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プロフィール
コメント数 3874
性別 男性
年齢 53歳

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1.  三人の名付親 スリー・ゴッドファーザーズです。『ゴッドファーザー』の3作目ではないんです。どっちかっていうと、『三悪人』ふたたび、ってトコですかね。この映画にも3人の悪人、銀行強盗が登場して、誰かを守る。誰かと言っても、今回の作品では、聖書における東方の三博士との関係が明確ですね。で、この、とりあえず聖書の導きに従うという感覚は、ワタシのような不信心者にはよくわからんところではあるのですけれど、3人の素朴なキャラと合わせて、この作品が一種の「おとぎ話」となっているところ、でもあるかと思います。札付きのワルである3人の男たち、保安官に追われ、砂漠の真ん中で水も尽き、しかしひょんなことから任された赤ん坊をひたすら守る。ある男は、助産師として赤ん坊の誕生を助ける。ある男はイイ声で子守唄を聞かせる。いさかいが起きても子はかすがい、拳銃片手に赤ん坊をあやし、また3人は団結する。そして3人は互いにいたわりつつも赤ん坊を守り続ける。自分たちにあらぬ罪まで着せられようとしていることも知らず、守り続ける。もはや3人の目的は逃亡でも生き延びることでもなく、赤ん坊を守ること。3人の名前を背負った赤ん坊は、3人が生きた証でもあるから。絶望的な行脚の果てに、やがて保安官の追跡の手が迫る・・・。と言う訳ですが、保安官の人物造形がこれまた、3人に劣らず魅力的。そんでもって、映画は最後に「アリゾナへようこそ」の立て札やら、オネーサンやら、そして汽車やら、という風に、映画のこれまでの展開が折りたたまれていくように結ばれる。これが何だかすごく感動的。いやあ、いい映画観たなあ。[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-10-25 00:18:55)

2.  さらば、わが愛/覇王別姫 これは実に衝撃的でした。私の中で、これほど尾をひいてしまった映画も珍しい、と言える程。これは本当に香港映画なのか?これが香港映画?ああこれが、香港映画なのか!(←しつこいなあもう)。香港映画と言えば軽い娯楽作を連想しがちだった私。しかるにこのあまりにも壮麗かつ壮大な映画、これは一体何なのか。しかも確かにこれは、「中国人だからこそ」作ることのできた映画と言えるでしょう。芸術と人生の葛藤、これは洋の東西を問わぬ普遍的なテーマではあります。しかし後に残されるべき「芸術作品」を「作り出す」ためではなく、自分自身を芸術と一体化させ、芸術にすべてを捧げ尽くす京劇の世界、この世界をこれほどの説得力と深みを持って西洋人に描き出すことが、果たしてできたかどうか(できたりして)。暖色系・寒色系に染められた映像と、京劇舞台の映像とが織り成す幻想的な世界、しかし激動の歴史はそれを容赦なく揺り動かす。芸術は不変不滅と人は言う。本当にそうなのか?社会の荒波の前に芸術は無力に翻弄されるだけではないのか?そしてついにたどり着く、レスリー・チャンの最後の表情。あまりにも切なく、脳裏にこびりついて忘れられません。夢に出そう---って言うか、映画を観た晩、夢に出た。夢の中で僕はTVを見ていた。夢の中のTVは、この映画にはモデルになった実在の人物がいる、と紹介していた。泣きそうになった。目が覚めて夢だと気づいてもなお切なかった。いや、勿論フィクションだということは重々承知してるんですけどね、なぜかそんな夢を見てしまう。まあこれが映画的リアリティというやつではないか(と、妙に強引に締めくくる)。10点(2003-11-30 00:36:58)(良:2票)

