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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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701.  エンド・オブ・ホワイトハウス 《ネタバレ》 今作の映画的な持ち味は、時に凄惨なまでの無骨さと硬派さだろう。 これについては、何と言っても主演のジェラルド・バトラーの影響力が絶大だ。 本来、この手の娯楽大作であれば、“ヒーロー”である主人公に対しての「好感」は必然であるはずだ。 しかし、主人公の絶大な強さと無慈悲さを前にしては、安直な好感を持つことは許されない。 ただひたすらに自らに課した使命感に燃え、それを遂行する様には、ヒーローへの憧れなどは超越し………ちょっと引いてしまう。 「殺す」と決めた相手を必ず「殺す!」、というこの狂気的に愚直な主人公の姿に燃える人もいるだろうが、個人的に好感が持てなかったことは、映画全体の娯楽性においてマイナス要因であったことは否めない。最終的にはデスクワークに追いやられた男が精神を破綻させてしまっているようにすら見えてしまう……。 そして、無慈悲で凄惨過ぎる主人公のキャラクター性は、映画全体のテイストにある意味きっちりと波及している。 何せ、冒頭から人が殺されまくる。ホワイトハウスを孤立無援の状態にするためとはいえ、シークレットサービスをはじめとするホワイトハウス内のほぼすべての職員が惨殺される様は、衝撃的だった。 加えて、ホワイトハウス周辺の市井の人々も、テロリスト側の決死隊によって無差別攻撃を受け殺されまくる。 この陰惨さが、冒頭だけのもので、そこからアガっていく展開のための布石なのであれば良かったが、クライマックスに至るまでそれが抜け切らないので………やっぱり引く。 もっと娯楽性を高めるための“前振り”は、今作にも確実にあった。 ファーストシーンでアーロン・エッカート演じる大統領は、主人公相手にボクシングのスパーリングをしている。 ならば、大統領が悪役をノックアウトさせるシーンは必須だろうが! 大統領の幼い息子は、ホワイトハウス内の構造をシークレットサービスも舌を巻く程に熟知している。 ならば、息子がその知識を駆使してテロリストを出し抜くシーンも必須だろうが! 他にも、北朝鮮のテロリスト軍団がリーダーを筆頭にあまりにも狂人的な描かれ方をしている点も、現実の世界情勢を風刺しているように見せて、実際リアルじゃないなと思わざるを得ない。 そういう“ベタ”な娯楽性に欠けていたことが、こういう映画に対して、そういうことを期待している者としてはあまりにいただけなかった。 [ブルーレイ(字幕)] 4点(2014-11-12 22:00:07)(良:1票) 《改行有》

702.  プラチナデータ 《ネタバレ》 「駄目」と言える要因は山ほどあるが、先ず一番のマイナス要素は、主演のアイドル俳優の画的な見栄えの悪さだ。 二宮和也のルックスや雰囲気は主人公のキャラクターに合っていたとは思うが、いかんせん小さ過ぎる。相手役が豊川悦司なもんだから、そのチビさが殊更に際立つ。 役柄的にガタイが良い必要はないのかもしれないが、主人公の背格好のみすぼらしさは、それだけでこの映画を馬鹿にしたくなる要因になる。 と、言ってしまうと、まるで“ニノ”一人がこの映画の戦犯のように思われるかもしれないが、勿論そんなことはない。 万が一主演がレオナルド・ディカプリオだったとしても、この映画が駄作であることは揺るがないだろう。(まあディカプリオが主演ならば、自ら製作を担って、スコセッシ監督を呼んで傑作にしてしまうだろうが……) 東野圭吾の原作は未読だが、ストーリーそのものが決して褒められたものではない。 映画のストーリー展開が原作通りなのならば、流行作家の神通力もいよいよ落ち目なのだろうか。 主題であるDNAによる犯罪捜査と、この物語の“真相”は、衝撃的には見えるが、あまりに食い合わせが悪く、サスペンスとしてアンフェだと言わざるを得ない。 物語としての整合性が伴わないまま、科学を超えた人間のドラマなどを謳われても、正直シラケてしまうばかりだった。 文体ではもう少し情感的に表現が出来ているのだろうが、この“シラケる感じ”は、過去の東野作品の中でも幾度か見受けられたものなので、原作自体の出来もたかが知れているのだろう。 と、言ってしまうと、原作そのものが悪かったことがこの映画が駄作である理由と一括りにされそうだが、決してそういうわけでもない。 DNA操作、遺伝子論、精神医学、アナログとデジタルの対峙、これくらいの要素が揃っていれば、“オチ”のマズさはあったとしても、面白い映画的展開は出来たろうにと思う。 主人公の上長の刑事がロリポップを舐めながら登場する。何らかの特徴を持たせたキャラ設定をしたかったのだろうが、あまりに稚拙で失笑してしまった。 それは映画全体にとっては極めて些細なことだけれど、そういう稚拙さがすべての演出に垣間見えることは否めない。 誰か一人が悪いわけではなく、それぞれが少しずつ確実に見せてしまった稚拙さが、映画全体を覆ってしまっているような、そんな残念さに溢れている。 [地上波(邦画)] 2点(2014-11-12 21:58:45)《改行有》

