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2001. ロスト・イン・トランスレーション 良い映画だ。日本という国の“ありきたりな”日常に見え隠れする滑稽さ、そこで途方にくれる孤独なふたりの外国人。実に現実的でありながら、そこに映画としての面白味を生み出すこの外国人女流監督の観察眼の凄さは何だろう。多種多様な感情と文化が入り混じり、混迷極まる“東京”という街を、これほどまでに情感たっぷりに描き出す映画を観たことが無い。不安定で不確実なままに惹かれ合うふたりが織り成すこの物語は、ロマンスなのかヒューマンなのか……もうそんなことはどっちでもいい。混沌とした街で、混沌としたふたりが、導かれるままに紡ぎだしたしっとりとした感情に、余計な説明などいらないと思った。[DVD(字幕)] 9点(2005-05-02 02:29:29) 2002. アビエイター アカデミー賞というは、映画に対する一つの価値観でしかないと思っているが、今年のノミネート作品の中では本当はこの映画こそ受賞にふさわしい映画ではなかったのかと思う。非常に良い意味でアカデミー賞を獲るべき作品であると思う。 ハワード・ヒューズという人物の知識はまるで無く、この映画で描かれることがどこまで真実なのかは分からない。しかし、少なくともこの映画の中で息づく彼の姿は、まさに伝説であり、最高のスタッフによって描かれるべき人物であると感じる。夢を追い、夢に生き、夢に苦しみぬいたヒューズの姿に、ひとりの人間として複雑な感情が渦巻く。果たして彼は“成功者”なのか?多くの人達が彼の成功の是非について語ってきたのであろうが、ヒューズにとって本当はそんなことどうでもいいことなのだと思う。最初から最後まで、世界で唯一無二の“飛行機野郎=AVIATOR”であり続けることが、彼の望みだったのだ。そしてそれを体現し続けたハワード・ヒューズという人物はやはり“伝説”なのであろう。 それにしても、またしても大願成就ならなかったスコセッシとディカプリオ。彼らにとって最高の仕事をしたと思うだけにとても気の毒だ。他の賞ならいざ知らず、やはりアカデミー賞だけは、良い意味でも悪い意味でも“狙って獲る”というのが醍醐味であり伝統のような気がする。「ミリオンダラー・ベイビー」を観ていないので本当は何とも言えないのだけれど、既に受賞経験があり余裕綽々のイーストウッド&スワンク組よりは、獲る気満々のスコセッシ&ディカプリ組が受賞した方が盛り上がったような気がする。まあ“またも受賞ならず~!”というのもドラマティックな気もするけども。スコセッシは次作再度ディカプリオと組むそうで、これはこれで映画史における“伝説”になり得そうでなんだかワクワクする。[映画館(字幕)] 9点(2005-04-02 10:52:54)《改行有》 2003. 恋は五・七・五! いくらこの手の“異種スポ根系青春コメディ”が流行ってるからって“俳句甲子園”は無いでしょう~というのが当初の印象だった。舞台となる愛媛県松山市で育ち俳句甲子園のことをある程度認識している者がそうなのだから、その存在自体知らない人たちにとっては殊更であると思う。しかーし、実はこの映画、なかなかイケる。そう、劇中で宣言されるように、俳句は爺婆の戯れではない。俳句は“ポップ”なのだ。今や世の中は、右を向いても左を向いても“省略化”の時代である。名作文学の粗筋をまとめた本が売れ、何を伝えるにもメールで済ましてしまう時代である。そんな中において、たった17文字で表現される俳句は、とても現代的感覚に富んだ文化なのだと思う。 とは言っても競われるのは、言葉と言葉の掛け合い。そこにシンクロやジャズ、ロボコンなどのような映画的盛り上がりがあるかというと、正直弱さは目立つ。でもだからこそ感受性豊かに伝わる高校生たちの“一夏の想い”。それこそ今作の魅力であろう。「俳句なんて…」と思っている人こそ、面白味が深まる作品かもしれない。[映画館(字幕)] 7点(2005-04-02 10:09:57)(良:2票) 《改行有》 2004. エターナル・サンシャイン 離れたくない映画に対する余韻。“映画を観る”という幸福は、まさにこの余韻のためにあると思う。 もはやハリウッドにおいて“天才”“気鋭”の名を欲しいままにしているカウフマン×ゴンドリーの、この類まれなるラブストーリーの余韻をぼくはしばらく忘れることができないだろう。さりげなく、大胆に、そして淡々と奇抜に描かれるその絶妙な映画世界の奇蹟に心が震える。恋愛にまつわる切ない“代償”と美しい“価値”を、まさに永遠なる輝きの中に表現してみせたまったく新しい視界に、自分の脳裏まで一掃されたような感覚だった。 