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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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981.  ビバリーヒルズ・コップ2 「映画パート2選手権」があれば、必ずノミネートさせたい。と思うくらい、この続編が昔から好きだ。 全作で確立されたエディ・マーフィ演じるアクセル刑事のキャラを更に際立てさせつつ、アクション映画としてのエンターテイメント性の“ギア”を数段回上げてみせている。 画としての面白さと、ストーリーテリングの手際良さも含め、「トップガン」で名を馳せたばかりの名匠トニー・スコットの手腕が発揮されている。 ただし、この続編の最大の見どころは、エディ・マーフィのマシンガントークでも、トニー・スコット監督によるエンターテイメント性の高さでもない。 それは、前作に引き続きジャッジ・ラインホルドが演じるローズウッド刑事のキャラクター性に他ならない。 前作のキャラ設定を度外視する程にハジケたキャラクター性を見せるローズウッド刑事が、異端児であるアクセル刑事すらも唖然とさせる様こそ、この映画の最高の見せ場だ。[CS・衛星(吹替)] 8点(2003-09-29 21:21:02)《改行有》

982.  ポリス・ストーリー3 最近の作品はほとんど観ていないけれど、ジャッキー・チェンの映画もそれなりには観ている。 個人的に一番好きな“ジャッキー映画”は、この「ポリス・ストーリー3」だ。 何よりも、ジャッキー・チェンが一番元気の良い時期の映画だし、この後のハリウッド進出作品にはない“香港臭”がたまらない。(まあ作中の舞台は中国本土や東南アジア諸国なんだが) やはりジャッキーは、香港が似合う。 香港映画界の独特のユーモアの中で繰り広げられるジャッキーアクションは、「アクション映画界のチャップリン」とも言いたくなる程、完成されていて何度観ても素晴らしい。 加えて、ジャッキーのパートナーとしてミシェル・ヨーが卓越した女流アクションを見せてくれるのも、この映画の魅力だ。 ジャッキー・チェンとミシェル・ヨーのWアクションのコンビネーションは、このシリーズ作きっての見所とも言える。 相変わらず唐突に終わる香港映画らしい「終劇」と、エンディングロールのNGシーンも、久々に堪能した。 ただ今回はBS放送の字幕で観たのだが、ジャッキー映画だけは吹き替え版の方がしっくりくるような感じがした。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2003-09-29 13:42:27)(良:1票) 《改行有》

983.  ポリス・ストーリー/香港国際警察 ジャッキー・チェンの代表作とも言っていいシリーズ第一作。アクションもキャラクターのノリもこのシリーズが一番ジャッキーらしくある意味安心して観ていられる。奥さん役のマギー・チャンの存在も楽しい。8点(2003-09-29 13:30:07)

984.  河童(1994) 映画とテレビドラマの最も大きな違いは、世界観の創造であると思う。言い換えれば、映画はそれぞれ独自の世界観がなければ価値がないということだ。そういう意味で、この映画には確固たる世界観がある。秀逸な世界観は時にリアルを排除してもいいと思う。石井竜也が創りだしたファンタジックな叙情感が味わえるこの映画はそれだけで、傑作になり得るものなのだ。[ビデオ(邦画)] 8点(2003-09-29 13:19:15)

985.  逃亡者(1993) 逃げる者と追う者の人間性がそれぞれ丁寧に描かれていることがこの映画がヒットした要因だと思う。特にトミー・リー・ジョーンスのキャラクターが秀逸だった分、ハリソン・フォードとの対立関係が濃厚になったと思う。8点(2003-09-28 17:47:17)

986.  ロボコップ(1987) 圧倒的な悪趣味と意地悪の果てに浮かび上がるリアルなディストピア。すっかり大人になってしまった今だからこそ、ヴァーホーヴェン監督ならではの露悪さの価値が際立つ。[インターネット(字幕)] 8点(2003-09-28 17:30:57)

