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プロフィール
コメント数 3870
性別 男性
年齢 53歳

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41.  ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 貴重な古代遺物である石棺を、きちんと梱包もせず裸のままヘリに吊るして搬送するシーンがあって、「おいおい」とは思うのですが、まず、別のヘリに乗るトム・クルーズの背景にこの吊るされた石棺をカメラに収めることができるし(梱包してたんではシーンとしてサマにならない)、軍のガサツさもここに表現されるし、何より、この石棺の中身が、大事に搬送して差し上げるようなヤワな存在ではないことの予告になっている。という意味で、やはりこのシーンはこうあるべきなんだなあ、と。 それはともかく、この作品、「トム・クルーズ主演のアクション映画」として見れば、かなりイイ線いってると思うんですけど。しかし、そこが問題、なんでしょうかね。ミイラ指数は確かに高いとは言えないかも。 例によって登場する「トム・クルーズ走り」はここでもカッコいいし、格闘シーンもお手の物、ガラスの破片がトム様の顔面に落ちてきてヒヤリとさせられたり(現金なもので、これがスタントマンの顔面だったら、特に何も感じなかったりするのですが)。飛行機がキリモミ式に墜落する一連の機内シーンなんて、出色のアクションと言ってよいでしょう。 しかし、トム・クルーズがやたらと目立ちまくるが故に、脅威として存在するはずのミイラの女王様が、「トム・クルーズというチャランポラン男にダマされている可哀そうな女性」にしか見えないのが、結果的に作品の印象を弱めてしまっているような。 どんな状況でも、トム・クルーズはトム・クルーズなんだなあ、ということが確認できる一本です。うーむ。80年代の彼はもう少し役の幅を広げようとしていたんだけど。どんどん収束方向に向かってますね。[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-26 19:13:38)《改行有》

42.  ジーパーズ・クリーパーズ 《ネタバレ》 まあ確かに売り込み方としては、「コッポラ総指揮」としか言いようが無かったんでしょう、と、心中お察しする次第ではあるのですが、いや何、そこまで気を遣わなくても(というかむしろ、無駄にハードル上げてしまっているのでは)。 薄汚い謎のトラックにつけ狙われる、「激突!」チックな前半。舞台は何もない一本道で、周囲はどこまで行っても変わりばえのしない光景が続き、単にロケ撮影の手抜きではないのかとの疑いが心に兆しつつも、この孤立感は映画を引っ張るに充分。 やがて物語は「激突!」路線から離れ、道端の教会に停められた例のトラックと、そこで行われている謎の作業、その教会を探ってみると・・・という、シリアルキラー的な路線に移り、さらにはその正体たるモンスターとの戦いへ。もはや、前半のトラックでの襲撃に何の意味があったのやらさっぱりわからないのですが、一応、「相手を怖がらせることに意味があった」という苦し紛れの説明がなされていて、もう、どうでもよくなってくる。 とにかくこの三段構えが、いいではないですか。 通りすがりに見える、停められたトラックと、その脇で何かをする謎の人物の姿に、「おや?」と思わせられる一つ目の転調。謎の人物と対決し、クルマで轢き殺そうと必死になっていると、その人物の背中にピョコリと羽が生えて、また「おや?」と思わせられる二つ目の転調。その前から、コイツはきっと人間じゃないよな、とは思っているのですが、さすがにハネが生えてくりゃ、これはもう決定的。見ちゃいかんものを見てしまった、という感覚。 登場人物は皆、多かれ少なかれ妙な連中ばかりで、あのネコ屋敷の婆さんなんかも相当なもんですが、それより何より、主人公の姉弟のポンコツぶりが、実に充実しております。そんなこと絶対やめとけよ、ということを平気でする、というより、それをすることに異常に固執する。そう、映画の登場人物ってのは、我々が「普通に」期待するようには動いてくれないもんです。 だからこそ、物語が、動くのです。 ちょっと、やり過ぎ、かもしれないけれど。[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-26 17:28:33)《改行有》

43.  バリー・シール/アメリカをはめた男 実在の人物に取材した映画、ってことなんですが、まあどうにも、胡散臭い、ウソ臭い。当時の社会情勢などが作中にそのまま取り入れられ、何ならもっとリアリティを感じても良さそうなところが、かえってそれが胡散臭かったりして。しかしこうやって見ると、当時の情勢そのものが、いかにも胡散臭い時代だったんだな、と。 この作品、なんとなく、お伽噺のテイストですね。一種のホラ吹き男爵譚。これを、演じてる本人も、見ている我々も、違和感なく演じられるのは、やっぱりこの人しかいないでしょう。と言う訳で、「トム・クルーズ/アメリカがハマってしまった男」。これはバリー・シールなる人物を描いた作品なのか、それともバリー・シールを楽しそうに演じるトム・クルーズを描いた映画なのか。見てると、パイロット役が演じられるだけでもうどんな役でもOK、楽しくて仕方なかったのでは?と思えてきます。 という軽いノリ。 そういう、ウソかホントかよくわからんエピソードが次々に並べられて(大筋ではホントなんだろうけど・・・もはやどっちでもいい)、まとまったストーリーらしいものもなく、それが短いショットの連続で紙芝居のように描かれます。テンポがいい、のは確かですが、味気無くもあったりして、「今のシーンはあともう少しだけ、カメラを長く回してもらえたら」などとも思っちゃう。だけど、満足する前に敢えて止める、というのも、一つの節度、とは言えるのかも。 とか言うようなことを、これといって考えていなさそうに「見える」ところが、この作品の特徴でしょうか。 クルマが爆発するシーンとか、あるいは爆発しないシーンとか。いいですよね。[インターネット(字幕)] 6点(2023-11-25 06:08:20)《改行有》

