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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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361.  ナイト・ウォッチ(2004) 《ネタバレ》 最初のうちは、「おお、これはなんかすごいかも」と思って見ていたのだが…終盤になると、正直「寒い」という気持ちが芽生えてしまった。 ストップモーションとか、スロー再生とか、CGとか、一点から始まってクギが落ちる瞬間まで撮るとかいう驚愕映像とか、そういうのは、映画が「おもしろい」と思えるかどうか、とは直接結びつかないのだなあ。 んで、何が「寒い」かというと、脚本と演技だ。 アントンが実の子の存在を確信して急に父性愛に目覚めてしまう、とかいう安い展開、その子が人質に取られてアントンが身を投げ出す、とかいうさらに安い展開。…これが、ロシア語じゃなくて英語だったら、どんだけチャチに見えるだろうか。何割増しか、言語に救われている面がある。 また、息をつかせぬ展開と説明の無さで、中盤までわざと分かりにくくしているのはいいのだが、後から説明めいたセリフや場面がドンドン出てくるのがなんだかなあ。とことん脚本が安いのである。 演技、これはもう、あなたがアントン役の俳優に耐えられるかどうかで、映画の評価を左右してしまう。私はダメだ!キモい、暗い、下手だ! 「実写にする必要がどこにある」と言いたくなるような作品だ。[DVD(吹替)] 3点(2007-06-02 18:10:46)《改行有》

362.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 夢を壊すようで悪いけどコレについては、「男であることの限界」と言い切ってしまうぞ。 「個を捨てよ。種に生きよ。」なのだ。映画が進むにつれ、この言葉が画面いっぱいに書いてあるような気すらしてくる。 たった一人の赤ん坊のために、関わり合った人々が進んで命を投げ出す。 「新しい命」のために、「比較的新しくない命」が捨て石になるのが当然、というのがヒューマニズムなのか。そう言い切っていいのか。それとも「死んだら天国」の宗教的背景か。 これが「個を捨てよ。種に生きよ。」でないなら、いったいなんだというのか。 そして、キーは「誰だか覚えていない」ような相手の子供を喜んで産むことになっている、というこの無理。 産んだ瞬間から母性愛に目覚め、母親然としているという、この無理。 はっきり言うがこういうところが男であることの限界なんだわさ。 女に生まれた人にとって、産む性であるということは、そーんなおとぎ話のようなものではないのさ。 じゃなんなのかというと、それは、ローティーンからはじまり50歳代までえんえん続くうっとうしい月経であり、妊娠の恐怖であり、子宮筋腫をはじめとする婦人病の恐怖との闘い、出産のプレッシャーとの闘い…の連続である。 今回のクライブ・オーウェンには別に文句はないし、臨場感あふれる戦場シーンや、狭いところをぐるぐる撮ってる映像テクなどもきっと素晴らしいのであろう。 しかし「難民排除」の問題を持ってくるとか、キーが黒人でありその子供も当然黒人、という設定に「しょせん僕らは同じ〝種〟ではないか」「肌の色とか関係ないよね」(題名もまさにそんなことだし)という作り手の声があまりにもはっきりと聞こえてきて、かえってあざとく感じる。 それに、赤ん坊を抱えた母親の前では、どんな兵士も銃を背ける、なんて、あまりにもイージーなヒューマニズムじゃないか?旧日本軍が大陸でそんなことをしたか?ナチスはどうだったか?もっともっと人類の歴史をさかのぼればどうなのか?人間って、そんなものだったか? もうひとつ、「せっかく機能があるなら、使えよ」という声も聞こえてきて、うんざり。負け犬などは、「捨て石」程度にしか利用価値が無いということだな。 もしかすると、この映画はすごく危険な思想を孕んでいるかもしれないと思う。「産む機械」とか言っているどっかの大臣と、あまり変わらない考え方じゃあないのか。[DVD(字幕)] 5点(2007-05-27 00:41:42)(笑:1票) (良:4票) 《改行有》

363.  プルートで朝食を 《ネタバレ》 ジョーダンいわく「哲学的思考への恐るべき無関心により、悩むことなく幾多の困難をかいくぐる」のがパトリックという性同一性障害者だ。「おお、なるほどう」とうなずく。そうそう、パトリックというのは、「この人生は〝冗談〟としか思えないので、〝真剣〟になど生きられない」が信条なのである。 その理由は、「破戒神父と小間使いがデキて生まれたのが自分」で、「母はバスケットに入れて自分を捨てた」であり、「なんで女の子の体に生まれなかったの」であり、よって「神様は〝冗談〟で自分をつくった」になるからである。「真剣になんて、生きられない」だ。よって題名も有り得ない場所で朝食なのだ。 が…個人的には、キリアン・マーフィー演じるパトリック(意地でもキトゥンなどと呼ぶものか)というのが、どうにも「正視しがたい」不快きわまりないキャラだったのだなあ。 「エグい」というのが、一番当たっていると思う。 「常にクネクネする」「常に上目遣い」「常に囁くように話す」「常に媚び全開」ってそらー、フツーの女は、そんなもんかい?ええっ? 濃すぎるのだ。過剰なのだ。何がって「女」があ。 そんでまた、キリアン・マーフィーの女装というのが…ビジュアル的に、キッツい。オカマ、NO。 私は「クライングゲーム」には感心したのだ。ジェイ・デビッドソンは女に見えなくとも美しい。見ているだけで、ありがたい気がする。 パトリック、それは、汚いオカマ(ああ、言っちゃった許して)。 それに私は、基本的に悩まないやつが好きじゃあない。冗談でしか生きられないやつは、脇ならまだいいが主役にしてほしくない。 あと…リーアムの破戒神父は、小間使いを孕ませて、そ知らぬ顔で20何年神父を続けているのはなんだ?神父だろ? よって視聴後に果てしなくむなしい疲労感が…。「意地でもキトゥンなどと呼ぶものか(あんたの冗談にはつきあえない)」[DVD(字幕)] 5点(2007-05-12 21:13:10)《改行有》