3.  ザ・フォッグ(1980) かつて、初めてこの作品を観たときには「なんじゃい、それでシマイかよ」と思ったのも事実ですが、それはなんとなくホラー映画に対して、「派手な特殊効果」というものを期待しちゃってたから、なんですね。リアルで無くてもいいので、とにかく目を引く特殊メイク、変身シーン、残酷さを通り越してアホらしいスプラッター描写。 この作品、そういうのが皆無とは言わんけど、だいぶ抑制されてます。なので物足りなく感じた時期もあったけど、「何かが起こりそう」な予感、雰囲気、といったものをホラーの魅力だと感じるようになってくると、やっぱりこの映画、イイんだなあ。 霧に乗って亡者どもが復讐にやってくる、というオハナシですが、舞台は小さな港町。ラジオ放送で何となく町の住人たちが繋がってる。要するにある種の「空気」がもともとこの町にあって、その上から、霧という別の「空気」が町を覆ってくる感じ。その霧の中に一群のアヤシげな人影が立ってる光景、ってのがいかにもカーペンター風味。 コワい、よりも、ひたすらアヤシい。 音楽は例によってカーペンター自身、ということで、正直、単調な印象が拭えないのもいつも通り(それ故に決して映画を邪魔してないのもいつも通り)ですが、このメロディってもしかして、「怒りの日」をイメージしてるんですかねえ???[インターネット(字幕)] 9点(2022-05-08 22:31:58)《改行有》

4.  ザ・ドライバー 《ネタバレ》 とにかく不愛想な映画でして。登場人物には誰も名前が与えられておらず、タイトルの「ザ・ドライバー」ってのも、これすなわち主人公の役名。登場人物は皆、単なる“駒”扱い。 で、ライアン・オニール演じる「ザ・ドライバー」が、夜の街を走りまくる。他の車が避けるのはまだしも、何だか柱までもが彼の車を避けるみたいに、魔法のごとくスイスイと飛ばしまくる。車さえあれば、もはや不可能なし。 まあ、あまりカーチェイス映画という期待を持ちすぎると、さほどクラッシュシーンがある訳でもないので、肩透かし、という事になりかねませんが、そういう派手さよりも、本作の魅力は、シブさ。夜の雰囲気。 正直、久しぶりに観てみて、アレ、昼間のシーンも結構あったんだなあ、と、意外にも感じたんですけどね。そのくらい、夜のイメージが強い映画、なんです。もっとも、主人公をつけ狙う刑事の役がブルース・ダーンで、これがまあ、頼りないというか、何というか。一見、主人公のクールさに対して、不釣り合い、なんですけどね。でもこれが、ラストシーンではピタリとハマる、まさにハマり役中のハマリ役。 そしてもちろん、イザベル・アジャーニの妖しい魅力も、忘れられません。帽子が似合いすぎ。 終盤のカーチェイス、運転するライアン・オニールの横で、助手席に黙って座っている彼女に、ついつい視線が釘付けになってしまい、スミマセン、このシーンでライアン・オニールがどんな表情で運転しているのか、私はまだ確認できたタメシがありません。何にせよ、二人並んで、言葉も交わさず感情もあらわにせず、激しさと静けさが同居したような不思議なカーチェイスシーンになっていて、妙に印象的。その彼女も最後には悲鳴を上げて、チェイスは終わりを告げるのですが。 で、ラストシーン。ここに至るまでの、主人公とは対極のような下世話な印象のブルース・ダーンが、ここでは何だかやたらカッコいい。登場人物たち全員が、物語における“駒”に徹していて、徹したが故のカッコよさ、とも言えるでしょうか。[CS・衛星(字幕)] 9点(2020-08-10 17:41:07)《改行有》

