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プロフィール
コメント数 327
性別 女性
年齢 37歳
自己紹介 知的障害を持つ23歳女性です。
1週間に40時間働いているから多分社会人だと思うけど
今は旦那や発達障害者仲間とルームシェア生活です。

知能指数は11歳ですが、
この映画レビューサイトでは
見よう見まねで大人びた文章で気取らせて貰っています。

ちなみに登録自体は旦那がやっていますので
■妻投稿■がついているのが私です。
あ、でもそうじゃないので一人称が「僕」なのも
実は私が投稿していたものもあったり
「ドラえもん」とか「A」とか(^_^;)

インターネットの書き込みは初めてに近く
インターネットルールは一通り勉強したつもりですが、
「場の空気を読む」などの高度な技術は難しいので
そんな時にはスルーしてください。

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41.  映画 聲の形 《ネタバレ》 妻投稿■■■■■■この映画を見て思ったことは「あの植野ってアマを殴りてぇ」という事だ。勿論グーでだ。物事の騒動はほとんどこいつのせいだ。こいつは自分の願望を叶えたいばかりに他人を偽善者として見下し、自分勝手な理由で相手に罪悪感を感じさせ、被害者意識丸出して喋っているうちに熱くなって暴力を振るう。(抵抗できないという意味での)弱い人間を洗脳して支配するタイプだ。将来はあのメガネの担任みたいな奴になるんだろうな。■■■■■■■■じゃあなんで彼女は殴られないのか。リアリティーの為か? いや、この映画でのリアルは手段であって価値ではないはずだ。リアルが価値ならば成立しない場面がいくつもある。■■■■■■■■■■■■この物語は障害者の物語ではなく、「いじめをしていた」「いじめを黙認していた」「いじめから逃げた」「いじめを自己肯定している」人間の物語だ。この映画ではいじめの中心人物だったヤショウが一番まともに見える。その行動が自己救済を動機にしていたとしても(これは「いじめてたのは自分だけだ」という言い訳にも現れており、監督はあえてそれを隠していない)、そもそもいじめに死ぬほどの罪悪感があるからこそ自己救済が必要なわけであって、結果的に少しずつ被害者や家族から許されていく。対してその救済を邪魔しているのは、そもそも罪悪感も償いの意思も持たない連中だ。その連中の醜さが作中ではさりげなく、それでいて確実に表現されている。■■■■■■■■■■花火大会の最中、彼女が自殺しようとしてヤショーが落ちるシークエンス。SF作家の山本弘はブログで「強引」と言っていたが、私はあれを見てランス・フォー・トリアーを思い出した。あれは硝子の激情だったに違いない。西宮硝子が目を見開いて夜の橋へ走り出し号泣したとき、彼女は小学生の時のヤショーのような激情で彼を殺してしまった事に泣いたのだ(いとさんが死んだ時の妹のと全く同じシークエンス。あの時ヤショウは死んだのだと思う)。目の前に将が現れたのは彼女の幻想だったに違いない。そして彼が回復して学校で全てに許されるのは、彼の死後の物語に違いない(そう確信したのは、マリアの台詞と同時期にDVDで見た「心が叫びたがっているんだ」との比較)。■■■■■■■■■■■■いじめていた連中は結局最後までそれを悔やまず、自分たちは「許す立場」にあると思っている。彼らが制裁を受けたり悔やんで光落ちする描写はない。その恐ろしさこそ「いじめをしたり黙認したりした」観客へのメッセージだ。ラストはヤショーの幻想であり、いじめっ子だった観客の幻想である。[映画館(邦画)] 9点(2016-10-22 00:53:37)(良:1票)

42.  バケモノの子 《ネタバレ》 妻投稿■ これは細田監督最高傑作かも知れない。何より体技格闘シーン、固い(≠硬い)動きが素晴らしい。最近のアニメの戦闘シーンは動きがやわらかすぎる。敢えて動きを固くしつつ素手と力と刀といった多様な姿勢で如何に相手の縄張りを崩し、攻撃を受け止め受け流し、止めの一発を決めるか(騙し合いではなく相手に合わせた戦い方の中で)…。その緊張感を少年ジャンプみたいな技名を繰り出して背景すっとばした世界で主人公跳躍するようなものではない、それこそ私が観客になったような視点で見て感じることができた。 ■ 内容について…(特に後半)これは間違いなく3.11後の日本をモチーフにしているのではないか。渋谷で沢山の車を持ち上げる黒い鯨は間違いなくあの恐ろしい津波のメタファーだ。故郷を失った人、大切な人にもう合うことができない人…その人がどう立ち直っていったら良いか真剣に考えた映画なのではないか。父親に反発する蓮の姿は、(原発)被災者に寄り添うふりをしながら自分たちのイデオロギーに利用するだけの連中への痛烈な批判、全てに絶望してしまうことに対し「(「そうじゃないよ」じゃなく)そう思ってしまったとしても大丈夫だよ」と抱きしめる楓の言葉、あの津波のような鯨を見て「死によって解決するしかない」と追い詰められる蓮、そして熊徹が刀となって蓮の体の中に入ることの意味。一人で戦っているんじゃない…という言葉。「蓮と熊徹の強くなることの意味」というテーマがそこに終着した時、私はこの作品は傑作だと思った。 ■ この作品は感動シーンと女子高生が喜びそうな格好可愛い男の子の活躍が目立つ。後ろの席10代の女の子は大喜びしてた。でもお涙頂戴場面とかわいい男の子登場させれば彼女は喜んだだろうか。そうじゃない。やっぱり九太も連も、熊徹もすごく格好いい奴なんだ。[映画館(邦画)] 9点(2015-08-25 23:58:25)《改行有》

