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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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981.  踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 2003年の劇場公開から何度観たか分からないけれど、再度この映画を観直して思うことは、やっぱり自分は「踊る大捜査線」が好きだということ。 1997年のテレビシリーズから夢中になり、二つの映画作品にも大満足をした。 そして、個人的には歴史的大駄作と断じてあまりあった「容疑者 室井慎次」や「3」を観て、絶望に近い落胆を経験しても尚、この映画を観るとやっぱり“彼ら”に会いたくなる。 映画として素晴らしい作品だとは言わない。けれど、何度でも観て、何度でも興奮して、何度でも泣く。 自分にとっては、この世界観で繰り広げられるキャラクター達の“チーム感”が、「特別」と言えるくらい好きなんだろうと思う。[映画館(字幕)] 9点(2012-09-10 13:27:26)《改行有》

982.  るろうに剣心 エンドロールが終わり暗転、“一抹の期待”を覚えた次の瞬間に“何も起こらず”、「ワーナー・ブラザーズ」のロゴマークが映し出されて、少し落胆した。 もし、この映画にアメコミ映画定番の「続編あるぜ!」的なカットが付加されていたなら、僕の満足感と高揚感はもう一段階上回っていただろうと思う。 多少の批判など意に介さないような“剛胆さ”。惜しむらくもこの映画に欠けていたものは、まさにそれだったように思う。 原作漫画のファンで、単行本は全巻持っている。 愛読していた頃からつくづく思っていたことだが、この漫画の世界観は日本で一番“アメリカン・コミック”に近いと思う。 主人公であるヒーローの隠された姿と悲哀、ベタに真っすぐなヒロイン像、そして時代考証やその他常識なんて完全無視の大胆な悪役のキャラクター性。 この原作漫画が、国民的少年誌の王道的なストーリー展開をベースに敷きつつも、その他の漫画とは一線を画す世界観を醸し出していたのは、「時代劇」であるにも関わらず、そういった「異国情緒」溢れる味わいに満ちていたからだと思う。 その特異な漫画世界を映像化することは、日本では非常に困難なことだったろう。 故に製作にワーナー・ブラザーズが加わったことは非常に意味があったし、多くの原作ファンにとっても心強いことだったと思う。 そして、佐藤健という俳優と大友啓史という監督が「龍馬伝」で出会ったことで、この作品の映画化は決して避けられないものとなった。 ハードルは非常に高かったと思うが、総じて見れば出来映えは「良い」と言える。 最大の課題であったろうアクションシーンの完成度は高く、それだけで国産アクション映画としての意味と価値は大きい。 ただ、あともう一歩の“物足りなさ”。その要因のすべてが、前述の“剛胆さ”の欠如に詰まっていると思う。 カット割りや台詞の言い回しをある部分においてはもっと“漫画的”に攻めてよかった。 原作の作者がそうしたように、もっと偏った趣味趣向に突っ走ってみるべきだったと思えてならない。 とはいえ、原作ファンとしても満足できるレベルの映画であることは間違いなく、もっとパワーアップした続編も期待したい。 なんてことを考えながら、すぐにでも原作漫画を全巻読み返したいと思わせた時点で、この映画化は“勝っている”。[映画館(字幕)] 7点(2012-09-01 22:05:19)(良:1票) 《改行有》

