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プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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2141.  フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ 特撮映画好き界隈では必ず名前が上がるカルト的人気の高い作品をようやく鑑賞することができた。 個人的にずっと前から観たかった作品だったので、期待値が高まりすぎていたのかもしれないが、何というか、思ったよりも“トンチキ”な映画だった。 まず怪獣そのものの出自についての説明があまりにも曖昧でいい加減だった。 この映画の前に「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」という作品があり、その続編なのかと思いきや、設定や描写が若干異なっており、正確には平行世界を描いた“姉妹作品”という位置づけらしい。 だから、劇中で水野久美演じる博士が語る“サンダ”の出生秘話も取ってつけたような描写になっており、結局どういう経緯でこの怪獣が生まれたのか全く不明である。 故に観客は人間側の一人として、どういうスタンスでこの怪獣を捉えていいものか戸惑ってしまう。 当然ながら、“サンダ”の細胞から派生した兄弟怪獣“ガイラ”に対しても同様で、いきなり登場してきて人間を食い散らかされても、恐ろしさは感じるもののただそれだけで、怪獣としてのキャラクター性があまりにも希薄だった。 そういった肝心の怪獣たちの存在感が薄いことに対して、逆に目を向けざるを得なかったのは、人間たちのエゴイズムに対する嫌悪感だった。 一応の主人公的立ち位置の研究者側も、怪獣の脅威に対応する自衛隊(政府)側も、「飼育すべし!」「抹殺すべし!」と、双方がそれぞれに人間のエゴイズムに溢れた主張を繰り返す。 この映画における“メインマッチ”は、悲しき兄弟怪獣の対決などではなく、人間の“エゴ対エゴ”だった。 そして、化粧の濃い水野久美のめくるめく衣装チェンジを目の当たりにする映画でもある。 想像していたものとだいぶ違って残念だったが、当時の東京という街の風俗描写はなかなか味わい深く、色々な意味で「時代」を感じられるという点では、鑑賞の価値はあったと思う。[インターネット(邦画)] 4点(2019-12-22 00:45:32)《改行有》

2142.  アド・アストラ 秀麗な映像美と宇宙美。それによって描き出される文字通りの“果てしない孤独”。 人類というものは、結局、どんなに文明と技術が発達しようとも、生物として進化しようとも、宇宙の果てに辿り着こうとも、「孤独」と「怒り」に苛まれる宿命なのかもしれない。 「英雄」と称された宇宙飛行士の父親の遺志を継ぎ、自らも優秀な宇宙飛行士として、感情を噛み殺して生きてきた男が、遂に辿り着いた場所と、誰にも伝わらない“咆哮”は、何とも虚しく、哀しみに満ちていた。 広大な宇宙を舞台にし、描かれたテーマは、極めて普遍的な人間の精神的な不器用さと、父子の物語であり、“感慨深げ”なものだった。 だがしかし、結論めいたことを言ってしまうと、残念ながらこの映画は、圧倒的に「退屈」だ。 「惑星ソラリス」(苦手)を彷彿とさせる諦観的なストーリーテリングが、退屈感を生んでいるように見えるけれど、実はそうではない。 ドラマシーン、スペクタクルシーン含め、映画全編のあらゆるシークエンスの宇宙描写が、この手のSF映画としては根本的に陳腐で、“トンデモ映画”になってしまっている。 映画のところどころで挟み込まれてしまう「変じゃない?」「あり得なくない?」という疑問符が、明らかな雑音となり、目指すべき映画の世界観を阻害しているのだろうと思う。 加えて、本筋となる太陽系を縦断する規模のSFミステリーについても、語り口も、真相も、極めて凡庸と言わざるを得ず、物語の帰着としても納得のいくものではなかった。 主演のブラッド・ピットは、スター俳優としての円熟味を携えてきており、一昔前とは異なる格好良さと渋みを見せてくる。 それだけに、作品としての質がもっと高ければ、新たなSF映画の傑作にもなり得たんじゃないかと思える。 非常に残念だが、例によってブラッド・ピット自身が製作も担っているようなので、すべての責任は彼にあると言っていいだろう。[映画館(字幕)] 4点(2019-09-30 23:25:51)(良:1票) 《改行有》

2143.  続・深夜食堂 漫画「深夜食堂」と、ドラマ版「深夜食堂」の大ファンである。 一人飲みの際には、最高の「肴」となる世界観を映画化してくれたこと自体は嬉しかったが、必然的な物足りなさを前作には感じた。 深夜帯の限られた時間の中でまさに“つまむ”ようにミニマムな人間模様に触れられることが「深夜食堂」の醍醐味であり魅力であると思う。 しかし、映画化により長編となることで、その醍醐味が明らかに薄れてしまう。 前作はそれでも、多部未華子というこの作品世界に相応しい“華”や、舞台が“めしや”の「2階」の描写により、世界観が文字通り立体化したという映画的な価値があった。 でも、この続編ではその映画ならではの舞台設定を闇雲に広げすぎてしまっており、肝心の“めしや”の外でのストーリー展開が多すぎる。ファンとしては、これでは「深夜食堂」で描く意味がないなと思わざるを得ない。 必然的に、ストーリー上においても、“めしや”のマスターが作るメニューが主体になっていないので、このシリーズならではの「味わい」が殆ど無くなってしまっていると思う。 詰まる所、一見では人情映画を作るのに最適な素材のように見えるけれど、数ページの漫画や、30分以内のドラマ枠だからこそ、その味が深まる世界観なのだと思う。 それは、他愛のないメニューであっても、あの空間で、あのマスターが作るからこそ、「美味い!」と足を運ぶ“めしや”の常連客たちがもっとも理解することだと思う。[CS・衛星(邦画)] 4点(2018-09-16 18:14:46)《改行有》