364.  変態男 《ネタバレ》 これは、入っていないだろうとタカをくくって検索したら…すばらしい。さすがにここのレビューです。 この作品を登録されたレビュワーさんもおっしゃるとおり、邦題のセンスには、おどろきを通り越して、「マニアしか借りないように仕向けているつもり?」との作為すら感じます。まあ、フツーの客は、見ないよねえ。特に、女性の視聴率は果てしなく低そうだ。私のような、物好きぐらいに違いない。 しかし、これは、エグさを売りにしたスプラッター映画ではなかった。 フランスの若手新鋭アーティストが集まって、仲良く作った低予算映画、である。どうやら、主演のカルロなど、ノーギャラらしい。 ジョルジュという、むなしい中年男の崩壊した行動を追った作品。フランス映画らしくラストは辛口。(もうひとつのエンディングのほうが、納得がいくけどもなあ) 私としては、クリスティーヌがいつ反撃に出るのかと期待していたのだが…そういうことだったのね。 日頃から虐待慣れしていたM女であったため、トランクに飼われるという有り得ない生活に。 おまけに、ジョルジュは娘だけは可愛がっているのかと思いきや、ここでも予想に反し…。 予想を裏切り続ける、という点では、これは秀逸な脚本といっていいのでは。 ジョルジュが冒頭で突如として他車を襲撃した動機づけをはっきりさせないことといい、クリスティーヌがシモンを退治したことといい、不条理にしたいのだ。強引にすぎるが。「なぜ」でなくて「どうなるのか」を見る作品だ。 妻がすごいですね。倦怠期の妻というのは、ここまで夫を罵るものでしょうか。特に問題があるようにも見えないのに。フランスの女の人って、こわいですね。 あと、クリスティーヌ役の女優さんが、フランス人なのにあまりにも胸が無いことに驚く(テデスキさんとかを見慣れてしまったので)。 低予算のわりには、まともな作品です。あまりにもひどい邦題のせいで、見てくれる人が少なそうなのが、残念なくらいだ。次作にも期待したいですね。[DVD(字幕)] 7点(2007-05-12 21:07:03)《改行有》

365.  16ブロック 《ネタバレ》 ブルースはかなり役作りに励んだと見た。減量+老けメイクで左肩を上げて足を引き摺る。いつものマッチョなイメージを吹き飛ばした。しかし。 ブルースの役作りには感心するが、ひとつ、大きな違和感というか、疑問がある。黒人をバカにしているのか? 脚本を書いたのは白人男性である。エディの強烈なナマりは、いったいどういうつもりか。モスの勝手な役作りというものなのか? ものすごくおおざっぱに言ってしまうと、これは「過去の罪を懺悔して、善人に戻った〝良い白人〟が、〝悪い白人〟と戦って、黒人にお情けを施す」というストーリーではないかあ。 だから、バカにしているのか? 黒人は、〝お情け〟にすがって生きるのを喜ばなければならないような、「第二の人種」だと思っているのか?じゃ、エディが日本人だったとしたら、みなさん、こんな映画見て屈辱を感じませんか? ここのところの思想には、ものすごく無神経な差別を感じる。もち、モーズリー役が有色人種の刑事だったら、そういうことにはならないのだが。もしくは、エディには裏があって、モーズリーがまんまとダマされる、とか。 それを置いといていうと、バスジャックの場面やマンションの部屋番号のくだりなど、モーズリーが知恵者であることをあらわす場面はそれなりに面白い。しかし、モースの悪役ぶりが、あまりにも類型的でなあ。あと、ラスト裁判所の場面はかなり情けないものがあるが(有り得ない…)、バースデーケーキの場面で多少救われた感がある。[DVD(字幕)] 5点(2007-05-05 20:05:56)(良:1票) 《改行有》