5.  ザ・シークレット・サービス 80年代以降、「イーストウッド監督作品ではないイーストウッド主演作」ってのが、そこそこ貴重な存在だったりする訳ですが、本作もその一本。監督はあのペーターゼンで(「あの」というのは「あのUボートの」という意味であって、今もって他に代表作を挙げにくいのです、このヒトは)、主演俳優自身が監督してないことが幸いしたのかどうなのか、いかにも「イーストウッドの溢れんばかりの魅力を、この主人公にバッチリ投影して撮ってやるぜ」みたいな感じなんですね。ジジイなんですけれども、背筋を伸ばして貫録があり、ピアノをさらりと弾いて見せたり、同僚の女性警護官とネンゴロな関係になってみせたり、ジジイはジジイでも、なかなか色気のあるジイサンとして描かれてます。まあ、もし本作を自分で監督してても、厚かましく色気たっぷりに描いていたのかもしれませんけれども。 しかしジジイはジジイ。観てるこちらとしても「おい、ジジイ。現役復帰はいいけれど、ホントに動けるのかよ」と言いたくなる。動けるのか、動けないのか?そこが見どころ。 で、まずは、走りながら息切れするところをしっかり見せつけて、「撮影中に斃れるんじゃないか」と我々をヒヤヒヤさせてくれるのですが(演技ですよ、演技!)、ジョン・マルコヴィッチに対する追跡劇などでは、自ら体を張ってるところなんかも見せてくれて、おお、ジジイ、ちゃんと動けるじゃないか、と。はい、すみません、ワタシなんかより余程、動けてます。 そんなこんなで、いよいよ犯人が大統領を狙うクライマックス。この緊迫した空気がいいですね。厳重な警備がカッコよくって、その警備をかいくぐる犯人がカッコよくって、その犯人に対峙するジジイがますますカッコいい。シビレます。[CS・衛星(字幕)] 9点(2019-05-25 12:05:57)(笑:1票) 《改行有》

6.  座頭市物語 居合いの達人だと言われる座頭市、「見世物じゃねえや」とつぶやきつつノラリクラリとかわして、なかなかその凄腕を披露しない。披露しなければしないほど我々の期待も高まり、この後でしょぼい居合いシーンなんか見せられたら承知しないぞ、という気分になってくる、そんな中で、勝新がついに見せる、息を呑む早業。あらゆる期待をさらに上回っていて、もうこの時点でシリーズ化決定でしょう(笑)。 座頭市の盲目の眼の向こうにある彼の内面を、我々は決して推しはかることができない。ただその謎めいた横顔から滲み出る、かなーり胡散臭いヒロイズムに、我々は惹かれるんですな。病でこの先いくばくも無いであろう剣豪・天知茂も魅力的で、かつ彼の存在が、座頭市の謎の人物像の側面にスポットライトを当ててみせる。 クライマックスは、敵対する二つの組の間の一大抗争に発展。スピーディな展開がここに極まって、大いに盛り上がるのですが、同時にそれは、できれば避けたかったが決して避けられぬ、天知茂との対決の時でもある訳で。ここまでのゴタゴタをすべて超越した、神秘的ですらある、対決なんですね。ああ、シビレるシビレる、シビレまくり。ここに至り、ついに、あの座頭市からも一瞬、その内面があふれ出すのです。 映画中盤、夜の場面ではきっとそこに炎があり、その揺らめきや、光源の移動が、事細かに描写されたりして。大映らしいロケ撮影もあわせて、いい雰囲気を作ってます。[CS・衛星(邦画)] 9点(2017-05-01 11:03:22)《改行有》

7.  砂漠の流れ者 愛すべきポンコツ親父の周りには、やはりポンコツな面々が集う。どうにも困った生臭坊主に、三流っぽいけど愛嬌あふれる娼婦。 砂漠を彷徨った挙句に水を掘り当てた薄汚い主人公が、駅馬車相手の薄汚い休憩所を作って商売を始める、っていう、一見何とも素朴なオハナシですが、味わい深くって観始めたらやめられない。それに、これだけ立派に薄汚いと、もはやこれは一種の「哲学」でありましょう。 たかが水だけど、それなくして砂漠に置き去りにされれば死を意味するし、またそれを砂漠の真ん中で見つければ、そこにはひとつの社会が生まれ、ひとつの小宇宙が生まれる。となれば、ラストでは水が枯れてしまって物語が終わるんじゃないか、なんて心配もしてしまうのですが、さにあらず。決してそんな短期的な視点の物語ではなく、もっとゆったりと、大きな流れを感じさせるラストで、いや、さすが。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-04-22 16:25:54)《改行有》