2144.  パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 前作「生命の泉」から7年も経っていることに唖然とする。そして、7年も間を空けた上で、前作の流れを引き継ぐわけでもなく、まるでシリーズ第一作目かのようなベタな焼き直し的ストーリーを展開したのは如何なものか。 もはや忘却の彼方だったが、前作で新登場したペネロペ・クルス演じる女海賊アンジェリカが、引き続き登場する流れだった筈だが、この最新作では触れられもしなかった。 敵役として、二番煎じ、三番煎じなキャラクターをハビエル・バルデムに演じさせるくらいなら、妖艶な女海賊と対峙する様をしっかりと描いてほしかった。まあ7年も間が空いてしまった時点で、ペネロペ側としてもNGだったのだろうけれど。 キャストを一新した“リブート”だと言うのならば、まだ理解は出来よう。だが、ジョニー・デップに頼り切りの製作陣からはそんな考えは毛頭あり得なかったようだ。 であるならば、新世代を主軸に据えた新展開を繰り広げれば良かったのではないかと思う。 ウィル・ターナーの息子を主人公にして、新世代の新キャラクターを活躍させつつ、随所でジャック・スパロウやキャプテン・バルボッサの存在感を際立たせる「エピソード7」的なアプローチが展開できたならば、シリーズ全体の魅力を昇華させる新作になり得た筈だ。 オーランド・ブルーム演じるウィル・ターナーを海の底から復活させて、更なる続編を目論んでいるようだが期待は出来まい。 おそらくは、ひたすらに繰り返されるプロットで、ジャック・スパロウがバタバタと暴れまわるのだろう。それを観たいファンが喜んでいるのならば、もはや何も言うまい。 そして、海に沈んだくらいであのバルボッサが死んだとは、誰も信じていまい。[CS・衛星(字幕)] 4点(2018-07-16 21:47:17)《改行有》

2145.  フリー・ファイヤー “いかにも”な倉庫街で繰り広げられる悪しき交渉と、その「決裂」と同時に巻き起こる愚か者たちによる愚かな銃撃戦。 このあらゆるアクション映画で飽きるほど描かれてきた“ワンシーン”のようなシンプルなプロットただそれのみで、映画を構成する潔さと豪胆さは「良し」と思えた。 キャスティングも、アカデミー賞女優のブリー・ラーソンをはじめ、キリアン・マーフィ、アーミー・ハマー、シャールト・コプリーと、巧さと、華やかさと、クセの強さを併せ持った魅力的なスター俳優が顔を揃えており、イントロダクションのチープさに反して、“掘り出し物”を観られるんじゃないかという期待感は膨らんだ。 そして、製作総指揮にはマーティン・スコセッシの名が。そりゃあ一定の期待はしてしまう。 結果としては、決して観られなくはないが、アクション映画として面白いとは言い難いと言ったところ。 一流どころの演者を揃えているだけあって、一人ひとりのキャラクター性には興味をそそられる。 何かしらの思惑を孕んだクセのあるキャラクターたちが、徐々に本性を表しながら、愚かにも死屍累々を築いていくという作品の方向性自体は間違っていなかったと思う。 場面場面においては、ブラックユーモアやシュール性も併せ持ちつつ、ユニークなシーンを見せてくれたとも思う。 では何が悪かったのか。ずばり「脚本」だろう。基本的な話運びがあまりにも雑でチープすぎる。 何だか気の利いた台詞を言わそうとしていることは伝わってくるが、それらが尽く上手くないので、キャラクター全員がただただ“馬鹿”に見え、娯楽的なカタルシスがまるで生まれない。 必然的に、延々繰り広げられる馬鹿たちの撃ち合いにダレてしまった。 「レザボア・ドッグス」的な暴力描写と会話劇の妙を織り交ぜたストーリーテリングをしたかったのだろうけれど、遠く遠く及んでいない。 マーティン・スコセッシがどういうスタンスで「製作総指揮」に名を連ねているのか知らないが、これだけビッグネームを揃えられたのであれば、クエンティン・タランティーノにもお願いするべきだった。 まあ、タランティーノがこんな「二番煎じ」に参加するとは思わないけれど。[CS・衛星(字幕)] 4点(2018-06-10 22:45:30)《改行有》