43.  ツイスター 《ネタバレ》 妻投稿■アメリカで毎年多くの死者を出している竜巻を題材にした映画…といっても実は竜巻の面積当たりの発生率は日本(の平野部)もアメリカも大差はなくて、日本では毎年何十例どこかで発生し、特急電車を脱線させたり家を吹き飛ばしたりして多数の死者を出している災害でもあるんです(劇中のF2とかF5とかのF、つまりフジタ・スケールは日本人竜巻研究者の藤田哲也シカゴ大学先生の頭文字)。確かに、劇中描写は高頻度すぎる気はするけど、江戸川コナンや杉下右京、マクレーンだって高頻度で事件に巻き込まれているんだから無問題。■それよりこうした竜巻災害に対し、ハリウッドお得意の「ありえないくらいの巨大な竜巻が発生し、主人公カップル以外皆殺しになって云々」というような代物ではなく、「現実に存在する脅威に対し、人間はどう立ち向かうのか」という事に重点を置いた、濃厚ではないけど重厚ではある映画だと思います。実は私一回だけ竜巻を目撃したことがある(あと愛耕運機をありえないところにまで持って行かれた)のですが、その時の湿っぽい空気や天気の不安定な変化から、竜巻の渦に巻き込まれて吸い上げられるというよりは周辺の空気に引き上げられて持ち上げられるような破壊のシークエンス、データに観測されているのに目に見えないという緊張感などが物凄いリアルだったと思い、同時にこれってパニック映画というより技術者の映画なんだなと思いました。■実はドロシーのアイデアってオクラホマ大学研究チームががちでやっているものをネタにしているんですよね。恐慌状態になっていた主人公のフィアンセが単純な馬鹿で嫌な女ではなかったり、メグおばさんを助けるシーンで、竜巻予報を3分前から15分前にするというそれだけのことがいかに難しくて重要なことかをうまく描くことで、登場人物がなぜ危険にぶつかっていかないといけないかがストレートにぶつかってくる、良質な映画だと思いました。[ビデオ(字幕)] 9点(2011-11-21 20:17:33)(良:1票)

44.  ドラえもん のび太と竜の騎士 《ネタバレ》 妻投稿■ドラえもん映画では唯一明確な悪役の出てこない映画。前作が傑作だったために地味な印象がありますが、私はこの映画大好きです。だって、スネ夫が遭遇した、洞窟の中に空や谷があって、そこに逆光状態でオルニトミムス系統の恐竜が大量に走っているという構図(「ジュラシックパーク」でラプトルが知的残虐ぶりを発揮する前の映画ですよ、これは)は、当時出版された絵本「押入れの冒険」の地下高速道路に通じるようなシュールなアドベンチャープロローグなんですから。■さらに、宇宙、恐竜時代、海底、アフリカ、ロボット戦争、絵本の中の世界とこれまでの映画でやっておきながら、さらに新しい冒険フロンティアを開拓し、しかもテイストをワンパターンにしないストーリー展開(今回は最後まで恐竜人の目的がわからないという、ある意味明確な悪役が出てくるより厄介で硬派な冒険です)。彗星衝突説をほとんど世界で初めて冒険映画のネタにするというドラえもんたちに負けないスタッフの冒険ぶり。飢えて死ぬ運命にある恐竜たちを地下空間に避難させるという恐竜好きにはたまらないラスト。何より恐竜のSFは「ティラノサウルスとトリケラトプスが暴れまわる」だけではないという事を提示した作品基本コンセプト。私の中ではこの「竜の騎士」はドラえもん個人傑作選の右翼の一つです。■でも多”奈”川鉄橋を走る小田急5000形が3つ扉だったのは残念。あの鉄橋そういえば今は架け替えられて、複々線化されためちゃくちゃ高層橋になってます(笑)[ビデオ(邦画)] 9点(2011-11-14 11:17:57)