8.  サウンド・オブ・ミュージック ミュージカル映画という、伝統的ながら変テコリンなジャンル。その中ではたぶん、かなり取っつきやすい作品と言っていいんでしょう。耳になじみのある曲が続々と登場して、それだけでも親しみやすいし、ラストには脱出劇のサスペンスもある。私もたぶん、最初に触れたミュージカル映画って、コレだったと思います。 で、いきなり何ですが、ジュリー・アンドリュースの髪型、なんか変ですよね(笑)。ギターを抱えた姿など、ひと頃の漫才師みたい(かしまし娘とかちゃっきり娘とか)。しかし実際、彼女の元気いっぱいな様子とも相俟って、とても若く見えます。トラップ家に向かう場面の、ほとんどヤケクソみたいな歌いっぷりと、到着して大邸宅を前に立ち尽くす姿とのギャップが、可愛くも可笑しくって。 その純朴そうな彼女を見ていると、つい、こんなトラップ親父になんかダマされるな~と言いたくなってくる。クリストファー・プラマー、端正な顔立ちに威厳をみなぎらせ、何かとキビシイことばかり言いながら、実際には歌えば上手いしダンスもするし。何だか妙にモテるしなあ。こういうのは絶対、女性の敵だ!と言いたくなる、要するに「男性の敵」なんですけれども。そもそも、ですね、まずこっそり恋人と会う長女が雨にズブ濡れになり、次に、ボートから転落して7人の子供たちとマリアが濡れ鼠になる。と来りゃ、クリストファー・プラマーだって、彼らの仲間に入るには、一度はズブ濡れになって見せる、という「通過儀礼」を経験するべきだと言ってやりたいところ、しかるにこの色男は、「私はすでに“水も滴る”イイ男ですから」と言わんばかりに、水も被らず澄まし顔。まあ、彼までビショビショになったのでは、完全にコメディになっちゃいますけどね。 楽しい歌にダンスを、これでもかと繰り広げつつ、最後に映画に暗雲が漂ってくる、そこがまた良くって。同じ歌が、状況によって、異なる印象で聞こえてくる、ってのが面白いところ、かつ盛り上がるところ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-03-05 08:34:18)(笑:1票) (良:1票) 《改行有》

9.  サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出 ルイジアナの森における訓練で、道に迷った9人の州兵が、何者かに命を狙われる、という、実に実に面白い作品。彼らが彷徨う湿地帯のヤな感じといい、森そのものが襲ってくるような不気味さといい、見始めたらやめられません。森を出ようが、どこに行こうが、助かった気がしない、いやそもそも助かる場所なんてどこにもないかのようなラストが、印象的。同じくチームの脱出劇を描いた『ウォリアーズ』が、問題作というよりも健康的な作品にすら思えてくる、気持ちの悪さが、クセになります。[CS・衛星(字幕)] 9点(2015-06-29 14:14:07)

10.  サクリファイス この作品のオチは要するに、「親は無くとも子は育つ」ってヤツですね。口を聞くことができなかった子供が、植えたばかりの木の下で、新しい世界の始まりを宣言する。そしてダメ押しのように、タルコフスキー監督から息子への献呈とメッセージが。「自分の人生は失敗だったと思わないか」「以前はそう思ったが、子供が生まれてからはそう思わなくなった」。自分の人生が自分だけの人生でなくなり、「子育て」という形で、他の人生のために費やされる。自分に子供が出来た時から始まる、自己犠牲。しかしそれは本当の意味の「犠牲」なのか? 一種の自己満足に過ぎないのではないのか? 口のきけない子供、声なき子供、その一方で、大人たちが始めてしまった戦争の影が、いつ明けるとも知れぬ夜の闇とともに、映画の中盤を覆い尽くす。挿入される戦争のイメージ、恐怖のイメージ。そして、その家に集まる大人たちの間にも渦巻くのもまた、結局のところは大人のエゴではなかったか。取り返しのつかない戦争。過去を取り戻すためならすべてを捨ててもよいという言葉、それは結局のところ、単なるノスタルジーであり、自分自身のための祈りではなかったか。そしてマリアの元へ向う主人公が求めていたものもまた、自分自身への慰めではなかったか。やがて明るい朝が来て、主人公の行った行為。それこそが、過去としての自己の否定と、次世代への無限の信頼、すなわち真の自己犠牲であったと思うワケです。[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-01-29 08:32:17)

