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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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801.  キャリー(1976) 無類の“ホラー映画嫌い”なので、映画史上に残る超有名作品でありながら、ずうっと敬遠してきた作品の一つだった。 ただ、三十路を越えていい大人の映画ファンが、「怖い」からといって問答無用に毛嫌いするのもいかがなものかと思い始めていた。 そんな折、劇場で間もなく公開されるリメイク版の予告を観て、ちょっと気になったので、今作のジャケットを“初めて”手に取った。 「あー主演はシシー・スペイセクなんだ」とか「え、デ・パルマ監督作なの!?」と、おおよそ映画ファンらしくない無知ぶりを露呈しつつ、初鑑賞に至った。 率直な感想としてまず感じたことは、「これはホラー映画なのか?」という疑問。 恐ろしい部分は確かに恐ろしいけれど、それよりも哀しい少女の哀しい青春映画ということに対してのインパクトの方がずっと大きかった。 ただ普通でいたかった少女が、あらゆる不遇の中でもがき苦しみ、ほんの一瞬垣間見た光の眩い美しさと、即座に閉ざされる果てしない悲劇。 「恐怖」によるインパクトはあくまで装飾的なものであり、主人公の少女のめくるめく悲哀に胸が締め付けられたことは、本当に想定外のことだった。 その映画世界にはやはり巨匠ブライアン・デ・パルマ監督の多彩なカメラワークによる映画術が光る。 おぞましい場面はどこまでもおぞましく、一転して美しい場面はどこまでも美しい。 その映像的なギャップは、少女の心象風景そのものをまさに映し出していて、「流石」の一言に尽きる。 そして何と言っても主人公“キャリー”を演じたシシー・スペイセクが素晴らしい。 不遇の鬱積にまみれた序盤の姿では、大衆から拒絶されるにある意味相応しい“歪さ”をこの上なく体現し、一転、光を追い求め彼女の人生における最高の「舞台」に駆け上がる姿は、目を疑う美しさに溢れている。 そしてクライマックスにおける“悲劇的大解放”に伴う怒りと憎しみと豚の血にまみれたあの姿! 映画としては、展開的に唐突で説明不足な部分は多々あるのだけれど、この主演女優の奇跡的な表現力が、そのすべてを打ち消しているとさえ思えた。 どの映画も突き詰めればそうなのだろうけれど、この映画は特にどういう「解釈」をするかどうかで賛否は大いに分かれる作品だと思う。 また数多の知識を踏まえて繰り返し観る程に、その解釈に深みが生まれ、味わい深くなる作品だとも思う。[DVD(字幕)] 8点(2013-10-31 00:22:24)《改行有》

802.  凶悪 恐ろしい映画だったと思う。 自分はこの映画に登場する“彼ら”ではなく、“彼ら”に関わった人間でもないという無意識の立ち位置による屈折した「愉悦」を知らぬ間に敷き詰め、この映画に「娯楽」を感じている自分の意識に気付いたとき、この映画の「凶悪」というタイトルの真意を垣間見た気がし、ゾッとした。 描かれる事件と犯罪が「真実」であることを念頭において観ているわけだから、映し出される凄惨な描写に対して「痛み」や「悲しみ」を感じなければならないという“建前”を意識しているにも関わらず、ピエール瀧(=須藤)の爆発的な残虐性に何故か高揚し、リリー・フランキー(=先生)のおぞましいまでの狂気に引き込まれてしまう。 実在の被害者に対して後ろめたい気持ちを多分に感じつつも、描きつけられる「凶悪」が次に何を見せるのか、どこか期待をしてしまい、その都度「不謹慎」という言葉をぬぐい去ることに苦労した。 「あなた こんな狂った事件追っかけて 楽しかったんでしょう?」 終盤、主人公の妻のこの台詞により自分の中で見え隠れしていた感情が突如丸裸にされる。 見て見ぬ振りをしていた自分自身の深層心理がふいに明るみに放り出されたような気がして、主人公と同様に「やめろ!」と叫びたくなった。 「映画」である以上、いくらノンフィクションが原作だとはいえ、脚色されている部分は大いにあるだろう。 ピエール瀧が度々発する「ぶっこんじゃお」というあまりに印象的な台詞や、リリー・フランキーの脱帽するしかない「怪演」など、映画的な面白さが加味されている要素は多く、それはまさにこの作品が映画として優れている点でもあると思う。 俳優たちの表現はことごとく素晴らしい。一つ一つのシーンも綿密な計算と明確な意思をもって構築されており、見事だったと思う。 ただ敢えて苦言を呈するならば、もう少し「編集」の巧さがあれば、同様の深いテーマを孕んだまま、もっと“面白い”映画に仕上がっていたようにも思う。 もし同じ題材で、というかこの監督と俳優が撮った同じ映像素材を、世界的な映画巧者が編集したならば、例えばアカデミー賞をも席巻するような名実ともに質の高い映画になりそうな気さえする。 ま、そんなのは一映画ファンの身勝手な妄想であり、実際どうでもいいことだ。 こういう本当の意味で骨太な映画が、もっと沢山国内で製作されることを願いたい。[映画館(邦画)] 8点(2013-10-29 00:26:27)《改行有》