45.  ドラえもん のび太と夢幻三剣士 《ネタバレ》 妻投稿■養護学校時代の読み聞かせ、たまにOGとして私が今やっているんだけど、私が生徒として聞いていたときには、ワクワクとガクガクする冒険談をしてくれる大人って、トリフォーみたいな立ち位置なんですよね。夢の提供者として、恐怖の仕掛け人として活躍する正体不明の大人。子供に媚びたり教育的になるのではなくて、正体不明な存在として自分たちの住世界にふらっとやってきて、消えてしまうみたいな。■私が子供のころ、その頭では、小学校の特殊学級と職員室をつなぐ給油室とか、養護学校の電気室とかに、夢と恐怖の仕掛け人が異世界から出入りする空間が確実にあって、その向こうでは絵本に出てきた展開されているものと信じていました。■さらにこの映画は、だれもが体験する「殺されそうになる夢を見て飛び起きる」という夢がなぜ発生するのかという点まで説明しちゃっている。こうした小さいころに現実世界とは別に並行して存在した別世界、異世界を具体化することが、この映画の目的だったんだと思います。■これって、「夢の世界」を子供に媚びた世界、教育する世界と勘違いしている後世のアニメファンタジーへの風刺にもなってますよねえ。「夢の世界」=TDランド的「理想の世界」じゃない…。ただ私たちの頭と世界の片隅にさりげなく存在しているものだと思います。[ビデオ(邦画)] 9点(2011-09-05 01:20:57)

46.  絞死刑 《ネタバレ》 妻投稿■加害者の身勝手な妄想(自分が不幸であるのが強姦殺人の事由という論理)には全く賛同出来ず、ラストは「こいつ死ねよ」と思ってしまった。でもその「こいつ死ねよ」という感情が実行されてしまうのが死刑制度なわけであって・・・。■この映画は殺人被害者遺族の感情を持ち出してはいない。遺族だったら殺人者は残虐な方法でぶっ殺されてほしいと考えるのは至極当然だ。遺族の方の世界からは平常も正常も奪われてしまっているのだから・・・。だがそうではなくて、この映画は私みたいに「こいつ死ねよ」という感情を持っている一般市民自身に作られた映画なのだ。■私はある女性に対する誘拐殺人犯が友人の協力で作ったブログを見たことがあって、犯人の身勝手な論理に吐き気がした。死ねばいいと思った。でも、犯人に対して「死ね」というような私みたいな一般市民の何百のコメントを見ていると、その感情やコメントは正しいし当然だし、間違っていないのだが、少なくとも怖いと感じた。■映画ではそうした私たちの「死ね」という感情を滑稽に描ききっている。その形として「死刑執行後に記憶喪失になった人間を誰もが『死ね』というような人間に戻して死刑にする」というコンセプトはよく考えたなあと思う。このコンセプトは遺族の方からすればどうでもいい次元だが、私たちごときには考えさせられてしまう問題である。遺族の方の報復感情が当然だからといって、私たちが「死ね」というのは、死刑を運用するのは正しいのだろうか。被害者遺族と一緒に「殺せ」を連呼すること「だけ」が、「唯一」の被害者への殺人行為を憎む手段なら、人間は終わりだ。■この映画の問いが直ちに「死刑廃止すべき」に繋がるのなら、「遺族自身に報復を押し付けるべき」という考えになっちゃうから、一概には言えないんだけど、でも身内を殺されたこともない日本人が、自らの残虐性に無頓着なまま死刑を支持しているのではという一種の風刺が、この映画には確実にあると思う。[レーザーディスク(邦画)] 9点(2011-07-09 16:29:46)

47.  僕の彼女はサイボーグ 《ネタバレ》 妻投稿■カク・ジェヨン監督の妄想三部作の最終章。多分彼は中坊そのまんまの自室にあるダッチワイフからヒントを得て脚本を書き続けたに違いない。タイムパラドックスがどうとかいう問題はSF作品なら重大な問題だろうが、中坊の妄想に要求されるサイドストーリーにはどうでもいい問題なのである。その証拠にこの映画、設定の整合性やストーリーのバランスは最低限の配慮しかされていないが、綾瀬はるかが横向きに街路を歩いて胸が強調されていたり、未来の女子高生の制服(綾瀬はるかの友人が制服で強調された胸を手で押さえながら走ってくるシーン)や、綾瀬はるかとメイドのダッチワイフ的な歌声とシュールな首振りといったシュールな光景といった「画」にかける拘りが物凄く強い事が見て取れる。「好き」を職業にする事は非常に難しいと「自分探し」を批判する人が良く口にしているが、「妄想」を職業にする事はもっと難しいと思う。妄想の上に芸術を塗りたくれば一応相応の作品は出来るのだろうが、妄想そのものを作品化して受け入れられるには、自らの妄想を的確かつ徹底的に分析する必要があるに違いない。「花ざかりの君たちへ」や「イケメンパラダイス」を存分に楽しんだ私としては、この監督は素晴らしい監督だと思う。[DVD(吹替)] 9点(2011-03-01 21:02:11)