11.  13/ザメッティ 集められた13人がグルリ輪になって、各々の前の人間に向け引き金を引くロシアン・ルーレット。観客は誰が勝ち残るか賭けに興じる。って、このゲーム、実際にやったとして、傍で見ててそんなにオモシロいですかね~。私にはわからん。しかし映画は面白い。この映画の凄さは、映像そのものというより、映像の積み重ねにありますね。ワンシーンごとに切り離して単独で見てしまえば、別に目を覆うような残酷さがある訳でもなく、なんということもない光景であったりするのですが、映画として、ショットの積み重ねとしてそのシーンが存在することにより、強烈な意味を放つことになります。例えば「主人公が車窓の外を眺めている」という平凡な光景。この光景が映画の始めに置かれた時と、ラストに置かれた時で、全く違う意味を持つ、ということ。[DVD(字幕)] 9点(2011-11-20 12:02:20)(良:1票)

12.  猿の惑星:創世記(ジェネシス) 子供を誘わなかった事をとっても後悔(子供たちはカミさんと、『れっしゃナンバーワン大集合』とやらへ)。本作、これぞまさに大人から子供まで皆楽しめる映画。もちろんこれは、「子供向けの内容だけどよく出来ているので大人も楽しめる」という意味ではなく、「大人向けの内容だけどよく出来ているので子供も楽しめる」という意味。大体、まったくと言ってよいほど残酷描写を入れなかった(人が死ぬ描写自体、殆ど無い)ってのがスバラシイし、自信の表れでもあると思う。そりゃま、「主人公だけはおサルと理解し合える」ってな辺り、いささか甘いオハナシではあると思うし、例えば『リンク』なんて映画が実際のチンパンジーを使って撮影することでかえって「何を考えているかわからない」無表情の不気味さがあった事を思うと、今回のCGおサルの表情は雄弁すぎるとも思えるのだけど・・・だがしかし、これらの要素が有ればこそ、クライマックスの金門橋での攻防戦で、これが、おサルと人間、ともに死力を尽くした闘争で手に汗握るシーンとなっており、まあ平たく言えば「どっちもガンバレ」的に大いに盛り上がるのですな。全く違和感を生じさせないCG描写も、これは大したもの。CGのための映像、ではなく、人物を撮るための自然な光の中に、見事にCGを溶け込ませています。主人公の個人レベルのオハナシが、クライマックスでどんどん広がりを見せていくあたりも、70年代のパニック映画を彷彿とさせて、ホント、この映画の正々堂々の勝負ぶりには惚れ惚れしました。変にツジツマを合わせようとしてくれるな、観客のアラ探しを恐れるな、とことんパニックを盛り上げてくれ!と願いながら観てましたよ、そしてその願いを、この映画はかなえてくれましたよ。と言う訳で、ティム・バートンの例のリメイクも一種の先祖がえりの面はあったけど(原作小説に近付いたという意味で)、かつてのパニック映画へ見事に回帰して見せた本作にこそ、軍配が上がる。ま、比べるまでもないか。ティム・バートン、とんだ赤っ恥ですな。[映画館(字幕)] 9点(2011-11-05 17:07:38)(良:2票)

