく渦巻くルサンチマン。しかし、最後にサリエリが知ったのは、モーツァルトもまた一人の弱い人間に過ぎないということであった。翌朝。コンスタンツェが現れ、サリエリが代筆した楽譜を取り上げてしまう。力尽きたモーツァルトは息を引き取る・・・そう、映画の中ではLacrimosaの作曲は描写されない! しかし、もし上記伝説の通りであるならば、後にジュスマイヤーの手に渡った未完の楽譜には、Lacrimosaの8小節が含まれていたことになる(しかもこれらは、サリエリが「代筆」していた訳だ)。この意味するところとは?「Lacrimosa8小節を作曲したのは実はサリエリであり、モーツァルトへのアンビヴァレントな感情が生み出した、凡人サリエリの最高傑作だったのではないか。モーツァルトの間近い死を予感した彼は、持てる力を振り絞り、これを秘かにモーツァルトに贈ったのだ」。そうすると、ラストでの彼の天国的表情にも、別の意味が見い出されるわけです。真相やいかに?(註3)   (註1)レクイエムの実際の作曲状況はもう少し複雑らしい。Lacrimosa以降もジュスマイヤー独力で全てを書けた筈は無いと思います。 (註2)本当の依頼主はヴァルゼック伯爵と言う人。しかし実はサリエリが裏で手を回していたという推理も成り立つ?? (註3)勿論フィクションです念のため。サリエリがモーツァルトを殺したという噂があったのは事実ですが。サリエリの曲は現在でも演奏されてるという事は、付け加えておきましょう。9点(2003-12-19 23:35:00)(良:2票)

136.  座頭市(1989) 決して上手い映画とは言えません。が、「とりあえず上手く見せよう」なんぞと小手先の技術で見栄えだけ取り繕った映画ではなく、多少イビツであってもとにかく大胆に突っ走っていく強引さ、そこに妙味があります。ホレ闇だ、光だと、何やらワカリヤスイ照明テクニック、しかもところどころは撮影に失敗したとしか思えないシーンもあるんですけどね。しかし無愛想なまでのブツ切り感覚の映像、スピード感あふれる殺陣、ミスマッチな音楽、これらとあいまって、何ともアヤシイ魅力をはなっております。内田裕也の最期のシーンなど、まるでトロマ映画を見てるような気分になっちゃう迷シーンでありました・・・。ところで座頭市は本当に強い。どうしたら彼を倒すことができるのか。一対一ではかなわない。さりとて大勢で向かって行っても、座頭市を中心に円形に取り囲むような布陣をとってはいけない。彼が身を翻した瞬間には。彼から等距離に立っている者全員が斬られているのである。結局、私には座頭市攻略法を見つけることはできなかったが、少なくとも、斬られやすい立ち位置には立たないこと、まずはこれが何よりの秘訣であろう。[地上波(字幕)] 7点(2005-05-01 01:16:25)(笑:1票) (良:1票)

137.  世界崩壊の序曲 世界崩壊の序曲と言いますけどね、序曲というよりはアンコールピースのレベルですな。ポセイドン・アドベンチャーとタワーリング・インフェルノを足し合わせて、ついでに大地震風味も加えたような映画。にしたかったのかも知れない。実際、途中ちょっといい感触も無いではなく、スペクタクルの予感(若干)。しかし結局、え~これがクライマックスなの~、と何とも味気ない思いだけが心に刻まれて。4点(2003-11-02 01:22:41)(笑:2票)

138.  リメンバー・ミー(2017) 「あの世」に行ってみたら、そこはズートピアで、やたらとキラキラしていて、ロープウェイなんかもあったりする。 あるいはインサイド・ヘッドのアタマの中みたいな世界。 そういう過去のCGアニメーションと似たところがありつつも、決して二番煎じになっていないんですね。『ズートピア』みたいなサービスの行き届いた作品はそう簡単には現れないだろう、とか思ってると、こうやって勝るとも劣らぬ作品が早々に登場してくる、この驚き。 それどころか、テーマはますます切実になってきて、娯楽作品ながら我々をしっかりとシメ上げてくれます。昔、『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』なんていうタイトルの映画があって、内容とは別にタイトル聞いただけで泣きそうになっちゃうのですが(笑)、本作、真っ向からそのツボを突いてきます。他人から忘れられる、という残酷な現実。寂しいよね。そこには悪意すらも介在しておらず、しかも誰もにとって多かれ少なかれ避けがたい運命である、ってのがまた、残酷なんです。自分が周囲の人々からちゃんと認知されている、忘れ去られないでいる、という人間存在の根幹が、いかに不確かで果敢無いものであることか。本作を子供と一緒に観ながら、なんとなく自分と子供とを繋いでいる関係すらもが、何だかクモの糸のごとき頼りないもののように思えてまいります。 本作の主人公は、少年であるが故に、視線は常に未来に向かっており、過去というものもあくまで未来へと繋がるためのものとして捉えている。だから、過去の中に閉ざされてしまった人物であるヘクターとの関係は最初、まったく噛み合わないものになってて。 で、その後の展開については、ネタバレになるので迂闊な事は書けませんが、第一級のミステリ作品と言ってよいほど伏線のピースが次から次にハマるべき箇所にハマっていって、気味が悪くなる位によくデキたお話でして(笑)。もちろんアクションにも事欠かず、それが骸骨ネタなどの死者の世界ならではのものになっているのが楽しかったり。 で、楽しいんだけど、やっぱ泣けるのよね。 楽しくまとめてるけど、やっぱ、残酷なのよ。 ツラいのよ。[映画館(吹替)] 10点(2018-03-27 23:08:25)(良:2票) 《改行有》