703.  プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命 誰しも、本当は“真っ当”でありたい。 悪に染まることなどなければ、勿論それに越したことはない。 でも時にそういうわけにもいかなくなるのが、この世の常。 「正義」と「悪」、本来相反するものである筈のその狭間で苛まれ、持って生まれた血脈と宿命に対峙する人間たちの生き様。その行き着く先に涙する。 結局、与えられた「宿命」が何であれ、「行動」を選び取るのは当人自身であり、結果として何が起ころうとも何が起こらなかろうとも、それが“生きる”ということなのだと思える。 タイトル「The Place Beyond the Pines」は、「森林の向こう側」という意味。 薄暗く、すぐに出口を見失いそうになる鬱蒼とした茂みを越えて、彼らが辿り着いた場所は何だったのか。 終始“いやな予感”しかしない映画世界だったけれど、最後の最後、走り去って行く若き主人公の背中には、ほんのわずかではあるが、希望じみた光が見えたような気がする。 「ブルーバレンタイン」おいて、残酷で美しい男と女の身につまされる関係性を描き出したデレク・シアンフランス監督の才能は、今作によって疑いの無いもになったと思う。 前作同様に、残酷なまでに美しい映像美とカメラワークによって、俳優の演技力というよりも、描き出されるキャラクターの実在感を導き出して見せている。 前作に引き続きタッグを組んだライアン・ゴズリングの存在感は言わずもがなだが、一幕目のヒロインを演じたエヴァ・メンデス、二幕目の主人公を演じたブラッドリー・クーパーらも、他の映画では見られない“表情”を見せており、素晴らしかった。 ただし、個人的には、ライアン・ゴズリングよりも、ブラッドリー・クーパーよりも、三幕目の主人公を演じたデイン・デハーンが最も印象的だった。 作品の結論を成す三幕目なので印象度が強いことは必然だとは思うが、登場のファーストカットを見た瞬間にちょっと唸ってしまった。 昨年鑑賞した「クロニクル」で既にその才能は認識していたけれど、レオナルド・ディカプリオの「陰」の要素を爆発的に増大させ、今にも満ち溢れんばかりのバランスで場面を支配するこの若い俳優の存在感は、この先さらに特別なものになり得るだろうと断言せずにはいられない。 監督と、三者三様の主人公を演じた俳優たちを筆頭に、これからの映画界の根幹を成していくだろう才能が結集した、エポックメイキングな映画だと思う。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2014-11-12 21:56:44)(良:1票) 《改行有》

704.  怪獣島の決戦 ゴジラの息子 過去の様々な“風評”を見聞きする限り、ゴジラシリーズきっての“とんでも映画”なのだろうと高を括っていた。 大体、「息子」って何だよ!?という話である。 「ゴジラ」という怪獣の存在性を完全に無視した明らかな茶番的設定は、長らく敬遠せずにはいられない要素だった。 しかし、実際に観てみると「おや?」と思った。平日の深夜に観始めて、いつ眠くなっても良いやというスタンスだったのだが、意外にもまどろみも無く最後までしっかりと観られた。 やはりゴジラに息子がいるという設定はチャンチャラおかしいし、ゴジラ版ファミリー映画のような描写も馬鹿馬鹿しいと思う。 この作品が「ゴジラ映画」として“間違っている”ということは確かだろう。 しかし、一方ではこの映画の娯楽性そのものは、公開時において必ずしも的外れではなかったのではないかとも思えた。 勿論、当時映画館で観た人々の中にも、同じような違和感や不満感を持った人は多かったろう。 でも、同時にこの作品が放つ「娯楽」をちゃんと楽しんだ人も多かったのだろう。 それはもはや価値観の違いに関係してくる。 これほどまで長い時間の中で、数多くの人たちに愛された映画シリーズだからこそ、「ゴジラ」という映画に求める娯楽性も人それぞれなのだと思う。 ゴジラやミニラの滑稽なビジュアルを今となって嘲笑することは簡単だ。 ただ同時に、クモンガやカマキラスの操演の見事さや、東宝特撮映画常連のオールスターキャストの豪華さ、前田美波里の美しさを堪能した方が有意義だと思う。 ラスト、熱帯の島が一転して雪に閉ざされていく中、寄り添い抱き合いながら静かな眠りに就くゴジラ親子の姿は、この時代の真っ当な娯楽性そのものに思える。[DVD(邦画)] 6点(2014-11-12 21:42:28)《改行有》

