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プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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1.  アメリカン・スプレンダー 《ネタバレ》 ジアマッティがいい!いつも怒ってる目、最高! 目が怒ったまま、口をゆがめて笑ってもヤなヤツに見えないという、すごい技術である。 怒ってる目には違いないのだが、5%くらい困ってる目が入っているので、ヤなヤツに見えないのではないだろうか。 病院の事務勤めを続けながらマンガの原作で有名になったというハービー・ピーカーだが、私は郵便局勤めを続けながら細々と執筆活動をしていたチャールズ・ブコウスキーと似ているなあと思っちゃった。 どっちもはみだし者だけど本当はインテリで、世の中の自分に対する扱いが不当なんじゃないかとずっと思っているけれど、犯罪に走るとか他人に絡むとかしないで、もくもくと生活費を稼ぎながらその傍ら芸術活動を続けるという…似たタイプですよね。私はこういう堅実な人ってけっこう好きです。 この作品はマンガや吹き出しを映像とミックスさせたり、ハービー本人を出したりナレーションもさせるなど、いろいろ工夫に富んでいます。 私はもう、ジアマッティの怒り目を見ているだけで眼福な気分なもので、とても楽しく見ました。 特に好きなのは、クラムとの絡み部分ですね。クールなクラムに対し、怒っているうえ困っているハービーのコンビがすごくいい。 前半は笑えて面白かったのだが、ガン発覚以降人生万歳的なラストまでは、ほのぼのし過ぎているように私には思えて残念だった。ハービーのような人は、毒があってこそ、でしょう。この作品は、前半が面白い。 あと、難をいえばハービー本人を出しすぎたのではないか。 私はどっちかというと本人よりもジアマッティの演じるハービーのほうを長く見ていたかったのに、欲求不満な感じがしてしまう。ジアマッティはスクリーンの中で観客を満足させるための技術をもつプロなのだが、本人は別にそういうわけではないので露出時間が長いと「もたない」感じがする。 本人はナレーションとTV出演のみに絞っても良かったのでは。なんというか、「歌まねご本人と一緒」で本人が長く写ってしまうと「ありがたみ」が感じられなくなるというようなものだ。 ともあれ、おすすめの一品。ジアマッティ最高。[地上波(字幕)] 9点(2010-09-14 22:19:57)《改行有》

2.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 評判どおりの、よくできた映画だった。 サリエリは老けメイクが変だったが、回想場面ではキリッとした紳士面で「嫌らしさ」「人間くささ」を見事に演じ切り、爽快。モーツァルトは他の役者でも良かったように思うが、オペラを指揮している時は、可愛くて好きだ。コンスタンツェは美化しすぎ。 さて世の中は、「天才」と「天才ではないが天才を見抜く能力を持つ者」と「そのどちらでもない者」に分かれる。その割合はきっと、1:10:10000(変?)くらいなのだろうが、どこに入る人が一番苦しい人生を送るかというと、真ん中の人だ。 誰もが「サリエリ」かというと、全然そうではなくて、「サリエリ」になるのも大変なのである。「自分はサリエリだ」と思うのは、概ね勘違いだ。 私は、映画「アマデウス」において、サリエリ本人が思うほど、サリエリは劣っていなかったのではないか、と思っている(音楽的根拠はない)。 というのは、サリエリは、田舎者から成り上がって、皇帝のお気に入りの宮廷作曲家にまでなった男。よろしく立ち回るのが得意だったとはいえ、無能の人間にできることではない。 サリエリは、モーツァルトと出会ってその才能に打ちのめされ、「必要以上に己の才能を卑下」してしまったのだと思う。「自滅」である。あくまで映画の中のサリエリについての解釈だ。 「憎しみ」と「愛情」は近距離にあり、「愛情」の反対は「無関心」だ。サリエリは、モーツァルトを無視することすらできない。スパイを投入するほど、彼に関心があって仕方ない。これが「愛」でなくてなんであろう。滑稽である。そして悲しい。 「報酬には代償が必要である」とは、サリエリが経験から学んだ(と思っていた)玉条だったが、「代償」に対し「報酬」を期待するのは、相手が神様である場合に限っては、間違いなのである。 そしてサリエリの意地悪が無かったとしても、生きているうちにモーツァルトが認められることは無かったと思う。天才によくあるように、社会人としては行動が破綻しているからだ。モーツァルトが野たれ死ぬのは、自然の流れだった。でも、意地悪をしたサリエリには、「罪」の意識が残った。…本当は神様への一打にすらなってなく、すべてはサリエリの一人芝居、空回りであったようにも思う。 もうひとつ、人間性と、その人が作ったアートとの間には、関係がないことも、この映画は良く教える。[DVD(字幕)] 9点(2007-04-21 14:42:17)(良:3票) 《改行有》