803.  華麗なるギャツビー(2013) 野望、欲望、羨望……言い方は様々だけれど、人間は誰しも大なり小なりの「望み」を抱えて生きている。 この映画は、世界中の誰よりも、自分が抱いた「望み」を追い求め、そのすべてを実現しかけ、つい果てた男の物語だ。 絢爛豪華に見える人生の中にひた隠されたこの男の本質は、あまりに哀れで、哀しく、だけれどもほんの少し羨ましくも思う。 虚栄と退廃に塗れた“クソ”のような世界において、ギャツビーという男の生き様にこそ唯一無二の「価値」があった。 その生き様は、時に笑ってしまうくらいに無様だけれど、そこにはたった一つの「目的」のために生きた人間の、人間らしい純粋さが満ちていた。 だから、世の中のすべてに馬鹿にされようとも、最後の最後まで「望み」を信じ続けた彼に羨ましさを感じるのだと思う。 ただその一方で、彼以外の、クソのような世界で生きるクソのような人間たちのことを無下に否定することもできない。 ギャツビーにとって最大にして唯一の「望み」であり「夢」であった“麗しの君”も、結局は卑怯で醜い人間の一人であったわけだけれど、誰が彼女の“選択”を否定出来ようかと僕は思う。 自らの娘の将来を案じて「女の子は美しくて馬鹿なほうがいい」と、彼女は言う。 それは彼女自身が、虚栄の極みの中で生き、それに頼らざるを得ない人間であるということを自覚していることに他ならない。 ある意味では、彼女もまた己の「望み」を貫き通した人間の一人だったのだと思う。 結局、彼女は孤独に果てたギャツビーに一瞥もくれずに去っていく。 非常に冷淡で愚かしく見えるけれど、あの時代、あの環境において、そのスタンスこそが彼女にとっての生き抜く術だったのだとも思える。 愚かな程に美しいこの映画のすべてのシーンがオーバーラップしてくる。 「夢」に対してすべての手筈を整えたギャツビーの満面の笑み、ニックが抱いた尊敬と羨望の眼差し、愛する人のキスを待つデイジーの麗しさ……。 誰もがただただ「望み」に対して懸命に生き、結果として大きな大きな“悲哀”が残ったということ。その人間ならではの、儚くも果てしない無情さに感極まった。 最高の演技、最高の音楽、最高の映画世界。もう他に何も要らない。[映画館(字幕)] 9点(2013-10-27 13:18:45)《改行有》

804.  L.A. ギャング ストーリー 冒頭に表示される「実際の出来事に着想を得た」という但し書きは、逆に「大部分において脚色をしている」ということだと思う。 これは「映画」なのだから、勿論それで問題ないし、想像したよりもずっと「娯楽」に振り切った作りになっているこの映画の方向性は圧倒的に正しいと思えた。 実在したギャングと彼を撲滅した警察官たちの戦いを描いたというイントロダクションが先行していたので、数多のギャング映画と同様にハードボイルドで骨太な映画なのだろうと期待していた。 ところが、実在の人物たちを描いているという割には、警察官側もギャング側も揃いも揃ってキャラクター描写に漫画的で、実在感がないことに序盤違和感を覚えた。 ジョシュ・ブローリン演じる主人公は、正義感が強いというよりも、殆ど危機感が欠如したイカレ野郎だし、対峙するギャングのボスを演じるショーン・ペンも、過剰な演技プランが際立ち殆どアメコミ映画の悪役と化していた。 「なんだこのリアリティの無さは……」と呆れかけるが、次第にこの映画は「そういう映画」なのだと納得し始めることができる。 曖昧だったリアリティラインを適切なポイントで確定させた最大の要因は、何を置いても主人公の愛妻のキャラクター造形だったと思う。 実在した人物というイメージが先行してしまい、まるで説得力を感じなかった破天荒な主人公のキャラクター性を更に超越した破天荒さで包み込んでしまった彼の妻のキャラクターがあったからこそ、この映画の娯楽性は良い意味で振り切れたと思う。 危険を顧みない任務に就く夫に対して激昂した翌朝、途端に彼のブレーンとして立ち回る様や、夫の留守中にギャングによる銃撃を唯一人で受けた最中に、考えられない生命力の強さを発揮する姿には、主人公以上のヒーロー性を感じてしまった。 「アンタッチャブル」、「スカーフェイス」など名だたる傑作ギャング映画の名シーンを彷彿とさせる場面は多々あり、オリジナリティーが高いとはとても言えないけれど、“パクリ”ではなく“オマージュ”と好意的に捉えることが出来れば、映画ファンが観たいシーンが連続しているとも言える。 主人公チームはもちろん、悪役や脇役に至るまで、下手な深みなんて削ぎ落とした漫画的なキャラクターたちに次第に愛着を持ってしまう。 思っていたのとは違うタイプの映画だったが、だからこそ面白い映画だったと思える。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-10-27 01:09:26)《改行有》