705.  清須会議 ここ数年の“彼”の作品に対しては殆どすべてに共通して感じることだが、この小心者の劇作家は忙し過ぎるのだ。 数年前に原作小説が書店に並んだ時の期待感はよく覚えている。 三谷幸喜が描く時代劇、それも“会議もの”。「12人の優しい日本人」をはじめ、“密室劇”こそがこの劇作家の最も特異とする舞台設定であることは明らかで、ようやく三谷幸喜がそこに帰ってきたのかと喜んだ。 その時点で原作小説を読んでも良かったのだが、同時に映画化決定という報を聞き、我慢することにした。 そうして鑑賞。 題材自体は極めて面白いし、描き出そうとした人間描写とテーマ性も興味深い。 決して面白くない映画ではないと思う。 ただし、物語としての作劇が浅く、故に後に残るものがとても薄い。 辿り着いた結論としては、結局冒頭の一文に尽きる。 もっとしっかりと時間と労力をかけてストーリーテリングの作り込みに注力したなら、歴史的にも、人間的にも、深みが備わった喜劇に仕上がった筈だ。 過剰なほどに豪華なキャスティングが悪いとは言わない。 けれども、揃いも揃った豪勢な俳優陣を並べ立てたはいいものの、それに対してただ浮き足立つばかりで、目先の陳腐なコメディに走っていては、本末転倒もいいところ。 残念ながらこの劇作家には、これほどの豪華キャストを“監督”としてさばくだけの度量は見受けられない。 西田敏行や天海祐希をせっかく呼んだけど思ったよりも面白いシーンにならなかったから、カットしよう!くらいの剛胆さがなければ、このキャスティングが逆に勿体ない。 三谷幸喜は、監督業に早々に見切りを付けて、今一度“脚本家”としての原点回帰をしてみるべきだと改めて思う。 そして、西村雅彦、梶原善、相島一之ら劇団時代からのメンバーで再構成された舞台版「清須会議」が観てみたい。 あ、大泉洋はTEAM NACSからの“客演”として秀吉役を続投で良いよ。[CS・衛星(邦画)] 5点(2014-11-12 21:41:00)(良:2票) 《改行有》

706.  テッド 二日酔いが地味に残る日曜日の午前中。 朝からの降雨も手伝い、食事を買いにコンビニに出かけることも億劫だったので、午前10時から宅配ピザを頼んだ。ペプシコーラを飲みながらダラダラとこの映画を観た。 映画は評判通りにしょうもなくて、その“体勢”で観るのに相応しかった。 この映画にとってその評は、とても的確な褒め言葉だと思う。 ストーリーは想像以上にくだらなくて、繰り広げられる殆ど「悪態」に近いブラックユーモアは、必ずしも笑いの連続というわけではない。 素直な可笑しさが思ったよりも少ないのは、文化の違いによるものかと思ったが、実際はアメリカ本国でも失笑の連続だったようだ。 すなわちこの映画は、決して完成させれたユーモアを楽しむ類いのコメディ映画ではなく、つくり手があまりに個人的な趣向を全面的に押し付けてくる粗くゆるいコメディ映画なのだと思う。 失笑はおろか怒りさえ禁じ得なかった人も少なくなかったろうけれど、そのようにある意味意識的に「間口」を狭めたことも、つくり手のねらいだったろうと思える。 笑いたきゃ笑え、怒りたきゃ怒れ。そういう“開き直り”の精神が、この映画には満ち溢れているように見える。 こういうある種の危険性も孕んでいる馬鹿馬鹿しい映画にも、しっかりとスター俳優が揃い、大物ゲストが顔を出すあたりに、やはりアメリカという国の文化の豊かさを感じる。 ただひとつ言っておきたいのは、この映画において、まさしく「奇跡」と呼べるキャラクターは、しゃべるクマのぬいぐるみ“テッド”などではないということ。 世界中のボンクラ男子にとって「女神」としか言い様がない、ミラ・クニス演じる“ローリー”こそ、完全なる空想の産物であり、もし存在するならそれは「奇跡」としか言い様がない。 強烈なぬいぐるみ以上に、希少なヒロインに萌えた。[CS・衛星(字幕)] 6点(2014-11-12 21:39:32)(良:1票) 《改行有》

707.  ダラス・バイヤーズクラブ きっとこの世の中には、人が人らしく当たり前に生きるための“障壁”となっている“決まり”がまだまだ沢山あって、自分自身も含めた人々は、そういうことを知らなかったり、気づかないふりをしているのだろう。 “障壁”を受ける当事者だけが、それの解消に文字通り「生命」を懸けなければならない世界では、あまりに生き辛い。 主演俳優があたかも実際に「生命」を削ってみせているような名演で表されたこの映画は、ある日突如として過酷な運命を背負うこととなった一人の男の奮闘と、彼自身さえも含めた社会の無知と傲慢を訴えてくる。 そして、エイズ患者ばかりではなく、同性愛者、低所得者、社会における不遇を受ける人々の感情を多層的に映し出していると思えた。 ただ一方で、多層的な構造は、図らずもこの映画の主軸で描かれるものが必ずしも正論ではないことを垣間見せる。 主人公が巻き起こしたムーヴメントは、社会の矛盾に風穴をあけたことは確かだろう。しかし、文字通りに進退窮まった状況での苦肉の策であったことも事実。 果たして、彼の行動によって、彼に関わった人々は真の意味で救われたのか、その後の社会は救われたのか、そして彼自身は……?、そういう本質的な部分にもう少し踏み込んでくれたなら、この映画は更に傑作になり得たと思う。 とは言え、この映画世界に息づいてみせた俳優たちの演技は物凄かった。 マシュー・マコノヒーとジャレッド・レトは、文字通り「生命」を懸ける様を演じ切ってみせている。 両俳優の一挙一動を追うだけで、映画を観るということの満足感は満たされるだろう。[DVD(字幕)] 7点(2014-11-12 21:38:43)《改行有》