2146.  アナイアレイション -全滅領域- 美しく、そして残酷な、“未知との遭遇”。 映画全編に渡る得体の知れない恐怖感と、「世界」と「世界」の狭間を描き出したビジュアルの美意識自体は、決して嫌いじゃなかった。 幻想的で、芸術的、そして観念的なアプローチによるSF的な解釈は、興味をそそられた。 けれど、映画の中の“調査隊”が謎と恐怖に包み込まれた真相に突き進む程、ストーリー的な推進力は緩慢になり、残念ながら面白味も霧散していくようだった。 詰まるところ、「SF」として物語を紡ぐには、それを語り切るに相応しいストーリーテリング力が欠如していたのだと思う。 理解し難く、“答え”そのものを観る側に委ねるタイプのSF映画は多々あるし、それはそれで大好物だけれども、この映画の場合は、秘められているのであろう“哲学性”が巧く表現できているとは言えず、展開の稚拙さや唐突さが雑音となり、それがどんどん大きくなったまま終幕してしまった。 ナタリー・ポートマン演じる主人公が、オープニングからエンディングに至るまで、ひたすらに「わからない」を繰り返すばかりでは、流石にストーリーそのものを放り投げすぎじゃないか。 そう思わせてしまった時点で、この映画の目指した“試み”は失敗しているのだと思う。 プロットやストーリーにおけるアイデアそのものは、過去のSFスリラーでも幾度も描かれている類のものなので、この映画が描いている顛末は何となく理解できる。しかし、観客にそれを腑に落ちさせなければ、それは単なる自己満足的な絵空事に過ぎない。 「エクスマキナ」で一躍気鋭監督となったアレックス・ガーランドの最新作であり、キャストも一流どころを揃えているにも関わらず、劇場公開が難航し、一転してNetflix公開となったこの映画の辿った道程の「理由」が、何となく見えてくる。 予算面含めて、もう少し製作環境が整っていたならば、それこそSF映画の新たな傑作になり得ていた可能性も感じるだけに、SF映画ファンとしては至極残念だ。[インターネット(字幕)] 4点(2018-06-04 17:25:00)《改行有》

2147.  トムとジェリー スパイ・クエスト 海水浴に訪れたトムとジェリーが、スパイキッズに遭遇し、世界征服を目論む秘密結社と対決する。 ストーリーのフィールドが大きくなって、毎度おなじみのドタバタが展開されるわけで、それ以上でもそれ以下でもなく、果たして映画と位置づけていいのかどうかも微妙だけれど、その身一つで、世界中のすべての子どもたちの目線を釘付けにするこのネコとネズミのスラップスティック・コメディ力は流石だ。 我が家の子どもたちもしっかりと釘付けだった、休日の束の間。[CS・衛星(吹替)] 4点(2018-05-13 23:59:12)《改行有》

2148.  劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 頭からつま先まで全身がこそばゆくて、気恥ずかしい。 その世界観を臆面もなく貫き通したことは、作品として評価に値するけれど、拭い去れないストーリーテリングの稚拙さはいかがなものか。 ストーリーにもっと巧さや閃きがあれば、このアニメの世界観とそこに息づく「彼ら」のことをもっと好きになれたかもしれない。 ふとしたきっかけで、テレビアニメシリーズを今年観たばかりだったので、せっかくなのでこの「劇場版」も観てみることにした。 この手の「劇場版」の多くの例に漏れずテレビアニメ版の総集編的な意味合いは強く、メインストーリーとなった1年前の出来事を振り返りつつのストーリー展開は、良い意味でも悪い意味でも“ファン向け”の仕様であろう。 決してテレビアニメシリーズが楽しめなかったわけではない。 むしろ、普段殆どテレビアニメ作品を観ない自分が最初から最後まで一気に鑑賞し得たのだから、世間での評価の通り、万人向けのよく出来たアニメーションと言えるのだろう。 実際、アニメーションのクオリティは極めて高いと感じたし、登場するキャラクターたちもその多様性も含めて魅力的に描けていたとは思う。 ただあまりにもストーリーに「発見」がない。 純然たるノスタルジーと言ってしまえばその通りなのだけれど、もう少し何か新しいアイデアは無かったものかと思う。 せめて“めんま”が再び現れた「理由」を明確にするストーリー上の説得力が欲しい。その部分が結局のところ安直に美化されたまま曖昧にぼかされているため、ストーリーが只々凡庸に感じるのだと思う。 思わせぶりなタイトルや、諸々の設定に注力しすぎるあまりに、肝心の物語の力が軽薄に感じて仕方なかった。 テレビシリーズの最終回も決して感動しなかったわけではないけれど、そういったストーリーの上っ面感が残り続けるため、キャラクターたちの一連の台詞が、酷く空々しく聞こえてしまった。 映画化にあたり、そのあたりの物語性の深掘りが少しでも出来ていたならば、テレビアニメ版も含めて価値ある「劇場版」となっただろうけれど。[インターネット(邦画)] 4点(2017-11-20 21:43:17)《改行有》