987.  ポリスアカデミー この手のシリーズもののコメディ映画は愛着を持ってしまったらどうしようもなく好きになってしまうものです。幼少の頃に繰り返しこのシリーズを観ていたので、今観ると楽しくて、懐かしくてもはや感動的ですらある。質的には、マホーニー役のスティーブ・グッテンバーグが主演をしていたパート4までがそれ以降と比べると格段に面白い。8点(2003-09-28 02:15:28)

988.  暴走特急 アクションスターという地位を確立し、「セガール映画」というジャンルまで作った(え、そんなの無い?)彼の功績はもっと評価されてもいいような気もする。最近アクションスターと断言できる俳優がいないだけにことさらそう思う。そんなスティーブン・セガールの最高傑作と言っても過言ではないのがこの映画である。マジでこれは面白いセガール映画だと思う。[インターネット(字幕)] 8点(2003-09-28 01:24:50)

989.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) ジーン・ハックマンが若く、正義感たっぷりの神父を演じていて、最近の少しヒネた役とはギャップがあって非常に興味深く、面白かった。パニック人間ドラマの原点とも言える大作で今観ても迫力があり、ドラマ的にも見応えがある。8点(2003-09-28 00:06:44)

990.  アンタッチャブル 若きケビン・コスナーのスター性が光る秀作。脇を固めるショーン・コネリー、ロバート・デ・ニーロ、そして新人アンディ・ガルシアの豪華競演が味わい深さを助長している。ストーリー自体に深みはないのだけれど、名匠ブライアン・デ・パルマ監督の手腕が一級作に仕上げている。8点(2003-09-27 20:23:17)

991.  デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 人生において、「絶対」な存在と共に過ごせることの価値と、その代償。 原作を読み切って正式なレビューを綴りたい。[映画館(邦画)] 7点(2024-06-02 18:36:00)
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992.  ドミノ(2023) 《ネタバレ》 「インセプション」や「マトリックス」をはじめ、“既視感”は否定しないけれど、ロバート・ロドリゲス監督らしい良い意味でも悪い意味でもB級テイストに振り切った映画作りには潔さを感じるし、好感が持てる。 巨匠監督の作品や超大作に出演すればしっかりと存在感を放つ役どころを演じる一方で、こういうジャンル映画でもある意味きちんとそのレベルに合った主人公像を演じるベン・アフレックは、やっぱり信頼できる映画俳優だと思う。 娘の“眼力”一発で、すべてを納得させてみせたことで、このトンデモ映画はちゃんと成立している。[インターネット(字幕)] 7点(2024-04-28 00:10:35)《改行有》