708.  エクスペンダブルズ3 ワールドミッション 行ってまいりました三度目の“MATSURI!(祭り!)”へ。 いやあ……凄い。素晴らしい。 前作の時点で思い知ったことだが、もはやこのシリーズに対して「難癖」なんてものはつけられない。 “普通”の映画であれば、卑下の対象になるであろう粗という粗を通り越して、この“普通じゃない”映画の後に残るものは、「感謝」そして「感動」である。 三度、シルベスター・スタローンという“映画人”に惜しみない感謝を捧げなければならない。 この人の映画人としての見地の確かさと、アクションスターとしての生き様を全うする格好良さには、改めて脱帽。そして心の震えが止まらない。 スタローン、シュワルツェネッガー、ステイサム、ラングレンらレギュラーメンバーに、今作新たにキャスティングされたは、ウェズリー・スナイプス!アントニオ・バンデラス!ハリソン・フォード!そして、メル・ギブソン!! こうやって自分で彼らの名前をタイピングしていくだけでも高揚感が半端ないのに、そんな大スターたちが、見紛うこと無くスクリーン上でぶつかり合っているのだ。80年代から90年代にかけてのアクション映画で育ってきた映画ファンにとって、こんな幸福なことはない。 まずもって、あの映画ポスターは何だ!最高すぎるだろうよ! 出演者たちが勢揃いで会心の笑顔を見せているアレだ。 スタローンをはじめとするエクスペンダブルズの仲間たちが笑顔を見せているのはまだ分かる。しかしそこには今回完全なる悪役であるはずのメル・ギブソンまでも、彼らしい素敵すぎる笑顔を見せて並んでいる。 そこには、確実に一世を風靡したスターたちが、それぞれの栄光と挫折、紆余曲折を経て、この場に会せることに対する心からの喜びがほとばしっているようだ。 映画内の敵味方なんてどうでもいい!俺達は嬉しいんだ!!と。 スター俳優として人気が高まれば高まるほど、その後の凋落は決して避けられないものなのかもしれない。 スタローンが集めたすべてのスター俳優たちは、その辛酸を特に舐め続けてきたことだろう。 ただ、そんな彼らが、今一度アクションスターとしてスクリーンに戻り、嬉々として立ちまわっている。 その姿は、もはや涙なしでは見られない。(バンデラス!やったぜ!) さあ!隊長!もうどこまでも着いていきます! 次の敵は満を持しての“沈黙の無敵男”ですかね!?[映画館(字幕)] 8点(2014-11-10 23:45:28)(良:2票) 《改行有》

709.  エクスペンダブルズ この映画は、シルヴェスター・スタローンという稀代の映画人による「アイドル映画」と言って間違いないと思う。 ファンを魅了するアイドルが主演する数多の映画は、お世辞にも巧いとは言えない演技や稚拙なストーリーを目の当たりにしても、ある種の“輝き”を燦然と発しファンの脳裏に焼き付く。 そのこととまったく同じように、この映画は、往年の「アクションスター映画」を彩り続けたスタローンをはじめとする“アクションスター”がそろい踏みを見せた瞬間に、決して否定出来ない“輝き”を備えている。 それは、彼らが出演するアクション映画によって「映画体験」の第一歩を刻み、映画ファンになっていった世界中の人たちにとって揺るぎない「夢」であったはずだ。 その夢模様を、シルヴェスター・スタローンが叶えてくれたということに、より一層の感慨深さが加わっていると思う。 “ロッキー・バルボア”、“ジョン・ランボー”という娯楽映画史を代表する二大キャラクターを己の身体一つで演じ切り、アクションスターの頂点に立ったという偉業。 そして、時代の移り変わりとともに次第に忘れ去られ、蔑まれ、明確な「低迷」を経た上で、かつての二大キャラクターを新たな存在感をもって蘇らせてみせた近年の大復活劇。 もはや“シルヴェスター・スタローン”そのものが、アクションスターという存在性自体の一つの「歴史」だと言って過言ではないと思う。 そんな彼が、自らが掴み直したチャンスをもってして実現したこの『消耗品』と冠された映画には、アクションスターとして映画界の非情な荒波を生き抜いた「誇り」と「意地」に満ちあふれている。 そして、この映画において最も印象的だったのは、スタローン自らがお膳立てし、自らが主演を張っているにも関わらず、決して“おいしい”役回りを自らに与えていないことだ。 衰えた肉体を敢えて露呈するように、スタローンはぜいぜい言いながら走りまわる。 作品に集まってくれたアクションスターそれぞれにきちんと見せ場を用意し、映画の中で最も格好良いキャラクターは、今現在アクションスター映画の最後の砦を守っているジェイソン・ステイサムに譲っている。 そこには、自らが築いた「時代」を若い世代に引き継がなければならないという一人のアクションスターの熱い思いがほとばしっている。 その思いが、この映画において何よりも素晴らしい輝きだと思う。[DVD(字幕)] 8点(2014-11-10 22:48:31)《改行有》