48.  生きる 《ネタバレ》 妻投稿■人生において他人を満足させる事、もっと言えば他人とってに意味のある人生を送る事は実は簡単。財産を全部ささげるか無報酬で奴隷のように他人の為に働けば良いのである。が、反対に人生において自分自身を満足させる事は非常に難しい。自分の人生を自分に据え置く行為は、他者や社会に何の利益ももたらさない「無意味な行動」なのである。■主人公はこの無意味な行動に終始した。その姿はその場では狂気に見え、その狂気を持った人間が単なる物体化した後に「客観性」の立場とともに人々に再評価、回想される。が、結局その「無意味な行為」は何かを変えたりする事はない。そもそも「無意味な行為」は「人間に尊敬、評価、肯定」され、「啓蒙」する事が目的ではないのだから、それは当然なのである。■はっきり言おう。主人公には生きる価値などなかった。そもそも「生きる」という事はそういう事なのだ。故に、社会で生きるよりもハードな責任感が実は必要なのだ。[ビデオ(邦画)] 9点(2011-02-08 01:14:43)

49.  ミクロコスモス 《ネタバレ》 妻投稿■私の住環境はげじげじやチャタテムシやカマドウマや「G」がうようよしていて、それ対策に旦那が女性ルームメイトの承諾なしに近所からアシダカ軍曹を投入していて、そいつがカエルを捕まえて血を吸い取っているのを目撃してヒイイイイイイイイイという住環境なのだが(旦那は「地獄すら生ぬるい」罪を犯したと思う)、この映画ではそんな虫ちゃんたちの躍動を描いたドキュメンタリー。青虫やバッタ、チョウチョ、カマキリ、蜂の子など、考えてみたら少年ジャンプの作者ですら造形できないような「ありのまま」を、私はじっと見入ってしまった。旦那の友人のО君や彼になついている4歳のYちゃん(女の子)は、「○○ちゃんも来ればよかったのに。虫取りをすればこういうのに触る事も出来るんだよ。鴨川シーワールドみたいに数秒触るだけで何千円も取ったりしないよ」と私を振り返って目をキラキラさせていた(か、完全に取り付かれている(^_^;))。■でも私は騙されない。パールハーバーや丹波の出る007には騙されてもいいが、みつばちマーヤの世界に出てきそうな昆虫ばっかり撮影して「昆虫の素晴らしさ」を説く悪質なプロパガンダには、日本人なら騙されてはいけない。妻または彼女のいる日本人男性諸君には是非学研昆虫図鑑の最後の方のページに必ず出てくる「家のなかにいる虫」、「昆虫でない虫」の造形の凄まじさも勉強してほしい。その凄まじさを音で表現すると。ピシュピシュピシュ、チョワチョワチョワ、プシュプシュプチュ・・・・。[DVD(字幕)] 9点(2010-11-19 04:10:21)

50.  アルジェの戦い 《ネタバレ》 妻投稿■第2次大戦後世界各国で植民地が独立しましたが、その中でももっとも大規模な独立戦争が起こったのが北アフリカアルジェリアです。(朝鮮半島やベトナムは冷戦の戦争です)。どれくらい凄いのかと言うと、植民地の戦闘が宗主国本土にまで波及して、宗主国の政府がつぶれてしまうくらい(しかも宗主国は国連常任理事国のフランス)凄かったんです。「植民地独立の責任を取って大統領が辞任します」というものではなく、政府そのものがつぶれてしまったんですよ(それがきっかけで第5共和国がフランスに出来ます)。日本ではアルジェリアと言えば某頭突きサッカー選手のルーツという認知度しかないですが、あそこの国は、今、アフリカではリビアと並ぶ長い平均寿命の国でありながら、北アフリカ有数の移民排出国であり、そしてタリバンが子犬くらいに思えるイスラム系山賊武装組織の民間人虐殺が問題になっている場所でもあります。■私は結構アルジェリアと言う国に興味があったのですが、週刊こどもニュースには絶対出てこないし、活字で理解するにも限界があるので、こういう映画に巡り合えた事は本当に幸運でした。■内容は詳しくは伏せておきますが、欧米列強の時代の「白人は有色人種より優秀である」という説の虚構を、もっとも「負」の形で証明した内容になっています。同じ知性とハートを持った人間を人間が無理やり支配する社会だとこーいうーことが起こるんだ…と言う事を、人道的にと言うよりは生物学的に表現しています(第2次大戦後の戦争映画の描き方としては大正解)。全ての人が見るべき映画とは言いませんが(フランス人には勧められない)、人間の生態を研究している宇宙人さんにはお勧めの一本です。[ビデオ(字幕)] 9点(2010-10-10 22:14:17)