しかし、奇妙で革新的な映像世界ではあるが、描かれる物語は実に普遍的な感情だ。“何気ないこと”から深まる愛情と亀裂。そして、記憶の消去という衝動的な行為から見えてくる何気ない日々(しかしそれこそが“幸福”なのだ)の輝き。それを消されてたまるかと逃げ回る主人公の純粋な感情。さらに秀逸なのは、すべてを経て、すべてを知ってしまっても、互いを愛さずにはいられないという、ある種滑稽でだからこそ素晴らしい愛の本質である。 そうこう書いているうちに、またじわりじわりとこの映画に“脳ミソ”が侵食されていく……ああたまらない。 10点(2005-03-27 10:07:00)(良:2票) 《改行有》 2005. オペラ座の怪人(2004) 何よりも、映画化ということに対して臆せず、舞台通りに映像世界全編をオペラ調に仕上げ、完成させたことに、「オペラ座の怪人」という神々しいまでのオリジナルに対する尊敬と自信が感じられた。台詞のほとんどが歌唱によって紡がれることに違和感を持つ人もいるようだが、そのことこそ、この作品を映画化する“意味”だと思う。舞台を見たことは無いのだけれど、歌で語らずして何が“ファントム”かという盲目的な概念を知らぬ間に植えつけるこのキャラクターの哀しく切ない存在感は凄い。文芸的な映画だけにある程度のかったるさは覚悟していたのだけれど、そんなもの微塵も感じさせないテンポの良さと、極めて完成度の高い映画世界に呑み込まれる。9点(2005-03-23 00:21:11)(良:1票) 2006. ローレライ キャスティングを見た時点で(フジテレビ製作ということも含め)、ある種テレビ的な“薄さ”が反映されてしまうのではないかという危惧が鑑賞前にあった。そしてそういうことが全く無い映画であるとは言えないとは思う。しかし同時に、思った以上にひとつの映画として堂々と完成している映画だとも思う。ローレライというアイデア、終戦間近という時代設定、日本人という国民性、日本人だからこそ描ける要素を巧みに絡み合わせた物語に魅力が溢れている。大国の同ジャンルの映画に対して、製作費の規模の違いはどうやったって伺える。しかしそれは“=製作不可能”ということではない。その事実を今作のスタッフ&役者は力強く表現して見せたと思う。8点(2005-03-06 02:36:04)(良:1票) 2007. ドランク・モンキー/酔拳 この映画初めて見たのだけれど、どこか初めてという感じがしない。ジャッキー・チャンの真髄、そしてジャッキー・チェンが大好きな人たちの原点がこの作品の中に詰め込まれているからだと思う。“酔えば酔うほど強くなる”こんな特異なカンフースターを演じるのはジャッキー・チェンをおいて他にいないだろう。彼の超人的なアクション性はもちろんだが、何よりも、彼の人間的な大らかさとにじみ出るユーモアセンスが、彼をこの主人公にし、国際的スターへの道を歩ませたのだと思う。7点(2005-03-05 00:35:58) 2008. 招かれざる客(1967) 何の予備知識も無く観たこと(観始めるまでヒッチコックかなんかのサスペンスものだと思っていた)が、殊更にシンプル且つ濃厚なこの物語の巧さに引き込まれる要因になった。突然帰郷した一人娘に異人種の婚約者を紹介され、当然驚きを隠せない両親。しかし若い二人の熱意と相手男性の文句の付けようの無い人柄にほだされて~と「おいおいこんなにすんなり事が進んで、後の展開どうするの?」と思わされていた時点で、ぼくはこの脚本の巧みさに魅了されていたのだと思う。そこから露わになってくる各々の建前と本音。センス溢れる台詞回しによる可笑しみを前面に出しつつ、描かれる深い社会の問題意識。昨今の映画は揃って極端な物語が多いが、今作のバランスの良さは素晴らしい。あくまで自然に、笑って、泣けて、考えさせる、本来娯楽という本分を背負っている“映画”というものはこうでなければならない。そういう往年のハリウッド映画の気概を感じさせる傑作だと思う。9点(2005-03-01 02:35:08) 2009. 三大怪獣地球最大の決戦 タイトルの「地球最大の決戦」が始まるまでは、まあまあ良いんですよ。日本語をベラベラに喋る某小国の一行、「私は金星人」と連発する王女の放浪なんかも陳腐とナイスセンスの絶妙のラインだと思う。そして、今作で初登場となったキングギドラのインパクトとその精巧さは見事に尽きる。と、ここまできて、怪獣同士の“最大の決戦”で大コケするのだから、正直参る。モスラのアホ臭い説得模様(同時通訳by小美人付き)から始まり、繰り広げられるゴジラとラドンのギャグ合戦、結局ゴジラが岩を投げ続けてギドラを追っ払う……。