13.  サドン・デス(1995) 『ダイ・ハード』、俺ならこう撮るぜbyハイアムズ、という感じの作品ですが。いかんせん、ハイアムズ作品、一部を除いてストーリーがツマラナイもんで(意識が“撮影”のみに向かっている?)、本作も、なかなかダイ・ハードのようにはいきません。アイスホッケーの観戦に来た副大統領が人質となり、スタジアムには爆薬が仕掛けられる。それを知らぬ選手と観客、試合が盛り上がるその一方で、悪党どもに単身戦いを挑む元消防士。ふむふむ。スタジアム周辺には駆けつけたパトカーがひしめき、スペクタクルな要素にも事欠かないのだけど・・・戦場となるこのスタジアムは、要するにダイハードみたいな“閉鎖系”なの?それとも出入り自由な“開放系”なの? 映画の設定を事細かに説明してくれなくてもいいけど、ストーリーの力学を決定づける“物語のルール”をドドンと示してくれると、あとは自然に盛り上がっていくんだけどなあ。どうも要領を得ないのがこの映画。でもまあ、気にしない気にしない。ここは“閉鎖系”なんです、そういうことにしましょう。すると面白くなってくる。孤立無援の主人公。襲いかかる敵、敵。厨房での死闘。うーんさすが厨房、キケンなモノがいっぱいありますね。悪党は皆、銃を持ってるのに、不用意にも(丸腰の)主人公に近付き過ぎ、次々にヴァンダムアクションの餌食となっていく。いいぞ、さすがヴァンダム! 主人公が試合に参加しちゃうエピソードが必要なのか、とか(面白いのでOK)、ラスト、主人公の娘が転落しそうになる(けどすぐ自力で助かる)シーンは必要なのか、とか(『ハノーバー・ストリート』のパロディみたいなのでOK)、その他その他、色々文句を言いたい方もおられるとは思いますが、いいじゃないですか、見どころ多いんだから。充実した作品だと思いますよ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-08-22 22:25:34)

14.  サロゲート 面白すぎてウマ過ぎて、ここまで来ると何だか腹立ってくる(笑)、会心のSFミステリー。この時代の人々、自分自身は家で寝そべったまま、自分のコピーロボットを操り、実際の社会活動はこのコピーロボットが行っているという設定、これはもう、映画開始早々から、「あちゃ~、この映画、どうやらヤヤコシイことになりそうだぜ~」と、嬉しくかつ腹立たしくなってきます。勿論これは、ネット社会の匿名性を戯画化したものでもあるんだけれど、決してそれだけには収まらない。ヒネリの効いた設定が生み出す、錯綜する(といって訳がわからなくなる程は錯綜しない)ストーリー展開の妙味。またこの設定は、時にぶっ飛んだアクション、時にユーモラスなアクションをも生み出しますが、同時に、「老いの悲しみ」という普遍的なテーマもはらんでおります。いや実際、ブルース・ウィリスも、自分の老いをさらけ出し、結構、役者魂かけてこの主役やってますよね(そもそもアクション映画のヒーローでこんな弱っちいヤツ、初めて見ましたよ)。停止した奥さんのロボットの前で愕然とする彼の姿が印象的。そんでもってラストは、「何かが終わるとともに、別の何かが始まる」という素朴な感動、コレ、ちょっとホロリと来ました。ジョナサン・モストウ、このヒトやっぱり、某ヒット作の第3作とやらを撮るような人じゃなくって(アレはアレで結構いい仕事したとは思ってるんですけれども)、ほっといたら勝手にオモロイ仕事をしてくれるタイプの人だと思います(しかしこの映画を観てると逆に、モストウ版「ターミネーター4」ってのがもしあったら、ゼヒ観てみたくなる~)。[映画館(字幕)] 9点(2010-01-24 22:50:28)(良:1票)