51.  ジュラシック・パーク 《ネタバレ》 妻投稿■8歳の男の子(ただし知能指数の話、実際は身長193cm、体重100kgのガタイのいい28歳の農民)が目を輝かせてdvdに出てくる恐竜の説明を全部してくれた。彼はほとんど普段はあまり言葉を発しないリアルトトロみたいな青年だが、、そんな彼が中生代白亜紀と言う私ですら知らない単語を駆使して、トリケラトプスやブラキオサウルスやなんかを私に説明してくれるのだ。■彼は完全に私たちを連れてジュラシックパークの探検に出かけていた。それはもちろん彼の想像力と感受性にもよるのだが、映画が彼を含めた男の子のそういったものにきちんと応える姿勢を取っているのが大きいだろう。それはゲートをくぐってテーマパークなら必ず入り口近くにある情報センターみたいなところでのビデオ鑑賞(コハクのあれ)や、レーン付きのRV車に乗って園内を回るシーン。肉食恐竜の餌はどうしているのかという疑問に「ストレート」に応えてくれるシーンなど、単に「恐竜を見せればいいだろう」という考えとはまるで違う、「観客に恐竜公園を体験してもらう」という作り手の方向性に現れている。さらに製作陣が最新のcgを駆使して「怪獣」ではなく現実に大昔に確実に生きていた「恐竜」に命を吹き込んだ事も、彼を大きく感動させたに違いない。あの筋肉の動きや、生物として理にかなった体の構造、生態を見ていると「こんなのに襲われたらマジで喰われる」と私も本気で思ったし、ただ怪物が車を追いかけたり研究所で人間を追い回したりするシーン、ヤギさんが飛んでくるシーンに、普通のパニック映画とは違う臨場感を感じた。■よく東京ディズニーランドとかで「現実を忘れさせることで夢を実現させる」というエンターテイメントがあるけど、これは「現実を突き詰める」という逆の方法論で、夢を実現したんだと思う。[DVD(吹替)] 9点(2010-09-28 15:58:22)(良:3票)

52.  日本のいちばん長い日(1967) 《ネタバレ》 妻投稿■「目的が手段を正当化する」と言う言葉があるけれど、それよりももっと悲惨な事になる事が多いのが、「手段が目的を支配する」時。往々にして未来の事を考えるのが怖い人間はそういう状態になりやすい。■よく、戦争反対映画で「戦争の狂気」とか「戦争が人間を狂わせてしまった」という描き方で、「人間を免罪する」ような映画があるけど(私のなかではチャップリンの「独裁者」がその一例)、この岡本と言う監督は、そんな生易しいヒューマニズムは見せない。彼は映画のなかで徹底的に「手段が目的を支配している」状態の人間を描く事で、「悪いのは戦争ではなく人間」ときっぱり言い切ってしまっている。私はこの戦争を「大日本帝国が悪者で、連合国やアジアはイイモン」という風に単純にみる事は出来ないのだが、「悪いのは戦争ではなく人間」であるという事が本当ならば、改憲派も護憲派も右も左もとにかく日本国民なら共通する問題だと思う。■岡本監督アナドレン。ラストの皇居のシーンは本物の皇居を勝手に撮影したらしいが、どうしてそこに拘ったかと言うと、映画のなかの皇居と、1970年前後の当時の皇居と同じ映像にする事によって、それと同じ世界を生きている私たちに、映画のなかの狂気と言うものは私たち自身の心と隔絶されたものではない事を訴えているのだと思う。■映画とは関係ないけど、私は一度だけ国会図書館近くで(国会議事堂を見学しに東京に出ていたので)、半蔵門から出てきた天皇陛下の車に遭遇した事がある。見えたのは一瞬でお妃さまが手を振ってくれたのだけど、一体どうなったらここまで穏やか(すなわち意志が強い)人になれるんだろうというオーラがあった。この映画を見て何となくわかった気がした。[レーザーディスク(邦画)] 9点(2010-09-28 00:23:06)(良:1票)