44.  ミスト 《ネタバレ》 町を包む謎の霧、その霧の中に潜む、何か。 と言ってもジョン・カーペンター親父の何とかいう映画のことではなく(どういう訳か、この『ミスト』という映画の原作をキングが発表したのは、『ザ・フォッグ』公開と同じ1980年らしい)、こちらはやや、動物系パニック映画のテイスト。霧の中に潜むのは得体の知れないモンスターどもで、スーパーマーケットに閉じ込められた人々の籠城戦。しかし、パニック映画の常道は徐々に奇怪な事件、前兆が発生し、やがてパニックが広がって一軒家に立てこもり、ってなところでしょうが、この作品では割と最初の方から、人々がスーパーに閉じ込められます。そこは普通のパニック映画とちょっと違う点。 それはまあ、いいのですが、どうも映画の作り手は、閉じ込められた人々の対立、社会の縮図みたいなものをここに描きたかったらしい。しかし、脅威は建物の外にあるはず。普通は「外敵」がいれば、それなりに結束するもの。よって、内部の対立を描くためには、外部からの脅威を描くことがおろそかにならざるを得ない、という、企画上の致命的な欠点が。 ましてや、中盤では、外との境界が「脆弱なガラス」に過ぎないことが印象づけられております。外にいるモンスターは多種多彩、次はどんなヤツが現れるか知れたものではなく、この薄氷のごとき結界がいつ破られてもおかしくない状態。なのに登場人物たちは、外のモンスターそっちのけで、内部でやりあってばかり。 いくら何でも、映画で描こうとしていることと、そのために選んだ映画の設定との乖離が、ヒドすぎるんではなかろうか。ここまで違和感しかない映画ってのも珍しい。少なくとも、この違和感の中でこの作品からコワさを感じるのは、すみません私にゃ無理だ。 内部の対立は、やがて殺人という「悲劇」を生み出すが、いやこれ、悲劇だと感じる人、いますか? むしろ、イヤなヤツがいなくなってせいせいした、ってなところでは。 さらには衝撃の(?)ラスト。衝撃というよりは唐突。これ見よがしに絶望感を描くのが良いとは言わないけれど、これじゃ、大して絶望感を感じさせないまま、木に竹を接いだようなバッドエンド。この点も含め、申し訳ないけど、この映画からは理屈っぽさしか感じられません。 悪夢でもいいから、夢を見させておくれ。[インターネット(字幕)] 1点(2023-11-23 06:48:19)《改行有》

45.  るろうに剣心 最終章 The Beginning ひたすら派手なアクションを突き詰めた『The Final』と比較すると、アクションは抑え気味で、そりゃ基本的に、地味よりは派手な方が私も好きではあるのですが、どっちかというと『The Beginning』の方が、良かったかな、と。 やっぱり、しっとりしたシーンがあってこそ、アクションも映える訳で。このシリーズ、どっちかというと細かいカットを積み重ねたアクションシーンが多用されガチャガチャした印象がある中で、主人公と沖田総司が対決するシーンなどでは比較的長回しで見せたり。メリハリがあります。 映画の中に何度も現れる「炎」が、物語を締めくくる。 しかし、有村架純は確かに美人ではあるのですが、そのまんま過ぎるというか。無色透明で、どうも印象が弱いんです。[地上波(邦画)] 6点(2023-11-18 06:48:23)《改行有》

46.  るろうに剣心 最終章 The Final チャンバラ映画の一つの到達点。とは思うのですが・・・。 冒頭からテンポもよく、いやこれはいいんじゃないか、と思ったんですけどね、最初は。 しかしその後がやたら、モタつく。主人公の過去が、どうやら現在の彼に大きな影を落としている、らしいのだけど、思わせぶりにチラ見させるだけで、詳しくは「The Beginning」の方を見てね、という趣向。予告編じゃあるまいし。この中途半端さが大きなマイナスになっているように感じました。 「過去」を物語に組み込むには、セリフで示すだけのやり方もあるだろうし、映画の中でガッチリと並行して描くやり方もあるかも知れない(ゴッドファーザーPART IIみたいに)。いずれにせよ、映画を見ている中でそれが我々の心に食い込んでこなければ、それは単なる知識に過ぎない訳で。 この作品、いったんはモタついたとは言え、やがてアクションのつるべ打ち、アクロバットシーンのオンパレードになっていくのですが、画面の派手さと裏腹に、モタつき感がもう一つ払拭されない。要は、心に入ってこない。不思議なほど。 せめて、これだけ動き回った主人公が、やがて疲労困憊する悲壮感、絶望感でもあれば。パフォーマンスとしてのストーリー性。例えば昔、『大殺陣 雄呂血』なんていう映画があって、市川雷蔵も殺陣が上手い人ではないし、チャンバラのキレも悪く、派手なアクションという観点ではこのシリーズの100分の1以下じゃないかと思える。のですが、それでもなにせ、あの悲壮感。そこにしびれる。 そう思うと、この作品。せっかくここまでアクションを仕上げて、やっぱり、勿体ないなあ。と思っちゃうのです。 ただ、(これはThe Begginingにも共通しているのですが)映画の中に、「炎」というものが、大小合わせて再三登場し、これが作品を印象づけている点は、いいなあ、と思いました。[地上波(邦画)] 5点(2023-11-18 06:23:51)《改行有》