983.  プロメテウス 《ネタバレ》 前夜、十数年ぶりに1972年公開の「エイリアン」第一作目を鑑賞し直した。 改めて見直してみて、30年以上前の作品とは思えない映像世界のスタイリッシュさと何度観ても揺らがない恐怖感におののくと共に、秘められた「伏線」に気づき、よくもまあ30年間もその伏線の回収を放っておいたなと思えた。 そうして満を持しての最新作の鑑賞。 結論から言うと、30年前の伏線の解明は成されている。 しかし、更に新たな謎が幾つも生み出され、それらが放り出されたまま映画は終わってしまった。 全編通して荘厳な映像世界に感嘆する一方で、この映画そのものの完成度という面においては、大巨匠の神通力の低下を疑わざるを得なかったというのが正直なところだ。 製作上において、何か致命的な失敗があったとしか思えないほどに、映画を振り返ってみると、登場人物の言動からあらゆる設定に至るまで説明が成されていない部分があまりに多く、「穴」だらけに見える。 観賞後しばらくは不満と満足の狭間で困惑してしまった。 しかし、「続編」が既に決定しているとの情報を得て、その困惑はすぐに一転する。 詰まるところ、部分的な満足感も全体的な不満感もすべては一介のCMクリエーターから現在の地位までのし上がった巨匠の強かさによるものなのだろう。 プロモーションにおいて、敢えて“エイリアン”というキーワードを極力避けながら、歴史的大傑作の“パート0”を新たに生み出すことで、「謎の解明」という新たな「謎」を描き出す。 そうすることで、過去作への注目を効果的に高め、更なる「続編」への期待感を増幅させる。 ハリウッドの第一線を年齢と逆行するように精力的に突っ走る“現役巨匠”の目論見はまさにそういうことだったのではなかろうか。 当然、「続編」の公開前には、この監督の“得意技”とも言える「ディレクターズカット版」もリリースされることだろう。この映画のあからさまな穴あき具合から、未公開の映像が山のようにあることは容易に想像できる。 映画としての完成度は決して高くない。でも映画世界に対しての興味と期待感は更に深まる。 今回は取り敢えず巨匠の衰えない強かさを感じつつ、ひたすらに続編を待つとしよう。[映画館(字幕)] 7点(2012-08-26 22:46:19)(良:1票) 《改行有》

984.  間諜X27 マレーネ・ディートリッヒの映画を観るのは、「情婦」に続いてまだ2作目だが、この人が映画史に残る大女優の名跡に相応しいことは、2作だけで充分に理解し得る。 「間諜X27」とういタイトルを見て、語意が分からなかった自分は、一体何の映画なのかちっとも分からなかった。 主演女優演じる未亡人が、政府の裏機関の人間にスカウトされ“女スパイ”に仕立て上げられる。そこでようやく、「間諜」=「スパイ」ということが理解できた。 “スパイ映画”として観たならば、古い映画だということをさっ引いたとしても娯楽性に乏しい。 物語自体のドラマ性も決して深みがあるとは言えず、面白味は薄いと言える。 しかし、それでもこの映画の価値を及第点レベルに押し上げているのは、言うまでもなくマレーネ・ディートリッヒの存在感に他ならない。 時代の混沌に巻き込まれつつ、最期まで「女性」としての凛とした姿を見せ続ける彼女の振る舞いに、性別を超越した“憧れ”を感じずにはいられなかった。[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-08-25 08:52:17)《改行有》

985.  THE LAST MESSAGE 海猿 決して褒められた映画でないことは分かっている。分かっているが、結局「面白い」と思ってしまうのだから、もうこれは個人的な趣向であり仕方がない。 ありきたりな展開に、取って付けたような台詞回しが網羅され、全編通して失笑が無くなることはないのに、用意された娯楽性を充分に堪能してしまう。 それは、この映画シリーズに共通することで、詰まるところ、突っ込みどころは満載だけれど僕はこのシリーズの世界観そのものが嫌いじゃないんだろうと思う。 福岡県沖に建設された巨大天然ガスプラント施設にて不慮の事故で火災が発生し、当然の如く主人公たちのチームが現場へ向かう。 前作でも不満に思ったが、このシリーズは事故発生のプロセスが性急過ぎる。加えて主要登場人物たちのバックボーンを垣間見せる程度のプロローグも殆どないので、そもそもにおいて感情移入をする暇がない。 そのことが映画全体に蔓延する「取って付けた感」の最たる要因だろう。 今作で舞台となる天然ガスプラントは、政治的背景も絡ませやすく題材としては面白く思えたが、結局描き出される展開は前作の完全なる二番煎じである“ポセイドン・アドベンチャー”的ストーリーであり、あまりに新しさに欠けていたことは否めない。 と、自分の中の冷静な部分は映画における粗を的確に捉えているのに、それに反するかのようにクライマックスに合わせてまんまと高揚感は高ぶってしまっている。 「何なんだこれは?」と自分の中で不思議に感じつつも、これまた繰り返されるお決まりのクライマックスシーンにジワリとくる始末。 何の工夫もない馬鹿正直な“熱さ”に辟易しながらも、最終的にはいつもその“暑苦しさ”に呑み込まれてしまう。この映画シリーズには、そういう理屈ではない強引さだけは備わっていると思う。 そう自分自身に“いいわけ”して、公開中の最新作もちょっぴり気になってしまうのだった。[地上波(邦画)] 6点(2012-08-25 08:37:28)(良:1票) 《改行有》