805.  G.I.ジョー バック2リベンジ もしこれが単体のB級アクション映画であるのならば、決して一方的な否定はしない。 ドウェイン・ジョンソンがお決まりの極太男を演じ、ひたすらに肉弾戦と銃撃戦を繰り広げるという、良い意味で工夫の無いアクション映画としてテキトーに楽しめば良いだけの話だ。 正しい意味で「役不足」と言えるブルース・ウィリスのゲスト出演を見られて「ラッキー」てなもんだ。 が、しかし、この映画が「G.I.ジョー(2009)」の続編である以上、「それじゃあ済まないよ」というのが、映画ファンとして、特に馬鹿アクション映画ファンとしては避けられぬ否定的感情だ。 前作は国際色豊かな秘密組織の“チーム感”が娯楽性を高めていたのに、その前作キャラクターが殆ど総入れ替えになっていることなど、“酷い点”はイロイロある。(無闇矢鱈なイ・ビョンホン推し…、ロンドン市民むご過ぎ…などなど) が、最も問題なのは、“G.I.ジョー”という「玩具」が原作であることによる無限のイマジネーションが、この続編には全く無くなっているということだ。 前作の最大の見どころは、漫画でもアニメでもなく、「玩具」の映画化であることに相応しいギミックの格好良さだった。 世界中の子どもたちが片手に持った兵隊の人形を縦横無尽に動き回す様をそのまま映像化したような豪快さが、この映画シリーズの最大の“売り”となるべきなのに、それが完全に欠如し、ただただ鈍重なアクションシーンが羅列されてはどうしようもない。 そういったあるべき“娯楽感覚”の欠如に、監督の交代が大いに影響していることは間違いない。 前作を監督したスティーヴン・ソマーズは、「ハムナプトラ」シリーズや「ザ・グリード」などの過去作からも明らかなように、分かりやすい娯楽性を導き出すことに優れている。 エンターテイメント大作の監督における「作家性」を軽視しがちだけれど、大バジェットのブロックバスター映画にこそ、適切な娯楽性を導き出すことが出来る「作家性」が不可欠だと思う。 今作では半ば意味不明にボスキャラが途中退席していったけれど、更なる続編を作るつもりなのならば、スティーヴン・ソマーズの監督復帰は絶対不可欠だろう。 「実はアイツは生きてました~!」なんて強引さは全然オッケーなので、今作の“色々”は無かったことにして、前作チームの復帰を監督共々願わずにはいられない。[ブルーレイ(字幕)] 3点(2013-10-22 22:49:09)(良:2票) 《改行有》

806.  トランス(2013) 冒頭、ヴァンサン・カッセル率いる強盗団がオークション会場を急襲する。主人公のジェームズ・マカヴォイも含めて、その面々の面構えが絶妙で惹き付けられた。 俳優の表情というものは、勿論映画づくりにおいて最重要なポイントで、それがきちんと押さえられている映画は、ある程度信頼していいと思う。 そういう映画なので、終始面白く見れたことは間違いない。入り組んだストーリーテリングに絡む人間描写に引き込まれ、観客として最後まで謎を追い求められたのだから、この手の映画として“悪くはない”と断言出来る。 しかし、映画が終わり立ち返ってみれば、大いに腑に落ちない要素が目白押しの映画であることも間違いない。 こういう人間の「記憶」をサスペンスの中核に据えた映画は、観る者を幾重にも重なる謎へ一気に引き込むけれど、許容範囲をしっかりと設けておかないと、際限がなくなり一気にリアリティに欠けるものになってしまう。 ダニー・ボイルらしい繊細且つ大胆な映画世界の中で濃厚なサスペンスが繰り広げられていたけれど、残念ながら少々行き過ぎてしまっている。 決して納得が出来ない話ではないのだけれど、こういう顛末なのであれば、主人公をはじめとする中盤までの人物描写が、導き出される「真相」に対してあまりにアンフェアだったと思う。 結果、クライマックスにかけてこれほど主人公の人格が“急降下”していく映画も珍しく、最終的に誰にも感情移入が出来ないまま、映画自体が突っ走ってしまった印象を覚えた。 なんだかんだ言って、結局、ヒロインが最も悪魔的な行為をしているんじゃないかと思えるし、そうなるとあのエピローグは極めて無責任で、嫌悪感を覚えてしまった。 まあしかし、脳味噌を吹き飛ばされたヴァンサン・カッセルが喋り出したり、昨今の娯楽映画には珍しくヒロインの強烈なフルヌードが唐突に映し出されるなど、想像以上に個性的な映画であることは確かだ。 故に、ルックの秀麗さに反して完成度が高いとは言えないが、無下に否定も出来ない。 タイトルに相応しく、良い意味でも悪い意味でもとても「倒錯的」な映画と言えると思う。[映画館(字幕)] 6点(2013-10-21 23:38:53)(良:1票) 《改行有》

807.  感染列島 期待通りの“駄作ぶり”に、怒りなんて感じる間もなく、なんだか安堵感すら覚えた。 小松左京風のタイトルからして、てっきりそれなりに売れた原作小説の映画化と思いきや、完全なオリジナル作品だった。 いや、オリジナルという表現にはあまりに語弊がある。国内を騒がした“パンデミック”に対しての危機感に便乗して、1995年の米国映画「アウトブレイク」をパクろうとした映画なのだから……。 「アウトブレイク」は言わずと知れた傑作なので、言い方は悪いがそれをパクること自体は、もはや問題ないと思う。 問題なのは、そのパクり方があまりに「下手糞」過ぎることだ。 なにも世界的な娯楽映画に勝ってほしいとか、主演の妻夫木聡にダスティン・ホフマンを彷彿とさせる演技を見せろとか、そんな無理難題を言いたいわけではない。 せめて、いい“お手本”があるのだから、多少工夫が無くてもいい所をしっかり真似て、なぞるぐらいはしてくれよと言いたい。 ここまで大筋を似せておいて、どうしてただ模倣することすらできないのか。本当に理解に苦しむ。 何もかもが悪いのだろうけれど、やはり最も目に余るのは、脚本の稚拙さだと思う。 どのキャストも、他の作品ではそれなりに良い演技も見せてくる俳優ばかりだったと思うが、発される台詞の一つ一つが嘲笑を禁じ得なかった。 俳優というものは、脚本や演出によってこうも素人臭くなるものかと、改めて思い知った。 どうやっても「良い映画」にはなり得なかったのかもしれないが、題材はやはりタイムリーなだけに、もう少し「マシな映画」に仕上げることはいくらでも出来たと思う。 檀れいが、選択の余地無く生存の可能性が断たれた人たちの呼吸器を無表情で外していくシーンは、描き方によってはもっと印象に残る名場面になったはずだし、国仲涼子の旦那役で登場する爆笑問題・田中裕二の決して上手くない泣き演技には、幼子役の子役の助力もあり泣かされてしまった。 ほんの少し真っ当な“センス”さえあれば、これほどまで“悲劇的”なことにはならなかったと思う。 あまりに不味くて我慢ならなかったので、間髪入れず口直しに「アウトブレイク」を見直した。面白過ぎた。 「アウトブレイク」の面白さをより引き立たせることにおいては、最高の映画だと思う。[CS・衛星(邦画)] 1点(2013-10-17 16:26:39)《改行有》