710.  黒い罠 恥ずかしながら、初めてオーソン・ウェルズの監督作を観た。 冒頭の長回しは勿論のこと、随所に散りばめられた映画手法は、まさに革新的かつ秀麗。 50年前にこのような多彩な映画手法を生み出した天才が、もし今現在に蘇ったなら、一体どんな「革新」を打ち出し、映画という表現を進化させて見せてくれるだろうか。 そんな夢想をしてしまう。 ただ、この作品のストーリー展開そのものは、大味というか曖昧さが目立った。 特に主人公二人のキャラクター性があまりに大雑把に思えた。 チャールトン・ヘストン演じるメキシコの麻薬捜査官は、輝かしい実績を持った英雄らしいが、どうにも箔がなく、相手役の大物ぶりも相まって小物感が払拭しきれていなかった。 一方、その相手役であるオーソン・ウェルズ演じるアメリカのベテラン刑事は、その豪胆な存在感は抜群だが、結局過去の栄光にすがった小悪党の域を出ず、展開に伴いトーンダウンしてしまっている。 この二人の人間性が、ストーリー上でも濃密に描き出されていれば、同じストーリーテリングであったとしても印象は大きく変わっていたことだろう。 しかし、そんなストーリーそのものへの”ケチ”も、オーソン・ウェルズという映画史に燦然と輝く巨星は、自らの演出と演者としての存在感で蹴散らしているようにも思える。 緻密に計算され尽くされた画作りによる緊張感と緊迫感は、ストーリー展開すらも無視して観る者を圧倒する。 この巨星が、現在の「映画」そのものを生み出したと言っても決して過言ではないのだろう。[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-10-26 21:53:18)《改行有》

711.  フェイズIV/戦慄!昆虫パニック 《ネタバレ》 聞きしに勝るカルト的なSF映画だった。 ただし、決して奇をてらった“とんでも映画”というわけではなく、気が遠くなりそうに緻密な演出と撮影、そして揺るがない美意識に支えられた極めてアーティスティックな映画だった。 とある宇宙線の影響により、砂漠地帯の“蟻”に劇的な「進化」がもたらされる。 高度な知性を得た蟻とうい種が、徐々に周囲の環境を支配し、ついに人類と敵対する。 というのがこの映画の導入部。即ち“PHASE I”である。 その進化にいち早く気づいた科学者二人と蟻との攻防が描かれるわけだ。 この映画が、邦題「戦慄!昆虫パニック」というテイストの通りだったならば、良くも悪くもB級モンスター映画に仕上がっていたことだろう。 しかし、この映画の邦題は大いに見当違いであり、そんな生半可な仕上がりを許すものではなかった。 この特異な映画が描き出すものは、この世界の支配者とされる人類とそれを脅かすものとの攻防などではなく、現状の支配者が新たな支配者によって確実に速やかに取って代わられる様そのものだ。 蟻の脅威的な進化に対して、人間は必死に抵抗を試み、攻防を演じているように見える。 だが、実際はそうではない。 観察者であった筈の人間が、実際は蟻によって観察されていたことを知った瞬間、そもそもそこに攻防などという関係性は無かったのだと気づく。 この映画に映し出されていたものは、その“資格”を持った新しい支配者が世界を支配するという、あまりに自然的で、だからこそ残酷な生物の「理」だったのだと思い知った。 ついに支配を受け入れた人間の雄と雌が、禍々しく赤く灼けた太陽を臨むシーンでエンディングを迎える。 一寸それは夕陽に見え、世界の終末を感じさせる。 しかし、すぐにそれは昇る朝日だと分かる。“終末”ではなく、新しい世界の“はじまり”だったのだ。 そして「PHASE IV」というタイトルバック。参った。[DVD(字幕)] 9点(2014-10-21 23:05:21)(良:1票) 《改行有》

712.  ラスベガスをぶっつぶせ 《ネタバレ》 MITの秀才を揃えた“ブラックジャック・チーム”が、ラスベガスに乗り込んで大金を荒稼ぎするという話。 ストーリーの肝となる“カード・カウンティング”の論理がちっとも理解し切れないことには、知能指数の差をあからさまにされているようで悲しくなったが、他にはないタイプのギャンブル映画として個性的だったと思う。 カウンティングの理屈が理解できないとしても、ブラックジャックというカードゲームのルールは最低限押さえておかないと、終始ストーリーテリングに付いていけないことは明らかだろう。 苦学生だった主人公が、チームに誘われあぶく銭の渦に呑み込まれて行く様は、ありきたりと言えばそれまでだけれど、そりゃああれだけ目もくらむような豪遊の世界に没入してしまっては、なかなか戻って来れるもんではないと共感できる。 主人公をはじめとしてチームの面々のキャラクター性をもう少し深堀りしても良かったと思うが、彼らのキャラクター性の薄さは、脇を固めるケビン・スペイシーとローレンス・フィッシュバーンが充分にカバーしており、人間の相関関係のバランスは良かったと思う。 個人的には、ヒロイン役のケイト・ボスワーズが完璧に好みだったので、彼女がカモフラージュのためにカジノごとにコスチュームを変える“七変化”を見ているだけでも充分に楽しめた。 ラストのどんでん返しも、“驚き”があったとは言えないけれど、伏線を踏まえて端役を交えたオチは小気味良く、なかなか爽快な映画に仕上がっていると思う。 ケビン・スペイシー演じる悪徳教授の逆襲が地味に怖いけれど……。[インターネット(字幕)] 6点(2014-10-21 00:09:05)(良:1票) 《改行有》