3.  UPRISING アップライジング<TVM> 《ネタバレ》 興行的な成功をあんまり考えない作品だと思うので、どこがどうだったとか、役者がどうだったとかいうことでなく、これを見た日本人が何を思い、何を教訓とするべきか個人的に一つの回答を述べたい。私が強く感じたのは「あまりにも都市化された民族の悲劇」であって、「都市化」とは養老孟司言うところの「脳化」のことである。詳しくは「バカの壁」を参照されたい。養老はぼけてきて何言ってるのかわからない部分が多いが、この点については鋭い指摘であるなあと思う。ユダヤ人は、歴史的ないろいろな事情により、「都市」に住み、「脳化」された職業につきがちで、意識的に財産を可動式に貯えてきたために、侵略側にとってみれば、「移動させやすい民族」であったのだ。侵略側にとってみれば、彼らを移動させても食料の収益が減るでもなく、何ら困ることはないわけだ。養老はこのことを、「ベトナム戦争」や「成田闘争」と比較して語っており、「なぜユダヤ人はかくも簡単に殺されたのか」と言っている。「土地に根付かない民」の不幸である。もっと言えば、「農業」や「畜産業」を行う民にくらべて、「脳化」された職業を生業とすることが、いかに侵略に弱いかということである。ユダヤ人の悲劇は、日本人が農業を捨てない限りは、他民族に侵略されても戦えるのかもしれない、という教訓を残す。またライフライン、交通および通信にかかわる職業を、外国人に明け渡さないこと(この映画でもそういった職業のポーランド人の協力が不可欠であったように)も危機管理上重要である。(櫻井よしこみたいになってきたが) ジョンボイトは「オデッサファイル」で元ナチの将校に復讐し、「アップライジング」ではまさにその敵役を演じたわけで、俳優として実にあっぱれな態度と言える。彼はドイツ人として成すべきことを成したということであろう。[DVD(字幕)] 9点(2006-01-02 15:17:54)《改行有》

4.  “アイデンティティー” 《ネタバレ》 うん面白かった。2回目はメモを取りながら詰めてみたが、解明できたとはいいきれない。 死体のそばにあるルームナンバーは人格のできた順番なのか?しかし、2~5が表示されていない。死ぬ順番には、人格の重要性が関係あるのか?あるようなないような。4人の女性人格のうち、ジニーはブロンドであるから、(彼の母はHAIR Br, EYES Br)母の投影された人格ではなくマルコム自身のおびえる女性人格であり、おそらくルーの暴力にさらされていながら離れられない。マルコムを殴っていたのは父であるから、ルーは父であるのだが、「妊娠はウソ」であったため、父親になることをマルコムから否定されている。他の3人の女性は母キャリーの人格が分かれたものであるが、ティミーは3人の母を殺していることになる。アリスは「慈愛あふれる母」人格だが、冒頭から昏睡状態のため「慈愛」をあらわすことができない状態にされたまま死ぬ。キャロライン(女優)は「売春」と「慈愛」をを排除した残りの母の人格というべきであり、「ヒステリーでわがままでみえっぱり」とされている。パリスは実在の母からキャロライン的な部分を除いた「売春婦」の象徴である。すると、「父」が登場していないのだ。ジョージは「継父」であるから、マルコムにとっての「父」足りえない。私は「エド」こそマルコムの思い描く「父」であったと考えるのだが。深読みしすぎ?ともあれ楽しめる作品です。ジョーンキューザックへの不満ははひとまず置いておこう。[DVD(字幕)] 9点(2005-11-23 12:48:26)(良:3票) 《改行有》