53.  プライベート・ライアン 《ネタバレ》 妻投稿■最初の上陸シーン。説明不要。カメラは常に殺される、あるいは必死で銃弾から身を守ろうとする兵士の視点。音声も戦場で戦友が悲鳴を上げ、肉が引きちぎれ、球の乾いた音がピュンピュン入ってくる、これまた兵士の耳線(じせん)だ。さらに装備の重さや撃たれる痛みまで感じるような描写。観客は一人の兵士になって、戦場において「命令」の名の下に人は簡単に人生を断ち切られる(死ぬ…という表現にしようと思ったけどこっちにする)事を容赦なく突きつけられる。■この現実の下で、兵士たちが「ライアンのお母さんが可哀そうだから、息子を助けてあげて」というふざけた命令を遂行させられる本編が始まる…というコンセプトは、観客から見れば「映画としてふざけるな」というものなのだが、映画は観客に対し、そういう不条理やその他どうしようもない部分にとことんつきあってほしかったのだろう。■この映画は単純な反戦映画ではない。もしそうなら乱暴な憲兵や馬鹿な政治家、女性や子供へのレイプシーンが出てきただろう。この映画がそういうものではなく、敢えて「ふざけた人道主義」「そこから引き起こされる不条理」を描き続けるのは、戦死した一人一人の兵士たちへの敬意と鎮魂であり、往々にして戦争を、「閉塞感や不条理を無くしてくれる特効薬」だと勘違いする政治家や一般市民に対する警告なのだと思う。[ビデオ(字幕)] 9点(2010-09-05 04:29:23)(良:2票)

54.  十五才 学校Ⅳ 《ネタバレ》 妻投稿■主人公の男の子。旦那は「ふざけんな、泉ちゃんと言う可愛い女の子が心配して来てくれたのに『学校行きたくない』なんてダダコネやがって」とのたまっていたけれど(こういう男の15歳時代は同級生の女の子の胸と下半身で頭が埋め尽くされていたんだろう)、本当に凄いと思う。何が凄いと言ったら、吸収能力。大人の「何かを教えよう」という意思のない自然体から様々な事を吸収している。映画自体は劇的なドラマや空前絶後な状況設定を観客に提示する訳でもないのだが、この吸収能力旺盛な15歳のだいすけ君のおかげでどんな些細な場面でも物凄く魅力的(ありきたり臭い言い方をすれば「情景的」)に映っていると思う。多分彼がお腹が痛くて学校に行きたくなかったのも、学校を憎んでいたというより、その吸収能力を「何かを一方的に教授される」という状況下で上手くコントロールできなかっただけではないかと私は思うのだが…。■一方でこの映画はそうした些細なシーンを前面的に持ってくる一方で、見せ場とも言える感動的場面では、画面を引かせて、行商のおばちゃんや郵便配達のバイクと言った日常(しかし首都都市部とは少し違う)風景の中に小さく映し出している。私は寅さんも釣りバカも見ていないので「山田洋次的作風」は分からないが、この映画は私たち観客の吸収能力を試しているのではないだろうか。屋久島のお姉さんが言ってた「一人前になる努力をしなくちゃいけない」という台詞に、映画では「一人前」に力を置いていたが、私は「努力」に力を置きたい。吸収能力を放棄した上での世の中の問題解決など、問題解決にならない。この映画は凄く単純な事を言っているんじゃないだろうか。[ビデオ(邦画)] 9点(2010-08-22 21:07:00)

55.  トイ・ストーリー3 《ネタバレ》 妻投稿■本編で時代を感じさせたのが、中盤のプリズンブレイクシーン。「1」と「2」時点では「無限の彼方へ、いざ」という単純馬鹿ながらカッコ良かった「スペースコマンド」が、上官にそそのかされて無実の囚人を収監したり懲罰を加える(ジェシーたちを捕えるシーンで人間(人形)ピラミッドになっているのは、まさか風刺的意味合いはないですよねハハハハハ(^_^;))場面なんか、昔のピクサーは絶対描かなかったと思う。■愛されなかった人形がもっと弱い人形をいじめ、苦しい事や痛い事を強制する設定もそう。おもちゃと子供の物語なのに、明らかにネグレクトやアダルトチルドレン当事者の方を恐怖させる設定になっています(あのおぞましすぎる赤ん坊の人形なんだけど、PTSDの友達が「首が180度曲がる赤ちゃんの人形が嬉しい事や楽しい事があるたびに私の心に現れて私を責める」と言った事がある)。等身大のオモチャ同士が傷つけあうという、シリーズを締めくくるにはあまりにも閉鎖的でおぞましい設定です。■■で、そういう収容所の場面や溶鉱炉で死を覚悟する場面、そして「1」と「2」では見られなかった日常に戻っても楽しい生活が待っているとは保証できないという設定。その果てにあのトトロの人形を持っている女の子が待っているんですよ。■■アンディのお母さんがアンディの前で別れを涙ぐむ場面→そこからアンディから女の子におもちゃが渡されるシーンのシークエンスで、私はこの映画が「子供に遊んでもらえなくなったおもちゃの話」という予告編でやたら強調されていた概念を捨てた。これは「家族」の物語だ。トイ・ストーリーのおもちゃっていうものは子供にとって「子供」でもあり「親」でもある(ラストの「じゃあな相棒」というシーンは両方を合わせた意味だと思う)。虐待を受けても、放置されても、愛する人と別れなくてはいけなかったとしても、また女の子の遊び相手になる=生きて行く上での役割がなくなったわけじゃない…というメッセージ。第1作から15年。子から親になった観客に伝える最高のメッセージではないかと私は思うのですが■■で、今回のMVPはサディスティックバービー。よくバービーの会社が許可しましたねえ(^_^;)[映画館(吹替)] 9点(2010-07-16 08:10:27)(良:1票)