713.  ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う! 《ネタバレ》 “酒飲み”の者としては、いい歳をした中年男たちが、ティーン時代の親友たちと連れ立って“はしご酒”をするというこのくだらない基本設定が、逆に憎めない。 僕自身、着実に中年男に近づいてきている今だからこそ、サイモン・ペッグ演じる主人公の完全なる駄目男ぶりは、蔑みつつも身につまされるという妙なアンバランスを生む。 もちろん、エドガー・ライト監督とサイモン・ペッグ&ニック・フロストのゴールデンチームが生み出した最新作が、ただの“はしご酒”で終わるわけもなく、映画は突如としてとんでもない展開に突き進んでいく。 真っ当な映画ファンとしては、突如として繰広げられる急展開も「待ってました!」と言ったところなのだが、どうも全編通して塩梅がよろしくなかった。 端的に言ってしまえば、「ノリきれなかった」ということだろうか。 「ショーン・オブ・ザ・デッド」では”ゾンビ映画”を、「ホット・ファズ」では“ポリスアクション”を、多大なるリスペクトの念を持って娯楽性溢れるコメディ映画に作り替えたこのゴールデンチームだったが、今作はどうにも映画的なバランスが良くなかったように思う。 生まれ故郷の町で昔話に花を咲かせる酔っぱらいたちが、知らぬ間に町を支配していたエイリアンと闘う羽目になるというプロットは、馬鹿馬鹿しくもユニークだ。 けれども、揃いも揃って酔っぱらった主人公たちによるストーリーテリングは、あまりに纏まりに欠け、映画としての整合性が乏しかった。 馬鹿馬鹿しい話だからこそ、ストーリーの大筋には論理性が必要で、それが良いコメディ映画の条件だと思う。 過去のこの人たちの映画には、それがあったからこそ傑作になり得ていた。 今作では、突如として世界の瀬戸際に放り込まれた酔っぱらいたちが、酔いにまかせたまま破天荒に突き進む。 その先に酔っぱらいならではの小気味良いオチがあれば良かったのだけれど、結果的に世界は“取り返しのつかないこと”になってしまう。 想定外の困惑と後味の悪さは、決して褒められたものではない。 この邦題は少しばかり見当違いだ。せめて最後の「!」は「?」にでもしとくべきだろう。 くれぐれもお酒はほどほどに。“世界”を破滅させかねない。と、自戒せずにはいられない。[DVD(字幕)] 5点(2014-10-20 23:54:34)《改行有》

714.  マイティ・ソー/ダーク・ワールド 《ネタバレ》 前作は、まさに「神話」そのものの、このアメコミヒーローの特異性と必然的なに仰々しい世界観に対して戸惑ってしまった。 “神々の闘い”を一介のスーパーヒーロー映画の一つとして、そのまま並列で観ることに対しての違和感もあった。 ただ、前作そして「アベンジャーズ」を経た今となっては、“ソー”と彼にまつわるキャラクターへの愛着も深まり、この続編は率直に「楽しかった」と言える。 “愛着”という要因においては、主人公のソー以上に、“ロキ”のキャラクター性に対するそれが抜群に深まっている。 前作で暗躍し、「アベンジャーズ」で完全な悪役としてスーパーヒーローたちと渡り合ったこのキャラクターの魅力の深まりこそが、今作の“キモ”だったように思う。 そりゃあ……簡単に死なせるわけにはいかないよね。 “神々の世界”という良い意味での大味感こそがこのシリーズ醍醐味だと思う。 もはや意味不明な宇宙理論や、“マクガフィン”として存在する超エネルギーなどの使い古された諸々の設定ももはや許せる。 日本人としては浅野忠信の登場が少なかったのは残念だったが、ちゃんと登場が少ない理由のためにわざわざシーンを用意してくれていたのは逆に嬉しかったり。 そして、“コレクター”登場のおまけは、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」観賞後のタイミングだと殊更に驚きだった。 そしてそして、ナイスなカメオ出演ありがとうございました!キャプテン!![ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-10-19 16:47:54)(良:1票) 《改行有》