5.  アダプテーション 《ネタバレ》 ダメ男をやらせたらニコラス・ケイジの右に出るものはいないと認めます。最初のほうでスタジオの隅に座って、通りがかるスタッフにアピールしている場面、私は感動した。そんなところに感動しても…なのだがとにかく言葉で言えないすばらしさ。いやこの場合は情けなさ全開。 でケイジは全身全霊で情けないし、ドナルドを設定したことで、ドナルドがボケてチャーリーが突っ込むという安定した面白さが出ている。 そうせっかく出ていたのだが、実はカウフマンにとってそれは「くすぐり」でしかなく、ラストのドタバタですべてを台無しにして…「どうだ」と得意がっているんだよなあ。 私はその「くすぐり」がなかったら最後まで見る気がしなかったと思うし、そっちのほうをメインにするべきだとさえ思うのですが、頭の良さをひけらかしたい彼にとってはそれは単に「くすぐり」。 とにかくニコラス・ケイジの情けなさに感動しておこう。せっかくケイジががんばっているのに、花なんかどうでもいいってことを言うためにそんなに尺を使うことはないじゃあないかカウフマンよ。 追:その後何度も見るうちにアメリアとの関係は妄想ではないかと思い始めた。[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-01-16 16:56:06)《改行有》

6.  阿弥陀堂だより 《ネタバレ》 映画が料理だとすると、ここに使われた食材はすべてもともとが「生」「死」「癒し」なのである。「他のものが一切入っていない料理」という、ある意味珍品といえるかも、のメニュー。例えば、「憎しみ」「妬み」「嘘」「偽善」「怠慢」などはこの映画のどこを探しても出てこないでしょう。 ということで「いい人しか出てこない」というより、「3つの要素だけで作ってある」なのだ。 「仕事」というのは「他人の要求に応えることである」と言ったのは橋本治。そして、「他人の要求に応えすぎる」と、人は「消耗」する。たとえ他人の死を見取りすぎたという特殊な職業下でなくたって、「他人の要求に応えすぎる」のは不健康なことで、職業としてであっても「消耗」は避けられない。私はそれが身にしみてわかる。美智子先生の置かれた状況がよーーくわかる。 村に着いても、最初は発作も起こして「これで診察できるのかいな」という頼りなげだった美智子先生が、次第にキャリアウーマンぶりを取り戻してバリバリになっていくのがおもしろい。比べてダンナのほうは一貫して同じペース。いいかげん寺尾は見飽きたけれど、孝夫役は彼でなければならなかったというのはうなずける。 さてこの村の人々がいたずらに死を恐れず穏やかに生きているのは、梅さんの存在ゆえである。 死んだ経験のある人は誰もいないので皆「死」が怖いのだけれど、「限りなく死に近いところに生きる梅さん」の存在によって、人々の「死の恐怖」は緩和されることになる。昔の船旅に不可触の人柱を乗せたように、梅さんは「不吉なもの(死穢)を全部引き受けてくれる」身代わりのような存在だ。 よくできたシステムだと思うが、このような存在は昔は賤しまれていたのではないかと考えるのが妥当だ。最も卑なる聖=アンタッチャブル=有形無形に疎外(隔離)する、というのが日本の文化だ。 映画ではそんなことはみじんも描かれないが、私は「梅さん=アンタッチャブル」という意識で見たほうがいいと思う。それで初めて「なぜ一人であんな便所もないところに住んでいるのか」「なぜ家族の訪問が無いのか」「人が死んだ時しか村人が訪れないのはなぜ」などの疑問が解ける。 偉すぎるニョーボの亭主であるというのも実は努力と技術が居るのでバカにしたもんではなく、どんな男でもなれるというものではありませんね。たまにはこんな珍品も、の一作。[CS・衛星(邦画)] 8点(2008-06-30 13:48:28)(良:1票) 《改行有》