2149.  エージェント:ライアン かつてハリソン・フォードやアレック・ボールドウィンらが演じてきたCIA分析官“ジャック・ライアン”の若き日を描くリブート作。 リブート版「スター・トレック」の主演としてシリーズ成功の一躍を担ったクリス・パインを新たなジャック・ライアンに起用し、例によってシリーズ化を目論んだのだろうけれど、どうやら失敗に終わったようだ。 アクション映画として決して面白くない映画ではなかったと思う。駆け出しスパイものとして楽しめないわけではない。 クリス・パインは、理想と野心そして才気に溢れた主人公像を好演しており、この荒削りな若者が、年月と経験を経て、「パトリオット・ゲーム」のハリソン・フォードへと変貌していくことを想像するとある種の感慨も覚えた。 お目付け役として登場するケビン・コスナーも存在感があり、シリーズ化が実現したならば、主人公との師弟関係においても展開が期待できたと思う。 期待できる要素は随所にあったのだが、昨今良作が乱立するスパイ映画勢の中にあって、特筆すべき見どころがあったかというと、「ノー」と言わざるを得ない。 アクションシーンにおいても、ストーリーテリングにおいても、目新しさは無く、かと言って各要素が洗練されているかというとそうでもなく、中途半端でありきたりだった。 監督と悪役を担ったケネス・ブラナーに、この手の娯楽映画を巧く仕上げる資質がそもそもないのではないかと思える。 “粗”として最も気になったのは、何と言ってもヒロインのキャラクターとしての魅力の無さ。 婚約者の正体がCISエージェントであることを知って、それに対する驚きはほぼ皆無で、ただただ浮気の疑惑の解消に安堵する女ってどうなの? 彼女が未熟なティーン・エイジャーであるなればその描写も可愛く映るのだろうけれど、医師の肩書を持つ大人の女性だというのだから、正直ただのイタい「馬鹿女」にしか見えなかった。 途中までキーラ・ナイトレイが演じているとは気付かなかった程のこのヒロインの魅力の無さは、娯楽映画として致命的だ。[インターネット(字幕)] 4点(2017-08-05 20:02:06)《改行有》

2150.  ポテチ 伊坂幸太郎の短編小説の映画化。 原作が短編小説とは言え、一本の映画にするには物語構造自体が薄すぎたように思う。 このお話自体が嫌いなわけではないけれど、醸し出されるポップさが少々あざとすぎるようにも見え、登場するキャラクターたちに総じて実在感がなかった。 現代劇として映画化する以上は、一定以上のリアリティは不可欠なわけで、その部分を担保できなかったことは大きな敗因と言えるだろう。 ストーリーテリングの中心に「野球」が存在するわけだが、そうである以上、「野球」をもっと象徴的に描く最低限の巧さがほしかった。 勿論、低予算の中編であるから贅沢は出来なかったのだろうが、ラストの球場シーンがまったくもって「プロ野球」に見えなかったことには失笑を禁じ得なかった。 流行作家としての伊坂幸太郎の小説は好きだし、いくつかの映画化作品も概ね面白く観ている。 今作も決して全く面白くないということではないけれど、他の作品と比較して捻りと毒気が弱いことが、大いに物足りぬ。[インターネット(邦画)] 4点(2017-07-20 23:33:15)《改行有》

2151.  メアリと魔女の花 冒頭の一連のシークエンスはまさに“ジブリ的”であり、期待感と高揚感が刺激された。 「天空の城ラピュタ」のようであり、「千と千尋の神隠し」のようであり、「崖の上のポニョ」のようであった。 この映画が、「スタジオジブリ」としての再出発作品だと言うのならば、僕は一定の満足感を得られたかもしれない。 米林宏昌監督としては3作目だが、スタジオジブリから独立し、新スタジオを立ち上げて臨む第一回作品として、彼のこれからのフィルモグラフィーにおいても非常に大切な一作だったに違いない。 選んだ題材は「魔女」。当然ながら観客は特にジブリファンでなくとも「魔女の宅急便」を否が応でも連想する。 キャッチコピーにも「魔女、ふたたび。」と掲げる大胆不敵ぶり。 そして、冒頭からの過去のジブリ作品に対しての過剰なまでのオマージュ性は、敬意と感謝を込めつつも、それを越えていくことの堂々たる宣言かと期待した。 がしかし、最終的に得られた感想は、冒頭のシークエンスで感じた印象に集約されていた。 即ち、「ジブリのような映画」でしかなかったということ。 シーンもキャラクターも台詞回しですら、映画を構成する殆どすべての要素が“のようなもの”だった。 “ジブリの継承”と言えば聞こえはいいけれど、同時に恥ずかしいくらいに“二番煎じ”の域を出ておらず、むしろ“呪縛”めいたものも否定できない。 当然ながら、それではアニメ映画として新しい世界が開くはずもない。 悪いけど、この国のアニメーションはもっと先に進んでいて、そんなところにいつまでも留まってはいない。 奇しくも、昨年の国内映画シーンは、片渕須直監督の「この世界の片隅に」と、新海誠監督の「君の名は。」が席巻し、今年も「夜は短し歩けよ乙女」で湯浅政明監督が改めて新時代への名乗りを上げた。 勿論、最先鋒には庵野秀明や細田守も君臨していて、国内のアニメ映画界は、群雄割拠の戦国時代に突入している。 そんな映画ファンにとってはしびれる状況の中で、米林宏昌監督がこの“二番煎じ”で満足しているというのならば、それはあまりにも残念でならない。 ジブリからの直接的な独立者として色々と難しい立ち位置ではあるのだろう。そうであったとしても、ここまで古巣に対しての目配せをし、媚びへつらう必要があったのだろうか。 エンドロールの最終盤にクレジットされる御大3名に対しての「感謝」の二文字が気持ち悪くって仕方なかった。 “偏屈な天才”がまたもや「引退詐欺」を画策しているという噂も聞く。 米林宏昌監督があくまでも“ジブリ”というブランドの枠組の中で「作画」のみに没頭し、老いた天才と共に心中したいというのであればそれもいいだろう。 けれど、個人的には前作「思い出のマーニー」に多大な可能性を感じただけに、勿体なく思う。 新スタジオの名前はスタジオポノック。「ポノック」とは「午前0時」の意で一日のはじまりを表現しているらしい。 果たして、「午前0時」は一日のはじまりなのか終わりなのか。 残念ながらこの作品からは、過ぎた一日の疲弊感とそれに伴う想像力の欠如しか感じない。[映画館(邦画)] 4点(2017-07-15 17:41:47)《改行有》