993.  DUNE デューン/砂の惑星 PART2 SF映画史、いや世界中で生み出される“SF”そのものを巻き込みながら、紆余曲折を経て、ついに超大作として日の目を見た“PART1”の公開から4年。個人的には、「待望」していたと言って間違いないし、近年においては屈指のワクワク感を持って鑑賞に臨んだと言える。 圧倒的な映像世界、骨の髄まで響き渡るような音響表現が、前作以上の大スペクタクルと共に繰り広げられる。その映画世界のクオリティは、SF映画史のあらゆる文脈の起点でもある“DUNE”の世界観に相応しく、無論称賛を惜しむものではない。正直、「文句のつけどころがない」と言うしか無い作品だろう。 超大な画角で切り取られたダイナミックな映像世界は、全編どこを抽出しても世界最上級のクオリティに埋め尽くされている。そして、音響は砂の一粒一粒を伝わってくるように精細かつパワフルに、我々の鑑賞体験を包みこんでくる。 いやあ、なんてすごい映画なんだろうと、自分自身に努めて言い聞かせるようにこの一大叙事詩を観終えた。 ……と、ぽつぽつとこのレビューを書き進めながら、奥歯に物が挟まったような言い回しに、我ながら気持ち悪くなってくる。 ううむ、なんだろうと?と、鑑賞から数日経った現時点で、もやもやと明文化されない感情が、実は今この瞬間も渦巻いている。 語弊を恐れずにあえて端的に言ってしまうと、「これは、面白いのか?」ということ。 いやいや、こんなに凄い映画、「面白い」に決まっている。と、すぐさま別の自分が否定してくるけれど、また次の瞬間では熱くなりきれない空虚さみたいなものが襲ってくる。そんな自己問答を何ターンも繰り返してみて、この感情の在り方自体は概ね正しいのだろうと思い至る。 物凄く壮大で美しいSF超大作であると同時に、空虚な“渇き”が映画世界全体を包み込む英雄譚。それが、ドゥニ・ヴィルヌーブが生み出した“DUNE”なのだと思う。 圧倒的なスペクタクルを見せつけながらも、英雄の成長譚+復讐劇という“王道”を、安直なカタルシスに結び付けない映画アーティストとしての矜持が、本作の根幹にはそびえ立っているように思えた。 そして、この実世界や、人の世は、一辺倒な想像や予測、予知なんてものがまかり通るほど優しくはできていないということを、寓話的な映画表現の中でぎょっとするほどのリアリティと共に突きつけてくる。 それは、映画史上において多くの先人たちが挑戦し、時に頓挫し、時に酷評を浴び、高い高いハードルとしてそびえ立っていた“DUNE”を、「ドゥニ・ヴィルヌーブの映画」として完成させてみたことの証明なのだろうと思える。 ドゥニ・ヴィルヌーブの「作品」として、本作は思惑通りであり、成功しているのだろうと思う。 ただし、それがそのまま世界を熱狂させるほどの「面白い映画」かというと、そうはならない。 それは本作で監督自身が描きつけた“王道”に対するアンチテーゼにそのまま通じる。 この世界も、映画表現も、ときに非情なほどにシンプルではない。 誰よりもヴィルヌーブ監督自身が、その事実を承知しているからこそ、本作はこのPART2で“終焉”を許さなかったのだろう。 この映画は、成功しているが、完成はしてない。“王道”を否定して、その上でたどり着くべき物語の終着点を監督をはじめとする製作陣は、明確なビジョンと共に「予知」していることは間違いない。 ならば、どのような結末が用意されているのか。映画ファンとしては、ただただ待ち続けるしかなかろう。[映画館(字幕)] 7点(2024-03-24 23:06:07)(良:1票) 《改行有》

994.  アラジン(2019) 若干舐めていたところもあったが、思ったよりも真っ当でシンプルに面白いエンターテイメントだった。[インターネット(吹替)] 7点(2024-03-02 23:39:53)