7.  アルフィー(2004) 《ネタバレ》 リメイクらしいけれども。御本家のことは全く知らない。 己のルックスに激しく自信のあるアルフィーくんが、〝女は顔と体〟と割り切って遊んでいたところ、あるときを境にすべての女からNOを食らって、ハタと己の人生を見つめなおす。というお話です。 私はアルフィーの話というのは、特別かっこよくて遊んでいる男の人に対する警告ではなくて、ほとんどすべての男性に向けたものなのだと思うのです。 「何を言う、俺は小谷野敦も真っ青のもてない男だ。アルフィーとは何の共通点もない」とおっしゃるなかれ。結婚相談所に来るような男性でも、アルフィーはちゃんと飼っています。要するに男の人は、女性がクモの巣を張って自分をターゲットにしていると感じると、本能的に逃げ出したくなるようにできている。教則本〝ルールズ〟はその点では全くもって正しい。 たぶんアルフィーというのは、何万人に1人のプレイボーイなどではなくて、フツウの男の人の中にも少しずつ住んでいる普遍的な存在だと私は思う。アルフィー含有率には個人差がある、というだけのことでしょう。 映画の主人公アルフィーはそれが度を越している男で、その原因は母親の愛情に恵まれなかったことにあるということになっているらしい。が、くどいようだが男性の方は、みんな間違いなくアルフィーを飼っている。〝特定のもてる男〟の遠いお話、という鑑賞法は違うと思います。 恥ずかしながら私は昔、何度もアルフィー化した男性にふられたことがありますが、その中でも最もアルフィーだった男性と、2番目にアルフィーだった男性および全くアルフィーぽい容姿でないけれどどたんばで逃げた男性までもが、皆幸せに結婚したと聞いています。だからというわけでもないが、映画アルフィーのような悲惨な結果になるというケースは少ないのではないかという気もする。ということで、映画のアルフィーが女たちに総スカンを食らっている状況は個人的にちょっと気分がよくなるのでした。 ジュード・ローといえば女を口説いているところしか思い出せない、という彼は、アルフィー役にぴったりだったといえます。若さを保つのがギリギリのところの年代であったことも、はまっていたと思う。[DVD(字幕)] 8点(2006-11-18 21:56:45)《改行有》

8.  アガサ・クリスティー/謎の失踪 失われた記憶<TVM> 《ネタバレ》 これはけっこう拾い物と思う。 老女となってインタビューを受けるアガサ、発見後に催眠療法を受けているアガサ、失踪したアガサを捜索中の警視、さらにそれぞれの回想シーンと、まったく手の込んだ語り口で、複数の主体と時間軸で話を進める割には混乱もなくすんなり見られるのは見せ方やつなぎがうまいからであろう。まるでタペストリーのようだが完成されていてなんか手品のようだ。 アガサ・クリスティー、決してこんな美人ではなかったはずだ。なぜならこれだけ見た目が良ければ男がほっとくはずはなく、じっとり家で小説を書く暇なんてあるわけがない。だいたい書いたものを見るに人を見る目がシビアで意地悪。本人が美女ならこうはなるまい。 そういう意味では美人の俳優さんの起用によりアガサの人生が激しく水増しされているといえよう。 催眠療法によって徐々に彼女の心が解き明かされていくというなんとも興味をそそられる展開。あのギョロ目の怖いおっさんは一体なんなのか、という好奇心。もうぐいぐいひっぱられていきますね。こういうのに弱いんです。 ギョロ目のおっさんの正体については最後まで明かされないのだが。アーチーが階段を登って来たシーンにかぶせたところから考えるに、べつにビューティフルマインドのナッシュの見たような幻覚ではなく、「不吉な予感」を視覚化したもののように思いますが。 これだけお膳立てして気をもたせておいて、蓋を開けてみたら旦那が浮気して離婚を迫られた、というだけのことだったんですか、それがちょっとなあ。もっと突飛な解釈に走ってもよかったのではと思う。最後の方がバタバタしておざなりな感じがするのも惜しい。 でも全体としては隠れた名品と思います。[DVD(字幕)] 8点(2006-09-26 22:20:29)《改行有》