986.  ヘルタースケルター(2012) 決して完成度の高い映画ではない。稚拙な演出も目につくし、無駄に長いし、全体的にチープだ。 だが、立ち去ろうとする足首を掴んで離れないような独特の禍々しさがへばりつくように残る。 故に「傑作」と言い切ることも、「駄作」と断ずることも、僕にはその勇気がない。 これはそういうちょっと変わった映画体験を半ば強制的に観客に与える類いの映画だと思う。 まず相変わらずイロイロと騒がしい人ではあるが、沢尻エリカという女優は、やはりちょっと「特別」だと思う。敢えてチープな言い方をするならば、「ガッツ」があるのだと思う。 それは何も映画の冒頭から惜しげもなく乳房を露にしているというような分かりやすいことではない。 自業自得な部分もあろうが、マスコミによってあのようなスキャンダルな立ち位置に半ば強制的に追いやられているにも関わらず、まさにその「現実」とピッタリと重なるような今作のキャラクターに挑み、遠慮なく演じ切ってみせるその豪快さにそう感じる。 「はまり役」と言えばまさにそうだろうが、これほどまで自己投影された役柄をこの若さで演じられる女優は、実際なかなかいない。 好き嫌いは別にして、私生活も含めて、その「女優」としての在り方はやはり間違っていないと思う。 “そういう女優”を大胆にも起用し、えげつないストーリーの上で、えげつない演出を真正面から敢行した蜷川実花というこの女流監督のDNAは、まさしく“父親譲り”だなと感じた。 主演女優に対してはもちろんだが、寺島しのぶら脇役に対しても、なかなか“酷い”(褒めている)演出を行っていたと思う。 その一方で、イメージした映画世界の「理想」に対してそれを具現化するには、明らかに映画監督しての力量が及んでいなかったことも事実。 究極的に描き出したかった世界観は伝わってきたが、高みに達せず、節々で陳腐さが露呈してしまっていることは否めない。 長編映画二作目の監督が挑むには、ややハードルが高過ぎたと思わざるを得ない。 ただそれでも、この映画が「異質」であることは確かなことで、イロイロな意味で「見たいものを見せてくれる」映画であることは間違いないと思う。 もしも、監督があと20年早く生まれているか、もしくは主演女優があと20年遅く生まれていたならば、はるかにとんでもない映画に仕上がっていたかもしれない。[映画館(邦画)] 7点(2012-07-23 12:23:50)(良:2票) 《改行有》