715.  ノア 約束の舟 「レスラー」「ブラック・スワン」で人間の心の普遍的な脆さと闇を立て続けに描きつけたダーレン・アロノフスキーの最新作が、“ノアの箱船”だと聞いた時は、とても怪訝に思ったことは否めない。ある意味、スペクタクル映画とは最も縁遠い人材だと思えたからだ。 そんな思いもあり、この鬼才監督の最新作であるにも関わらず、あまりに手堅く揃えられたキャスティングと、大仰な予告編を観ても、なかなか食指が動かなかった。 そういった危惧は、“半分”当たっていた。やはり、この映画監督とスペクタクル映画の相性は決して良くなかった。 これほどスペクタクルシーンに魅力が無い大スペクタクル映画も珍しい。それっぽく仰々しい映像は映し出されており、迫力もあるはずなのだが、まったくと言っていい程ビジュアル的なインパクトを感じることが出来なかった。 それは、この監督のスペクタクルシーンに対しての思い入れの無さが如実に表れた結果ではないかと思う。 では何故ダーレン・アロノフスキーは、この題材の映画化を引き受けたのか。 「人間」という種そのものが抱える闇と業。前述の前二作と同様に、結局のところ唯一それのみが、彼が“ノアの箱船”を描く理由であり、意味だったのだと思う。 この題材が聖書の一節である以上、そこに“神”というものの存在を欠くわけにはいかない。当然、今作においても“神”の存在は、常に主人公の言動に直結している。 しかし、この映画の“解釈”は、必ずしも“神”を絶対的なものとして捉えていない。 人間の言動を最終的に司るものは何か。人間と神の関係性とは何なのか。 アロノフスキー監督が描こうとしたことはそういうことで、この映画が大洪水の果てに辿り着こうとした場所だったように思う。 ラッセル・クロウの狂気的な苦悩、それに対峙するジェニファー・コネリー、エマ・ワトソンの悲愴感、人間が人間という種として「生きる」ということの「業」こそが、この映画が目指した“見応え”なのだろう。 このままでも充分にダーレン・アロノフスキーの意図は伝わってくる。 が、スペクタクルの欠如、ところどころ唐突に見える人間描写の薄さなど、幾つかの映画的アンバランスが無ければ、もっととんでもない映画になっていたようにも思える。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2014-10-19 15:57:32)《改行有》

716.  ヒドゥン(1987) 昔、「日曜洋画劇場」で頻繁に放映されていて、解説の淀川長治氏が軽妙な名調子で「カイル・マクラクラン」と主演俳優の名前を発していた記憶は明確にあるのだが、作品自体を観るのは初めてだった。 イケメン好き(意味深)の淀川さんが軽妙に推していた通り、この映画が成功した要因の一つは、カイル・マクラクランという俳優が、この時代にいたことだと思う。 “パラサイトの”の恐怖を描いたSF作品は多いが、正体不明の“侵略者”に対峙するのが、正体不明の“追跡者”であるという構図がこの映画のユニークさであり、その追跡者を演じたカイル・マクラクランの独特な存在感が、今作の娯楽性を高めていると思える。 決して巧い演技をしているわけではないけれど、画面に登場した瞬間から醸し出される“得体の知れなさ”は、多くの名匠が個性的な作品で彼を起用した所以だろう。 この映画のユニークな所は、次々に寄生先を移り変わっていく侵略者の恐怖のみを押し出すわけではなく、随所に挟み込まれるコメディ要素や、主人公たちによるバディー感、そして最後には喪失と復活に伴う感動など、幅広い娯楽性がバランス良く配置されていることだと思う。 SF、ホラー、アクション、ドラマを散りばめられた今作は、“ファンタスティック!”という一言に相応しいエンターテイメントだ。[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-10-19 14:50:38)(良:1票) 《改行有》

717.  THE ICEMAN 氷の処刑人 実在した“殺し屋”を描いた映画であることは聞いていたが、想像よりもずっと重く、冷ややかな映画だった。 組織の殺し屋として生きた男を主人公にしたハードボイルド映画を想像していたけれど、映し出されたものは、呪われた「運命」と、己が密かに育んできた「狂気」に翻弄された一人の男の悲し過ぎる「慚愧」そのものだった。タイトルから受ける印象を遥かに凌駕する“冷たい”映画世界に打ちのめされた。 主人公が辿った人生とその末路は、組織に利用されいいように使われた故に見えるが、実際はそうではない。 組織の歯車に組み込まれたことは、ただのきっかけに過ぎない。 元来、この男が培ってきた内に秘めた「狂気」そのものが、すべての顛末を引き起こしたと言える。 そして、それを誰よりも理解しているのは、他の誰でもなくこの男自身であり、悲しい。 己の運命を呪い、己の狂気を呪い、それでも彼が生き続けられたのは、紛れもなく愛する家族があったから。 もし愛する人と出会うことなどなく、家族など端から存在しなければ、この男はもっと分かりやすく冷淡な“殺人者”として短い人生を全う出来たのかもしれない。 ただ運命はそれを許さず、“愛する者の悲しみ”という彼にとっての「最悪」を与えることによって、この男の“業”を際立たせた。 その「最悪」を何とか避けようともがき苦しむ終盤の主人公の姿は、あまりに悲愴感に溢れている。 それでも、この映画で描きつけられる「業苦」は、主人公にとって必要なものだったと思える。 何を置いても主演のマイケル・シャノンが素晴らしい。 殆ど出演作は観たことはなかったが、昨年の「マン・オブ・スティール」でのゾッド将軍役は記憶に新しいところ。 あまりに印象的な風貌は一度見たら忘れられないが、今作では、その風貌と体躯を存分に生かして、一目で異質感溢れる主人公を見事に演じ切っている。 そんな主人公の最愛の妻を演じるのはウィノナ・ライダー。 このところ時に驚くくらいの小さな役での出演が続いていたが、一時のスキャンダルに塗れた低迷期を抜け、女優としての円熟味を見せてくれていることは、中学生時代に自室にポスターを貼っていた長年のファンとしては嬉しい限りだ。 副題を含めた微妙なタイトルが、何となくB級感を醸し出しているが、良質な掘り出し物だと思う。[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-10-19 09:11:43)(良:1票) 《改行有》