9.  アンダーワールド/エボリューション 《ネタバレ》 「1」よりいいぞ。 驚くとともにワイズマンを少し見直す気持ちになった。 これだけの要素(ストーリー性、アクション性、CGと実写やミニチュアを組み合わせた映像性、キャスティングの妙、アイディア)をあの若さでなぜ出せるのか。キューブリックのような奇人変人でなさそうだから、つまりこういうことではないだろうか。 彼自身は特定の分野に秀でたオタクではなく、作品のイメージとか許容点におけるジャッジを下す役割に徹する。それから、「求める答えを知っていそうな人間、求めるものを作れそうな人間」を嗅ぎ分ける嗅覚に優れている。それから、「こういうふうしたいんだけどどうしたらいいかな」といって、あとはその人間に任す。そして、おそらくは「褒める」技術に優れている。(ライカンのスーツ製作者が、「前回のも監督は大変喜んでくれた」という言い方に現れてると思う。) 「任す」に徹した場合、ソダーバーグの「アウトオブサイト」のような失敗も有り得るが、ワイズマンの場合は「イメージを伝える技術」と「相手の気を損ねずダメ出しする技術」にも優れているのだろう。映画の監督さんには色々なタイプがあると思うが、これまでの数々の名作における「監督だけが突出した天才で映画はひたすら自分印」という固定観念に当てはまらない新しいタイプの監督さんではないだろうか。 前作同様キャスティングもすばらしい。前作ビル・ナイの次はデレク・ジャコビを出してくるという、いったいどういうコネがあるのか感心する。 普通なら「1」の成功によりマーカスにはハリウッドの有名どころをもってくるところだが、ワイズマンが蹴ったのだろう。ヨーロッパの俳優にこだわったところが正解である。。「1」では誰もが疑問視したケイト・ベッキンセールの起用も、このお人形さんのようにカンペキな容貌=人間離れを求めてであったのだな、と納得。(シワ、たるみ、しみや吹き出物があってはならないですね。) 映像も申し分ないが、ご都合なところが一箇所、ウィリアムの牢獄にコルビナスの部下を連れて行く必要があるのか?と思っていたら、死んだあと変身させてもうひとバトルさせるためだったのか、強引だな。もうひとつ難を言えば、鑑賞中「3を作ることは決定的だから、主役の2人が死ぬことは有り得ないよな」という確信を抱いてしまうこと。ううむ。[DVD(字幕)] 8点(2006-09-17 15:02:26)《改行有》

10.  愛は危険な香り これ好きだったんです。もはや埋もれた作品となり果てていることが悲しい。なんでかなあ。カントクが有名じゃないからかな。ともあれ、これはシワひとつないプリプリイケイケ時代のダイアンレインを最も魅力的に撮った映画といえましょう。ショウウィンドーのデコレーターであるダイアンが、自分から精力的に仕事を売り込むうえに、毎回毎回、セクシーでビューティフルなデコレーションを作ってしまう。→ヒロインは「都会に住む自覚的な現代女性」であるところがよいですね。ま、このままいくと、堂々の負け犬へ進みそうだが。そしてまた、体力仕事であるにもかかわらず、ハミ乳すれすれなセクシー衣装で仕事に励んだりする。そんなカッコしているからバスの中で痴漢にあうんだよー。衣装もヘアスタイルもとっかえひっかえ、ダイアンの都会的な魅力をこれでもかと見せまくります。それでまた、住んでる部屋がカッコいいことといったら。とんでもなく広いワンルーム。そんでワードローブがダーッと並べてあってその中に何気にバスタブもあるし!この部屋にあこがれましたよ。日本人のOLで、こういうところに住むには年収どのくらいあればいいワケ。このころ自分は20㎡くらいのところに住んでたし。誰がなんと言おうとやっぱり日本は貧乏だ、と思った瞬間です。女性の一人暮しの描き方も、リアルでした。ほら、セキュリティに外敵の危険を感じた時って、なぜか急にふだんは放ってある掃除とか家事に精を出したりするじゃない?経験あるしよくわかる。これって女の本能なのか、洋の東西を問わなかったのね。これまた、ちまちまと掃除機なんてかけないで、コンクリの床にザーッと水を流してモップでごしごし。カッコいいね。たぶん、男の子も映画の中の主人公の生活スタイルに自分の理想を見つけると思うけど、私の場合はこれなんか強烈でしたね。そんであの猿顔のボーイフレンド。それはないでしょうよ。これだけおしゃれな人生なのにい。しかもブリーフをはくな、白いブリーフをー!(確か白だったと記憶している)あの猿顔としょぼいストーリーは無視して、おしゃれでアートな雰囲気を楽しむ映画です。女性の方必見です。ダイアン・レインは女性に支持されるという稀有な魅力をもつ女優さんです。[ビデオ(字幕)] 8点(2006-03-02 21:18:27)

11.  アポロ13 このときビニール袋に入れた糞便を捨てられなくて、それらの物体がクルーたちのまわりを舞っていたということですが、想像するだけで「おぞ」でございます。しかしそんなことにもめげず、各人の極限まで能力を使い切って、生還したことがすばらしいと思います。いいときは誰だってうまくやれるんだから、ダメになったときにどうするか、考えさせられる作品です。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-12-25 23:19:23)