366.  トランスアメリカ 《ネタバレ》 私は「プリシラ」を思い出しちゃった。 映画としてどちらが印象に残るかというと、「プリシラ」なんだなあ。やっぱり映画は「ショー」なんだ。あのテレンス・スタンプの下手くそなダンスや、70年代サウンドはやっぱり楽しい。 「トランスアメリカ」のどこがいけないというわけではない。 たまたま「知らない間に自分の子供が生まれていた」というテーマが、最近の映画界で重複しすぎているというのもある。 しかし、見どころはハフマンの淑女ぶりくらいしかない、ように思う。 そして、ハフマンの「淑女」はもちろん見ごたえがあるのだが、もうひとつ印象に残らない。 これなら「ヘドウィグ」のほうが、印象には残るなあ。 なんか、芸術性が足りないような気もする。確かにハフマンはすごいが、それしか誉めようもない。[DVD(字幕)] 6点(2007-05-05 19:58:40)《改行有》

367.  サムサッカー 《ネタバレ》 ティーンエイジャーをとてもマジメに描いた作品だ。 10代の少年の抱える「不安」を、通俗的な回答を用意することなく、また、安易な「家族万歳」に流れることなく、終始誠実なトーンで描く。こういうの、ありそうでなかなかない家族ドラマだ。 リタリンそれは、ADHDには効くが、そうでない人が飲むとなんでもないかハイになるだけ。 この映画のジャスティンは、とてもADHDに見えない。よって、ADHD特有の悩みなど持っていない。こんな簡単にADHDと診断されてリタリンを処方されるものかなあ、と思うとちょっとこわい。 それでまあ、指吸いに象徴される「不安」というのは具体性が無いものほど深く厄介であり、ジャスティンはそれをどう扱えばいいのかわからず、リタリンによって「更なる覚醒」へ行ってみたが、自分には合わないとマリファナによる「憂き世からの逃走=酩酊」へと振り子のように真逆(この言葉は下品だが)に走る。果たして「覚醒」と「酩酊」のどちらがジャスティンに合っていたのかというと…たぶんどちらでもないのだろう。 この映画は、ひとりの「不安」を抱える少年と、その風変わりな家族、そして先生や歯医者や俳優(こいつはゲイだろう)という数人の大人の男たちの現実を切り取っていて、「不安」と「依存」にも迫る。果たして自分は、「不安」をどんな「依存」で解消しようとしているだろうか? ティルダ・スウィントンはあんなに腹が出ていただろうか。「セル」で変態犯罪者を演じたドノフリオはここでは非常に良い味を出している。不器用で口下手なお父さん。 特筆すべきはキアヌだった。常々キアヌをバカにしているわけではないが、「演技派」とはいえないと思っていた。今もそれは変わらないが、ここでも、嫌そうにタバコを吸うキアヌ…ああ、あなたってほんとに演技が×なのだけれど…なんか、この変人歯医者役がミョーにはまっていたのだ。目がマジというか。キアヌって、けっこう変な人なんじゃないかしら。 弟ジョエルとジャスティンのやりとりもクスっと笑えてよい感じだ。親や教師には常に挑戦的なジャスティン君が、弟に対しては、何気ない愛情がにじみでている感じ。兄弟っていいよね。[DVD(字幕)] 7点(2007-05-05 19:21:44)《改行有》

368.  アダム -神の使い 悪魔の子- 《ネタバレ》 デニーロさんはけっこう安い映画に出ているのである。アンジェラ・バセットがスチュワーデスでデニーロの彼女だったやつとか。もう題名も忘れたが。 で、グレッグ・キニアが主役を張るなどそんな…と思ったとおり、変な映画。 グレッグ・キニアは脇役でよく出てくる俳優さんで、「ユーガットメール」のメグ・ライアンのボーイフレンドが記憶に残る。もちろん主役感はゼロである。 そこになぜデニーロさんが。もはやデニーロといえば、即座にどうよのテルとかリチャードホールとかを思い浮かべてしまう、かわいそうな(日本では)デニーロさん。 そんでまた、ここにもキャメロン・ブライトが。ここんとこ立て続けにこの子が出るんだよなあ。いいかげん見飽きた。 最後の教会の場面で、デニーロとキニアが言い争うシーン、かなり情けない気がした。もう、演技がぜんぜん噛み合ってないように思う。質と格が違いすぎる。 この「尻切れとんぼ」風な終わり方は、間違っても続編の事を考えているのではなく、単なる「風変わりなエンディング」を目指したと思われる。あざとい。[DVD(字幕)] 5点(2007-05-03 20:58:56)《改行有》

369.  ザ・センチネル/陰謀の星条旗 《ネタバレ》 …なんとも感想を述べにくい作品だった。 マイケル・ダグラスが大統領夫人とデキてしまうという時点で、そらー、ムリだなあ。 いくら「愛しているんだ」と言われても、午後1時台のドラマ程度のウソっぽさしか感じられぬ。商品に手を出してるクセに、「この仕事に命をかけてる!」と言われても。 私はとっさにレッドフォードの「スパイゲーム」を思い出してしまいましたね。 老いたりといえども、女好きとして鳴らした遊び人の敏腕エージェント。それが、仲間の裏をかきながら、ご老体にムチ打って、大活躍。昔取ったキネヅカ。どうでしょう、似ていませんか。 しかしなあ、もちろん、軍配は高らかに「スパイゲーム」に挙がるのであーる。 突然のロケット弾でヘリ大爆発、とか、ショッピングモールで銃弾戦、とか、緊迫感は無理にでもあるのである。そう、無理にでも。しかし。もうFOXはいいかな、という気にさせられる。 また、「アメリカ人て、やっぱり(クソ)マジメな人たちよね~」という感慨も浮かぶ。この場合の「マジメ」は、「易々と、手段が目的と化してしまう」人々、です。いかにシークレットサービスを持ち上げられても、「セキュリティ」をここまで突化してしまうと、不自然だあ。洒落でもないのに~。「大統領という王将を守るためなら、どんな手段でも」で、持ち駒を惜しまず切りまくる下手な将棋にしか思えぬ。 これは頭を使わず何かを忘れたい時に見るには最適でしょう~。[DVD(字幕)] 5点(2007-05-03 20:44:45)《改行有》