2152.  X-MEN:アポカリプス 2011年の「ファースト・ジェネレーション」、そして2014年の「フューチャー&パスト」の連なりは非常に良かったと思っている。 今ひとつ稚拙で完成度が低かった前三部作の汚点を一旦リセットするとともに、過去に遡ってX-MEN創設の歴史を描き直すことで、芳醇なエンターテイメントを提供することに成功したと思う。 そして、過去と未来を繋いだ物語を描くことで、前三部作も含めたシリーズ全体の価値を高め、一つの幸福な大団円を紡いでみせたことは、一映画ファンとして、X-MENファンとして、多幸感に溢れた。 と、過去二作に対する満足度がとても高かったことも多分に影響しているのだろうが、この最新作は完全に「蛇足」だったと思う。 いや、きっぱりと「駄作」と言ってしまっていい。 これでもかという映像的物量は物凄い。それについてはシリーズ中随一と言って過言ではないだろう。 だがしかし、その圧倒的物量に対して、エンターテイメント大作としての高揚感がまるでまるで生まれてこない。 ストーリーテリングの愚鈍さや、キャラクターたちの言動の軽薄さが目立ち、映し出される大スペクタクルが仰々しいだけのマスターベーションに見える。 過去二作においては、60年代から70年代にかけての時代背景と、“マイノリティー”の象徴としてのX-MENの存在性を存分にドラマに盛り込み、他のアメコミヒーロー映画とは一線を画するオリジナリティを生み出せていた。 しかし今作は、そういったこのシリーズの核心とも言うべきテーマ性が薄く、ストーリーがあまりにチープだった。 古代エジプトから復活した最強ヴィラン“アポカリプス”は、その能力のチートぶりの反面、行動がいちいち回りくどく、延々とごたくを並べる割にまるで利口でない。結局グダグダやってる間に、覚醒したジーン・グレイに消し去られてしまう始末。 そして、前作に引き続き、エリックさんは色々な意味でかき乱されるだけで、結局何もしていない。ただ「悲劇」を背負わされるだけの存在として描かれ、同情をするしかない。 一応、新三部作としてはこれにて完結ということらしいが、シリーズとしてはまだヒュー・ジャックマンの“卒業記念作品”「ローガン」の公開が来年に控えている。果たしてどうなることやら。[ブルーレイ(字幕)] 4点(2016-12-23 01:41:28)《改行有》

2153.  大巨獣ガッパ 数ある特撮怪獣映画の名作とくらべれば、そりゃあ低評価は免れない。 ただし、数多の特撮映画の多くが「駄作」だらけであるということもまた事実。 そんな中で今作は、数多くの「駄作」のうちの一つかもしれないけれど、「駄作」ならではの味わい深さを醸し出していたと思える。 先ず、「日活」唯一の怪獣映画であるという、特撮映画史的な文脈のみを捉えても、ある種の「価値」は充分にあると思う。 東宝、大映に牽引された当時の“怪獣映画ブーム”に無闇に乗ろうとした作品だけあって、あらゆる面での不慣れ感と独特の違和感が生まれている。 ただその不慣れ感や違和感は、そのままこの映画の特異性に繋がっているとも思う。 特撮のレベルそのものは、当時の水準からすれば決して低すぎるということはない。 けれど、ほんの少しの“見せ方”がやはり巧くはなく、“魅せる”シーンが無い。 一方で、主人公である“ガッパ”の巨大怪獣としての存在感は、良い悪いは別にして、「独特」だったとは思う。 異形のものに相応しい血走った目、気持ちの悪い鳴き声、とにかくその存在感そのものがおぞましい。 それは、「ゴジラ」や「ガメラ」といった当時のスーパースターたちの存在感と比較すると、まったくもって相反するものである。こんなおぞましい怪獣が子どもたちをはじめとする大衆の人気者になるわけがない。 そして、そんな世にも奇妙な怪獣が織りなすストーリーが、なんと「親子愛」だというのだから、益々その異質性は高まるというもの。 更に、彼らを取り巻く人間たちの間では、当時の社会性を踏まえた男女の価値観、親子の価値観の相違とそれに伴う葛藤が描き出される。 何故か熱海に上陸するガッパ、何故か巨大な茹でダコを加えているガッパ、何故か日系人役として登場する藤竜也……こういう歪さや、ほつれ具合を堪能することも、楽しみ方の一つであるということを思い出させてくれるある意味立派な特撮映画だったと思う。 限りなく「駄作」に近い「迷作」であるが、日本の特撮史上における亜流として、意外に存在価値は大きいのではないか。[CS・衛星(邦画)] 4点(2016-07-10 22:58:24)(良:1票) 《改行有》

