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プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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21.  キングコングの逆襲 《ネタバレ》  昭和パワー満載の【キングコング対ゴジラ:1962年/以下、対ゴジラと表記します】に続けて鑑賞。左記作品と同様、当作品は見損ねていました。  今回、予備知識として【TVアニメ版キングコング:1967年放送】とリンクした日米合作映画だと知りました。「♪ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホ~!ウッホ・ウホ・ウホ・ウッホッホー!大きな山をひとまたぎ、キングコングがやってくる。怖くなんかないんだよ。キングコングは友達さ」…これは【アニメ版】の主題歌の一節です。実は、私にとってコングとの出会いは、このアニメ版(再放送)でした。当時は幼少で、しかも後年、再放送されなくなったため、細かいことは覚えていませんが、アニメ版のコングは、アメリカ人の男の子と友達であり、気が優しくて力持ち。最終回ではニューヨークで暴れてしまいますが、男の子の活躍で周りの人達に優しさを理解されてハッピーエンド…子供心に「コングさん」と親しみを込めて呼んでいたものです。  そのため、小学生のとき映画館で観た【1976年版】はショックでした。頭では「アニメ版とは別物」とわかっていても、血みどろで死んでしまう結末は、私の心の中のコングさんをズタズタにしてしまったのです。後年【キングコング2:1986年】が公開されましたが【興行上の理由で、無理やり製作した】という印象をぬぐえず、鑑賞の対象外。大人になり【猿人ジョーヤング:1949年】を観て、心は救われたものの「ジョーはコングさんではない…」という思いは残っていました。  そして今回、当作品を観たわけですが、さて、結果は…  まず、テーマ曲が終わった後の【前置きとしての潜水艦内での場面】がとても短い(後で計測したら約2分)。すぐ北極の秘密基地に場面が変わりメカニコング登場。さらに南の島へ…とテンポ良く展開し、キングコング登場!。しかも気が優しくて力持ちのコングさんではありませんか!。ヒロインのスーザンともすぐ理解し合えて、私は一安心。それだけに、メカニコングとの決戦前の「戦っちゃダメ。あれは生き物じゃない、機械なの。勝てないわ」というスーザンの台詞には、内心『このコングさんも、結局、死んじゃうの?』と不安になり…ラストでは『やっぱりコングさんは、僕らの王者・世界の王者(主題歌のフレーズです)だ!』と大喜び…と、すっかり幼少時の気持ちに戻って熱中してしまいました。  さて、このままでは、あまりにもお子様の感想のため【大人目線】で観直しました。  まず、特撮は、現在は【作り物という前提で、良く出来ているかどうか】という視点で観る必要があるでしょう。その意味で、コング(“さん付け”は控えます)の造形は、今となってはチープですが、それでも顔立ちは【対ゴジラ】を挽回するかのようにバージョンアップ。かつ、当時の技術なりに表情を変化させ、コングの喜怒哀楽を表現していたと思います。勿論、表現には、スーツアクター中島春雄さんの演技によるものも大きいと思われます。  次に、本編(ドラマ)は【対ゴジラ】と異なりコミカルではないものの、けっして暗くもなく、重苦しくもなく、とても観やすかったですし、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ドクター・フーとマダム・ピラニアは魅力的でした。なお、当時の女性悪役について、私は『男性悪役の行動に疑問を感じ始め、主人公達に味方をして命を落とす』というイメージを持っていました。ちょうどTVシリーズ【仮面の忍者赤影:1967~68年】の【金目教編】に登場する“闇姫”がそうだったように…そのため、ピラニアの最後は【定石通り】とはいえ、切なかったですね。  さらに、ゴロザウルスが泡を吹いて絶命するシーンには「確か円谷英二さんは、子供達に配慮して、怪獣の流血を避けていたんだよな…」と思ったのですが…後でコメンタリーを聴くと「アメリカの製作サイドから血を流すよう要求されたが、円谷さんは信念を貫き、泡にした」と知り、感動しました。一方、本編のドクター・フーの最後は、口から血を吐くシーンになっています。コメンタリーでは解説されませんでしたが、本多監督がアメリカ側に譲歩したのかもしれません。それでも【白い波を被せて映像を和らげるよう配慮している】と、私は感じました。これらは【新しい表現を追求するあまり、残酷描写にエスカレートする】よりも【良識ある作家性】が反映されているのでは…と思います。  さて、採点ですが…一般には6~7点でしょうが、私にとって【コングさんを生き返らせてくれた作品】です。大甘ですが【オリジナル版あっての…】という1点のみを差し引き、本多・円谷コンビの【コングへの愛情】に溢れた良作として9点を献上させて下さい。 *【キングコング対ゴジラ:1962年】は、別途、レビューを投稿しています。[DVD(邦画)] 9点(2020-10-11 19:16:20)(良:1票) 《改行有》

22.  キングコング対ゴジラ 《ネタバレ》  私は、これまで当作品を観たことがありませんでした。子供の頃、頻繁に東宝特撮映画をTVで放送していたにもかかわらず、何故か、当作品は見損ねていたのです。さらに、その後、特撮の専門誌を読むようになって「元祖キング・コング(1933年)の生みの親であるウィリス・オブライエン氏は、フランケンシュタインが創造した怪物とコングが戦う企画をRKOに持ち込んだのだが、いつのまにか日本に渡って当作品になったことを知り、落胆した」という情報を知ってしまったことも影響しました。  ところが【東京おにぎり娘:1961年(昭和35年)】を観たら、無性に「同時期の作品を観たい!」という衝動に駆られて、遂にDVDをレンタルし鑑賞させていただきました。  基本的には、素晴らしい作品だと思います。  まず【モスラ:1961年】も担当した関沢新一さんによるコミカルな味付けの脚本と、それをテンポよく演出した本多猪四郎監督の本編(ドラマ)パートからは「これは世紀の対決だよ!娯楽映画として気楽に楽しんで!」というエネルギーが伝わってきました。  そして、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り、有島一郎さんが素晴らしいですね。私にとって有島さんは、TBSの子供向けドラマ【ケンちゃんシリーズ】のお爺ちゃん役や、TV時代劇【暴れん坊将軍】の初代の爺の印象が強かったので「昭和を代表する名俳優さんだったんだ!」と感激しました。  一方、特撮も素晴らしく、しかも、上述した本編(ドラマ)と違和感なくテンポ良くつながり合っているのは、本多監督と円谷英二さんとの信頼関係の賜物では…と思いました。  ただ、肝心のゴジラとコングについては…まず、ゴジラは良いとしても、コングの造形がどうも…私から見てもお世辞にも良いという印象は受けませんでした。鑑賞後、あらためて特典のコメンタリーを聴くと「アメリカ側から、コングの顔はオリジナル版とは違うものにしてくれ、と注文をつけられてしまった」と知り、相当、作り難かったんだろうな…と、納得しましたけど…。  また、闘いについても、最後の最後でコングも【落雷のパワー】で互角になるものの、それまでは常にゴジラ側が優勢の展開であり、【ゴジラ映画】としては良くても【コングの作品】という意味ではどうなんだろう…と微妙な気持ちになりました。  さて、採点ですが…このようなわけで【昭和パワーに溢れた元気な娯楽作品】としては申し分なく、【ゴジラ映画】としては10点にしたいところですけれど…【コングの作品】としては引っかかるものが残りました。このモヤモヤは、この後に観た【キングコングの逆襲:1967年】で解消されるのですが…その【キングコングの逆襲】と比較して8点とさせていただきます。ゴジラごめんね… *【キングコングの逆襲:1967年】は、別途、レビューを投稿しております。[DVD(邦画)] 8点(2020-10-11 19:06:49)(良:1票) 《改行有》

23.  東京おにぎり娘 《ネタバレ》  私は今年の8月に【火垂るの墓:1988年】【クォ・ヴァディス:1955年】と、立て続けに【死】がつきまとう作品の投稿をして、ちょっと気持ちが滅入っていたとき、ちょうど、当作品のレビューを拝読しました。  私はこれまで、当作品の存在を全く知らず「なんだ??この“東京キッド”や“銀座カンカン娘”のような昭和の香りがプンプンする題名は…」という興味からレビュー欄を開くと…投稿数は僅か5つでしたが、全て肯定的な文面ばかり!。↓の【はあさん】も「凡作」と結論付けているわりには、その前段でとても懇切丁寧な解説をして下さっており「これは是非、観てみたい」と決心。なんとかDVDを取り寄せて鑑賞しました。  率直な感想は、観て良かったです!。  まず、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、作り物ではない、まさに当時の本物の昭和30年代の街並みが見られるだけでも、歴史的な資料としての価値があると思います。  そして、こうした街並みを背景に【商売も気概も衰えて気弱になり始めた頑固親父さん】と【生きるエネルギーに満ち溢れたしっかり者の娘さん】を軸に繰り広げられる人間模様の数々…けっして、劇的にどうこうというわけではありませんが、登場人物が多いわりに展開がとてもわかりやすく、きちんとまとまっていく人情ドラマに感心、というより安心しました。  一つ一つの役者さん達の演技にも感じ入りました。  カメラを固定した中で紡ぎ出される会話の妙…脚本を活かす役者さんの達の演技があってこその味わい深さでしょう。映像表現やカメラワークで魅せるタイプの作品とは対極にある印象を受けました。  若尾文子さんは、私が物心ついた頃、すでに【落着いた物腰のご婦人】という印象が強かったので「こんな元気な娘さんを演じていたこともあったんだな~」と新鮮。でも、たとえ酔っぱらった演技をしても、品の良さを失わないのは、さすが名女優さん!といったところ。  また、何よりも鶴吉さんを演じた中村鴈治郎さんが素晴らしい。特に【まり子/みどり】という、娘ふたりへのそれぞれの愛おしさがにじみ出る演技に対し、私も“人の親”となり歳を重ねたせいか、妙に共感してしましました。  余談ですが、昭和31年当時は、私の両親も青春真っ盛り(若尾さん達より少し年下かな…)。まり子さんら若い登場人物達には「親父もお袋も、東京でなく地方育ちだったけど、こういう時代を歩んできたんだな…」、一方、鶴吉さんら年配の登場人物達には「お爺ちゃんやお婆ちゃん達も、お袋を嫁に出す・出さないでは、ご近所さん達が見合い話を次々に持ってきて、随分、葛藤したらしいしよな…」といった個人的な思いも重ね合わせたぶん、味わい深さが倍増しました。  それにしても、若尾文子さんら役者さん達は勿論、田中監督を始めとする作り手の皆さん達も、現在、まさか、このようなレトロ感覚の眼差しで鑑賞されるとは考えもしなかったでしょう。でも、根底に流れる【親子の情愛】【昔は良かったと振り返る世代/新しく時代を謳歌する世代】【人と人とのつながり】といったテーマは普遍だと思います。なお、テレビドラマの世界だって、例えば、TBSの【日曜劇場】も、現在のような【劇的な展開を売りにした連続ドラマ系】になる以前(平成5(1993)年3月まで)は、こういった【一話完結のほのぼのとした人情ドラマ】を、ときどき放送していたように思います。【作品の多様性】という意味で、再び、こうした人情ドラマが復活しないものだろうか…といったことも思ったりしました。  いずれにせよ、当サイトが無ければ、私は永遠にこの作品に出合うことは無かったでしょう。ありがとうシネマレビュー!  さて、採点ですが…私も、いわゆる【不朽の名作】というよりは【佳作】という位置づけの作品だと思います。でも今回の鑑賞で、ささやかながら、生きる力が湧いてきました。私はかつて、同時期の作品である【日活版の青い山脈:1963年】に8点を献上したことがあります。同じように、大甘とは思いますが8点を献上させていただきます。[DVD(邦画)] 8点(2020-10-03 17:36:54)(良:1票) 《改行有》