987.  おおかみこどもの雨と雪 《ネタバレ》 「しっかり生きて」 自らが選んだ「道」に向かい親元を離れ旅立つ我が子。その背を見送りつつ、母親は絞り出すように、でも力強くそう言い放つ。 そこには、母親としての悲しみと喜び、その相反する二つの感情を平等に抱いた深い愛情が見事に表現されていて、涙が止まらなかった。 自分自身が人の親になって一年が経つ。 “子を育てること”の難しさを感じるなんてレベルではまだまだなくて、“新しい生命と生きていくこと”の難しさと果てしなさを日々感じている。 きっとどこまでいっても、その難しさが解消されるなんてことはなくて、むしろそれに伴う諸々の問題と共存していくことが、子を育て共に生きていくということなんだろうと思う。 この映画で描かれる「親子」の12年間には、まさにそういう親と子が共に生きていく上での普遍的な難しさと過酷さ、そしてそれらがあるからこそ生まれる惜しみない愛情が、数奇な運命に彩られて満ち溢れていた。 自然と人間の関係性、人間と異形種との関係性、親と子の関係性、この映画にはそういった様々な関わり合いにおける対峙を同時に描き、そして現代に置ける的確な“こたえ”を導き出していると思えた。 決して安直な「共存」を描くのではなく、それぞれの“良い部分”と“悪い部分”をちゃんと描き、必要な「距離感」を踏まえて明確な「価値」を導き出していると思った。 そういう簡単ではないことを、親子の物語としてそれぞれの人間描写の中で地に足を据えて堂々と表現している。 激情家で野性的だった少女は「人間」の道を歩み、軟弱で大人しい少年は「狼」の道を歩む。 それは、人間と狼の中間の存在として育った姉弟のそれぞれが、人間世界の素晴らしさ、自然世界の素晴らしさを見出した故の結論であり、二人には自らが選んだ「道」に対しての「覚悟」がきちんと表れていた。 そして、この二つの決断を生み出した礎は「母親」の存在に他ならないという事実。 ごく普通の小さな人間だった主人公が、「母親」という存在になることで、突如訪れた数奇で過酷な運命をすべて受け入れ、二人の小さな生命を守り生き抜いていく愛おしい力強さ。 母親のその“つよさ”が、この映画の最大の感動を生んでいる。 幼い我が子を両脇に抱えて、高らかに笑う姿には神々しさすら感じた。 なんて素晴らしい映画なんだろうと思った。[映画館(邦画)] 10点(2012-07-23 11:34:15)(良:4票) 《改行有》

988.  海猿 ウミザル 教え子たちの無事を確認し、藤竜也演じる鬼教官は自らの制帽を目深に引き唇を噛み締める。 描写として実にありふれたシーンではあるけれど、しっかりと感動を生んでいる。 それはこの映画が、「生還」という感動に対しての“裏付け”をちゃんと描いているからだ。 即ち「死」である。「生還」に対しての「死」をもらすこと無く描いているからこそ、ありふれたシーンやお決まりとも思える展開に感動できるのだと思う。 劇場版としては第4作目となる最新作が封切られたばかりなので観ていないが、第2作、第3作において明らかに不足していたのは、「生」と隣り合わせで存在する「死」の存在感だと、この第1作目を観て思い知った。 死と常に隣り合わせの仕事に従事する男たちの姿を描く上で、その死自体の存在性が希薄になってしまっていることが、後の2作品に今ひとつ説得力を感じない理由であり、映画全体が希薄になってしまっている最たる要因なのだろう。 ちなみに、今作の後のテレビシリーズ「海猿 UMIZARU EVOLUTION」では、仲村トオル演じる主要キャラクターの死を描き、現実の悲壮感を加味できていたと思う。 そんなわけで、劇場版第3作目「THE LAST MESSAGE 海猿」を観た直後に今作を鑑賞し直してみると、初見時よりも遥かに良い映画に思えた。 「王道」というよりも“ありきたり”な映画であるということは否定しないが、潜水士訓練生たちの青春劇が瑞々しく熱く描かれている。 「若さ」という熱気と未熟さをバランスよく配置し、その中に前述の通り厳しい現実感も含まれており、映画としての善し悪しは別として充分に“好きになれる”映画だと思えた。[DVD(邦画)] 8点(2012-07-18 13:19:54)《改行有》