最後は、“平和な島としてお馴染”のインファント島に帰っていくモスラをゴジラとラドンが呆然と見送る。なんだそりゃ。4点(2005-02-11 21:19:56) 2010. ひばり・チエミの弥次喜多道中 “楽しい映画だ”。ただ純粋に観客にその一言を求めてこの時代の娯楽映画は作られていたのだと思う。だからこそのパワフルさであり、衒いの無さが映画をエネルギッシュに仕立て上げる。美空ひばり、江利チエミ、主演の二人をはじめとする映画の作り手たち全員に、娯楽に対する迷いが無い。すべてのパフォーマンスがエンターテイナーとしての自信に溢れている。そうして、時代を越える娯楽性が生まれるのだと思う。8点(2005-02-11 16:00:34) 2011. 緋牡丹博徒 鉄火場列伝 “緋牡丹博徒”シリーズ第5弾。もう幾度と無く感じてきたことであるが、これほどまでに洗練された女の“優しさ”と“強さ”を同じキャラクターの中で違和感無く表現できる女優が今いるだろうか。何を置いても藤純子の魅力に圧倒される。第一作目以来の監督となる山下耕作のハイセンスな演出も目を見張る。突如登場する丹波哲郎には驚かされたが、常連キャストの若山富三郎、待田京介の男気も加わり、映画全体の“粋”を堪能できた。8点(2005-02-09 13:14:11) 2012. キング・コング(1933) 70年以上前に作られたこの大スペクタクル映画を、70年後の現在も容易に見られるということになんだか感慨深さを覚える。後に作られたリメイク作と違い、あくまで空想冒険映画というスタンスを貫き通し、意図せずに人間のエゴイズムを表現してしまっていることに、良い意味でも悪い意味でも“時代”を感じる。しかしその部分こそ、この映画が秀逸な特撮技術という魅力を超越して魅せるパワーであり、映画史における“価値”なのかもしれない。9点(2005-02-02 17:55:08)(良:1票) 2013. ゴッド・ディーバ 強固な意志をもって創り出された特異な映像世界は圧倒されるべきところなんだろうが、あまりに自己満足的なストーリーには観客が入り込むべき余地は無く、結果映画全体が至極希薄に映った。徹底的にアート的な未来像への試みは理解できるが、そこに紡ぎだされる物語に面白味が無ければどうしようもない。何の説明もなく一方的に羅列されるキャラクターとストーリーの後に残るのは、謎というよりも単なる苦痛である。2点(2005-02-02 02:54:09) 2014. MASK DE 41 マスク・ド・フォーワン 日本映画きっての“脇役”田口トモロヲが主演のこの映画は、「流石」というべき役者たちの絶妙な演技を楽しめる作品だったと思う。まずやはり、田口トモロヲの驚異的な肉体改造(DVDの特典を見ると更に驚き)と、それに相反して共存するいつもの彼らしい“くたびれ感”が素晴らしい。だいたい「リストラされ人生のどん底からプロレスラーになって這い上がる」なんて役柄は彼しかできない。そして、今作を単なるスポ根にとどめなかったのは、多感な異母姉妹を演じた伊藤歩と蒼井優の存在であろう。彼女たちの混乱と純真の中での掛け合いが、この映画を高めている。まあ何にしても、プロレスに面白味を感じない僕をここまで熱中させたこの映画の熱量はスゴイ。7点(2005-02-02 02:52:33) 2015. 斬る(1962) 三隅研次の陰影を浮き立たす映像美は流石に素晴らしい。が、なんなんだこの脚本は。陳腐な台詞まわし、滅裂な展開、随所に見られる映像の秀逸さを覆い隠して余りある酷さだった。主人公は何をもって行動しているのかがまったく描かれていない。娯楽なのか、ドラマなのか、物語の真意が何もつかめない展開に苦痛を伴う。2点(2005-01-24 15:32:01) 2016. オーシャンズ12 泥棒映画をつくる上で最も大切なのは“お洒落さ”だと思う。その部分で今作におけるソダーバーグの演出と編集は優れていると思う。予想よりもずっと面白いというのが、正直なところで、前作のコメントでも書いたが、何と言ってもこのキャストを揃えるだけでも物凄いことだ(更にゼタ・ジョーンズとカッセルを加えて!)。強引とも言えるストーリー展開を支えたのは、やはりこの豪華キャストとそれを操るソダーバーグのウィットに富んだ演出力だろう。実際(コピー通り)騙されてしまった部分もあるので、大筋のストーリーにも満足はできた。ただ、やっぱり残念なのは、チームの一人一人の個性が発揮されずに終わってしまうことだろう。結局核となるカラクリ自体は主要キャラが繰り広げたに過ぎず、ほとんど何もしていないキャラがいるのは消化不良な部分だ。まあこれで、「11」で盗んだ金を「12」で返済したにすぎない状況なので、更に続編を作ることは必至。