24.  クォ・ヴァディス(1951) 《ネタバレ》  2020年7月以降、当作品の投稿が続いたため、かつて観たことのある私も、デイスクをレンタルして再鑑賞の上、投稿しました。  当作品の鑑賞は、今回で3回目です。  1回目は高校生のとき、TVの深夜放送(吹替え版)でした。スパルタカス(1960年)も同時期に深夜放送し、両作品に出演していた俳優・ピーター・ユスティノフさんの吹替えも同じ人(後で確認しましたが、田中明夫さん)でした。当時はビデオレコーダーが無くタイムリーに観ましたが、スパルタカスと同様、最後まで引き込まれました。  題材は【皇帝ネロによるキリスト教徒迫害】でしたが、印象深かったのは、前述のピーター・ユスティノフさんが演じるネロの人物像でした。「僕ってすごいでしょ!天才だよね!」といった【幼児さんにありがちな“万能感”を抱いたままの未成熟な人物】のように描かれており…自分の考えた新たな街づくりを実現させるために市街を焼き払い、竪琴で自画自賛の歌をうたいながら、燃える街並みを、宮殿から高みの見物をする…その姿にゾッとしました。このような言わば【大人になり損ねたガキ】になった【経緯】は描かれていなかったものの「どうしてこんなガキを皇帝にしておくのか!」と高校生なりに憤ったものです(当時の私は授業で日本史を選択。世界史を選択した方々なら【経緯】は常識?)。  2回目は、社会人になり、レンタルビデオで鑑賞。このときは【ローマ市街の大火/ペテロの逆さ十字架/ガルバ将軍の軍団の行進】の場面のBGMに、後年の【ベン・ハー:1959年/キング・オブ・キングス:1961年】と似たメロディーが使われていると気付きました。私は当時『音楽担当のミクロス・ローザは、この作品からMGMの歴史劇大作に携わるようになり…その際、物語が展開した時代や現地の音楽を、調査・研究して作曲に臨んだ』と知っていたため「これが、ローザの歴史劇キャリアの原点だったんだ」と実感できました。    そして3回目は【今回】なわけですが…もともと2回目の鑑賞時から念頭にあり、今回、一層、強くなった思いがあります。それは「皇帝ネロの人物像にしろ、街を焼き払ったか否かにしろ、後世の研究では見解が違ってきており、当作品は“一解釈”にすぎないものの…いずれにせよ、キリスト教徒の【迫害】、というより【虐殺】を扱った物語であることに変わりがない。当作品が公開された1951年は、第2次世界大戦が終わってまだ6年足らず。原作の小説が書かれたのは19世紀末で、世界大戦が念頭にあろうはずはないが、当時の観客さん達は【キリスト教徒の虐殺】を【ナチスによるユダヤ人の虐殺】と少なからず重ね合わせながら観たのではないだろうか…」ということです。  当然、当時の観客さん達は【虐殺シーン】に“リアルな映像によるカタルシス”を望んだわけではないでしょう。特に【円形闘技場で、互いに身を寄せ合いながら祈るように歌い、その後、次々と命を奪われていく場面】では「強制収容所の人達も、きっと、このように祈りながら亡くなっていったに違いない…でも、このような悲しく恐ろしい時代は、きっと終わる…」と、客席で祈りながら観ていたのでは…と思わずにはいられません。【虐殺】の映像表現が“控えめ”というか【節度】のあるものになっているのは【当時の映画界の表現規制/技術的な限界】だけが理由では無いのでは…と思われます。  このように映像表現に【節度】があるため、若い世代の人達にお勧めするには不安があります。「もっと血みどろの迫害シーンを期待したのに…/猛獣に食い殺されるシーンにガッカリ。もっとリアルに首根っこを…」といった感想が並びそうで、私にはそのほうが、この映画以上に恐ろしい気がします。たとえ【映像しての迫力】という意味合いだとしても…。もしご覧になるなら、最低限【公開当時の時代背景】を念頭に…。もっとも、ディスクの特典映像では、私が推察したことへの直接的な言及は無く、他に色々な背景・状況があったようですけど…。また、当サイトのレビュアーさん達なら、上記のような感想は、お持ちにならないとは思いますが…  現在のアメリカ映画界はリメイク流行りですが、【迫力ある映像】が安易に【過激な残酷描写】に陥らないよう、もしリメイクする場合は慎重に…。  さて、採点ですが…【虐殺】を扱っているので、好きな作品には位置づけられませんが、熱演した役者さん達や、作り手の皆さんの労苦を察すると低得点にも…ということで、当サイトの採点基準である「出来としては良い」に則り、8点を献上します。  そして最後に…【〇〇教徒/〇〇人】といった括りに留まらず、現在の国際的な世相が【排他的】になってきている今日、【虐殺】で命を奪われる人達が現れないように…と願ってやみません。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-08-30 15:52:33)(良:1票) 《改行有》

25.  火垂るの墓(1988) 《ネタバレ》  終戦の日が巡ってきました。今年は日テレで放送しないようなので、今さらですが投稿します。  まず初見時のインパクトから。私が最初に当作品を観たのは、父と共に、叔父(父は末っ子だったので、叔父とは、かなりの年の差がありました)の家に泊めてもらったときです。  それまでも、戦時中を舞台にした実写の映画やTVドラマは観ていたものの…【現在、活躍中の役者さん達が、戦時中の衣装を身につけ、すすけたメイクをしての再現】では、私にはどうしても【表面的な作り物】という印象を否めませんでした。  一方、当作品は【絵】のはずなのに、否、【絵】だからこそ、私には描写が非常に生々しく感じられ、没入できました。  没入できたのは、徴兵経験のある叔父と観た体験も大きかったかもしれません。叔父は、真剣な眼差しで、ただひたすら黙って観ており、そこには【無言の説得力】がありました。  次に、当作品が【となりのトトロ】と同時上映だったことに鑑み、次第に思うようになったことについて。それは「もし、サツキとメイも、生まれた時代が、清太や節子と同じで、同じ境遇になったら…」ということです。  もちろん、サツキなら、叔母さんの手伝いを頑張りつつ、次第に「これ以上、迷惑をかけられない」というように、家を出るまでの過程は、清太達と違うものになるでしょうが、最後はきっと同じ運命が待ちうけていることでしょう。そして事情を知らない通りすがりの女や男から「汚いなあ」「アメリカ軍がもうすぐ来るちゅうのに、恥やで、駅にこんなんおったら」と言われてしまうことでしょう。そう思うと、私は冷静ではいれません。「親を亡くしたのは、子ども達の責任ではない!事情を知らずに、ゴミ呼ばわりするな!」というように…。  最後は、皆さんのレビューを拝読してみて、賛否両論、様々な意見があるにせよ「観る者を、冷静にしておけない“激しい感情を触発する”作品だな…」ということです。  冷静に考えれば、野坂昭如氏の体験に基づいているとはいえ、これは【作り話】です。観客受けしやすいように清太をサツキのようなキャラクターに変更し、叔母さんを【最初から二人を厄介者扱いする徹底的に憎たらしい人物】に脚色すれば、少なくとも私の場合、もっと勧善懲悪的に感情をシンプルに処理できるはずなのに、当作品は、そうではありません。次第に関係がこじれていく展開になっており、私には複雑な気持ちが募ります。ましてや、私が激昂する「汚いなあ/恥やで」という女や男だって、脚本に書かなければ済むはずです。  その意味で、観客受けする脚色に成功した典型は、TVアニメの【フランダースの犬:1975年】でしょう。主人公のネロ一人を取り上げても、年齢を原作の15歳から10歳へ引き下げ【周りからひどい仕打ちを受けても、悲しみこそすれ、恨んだりしない、心優しい少年】というように、アニメ独自に脚色しています。その結果、誰もが涙を注ぐキャラクターになったと思います。あのアニメを見て「絵が落選する場合だってあり得るのに、その場合の対策を講じなかったネロの見通しの甘さ・生活力の無さが、パトラッシュを巻き添えに死を招くことになった。まさに自業自得」という感想を抱く人は、誰もいないでしょう。しかし原作は、このような感想が少なからず寄せられるような内容になっていると思いますし、だからこそ、原作しか知らない海外の人達は【日本人が当アニメ版に寄せる愛着】を、理解し難いのでは…と思われます。  したがって、清太だって、アニメ版のネロのようなキャラクターに脚色していれば、観客の皆さんから非難されることはなかったでしょう。高畑監督は、フランダースの犬の製作にタッチしていなかったとはいえ、当然、この【観客受けする脚色】は知っていたはず。敢えて、こうした脚色をしなかったのは、高畑監督の目指したリアリズムなのかな…と思ったりしています。  …というように、私自身、何とかニュートラルな立場で文面を書いてみましたが、やはり冷静ではいられません。それは、どうしても幼い節子が、あまりにもいたたまれないからでしょう。それほどまでに節子の描写はリアルなものとして、私の胸に刺さっています。  「アニメ、恐るべし」…この言葉は、当アニメを観た野坂昭如氏が発したお言葉だそうですが、私にとっては「高畑監督、恐るべし」 です。  さて、採点ですが…①「アニメは子どもが見るもの」という意見がまだ根深かった時代に、【映像表現】としてのアニメーションの可能性を具現化した高畑監督及びスタッフの皆さんへ敬意を表し、また、②清太と節子は架空の存在とはいえ、現実には、この二人のように、戦争によって両親を失い、生きることが出来なかったあまたの子供達への鎮魂を込めて、10点を献上します。[地上波(邦画)] 10点(2020-08-15 16:27:06)(良:1票) 《改行有》