370.  ザ・ダーク(2005) 《ネタバレ》 けっこう時間を忘れて見入ってしまった。 悪くないと思う。久々に、ぞくぞくとした寒気を覚えた映画だ。(もしかすると発熱のせいかも) タイトルどおり、この映画は「闇」による怖さを出そうとしている。その試みは、私に限っては、かなり有効であったと思う。 例によってネタバレしますのでご注意。 原作ものだそうだが、簡単に言ってしまえば「ペットセメタリー崖バージョン」とも言えるので、二番煎じの感はある。あるが、そこはアンダーソン、映画としてある程度以上の質を保ちながら、主人公アデルを「行ったり来たりさせ」ることで、モノマネ感を和らげる。アデルがエブリス親子にいたぶられる場面では、「過去」と「事実」と「非事実」と「願望」が混沌とし、額から血をたらした鬼気迫るアデルがダメ母ぶりを懺悔しながら「Give me a secound chance!」と絶叫し、作品中のテンションが最高潮になる。そう、このへん、ホラーというより心理サスペンスぽいのだ。 これを「あざとい」と感じる人は、面白くないだろう。 が、私はけっこう好き。なにより、「ヒストリーオブバイレンス」のマリア・ベロ、この人は私にストレスを与えない。 この作品はマリア・ベロのプロモーションと言えるくらいに、ドロドロびしょびしょの彼女が全編出ずっぱるのだが、こんなに長いこと見せられてもストレスを感じない女優さんはあまり居ない。 まず、誰もが認める美人顔でありながら、色気がゼロ。これは、シャロン・ストーンとか、キム・ベイシンガーなどのブロンド美人の系統だ。この人たちは、わかりやすーい美人であり、そして色気は無いという共通点をもつ。よって、女性に好かれる。(マリア・ベロの色気の無さは、同系統の中でもちょっと驚異的ではある。) やはり長時間の視聴に耐えるには、美人でなくてはいけない。デブでもいけない。あんまり女っぽくてもいけない。…マリア・ベロは長時間映っているのに適した女優さんだなあ。 ともあれ、話題になっていないわりには、良いと思います。子役(サラのほう)は雰囲気があって良い。ウェールズ男のデイビッドもそれらしい。ショーン・ビーンの良さは私にはよく分からない。ごめんなさい。[DVD(字幕)] 7点(2007-05-01 21:37:31)《改行有》

371.  マッチポイント 《ネタバレ》 この作品を見ると、西洋人にとって非常に重要な事柄が意図的に省かれている(描かれていない)ことに気づく。 舞台はイギリスであり、ヒューイット一家はプロテスタントのはずで、クリスはアイルランド人だからカトリックに違いない。なのに、2回の結婚式以外に、宗教に関する事柄が一切出てこない。その結婚式ですら、神の前で誓いのセリフを言う場面すらカットされている。これはおかしい。きっと、もののわかる西洋人がこの映画を見れば、たちどころに理解できるようになっているに違いない。 で、これは監督の意図を示しているのだ。それは、冒頭でクリスがドストエフスキーを読む場面をわざとらしく映すことでも明らかだ。 クリスは「すべては運である」という世界観を持っていて、それはテニスプロとして多くの試合を経験した結果であった。「いつも固い試合を心がけていた自分が、大成できなかったのは運のせい」そして、「運」に左右される人生に嫌気がさして、ツアープロをやめてコーチになった。 で、「運」であるが、井沢元彦が言うには、偶然の幸運に対して「これはきっと死んだお父さん(とか先祖とか)のおかげ」と思うのは「アニミズム」で、「オレってものすげーツイてる!きっとそういう時期なんだ。」とか思うのは「マナイズム」なのだそうだ。 クリスは、当然後者である。そして、前述のように「神様はいない」と知っている(つもり)。 すると、悪事を働いたとて、いつもどこかであなたを見張っている神様は存在せず、地獄に落ちることもなく、仏教でもないから「因果応報」で凶事が降りかかってくることもない。 いかに追いつめられたとて、クリスが愛人殺しをするには、こうした背景が必要だった。(これがなければただの火曜サスペンスになってしまう。) …が、クリスは試したところもあると思う。「神様の力が働いて、自分の悪事がバレるかどうか」「やっぱり神様がいて、死んだら地獄に行くのかどうか」「神様が自分を懲らしめるために、罰を与えるのではないか」もともとカトリックで育った彼なら、そう思うのが当然である。 しかしこの映画では、そのどれも起こらず、不安気なクリスのアップで終わる。 「果たして、神様はいるのか?」「本当に人生は運だけで回るのか?」そう問いかけたまま意味深に終わるのである。これはウッディ版「神様のいない(?)世界の危険な情事」、前作よりはパンチは効いていた。[DVD(字幕)] 7点(2007-04-29 00:32:16)(良:3票) 《改行有》