47.  ダウト・ゲーム これ、なかなか面白かったです。 裁判の行方なども描く映画にしては、かなりセリフの量を絞ってきているのがまず、いいですね。もちろんセリフが少なけりゃ何でもいい、という訳ではないし、セリフが多いと全部ダメという訳でもないけれど(説明ゼリフが多いのはそれなりにウンザリするにしても、見どころもちゃんと準備されていれば、楽しめるのであって)、とりあえず、意識的にセリフを絞ろうとするのは「見せよう」という意識の表れであるのだから、期待もできようというもの。そしてこの作品でも、それはサスペンスシーンにしっかり活きています。 主人公の検察官がある晩、ひき逃げ事故を起こすが(と、自分で書いておいてナンですが、ひき逃げは事故じゃなくて事件だよな)、別の人物が逮捕されてしまう。主人公はその事件を担当することになり・・・というオハナシ。多少、強引なところのある設定ですが、スネに傷を持つ主人公、という制約、それが新たな力学を加えることになって、物語がどんどん転がっていく。これが面白いんですね。彼の抱えたやましさが次の行動を生み出し、その行動が新たな謎と物語の展開を生み出す。行動を描く、ということは、「見せる」ということであって、それがサスペンスになってりゃ、楽しむには充分でしょ? ちょいと気の利いた佳作、といったところか。 原題は「Reasonable Doubt」。こんな変な邦題つけるより、原題をそのままカタカナ書きしてもよかったのでは、と思うのですが、カタカナで「リーズナブル」と書くと、安っぽいイメージになりかねないので避けたんですかね???[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-12 07:34:11)《改行有》

48.  オースティン・パワーズ ゴールドメンバー 《ネタバレ》 3作目なもんで、「ゴールドフィンガー」ならぬ「ゴールドメンバー」。見てると実はこのタイトルが下ネタだったことがわかるのですが、このシリーズ、3作で終わらずに4作目があったとしたら、次は「サンダーボール作戦」をモジって・・・いや、何だかすでにエロそうな。 それにしても、またもやってる影絵シモネタ。ホント、好きなんですねえ。確かにテッパンだけど。 そして例によって例のごとく、ネタに困ったら「日本」ネタに頼っちゃえ、と。これもテッパンだから仕方ないか。 しかししかし、いくらネタに困ったからと言って、とりあえず「マイケル・ケイン」を出せばいい、ってもんじゃないでしょう。いやこれもテッパンネタか。 冒頭、マイク・マイヤーズもえらく男前になったもんだ、と思ったら実はそれはよく似た他人、いやよく似てない他人で、この胡散臭いスマイルは、まぎれもなくアノ人。さらにそれは劇中作品の一コマで、監督しているのがこれまた、アノ人。2002年というと、これはもしや『マイノリティ・リポート』の撮影現場・・・なワケないか。 このツカミの後は、いつも通りの低調路線。あくまで苦笑しながら、しょうがないここは一つお付き合いしましょうか、というシリーズな訳ですが、いかにも「ゴールドメンバー」な有名人が次々に登場して、ああ、皆さん、ヒマなんだなあ、と(忙しい人はこんな映画に出てはいけません)。で、ラストにまた、このキャラの正体がアノ人だと明かされて、ビックリする仕掛け。いや、もうここまできたら誰もビックリしないってば。 アメリカ人はこういうので喜ぶのか、というのがどちらかというと最大の驚きであったこのシリーズも、今や過去。映画史上の汚点(?)も、歴史の一部には違いない訳で。[インターネット(字幕)] 5点(2023-11-11 06:04:06)《改行有》