26.  ジュラシック・ワールド 《ネタバレ》  ジュラシックパーク(1993年)のリブート版とも言うべき当作品。CGが当たり前になった現在において、目の肥えた若いレビュアーさん達にとっては「他作品よりはお金をかけた映画」という程度かな…と思ったりしています。私にとっても正直、娯楽映画としては【普通】です(作り手の皆さん、ゴメンナサイ…)。このレビューでは、当作品に登場したモササウルスとプテラノドンに関する感想を述べたいと思います。    まず、モササウルスについては、当作品でクローズアップしてくれたことを嬉しく思います。  ご存知の方々もいらっしゃると思いますが、1970年代に、北海道で「日本で初めて、肉食恐竜の化石が発見された」という報道がありました。この化石はエ○ミ○サリュウと名付けられ、当時の地域おこしにも一役買いました。  しかし1980年代になり、モササウルス科の化石と判明。私は「古代の海の生態系の頂点に君臨したモササウルスの仲間ということか!。恐竜とは進化系統が異なる種とはいえ、中生代に繁栄した大型の肉食脊椎動物であることに変わりはない。これはこれで素晴らしい」と思ったのですが…現実は、俗称の【海トカゲ類】という言葉が独り歩きし、当時のマスコミでは「恐竜ではなくトカゲだった」という見出しで報道されました。某テレビ局では、現地の男の子に「恐竜なら格好いいけど、トカゲじゃ格好悪い」と言わしめる街頭インタビューを流して放送しました。「恐竜でなくてガッカリだね、残念でした」という否定的な価値観のフィルターにかけた情報であることは明白であり【中立的な情報伝達の難しさ】を痛感したものです。  もし、当作品の公開後だったら「あのジュラシックワールドのモササウルスが日本にも生息していた!」と肯定的な価値観の報道になっていたのでは…と思われます。  一方、プテラノドンをはじめとする翼竜の描写は感心しませんでした。少なくともプテラノドンは、現在の研究では「崖や木の上から上昇気流を活かして飛び立ち、クチバシで海面から魚をすくい取るように捉えて生活していた」と言われているようです。【現在の鳥類】と重ねるなら、ワシやタカなどの猛禽類ではなく、アホウドリ(この名称は、人間の驕りに満ちた視線を反映しているようで私は好きではありません)や、オオミズナギドリのような生態だったのではないでしょうか。もちろん、今後の研究で、さらに新しい説が現れるのでしょうけれど…  しかし、どうも映画では、キングコング(1933年)の昔から【後ろ足で人間を鷲掴みにし、空中高く持ち上げて食べようとする空飛ぶモンスター】として描きたいようです。私が10点を献上した恐竜グワンジ(1969年)の頃ならまだしも、2015年でも旧態依然としたままとは…。  当作品内の台詞を引用する(これが、一応、ネタバレになる?)なら「より恐ろしく、誰もがアッと驚くものを/リアリティーよりも見てくれを求める」という観客のニーズに応えた描写と言えるのかもしれませんが…。もっとも、そんなこと言ったら、ティラノサウルスをはじめとする他の生物群も、程度の差こそあれ、大仰な演出・描写がなされているのでしょうが…。  さて、採点ですが…冒頭の通り、私にとっては【普通=可もなく、不可もなく】であり、かつ、【モササウルスに関するプラスイメージ】と【プテラノドンの描写へのマイナスイメージ】を半々に、5点とさせていただきます。結局、個人的な恐竜論になっているだけで全然レビューになっていませんが、悪しからず… *令和2(2020)年7月28日(火)追記  投稿後、一番最後のほうにある【個人的な恐竜論になっている】という文面は、表現が間違っていると気づきました。モササウルスもプテラノドンも【恐竜とは進化系統が異なる種】なので【恐竜論】ではなく【古代生物論】という表現のほうがいいかな…と思われます。  因みに、私が子供の頃、恐竜とは【中生代の陸・海・空に繁栄し、怪獣のモデルにもなった大型爬虫類の総称】という意味合いのイメージが一般的でした。ただし、現在でもこのイメージは十分払拭されていないようです。「翼竜は恐竜ではない」といった解説が散見するのは、その現れでは…と思われます。もっとも、個人的には、“ではない”という否定的な表現は好きではありません。例えば、上記のように【進化系統が異なる種】や、或いは【恐竜とは別に、独自に進化して繁栄した種】というように、肯定的なニュアンスの表現が幾らでもあると思うんですけどね…。  結局、この追記も、レビューになりませんでした…。[地上波(吹替)] 5点(2020-07-26 17:49:00)《改行有》

27.  ジュラシック・パーク  まず、はじめに。上から目線を承知の上で、当作品を観賞する上での私なりの注意点から。  当作品の魅力の根幹は【恐竜が本当に生きているように見える臨場感】であって、これがあってこそのサスペンス・迫力・盛り上がりでないか…と思われます。  極端な例えを申し上げるなら…もしミュージカル映画に対し「歌やダンスに興味が無い自分としては、観ていて魅力を感じなかった。歌やダンスを見るなら、わざわざ映画でなくてもいいのでは?」という感想を述べる方がおられるとしたら、【ピント外れ】と言わざるを得ないのでは…と思われます。  もっとも、当作品は、同名原作小説の映画化であり、【文字情報】ならば【恐竜が生きているように見えるかどうか】という要素を抜きに楽しめるでしょう。したがって【恐竜が生きているように見えること】に興味が無い方は、原作小説をお読みになることをお勧めします。  さて、私にとって当作品は、恐竜の名誉を回復してくれた作品であり、この映画を機に、日本でも、現在に至る【活発な恐竜像】がポピュラーになったのでは…と思っています。   私が幼児期・少年時代をすごした1960年代後半から1970年代の恐竜像と言えば…たとえフィクションでは怪獣のように勇ましく描かれたとしても、メディアでは「本当は身体が大きいだけでノロマ」「知能が低く、ある個体が動くと、それにつられて他の個体も何となく動くことはあっても、哺乳類のような群れの行動は出来なかったと考えられる」「劣った生物だったから、地球環境の変化に適応出来ずに滅んだ」と散々な言われようでした。実際には、私が産まれる前の時期にデイノニクスの化石が発見されて以来、【活発な恐竜像】を提唱する【恐竜ルネッサンス】という新たな研究の潮流が産声をあげていたようですが…少なくとも日本では一般的ではなかったのです。  1980年代になると、一応、【尻尾は地面に引きずらずに水平に立てて、歩行時のバランスをとっていた】というスタイルが紹介され始めましたが…あくまで恐竜好きの一部の人々の間だけの情報に留まっていたようです。  それだけに、当作品を映画館で観たときの、周りの観客さん達の感激ぶりは嬉しかったです。映画が終わり、劇場が明るくなった後のドヨメキと共に「すげー恐竜!」「カッコいいぞ、恐竜!」という声が次々と聞こえてきました。今なら“やばい”と表現されることでしょう。  以降、【活発な恐竜像】は、NHK特集をはじめ、メディアで積極的に紹介されるようになり、現在に至ることは、皆さんもご存知の通りです。  なお、特殊撮影についても【恐竜が本当に生きているように見える臨場感】を可能にしたCGが用いられた革新的な作品だったことは、私が詳しく言うまでもないでしょう。  それ以上に私が貴重だと思うのは…当作品が発表されてもうすぐ30年近く経とうとしている今日にあって、CG技術は当作品に比べて格段に進歩しているはずなのに、当サイトでは、さほど【時代遅れ/チープ】呼ばわりされず、肯定的なレビューが寄せられていることです。単に【最新技術の映像だけが売りの見世物映画】だとしたら、急速に古びてしまうはずです。そうならなかったのは、たとえアラがあるにしても【娯楽映画としての普遍的な面白さ/恐竜への愛情】が詰まっている証ではないか…と思われます。  さて、採点ですが…鑑賞環境は【映画館】とし、これまで申し上げた通り【活発な恐竜像をポピュラーにした/CGを本格的に取り入れた革新性】という歴史的な意義に加え【普遍的な面白さ/恐竜への愛情】が込められていることを踏まえ、10点を献上します。 ~備考~  私は、当作品へのレビュー投稿以前に、恐竜グワンジ(1969年)に10点を献上していますが、現在も、この点数には変わりはありません。CGが皆無だった時代に、暗さやスモーク等でごまかさず、サンサンと太陽光が降り注ぐ明るい画面で、活発な恐竜と人間の動きが見事にシンクロした特撮の数々は、私にとって、けっして色あせることは無いからです。  キングコング(1933年)に感化された少年・ハリーハウゼン氏が大人になってグワンジをはじめとする恐竜・モンスターを産みだし、それに感化された子供達の中から【ジュラシックパーク】の作り手さん達が現れた…というように、世代を越えた“つながり”を感じながら、私は一連の作品群を観ています。[映画館(字幕)] 10点(2020-07-26 17:31:08)(良:1票) 《改行有》