808.  アデル/ファラオと復活の秘薬 「一体いつの時代の映画なんだ!?」と、2010年製作の映画に対して何度も突っ込まざるを得なかった。いちいちノリが古臭いというか、諸々の描写が気恥ずかしいというか、失笑と苦笑がひっきりなしに訪れる作品だ。 どうやら“おフランス”の古いコミックが原作のようなので、全編通して漫画的な展開が繰り広げられること自体は致し方ないとしても、コメディらしい表現が尽くピンと来ず、「愉快」に感じることが出来なかったことが最大の致命傷だと思う。 “面白げ”なキャラクターは続々と登場するが、その全員が完全にスベッている映画も珍しい。 まあ「お国柄の違い」ということなのかもしれないけれど、もし現代においてこれが大ウケするようであれば、僕はフランス人の感性を疑わずにはいられない。(フランス映画のコメディって酷いのが多いので、あながち外れてはいないかも……。) ともかく、何よりも残念なのは、この映画の監督がリュック・ベッソンであるということ。 近年、携わった作品群を見れば、特別に驚くことではないのかもしれないけれど、こういう映画を真剣に監督しちゃっている姿を見ると、ファンとして「勘弁してよ…」と思わずにはいられない。 相変わらずの女好きが高じて、ヒロインに抜擢された無名女優ルイーズ・ブルゴワンのルックは独特な妖婉さを持ち魅力的だったけれど、彼女が演じる主人公のキャラクターそのものには特筆すべき魅力は皆無と言える。 一応、女インディー・ジョーンズ的な主人公を描いた娯楽映画である以上、彼女に魅力が無けりゃ面白い映画になりようがないと思う。 なんか意味不明な続編への布石もあったけど、ぜひとも頓挫して頂きたい。[インターネット(字幕)] 2点(2013-10-17 12:36:54)《改行有》

809.  エリジウム ニール・プロカンプ監督の前作「第9地区」は、彼の出身国である南アフリカ共和国でかつて行われた人種隔離政策(アパルトヘイト)が社会にもたらした影響を如実に反映した特異なSF映画だった。 個人的に、映画としての面白味は認めつつも、その年のアカデミー作品賞にノミネートされるなど、過剰な評価の高さに違和感を覚えた。 作品の性質上、もっとカルト的な人気を得るべきタイプの映画であると思えたし、この監督自身も限定的な製作環境の中で無限の可能性を示すタイプのクリエイターに思えた。 そういう思いがあったので、前作の思いもよらない大成功を経て、ハリウッドの潤沢な製作資金を与えられた作り手が、果たして“持ち味”を維持出来るものかどうかという危惧が期待を大きく上回っていたことは確かだ。 そうして、映し出された映画世界は、はっきり言って「凡庸」の一言に尽きる。 それほど悪くもないが、特筆すべきハイライトや目新しさも殆ど無かった。 SF大作として、映画全体のクオリティーはぎりぎり及第点に達しているとは思えるけれど、主人公にマット・デイモン、敵役にジョディ・フォスターを引っ張り出しておいて、「この程度」ではやはり低評価は免れないと思う。 莫大な資金を使って、近未来のロサンゼルスを自分のホームグラウンドである“ヨハネスブルグ化”して描き出した映像世界は見事なクオリティーだったとは思う。 しかし、理想郷である“エリジウム”との対比により、世界各地で見られる富裕層と貧困層との各社社会を反映する意図は充分に理解出来るが、描き出された世界観は明らかに前作やその多くのディストピア映画の二番煎じと言わざるを得ず、新しい映画としての高揚感がまるで無かった。 製作環境が一変しようとも、己の趣向を貫き通すだけの“エゴイズム”が、この新鋭監督に備わっていなかったことがもっとも残念に思えることだろう。 次回作は「第9地区」の続編かな?成功によるしがらみをかなぐり捨てて、原点に回帰出来るかどうか。この映画監督にとって、結構大きな分岐点になるような気がする。 監督の“お友達”のシャールト・コプリーは、良い味を出している。「第9地区」、「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」に続いて、演じるキャラクターの“イカレ具合”が安定している。勿論褒めている。 [映画館(字幕)] 5点(2013-10-17 12:13:48)(良:1票) 《改行有》