718.  欲望の翼 レスリー・チャンが危うく、罪深い。 この俳優が自ら命を絶ってから10年が過ぎ、初めて観たこの映画で彼が演じた“ヨディ”という男と、彼自身に対して、まったく同じようにそう思う。 ウォン・カーウァイ×レスリー・チャンの組み合わせ思い出されるのは、やはり「ブエノスアイレス」か。 10年前に、俳優の訃報に触れ、初めて鑑賞に至ったことを覚えている。 当時、僕はまだまだ若輩者で、同性愛に対して軟弱な拒否感を持っていた頃に観たのだが、そんな拒否感など一蹴する色濃さに圧倒された。 久しぶりに、ウォン・カーウァイの映画世界に息づくレスリー・チャン、アンディ・ラウ、そして一寸だがトニー・レオンの姿を見て、胸が熱くなった。 そこには、性別の価値観を超えた憧れとときめきが満ち溢れている。60年代の香港の鬱蒼とした熱気と湿り気が、そういった感情を更に濃くしていく。 場当たり的なストーリー展開は、そのまま登場人物たちの錯綜する人生を表しているように見えた。 いつになく散文的でまとまらない。この思考がままならない感じも、この映画を観た後では相応しいとすら思える。 ラストふいに登場し、謎のシーンを残すトニー・レオン。彼が主演予定だったという幻の続編も観てみたかったな。[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-10-16 16:20:49)《改行有》

719.  サウンド・オブ・ノイズ “音楽犯罪映画”というアイデアは間違いなく新しく、映画ならではの娯楽性を秘めていると思う。 一方通行な芸術の過剰な追求は、時に“テロ”にすらなり得るというアプローチは、「音楽」という芸術の奥深さを表すと同時に、それに傾倒する人間、それに振り回される人間、両者を含めた社会や文化の滑稽さを導き出していた。 スウェーデンから届いたこの映画的な“新しさ”だけで、一定の評価はされるべき作品だとは思う。 ただし、その一方で登場人物たちの人物像が希薄だとも思えた。 主人公である敏腕刑事のキャラクターは立っていたと思う。 一流の音楽家系に生まれながら、生来の音痴、更には音楽を聴くと気分が悪くなるという体質を持つというキャラクターは、この題材の映画の相応しいユニークさを持っており、そんな彼が奇想天外な音楽犯罪に対峙するとうい構図は、映画的にも巧かったと思える。 しかし、その主人公以上に重要な“音楽犯罪一味”の描写が思ったよりも深まらなかった。 特にリーダー格で、映画におけるヒロインとも言えるキャラクターに今ひとつ深みが無い。 彼女が何故にこのような“音楽テロ”を巻き起こすのか、その発端となる動機が曖昧だったと思う。 「芸術の追求」と言ってしまえばそれまでだが、彼女の行為そのものが映画の主軸である以上、その理由は明確になるべきだったろうし、そんな彼女がラストの顛末を受け入れていく様もなんだか腑に落ちない。 題材が奇抜で面白いだけに、ストーリーテリングの薄さによって、それがただの“パフォーマンス”で終始してしまっているのは勿体ないと思う。[CS・衛星(字幕)] 6点(2014-10-14 23:30:49)(良:1票) 《改行有》

720.  ポセイドン(2006) 《ネタバレ》 ご存知1972年の傑作パニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイク作品。 このリメイクにおいては、巨匠ウォルフガング・ペーターゼンの威光の残像にすがったのかもしれないが、映画自体は残念ながら「B級映画」の範疇に“しっかり”とおさまっている。 まあしかし、そのこと自体はある程度予想出来たことなので、パニック映画ファンとしては、序盤から繰広げられるこのジャンルの「予定調和」を逆に楽しむことに決めた。 そう開き直れば、全編通してそこそこ楽しめるB級パニック映画であったと思う。 オリジナルに対してストーリーテリングやキャラクター設定があまりに稚拙であることは目をつぶるしかない。 主人公をはじめ各キャラクターの人物背景の描写があまりに乏しいことも、少数パーティーに至るまでの半ば強引な展開も、まだ笑って済ませられる。 が、しかし、最終的には一つの顛末が大いなる違和感として突きつけられてしまった。 すなわち、「おい、おーい!アンタ何で生き残っちゃってるの!?」ってことである。 パニック映画において誰が死に、誰が生き残るという顛末は最重要の娯楽性でもあるので、勿論ネタバレは避けたいが、“死亡フラグ”完全無視のまさかのラストに面食らってしまった。 当該俳優が「絶対に死にたくない!」と言い張ったとしか思えない……。ラストのスクリューのシーンは絶好の“死に場”だったろうに……。 このあり得ない展開は、当然マイナス要因ではあるけれど、予想外であったことは間違いない。良い悪いは別にしてこの「予想外」は、ある意味観た価値があったとも言える。 ともあれ“お口直し”は絶対必要。近々、名作「ポセイドン・アドベンチャー」を観直そうと心に決めるには、充分な映画だった。[CS・衛星(字幕)] 4点(2014-10-11 08:59:54)《改行有》

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