995.  テレフォン 《ネタバレ》 チャールズ・ブロンソンが、ソ連のスパイを演じるというキャスティングが的確だったかはさておき、単身アメリカに乗り込んで、自国が生み出してしまったテロリストを阻止するために暗躍するというストーリーはユニークでエキサイティングだった。 何十年も前に深層心理に植え付けられた「命令」が、催眠術によって“発動”されるという設定に対して既視感があったが、「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」でも同様のアイデアで、ウィンター・ソルジャーを操っていたな。多分本作が元ネタなんだろう。 米ソ冷戦下において、ソ連のテロリストを米国の諜報員が核戦争勃発を防ごうと奮闘する映画は多々あるけれど、ソ連側が自国のスパイを米国に潜り込ませて、秘密裏に危機を防ごうとする展開が新鮮だった。 ソ連側のスパイらしく、任務遂行のために時に冷徹に不安因子を消し去っていく様も印象的で、その部分においてはチャールズ・ブロンソンの無骨な存在感が合っていたと思える。 リー・レミックが演じる在米KGB局員との絡みも良い。アメリカ文化に馴染むおしゃべりな彼女のことを主人公が疎ましくぶっきらぼうにあしらったり、彼女自身も主人公を暗殺する密命を受けていたりと、表裏の感情が入り交じるやり取りが興味深く、また別の緊張感を生んでいた。 ストーリーテリングとしては、下手すればもっと煩雑で分かりにくくなりそうな展開をコンパクトにまとめられていて良かった。そのあたりは、ドン・シーゲル監督による娯楽映画職人としての技量が存分に活かされていると思う。 ソ連側(KGB)独特の冷酷さや非人道的な雰囲気も、それが正しいかどうかは別にして、うまく表現できていたとも思う。 その一方で、米国側(CIA)の描写はややおざなりで物足りなさを覚えた。 CIA側はコトの情報を掴みつつも、結局何も影響力を及ぼすことなく解決してしまうので、コトの重大性のわりにとてもミニマムな範囲で収束してしまったことは否めない。 この時代としてはとても先進的に、コンピューターを“相棒”のように駆使して分析をするCIAの女性局員など、ユニークなキャラクターは存在していたので、彼女たちがもう少し直接的に主人公やメインストーリーに絡む展開が欲しかった。 あと、時代的に致し方ないとはいえ、ソ連本国の描写においても人物たちがすべて英語を話すのには、いささか興が冷めたことも否定できない。 とはいえ、70年代の娯楽映画としては、今観ても十分に見応えのあるエンターテイメントだったので、現代の社会や世界情勢の設定でリメイクしても面白いのではないかと感じた。 本作では催眠術による命令発令の手段が「電話」しかない限定性が面白味でもあったが、ありとあらゆる通信手段が存在する現代においてもまた新たな展開が考えられると思う。まあその場合タイトル変更は必至となるが。 任務終了後、米ソ両国から命を狙われる自らの状況を悟って、どちらの体制にもなびかずに、女とモーテルに向かうラストシーンも良い。ダンディズム![インターネット(字幕)] 7点(2024-02-04 00:46:44)《改行有》

996.  ファイナル・カウントダウン 歴史的な“混迷”をリアルタイムに感じずにはいられない昨今、日本国内はもとより世界的規模で“時代”は進むべき方法を惑っているように思わずにはいられない。 そんな折に触手を伸ばした古いポリティカルSF映画が、殊の外面白かった。 前々から某動画配信サービスのマイリストには入れていて、キャスティングの豪華さとあらすじの壮大さに反して、作品としての知名度の低さに懸念を覚えて鑑賞するタイミングを推し量っていたのだが、想像以上にしっかりとしたスペクタクル映画だったと思う。 ハワイ沖を航行していた最新鋭(1980年当時)の原子力空母が、時空乱流に巻き込まれて1941年12月6日にタイムスリップしてしまう。奇しくも時は日本軍による真珠湾攻撃前夜、空母に搭乗していた現代のアメリカ海軍の面々は、日本軍の奇襲を阻止(=歴史介入)して祖国を守るべきか否かを迫られる。 個人単位のタイムスリップにより、歴史の改変に対して葛藤したり、奔走したりする映画は多々あるけれど、数千人の乗組員を有する巨大な原子力空母ごと時間移動してしまうという設定が大胆で嫌いじゃなかった。(似たプロットだと、半村良原作の「戦国自衛隊」や、かわぐちかいじの漫画「ジパング」が思い起こされる) 40年の時を遡って現れた原子力空母は、太平洋戦争当時であれば強大な国が新たに出現したことに等しく、180度歴史を転換してしまう力を有していることへの説得力も大きかったと思う。 様々な立場や歴史観を持つ人物が入り交じる空母艦内だからこそ、歴史を改変してしまうことの是非や、軍人・米国人としての倫理観も多角的に対立し、ストーリー性にも幅があった。 カーク・ダグラス、マーティン・シーンをはじめとして、当時のスター俳優たちの競演にも見応えがあったし、実際に大西洋上に配備中だった空母ニミッツでの撮影や、トムキャット等実機を贅沢に映し出した戦闘機の描写にも迫力があり申し分なかったと思う。 上映時間が104分とこの規模の娯楽大作としてはコンパクトだったこともスマートで好印象だったけれど、一方では、映画としての骨格がしっかりしていた分、もっと掘り下げたストーリー展開があっても良かったかなとも思える。 ストーリー展開がテンポよく進むので鑑賞中はあまり気にならなかったけれど、主要キャラクターたちの人格描写やバックグラウンドは、もう少し丁寧に描き出した方が、彼らの葛藤や対立を軸にしたストーリーに厚みが出たろうと思う。 特にマーティン・シーン演じる重工業会社の社員や、実務の傍らで歴史学を研究している航空隊長(演 ジェームズ・ファレンティノ)の両者においては、言動の理由がやや不明確だったように感じてしまう。 実質的な主人公でもある彼らのキャラクター描写と人間ドラマにもっと深みがあれば、ラストのタイムパラドックス的“オチ”も更にエモーショナルなものになっていただろう。 ともあれ、期待を大きく越えた娯楽映画であったことは間違いない。 世界的な混迷を迎えている現代においても、「ああ、あの時代に戻ってやり直せなたら」と、世界中のあらゆる人間たちが悔恨や憤りを感じていることだろう。 でも、本作で歴史学を愛する航空隊長の台詞にもあるように、「すべての物事は一度しか起きない」ということが真理であり、決してやり直しは効かないのである。 ことの大小に関わらず、どんな物事であっても常に「今」が勝負時であり、もし失敗しなたらば次の機会にその反省を活かして巻き返すしかないのだろう。 現代を舞台にしても十分成立するストーリーだと思われるので、リメイクしてほしいものだ。原子力空母という存在感の大きさを活かして、ドラマシリーズ化して多様なストーリー展開を見せても面白いかもしれない。[インターネット(字幕)] 7点(2024-01-21 00:39:24)《改行有》