28.  あらしのよるに 《ネタバレ》  【チリンの鈴】を投稿したら、その2日前に、当作品が投稿されていました。「確か【あらしの…】は【チリンの…】と違い、ヒツジでなくヤギだったけど、オオカミが絡む物語だった」と思い、皆さんのレビューを拝読させていただきました。  皆さんのレビューを拝読するまで、私は漠然と【ベストセラーの絵本のアニメ化。“対立や支配・被支配”の関係にある所属集団を“オオカミとヤギ”に置き換え、異なる立場の垣根を越えて育まれる友情の物語】と思っていました。しかしレビューの拝読で「え?同性愛を意図したお話なの?…メイをメスにして異性愛のお話にしたほうがシックリくる?そうなの?」と戸惑いました。  そこで「原点に帰って観賞しよう」と決意。絵本(講談社の大型版‐第1~7巻)を図書館でかりてから、DVDをレンタルしました。   まず、絵本を読んだ感想から。 【第1巻:あらしのよるに】は【①互いに異なる立場にあり、②同じフレーズに対して別々のイメージを抱いているにもかかわらず、③絶妙に会話が成立する面白さ】を軸にしたシチュエーション・コメディという印象。勿論、聞き手である子供達には「正体がばれて、ヤギさんが食べられたらどうしよう…」といったハラハラドキドキはあるでしょうが、少なくともこの時点では、奇妙な【友情もの】であっても【感動の物語】ではないな…と思いました。本来、この1巻だけで終わるはずだったとか…。  【第2巻:あるはれたひに】は、子供達には「食べちゃうの?/食べられちゃうの?」とハラハラドキドキの要素は増すでしょうが、ユーモラスな語り口はそのまま。これもシチュエーション・コメディの一種という印象。  【第3巻:くものきれまに】もコメディの印象。特に【ヤギの友人・タプが、去ったかと思ったら再び現れ、慌てふためくメイ】のシチュエーションの繰返しは、吉本新喜劇やドリフのようなドタバタ場面を連想しました。  しかし【第4巻:きりのなかで/第5巻:どしゃぶりのひに/第6巻:ふぶきのあした/第7巻:まんげつのよるに】は、シリアス路線へ…。しかも【性愛的】なニュアンスが目立ち始め、巻が進むほど【目を合わせる/濡れて冷たくなった身体に、温もりを感じた】【いつも一緒にいられることが楽しかった/二匹の心はもう一つになっていた/今夜は、あんたと、こんな綺麗な月が観られて最高の夜/ええ、ガブと一緒なら】【ああ、あの身体、あの歩き方、大好きな相手だから、すぐにわかる/もう、二度と、あの優しい眼でこの私を見てはくれない】…これらのフレーズ(絵本は仮名文字ですが、私なりに漢字に変換)は【恋愛もの】の常套句のような気がしました。さらに【これ以上、一緒にいたら、おいら、何をするかわからねえ/早くどっかに行ってくれ、おいらが我慢している間に…】も、好きな女の子の前で、性的衝動を抑えている健気な男の子のセリフでは?と思ってしまいました…ただ、少なくとも最後の【健気な男の子のセリフ】という感想は、私が【大人】だから連想するものであり【絵本が想定している読み手・聞き手である子供達】なら、このようには感じないでしょうが…。  最終的には、ストーリー以上に【当初の製作意図を越えた反響により、おそらく様々なプレッシャーにさいなまれながらも、足掛け11年間で見事に物語を完結させた、きむらゆういち先生の努力】に感動しました。  次に、アニメ版の感想は…絵本なら、読み手・聞き手による想像力によって補えるような【曖昧な面】も、映像作品となると具体的にきっちり描写しなければならず、杉井ギサブロー監督を始めとするスタッフの皆さんの多大な苦労が伝わってきました。  ただ、キャラクター達の容姿にしろ、声(性別)にしろ【作り手の一解釈として、具体的に既定せざるを得なかったこと】が、逆に、絵本ならではの【読み手・聞き手なりの自由なイメージや解釈の広がり】を奪ってしまったとも言えるかな…と思いました。そのあたりが、当サイトでの様々な批判的な意見につながっているのでは…という気がしています。  さて、採点ですが…杉井ギサブロー監督には申し訳ないですが「あくまで“一解釈”であって、絵本で読んだほうが…」という意味で、基本は「可もなく不可も無し」の5点。ただし、きむら先生・作の【あかちゃんのあそびえほんシリーズ:偕成社】で、一時期、個人的に大変お世話になったこともあり、先生への感謝を加味して6点とさせていただきます。  いずれにせよ、当アニメはファミリー映画であり、一人でも多くのお子さんが、観終わったとき「これからも友達と仲良くしよう」という気持ちが残れば、成功なんじゃないかな…と思います。  *備考:【チリンの鈴】は、別途、レビューを投稿しています。[DVD(邦画)] 6点(2020-07-23 14:02:55)《改行有》

29.  チリンの鈴 《ネタバレ》  公開当時、私は小学校高学年。低学年の妹も一緒に、家族一同で映画館にて鑑賞。実は、お目当ての映画は当作品でなく【親子ねずみの不思議な旅】でした。当作品のことを知ったのは、映画館に足を運んだ当日、入場を待つ間にロビーに貼られていたポスターを見たときです。ポスターは【手前に、笑顔でこちらを見ている子羊のチリン/奥に、オオカミがいる】という構図で、私は「何だかアメリカのアニメの【ラムヂーちゃん:1971年にNHKで放送。その後、東京12チャンネル(現:テレビ東京)の夕方に再放送】みたいだ。きっと可愛くて笑いに溢れたギャグアニメなんだろうな」と連想しました。  さて、上映の順番は、この【チリンの鈴】が先でした。観始めると…「ラムヂーちゃんと違って、ずいぶん、もの悲しい感じの歌で始まったぞ…あ!チリンが出てきた!やっぱりラムヂーちゃんと同じで可愛いな。ナレーションも、ラムヂーちゃんをオオカミから守る“犬のおじさん”の声の人だ(注:当時、高木均さんのお名前は知りませんでした…)。きっと、これから楽しい場面になるんだろうな…」と頭を巡らせていたのですが…その後、あまりにもラムヂーちゃんと【落差】のある展開にビックリ。子供心にも「ディズニーとは違う、日本だからこそ創れた作品だ」と誇らしく思ったものです。一方【親子ねずみの不思議な旅】は「ふ~ん…」という程度でした。  月曜日になり、早速、私は、クラスで、その素晴らしさを伝えたのですが「サンリオって小さい女の子向けでしょ。しかもアニメ映画なんて観に行って恥ずかくない?」とからかわれただけでした。  しかし、その後も、私の心の中から【チリンの鈴】が消えることはありませんでした。公開当時、他のクラスメートに比べ、腕力に恵まれなかった私は【強さ】について葛藤していた時期であり、当作品を観たことで、少なからず“人生を誤らずに済んだ”という一面があるからです。一方【親子ねずみの…】は、すぐ忘れてしまいました。  大人になって、やなせたかしさんの同名の絵本が原作だと知って読みました。さらにDVDもあるとわかり再鑑賞。映画の脚色は「原作を上手に膨らませている」とあらためて感心しました。唯一、残念だったのは、絵柄や自然の風景描写(の一部)が、ディズニーの、特に【バンビ:1942年】に似ている印象を受けたことです。よく言えば「バンビへのオマージュ」「ディズニーをお手本にしている」「ディズニーに追いつき、追い越せの気概の現れ」であるのでしょうが、当時の日本のアニメ業界における“ディズニー映画へのコンプレックス”と言えなくもありません。しかし、今のディズニーでも、絶対に取り扱わないストーリー(少なくとも、このような結末にはしない…)だと思います。  現在でも【日本での暴力事件/世界の様々な地域での紛争】をニュースで目の当たりにするたびに「暴力や紛争を起こす人達も、かつてはチリンのように、可愛らしく無邪気な子供だったはずなのに…」と、やるせない思いで一杯になります。私にとって、当作品が心の中から消えることは、無さそうです…。  さて、採点ですが…上記の通り【残念だった面】はあるものの、私の人生に示唆を与えてくれた作品です。原作者のやなせたかしさん、アニメ化に踏み切ったサンリオ創始者の辻信太郎さん、波多正美監督を始めとするスタッフの皆さんの【心意気】に敬意を表して10点を献上します。できれば【強さ】に憧れがちな男の子や、そのご家族に、お子さんが思春期に入る前に、是非、観てほしい作品です。  また、当作品とDVDでカップリングされた、やなせたかしさん原作の短編アニメ【ちいさなジャンボ】【バラの花とジョー】もお勧めです。やなせさんの世界を堪能できると思います。 *令和2(2020)年7月23日(木)~26日(日) 追記  【あらしのよるに:2005年】の投稿を機に、誤字があると気付いたので、誤字を修正の上、以下の文面も追加しておきます。  上述の通り、当アニメ版の内容は、絵本を脚色しており、強調されているメッセージが違う印象を受けます。絵本の場合は【復讐と、その果てに残るもの】という感じでしょうか…。私にとっては、その違いが重なり合って、一層、味わい深く、絵本もアニメ版も、両方とも好き、というか、胸にズシリと残ります。  【あらしのよるに】と同様、【オオカミと草食動物】になぞらえた寓話ですが、全く違う内容です。人によって【チリンの…】か【あらしの…】で、好みが分かれる場合がある…かもしれません。[映画館(邦画)] 10点(2020-06-20 20:46:25)《改行有》