49.  ゴジラ-1.0 ゴジラ映画というジャンルと、個人的な人間ドラマとの、噛み合わなさ、ってのが元々あって、正直我々もその辺りは「言わない約束でしょ」ということで諦めてたフシがあるのですが。 ついに、そのどちらからも逃げずに、しっかりと噛み合わせてきた山崎貴監督。まずは、ありがとうと言いたいです。シン・ゴジラが完全にゴジラ映画を再構築してしまった後で、あるいはレジェンダリーピクチャーズがいかにも「CG大作」風のイメージを作り上げてしまった後で、それらのハードルをしっかりとクリアしつつ、この分野ではまだ誰も到達したことのないところまで、人間ドラマの領域に踏み込んでみせてくれました。『永遠の0』『アルキメデスの大戦』とも微妙な距離を保ちつつ。 そりゃ、正直言えば、見ながら「もっとセリフを絞ってくれたら!」とは思っちゃうんですけどね。 だけど、ゴジラと神木隆之介、絶対に成立しないと思われたダブル主演が、ここではどちらが折れることなく、その共演をちゃんと成立させている。国を護る、ということのヒロイズムと残酷さをも、両立させながら。 国を護ると言っても、それはもちろん、時の政府を護る、という意味では無くって(そういう意味での「国」に対しては佐々木蔵之介の口を通じ呪詛が並べ立てられる。ちょっとしゃべり過ぎか・・・)。神木隆之介演じる主人公には家庭があり、「妻」と「娘」がいるけれど、この3人には血縁も姻戚関係もない、いわば赤の他人の集まり。そういう仲間の集合体としての国を護りたい、護らねばならない、のだけど、実際に主人公を動かしているのは、かつて仲間を救えなかった罪の意識。自分は生きてていいのか、という後ろめたさ。ヒーローがヒーローとして死地に赴くのではない残酷さが、そこにはあります。マイナス1.0というタイトルのごとく、大戦を通じて負のエネルギーに支配されてしまったこの国、その呪縛から抜け出せるのかどうかが、呪縛を象徴するゴジラとの戦いを通じて描かれます。 戦後まもなくの、警察予備隊すらまだ無い頃。早くも始まった米ソ冷戦の兆しも物語に織り込み、戦後残されたわずかな軍艦(高雄、雪風…)や本土決戦用に温存された戦車でゴジラに立ち向かわざるを得ない、という設定が、作品のリアリティに繋がる以上に、悲壮感を感じさせます。さらに登場する、「あの」秘密兵器(隣の席で見ていた息子は、話の流れから「もしや登場か?」と予感してたらしく、覆いが外されるか外されないかのタイミングで早くもノケ反ってましたが)。 かつて仲間を救えず、ゴジラを見上げるしかなかった主人公は、ここではゴジラと肩を並べ、真っ向から立ち向かっていく。この場面、どこかの山間部みたいなところで、申し訳程度に散在するわずかな民家をゴジラが破壊してて、いかにも着ぐるみ撮影時代の「ゴジラあるある」なシーンになってますが、それも含め、味わいのある場面です。 佐藤直紀の音楽も魅力的ですが、ここぞという場面では定番の伊福部メロディが登場、特に例の「ゴジラ登場のモチーフ」はこれでもかとテンポが落とされて、ゴジラの威容とともに、見る者を圧倒します。 劇中、いくつか違和感を感じたような気もするけれど(銀座のシーンで突風の向きが逆になったような気がしたが、気のせい?あるいは理由あり? すみませんよくわからんかった)、忘れました。ははは。まあ、些細なことです。[映画館(邦画)] 9点(2023-11-04 07:02:36)(良:1票) 《改行有》

50.  虎影 映画なるものを見ている最中、面白いと思ったりつまらないと思ったり、あるいは驚いたり退屈したり。色々感じはするけれど、エンマ帳みたいなのをつけながら見ている訳で無し、後で感想文書こうとか点数つけようとか思いながら見ている訳でもなし。「良いシーンが多かったから、つまるところ、これは良い映画である」などと思う訳でもなく。結局は、見終わった時に感じる充実感ってのが、あったり無かったりして、基本的にはそれが映画の印象となる。で、この充実感はどこから来ているのだろう、と思い返せば、なるほど、心当たりにぶつかって、ああ、きっとこれなんだ、と。幸い、充実感を感じることが多いからこそ、まだまだ他の映画も見たくなる。 しかしそこで戸惑ってしまうのが、例えばこの『虎影』なる、フザケたおしたニンジャ映画。あきれ返るほどにフザケまくっているにもかかわらず、見終わった瞬間、ああ、90分余りの充実した時間を過ごせたわい!と感じてしまったのは、なぜなんだろうか。 これは困った。 一応、もう一つの尺度として、「人に勧められるか」という視点もあるんだろうけれど、この点では正直、厳しいものが・・・。 無理矢理この充実感の由来を思い起こせば、結局は陳腐な表現になるけれど、この自由さ、ってことになるんでしょうかねえ。 何だか板みたいなのに縛り付けられた人間が、斜面を滑り落ちる、その上に乗っかって繰り広げられる戦い。合成感丸出しで、いかにもチープ、あり得なさ加減が凄まじいのですが、「そんなに斜面が長い訳無いやろ」というくらい、ひたすら斜面を下り続ける、このずうずうしい時間感覚。いやいや、これこそ、映画の基本ではないでしょうか。 はたまた、石垣での人間パチンコ。アホ過ぎ。 だけど一方では、ケレン味たっぷりの長回しチャンバラもあったりして。 うん、おそらく、この「盛り沢山」感にダマされたのかも知れぬ。 という訳で、これ、オススメです。[インターネット(邦画)] 7点(2023-11-03 07:09:07)《改行有》