989.  J・エドガー 思い切り殴られた口元を押さえつつ、部屋を出て行く部下の背をやや虚ろな目で追う主人公のジョン・エドガー・フーバー。 彼は痛みを感じているのではない。殴られた直後に奪われた唇の感触に恍惚としているのだ。 映画中盤に用意されたこのクライマックスとも言える衝撃的なシーンの余韻が、この風変わりな伝記映画を唯一無二のものにしている。 この映画を悪名高いFBI元長官フーバーの人生を描き出すことで、当時のアメリカという国の「正義」に対する真実を導き出した社会派ドラマだと高を括って観たならば、きっと大いに面食らってしまうことだろう。 なぜならこの映画は、見まがうことなき“ラブストーリー”なのだから。 米国の政府内外のほぼすべての人間からから忌み嫌われ続けた男が、なぜ約50年に渡りFBIの最高権力者の地位に君臨し続けることが出来たのか。 ジョン・エドガー・フーバーという人間の行為、発言、思想、人格、人間関係、彼の人生を象ったそれぞれの要素を努めて冷静にフラットに描き連ねることで、この人物の悪行と功績、闇と光が一対となって見えてくる。 悪しき伝説に溢れたこの元FBI長官の人生をベースにすることで、社会の裏側をえぐり出していきある意味サスペンスフルな娯楽性に溢れた映画を導き出すことは容易だった筈だ。 しかし、イーストウッド監督はそれをせず、非常に挑戦的で危ういまったく別の試みに挑み、映画を完璧に仕上げてみせている。 人々に忌み嫌われ、謎にまみれ、闇にまみれ、それでもこの男が貫き通したかったものは何だったのか。そして、彼が本当に“隠したかったこと”は何だったのか。 映画はあくまでもこの人物のパーソナルの深淵へと突き進むように進行していき、人間としての“闇”のさらにその奥まで踏み込んでいく。 むしろ醜ささえ感じる地味な描写で映画は終焉する。 しかし、そこには言葉には表しづらい複雑な人間そのものの余韻を感じる。 「正義」という“闇”の中を突き進んだ男が、最期に辿り着いたものなんだったのか。何処まで行っても変わらない闇だったのか、一寸の光だったのか、それとも虚無だったのか。 捉え方は人それぞれだろうけれど、少なくとも個人的には“救い”が見えた気がする。 そして、その“救い”こそが、まさに愛だったのではないか。 それは、すべての人間に与えられた免罪符のようにも思え、感極まった。[ブルーレイ(字幕)] 10点(2012-07-16 15:47:45)(良:1票) 《改行有》

990.  おとなのけんか ふつう、人と人とが険悪な雰囲気になっていく様を目の当たりにすると、関係のない自分自身も嫌な気持ちになり、その場から逃げ出したくなるものだ。 しかし、この映画ではまさにそういう「修羅場」に発展していくのだろう不穏な空気感を序盤から醸し出しているのに、笑えて仕方ながなかった。 それは、人間同士のそれぞれの感情を剥き出しにした衝突の醜さと滑稽さ、そして、人間というものは「見たくない」と体裁を整えているが、つまるところ“自分に関係のない修羅場”に対しては笑って見られて、娯楽性すら感じてしまうという根本的な愚かさを観客たちに突きつけているに他ならない。 原題の「Carnage」の意味はそのまんま「修羅場」。 しかし、「子供の喧嘩に親が出る」という言い回しが諺としてポピュラーな日本においては、「おとなのけんか」という邦題は非常に的確で、子供の喧嘩の後始末に当事者の両親同士が集まってどんどんいがみ合っていく様の愚かさは、「おとなのけんか」という揶揄的な表現が相応しい。 現代のハリウッドを代表する名俳優を揃え、全編をアパートの一室での会話劇のみで展開する79分間はコンパクトかつ濃密で、俳優たちの安定感と、ロマン・ポランスキーという名匠の“技”が光る映画として仕上がっている。 見て明らかなように原作は舞台劇で、それを彷彿とさせる少々過剰な感情表現や画面構成が印象的だった。 会話の展開によって4人それぞれの対立関係がくるくると変化していく構成は巧みで、単なる親同士の対立から、ステータスによる対立、男女の対立、個々人の価値観による対立へと移り変わっていく様には、様々な価値観と感情を持った人間同士が一つの環境の中で生きるということの難しさを如実に物語っているように思えた。 しかし、この手の会話劇として全編通すにあたっては、最後にもう一つ転回が欲しかったように思う。 結局全員がスコッチを飲んでアルコールでベロベロになってしまっては、導き出される結論がどうであれ説得力を欠いてしまう。 それでも名優たちのパフォーマンスが絶妙なので、充分に見応えのある質の高い会話劇であることは間違いないけれど。 ジョディ・フォスターは「老けたな~」という印象は拭えなかったけれど、ヒステリックな母親役がハマっていた。 そして、いまやケイト・ウィンスレットの演技にハズレは無い。[DVD(字幕)] 7点(2012-07-15 11:23:01)(良:1票) 《改行有》