56.  カールじいさんの空飛ぶ家 《ネタバレ》 妻投稿■例の冒頭の15分くらいの場面。旦那にはきつかったんじゃないかなーと思います。私HIVなんでね(^_^;)爺さんみたいな悲しみを旦那に背負わせる可能性結構ありますね(笑)■で、冒頭の15分のシーンと家を背負っていくシーン…結構リンクしていると思う。「晴れ晴れとした冒険が出来るはずだったのに何で家を背負う羽目になったんだ―」というカール爺さんの表情は、「私の人生はこうじゃないから不幸なんだー」という、人間にありがちな思考を現わしている。あの探検家もジャングルで同じような思いを抱いて夢に固執し続けていたんでしょうね。■まったく同じようなこの2人、片や「夢の為には人間を傷つけていい」という思考で略奪に走る探検家と、「新しい夢を見つけて」というメッセージとともに大空に再び飛び上がる爺ちゃんとの対比がこの映画のメッセージだと思うんですよ。恋人が死んでも子供が不条理な暴力で殺されても、人間はいつか映画の後半のカール爺さんみたいに飛びあがれると私は信じたい。当然旦那もね。・・・・・と旦那に言ったら、「あなたもね」。[DVD(吹替)] 9点(2010-05-24 22:57:45)

57.  二十四の瞳(1954) 《ネタバレ》 妻投稿:図書館で鑑賞■自分の家族や自分より年下の人たちが、国家や社会の事情で死んでいく。この状況に対して個人に残された道は2つしかない。■1つは「自分の大切な人が、強い人間の事情で殺されたり暴力をふるわれたり強姦されたりという事は人間世界の摂理として至極当然」と考え、何を奪われ続けても自分の命を奪われるまでは大切な人たちの為に戦い続けるという選択。これ、私の旦那がどっちかというとそのタイプだ。私の旦那は妻である私を含めてどちらかというと所謂池沼の仲間が多く、社会に「運動」という形で何かを主張要求するタイプではないが、「自分たちが殺されたり殴られたりしても文句を言う資格はない」という現実を背負う覚悟を決めた野郎だ。■もう1つはひたすらその不条理を憂い泣き続けるという大石先生タイプ。これはこの映画を見ていただければわかるであろう。■まあ、グループわけは非常に極端であって、実際その当事者はその折衷で生きて行く場合が多いという事は当然として、旦那タイプは悲しみから、大石先生は「現実を背負う事」からある意味「逃げた」とも言える。そしてどちらのタイプが正しいのか、強いのかを判定するのは「家族や年下の大切な人」が不条理に死んでいく悲しみを経験していない市民だったりする。■そしてこういう結論を出す私が一番卑怯なのだとも思うが、「救いのない現実」の前には、絶対旦那タイプと大石先生タイプの両方が必要なのだと思う。その両方あってこそ「陰惨な現実」の果てに「優」を見いだせるのではないかな。片方だけだったら「呪」「卍(の逆バージョン)」になっちゃう。■とにかく、この映画は現代では「戦争はこんなにかわいそーだよー」という「反戦映画」になっちゃうが、1954年当時(ゴジラが初めて現れた年だ!!)は、きっと別の意味が成立していたはず。戦争が終わって9年(殺人の時効は15年)、きっと当時は「これは反戦映画?」と裁定する余裕さえなかったんじゃないかな。[レーザーディスク(邦画)] 9点(2010-04-11 14:56:40)