30.  くるみ割り人形(2014) 《ネタバレ》  ↓の【movie海馬さん】のレビューを拝読し、レンタル店でDVDの【1979年:HDリマスター版】及び【21014年版】の両方を取り寄せて鑑賞。  実は、2014年当時、仕事に忙殺されていたからなのか?このリニューアル版のことは全く知りませんでした。これを機会に観ることができ、良かったです。このレビューでは【1979年版】で書ききれなかったことも含めてお伝えします。映画での【用語】も、【1979年版】のものを使いますが、悪しからず…。  まず【1979年版】を鑑賞し、感激した上での【21014年版】だったわけですが…リニューアルにあたっての【変更点】を、以下のように予想してから鑑賞に臨みました。  「声の出演は仕方ないとして、おそらくBGMも総入れ替えだろうな…。70年代のポップス調を加味した音楽は、当時は最先端でも、映像に比べ、観客からは急激に古びた印象を与えてしまうだろうから…」  「森下洋子さんによる【バレエのシーン】や、昭和の芸能界を彩った有名人の方々の“声の応援出演”による【名士達のシーン】は、カットだろうな…。現在の子供やその親御さん達が観ても『あの森下洋子さんが出演してくれたんだ!くるみ割り人形と言えばバレエとは切り離せないものね』『あの大橋巨泉さんが!この声はひょっとして坂上二郎さん?!…そうそうたるメンバーが声をあてているな~。しかも、ぞれぞれの話術と人形の動きがよく合ってるじゃないか!』といった感激や面白さは、沸いてこないだろうから…」  「お菓子や果物の妖精達が、チャイコフスキーの音楽に見事にシンクロして踊る【マルチパン城へ向かう道のりのシーン】は、約6分間もある力のこもった場面だったけど、途中に出てくる【ハロー・キティ】のデザインが、現在とは違うから、ここもカットかな…少しは残してほしいけど…」  実際に観て、あまりにも予想通りでちょっとビックリ。率直な感想は、サンリオ創始者・辻信太郎氏の「これだけの力作を忘れさせてなるものか!何としても若い世代に伝えたい」とでもいうような【執念】を感じたことです。増田セバスチャン監督は「現在のお客さん達に観てもらうには、どこを削り、どこを補正するか」という観点で、辻信太郎氏の期待に十分、応えたのでは…と思います。  また、クララを始めとするキャラクター達の【声の出演】は、思ったほどには【1979年版】のイメージを損なっていないように私は感じ、とりあえず一安心。まあ、広末涼子さんの【マウゼリンクス夫人】は、この際“脇”に置いておくとして、配役について個人的な思いを加えると…【ドロッセルマイヤーおじさん】の顔立ちは【1979年版】の【西村晃】さん、【フランツ】の特に目元や口元が引き締まったときの顔つきは、同年版の【志垣太郎】さんそのもののようだと、あらためて実感しております。【市村正親さん/松坂桃季さん】には申し訳ないですけど…。  なお、【マルチパン城へ向かう道のりのシーン】の前振りでもある【森下洋子さんと清水哲太郎さんのバレエシーン】はどのように補うのだろうと思ったら、代わりに【一対の雌雄の蝶々から始まって様々な生き物に“愛”がつながっていく】というものでした。映像の雰囲気は、NHK【みんなのうた】に流れそうな印象を受けましたが、まあ、こんなもんなんでしょうかね…。その後【マルチパン城へ向かう道のりのシーン】が、幾分かですが流れたことに安堵しました。  ところで、これは観終わってからですが…DVD特典の宣伝映像では「極彩色ミュージカルファンタジー」と銘打っていましたけど、これってミュージカルでしょうか?【ミュージカル】の厳密な定義は知りませんが、少なくとも【歌】が少なすぎなような…きゃりーぱみゅぱみゅさんの歌は、あくまで【エンディングソング】なので、別扱いでしょう。もっとも、“商業的な都合”で、このように宣伝せざるを得なかったのかもしれませんが…。  さて、採点ですが…上述の通り、辻信太郎氏の【執念】と、その期待に応えた増田セバスチャン監督を始めとするスタッフの皆さんへの敬意を表する一方、あくまで【1979年版】があってこその作品という意味で9点とさせていただきます。ただし限りなく10点に近い9点ですので、監督さん・スタッフの皆さん、ご容赦ください…。  この【2014年版】を観て、少しでも【1979年版】を観て下さる方々がいらっしゃれば幸いです。因みに、私が観た【1979年版】のHDリマスター版の画質は、十分、鮮明でした。【2014年版】は「極彩色」と銘打っていたこともあり、色彩の“彩度”を強調加工していましたが、見比べさえしなけば、【1979年版】も、十分、色鮮やかだと思います。[DVD(邦画)] 9点(2020-06-07 17:40:29)《改行有》

31.  くるみ割り人形(1979) 《ネタバレ》  ↓の【movie海馬さん】のレビューを拝読し、レンタル店でDVDの【1979年:HDリマスター版】及び【21014年版】の両方を取り寄せて鑑賞しました。  まず前置きから。私にとって公開当時は、観たくても観られなかった作品です。  その前年、サンリオ製作の【親子ねずみの不思議な旅/チリンの鈴:1978年‐同時上映】は映画館で観ました。特に【チリンの鈴】は「ディズニーとは違う、日本だからこそ創れた作品だ」と子供心にも誇らしく思ったものです。しかし当時、私は小学校高学年。低学年の妹も一緒の家族での鑑賞でしたが、クラスで素晴らしさを伝えても「サンリオって小さい女の子向けでしょ。しかもアニメ映画なんて観に行って恥ずかくない?」とからかわれただけでした。  一方、当作品は、人形アニメ作品。当時から子供心に【人形アニメが、どれほど手間がかかるか。セルアニメと違い大量人員による分業には限界があり、コマ撮りは極めてパーソナルな作業になる:注…大人になってからの言葉に変換しています】と知っていました。「きっとサンリオは素晴らしい作品に仕上げたに違いない」…しかしCMの映像には【主役の二人を乗せて飛んでいく馬車を“キキとララ”が見送る場面】が映っていました。私は「映画館へ観に行ったら“あのお兄さん、おかしいんじゃない?”と、自分より年下の女の子やそのお母さんに、白い眼で見られるかも…」と腰が引け、観るのを諦めました。  その後、TV放送されたようですが、機会を逸してしまい…さらに歳月が流れて我が子とサンリオ・ピューロランドへ行ったときには、園内の劇場ロビーに、クララ達の人形が飾ってあり「サンリオにとって、今でも大切にしている作品なんだ。それなのに、未だに観ていないなんて…」と後ろめたさが、ずっと残っていたのです。  こうして41年の歳月を経ての初鑑賞でしたが、感動しました。可愛らしい人形達が、見事に創り込まれたセットの中で、美しい光の演出と凝ったカメラワークで動く!動く!…と、ワンカットワンカットから目が離せませんでした。  特に闇を基調とした【時計の中/ネズミたちの根城/森】といった場面は、当時のフィルムの感度を考慮すると【挑戦的】だったのでは…と推察しています。現在の人形アニメはデジタル技術により、撮影のたびに一コマ単位で再生し直し、動きを確認・補正(撮り直し)しながら作業を進めることできます。しかし、この時代はフィルムの一発撮り。現像しなければ、仕上がりはわからない。テスト撮影をして臨んだでしょうが「背景はうまく感光したけど、クララが黒ずんだ/くるみ割り人形の赤い色が上手く発色していない」といったことで撮り直しに…といったこともあったかもしれません(的外れならスイマセン…)。  一方、ジプシー占いのおばさんは、文楽人形をアレンジしたものでしょうか?…コマ撮りとは異なるゆったりした動きが、異様な存在感を醸し出して迫力があると感じました。  また【マリー姫の呪いを解くために国中から集められた名士達が、アピールするシーン】も印象深かったです。当時の芸能界を彩った有名人の方々が【声の応援出演】として声をあてておられます。しかも、姫の父親である皇帝に「名士と言われる人達も、結局は独りよがりの者ばかり…」と言わしめるためだけに7分間も費やして…。場面の位置づけは【お遊び的】なものですが、録音した出演者達の言いまわしに合わせたアニメートは大変だったと思います。しかもこの場面の人形達に、私はとても親しみが沸きました。それもそのはず。観終わった後、DVDの解説で、監督の中村武雄さんやアニメーターの真賀里文子さんは、私が小学校の低学年時代に、学校や公民館で上映された短編作品【花ともぐら:1970年/てんまのとらやん:1971年】に携わった方々だと知りました。地道に人形アニメをつくり、私達を楽しませて下さったお二人を始めとする数多くの方々に感謝しないではいられませんでした。    さらに、クララが、今どきの「自ら運命を切り開く戦うヒロイン」でなかったのも新鮮でした。傑出した力は無くても、懸命にくるみ割り人形を思いやり、守り抜こうとする…こうした“内なる強さ”を秘めたヒロインだって、私はまだ現在でも“あり”だと思います。  さて、採点ですが…当時の人形アニメの技術の粋を結集した力作でしょうし【夢のようで夢ではないような…】というこの物語のシチュエーションにも人形アニメはピッタリで、現在でも色あせたものではないと思います。スタッフの皆さんへの敬意を込め10点を献上します。  おそらく「CGでやれば簡単じゃん」という方々もおられるでしょうが…是非、【手作り】の情熱を感じていただける方々にご覧いただきたいです。[DVD(邦画)] 10点(2020-06-07 17:36:21)《改行有》

32.  大空港 《ネタバレ》  空港を舞台に、様々な人々の人間模様が交錯する【グランドホテル形式の映画】。パニック要素は、娯楽色を高めるためにラスト近くに添えられたエッセンスにすぎません。  しかし、その後のパニック映画ブームに加え、後続の【エアポートシリーズ】自体がパニックものに特化した作品群になってしまったため【パニック映画の先駆け・元祖】と認識されていることが、当作品にとっても観る側にとっても悲劇だと思います。私自身、初見(TV放映)時は【パニック映画の元祖】だとばかり思っていたので「前置きが長い。なかなか本題(パニック)に入らない」とヤキモキで一杯になり、とても疲弊しました。  一方、【グランドホテル形式の映画】という視点で観直すと、印象は全く違います。【パニック映画】という視点だと“単なる前置き”と映る場面も、それ自体が見せ場であり、味わい深いものに様変わりするはずです。  私の場合、【予期せぬ出来事:1963年】のリバイバル上映を観た上で再鑑賞できたことが、大きな救いになりました。こちらも空港を舞台にした【グランドホテル形式の映画】ですが、パニック要素は皆無です。当時、劇場に観に来た人達も、そもそもそのような要素に期待しておらず「こういうものなんだ」と、ある種、素直に観入っていました。この作品を観た上で【大空港】を観直すと、如何に娯楽色に富んだ面白い作品かを理解できると思います。私の場合、初見時のヤキモキと疲弊感が一掃され、スカッとしました。  ただ、再見時のレンタルDVDの宣伝文句は「満員の旅客機内で緊急事態発生!極限下の空港に錯綜する人生模様」というもの。【空港に錯綜する人生模様】はその通りですが、前半部の【満員の旅客機内で緊急事態発生!極限下の】は違いますって!爆弾が爆発してパニック映画の様相になるのはラストの30分間だけですから…。販売促進のためとはいえ、このような文面では、結果としては、当作品にはマイナスにしかならないように思うんですけどね…  さて、採点ですが…上述の通り【パニック映画】としての初見時は0点でしたが【グランドホテル形式の映画】としてなら8点です。アルフレッド・ニューマンの遺作ともなった軽快なテーマ曲と共に、これからも私の記憶の中に心地良く残る作品となりました。  そして最後に…今後、当作品をご覧になる方々には、私のように「パニック映画だと思ったのに、なにこれ…」という悲劇を、どうか繰り返されませんように…と願っています。 *備考:【予期せぬ出来事:1963年】については、別途、レビューを投稿しております[DVD(字幕)] 8点(2020-05-30 17:03:55)《改行有》