372.  the EYE 2 《ネタバレ》 前作には感心しきりだったため、期待してレンタル。 結果…イカん。何がイカんて、転生は。それは、ホラーなのか。 ネタばれします。 途中までは、謎めいた感じでなかなかよいのですよ。さすがにパン、と思っていると。 愛人を恨むあまり、お腹の子となって生まれ変わるたー、そら、もはやホラーではない。 「ほらー、不倫なんかするから、バチが当たったのよー」という、「説教」の世界である。 それでまた、死んだ人間が妊婦の腹に入るというシーンを、サービスよく出しすぎ。なにも「エクソシスト3」ほど隠せと言っているわけではないが、こういうのははっきり見てしまうとかなり興ざめ。例の飛び降り連続シーンも、私には「いいかげんしつこい」としか思えず、「怖い」というのとは違う。ここらへん、かなりあざとく作っている気がする。 そして、よせばいいのに正妻の幽霊までくっきりと出してしまい、出したことにより「女の恨みは怖い」という肝心のところは、希釈されてしまう。 勧善懲悪に終わるホラーなど、つまらない。 だいたいが、「もともとの原因はタカが不倫」というのがショボい。火サスじゃないんだから。 「震える夜」からパンに関心を抱いてきた私にとっては、非常にがっかりさせられた作品であった。いったん「売らんかな」から離れて、ゼロから出直してもらいたい。[DVD(字幕)] 3点(2007-04-21 22:32:41)《改行有》

373.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 評判どおりの、よくできた映画だった。 サリエリは老けメイクが変だったが、回想場面ではキリッとした紳士面で「嫌らしさ」「人間くささ」を見事に演じ切り、爽快。モーツァルトは他の役者でも良かったように思うが、オペラを指揮している時は、可愛くて好きだ。コンスタンツェは美化しすぎ。 さて世の中は、「天才」と「天才ではないが天才を見抜く能力を持つ者」と「そのどちらでもない者」に分かれる。その割合はきっと、1:10:10000(変?)くらいなのだろうが、どこに入る人が一番苦しい人生を送るかというと、真ん中の人だ。 誰もが「サリエリ」かというと、全然そうではなくて、「サリエリ」になるのも大変なのである。「自分はサリエリだ」と思うのは、概ね勘違いだ。 私は、映画「アマデウス」において、サリエリ本人が思うほど、サリエリは劣っていなかったのではないか、と思っている(音楽的根拠はない)。 というのは、サリエリは、田舎者から成り上がって、皇帝のお気に入りの宮廷作曲家にまでなった男。よろしく立ち回るのが得意だったとはいえ、無能の人間にできることではない。 サリエリは、モーツァルトと出会ってその才能に打ちのめされ、「必要以上に己の才能を卑下」してしまったのだと思う。「自滅」である。あくまで映画の中のサリエリについての解釈だ。 「憎しみ」と「愛情」は近距離にあり、「愛情」の反対は「無関心」だ。サリエリは、モーツァルトを無視することすらできない。スパイを投入するほど、彼に関心があって仕方ない。これが「愛」でなくてなんであろう。滑稽である。そして悲しい。 「報酬には代償が必要である」とは、サリエリが経験から学んだ(と思っていた)玉条だったが、「代償」に対し「報酬」を期待するのは、相手が神様である場合に限っては、間違いなのである。 そしてサリエリの意地悪が無かったとしても、生きているうちにモーツァルトが認められることは無かったと思う。天才によくあるように、社会人としては行動が破綻しているからだ。モーツァルトが野たれ死ぬのは、自然の流れだった。でも、意地悪をしたサリエリには、「罪」の意識が残った。…本当は神様への一打にすらなってなく、すべてはサリエリの一人芝居、空回りであったようにも思う。 もうひとつ、人間性と、その人が作ったアートとの間には、関係がないことも、この映画は良く教える。[DVD(字幕)] 9点(2007-04-21 21:48:02)(良:3票) 《改行有》