997.  くまのプーさん 完全保存版 小学3年生の息子は、太っているという程ではないけれど、お腹がぷっくりと膨れている。さらに小さい頃からの服を気に入って長く着るので、段々とお腹が見えそうになってくる。 「何かに似てるなあ」と、常々感じていたが、彼を小脇に抱えながら観た映画で、「ああ、なんだコレか」と思い至った。「くまのプーさん」だ。 念願のDisney+を契約して、とりあえず何を観ようと、息子と選んで何気なく観始めた。 2011年に製作された「くまのプーさん」は観ていたが、どうやら1977年に製作(実際は1960年代〜70年代に製作された短編映画の総集編的構成)された本作がオリジナルのようだ。自分の記憶の限りでは、描かれるストーリーとエピソードの大筋はほぼ同じだったように思う。 ただ、さすがにクラシカルなアニメーションの風合いが本作には溢れ出ていて、40年前からディズニー映画を観続けて育ってきた世代としては、やはりこちらの方が馴染みやすく、物語の世界観にも没入できたように思える。 ほぼ中毒者のようにはちみつを追い求めるプーの姿は、可愛らしさを少し越えてシュールで愉快だし、彼を取り巻く様々なキャラクターたちも、みんな少しずつズレていて可笑しい。 そして、そのキャラクターたちの世界が、クリストファー・ロビンという一人の少年の“イマジナリー”が生み出したものであるという俯瞰的な視点も、作品上にちゃんと表現されていて、それがこのゆる〜いファンタジー世界に「芯」を持たせているようにも感じる。 ラスト、クリストファー・ロビンが、成長していく自分自身の変化を感じつつ、プーに語りかけるシーンは、とても愛しくもあり、とても切なくもあった。 と、「くまのプーさん」を観て、くどくどと綴ってしまう自分は、いよいよ子どもの無垢な心とは離れてしまったなあと思う。 一方、傍らで観ていた小3の息子は、キャラクターたちの言動に合わせて足をバタつかせたり、フンフンとリズムに乗ったり、挙げ句は途中で「はちみつ食べたい」と言ってキッチンに行ってマヌカハニーを舐めていた。 「ああ、これこそが正しいプーさんの観方だな」と、まるでプーさんそのものの息子に教えられた気分だった。[インターネット(吹替)] 7点(2024-01-08 12:01:22)《改行有》