139.  世界侵略:ロサンゼルス決戦 《ネタバレ》 この程度の戦略と軍事力で他の星を侵略しようなんて、百年早いと思いますよ。勿論「この程度」のお陰で、米軍の通常火器と五分五分のいい勝負になっちゃう訳ですけれども(日本の自衛隊は、宇宙人の侵略から日本を守るための軍隊であれば、憲法違反ではない。らしい)。最新兵器による市街戦を描きたい、でもこの今の時代、明確な敵国は設定しづらい、そうだ今の軍事力をもってすりゃ宇宙人とだって戦えるぜ、宇宙人ならいくらぶっ殺したっていいしな、ってな感じ。でもでも。ロメロは“ゾンビ”と称して、人間を虐殺する映画を作ったし、『ブラックホーク・ダウン』だって虐殺を描いて見せ、そこには何とも言えぬ苦みがあった。宇宙人だからいくら殺したってイイだろ、ってのは実に甘いし、ましてその宇宙人との戦闘がこんな「いい勝負」だなんて、実にヌルいと思います。それにこの映画、驚く程にサスペンスが欠落しているんですが、ワザとやってるんですかね(だとすれば欠落ではなく排除だが)。でもサスペンス無しで、そこに一体何がありますかね。戦闘のリアルさ? リアルな戦争とは、映画みたいにサスペンスに満ちたもんじゃなく、面白おかしいもんじゃなくて……こんなダラダラと単調で退屈なもんだとでも言いたいんでしょうか?リアルなんだからガマンしなさいってか? 局地的な地上戦を徹底して描き、戦局全体を敢えて描かないことで、臨場感を演出しようというのが狙いかも知れないけれど、だから空間軸が不明確なのは狙い通りかも知れないけれど、時間軸まで不明確になっちゃってるのは、もうこれはテキトーとしか言いようがない(バスに乗り込むシーンの描写の適当な端折り方)。一体何が描きたいのか、そもそも何か描きたいことが、あるのか? あとそもそもこの映画って「リアル」なのか? 質より量のCG乱れ撃ち。UFOが出てきて「制空権を奪われた」と嘆いている能天気さに苦笑しちゃうし、宇宙人の弱点を探るのに獣医さんがノリノリで登場するのにも笑っちゃう。ラストの「司令船ぶっ壊して一発逆転」に至っては、これはもう完全にマンガ、リアルどころか、懐かしいノリにむしろホロリと来ちゃう。いや、題材的にはキライじゃないんです。五分五分の軍事力にしたいんならそれでもいいんです。ただ、それだったらせめて、敵に取り囲まれろ、籠城しろ、そして夜になって暗闇と闘ってみろ、と。 要するに、もっとサスペンスを!![ブルーレイ(字幕)] 2点(2012-05-01 18:36:04)(良:2票)

140.  マッキー 荒唐無稽の極みのアホらしい設定ですが、それなりにヒドい事もしてて、ちょっとしたホラーかも(?)。 悪いヤツに命を奪われた主人公が、愛する女性を守るべく、転生するのだけど、よりによって生まれ変わった生き物ってのが、ハエ。 と言うと、「何だ、蝿人間の話か」と思うところですが、さにあらず。何と、本当にただの蝿として生まれ変わってしまう。だもんで、そこからの主人公はセリフ無し。CGで描かれる仕草のみ。 さすがにちょっと、アイデア倒れというか、キビしいものが無いでは無いのですが、それでもこの設定の枠内で可能な最善の作品には仕上がってるんじゃないでしょうか。ハエの仕草で物語を描写するという、サイレント映画でもまだ誰もやったことのない世界。 見ていると、色々と伏線が張られていたことに気付きます。伏線というのもこれ見よがしにやってしまうと白けるもんですが、本作では、後に伏線となるモチーフの初出のシーンが、それ自体印象的な描写として映画の中で機能しているので、イヤミになっておらず、効果的で良かったです。[インターネット(字幕)] 7点(2022-02-19 21:57:25)(良:2票) 《改行有》


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