810.  ゴジラ FINAL WARS 《ネタバレ》 “愚の骨頂”あらゆる意味でこの映画にこの言葉はふさわしい。 はっきり言って「くだらない」と一蹴してしまうことを戸惑う作品ではない。間違いなく「くだらない」。 でもこれほどまでに、東宝特撮映画が自らに対する記念碑的映画としてふさわしい出来栄えもないかもしれない。 “とにかく、あらゆる東宝ネタを詰め込もう!!”という根本のコンセプトは間違っていないと思う。 海底軍艦の出撃に、妖星ゴラスの襲来、謎のX星人……ある種のオールスター的要素を心から喜ぶ人達はとても多いだろう。 ほとんど支離滅裂に登場する怪獣たちの存在も充分に楽しめる要素である。 ある種のチープさは、東宝特撮映画の良い意味での伝統であり、それこそ黄金時代を象徴する娯楽性だったと思う。 しかし、それでも、やはりこの映画は冒頭の言葉に終始する。 その原因はただ一つだ。 そう、このゴジラ最終作の監督に北村龍平という人間を起用したことに尽きる。 一辺倒の格闘シーンしか紡ぐことの出来ないこの監督は、自分に与えられた仕事の意味と責任を何も分かっていなかった。 製作発表の段階で、誰もが抱いた最大の不安は、見事に的中した。 近年のゴジラ映画には希望の光が見えていただけに、製作会社のこの“大見誤り”は「残念」では済まされない。 長いゴジラ映画の歴史の中で、ひとつの区切りとしてこういう映画があるのはべつに良いと思う。 しかし、これで“終わり”では、日本映画最大のヒーローがあまりに可哀想だ。 この映画にハリウッド版「GODZILLA」を愚弄する資格などどこにもない。[映画館(邦画)] 0点(2013-10-12 22:55:19)(良:8票) 《改行有》

811.  インシテミル 7日間のデス・ゲーム “くだらなくて面白くない映画”であることは、容易に想像できた。そして、想像通りに“くだらなくて面白くない映画”だった。 「観る価値もない」というのは映画ファンとしての全うな意見だろうが、観ていないのに「面白くない」と断ずるのも、映画ファンとして違うように思う。なので観た。 何でも良いので「予想外」のものを見せてくれないかということが、一抹の望みだった。 しかし、ストーリー展開と顛末、俳優の演技、映像、音響、編集……、映画を象るすべての要素において、「予想外」と表せるものは何一つ無かった。残念ながら。 予想された舞台設定に、予想されたストーリー展開が繰り広げられ、俳優たちは予想通りの演技をしていた。 むしろ、予想よりも遥かにストーリー性に深みは無く、「強引」とも言えない整合性の無さに呆れる程だった。 登場人物たちの描かれ方があまりにチープで、すべての言動に説得力が無く、故に恐怖シーンにも恐ろしさを覚えない。 面白くないことを予想していた映画に対してくどくどと酷評をしてもしかたない。 けれど、もう一つだけ言いたいことは、“美術”の酷さだ。 こういった突飛な世界観を描いた日本の低レベルな娯楽映画にはよく見られることだが、舞台となる建物の造形やポイントとなる様々な小物のクオリティーが、なぜこうも低いのだろうと思う。 あんな“ハリボテ”感満載のセットを見せられて、緊張感を持てというのはそもそも無理な話だ。 大手芸能プロダクションが、所属する俳優たちを寄せ集めて安直な「企画」を繰り広げただけにしか見えない映画だ。[地上波(邦画)] 0点(2013-10-12 08:36:36)(良:5票) 《改行有》

812.  容疑者 室井慎次 《ネタバレ》 正直“散々”な映画になってしまっていると思う。脚本家としての君塚良一の力量は認めるが、ここにきて何故監督をもやろうとしてしまうのか。いくらこれまでの「踊る~」シリーズから一線を画す作品だと言っても、やはり基本的な部分での統一感は持たせるべきではないのか。これまでのシリーズの特徴であった、ある種“会社的”な警察署のリアリティは消えうせ、チープで雑多なディティールに終始してしまったのは何故なのだろう。警察官らの言動までもが、あまりに雑過ぎて、本当に「踊る~」を書いてきたのはこの脚本家なのかと疑問に思えるほどだ。 そして、結局最も致命的なのは、“室井慎次を<容疑者>にしてしまった”ことに他ならない。もちろん、彼自身にはほとんど非は無く、最終的に再び警察へ戻るわけだが、ハッキリ言ってもう彼は“警視総監”になることはない。警察官僚の醜い出世争いに巻き込まれたにせよ、金の亡者の陰謀に振り回されたにせよ、事実として逮捕され容疑者となり、辞職ギリギリまで追い込まれた人間が、今後“警察”という組織のトップに上り詰めるなんてことがあるわけないではないか。 それは詰まるところ、これまでのシリーズで核として描き続けられてきた“青島との約束”を完全に断ち切ってしまったことに他ならない。 大体、この物語は一体何を描いているのだ。ことごとく中途半端な登場人物たちに囲まれ、散々もったいぶった上にチープ過ぎる陰謀と、醜い出世争いにあからさまに巻き込まれ、結果的にすべての貧乏くじを室井慎次一人が背負った格好になってしまった。室井の言動・明かされる過去は、主人公らしいと言えばらしい。が、そのキャラクターが、蓄積された人気シリーズの上に成り立っている以上、シリーズ上での“鉄則”を忘れてもらっては、ファンは落胆するばかりだ。 製作サイドは、ドラマ時代から通じて、今シリーズを巧く展開させ発展させてきたと思う。興行的なものを見ても、本当に見事だと思う。「交渉人~」はまだ良かった。あれは本当に脇役であった真下正義のその後の物語だし、何よりエンターテイメントに徹していた。しかし、遂に調子に乗りすぎ、ファンにとってあまりに酷い終末を見せてしまったのではないか。室井慎次は、シリーズにおいて脇役ではない。主人公青島と表裏一体の準主役である。言うなれば、最もピンで主人公にしてはならないキャラクターだったのかもしれない。[映画館(字幕)] 0点(2013-10-12 08:36:02)(良:1票) 《改行有》