15.  三悪人 《ネタバレ》 ゴールドラッシュに沸く西部の町カスター。まずは、この町に殺到する人々、無数の幌馬車行列のスケール感に圧倒されます。カスターの町は、悪徳保安官ハンターによって牛耳られているのですが、そこにフラリと現れたるは、3人のお尋ね者。これがモンダイの「三悪人」な訳ですが、そのポンコツオヤジぶりが、何とも憎めません。三悪人、今日も今日とて、荒野を行く馬の列を発見。馬泥棒に及ぼうとするものの、他の馬泥棒に先を越されたもんだから、逆にこれを撃退した挙句、襲われていた娘さんを救出しちゃったりなんかして。と言う訳で、娘さんと、彼女をサポートする三ポンコツ親父、との珍道中。「3人(のポンコツ)が守る」ってのがミソで、その後の映画でもお馴染みのテーマであります、ってな感じのことをDVDの解説の淀長さんが言ってましたが、私はとりあえずディズニーの『眠りの森の美女』を真っ先に思い出してしまいました、こちらは魔法使いには似ても似つかないキタナイ親父3人組ですけれども。さて、3人は、娘さんの婿を探そうなんぞと要らぬお節介を焼いたりするのですが、コワモテ親父が因縁をつけるかのように婿探しをするもんだから、うまくいく訳もなく、この辺りが実にユーモラス。チャップリンをそのまま超美男子にしたような優男とのやりとりが笑えます。そうこうしているうちに、娘さんは、道中ですでに知り合っていたカレシと再会、ごっつええ感じのまま、いよいよ、土地争奪大レースの日を迎えます。この大競争シーンこそが、本作の白眉とも言うべき、圧巻のシーン。物量を駆使したスケール感と、迫力あふれるカメラは、見ごたえアリマクリです。という派手なシーンのあとで、ついに迎えるハンター一味との対決。ひっそりと誰にも知られることなく、名もなき3悪党が、命を投げうって娘さんを守る姿にはもう、シビレまくりです。ああ、これぞ西部劇だよなあ、としみじみ。一方、競争に出遅れ金を手にできなかった名もなき庶民が、「でも農地を手に入れることができた」というあたりにも、この映画の優しい視線が感じられます。でもでもやっぱり。この“早い者勝ち”という文化、どこが公平なのか、理解に苦しむよなあ。[DVD(字幕)] 9点(2009-08-12 18:04:50)

16.  叫びとささやき 劇中に挿入されるバッハの無伴奏チェロ組曲第5番のサラバンド。一切の装飾抜きで、最小限の音によって表現される苦悩、それはまさに人間の原罪そのものを音楽によって表わしたもの、とも言えそう。そしてこの映画からも、これに近い印象を受ける。最小限の人間関係により表わされる、現実という名の悪夢。そこから浮かび上がる、人間が生きることそのものの辛さ、そして皮肉。その辺のホラーより、余程コワい映画。[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-05-06 18:24:25)

17.  3人の逃亡者/銀行ギャングは天使を連れて これはもう、本当に愛すべき映画。お約束ギャグ、不条理ギャグ、何でも取り揃えて笑いの連続、可笑しくてしょうがない。しかし観てるうちに何とも言えない理由不明の涙が込み上げてきます。設定にしろストーリー展開にしろ実に秀逸で、もう一本別の映画が作れそうな程、アイデアが凝らされています。この映画の日本での扱い、ヴェベール監督自身による米国リメイク版に比べて悪いようですが、何故でしょうね。ストーリーはほぼ同じ、どちらも間違い無く面白いと思いますが、大きな違いはラストシーン。味があります。雄大なアルプスの山々を背景としたドジ親父の姿、何となくジュリー・アンドリュースをすら彷佛とさせます(そんなバカな)。あと、アメリカ映画を見慣れてしまっているせいかもしれませんが、こういうコメディ、フランス語の方がよりユーモラスに感じられるし、パトカーのサイレン音すら、フランス警察の方がコメディにマッチしてる気がしてくるんですよね。というわけで、この原典版とリメイク版、どちらが上ということはないのですが、個人的に思い入れがより強いのは、やはりこちらですかねえ。9点(2003-12-29 20:14:41)(良:1票)