2154.  ラブ&ピース 園子温が無名だった25年前に書いた脚本の映画化ということで、その世界観とストーリーテリングは、あまりにチープで荒削りだ。(まあ、ヒットメーカーになった今も根本的にはチープで荒削りであるが) 長谷川博己、麻生久美子、西田敏行という一流どころを揃えた商業映画としては、極めて歪で、正直なところ映画としての完成度は低く、面白くはない。 鑑賞に耐え切れないとまでは言わないが、映画の大半は、なんとも言えない居心地の悪さと、退屈感に苛まれた。 ただ、同時に、園子温という表現者のむき出しの魂そのものが、不器用に、無様に、込められた映画であったとは思う。 「夢」を持つということが辿る現実。きらめきの裏側に確かに存在する滑稽さと愚かさと残酷さ。 かつて「夢」を持ったすべての者たちが辿ったであろう、喜びと、それを遥かに凌駕する苦悩。 この映画の主人公の様は、まさにその体現であり、「夢」を持った者の一人として、良い意味でも悪い意味でも、笑えなかった。 園子温という“若者”の荒ぶる屈折した思いを具現化したような映画であり、極めて独善的で、決して褒められた映画ではないことは間違いない。 しかし、彼が持つ表現者としての魂の形そのものが、25年前から変わっていないということは伝わってくる。 この魂を核心に秘め続け、表現者としての成熟とともに、「愛のむきだし」や「地獄でなぜ悪い」が生み出されたのだろうことは、素直に理解できる。 この映画が、脚本が書かれた25年前に、長谷川博己や麻生久美子という「無名俳優」を起用して撮られていた作品であったならば、園子温という映画監督のフィルモグラフィーの中でも重要な一作となっていたことだろう。[DVD(邦画)] 4点(2016-07-09 10:17:27)《改行有》

2155.  ミュータント・タートルズ(2014) 「ミュータント・タートルズ」といえば、小学生の頃に友人宅で遊んでいたファミコンだかスーパーファミコンだかのゲームを思い出す。あまりテレビゲームが得意な子どもではなかったので、友人らがプレイしている様子を延々と見ていた気がする。 割と良い評価も聞いていたし、こういったアメコミ映画はハマればドハマリする可能性も大なので、楽しみにして鑑賞に至ったが、結果としてはまあ可もなく不可もなく、「あ、この程度か」といったところか。 “ティーンエイジャー”であるタートルズたちの良い意味での軽薄さは、ここ数年のヒーロー映画の中では新鮮なキャラクター性だったし、マイケル・ベイ製作だけあってアクションシーンの見応えはあったと言える。 ただし、これもまたマイケル・ベイ印の特性だろうが、ストーリーテリングがあまりにお粗末過ぎている。話運びまでがこれ程まで軽薄でチープだと、流石に乗りきれない。 キャラクター性を踏まえて、タートルズたちが“バカ”なのは許せるが、悪役やその他の登場人物たちまでが揃いも揃って浅はかな“バカ”ばかりで、何のフォローもなくそれを押し通してくるため辟易してくる。 もし、大国アメリカの未来を支えるティーンたちが、この映画を手放しで楽しんでるのだとしたら、呆れを通り越して正直恐ろしい。 このレビューを綴るにつれて、粗さが段々と憤慨レベルになってきた。 完全に“お子様向け”だと言うのなら、確かに楽しめる要素はあるので、映画として完全否定は出来ないけれど、マーベル映画全盛期の現在においてこの程度のヒーロー映画を見せられても、正直鼻で笑うしか無い。 ウーピー・ゴールドバーグとか何のうま味もない役柄だったなあ……。[CS・衛星(字幕)] 4点(2015-11-20 15:04:48)《改行有》