374.  夜よ、こんにちは 《ネタバレ》 実在のテロ事件をベースにしているところ、やはり「ミュンヘン」を思い出す。現実に起きたテロ事件を映画においてどう料理したか、という点では、こちらに軍配を上げる。「ミュンヘン」では、スピルバーグは思い余って重要なことをセリフで言わせてしまったり、思い入れが激しすぎて失敗しているからだ。 「夜よ」では、ほとんどのシーンがキアラという美人テロリストの視点を中心として描かれる。 さて、美人で23歳で図書館に勤めるキアラがなにゆえ赤い旅団のメンバーとなって、テロに参加するのか。最も重要な疑問というのはこれである。 キアラの夢にモノクロで現れる、パルチザンの処刑。父は、どうやら、ファシズムと闘って処刑された抵抗運動の闘士だったらしい。 キアラの理由は、父である。23歳の彼女に、自前の思想などあるわけがない。 モロが法王あてに書いた手紙の感想を聞かれたとき、涙を浮かべていたにもかかわらず、「つまらない冷たい手紙」と言い切ったキアラ。それを言わせたのは、死んだ父である。無残に処刑された父がいる限り、キアラは女闘士であり続けなければならない。 キアラというのは「父の娘」なのだ。世の中には「父の娘」と「母の娘」がいる。「父の娘」というのは、「母の娘」に比べて「かたくな」なのである。 ところが、「父の亡霊」に憑依されているはずのキアラに、変化が起きる。それは、とうの昔に死んで、顔もロクに思い出せないような父と、現実に一つ屋根の下に存在するモロが重なって見えてきたせいだ。キアラにとって、品がよく、教養があり、家族思いで、思慮深げなモロの姿は、「理想の父」の姿に思えて仕方ない。父=モロ現象に、キアラは苦しみ、モロを逃がす夢を見始める。 現実には処刑されたモロの葬式と入れ違いに、自由になったモロが表を歩く姿で映画は終わる。 これが、監督の撮りたかったシーンだ。「あのとき、誰ひとりモロを救うことができなかった。」過去に遡って、間違いを糺したい。でも、できない。だから、この、映画の中でモロを解放する。「自由なモロ」の微笑みが心に痛い。やはり、最も言いたいことは、セリフで言わせてはいけない。 今も獄中にいる犯人たちは、50代であろうか。このラストシーンを見て欲しいと思う。[DVD(字幕)] 8点(2007-04-21 14:47:59)(良:3票) 《改行有》

375.  イルマーレ(2006) 《ネタバレ》 こういうのはいい。 常日頃俗塵にまみれて身過ぎ世過ぎに汲々とし、厭世観にとらわれつつあるそこのあなた、おすすめですよ。 「ユーガットメール」と同系統の、大人の童話である。まだ巡り合えぬ二人が、文章を通して惹かれあう。そして、有り得ないことだが、最後はハッピーエンド。 ラブストーリーには障害が不可欠だが、「距離」でも「言葉」でも「性別」でもなく「時間」を持ってきた、というところが新鮮だ。韓国でそんなような作品があったみたいだが、そちらは未見。…悪いけど、「大人の童話」として楽しむには、現実離れした容姿の登場人物や、風景が必要だ。アジアに生きる私にとっては、アジア人が演じるラブストーリーには親近感こそ感じても、空想の世界に浸ることはできぬ。というのが本音だ。 それで、あっさりさっぱりと、余計なものを極力省いたこの作品、そのシンプルな芸風は良いと思う。 「大人の童話」として消費されるためには、「ストレス」を極力排除しなければならない。しかし、ドラマ性は持たせなければならない。よって、微妙なバランスを必要とする。あっさりと仕上げなければならない割には難度が高くなる。この作品は、成功したほうだと思う。 で、キャストである。大好きなサンドラ。もはやダイエットもせず、ボサボサ頭で撮影に臨むという、作っているのかいないのかよくわからないその手抜きぶりも、サンドラだから許す。往時のデブラ・ウィンガー並みの胴太ボディは、衣装の工夫などでは隠しきれず、後姿など「おばさん」全開であるのだが、顔は相変わらずの可愛さだ。「28DAYS」の頃の完璧ボディを思い出すと、悲しくなるが、許す。 そして、キアヌ。なんだなんだ、最初の頃のアゴのたるみっぷりは。こちらもダイエットとは無縁に撮影に臨む。いくらスターとはいえ、すごいなあ。 それでまあ、キアヌにこの手の情感を求めるのは最初から無理があるのであり、だからこそ余計な情感が邪魔であるマトリックスとかコンスタンティンに抜擢されるのだが、今回は、私としては初めてキアヌに寄り添うことができた。サンドラ効果であろう。悪くなかったと思う。 他のレビュワーさんも言っているが、アメリカではラブストーリーに建築家はもってこいなのか?その理由がよくわからんが、確かに多い。 太めの二人が、気楽に臨んだこの作品、私は結構好きです。選曲もよし。[DVD(字幕)] 8点(2007-04-18 23:00:34)《改行有》