998.  スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース アニメーション作品であることの必然性と可能性を、文字通り「無限」に広げて、多元宇宙のありとあらゆるスパイディたちが織りなすマルチバースの世界を自由闊達に表現してみせた“スパイダーバース”シリーズの第二弾。 他のスパイダーマン映画と同じく、“続編”であることの優位性を活かしたアバンタイトルのシークエンスは、情報量が極めて多く、42歳の中年男性の脳内は早々にメモリ切れを起こしそうになり、情報処理能力が鈍化していたことは否めない。 前作が生み出した「革新」を更に突き詰め、その映画的な力量がパワーアップしていたことは間違いない。 めくるめくアイデアとイマジネーションの“渦”は、エンターテインメントを超えて、もはや芸術的ですらあった。 スパイダーマンとなり、大いなる力と大いなる責任を与えられ、同時に多大な喪失を経た10代の主人公マイルズ・モラレスは、多元宇宙のスパイディたちと共闘し、「一人ではない」という勇気を得る一方で、孤独を深めている。 そのキャラクター描写は、極めて特異な境遇でありつつも、多くのハイティーンの若者が抱える普遍的で“青臭い”心象を表現しており、とても興味深く、自分自身もそういう時期を経てきたことを思うと感慨深くもある。 マルチバースの更に深淵に引き込まれた主人公は、そこですべてのスパイダーマンに課された“宿命”を突きつけられる。 だがしかし、若きスパイダーマンは、“青臭い”からこそ、それに対して全力で抗い、多元宇宙を股にかけて逃走する。 それは、この現実世界の“大人”たちが知らず知らずのうちに手放し、許容し、諦観してしまっている「可能性」に対するアンチテーゼのようでもあった。 普遍的でありながらもとても深いテーマを物語の核心に孕んだエキサイティングな続編だったと感じる一方で、やはり作劇においてありとあらゆるものを詰め込みすぎている印象は強く残った。 それが自分自身の情報処理能力の低さ故と言われれば反論できないけれど、もう少しスマートにストーリー展開の“交通整理”をすることは可能だったのではないかとは思う。 思いついたアイデアやイマジネーションのすべてをビジュアル表現せずとも、観客である人間は空白を想像力で補えるわけで、その想像の余地を残すことが、もっと広い世界を創造する要素だとも思う。 そういう意味で、やはり本作は溢れ出るクリエイティビティが、ストーリー展開にそのまま呼応するように氾濫気味で、うまく収拾できていない。 でも、本作が次作最終章へのブリッジであるということを踏まえると、その氾濫に伴う混沌こそが布石なのかもなとも思える。 つまるところ、本作の正当な評価は、次作での物語の結実次第なのだろう。 果たして主人公マイルズ・モラレスは、逃走先の“世界”で、別の“可能性”の自分自身と衝撃的な対面を迎え、本作は終幕する。 とても宙ぶらりんな結末だけれど、別次元ではスパイダーグウェンが、“バンド仲間”を集結させて、我々の高揚感を煽る。 「可能性」の大渦に自分自身の思考がフリーズしないように、せっせとメモリ増設して次作を待つとしよう。[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-19 01:20:18)《改行有》