51.  マッド・ダディ こりゃヒドい。誰だよ「ニコラスケイジ映画にハズレ無し」とか言うヤツは。いや待てよ、そんな事、誰か言ってたっけ? もっともこの作品、ニコラス・ケイジは主役とは言えず、特に前半は出番も少ないんです。だからギリギリ、ニコラスケイジ映画とは呼べませぬ。 世の中の親が突然、我が子を殺し始める。そこに理由もヘッタクレも無いってのは、いいと思うんですが、元をたどればコレ、永井豪の「ススムちゃん大ショック」ですよねえ。原作使用料として永井豪が何がしかを要求できるとまでは思わないけれど、でも、このネタでこの映画の出来。いや、怒ってもいいと思う。永井先生、叱ってやってください。 だいたい、見るからに親が子供を殺す気満々なのが、面白くない。何せ、親が我が子を殺そうとするんですよ。そんな恐ろしいことが本当にあり得るのか?何かの間違いじゃないか?せめて自分の親だけは・・・みたいなタメこそが、物語のキモになると思うんですが、まーそういう要素の乏しいこと乏しいこと。だって親がニコラス・ケイジなんだもん。暴走するに決まってる。 まずこの時点で、あまりコワくない映画になってしまっているのですが、後半の攻防戦も、グダグダで盛り上がらない。だってニコラス・ケイジなんだから、しょうがないよね。 予兆?みたいなものとして、映像の途切れた画面上の「砂嵐」が提示される。このデジタル時代にアナログ画面? 『ポルターガイスト』の見過ぎじゃないでしょうか。ってのはいいとしても、発想としては陳腐なイメージで、これと言って意外性がありません。 親子関係があればそこに殺意あり、という変なルール付けがこれまたつまらない。理屈先行でサスペンスも何もあったもんじゃありません。それともこれは、ギャグのつもりなんでしょうか。ギャグとしても面白くないけど。 劇伴として思わせぶりに、場違いなドビュッシーの「海」を挿入するのも、違和感しかない。「わざと狙った違和感にしちゃ、イマイチ違和感が足りないんだよ!」という違和感。 ぬる過ぎ。[インターネット(字幕)] 1点(2023-10-29 15:30:43)《改行有》

52.  PIG/ピッグ 《ネタバレ》 やっぱり、「ニコラスケイジ映画にハズレ無し、はウソでした」はウソでした。ニコラスケイジ映画の佳品が、また一本。 静かな映画。ですが、ニコラス・ケイジ演じる主人公のジイサンが、そろそろどこかでブチ切れるんじゃないか、という不穏な空気が、緊張感をもたらします。いや、ブチ切れたところで、小汚いジイサンだし、強いのかどうかはわからんけれど、とりあえずややこしい事にはなりそうなので、確かにそこには緊張感が。 曲がりなりにも大スター(だった人?)が主演なのですが、ヒゲもじゃで表情が見えづらい上に、映画はことさらにクローズアップで彼の表情を追いかける訳でもない。スター映画の逆を行くようなこの抑制された表現が、上記の緊張感に繋がっています。表情が見えないとは言え、いやむしろ、それ故の、主人公の存在感とでも言いますか。 飼い豚とともにトリュフ採りで生計を立てている世捨て人のようなジイサンが、ある日何者かに襲われ、豚を奪われてしまう。大事な豚を探し出して取り戻すべく、ジイサンは町に出ていく、というオハナシ。しょうがないなあ、という感じで、ジイサンを愛車に乗せて豚探しに付き合うのが、トリュフの買い取りをしてくれていた若造。この二人による、ロードムービーのような構成になってます。 豚探しの行脚において、特に大事件が起きるという訳でもないのですが、時にジイサンはなかなか無謀なことをやります。豚探しのためならどんなことでもやりかねない、この一本気なところが、見た目の小汚さと相俟って、静かな狂気も感じさせます。 という中で、なんとなくこのジイサン、只者ではないな、ということが徐々にわかってくる。一方で彼につきそう若造、偉そうな割に大したヤツじゃないな、ということも。この印象の変化が、特に事件らしい事件が起こらない物語に、緩やかではあっても大きなうねりをもたらします。若造は、クルマの中ではクラシック音楽のラジオをかけていて、そのラジオ番組ではいかにもスノッブな解説が音楽に被さる。ジイサンはウンザリしたようにラジオを消そうとし、それを見る我々は「ジイサンはこういう“高尚ぶった”クラシック音楽なるものが嫌いなんだろう」くらいにしか思わないのですが、物語が進んできてジイサンの印象が変わってくると、このエピソードも「もしかして、ジイサンはクラシック音楽なるものの真価を知るが故に、(音楽ではなく)解説にウンザリしてラジオを切ったのではないか」とも思えてきて。 別に、人を見た目で判断しちゃいけませんよ、という説教臭いオハナシでもなくって、人それぞれ、これまでに経験してきた過去を抱えており、それぞれに内なる想いがある、ということ。 ラストには、一種の対決、実に実に静かな対決が行われます。 それぞれの過去、それぞれの想いがあってこそ、対決を通じて互いが繋がる。 まるで孤独を愛しているかのようなジイサンが、実は誰よりも愛というものに飢えていたのではないか。 ニコラス・ケイジ本人も実はこういう人だった・・・のかどうかはよくわかりませんが。[インターネット(字幕)] 7点(2023-10-29 08:51:44)《改行有》