376.  X-MEN:ファイナル ディシジョン 《ネタバレ》 かなり楽しめた。ような気がする。 しかし、エンドロールの後のシーンは何? ブレット・ラトナー、彼の特徴はドラマ性、それも「メロ」にかなり近いドラマを持ってくること。 よって、登場人物の造形はあまり複雑なものとはならず、10人中9人がシンパシーを覚えるようなドラマを盛り込むのがラトナーの常である。私はこういうの嫌いじゃないけど。 しかし、映画に「娯楽」以上の何か、たとえば「ブンガク性」を求める場合は、ラトナーのような芸風は「俗」の一言で切り捨てられるのだろうなあ。エスねこさんがおっしゃっていたように、私も「映画は祭り性のもの」という意識があるので、「ブンガク」している日本人監督の一群からは逃げ回っている。それはどうでもいいが。 楽しい「3」に対し、いつものようにキャスト面での突っ込み開始。 ファムケ・ヤンセンだ。「3」は「ジーン」に始まり「ジーン」に終わる。「ジーン」とは、複数の男たちに求められ(色んな意味で)、追いかけられるすべての中心となる存在。なんでこいつばかりがそんなにモテる。それが、老けているうえこんなオカマのようなルックスの女優でいいのか。 ヤンセンはデカいだけでなく、ドイツ女だけに、ゴツい。そして、この老け方というのは、無理なダイエットで撮影のために急激に体重を落とした時の状態(キャリー・アン・モスと同じ)。イタい。 どっから見ても女装のオカマ(ニューハーフのミュータント以上にゴツい)であるのに、ありもしない色気を発散し、各方面から追いかけられるジーン。この場合は、アンジェリーナ・ジョリーでもなければ無理というものだろう。 そして、アイスマンのボビーだ。どういうわけか、この子も複数の異性から思いを寄せられる。 …が、いかに好意的に解釈しようが、ショーン・アシュモアにアンナ・パキンの人生を変えるほどのモテ男ぶりを見出すことはできない。どうしたらいいのだ。この顔が、ハイスクールに居たとしたら、そんなにモテるか? そして、なんだなんだ「キュア」の子というのは。「ウルトラヴァイオレット」と同じじゃないかあ。 別の映画で同じ子を同じような役で起用。…確かにこの子はピュアな感じが印象的だが。それにしても(使いすぎ)。[DVD(字幕)] 8点(2007-04-18 14:40:51)(笑:1票) (良:2票) 《改行有》

377.  グエムル/漢江の怪物 《ネタバレ》 たとえばリドリー・スコット「エイリアン」は宇宙の彼方で勝手に発生していたところにたまたま人間様が迷い込んだために、リプリーは生き延びるために闘わざるを得なかった。 「プレデター」は、はるか昔に宇宙の彼方からやってきて、地球に住み着いていたのだが活動時期が稀であったためにあまり人に知られておらず、シュワちゃんたちは、たまたまそこを訪れたために対決せざるを得なかった。 「怪物」、その発生の原因(または原因不明なこと)こそが何よりも重要な意味を持ち、産地によって異なる背景を持つ、もののようである…などとグエムルを見て考えた。 グエムルは意図的に生み出されたのではなく、白人科学者の気まぐれによる偶発的なものとされている。そこには、「韓国の河など、汚れたってかまうものか」という差別と無神経が存在した。 この映画では、リアリティはほとんど無視されているし、監督の意図はリアリティ以外のところにある。それはたぶん、「誰もが弱い者を守ろうとし、最も弱い者でさえ、自分より弱い者を守ろうとする。」人間の姿、とか、「漢江に象徴される韓国人魂は、白人のまやかしに無抵抗で屈することはない」という反骨心であろう。グエムル発生の原因からしても、パク一家が貧乏階級であることからしても、「白人に汚された韓国が、不屈の雑草魂で立ち向かう」話、というふうに私は思う。 「米軍」を「イラクにお手伝いに行っている日本の自衛隊」、「漢国」を「イラク」というふうに置き換えて、イラク人の監督が「グエムルイラクバージョン」を作ったとしたら、どうだろう。日本で上映できるだろうか。ボン・ジュノのメッセージの衝撃度が想像できるだろう。 「反骨」ボン・ジュノの意図はいいとして、作品としては、?をつけざるを得ない。 冒頭の果てしなくたらっとした日常から突如として非日常、のところはよかったし、子供の描き方は一級品と思うが、内容にしては長すぎ、全体としては各シーンを3分の2くらいずつに縮めたらよかった。「まんま」にすぎるというか、「つなぎ」がヘタ、というか、残念な編集と思う。グエムルの動きも、自然な場合と不自然極まりない場合が混在する。 特筆すべきはヒョンソ役の子である。ラスト近く、グエムルへ立ち向かうシーンは鬼気せまる。[DVD(字幕)] 6点(2007-03-24 19:34:34)(良:2票) 《改行有》

378.  さよならゲーム 《ネタバレ》 年下の男を調教するイケている年増女役が十八番となってしまった(もう無理をしているような気もする)サランドンが、後の夫ティム・ロビンスと共演する。 スーザン・サランドンにそういうものばかりを求める映画界というものに対しても、男性側の隠れた欲望を感じてしまい多少げんなりしてくるというものだ。 アニーというのは、「トップガン」の女性教官の跳んでるバージョンでしかなく、サランドンがやっているからそう見えにくいというだけで、ようするに「都合のいい女」でしかない。 サランドン以外の女優がアニーをやったとしたら、どう考えたって、そうとしか見えないだろう。 疲れた男が癒しを求めて訪れる場所。身過ぎ世過ぎを忘れたい時に思い出す女。それがアニー。 中野翠がひいきの映画だといっていたので一応見てみたが…なんにしても、ティム・ロビンスとケビン・コスナーがどうしても野球選手に見えない。野球選手どころか、どんなスポーツ選手にすら見えない体型である。ダメである。 だいたい野球なら尻がデカくなくてはダメだろう。コスナーの悲惨なほどの下半身の貧弱さ。肩幅の狭さ。私のような素人だって、「俳優さんが野球の演技していますね」以外には思いつかないというものだ。ダメだ。 さらに、クールで知的な野球選手を演じるコスナーというのが…あんまりにもキザに過ぎると思うのだなあ。いくらハンサムだといってもなあ、ここまでキザだと、ほとんどの日本人女性は「寒い」としか思えないだろう。あちらでは、こんな男でもフツーにモテてしまうのだろうか。 そういうわけで、ほとんど見どころというべきものはなく、ぬるーい映画である。 単に、サランドンかコスナーかロビンスのファンなら楽しめるのでは、という程度のお寒い出来であった。[DVD(吹替)] 4点(2007-03-24 19:28:03)《改行有》