2156.  キングスマン “英国王”もとい“英国紳士”然としたコリン・ファースが、いかにもスパイ映画風の魅力的なギミックを駆使して小悪党どもを小気味よく打ちのめす。 この白眉のアクションシーンをはじめ、映し出される映像の娯楽性は極めて高く、楽しい。 この映画が、マシュー・ボーンという英国出身の新人監督のデビュー作というのであれば、娯楽映画史におけるエポックメイキング的な作品として手放しで評価できたのかもしれない。 しかし、そういうわけにはいかない。マシュー・ボーンという名前はもはや大きくなり過ぎている。 「キック・アス」で大出世を果たし、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」を成功に導いた今最も最新作が期待される映画監督の一人となった彼の最新作として、「駄作」と言わざるをえない。 ハリウッドの超大作のしがらみに疲れた映画監督が、その鬱憤を晴らすかのように母国で自由に作った“悪ノリ”映画なのだと思う。 “ジョーク”として笑い飛ばす映画なのだろうし、そのブラックでキツいジョークの部分は確かに笑えた。 “悪ノリ”が過ぎる映画は、時に傑作になり得る。「キック・アス」はその顕著な例だろう。 でもね、悪ノリが過ぎるからと言って、ストーリーテリングそのものの雑さが許されるわけではないと思う。ストーリーが雑な映画は、当然ながら傑作にはなり得ず、きっぱり駄作だと思うのだ。 コリン・ファースの“退場”の仕方があまりに雑だったり、主人公が“キングスマン”として認められるための最終試験の顛末はおざなりだし、大体他のキングスマンは何をしているんだといったように諸々の設定があまりに大雑把で腑に落ちない。 主人公が裏切り者を出し抜くくだりや、そこから始まるクライマックスの“面白げ”な雰囲気も、引いて見てしまうと特段の新鮮味はなく、ただのマスターベーションに見えてしまう。 悪ノリの中で暗に国際的な批判精神を盛り込んでいるからこそ、ストーリーの些細な部分が引っかかってしまい、非常に気持ち悪かったのだと思う。 世間的には好評の様子でどうやら世界的にも大ヒットしているようなので、続編の製作は既に確定しているのだろう。 根本的な悪ノリ自体は決して嫌いではないので、次作はストーリー的にも練り込んだ問答無用の悪ノリスパイ映画に仕上げてほしいものだ。[映画館(字幕)] 4点(2015-09-22 22:51:18)(良:1票) 《改行有》

2157.  進撃の巨人 ATTACK ON TITAN いつになくハイテンションな役づくりでキャラクターに挑んでいるらしい石原さとみが、「こんなの初めてーーーー!!」と絶叫する予告編を観て初めてこの作品に対しての食指が動いた。 脇役を演じる女優の台詞一つが気になって、映画館まで足を運んだことは記憶に無い。まあこういう“きっかけ”もあって良いと思う。 原作は“ほぼ”未読。話題の漫画として売れ始めていた頃に、一度第一巻を手に取ったが、絵柄の趣味と展開の稚拙さがあまりにも合わなくてすぐに読み進めるのを止めてしまった。 不気味な巨人の群れが人間を襲う描写とストーリーテリングは、斬新な表現だとは思ったが、そんなに騒ぎ立てる程のものとは思えなかった。 以来、益々拡大していったブームをスルーしたまま、今作の鑑賞に至った。 原作のストーリー展開を知らない分、対比による不満を避けられたことは、ある意味幸運だったと思う。 日本特有の“特撮映画”として楽しめる要素は充分にあったと思う。 特にこの“前編”のクライマックスである“ある展開”は、原作を読んでいなかったからこそ素直に楽しめた。 原作の持つ雰囲気とはテイストが大いに異なってはいたが、特撮で映し出された巨人は、善し悪しは別にして禍々しさは際立っており、それなりの恐怖感を醸し出せてはいた。 そもそも“特撮映画”を観るつもりで映画館に足を運んだ者として、最低限の満足感を得られたことは間違いない。 ただし、やはりその他の大部分においては、とてもじゃないが一つの映画作品として褒められたものではない要素が多すぎた。 冒頭のシーンを筆頭にドラマパートは総じて、演出面、演技面両面において稚拙過ぎる。 どんなにスペクタクルシーンで力を入れようとも、人物描写がこれ程までにお粗末では、結局白けてしまう。 今作は“前編”とはいえ、ストーリー展開的にも腑に落ちない点は多く、一々突っ込むことすら馬鹿らしくなることも否めない。 どう転んだとしても結局「批判」は避けられなかった難しい企画であることは間違いなく、それでも日本映画としてこの映画化に挑戦した意義と価値は確実にあったことは認める。 少なからず「後篇を観たい」という気持ちを持たせただけでも、良しとすべきだろう。 「後篇」にも期待はしたい。 でも、おそらくそれを観た後には、「やっぱり、大人しくギレルモ・デル・トロ監督あたりに権利を譲渡すりゃあよかったのに」とか思ってしまうのだろうな……。[映画館(邦画)] 4点(2015-08-07 23:26:18)《改行有》