813.  踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 《ネタバレ》 絶望感しか覚えなかった「3」、そしてやはり失笑することしか出来なかった先だって放送された「THE LAST TV」を観て、決して“希望”なんて持たずに“事故り”に行ったのだから、怒りなんかしない。 ただただ、面白くなかった。それだけのこと。 と、このシリーズのファンでなければ端的に割り切れられるのだけれど、やっぱりそうもいかない……。 冷静に振り返ろうとすればするほど、あまりのお粗末さに怒りと呆れを禁じ得ない。 シリーズを通じて15年の長きに渡り、同じ俳優が同じキャラクターを演じ続けているのに、「3」も含め、揃いも揃ったキャラクター達に、かつてあった「魅力」を微塵も感じることが出来なかった。 シリーズが長い年月に渡った故の、俳優達の必然的な老いや喪失が、影響していることは仕方が無い。 ただ問題はそういうレベルのことではない。キャラクターに魅力が無いのは、俳優達のせいではない。 間違いなく、監督と脚本家とプロデューサー、この3人のせいだと断じてしまって構わないと思う。 「3」の時にも大いに感じたことだが、このシリーズを生み出したのはこの3人であり、このシリーズを味がなくなるまで噛んで吐き捨てたのもこの3人である。残ったのは、悲劇的に無惨な食べカスだった。 少し踏み込んで言及するならば、“犯人”となる3人のキャラクターが可哀想なくらいに祖末過ぎる。 犯人役を演じたこの3人に限ったことではないが、演じた俳優が可哀想に思える程に見せ場が無く、薄っぺらなキャラクター描写が、この映画における最大の「敗因」であり、それを通したシリーズの“創造者”たちが諸悪の根源であることは間違いない。 ああ、ほんとうにきりがない。 ラストの阿呆みたいな仰天シーンや、室井にギャグ的台詞を連発させる愚かさ等、他にも言いたいことは尽きないけれど、そろそろ終えて、この最後の2作品の存在を忘れて、15年前のテレビシリーズから今一度見直したい。 今作における唯一のハイライトは、過去作のシーンを羅列したオープニングタイトルの高揚感のみだ。 「踊る大捜査線」の大ファンだからこそ敢えてはっきり言う。 きっぱり「駄作」、「希望」はない。[映画館(邦画)] 0点(2013-10-12 08:31:03)(良:3票) 《改行有》

814.  Wの悲劇 流行の中で生まれては消える“アイドル”という“生き方”の数だけ、アイドル映画というものは存在する。 “演じる”ということにおいては素人に毛が生えた程度の人間が主演を張るわけだから、当然駄作も多い。 しかし、すべてのアイドル映画は、アイドルである彼女たち彼らたちの生き様そのものであり、その存在のみで充分過ぎる価値がある。 そして、中には今作のような紛れもない傑作も確実にあって、その価値は、アイドルファン、映画ファンはもちろん、その時代と大衆にとって計り知れないものになると思う。 或るトップ劇団で「女優」として生きる女たちの間で巻き起こるスキャンダルを、現実と舞台劇の境界を巧みに交えて描く今作。 名だたるキャスト陣がそれぞれにおいて印象的な存在感を見せる。 が、この作品が紛れもない“アイドル映画”である以上、その映画世界を支配するのは唯一人。 「薬師丸ひろ子」という存在に他ならない。 今作で演じた主人公と同様に、この年に二十歳になった稀代のアイドルにとって、この映画は、最後のアイドル映画と言え、アイドルそのものからの「卒業」を意味していると思う。 そのことを如実に表すかのように、この映画は、アイドル薬師丸ひろ子の「処女喪失」から始まる。 そこから初体験の夜を経て、朝もやの帰路につく冒頭のシーンがとても印象的だ。 何気ないオープニングシーンとして描かれてはいるが、そこには幾ばくかの満足感を大いに超える喪失感に溢れていて、薬師丸ひろ子が「アイドル」というレッテルを捨て去り、「女優」として生きていく「覚悟」が満ちている。 それは、主人公自身が女優を目指す道程の「覚悟」と完全にリンクし、明らかなフィクションの世界が、“薬師丸ひろ子”という存在を通じてリアルに結びついてくる。 更には、映画世界内で描かれる現実と舞台劇もがオーバーラップし、二層、三層の世界が陽炎のように重なり合って行く。 僕自身は、薬師丸ひろ子という稀代のアイドルにリアルタイムで熱狂した世代ではなけれど、時代を席巻したアイドルのフィナーレを飾るに相応しい、巧みで情熱に溢れた映画であることは間違いない。 もちろん、「角川」のアイドル映画らしく、時代と剛胆さに伴う“ほころび”は多い。 しかし、その“ほころび”こそが、アイドル映画に絶対不可欠な要素であり、完璧ではないからこそ、完璧な映画だと言えると思う。[インターネット(字幕)] 8点(2013-10-11 17:47:30)《改行有》