33.  予期せぬ出来事 《ネタバレ》  空港を舞台に、様々な人々の人間模様が交錯する【グランドホテル形式の映画】。私は某映画館のリバイバル上映で観ました。しかも日本初公開当時のパンフレットも復刻しており、サラサラッと目を通した上での鑑賞。  その復刻パンフレットを読んで興味深かったのは【解説文】です。主演二人の紹介の後、製作者のアナトール・デ・グランウォルド氏の名前が挙げられており「私はかねがね【グランドホテル】のような映画を作りたいと考え、夢が叶った」という趣旨の文面が掲載されていました。また、映画解説者・淀川長治氏の評論もあり、その中で「脚本を担当したテレンス・ラティガンは、女優どうしがぶつかりあわないよう配慮した」という趣旨の文面が載っていました。  このように、当作品は「一流の役者を集め、衣装担当は、それぞれの女優さんにユーべル・ド・ジンバシイやピエール・カルダンといった一流のデザイナーを集め…後は、脚本は無難なものに。監督さんも卒なく現場を仕切って完成させてほしい…」とでもいうような【製作者主導】の映画と言えるのではないか…という印象を受けました。実際、鑑賞してみて「無難にまとまったお話だな。監督が自分の作家性を発揮すべく創りあげた作品とは、これほど違うとは…」とある種“勉強”した思いが残りました。  そして、今回、当サイトのレビューを拝読し、↓の【Oliasさん】がおっしゃっている『登場人物と役者を揃えた時点で、制作側が目的を達してしまった』は、まさに“言い得て妙”だと思いました。  このように【時代を越えて愛される名作】とは言えないものの…もし現在でも観る上でプラスの意味合いがあるとしたら…これはあくまで個人的な思いですが…【大空港:1970年】の鑑賞とセットになったときだと思います。【大空港】は、当作品と同様【空港を舞台にしたグランドホテル形式の映画】のはずなのですが、後続作品との兼ね合いで【パニック映画の先駆け・元祖】と誤解される場合が多いようです。DVDの宣伝文句もこの誤解を助長している印象を受けます。パニック映画として観た場合、人間模様は“パニックまでの単なる前置き”としか映らず「いつになったら、飛行機が飛び立って本題に入るのか…」とヤキモキが募りかねません。少なくとも私の場合はそうでした。  一方、まず【予期せぬ出来事】を観て「空港を舞台にしたグランドホテル形式の映画とは、こういうものなんだ」と認識した上で【大空港】を鑑賞すると【人間模様に加え、ラストにパニック要素を盛り込むことで娯楽色を高めた作品】としてスムーズに観ることが出来るのでは…と思うのです。  さて、採点ですが…これ自体では無難な作品という意味で“可も無く不可も無く”の5点だと思うのですが…【大空港を誤解なく観る上で役立つ】という意味合いをプラスし6点とします。製作者のアナトール・デ・グランウォルド氏からは「大空港の前座じゃない!無難につくるのだって大変なんだぞ!」と叱られてしまうかもしれませんが…。 *備考:【大空港:1970年】については、別途、レビューを投稿しております[映画館(字幕)] 6点(2020-05-30 17:01:21)(良:1票) 《改行有》

34.  今夜、ロマンス劇場で 《ネタバレ》  加藤剛さんが出演された最後の映画作品ということで、TV放送を機に今さらながら鑑賞。  まず【表面的な感想】は「手を触れる・触れないだけでもドキドキして“一緒に居られるだけで幸せ”を感じることのできる若い年代の人達向きの作品だな…ただし、目の肥えた当サイトのレビュアーさん達の評価は、きっと辛口が多いだろうな」…いやはや、レビューを拝読したら、予想通りでした…(^_^;  次に、【個人的に印象に残ったこと】は、以下の三つです。    一つ目は、加藤剛さんの存在感です。加藤さんは、若かりし頃から一貫して、誠実で真っ直ぐな役柄を演じてこられました。詳細は割愛しますが、私は子供の頃に、加藤さんが演じた役柄に感銘を受け、今でも折に触れ、影響を受けていることに気づかされます。  そして当作品については、ご自身の病を押して撮影現場に臨まれたことが察せられ、演技の一挙手一投足に、加藤さんのお人柄がにじみ出てくるような説得力を感じました。あらためて、ご冥福をお祈りします。  二つ目は、そんな加藤さんによる冒頭のナレーションです。「名画たちの陰で、忘れられていく映画も、また星の数ほど存在する。誰にも観られず、必要とされず、忘れられていく映画たち…彼らには、もう、価値など無いのだろうか?…いや、そんなことはない。忘れられた映画にだってあるはずだ。誰かの心を鮮やかに染める、奇跡のような不思議な力が…」。この言葉は【映画】に留まらず【傑出した業績を誇る偉人】と【星の数ほど存在する市井の人々】にも重ね合わせることが出来るのでは…と思ったのです。  実際、モノクロからカラーに替わる設定には、特段、凝ったエピソードが用意されているわけではなく、「ちょっと作為的かな」とも思える【色彩の演出】も含めて、ひとえに「心を鮮やかに染める」の一点に特化している印象を受けました。その意味で、ナレーションを背景にしたミユキの「見つけてくれて、ありがとう…」という言葉に対し、私は『偉業を成し遂げていなくったって、一人でもいい、誰かの心を幸せに染める力があれば、それだけでも、その人には十分、存在価値があるのだ。そのような出会いに巡り会えることこそ、この上なく幸せなことなのだ』…そんな連想をしました。  そして公開当時は、観終わった後に「見つけてくれてありがとう」「こちらこそ、見つけてくれて…」と肩を寄せ合い、手を握り合うカップルが散見したのでは…と想像したりもしました。  三つ目は、【記念写真】や【病院ロビーでの会話】での【ケンジとミユキの距離】は、新型コロナウィルス対策としての【ソーシャルディスタンス】と合致しているように思ったことです。  【ステイホーム】により家族内でのイライラが募りがちな状況下にあって「最後に家族と触れ合えないまま、コロナで亡くなってしまっている人達が大勢いるね」「お互いに相手を思いやるための距離感を考えながら、仲良く乗りきっていこうよ」…今回の放送を観て、このようなことを考えたり、話し合ったりしたご家族が、少なからずおいでになるのではないでしょうか…。  このタイミングで放送したのが、たまたまでなく、もし、上記のような【見つめ直しの会話】を引き出す意図があったのだとしたら…フジテレビの担当者さんに敬意を表したいです。  さて、採点ですが…まずは、無難につくられた作品ということで“可も無く不可も無く”の5点を基準に、上記の三つの点を1点ずつ加算して8点を献上します。コロナの騒ぎが収まれば、7点ということになってしまうのかもしれませんが…  果たして、当作品は、今後、【名画】になっていくのか、それとも、その場限りのヒット作として忘れられていくのか…今後の動向を見守りたいと思います。[地上波(邦画)] 8点(2020-05-21 21:53:11)《改行有》

35.  電人ザボーガー 《ネタバレ》  熱血漢の主人公が、パートナー(番組名のキャラクター)と二人三脚で悪を打ち砕く…私にとってザボーガーは【ダイヤモンド・アイ:後述します】と並ぶ異色の二大ヒーローもの。  この映画版の劇場公開当時「糖尿病を患う中年男になった大門は…」という某TVの宣伝コーナーを見た瞬間、私は悲しみのあまりチャンネルを変えました。「ザボーガーはそんな物語ではないだろう?!どうせ、往年の作品を【素材】としてだけ取りあげ、後は監督の【作家性】とやらで全くの【別物】にしてしまったのだろう…ザボーガーは、ウルトラマンなどに比べてマイナーかもしれないけど、約1年続いた作品であり、当時、一定の支持があったからこそ残っている作品のはず。もう少し、当時、子供だった私達の世代の気持ちも大切にしてほしい。せめて、当時の主題歌をバックに、現在のセンスを活かしてオープニングを再現するなど、オリジナルをリスペクトした場面を盛り込んでほしい」と思い、それっきりになっていました。  これが早合点と知ったのは8年後の2019年の年末。偶然、映画版のオープニングを観る機会があったのですが感激しました!「電人ザボーガー、GO!」と命令する大門のポーズや口調を目の当たりにした瞬間「今は亡き、山口暁さんが生き返ったの??」と思うほどの再現度!主題歌は新録のようでしたが変にアレンジせず、子門真人さんに負けず劣らずの正攻法の歌いっぷり!まさに私が上述した【オリジナルをリスペクトしたオープニングの再現】に他ならなかったからです。  これは観よう!…と思いつつ、レンタル店で借りられたのは2月になってからでした…以下、他のレビュアーさん達の文面に目を通した上で投稿します。  特に第1部ですが…TVをリアルタイムに観た世代か否かで、印象がだいぶ変わるんだな…と思いました。エンディングにTVのオリジナル映像が流れますが、我々リアルタイムに観た人達は「おお!この映画では、当時のテイストを本当に見事に再現していたんだな!」と感激するでしょうし、一方、若い世代の人達には「何?これ…元々がこれか…」と失笑ものかも…井口監督は、それらを見越して、昭和40年代の生真面目・熱血テイストを誠実に再現しつつも、微妙にコミカルな演出を加えたのかな…と思いました。何故なら、純粋に生真面目に演出したとして、若い人達に「これはギャグだよね」と笑われてしまったら、井口監督は勿論、我々の世代にとっても、とても悲しいですから…。結果としては、真面目に観て下さった若い方々には(否、リアルタイムの方々にも…)色々な反響があるようですけど…。  第2部は、まさに井口監督の真骨頂。「我々も歳を重ね、大門同様、身体にガタが来ちまったよ…理想と現実の違いも思い知らされてるよ…それでも根っこは腐っちゃいないんだぜ!」という熱い思いが私にも蘇りました!おそらく井口監督の狙い通りでしょう。なお、アキコがサイボーグとしての宿命から解き放たれるコンセプトは映画版のオリジナルですが…【ダイヤモンド・アイ】の最終回に似ている気がしました。単なる偶然なのか、井口監督も観ていて意図的?無意識?に取り入れたのかも…と思ったりしました。    さて採点ですが…感激ぶりだけなら10点ですが、観る人により印象が大きく変わるようなので、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。なお、私は当作品を【リメイク作品のお手本】と感じましたが…後続作品は「往年の再現をした後は、自分の作家性で、幾らでも別物にして良い」と形骸化しそうな気がします。アニメも含めて昭和の子供番組のリメイクは、今後、控えてほしいな…と思います。 *備考 ダイヤモンド・アイについて *以下、【アイ】と表記。DVDを再見して明記します  放送期間は 昭和48(1973)年10月~同49(1974)年3月。一方、ザボーガーの放送開始はアイの終了直後の昭和49(1974)年4月。小学生だった私は「アイは終わって残念だけど、他のチャンネルで似た番組が始まったぞ」と嬉しくなったものです。主人公は正義感に溢れるルポライター。パートナーのアイは、主人公がはめている魔法の指輪から召喚される精霊。敵は、前世で欲望に執着するあまり怪物化し現世で悪事をはたらく【前世魔人】。主人公とアイは主従関係でなく、愛と正義の思いで結ばれた友人として描かれています。また精霊といっても万能ではなく、主人公がアイを助ける場面もあり【共に戦う】というコンセプトが好きでした。ただ子供心に「オイルショックで、作るお金が足りないんじゃ…」と心配したことも…。現在、再見しても私は好きですが、若い方々には、ザボーガー以上のインパクトがあるかもしれません。ただしリメイクは控えて…[DVD(邦画)] 8点(2020-02-24 11:59:46)(良:1票) 《改行有》