2158.  愛犬とごちそう もはやお決まりとなっているディズニー・ピクサー映画の新作公開時に同時上映される短編作品。 ディズニーの新作「ベイマックス」と同時上映されたのは、“くいしんぼう”の犬の目線で飼い主の人生模様を辿った佳作だった。 よく出来た短編ではあったけれど、正直なところ、小さい頃から家で犬を飼ってきた者としては、少々眉をひそめてしまったことは否めない。 飼い犬に対して人間の食べるものをあんなに暴飲暴食させて良い訳はなく、あんな飼い方をしては、あの犬にとって不幸極まりない。 食べ物自体があまりに雑に扱われている様も、いくら文化が違うと言っても品の悪さを感じた。 と、敢えて現実的な見方をしたならば、そういった難癖はいくらでもつけられる。 けれど、描き出される“愛犬”は何と言っても愛らしく、短編とはいえアニメーションのクオリティーは素晴らしい。[映画館(字幕)] 4点(2015-02-01 10:10:36)《改行有》

2159.  シン・シティ 復讐の女神 前作「シン・シティ」がもう10年も前の映画であることに驚く。公開時に観て以来再鑑賞は出来ていないが、あの限りなく悪趣味で且つ限りなくスタイリッシュな映画世界のインパクトは今も記憶に新しい。 前作公開の直後から続編の噂は聞いていたがなかなか完成の報を聞かず、そんな噂も忘れかけていた頃に満を持しての今作の公開。勿論、年明けの公開初日に劇場に足を運んだ。 キャストは若干の入れ替わりはあったものの、前作並みの豪華キャストが揃い踏み。ジョセフ・ゴードン=レヴィットやジョシュ・ブローリンら新しいスターの顔ぶれも期待感を加味した。(個人的に最も嬉しかったのは、クリストファー・ロイドがキャスティングされていたこと!) 素地的には前作に勝るとも劣らないものだったけれど、残念ながらそれに伴うべき“インパクト”は無かった。 続編として前作の衝撃を超えることまでは期待していなかったけれど、それにしても魅力が大いに半減していたことは否めない。 その最たる原因の一つは、メインストーリーの推進力の弱さだろう。 今作も前作と同様に、“罪の街”シン・シティを舞台にして、いくつかのエピソードが入り乱れるように描かれている。 ただし、前作はメインストーリーを主演のブルース・ウィリスが持ち前のスター性で引っ張っていたのだけれど、今作についてはその部分が明らかに目劣りしていた。 はっきり言っちゃえば、ヒロインであるジェシカ・アルバにメインストーリーの主人公としての存在感が無かったと言える。そのことが直接的にストーリー展開の推進力の低下に繋がってしまっている。 他のエピソードで、ジョシュ・ブローリンやジョセフ・ゴードン=レヴィット、そして最悪の悪女を演じたエヴァ・グリーン(衣装の殆どは裸体!)らの存在感が流石に強かったことも、より一層にアルバ嬢の弱さを際立たたせてしまっている。 とは言え、今作のクオリティーが前作に対して著しく低いことをジェシカ・アルバ一人のせいにするのはあまりに可哀想だ。 尺そのものは大幅にコンパクトになっているにも関わらず全体的に感じるテンポの悪さや、“色”が増えてスタイリッシュさが低減してしまっている画づくり、そして何と言ってもストーリーそのものの弱さなど、結局は総てを取り仕切るロバート・ロドリゲスの監督力の低下が最も問題だろうと思う。[映画館(字幕)] 4点(2015-01-11 22:40:33)《改行有》

2160.  ポセイドン(2006) 《ネタバレ》 ご存知1972年の傑作パニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク作品。 このリメイクにおいては、巨匠ウォルフガング・ペーターゼンの威光の残像にすがったのかもしれないが、映画自体は残念ながら「B級映画」の範疇に“しっかり”とおさまっている。 まあしかし、そのこと自体はある程度予想出来たことなので、パニック映画ファンとしては、序盤から繰広げられるこのジャンルの「予定調和」を逆に楽しむことに決めた。 そう開き直れば、全編通してそこそこ楽しめるB級パニック映画であったと思う。 オリジナルに対してストーリーテリングやキャラクター設定があまりに稚拙であることは目をつぶるしかない。 主人公をはじめ各キャラクターの人物背景の描写があまりに乏しいことも、少数パーティーに至るまでの半ば強引な展開も、まだ笑って済ませられる。 が、しかし、最終的には一つの顛末が大いなる違和感として突きつけられてしまった。 すなわち、「おい、おーい!アンタ何で生き残っちゃってるの!?」ってことである。 パニック映画において誰が死に、誰が生き残るという顛末は最重要の娯楽性でもあるので、勿論ネタバレは避けたいが、“死亡フラグ”完全無視のまさかのラストに面食らってしまった。 当該俳優が「絶対に死にたくない!」と言い張ったとしか思えない……。ラストのスクリューのシーンは絶好の“死に場”だったろうに……。 このあり得ない展開は、当然マイナス要因ではあるけれど、予想外であったことは間違いない。良い悪いは別にしてこの「予想外」は、ある意味観た価値があったとも言える。 ともあれ“お口直し”は絶対必要。近々、名作「ポセイドン・アドベンチャー」を観直そうと心に決めるには、充分な映画だった。[CS・衛星(字幕)] 4点(2014-10-11 01:26:03)《改行有》

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