815.  時をかける少女(1983) スゴイな。映画鑑賞暦20年。初めて“アイドル映画”というものを観た。 9割方“とんでもない”映画であり、変てこな映画である。しかし、これが原田知世というアイドルのアイドル映画である以上、これで“完璧”であるんだと思う。 実際、ハチャメチャなストーリーも、棒読みな台詞回しも、際どい映像センスも、原田知世に対する「カワイイ~」ですべてが好転する。奇想天外なストーリー、初々しい演技、革新的な映像世界、というふうに。 正直なところ、ラストシーンまで“???”疑問符が付きまとったが、スバラシイエンディングに迷いは消し飛んだ![ビデオ(字幕)] 8点(2013-10-11 17:47:09)(良:1票) 《改行有》

816.  12人の優しい日本人 寝床でなかなか寝付けなかった数日前の或る夜。 いつもはラジオ番組のPodcastを聞きながら眠りに就くのだけれど、適当なものが見つからず困った。 何かしら誰かと誰かが話し合う声を聞きながらだと眠りやすい性質なので、何か無いかと考え、ふと某動画配信サービスで「12人の優しい日本人」を探した。 本編はもう何度も観ているので内容は熟知しており、イヤフォンで台詞回しだけ聞いて心地いい映画は他に思いつかない。目論見通り20分ほどで眠りに落ちることが出来た。 ただ、やはり再び全編を観返したくなったので、翌日再々々々々…鑑賞に至った。 「面白い」なんてことはもはや言うまでもないことで、三谷幸喜脚本の映画作品の中では、今なお最高傑作だと思う。 気がつけばもう20年以上前の作品なので、出演している役者たちがそれぞれ「若い」ことも感慨深く思える。 塩見三省、相島一之、上田耕一ら今や映画・ドラマに欠かせない名バイプレイヤーたちの演技が何度観ても良い。 タイミング的に、出演している俳優たちの殆どが、この映画で初めて存在を知った人たちなので、その後の数多くの作品に出演している様を見つける度に、「あ、この人は『12人の優しい日本人』に出ていた人だ」と今なお思うことが多い。 中でも、陪審員8号(主婦)を演じた山下容莉枝などは、その後に観た出演ドラマなどの多くでは、薄幸でやや性格の悪い役柄を演じていて、その度に「こりゃやってないな!」の台詞を思い出しながら、「あの時はあんなに陽気だったのに……」と錯綜してしまう。 とまあすっかりと、自分の映画ライフそのものに染み込んでいる映画と言える。 これからも何度も見返すだろうし、しばらくは引き続きこの映画の「台詞」を聞きながら眠りに就く日々が続きそうだ。 「ジンジャエール!」とか聞こえてくると、ついつい画面を観ちゃうのだけれど……。[インターネット(字幕)] 10点(2013-10-11 00:18:27)《改行有》

817.  野性の証明 大いに「矛盾」しているが、僕はこの映画が「好き」なんだと思う……。 高倉健の男気に10点 薬師丸ひろ子のアイドル性に10点 夏八木勲(夏木勲)の正義感に10点 成田三樹夫の睨みに10点 舘ひろしのどら息子ぶりに10点 三國連太郎の厭らしさに10点 松方弘樹の極道自衛隊っぷりに10点 丹波哲郎のお決まりの特別出演ぶりに10点 “手斧”のみで繰り広げる大殺陣シーンに10点 稀代のアイドルの砂浜かけっこシーン(妄想)に10点 「お父さーーーーん!」に10点 戦車隊に突っ込む決死のラストカットに10点 社会派サスペンス巨編!+アイドル映画!+任侠映画!+自衛隊アクション映画! 全部が混じり合って、見事に“相殺”しあって、結果「0点」! いやあ、見事だ。 これは決して「皮肉」ではなく、ここまでのものを見せるのであれば、“映画作品”として最低点だとしても、「見事」としか言いようがない。 もはや何のかんのと難癖つけることも無粋。 問答無用の「ザ・角川映画」の超大作を目の当たりにして、最高点か最低点のどちらかを付けて終わり! それがこの映画に対する礼儀だ。 というわけで、いくらでも点数の付けようはあるのだけれど、「敬意」を込めての最低点![インターネット(字幕)] 0点(2013-10-10 00:43:48)《改行有》

818.  ウルヴァリン:X-MEN ZERO マーベルをはじめとしたアメコミ映画は大好きで、大概満足するのだけれど、「X-MEN」シリーズだけは今ひとつ乗り切れず、好きになれなかった。 その最大の要因は明らかで、主人公であるウルヴァリンにどうしてもヒーローとしての魅力を感じることが出来なかったからだ。 一方で、彼が主人公ではない2011年の「ファースト・ジェネレーション」には相当満足したので、やはりウルヴァリンというキャラクター性が性に合わないということだろうと、自身で結論づけていた。 しかし、その結論は必ずしも正しくはなかったようだ。 “戦犯”のレッテルを貼付けていたウルヴァリンの「過去」を描いた今作は、想定を大きく外れて、きっぱり面白かった。 そもそも、アメコミ映画は大好きだけれど、その原作であるアメコミ自体には全く造詣が深くないので、「X-MEN」という作品自体の性質と、その一キャラクターとしてのウルヴァリンの存在性を理解出来ていなかったのかもしれない。 「X-MEN」というアメコミ作品の主役は、あくまでミュータント集団である「X-MEN」という群像そのものであり、ヒュー・ジャックマンが主人公然として演じるウルヴァリンというキャラクターをメインに見据えるべきではなかったのだろう。 ウルヴァリンの個人的な前日譚である今作を観て初めて腑に落ちたのだが、過去の記憶をいっさいがっさい失くして、盲目的に己の「異端性」を呪うしか術の無いキャラクターが、その辺のアメコミの主人公と同様にヒーロー然と振る舞えるわけがなく、どこか屈折し“陰”に傾いてしまうことは必然だ。 このキャラクターにこういった“経緯”があるということを全く知らなかったので、おおよそアメコミ映画の主人公らしくない彼に拒否感を感じてしまっていたのだと思う。 前日譚ではあるが、当然演じるヒュー・ジャックマンにとっては、3作品経た上での(当時の)最新作であるので、そのフィット感は彼自身のスター俳優としての進化も相まって、当然最高潮であり、ウルヴァリンという苦悩に溢れたキャラクターの出自から記憶を失ってしまうまでの様を描いた今作は、物語としても魅力的で、ちょっと感動的ですらあった。 順番は後先になったが、「ファースト・ジェネレーション」の高揚感に続いて、今作の意外な満足感。一気にこのシリーズそのものが好きになりそうだ。 ガン無視だった最新作「SAMURAI」も俄然観たくなってきた。[地上波(吹替)] 7点(2013-10-03 23:12:17)(良:2票) 《改行有》