36.  スパルタカス(1960) 《ネタバレ》 「2020年2月5日にカーク・ダグラス氏が103歳で亡くなった」とニュースで知ったのを機に投稿します。  最初に…当作品を“キューブリック監督が作った映画”として観ると、↓の【恥部@研さん】がおっしゃる通り、肩透かしになるので要注意だと思います。かつて私は某新聞で「映画は誰が作るかと質問をすると、日本人は“監督”と答えるが、アメリカ人は“プロデューサー”と答える。これは映画作りのシステムに関する認識の違いだろう」という記事を読んだことがあります。その意味で当作品は↓の【S&Sさん】もおっしゃる通り、製作総指揮兼主役のカーク・ダグラス氏(及び脚本のダルトン・トランボ氏)が作った映画だと思います。現在、ディスク化されている【修復・完全版】が製作されたきっかけも「カーク・ダグラス氏を祝うパーティーで上映されたフィルムの状態が、ひどかったら」という文面を、完全版収録のレーザーディスク(今や大昔?の光メディア)の解説で読みました。  このように【キューブリック色】は、ほぼ皆無と言わざるをえませんが【正統派のスペクタクル史劇】としてなら観やすい作品では…と思います。  以下、【正統派のスペクタクル史劇】という視点でお伝えします。  私が初めて当作品を観たのは40数年前の高校生のとき、年末のTVの深夜放送(吹替え版)でした。当時はビデオレコーダーが無かったのでタイムリーに観ましたが、最後まで引込まれました。アレックス・ノースの音楽も、テーマ曲などは現代音楽的、愛のテーマはメロディーが明確で流麗な響きがあり…と多彩で、私には新鮮でした。事前にサントラの本で「作曲に1年以上を要した」と読んでおり、納得したものです。  そして当時、私が一番、印象に残ったのは、↓の【ヨアキムさん】と同じで、「スパルタカスを差し出せば命を助けてやる」というクラッサスに対し「俺がスパルタカスだ!」と、仲間達が次々に立ち上がるシーンでした。私は「現実にはあり得ない。我が身大事さにスパルタカスを突き出すはず」と考えつつも「この映画には『人間は信頼し合い助け合う素晴らしい存在なのだ。そう信じたい』という願いが込められているのだろう」という熱い思いが残りました。  その後、社会人になり、修復・完全版が映画館で上映されたので観直すと「画質も音質も、まるで新作だ」と感激しました。赤狩りを背景に製作されたことも知っていたので、高校時代の直感は当たらずとも遠からじと再認識し、上記の熱い思いが一層、高まりました。そして現在…DVDで何度観直しても、その思いは変わりません。  このように私は当作品を【スパルタカスの反乱という史実を素材に、人間の良識を謳いあげた映画】と思っています。一見、理想主義的で青臭いようですが…赤狩りで人間の醜さに打ちのめされても、それでも人間性を信じる人々が核になり作り上げた点に説得力があると思います。ベン・ハー(1959年)と違い宗教臭くない点も、日本人には観やすいのでは…とも思います。また、負けたとはいえ次世代へ希望がつながるラストも、後のブレイブハート(1995年)に通じるものがあり、ブレイブハートが好きな方々にはお勧めかな…と思われます。  ただし、スパルタカス(奴隷側)とクラッサス(ローマ側)の場面が交互に切替わり、しかもローマの場面は政治も絡んでくるので、人によっては没頭し難く、鑑賞時間が長く感じられるかも…と思ったりもします。私の場合、吹替え版が初見だったのが幸いしたのかもしれません。  さて、採点ですが…【鑑賞環境】は修復・完全版を観た【映画館】とし、カーク・ダグラス氏やダルトン・トランボ氏を始めとする作り手の皆さんの切なる願いを、大作として具現化したパワーに敬意を表し、10点を献上します。キューブリック監督は不本意でしょうけど…。そして最後に、あらためてカーク・ダグラス氏のご冥福をお祈りいたします。 ~備考~ *令和3(2021)年8月18日(水)に修正。以前は“連載中”という文面だったので…  当作品の制作エピソードは、漫画誌ビックコミックオリジナルで連載された【赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD:2017~2021年】で紹介されています。奇しくもカーク・ダグラス氏が亡くなった日と同日=2020年2月5日の発行号は、封切りの場面が描かれていました。↓の【アンドレ・タカシさん】もおっしゃる通り、現在ではフツーに観られる当作品も、当時はフツーに制作できなかった社会情勢が垣間見えます。漫画としての脚色があるにせよ、読んでから映画を観ると【フツーならざる味わい】があるかもしれません。もっとも、漫画以前に【トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男:2015年】を観れば事足りるかもしれませんが…。[映画館(字幕)] 10点(2020-02-09 19:05:03)《改行有》

37.  ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間― 《ネタバレ》  私はかつて【ぴあ・フィルムフェスティバル】や【イメージ・フォーラム】で、自主映画や実験映像を数多く観ました。その結果、これら【映像作家志向の人】と、【一般の人=役者さんの演技・ストーリー・脚本・キャラクターなどに焦点を当て、“劇”映画として観る人】とでは「面白い・優れている」の視点が全く違うことを思い知らされました。  その意味で、当短編劇場は【劇映画】と【実験映像】の中間的な印象。起承転結があって観やすかったです。物語の展開は、皆、予想がつきましたが、それぞれ映像表現が素晴らしく、没入できました。特に「サムライエッグ」は“個人的な事情”から、感情を揺さぶられました。以下、各作品の感想を明記します。  ●「カニーニとカニーノ」は、宮崎監督から継承した画風による王道アニメ調。【借りぐらしのアリエッティ:2010年】を彷彿とさせる【小さな生き物たちの視点からの世界】をはじめ【水面及び水中を漂う浮遊物】など、ディテイールの表現の豊かさが素晴らしかったです。映像化にあたって、おそらく実際に沢へ出向き、ときに水中を覗き込み、ときに水槽で生き物たちの生息場所を再現して…というような、米林監督らスタッフの皆さんの試行錯誤が目に見えるようでした。そしてクライマックス。モンスターのように描かれた川魚(多分、イワナ?)、絶体絶命の危機、そして「やっぱり鳥って“恐竜の生き残り”なんだな」と思えるサギの描写は、劇場の大画面で観たかったかも…。それにしても、アリエッティの発表当時から感じていましたが、米林監督は、まさに“ディティール表現の作家さん”であり、長編よりも、こうした短編でこそ、本領を発揮できるのでは…と、思いました。  ●「サムライエッグ」は、【食物アレルギー ━ アナフィラキシーショック】に関するもの。この【食物アレルギー】の題材にふれるたびに、私は、1980年代後半に報道された【給食のおそばを食べた結果、そばアレルギーによるアナフィラキシーショックで亡くなった小学生の男の子】のことが頭をよぎります。そのため、冒頭の病院のシーンから、胸が苦しくなりました。しかも、その後に描かれるのは、主人公・シュン君の学校生活とお母さんを中心としたご家族の心遣いの日々。楽しいはずのお誕生会やお祭りが常に死と隣り合わせ…因みに、私の子供の同級生の男の子も、様々なアレルギーのため、給食とは別に、お母さんが毎日、お弁当を届けていました。その男の子は今、立派に成長していますが、本人やご家族の日々のお気持ちはどのようなものだったか…そのため、高畑勲監督から継承したであろう、百瀬監督による【水彩画タッチのしっとりやわらかい映像で、リアルに淡々と紡ぎ出される日常描写】の一つ一つに対し、私は、上記の同級生の男の子のことが重なり「シュン君、そうだよね…お母さん、そしてお父さん、そうだよね…」と、込み上げてくる感情を必死でこらえながら観るはめになりました。そして、突然、襲ってくるアナフィラキシーショック…次々と沸き上がってくる身体の変化の表現は、シュン君の心までも映し出しており、まさにアニメならではと感じると同時に、非常に怖かったです。シュン君が助かり、立ち向かう決意をし、無事に同級生たちと自然教室(河口湖)へ行けたエンディングに至り、ようやく私の気持ちも晴れました。  ●「透明人間」は【周りから見えないことで、反社会的な行動をエスカレートさせていった2000年発表の某アメリカ映画】とは対照的な作品。周りから存在を認識されない孤独・空虚さ、そして【上下左右・天地の高低差の移動を通じ、この世から消えそうな状況から必死でもがくように留まろうとする心像風景】を描写した、山下監督による映像表現は、これまたアニメならはでしょう。赤ちゃんの救出を機に、【実験映像】的な暗く歪んだ映像から、ジブリやポノックらしい色彩豊かな映像へと転換した演出には、ホッとしました。比べるのは野暮でしょうが、上記の某アメリカ映画のように【何かというと“アクション”の名のもと、暴力・殺人・流血シーンを“迫力ある映像”として売りにする作品】に懐疑的な私は、ポノックの皆さんには、是非、暴力路線に堕さないよう、否、これらを浄化するような映像作品を作り続けてほしいと思います。  さて、採点ですが…3話とも15分程度だから良かったのであって、長編なら中だるみしてしまったことでしょう。短編だからこそ可能な映像表現の強みがあると思います。他のレビュアーさん達と同様、是非、この【短編劇場】はシリーズ化してほしいです。個人的には10点にしたいところですが…【起承転結のある“劇”映画の体裁をとる以上、観る人によっては、物足りなさを拭えない】という点を差し引き(それでも大甘で)、9点とさせていただきます。[地上波(邦画)] 9点(2019-09-23 18:17:26)(良:1票) 《改行有》