53.  ゴジラvsコング 結局、こうなっちゃったのは、誰のせい、なんですかねえ。 アメリカでゴジラ映画作るたびに口を挟もうとする東宝のせい、のような気はする(少なくとも小栗旬だけのせいではないと思う)。 ついに、「ほぼ東宝」な内容のアメリカ版ゴジラ映画が登場。 しかしこれを、着ぐるみ&ミニチュアではなく、CG満載の超大作として作ってしまうと、ここまで虚しくなるものかと。いやはや、勉強になりました。 ギャレス・エドワーズが、いかにゴジラの巨大さを描くかに拘りぬいて作り上げた2014年版のゴジラ、あの面影はどこにも見当たらず、もはや今作に登場するゴジラは、2014年版とは同姓同名の赤の他人のように見えてくる。 ビルのCGを並べりゃ巨大に見えるってもんでもないし、破壊のインフレが必ずしも質感を表現するものでもないし。 地下空洞などという舞台を設定した割には、地表世界との立体関係が活かされる訳でもなし、鈍重で平面的な取っ組み合いに終始。 プロレスラーが試合中に、リングを降りて場外戦をやるのは何のためか、理解してるんだろうか? 2005年のピータージャクソン版キング・コングがどこまで褒められた作品かはともかく、少なくともあの映画ではもう少し、「視点の上下移動」ということが意識されていた気がするんですが。 と言う訳で、そろそろ1998年版ゴジラに復活願い、エメリッヒに「ゴジラvsインデペンデンスデイ」ってのを作ってもらおう。その企画なら東宝がいくら口を挟んでもらってもOKです。逆に、無視しないでね。[インターネット(字幕)] 3点(2023-10-28 04:39:00)《改行有》

54.  マルチプル・マニアックス こういう映画に高い点をつけたからと言ってホメている訳ではなく、低い点をつけたからといってケナしている訳でもないのだけど、とにかく、「高過ぎる点」か「低過ぎる点」かのどちらか、には、なっちゃいますわな。なにせ「変過ぎる」から、こればかりは、どうしようもない。でしょ? この作品(もはやこれを「作品」と呼ぶのかどうかもわからんけど)、ザックリ言うと、「聖と俗の対比」ってなことになるのかも知れないけれど、映画の作り手たち(=ドリームランダーズ)の思い入れが明らかに「俗」の方へ極端に偏っているので、対比も何もあったもんじゃない。 キリストの受難劇らしきもの(そう言い切るのは何となく憚られるので念のため「らしきもの」と言っておく)が挿入される一方で、ひたすら下品、モラルの対極を行くようなエピソードが続き、その挙句、おゲレツも突き抜けてしまえばそれは「聖」なのだと言わんばかりのラストへと突き進んでいく。 おゲレツ教の殉教者、聖女ディヴァイン、ってか。 いくらおゲレツとは言え、ピンク・フラミンゴみたいに「実際におゲレツを極めないと気が済まない」みたいなところまでは、さすがにまだ至ってはおりません。しかし、ピンク・フラミンゴ25周年版で監督自身が、家具を舐めまわすシーンに苦笑していましたが、ああいったおゲレツへの発作的な衝動、みたいなものは、このマルチプル・マニアックスでもすでに感じられて、素晴らしく意味不明な世界が繰り広げられています。意味不明でおバカ、だけど、強烈。これを「生き様」と呼ぶとちょっと重くなっちゃうんですが、そう言って言えなくもない。その生き様が、この作品には間違いなく投影されている。ような気がする。 いやはや、自由とは、まさにこのことだ、という短慮も、人生には必要かもしれない。[インターネット(字幕)] 9点(2023-10-15 18:03:26)《改行有》

55.  007/ダイ・アナザー・デイ ピアース・ブロスナンのボンドは、「5代目ボンド」というより「2代目ロジャー・ムーア」のイメージがあって、この真剣みの無さが、いいなあ、と。要は、もしもジョージ・レーゼンビーが1作のみで降板しなければおそらくロジャー・ムーアの出番はなく、ロジャー・ムーアの出番が無ければこんなピアース・ブロスナンのボンドなんて誰も認めなかったんだろう、ということなんですが。幸いにもこうやってボンド役に定着し、記念すべき第20作も彼の主役にて迎えることに。 この映画の007シリーズ、荒唐無稽なアクションを、ホントにスタントでやってしまうのが何と言っても魅力で、これもロジャー・ムーア時代に(良くも悪くも)花開いた感があります。むろん、合成映像やミニチュア撮影も多いですが、そこにしっかり、非常識極まりない無茶なスタントシーンを織り交ぜてくる。しかしこの第20作、時代の流れには逆らえないということか、かなりCG化に走っちゃってて、そこは残念ではあります。まして、あくまで当時のCGですから、単に荒唐無稽なシーンをより荒唐無稽に見せてるだけ、のような。 だけど、ムチャクチャやってて、やっぱり面白い。いや、普通の意味でストーリーが面白いとか言うのは全然無いんですが、そりゃだって007映画だもの。何となくスパイごっこみたいなどうでもいいことをやりつつ、ムチャクチャなアクションを無理矢理織り込んでいく。ホバークラフトでのチェイスなんて、実に痛快。「冒頭が一番、見応えがある」という残念な構成も、007映画ならでは。 いやもちろん、その後も、見どころ色々。プレデターみたいに微妙に姿が見えなくなるアストンマーチン。透明車にボンドが乗ったら、ボンドの姿だけ宙に浮いて見えるのかと思ったが、そうはならない。ってのはどうでもいいんだけど、自動車同士でミサイル戦を繰り広げる不経済な戦い、さらには敵の基地の中まで突っこんで死闘を繰り広げる。この基地、どうやら、いわゆる「かまくら」で出来てるらしく(?)、氷の城を破壊しまくるカーアクション、これまた実に痛快。 宇宙からの光線による攻撃が、イマイチ段取り悪く、言うほど破壊が進んでるように見えないのですが、とにかく38度線付近らしいどこぞが、爆発しまくってる、スケール感があるのか無いのかよくわからんスペクタクル。派手には違いないので、クライマックスを大いに盛り上げます。 ところで、今回のもう一つの売りは、ボンドガールとしてハル・ベリーが登場。ショートヘアの顔立ちがなんとなく、浜美枝を連想してしまったのですが、いや確か「2度死ぬ」では長髪姿のボンドガールだったはず(?)なので、これは妙な連想でした。[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-10-15 15:44:57)(良:1票) 《改行有》