819.  アウトブレイク 新型インフルエンザが流行し、新しい言葉に弱い日本人は「パンデミック」という言葉に踊らされ、少々過剰な反応を連日していると思う。 「パンデミック」の真の恐怖とはこういうことだということを、再確認するべく、何年ぶりかに「アウトブレイク」を観た。 ドイツが生んだエンターテイメント映画監督の名匠ウォルフガング・ペーターゼンによる今作は、“死のウィルス”の感染拡大によるパニックを恐怖と娯楽性たっぷりに描き出した優れた映画だ。 1995年の映画だが、そのストーリー展開は決して当時の一過性のテーマではなく、今まさに現実に起こり得る「恐怖」を巧みに描き出していると思う。 現実的な恐怖を浮き彫りにするストーリー性もさることながら、あくまでエンターテイメント映画としての要素をそつなく盛り込んでいることに、この監督の作家性を感じる。 主演のダスティン・ホフマンがまだまだ元気で、彼の演じる軍の医官の有り余る行動力がヒーロー的過ぎたり、解決の顛末があまりにご都合主義だともとれるかもしれない。 がしかし、そういうものこそが、娯楽映画の「王道」であり、決して否定すべきことではない。 主人公がワクチンを作成し、ウィルスに感染した元妻(レネ・ルッソ)を死の直前で救うことでラストを迎える。快復した元妻に復縁を望む主人公に対し、元妻は笑顔でこう応える。 「免疫もできたしね」 上手い。 名優ダスティン・ホフマンを筆頭に、モーガン・フリーマン、ケビン・スペイシー、ドナルド・サザーランド、キューバ・グッティング・Jr.らが脇を固め、とても深い面白味がある映画だと思う。[映画館(字幕)] 10点(2013-10-03 00:10:40)(良:1票) 《改行有》

820.  最後の戦い 「好きな映画は?」と問われると、いつも非常に困るのだが、なんだかんだ言ってもいつも5本の指に「レオン」が入ってしまう。ミーハーな映画ファンのようで気恥ずかしさも感じるのだけれど、好きなんだからしょうがない。実際、「レオン」は最高に良い映画なのだし……。 したがって、近年どんなにヨーロッパ方面でのB級アクションの製作に突っ走り、殆ど名義貸しのような形で脚本のクレジットに名を連ねる愚にもつかない作品が連発されようとも、「リュック・ベッソン」という固有名詞が目に入ると、完全には無視することが出来ないのは、彼の虜になった映画ファンの悲しい性だ。 そんなリュック・ベッソンの長編デビューである今作。 長らく作品の存在は知っていたのだけれど、中々見られる機会が無く、彼に対する世評の低下に伴い、鑑賞の意欲そのものが忘却してしまっていた。 環境破壊により文明が滅亡したのであろう世界で繰り広げられる暴力の連鎖。 全編モノクローム+台詞なしで展開するストーリーテリングには、若きベッソンの野心がほとばしっているとは思えた。 「理解できなきゃそれでいい」と開き直って、独自の世界観を見せつけている様は、このクリエイターが次期に世界的な存在になり得る可能性を充分に醸し出している。 が、しかし、一作品として観た感想としては、正直「?」の連続だった。 諸々の設定自体にあれやこれやと説明を求めることは無粋だとは思うが、「台詞なし」という荒技を駆使するにあたっては、やはり色々な部分で力不足な感じがして、映画の世界観に入り込むことが出来なかった。 盟友エリック・セラによる音楽も、おそらくは当時の流行が反映されているのだろうけれど、映画の世界観に合っているとはまったく言えず、ビビットな映像に対して興が冷める部分が多かった。 世界に残された数少ない「女性」の存在がすべての暴力の鍵になっているということなのだろうが、それであれば、もっと画面に登場するだけで魅了されるくらいの風貌を携えた女優を起用するべきだし、その女性キャラクターの描写をもっと印象的に多く用意すべきだったと思う。 「ニキータ」、「レオン」、「フィフス・エレメント」……、ヒロインの造形に定評があるリュック・ベッソンであるからこそ、その部分の映画的魅力が全く欠けてしまっているのは至極残念。[インターネット(字幕)] 5点(2013-09-30 16:32:07)《改行有》

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