12.  アルタード・ステーツ/未知への挑戦 《ネタバレ》 CSで放送があったので、20数年ぶりに見てみる。 …ウィリアム・ハートがエロい。こんなにエロかったかなあ。 今ではオヤジ化が進んで美青年の面影ゼロであるが、当時はエロかった。 カレの最大の武器は口角がキュッと上に上がる小さな口だったのだが、その武器をフルに使ってイヤらしさ全開。主役をゲットしたのね。 そして、惜しみなく脱ぎまくる。もう、共演の女優なんかかすむどころか引き立て役にしか見えないというほどの脱ぎっぷり(それに女優がブスだし)。 西洋では、男性は尻を見せてはいけないのだが、そんなことはおかまいなし。 さすがだハートよ。 あっ内容はどんなだったかなあ。ヤバい(2001年宇宙の旅+エクソシスト÷2+ダリの絵画かな)。 真理を追究してマジになっているくせに、すかさずいっつもセックスしているところが、何かに似ている。村上春樹(の小説)だ。 ※エディが用いた原住民経由の薬物は乾燥ペヨーテ(サボテンの一種)と思われる。 ちなみに故中島らもは日本製のペヨーテ鉢を買い求め乾燥させて食したが、幻覚は見なかったという。味は大変マズいらしい。詳細はドラッグエッセイ集「アマニタ・パンセリナ」。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-12-24 00:02:57)《改行有》

13.  アニバーサリーの夜に 《ネタバレ》 いやこれ、秀作です拾い物です。このころはちゃんと可愛かったジェニファー、とてもきれいです。しかし男の趣味が悪い。なんなのこのダンナは。「頼りがい」というものが果てしなくゼロに近いこのアランカミング。どうみてもゲイ風のルックスなのに。お気に入りのパーカーポージーも出てるし。味があるよ。子供が欲しくないってのは、実話なのかな?そんなことを、ぎゃーぎゃー泣きわめきながらでないと言えないところが、微妙に狂ってる。日本ではありえない金持ちの家のパーティー、しかも何気にしょっぱい雰囲気、たまにはよいです。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-12-16 20:45:53)

14.  愛してる、愛してない...(2002) 《ネタバレ》 面白かった。「危険な情事」のフランス版?池田理代子の漫画でこういう短編があったな。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-11-23 18:22:13)

15.  アンナと王様 《ネタバレ》 チョウユンファが出ているとついつい点が甘くなります。出ているんですよー、フェロモンが。 しかしユンファ好きというのは恥ずかしくてつい隠してしまうもので、この作品を見た人に「デブだし全然ダメー」と言われて「そうですよねー」とうなずいてしまう悲しさ。隠れユンファ。 王様よかったなー。これはユンファでないと成立しませんでしたね。この王様って、タイではいまでも神様のように尊敬されているって。この時代に植民地化を免れたのは奇跡とユンファの努力なのですね。相手がジョディだったので、へんなジェラシーも全く感じませんでした。ユンファは老けないようにがんばってこれからもフェロモンふりまいてほしいです。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-11-15 21:10:59)《改行有》

16.  アニー・ホール 《ネタバレ》 ウッディアレンではやっぱりこれが一番よかった。ウッディ出演作は、見ているうちに彼のルックスがかっこわるいということを「忘れた」状態になってしまうのが不思議だ。なんでしょう、この感じ。催眠術か手品にも似ている。ダイアンキートンは「美人」じゃないけどすごくよい。ウッディが惚れるのも納得できるなあ。こんなに言葉の多い映画(たけしと反対をいく)なのに、どうもダイアンの服装だけがいちばん印象に残っている。ミアよりダイアンだよ、やっぱり。[DVD(字幕)] 8点(2005-11-09 21:23:34)

17.  悪魔を憐れむ歌 《ネタバレ》 アイディアよし。今思えば、それってマトリックスのスミス感あり。こっちが先ですね。 デンゼル出演作の中ではよくできましたと言える。これ好きですね。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-11-07 21:00:01)《改行有》

18.  アザーズ 《ネタバレ》 このころはまだニコールを見飽きていなかった時代。 パクリといわれたが立派に成立していると思う。個人的には、パクリじゃなくて、たまたまだったんじゃないかと思っている。丁寧で美しい映像。この作品のニコールはいけている。植民地の支配層婦人の心意気がよく描かれている。主婦といえども有事の際には、迷うことなく銃を手に。ラストの種明かしもスタイリッシュ。楽しめた。[ビデオ(字幕)] 8点(2005-11-02 21:22:59)《改行有》