38.  プロジェクトA子 《ネタバレ》  私が当作品を観たのは、約30年前。フジテレビでの夕方の放送(当作品の終わりに流れたテロップ:スーパータイム ‐ クェート機ハイジャック事件など ‐ から、1988年4月の放送と思われます)を機に鑑賞。何となく観始めたのですが「北斗の拳をはじめ、様々なアニメのオマージュ・パロディに溢れている!何故、A子が馬鹿力なのか、いちいち説明せず、漫画チックなアクションで押しまくるパワーが素晴らしい!」と、すっかり気に入り、途中(クレヨン画風の映像で、幼稚園時代の因縁を回想する場面)からビデオ録画しました。録画開始後は、巨大宇宙船を交えたメカアクションに、A子とB子のアクションを融合させる…というセンスにも感動しました。放送後、録画を繰返し観たのは勿論、レンタルビデオでノーカット版を観たり、レンタルCDを聴いたり…と、しばらく熱中したものです。  そのため、他の皆さんのレビューを拝読している間、挿入曲の【Dance Away/Follow your Dream】、さらに、A子「スクリュー・キーック!ドォーッ!」→B子「赤城山ミサイル!」といった台詞・場面の数々が頭の中を駆け巡り、テンションが上がりました。  早速、私もレビューを書こうと、レンタル店でDVDを…と思ったら、取り寄せ不可能とわかり…このたび、当時録画したビデオを発掘・再鑑賞した上で、投稿しました。  さて、再鑑賞(録画した、後半の約40分間の範囲)の感想ですが…やっぱり面白かったです!。以下、皆さんのレビューを通じて初めて知った事実も交えて書きます。  まず、今更ながら【くりぃむレモンシリーズとして製作されたのが発端/同時上映が、旅立ち‐亜美・終章】と知りました。「30年前の自分の熱中ぶりが、如何に表面的で知識に乏しいものだったか」を痛感したのと同時に「それまでエロに向けていたエネルギーを、創造的に発散させたことで、これほどのパワー溢れる力作になり得たのかも!」と思いました。いずれにせよ、良い意味で「男子向けの作品だな!」と再認識しました。また、ここまで底抜けに単純明快な作品として完遂するまでに、企画段階でも相当な押し問答があったはずであり、西島克彦監督達が、どれほどのエネルギーを注いだかを、察して余りあるものがありました。  もう一つは【M監督が「こんな映画は作ってはいけない」とおっしゃっていた】ということ。何となく私も感じてはいましたが、やはりそうだんたんですね…。確かに、東映アニメーションが【東映動画】という名称の時代から製作に携わっていたM監督にとって、【アニメブーム】以降に現れた当作品の【80年代テイスト】は、堕落のように映っても無理ないかもしれません。しかし【A子が、ミサイルを飛び石のように踏み越え、巨大宇宙船に向かっていくシーン】をはじめとする漫画チックな演出の数々は、十分、M監督の演出に通じるものがあるような…。それに当時のアニメ界が、ある種の閉塞感に満ちていたことは確かだったと思います。その閉塞感を打ち破るべく、西島監督は【A子】を、M監督は王道の【漫画映画】の復活をめざして【天空の城ラピュタ】を創ったのでは…とも思っています。そして奇しくも【A子】と【ラピュタ】が公開されたのは、共に1986年。この【昭和末=3年後から平成】という時期に、根底では共通する面がある(と私は思うんですけど…)2作品が発表されたことは、偶然を越えた【日本アニメ界の節目】のようなものを感じずにはいられません。  公開から30余年…【ラピュタ】に対し、当サイトでの【A子】のレビュー数は非常に少ないものの、平均点は決して負けていないことを嬉しく思います。最近、仕事疲れで投稿がストップしていたのですが、当作品の再鑑賞で元気を取り戻しました。ありがとうA子!  さて、採点ですが…【男子向け】ではあるものの、まだデジタル技術を使っていない【手描きアニメ】で、これだけ元気溢れる力作は滅多に無いと思います。【ラピュタ:私は10点を献上】と双璧をなす【昭和末】に生み出された傑作の一つとして、西島克彦監督と森山ゆうじ作画監督をはじめとする、作り手の皆さん達への敬意を込め、10点を献上します。  備考:若い人達が観ると、良くも悪くも【オタク志向の作品】と思われることでしょう。しかし当作品が公開当時(私がTV放送で観た当時も含む)は、まだオタクという言葉は一般化しておらず、敢えて言うなら【アニメファン/アニメマニア】という呼称が該当するかと思います。【オタク】が浸透したのは、その後に別のMによる【事件】があってからです。そのため、個人的には【アニメファン(マニア)】という言葉と共に語ってほしい作品です。[地上波(邦画)] 10点(2019-07-18 21:49:12)(良:1票) 《改行有》

39.  HK/変態仮面 アブノーマル・クライシス 《ネタバレ》  某ローカルTV局の元日に1作目、そして翌日に当作品…と二夜連続で放送されたので、録画して鑑賞。  1作目に比べ、アクションもVFXも凝っており、前作では予算も時間も足りなくて心残りだったことを、存分に注ぎ込んだことが伺えます。「前作を“深夜のTV番組レベル”といった人達よ、この映画を観てみたまえ!どうだ!これで文句ないだろう!」という、福田監督や鈴木亮平さんをはじめとする、作り手の皆さんの自信たっぷりの声が聞こえてきそうです。  ただ、たとえスケールが小さくても、1作目について【冬場という過酷な状況で、身体を張ってロケを敢行したのでは?!:詳細は1作目のレビューをご参照ください】と想像して感激した自分としては…当作品は、撮影が夏場(鈴木亮平さん達は、皆、普段着は半袖姿です)のようなので、ある種、安心というか、ゆったりした気持ちで鑑賞しました。  勿論、寒くないからといっても、アクションには綿密な打ち合わせやリハーサルが必要でしょうし、VFXの撮影にあたっては、違った手間暇や苦労があったとは思いますが…  このようなわけで、1作目に比べると、とても短い文面となりましたが…当作品に対する、私の正直な思い入れは、これぐらいです。ただし1作目があってこその当作品であり、低評価にはしたくありません。そこで、1作目と【セット】として考えて8点を献上させていただきます。  いずれにせよ、新年早々、元気になれました。この2作品をお正月に放送した某ローカルTV局の英断に感謝します!。[地上波(邦画)] 8点(2019-01-27 21:27:53)《改行有》

40.  HK/変態仮面 《ネタバレ》  某ローカルTV局の元日に当作品、そして翌日に続編…と二夜連続で放送されたので、録画して鑑賞。  原作漫画(1992~1993年連載)は、タイムリーに読んでいました。ただし「ドラゴンボール」「幽遊白書」「ジョジョの奇妙な冒険」といった少年ジャンプの看板漫画の“ついで”ではありましたが…。当時の私の率直な感想は「たぶん“女子”には理解してもらえないだろうけど、これぞ少年ギャグ漫画だ!」と、小学生の“男子”に戻った気持ちで楽しんだものです。  映画化の話を耳にしたときは「20年ぶりの復活か~」と感無量ではあったものの、題材が題材だけに気恥ずかしくて劇場には足を運ばず…しかし大成功をおさめて続編も製作!…にもかかわらず、やはり観ずじまいでした…。  そんな不誠実な読者だったわけですが、今回のTV放送を観て感激しました!。以下、他のレビュアーさん達の肯定的なご意見と異口同音かもしれませんが、長々と述べさせていただきます。  まず私が感心したのは、漫画から抜け出たかのような変態仮面のフォルムは勿論ですが…ギャグ漫画が原作だからといって、けっしてドタバタな演出で終始しなかったことです。  確かに、脇役陣(主人公の両親、大金玉男 及び 第四までの刺客-真面目・爽やか・モーホー・細マッチョ仮面)については、ストレートにコミカルな演出がなされています。  一方、主軸であるストーリーラインは【平凡な主人公の紹介 → ヒーロー誕生 → 巷での活躍と共に深まる主人公の苦悩 → 強敵出現と初めての敗北 → 再起とクライマックス】というように、まさにヒーローものの王道。しかも学園ものとしての純情ラブストーリーも加味してあり…それらを、主役二人(鈴木亮平さんと清水富美加さん)が、真面目に演じています。瀬川英史さんによる音楽も、この二人の場面では、原則、真面目な曲調で、ときとして「シリアスすぎでは?」と感じるほど。そして真面目に演じれば演じるほど、シチュエーションや台詞とのギャップから、観る者の笑いを誘う…これは福田監督の演出上の戦略かな…と思いましたし、私は好感を持ちました。  さらに、私が個人的に熱くなったのは、映画の後半に差しかかる【偽変態仮面との最初の対決から敗北に至る場面】です。これらは寒空のもとでロケ撮影されたことがわかります。随分前のことですが、私は某TVドラマのロケ現場に偶然、出くわしたことがあり「10数秒程度のワンカットを撮るだけでも、準備や打合せ等で、相当の時間がかかるんだな…」と知りました。そのため「路上での対決では強い風が吹いているし、その後のビルの屋上の場面は夜間。待機中は防寒に配慮したとは思うけど、撮影本番は、どんどん体温が奪われ、さぞかし寒かったろう…アスファルトや屋上の床に横たわるのは、さぞかし冷たかったろう…」と、観ている間、過酷な撮影現場を想像してゾクゾクしました。特に、偽変態仮面を演じる安田顕さんが、変態哲学を語り「そんな屈辱にエクスタシー!」と絶叫する鬼気迫る姿は、【寒さに耐える】を突き抜けたからこその境地から生み出されたのでは!…と感じました。もちろん、私が寒い季節に観たことも影響していたとは思いますが、おかげさまで、中だるみせずにラストまで集中して鑑賞できました。  さて、採点ですが…上記のように安田顕さんについては言うに及ばず、見事なボディーを作り上げた鈴木亮平さん、そして福田監督をはじめとするスタッフの皆さんが、真剣に情熱を込めて創りあげたことが伝わってきて、新年早々、元気になれました!。当レビューに投稿するにあたり、DVDをレンタルしてノーカット版も観ましたが、感想は変わりません!率直には10点にしたいところですが…万人受けは難しいでしょうから、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。  ところで、今や鈴木亮平さんは【西郷どん:2018年】で、一躍、大河ドラマ俳優になってしまいましたが…できれば、当作品を黒歴史化せずに、今後も代表作の一つとして誇ってほしいものです。また、男の子向けの作品ではありますが、某TV局のバラエティー番組【ダマされた大賞】の“変態おじさん”を楽しめる(というより、笑って許してくれる?)女性の方々なら、観ていただけるかも…と思ったりしています。[地上波(邦画)] 8点(2019-01-27 21:25:12)(良:1票) 《改行有》

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