56.  ヒッチャー(2007) 1986年の、あの『ヒッチャー』という映画、あまりにも素晴らしいもんで、むしろ滅多なことでは再見したくない・・・となると、突然禁断症状を起こして、どうしても見たくなった場合はどうすればよいか、ですが、心配ご無用、そういう時のために、ちゃんとリメイク作を作ってくれているので、こちらを見ればよいのです。 ・・・なワケないか。 トーマスハウエル(に相当する人)とジェニファージェイソンリー(に相当する人)とが、最初からいきなりバカップル状態になっている、とか、いくつかの些細な事(?)を除くと、気持ち悪いくらい、本家のストーリー展開に沿ってます。 しかし、あの“ジョン・ライダー”役、ルトガー・ハウアー以外の誰ができるんだよという例の“ジョン・ライダー”役は、勇敢にもショーン・ビーンが演じてて、いや~、度胸あるわ~、絶対、元映画のファンから批判されちゃうのにね~、と思いつつ、とにかくこの役を演じる人が変わると、映画の雰囲気が変わってきます。あの本家の、善vs悪を超越した絶対的な邪悪さの権化のようなジョン・ライダーに比べ、こちらは、普通にワルい人、といった印象。あまり超自然的なものは感じさせません。 そういうジョン・ライダーの超自然性も含めて、元映画は色々と不条理でイビツなところがありましたが、リメイク作では多少、手直しされています。やや唐突に現れていた、パトカーやヘリコプター。それを今作では、いくらか警察の目線を取り入れ、無線通信等でもって、そういう唐突さが出ないように何となく、説明が加えられる。 お陰でナンボかイビツさは解消しますが、ますます普通な感じの映画になってきちゃう。もともとが不条理なオハナシなんだから、説明すればするほど、野暮になってきちゃう。 あと、カップルの女性の方(一応、この人は主人公ということになるのかな)が、どうも上手くない。逃げる場面で、やたらモタつくような、いや逆に、モタつかなさ過ぎるような。二人で逃げるシーンってのは、これまでも映画の中でさんざん描かれてきたと思うのですが、実はこれ、演じるのが意外に難しい場面だったのでしょうか? 他にも、肝心な場面で視線が定まらなかったり。トレーラーの運転席で敵と向き合い、ドアを閉めるシーン、黒澤明なら、閉める時にドアの方を振り向くなっ、とか言って怒り狂いそうな気が。 そうこう言ってるうちに、点数が元映画の半分になってしまった。いや、何だか申し訳ない・・・[インターネット(字幕)] 5点(2023-10-14 14:39:38)《改行有》

57.  ヒッチャー(1985) 好きな映画、というのとはちょっと違うかも知れない。好きだから何度でも繰り返し見ます、というんじゃなくって、ごく、たまーに見ては、作品の不気味さに震え上がり、堪能したい。今回見たのも、果たしていつ以来だったっけか。やっぱり面白い。怖い。不気味。痺れます。 『激突!』の後で、どういう映画があり得るか。どこまでトンガレるか。トンガリまくった挙句、こういう映画が生まれちゃう。そのこと自体が、面白いじゃないですか。 雨の中、現れたヒッチハイカー。『激突!』における、顔の見えない敵、というのとは違って(もっとも、『激突!』ではタンクローリー自体が“顔”な訳ですが)、こちらはいきなり顔を見せちゃう。おいおい、顔、見えちゃってるよ、とワケのわからない心配をしてしまうのですが、ちゃんと不気味さを持続させ、恐怖を持続させるルトガー・ハウアー。本当に得難い俳優をこの作品は得ることができ、この時点で99%は成功が保証されたもんでしょう。などと言うと、C・トーマス・ハウエルが気の毒か。いや、その凡庸さもしっかり、この映画では活きてます。 とにかくルトガー・ハウアー。やっぱりこの人、品がある。そして、何を考えているかわからない(アタマ空っぽ、という意味ではなく)。その独特の持ち味を、徹底的に邪悪さへと振り切って見せると、こんなコワいことになってしまう。作品と俳優の、一期一会、絶妙の組み合わせ。などと『ブレードランナー』のことも同じようにホメてしまいたくなる誘惑を抑えつつ。 この作品、実に不条理なサスペンスですが、不条理ゆえに散漫になるようなこと無く、緩急つけて緊張感を高めていきます。 切り詰められたセリフの、恐るべき切れ味。 一方、劇中のところどころで展開される派手なアクションシーンが、サスペンスに不釣り合いで、ちょっと浮いた感じがあるのも事実なのですが、この不条理世界にそういう場違いなものが放り込まれると、さらに不条理感が倍増し、さらに不気味さが膨れ上がってきます。これ、計算されたものなのかどうか、わからないけれど、結果として異様な効果をあげていて、やっぱりこの作品、フツーじゃない。 さて、次は、何年後に見ますかね。。。[インターネット(字幕)] 10点(2023-10-14 09:01:07)《改行有》