この不良感の解消は次作に期待します。7点(2005-01-23 12:37:13)(良:2票) 2017. スイミング・プール 巧い。何が巧いって、この映画のタイトルの巧みさに尽きる。美しく、まどろむような偽り。そうそれはまさにスイミングプールの水面に煌く乱反射だ。現実と妄想の境界線を絶妙にぼかすことによって生まれるミステリアスな空気感。その中で息づく、二人の女の歪みつつも澄んだ心情と官能美に圧倒される。じわじわと染み入ってくる映画世界の余韻が心地いい。あ、やはりあとこれだけは言いたい。サニエ嬢最高です☆☆☆8点(2005-01-20 03:31:29) 2018. スパイダーマン2 《ネタバレ》 某雑誌のコピーと被るが、この映画は「漫画」である。もちろん映画を愛する者、漫画を愛する者として、心からの尊敬を込めてそう言いたい。 ピーター・パーカー:トビー・マグワイア演じるヒーロー映画きっての駄目男。前作以上にパワーアップして描かれる彼の「普通の男ぶり」は、ある部分では反比例し、ある部分では比例してスパイダーマンの魅力を増大させている。 メリー・ジェーン:前作も含めてこの映画を観た多くの人が、ヒロインとしての彼女(キルティン・ダンスト)の容姿に疑問を抱く言葉をよく聞く。しかし普通以上に普通の男であるピーター・パーカーが憧れる女性として彼女は適役であり、説得力がある。 ハリー・オズボーン:金持ちのボンボン&スパイダーマンに対する歪んだ復讐心を持つキャラクターとして、演じるジェームズ・フランコはまさに適役。ついに次作では準主役としてヒーローの前に立ちふさがりそうな彼の活躍に期待。 ドック・オク:彼の役には、シュワルツェネッガーやデ・ニーロなどのスター俳優も候補に挙がったらしいが、演じたアルフレッド・モリーナの存在感は抜群だった。一見愚鈍そうで、不気味な悪意に包まれた彼の雰囲気は、まさに「蛸男」にふさわしかったと思う。 サム・ライミ:まず撮影所には「仕事場」として必ずスーツで現れるという彼のポリシーに多大な格好良さを感じるのは僕だけだろうか。2作目にしてこの「蜘蛛男」を描いた映画の監督は彼をおいて他にあり得なかったと思う。抜群の映像感覚はもちろん素晴らしいが、この映画を支えているのは、彼の「スパイダーマン」に対する揺るぎない愛情だと思う。 スパイダーマン:全身を手作りのコスチュームで隠している彼の表情は見えない。しかし、彼ほど人間的な感情に溢れたヒーローは他にいない。落胆し、怒り、喜ぶ。その姿に人は惚れ込む。前作の爽快感をさらに感動的に増幅させ摩天楼を滑空する姿に目が離せない。 9点(2005-01-18 17:05:55)(良:2票) 《改行有》 2019. アンダーワールド(2003) 「マトリックス」の誕生以後、同作を真似たスタイリッシュな映像を売りにするアクション映画は量産され続けいる。今作においてもその例の範疇であり、「ヴァンパイアが暗躍する世界」というもはや若干新鮮味に欠けるジャンルも手伝って、“オリジナル性”という部分においては難があることは否めない。しかしながら、「パクリだろうが二番煎じだろうがお構いなし!」と開き直れるほどのクオリティをこの映画は備えている。何と言ってもその映像美が素晴らしい。タイトル通りに全編通して光の当たらない世界を描きながらも、闇に紛れることなく徹底的にスタイリッシュに展開される美しい映像世界に舌を巻く。その闇の美の中に、クールでドライな美貌を湛えたケイト・ベッキンセールの存在が映え、非常に質の高い映画世界へと昇華されている。クライマックスにかけてますます重要になってくる“人間の男”のキャラクター性が全編通すと弱すぎるという感は残るが、単純な勧善懲悪の構図では終わらないストーリーにも満足感は高い。続編も充分に期待が持てる。8点(2005-01-15 19:09:46) 2020. インストール 上戸彩はアイドルだ。それは、どうやっても解き放たれない彼女の宿命でありスタイルだと思う。多くのアイドルたちは、その肩書きに束縛され、しばしばそこからの脱却に失敗する。しかし上戸彩は違う。彼女はこの映画でそのスタイルを“崩さず”可能性を最大限に“広げて”みせた。それは勇気と力量を要するあまりに魅力的な試みだ。そこに、神木隆之介というこれまた常識を覆す子役とのコラボレーションが加わり、暗く狭い押入れの空間が(エロの世界!)が無限に広がっていく。いろんな意味でヘンな映画だけれど、同時にその“類まれな”映画世界に感動を覚えた。9点(2004-12-31 13:21:30)(良:2票)
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