18.  秋刀魚の味(1962) 《ネタバレ》 これは面白い! なんちゅう面白さ。評論家達はこんな面白い映画に「名作」というレッテル貼って、近付き難くしちゃうなんて、逆にもったいないではないか。何が面白いって、「燕来軒」の看板の文字! ハハハ、こんな小道具からしてすでに面白い。しかし何と言っても忘れ難きは、笠智衆の溜息「ん~」であります。勿論、「いやあ~」でも「まあ~」でもいいのですが、やっぱり「ん~」がサイコーです。それも、苦悩から発せられる「ん~」よりも、笠智衆の満足感が頂点に達した瞬間に思わず漏れる「ん~」がたまりません(白眉は娘の花嫁姿を観た時の会心の「ん~」である。聞き逃すな!)。さらにこの映画では、動きの無い笠智衆とは対照的に、過剰に動き語るひょうたん先生(演ずるは東野黄門様!神ワザのような演技である)の存在がユニーク。この対比により、笠智衆の動かない演技がさらに光るというものでありましょう。さらには亡き妻に似ているというTORYS BARのママとして、岸田キョンキョンが登場。笠智衆と岸キョンの夫婦では「美女と野獣・逆バージョン」ってな感じだが、幸いにもそんなに亡妻にクリソツな訳ではないらしい(雰囲気が似てるというのは結構いいものである)。さてさて、娘を嫁に出すまでの父の心の動きがこの映画のテーマですが、娘を嫁に出してやれなかったひょうたん先生の存在が、主人公に大きな影響を与えております。友人河合からも「おまえがひょうたんみたいになったら困るからな」なんてプレッシャーかけられたりして。で、なんやかんや紆余曲折あって(途中の展開と人物配置がうまく、観てて心地いい)、結局無事に娘を嫁に出す事に。河合も「おまえひょうたんにならなくてよかったよ」等と言ってくれる。しか~し。友人と別れた主人公は、一人酒を飲み、泥酔して家に帰ってくる。暗がりで「ひとりぼっちか」と呟き、歌を口ずさむ姿。そう、その姿は、まさにひょうたん先生の姿そのものではなかったか? 娘を嫁に出しても出さなくても結局は味わわねばならぬ孤独。そういう無常感のようなものが浮き彫りにされて余韻を残します。ところでタイトルは秋刀魚の味ですが、これは内容に直接関係なく、そのかわり色んな食べ物が出てきます。魚料理で出てくるのはハモですね。ハムではありません(!)9点(2003-12-28 00:28:44)(笑:1票) (良:3票)

19.  殺人ブルドーザー ボ、ボクは今からこの映画に9点をつけるゾ。いいんだ誰も止めないでくれ。10点じゃないところが良心との最後の妥協点だ。第一、子供の頃は臆面も無く「好きな映画ベスト3」に挙げてたんだから、大した進歩じゃあないか。登場人物はたったの6人。彼らに無人のブルドーザーが襲いかかる。圧倒的パワーで襲いかかってくる代わり、動きは極めて緩慢なので、一見、恐怖感としてはかなり微妙に思えるかもしれない。大体、作業員に襲いかかって何がしたいのか?何ゆえ最初の方は攻撃が小出しなのか(8時だョ全員集合のコントみたい)。中盤だって島内を意味無くウロウロするだけだったりするし。いやいや!この無意味な感じ、ブルドーザーが何考えてるのか皆目判らないところこそが、この映画のメチャ怖いところだったんだ。音楽や編集のデタラメさも、子供心になんだか不気味だった。ドラム缶こと人間が踏みつぶされるシーン、映像的にはブルドーザーがドラム缶潰してるだけ、それでも怖くて目を被ってしまった。さらにこの映画の魅力は、ブルドーザーが無人で動く理由には深入りせず、「いかにこれを倒すか」が徹底的に描かれるところ。工事現場なので、(映画的には)武器に事欠かないハズ、しかし敵もさるもの、狡猾に先回りし、彼らを恐怖のドン底に突き落とす。ブルドーザー対ショベルカーの死闘!だがしかし! うぉ~やっぱしイイ映画ってのは思い返すだけでも燃えてくるよね。昔はモノ凄い再放送回数を誇り、その度欠かさず観てたけど、最近はご無沙汰。そろそろ放送してチョーダイな。では最後に一つ、捨て台詞を。「別にクダラない映画が好きなんじゃあない。好きになった映画がたまたまクダラなかった、それだけのことさ。」9点(2003-11-09 13:34:24)(笑:4票) (良:4票)

20.  ザ・ロック カーチェイスがサイコー。かなりグレード高いよね。後半、アルカトラズをヒョコヒョコ走り回って戦うショーン・コネリーの姿は、若干のどかでしたが、エド・ハリスの人物設定もカッコいいし、アクションもダイナミック、クライマックスはドキドキもので、大変興奮いたしました。コレを観た時ばかりは、マイケル・ベイってとてもすごい人なんではないかと思ってしまいました。9点(2003-09-20 21:51:39)

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