999.  ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー それなりに長く映画を観続けていると、現実世界の俳優の死に伴う喪失感が、映画世界の内外を巻き込んで渦巻くことはままある。 2020年、43歳の若さでこの世を去ったチャドウィック・ボーズマンの死は、近年においてその最も顕著な出来事だったろう。 MCUでブラックパンサーことティ・チャラ役にキャスティングされたことで、一躍世界のトップ俳優の一人となった彼の死は、MCUファンに限らず、世界の映画ファンにとってあまりにも大きな損失だった。 無論、この「ブラックパンサー」の続編も、チャドウィック・ボーズマン続投が大前提のプロジェクト進行が、突然の悲報に伴い、継続そのものを問う岐路に立たされたことは言うまでもない。 普通に考えて、絶対的な主人公を演じていた俳優を失ったヒーロー映画の続編が、そのまま成立するなんてことはあり得ないだろう。 それでもなお、映画の製作を進め、161分の大長編として日の目を見た本作からは、監督のライアン・クーグラを筆頭に、スタッフ、キャストからの、亡き“ティ・チャラ王”に対する尊敬と哀悼が満ち溢れていた。 死に伴う喪失感は、時に残された人間を惑わし、自暴自棄に貶める。 その心情が本作に登場するキャラクターたちに投影され、彼らも大いに惑い、進むべき道を見失いそうになる様が印象的だった。 それをどう乗り越え、その先の時間をどう生きるのか。それはきっと最愛の人間の死に出会うべくしてこの世に生きるすべての人間に課せられた宿命なのだと思う。 最愛の兄と王とヒーローをまさしく“同時”に失った妹のシュリは、映画のラストで光に照らされた美しい浜辺で一人佇む。 その表情からはやはり寂しさと心細さが垣間見える。その一方で、大切な記憶や、兄や母に対する愛情は決して色褪せないことも噛み締めているようだった。 生きろ、そして戦い続けろ。 「エンドゲーム」のクライマックス、ポータルの中から現れたティ・チャラが、満身創痍のキャプテン・アメリカに対して力強く視線を向けた後、援軍を鼓舞するシーンが思い浮かぶ。 偉大なヒーローは死してもなお、映画世界の内外の“アベンジャーズ”を鼓舞し続ける。[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-12 01:30:22)《改行有》

1000.  search #サーチ2 インターネット配信による新作映画の視聴がどれだけ普及しようとも、映画は劇場のスクリーンで観るべきで、それが幸福な映画体験をもたらす信じていることに変わりはない。けれど、前作「search サーチ」に続き本シリーズだけは、映画館ではなく自宅で、しかも自室のPCのモニターで鑑賞することが、特異な映画体験をもたらすと思う。 前作に続き、主人公が駆使するラップトップPCやスマートフォンやスマートウォッチの画面を、ほぼ全編に渡って映し出し、ストーリー展開が繰り広げられることでサスペンスが加速していく。 自分のPCでこの映画を観ていると、あたかも主人公のPCモニターをそのままハッキングして観ているような感覚に陥り、この映画特有の“臨場感”が増していく。 更に本作では、ある人物が実際に主人公のモニターをハッキングしているくだりがあったり、前作や本作の顛末がドラマ化されたらしいNetflix作品を主人公が観ていたりして、まるで二重三重に映し出される合わせ鏡のように、現実と映画世界、更にその先のドラマ世界が果てしなく繋がっているような感覚を覚える。 各種インターネットデバイスや、SNS、様々なインターネットサービスを駆使して、18歳の主人公は、母親の失踪と、その裏に隠された真実を追求していく。 前述の特異な映画的手法が功を奏して、主人公と同じ目線で、我々観客も不安を掻き立てられ、たどり着く真相に驚くことができる。 序盤から中盤の展開的には、成功した前作の二番煎じのようにも見えがちだけれど、用意されていた顛末には、前作とは異なるテーマ性がしっかりと備わっており、“パート2”として相応しい出来栄えだったと思う。 まあよくよく考えてみたならば、主人公の母親は、もう18歳になる娘に対して事前にしっかりと“自分たちのこと”を説明しておくべきだと思うし、それが新しい恋人との再婚間近というタイミングであれば尚更だろう。 (そもそもこの母親は男を見る目が無さ過ぎるというのは野暮なので言わないが……) この手のシチュエーションスリラー特有の強引なストーリーテリングは否定できないが、日常的にGoogleアカウントで様々なサービスを利用している現代人としては、危機管理の必要性を感じずにはいられない映画だった。 定期的なパスワード変更は大事だけれど、いざという時に近親者にも見当がつかないのも危ういな。[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-04 23:41:59)(良:1票) 《改行有》

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