58.  耳をすませば(1995) 《ネタバレ》 妻投稿■旦那にとって一番好きなジブリは天空の城ラピュタ。で、私はこれと魔女の宅急便、ポニョ。この作品は女の子のためのラピュタですね。■男の子が妄想する冒険物語って、完全異次元世界で女の子の手を引っ張って悪い奴から逃げ、女の子を助けるため悪い軍隊に立ち向かう…。でも女の子の場合、完全に現実から剥離してはいけないんです。冒険する女の子とそれを想像する現実世界の女の子自身の両方を意識していたい・・・・という空想(野郎がする場合は「妄想」と呼ばれる?)があるんです。■この映画、雫は多摩ニュータウンの現実世界に生きながら、バロンと冒険し、セイジ君のもとに連れてってもらう。現実世界を舞台にしながら雫の体は坂道を登ったり降りたりふわっと浮いたりと宮崎アニメ特有の滑走を見せています。15歳の女の子らしいナルシスと憧れというものを冒険活劇と融合させる試みは素晴らしく、「近くにあるものは小さく、遠くにあるものは大きい世界」が坂道の現実風景と対面交差するシーンは、この映画のやりたいことの象徴ではないでしょうか。■唯一減点は下ネタシーンがない事。ボインやパンチラなど野郎を喜ばせるだけの視覚的シーンはやめて欲しいが、1回でも雫自身がちらっと意識するシーンがあったら、よかったと思う。だってこの映画は15歳女性の身体性の映画だから。[DVD(邦画)] 9点(2009-11-24 00:26:45)(良:1票)

59.  るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 維新志士への鎮魂歌 《ネタバレ》 妻投稿■9点もつけていいんでしょうか。確かに人気アニメを映画化した標準的なもののひとつだとは思います。そんな映画に9点をつける私は馬鹿です。どれだけ馬鹿かは後述の通りです■恥ずかしながら私は生きているこの世界において2つの大きな間違いをしていました。①昔の世界は白黒だと思っていました。②現代テクノロジー世界とチャンバラ世界は別々の世界に平行しているものだと思っていました。そして目が覚めたらチャンバラ時代になっていたらどうしようという心配をしていたものです(=_=)■この間違いに気付いたのが前者は14歳、後者は12歳くらいだったと思います。「日本の歴史」でチャンバラ時代から急速に西洋化していく明治に絶叫したのを覚えています。■現代世界からチャンバラ時代になったらどうしようという私が昔感じた恐怖は、きっと明治時代のチャンバラ世界の住民も感じたのではないでしょうか。私たちがチャンバラ世界で無礼講や身分の差で切り殺されるのに理不尽を感じるように、彼らも「義」ではなく「金」で全てが動く世界が「怖かった」のだと思います。■違う世界からやってきた「殺人が当たり前」という「怖さ」を背負う登場人物の姿・・・。これが突然平和な世界に蘇る恐ろしさ。その中でどう生きるかという信念。PTSDの私には違う角度からのメッセージだったような気もします。個人的には佐之助が「生きてて良かったな」というシーンで白い人たちが泣くシーンが好きです。[インターネット(字幕)] 9点(2009-09-05 04:16:51)

60.  101 《ネタバレ》 妻投稿■101匹わんちゃんは、うちらのルームシェアで食事の後にみんな(旦那と私を含めて大半が知的障害者、自閉症の20代)で見るのに最適な映画。日本中の障害者施設、児童館、デパートのよい子の広場に備え付けてある「家や映画館以外の場所で見ることの多い地域アニメ映画」としてさりげなく愛されている作品なんで、どうリメイクするのかなと思っていましたが・・・・さすがよくわかっていらっしゃいます。■まず作品の色。この映画は犬の演技を最大限に生かすため色を重要視しています。ダルメシアンのブチブチが似合う背景はやっぱり寒そうなイギリスですよね。白と黒って外気の寒さの中では寒く感じ、屋内の暖かいところでは暖かく感じるそうです。「寒いところから暖かいところに帰らなくっちゃ」ってのが言葉を喋れないかわりに表現されてて、おかげで結構わんちゃんに感情移入してしまいました。■それから最初に登場する魔女の非道ぶりとその魔女に対しピンチシーンなしにかわいい動物がお仕置きするシーン。これはまさに「お母さん公認のセガール映画」だと思います。人が面白半分に殺される娯楽映画が大嫌いな人(でも悪い奴を痛めつけるのは好きな人)にとって、動物のウンチは格好のアイテムではないでしょうか。あのラストの悪女の運命は「最高」に悲惨すぎます。■「かわいい!抱きしめて温めてあげたい(変な意味じゃなく)」という感情と「やっちまえー」というセガール的感情、そして「たくさんの人と見られて楽しい」という感情が持てる映画。その感情を現代的パトカーとゲームというキーワードで「現代」をアピールしながらも、継承させていこうというスタッフの気持はよくわかりあした。9点!!![DVD(吹替)] 9点(2009-08-20 04:33:35)

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