19.  アグネス 《ネタバレ》 ジェーン・フォンダが出ていれば、それはおおむね駄作ではない。 美人で知的で金持ちの生まれなのに、なぜかこきおろす気にならない。 私はジェーン・フォンダ好きなんだよなあ。 プライベートで話すときはまるで大学教授のような話しかたをするし、セクシーなアメリカ人女性なのにインテリという変り種。シャロン・ストーンもそうだけど。 さて、「相手の男はいったい誰なのか」という興味だけで1時間半引っ張ったあげく「不明」というふざけた回答の本作だが、やっぱり「不明」にするしかなかったかもなあ。 「不明の男」は修道院近辺をうろついて歌を歌って注意を引き付け、秘密の通路から納屋に現れたアグネスをレイプした。なんだそりゃ。 …これは、シスター・ポールに仕組まれたということですね。シスター・ポールも生前にその男を見たとアグネスは言っている。 50年間修道院で過ごしたシスター・ポールは、80過ぎて自分の死が近づき、哀れなアグネスを修道院に埋もれさせたくないと思ったのだ。 秘密の通路をアグネスに教えたのは、シスター・ポール。死の床で、アグネスだけに分かる何かをつぶやいたのは、「不明の男」との密会を導く合図だったに違いない。 シスター・ポールは、生前に「不明の男」と何らかの接触をし、アグネスを誘惑するよう頼んだのだ。 死にかけた尼さんのくせになんでそんなことを、と誰もが思うだろうが、死にかけた尼さんだから、荒療治を用いても、アグネスを修道院から出したかったのだ…と私は思う。 しかし、シスター・ポールの善意は思わぬ悲劇へ発展し、妊娠と子殺しを招き、そして結局アグネスは死んだ、のだと思う。そんな感じのラストだった。 すべての原因であるシスター・ポールは死んでいる。相手の男は不明。子殺しをしたアグネスは知的障害。 さて、誰を責めたらいいのでしょうか。責める相手が居ませんよね…という話。 佳作だと思うが、教会への配慮から、色々な意味で遠慮がちな作品になってしまっていると思う。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-01-29 23:57:42)《改行有》

20.  ありふれた愛のストーリー 《ネタバレ》 ちょっと変わったお話です。 …本当をいうと、かなり違和感を感じる話です。 39歳のバツイチ子持ち女を中心に、男女関係のあれこれを描いています。 私はかなり考えました。…いったい何が言いたいのかと。 「Aの子供なら中絶するけれど、Bの子供ならこちらから迫ってでも産む」というわけです。AやBには特定の男性の名前が入るのです。 このへん、とうてい誰にでも共感できるなどというレベルの話ではありません。 そして、私はマリーと同じ女ですけれど、妊娠したことがないのでその気持ちが〝アリ〟なのかどうかすら判定できない。 まあこういうことです。マリーは若い頃に離婚したジョルジュとの間に16歳の息子がいて同居しているが、あと2年もすれば彼は巣立って出て行く。そうなると淋しくなるに違いないので不安になり、大人のつきあいのセルジュに腹を決めさせようと妊娠してみた。しかし、妊娠してみたら、実は自分はセルジュの子供を産みたくないということがわかった。で、中絶しセルジュとも別れた。そこにたまたま前夫のジョルジュが現れ、同棲中の若い彼女がいることを知りながら積極的に迫り、避妊をしないでヤリまくって見事妊娠する。しかし結局若い彼女に負け、ジョルジュに捨てられるが、子供をゲットしたマリーには男は不要で、再びシングルマザー生活へ…。 なんかこう、ドロドロした話ですがたいへんドライに描かれているのでかえってコワい感じがしますね。 見終えた結論は、何度止めても自殺してしまった友人も含めて、「生死は本人に決定権があり、誰にも奪えない」ちゅーことなんでしょうかね。その場合、胎児については母体に決定権がある、ということですね。これはもう、キリスト教とは全然関係ないところの話です。まあアメリカの一部の地域では上映できないでしょう。 …不思議な作品です。殺伐とした洗練、または〝ブキミ〟というのが合っています。私はマリーみたいな女性とは友達になりたくないです。ブキミだから。[地上波(字幕)] 7点(2010-08-27 21:39:38)《改行有》

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