379.  レディ・イン・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 もうほとんど悲しくなってくるというか、やはりこうなった、のシャマラン新作。 やっぱり「シックス・センス」というのは、自分を売るための仕掛けでしかなかったのであり、売れた後は「本当にやりたかったこと」にどんどんどんどん行く、彼なのであった。 「サイド・ウェイ」で注目を浴びたポール・ジアマッティを使い、そしてまたしても主人公は「妻を殺された男」なのである。このへん、もう、笑いたくなるほどしつこい。 本作でシャマランが描きたかったのはたぶん「因果」とか「一致団結」とかそういうことだろう。もちろんのこと、彼は「全世界」に向けて発信しているのであって、それはいろいろと「汚れちまった世界」のことを憂えている(らしい)からである。 まあはっきりいって怪しい新興宗教のPRビデオだと言われても仕方のないような展開がつづく。 これでだなあ、もしも「オチ」が用意されていて、例えば「KーPAX」のように天使だと思った少女に意外な過去が発覚!とか、ポール・ジアマッティの精神病オチ!とか、今際の際の夢オチ!とかであったならば、見てるほうとしては、ほっと、胸をなでおろすわけだ。「シャマランまともだったじゃん」と。 が、オチは何にもないんである。オチが無いことのほうが、驚くのである。 ポール・ジアマッティがガーディアンじゃなくてヒーラーだったとかいうのは、どうでもいいようなコマカいことであって、オチでもなんでもない。 「サイン」では妻を奪われてヒネてしまった男に、その「妻の臨終の言葉」というまわりくどーい形で奇跡を現した神様が、今回は、直接使者を派遣してくれたばかりか、お迎えのイーグルまで寄越すんだ。すごいなあ。 しかも、シャマラン本人演じる選ばれた若者は、使命のために命を縮めることになっているぞ。なんだなんだ。この過剰な自負心の表れは。 ということで、シャマラン君の崇める神様の行動はどんどんエスカレートしていく。次はどうなる。[DVD(字幕)] 3点(2007-03-24 19:20:29)《改行有》

380.  ザ・コーポレーション 《ネタバレ》 連中は、世界をどうしたいのか。 彼らの思い描く世の中とは、どのようなものなのか。 「連中」というのは、この映画にも登場しているマイケル・ムーアとか、緑の党の人たちとか、この映画の製作者のような人々のことである。 この映画では、「企業」を「人格」としてみた場合の精神分析を試み、立派な「サイコパス」である、と太鼓判を押す。 その後のもって行きかたは、「でも、企業のエラいさんは、一人一人は結構いいヤツなんだ。悪いのは個人ではない。所属している組織であり、機関なんだよ」とくる。 ??意思決定とは、人間がしているのではなかったか?誰かを庇っているのか。それが、この映画の「保険」ということか。 そして、教会や学校といった組織や、公共の組織は、「損をすることができる」から良い、とし、それができないから「企業はダメ」と言う。 ちょっと待って。その「損をした分」は、誰のお金で補填するの? さらに疑問なのは、「囲い込み(エンクロージャー)」が良くなかった、とし、土地や空気や水を「個人が所有」することは悪、と言っていることだ。 ??…ということは、彼らは、全世界が昔のソ連のようになったらいいな、と思っているのか? プライベートプロパティという概念は、それまでの「神の所有物」という共通認識と対比して生まれたのである。柵を立て、塀で囲い、異物を拒否する。囲い込みである。 これがいけないのだそうだ。…ちょっと待って。「私有化」は、モチベーションを高めるのではなかったっけ。その逆も真なり。人間とはそういうものであって、そういうものであったから、こういうことになったのではなかったっけ。 なんと、この映画で彼らは、「すべてみんなで共有したらいいじゃん」と言いたいらしいのである。 各企業の悪業と、それとは、一緒にしていい話なのか? 「企業悪を解決=みんなで共有したらいいじゃん」にひとっ飛びするとは、ものすごい離れ業である。そこまで言うなら、「歴史」をどう考えているのか、明確に語って欲しいものである。 最後にムーアは「オレのやっていることは、企業の首を絞めるナワになること。決してヤツらの側に立っているわけじゃない」などと言い訳する。やっていることに自信があるなら言い訳をするな。言い訳を。興ざめも甚だしい。正体見たり、という気分だ。[DVD(字幕)] 3点(2007-03-21 13:44:43)《改行有》

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