58.  砦のガンベルト 《ネタバレ》 冒頭、何やら取り調べみたいなことをやっていて、そこから映画の舞台は過去へ。ラストでまた冒頭シーンに戻って物語の輪が閉じる。こういう構成はおおむね、テッパンだと思うんですが、この作品はそれがいささか、あからさまで、ちょっとあざとい、というより何だかドン臭い印象が漂います。この冒頭からの流れで、早くも心配に。 スゴ腕だが、どこか陰のあるガンマンが主人公、というのも王道感がありますが、この作品、どっちかというと、実は周りの人たちの方が、暗い過去がある。砦の嫌われ者(?)の大佐の悲惨な過去が語られ、翌日、大佐が突っ伏した机の上には銃と、倒れたグラス、そして血らしきものが。スワ、一大事か。しかし部下(我らがボーグナイン!)が声をかけるとおもむろに大佐は二日酔いらしき頭を起こし、部下が体を引くとそこには机の上のブランデーの瓶が、という趣向・・・こういう演出って、どういうセンス、どういうノリなんでしょうかね。わからん。昨夜の悲惨な話の口直しに、ちょっとユーモアを挟んでみた、ということなんでしょうが、、、 で、舞台となっている砦は、先住民に取り囲まれ、やがて戦いへ。こういう立て籠もりシチュエーションも、魅力的、なはずなんですけどねー。砦の中が舞台ということで、スタジオ撮影。いや、スタジオで撮るなというつもりは無いですが、やっぱり程度問題、というのもあって、何となく味気ない。砦の中の光景は、もう少し印象的なものであって欲しい。 という訳で、いろいろ物足りないように感じていたのですが、それでも、クライマックスの夜襲シーンになると、炎の照り返しの中で繰り広げられる死闘がやたら雰囲気を盛り上げ、ちょっと「え?」という描写もありますが、なかなか見応えのあるクライマックスとなっております。エピローグに相当するシーンで唐突にThe Endと出てくるのも、悪くない。[CS・衛星(字幕)] 6点(2023-10-14 06:03:48)《改行有》

59.  ミッドナイト・ミート・トレイン かつてクライヴ・バーカーの「ミッドナイト・ミート・トレイン」を読んだ際に、「こりゃ、“やみくろ”だな」と思った―――のか、それとも「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ時にミッドナイト・ミート・トレインを思い出したのか、読んだ順番が定かでなくなってきているのだけど―――いずれにせよ、どういう訳か私の中ではこの二つのイメージが妙な具合に結びついてしまってます。 では、この映画化作品は、と言うと。 特にそういうことは感じなかったですね。というのもやはり、短編小説を長編映画に膨らませている、というのもあって、一応、そういうアヤしいヤツも登場はするけれど、それよりも、そこに至るまでのサスペンス色が強くって、小説とは印象が異なります。日常から、徐々に謎めいた世界の「真相」へと近づいていく過程。しかしやっぱりそこでは、あの薄暗い「地下鉄」という舞台が実に効果的に効いていて、原作の持ち味、というべきでしょうか。 映画の中では、だいぶ悪趣味な描写も見られますが、これもまたホラー映画らしい味付け。一種のスパイス。そういうスプラッタ描写を散りばめつつ、スピード感あるクライマックスへ。 それなりに一般性には欠けるので誰にでも勧めたくなる映画ではありませんが、個人的には満足度の高い一本です。[インターネット(字幕)] 8点(2023-10-14 02:16:13)《改行有》

60.  SPACE ADVENTURE コブラ 我ながらウッカリにも程がある、と思ったのですが、あのカズレーザーというタレントさんがコブラの恰好を真似しているということに今まで気づいていませんでした。すみません。しかし逆に言うと、金髪のムキムキがピチピチの赤い服を着たところで誰しもがコブラになれる訳ではない、ということで。 やっぱりこのコブラ、シャレてて、カッコいいですね。しかし声はテレビ版でお馴染みの野沢那智ではなく、愛のメモリーでお馴染みの松崎しげる。いや、松崎しげるっつうたら、やっぱりハン・ソロでしょ。という黒歴史はさておき。ニヒルなコブラには、意外にこのハスキーな声も、似合ってしまう。いい感じ。 この映画版というのは初めて見たのですが、映画版では左手が義手ではなく、直接、サイコガンに変化する、ってのはこれまで何となく知ってました。とすると、あの無敵のクリスタルボーイをどうやって(義手無しで)倒すんだ? 倒せないんじゃないか? ってのも何となく気になってました。いやこれはウソで、そんなに気になっていなかったけど、うっすらとイヤな予感が。 結局のところ、映画版、最後までもう一つ盛り上がらなかったですね。クライマックスの対決が、割と普通に終わっちゃった。 というのもありますが、それより、ストーリー自体が、何やら愛がどうのこうのと薄っぺらいことを言うばかり、何かと言えばとりあえずキスシーン、そりゃ盛り上がらん訳で。 とは言え、アクションシーンはやっぱりカッコいい。左手のサイコガンを構えるコブラの姿が、やっぱりカッコいい。[CS・衛星(邦画)] 5点(2023-10-09 07:50:54)《改行有》

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