991.  宇宙人ポール 昨年「SUPER8」を観た時に、作品としての完成度には不満を持ちつつも、溢れる“映画愛”に対して無下に否定することが出来なかったことが思い出された。 あの映画と今作は、映画としての立ち位置はまったく違うように見えるけれど、本質的な“理念”はむしろ全く同じと言っていい。 即ち、かつて世界中が熱狂し愛したスティーブン・スピルバーグをはじめとする偉大な映画監督たちが生み出した数々のアメリカ娯楽映画に対する「敬愛」。まさにその一言に尽きる。 ただ、今作が「SUPER8」と少し違うところは、そんな理屈抜きにして問答無用に面白い映画であるということだ。 往年の娯楽映画に対するオマージュに溢れてはいるが、そんなものはあくまで“おまけ”であり、きっと誰が観たって「面白い!」そういう映画としてきっちりと成立している。それが、「娯楽映画」として最も素晴らしいことであることは言うまでもない。 英国の“ボンクラオタク男子”の二人組が、憧れのアメリカ旅行中に宇宙人に遭遇する。紆余曲折を経つつ意気投合し、宇宙人の彼を仲間の元へ送り届ける。 実際ただそれだけの話である。ただそれだけの話が極上の「娯楽」になる、だからこそ映画は素晴らしいのだということを、この映画は再確認させてくれる。 何と言っても、宇宙人“ポール”の存在感が凄い。 実写映画の中の一キャラクターをフルCGで描き出すという試み自体はもはや珍しくもない。 しかし、そこに娯楽映画の主人公に相応しい愛着と、周囲のキャラクターと同様に息づく存在感を持ち合わさせることは、並大抵のことではない。 決して仰々しくなく、さりげなく描き出されているように見えるが、このクオリティーの高さは「凄い」としか言いようがなく、それを生み出しているものこそが、製作スタッフの紛れも無い「映画愛」に他ならないと思えた。 最高に楽しくて良い映画だったと思う。ただし、惜しむらくは自分自身が“SF映画オタク”になりきれていないこと。 前述の通り、過去の名作SF映画を観ていなくても存分に楽しめる映画であることは間違いない。 しかし、オタクだったならばもっともっとはしゃげたんだろうと思うことも事実。 「ああ、これは何かの映画のオマージュなんだろうな」と気付きはするが、それが何なのか明確にならない悔しさは随所で感じてしまった。 とりあえず「未知との遭遇」は早急に観よう。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-07-14 22:54:32)(良:3票) 《改行有》

992.  となりのトトロ 残業帰り、遅い夕飯を食べ終わりテレビを付けると「トトロ」が放送されていた。 もうすでにクライマックスの前あたりまで差し掛かっていたので、見るともなく何気なく見始めた。 まず、こういう風に見始めることが出来る映画は少ない。 たとえ一度観たことがある映画であっても、再度観るのであれば最初から観たいし、CMが挟み込まれる民放放映の映画は基本的に観ない。それが良い映画ならば尚更だ。 ただし、「となりのトトロ」なんかになるともはやその範疇ではない。 もちろん最初からじっくり観るにこしたことは無いが、何時にどのシーンから見始めたとしても、何度も同じように感動し、また新しい面白味を発見する。 それくらいこの作品を含め、幾つかのジブリ映画の存在感は自分という人間の中に刷り込まれている。 サツキがついに感情を抑えきれなくなり泣き出してしまう時の表情のくずれ具合に涙が溢れ、 トトロの森に向かって駆け出す瞬間の周囲の声が無音になる表現に感心し、 糸井重里の「案外そうかもしれないよ。ほら」というラストの台詞のヘタウマ感に絶妙さを感じた。 一見は、老若男女楽しめるファンタジー映画という感じだけれど、この映画の持つ味わいは、もっと深いものを描き出しているように思う。 それが、古きよき日本の情景なのか、少女たちの明るさの奥に秘める力強さなのか。 きっとそれは、観る人のその時の在り方で様変わりするのだろうと思う。 ただ、その何か普遍的で価値のあるものを「トトロ」というキャラクターで包んで描き出した宮崎駿は、やはり偉大だなと思う。[ビデオ(邦画)] 10点(2012-07-13 23:03:45)(良:1票) 《改行有》

993.  舞妓と暗殺者 若き長州の脱藩浪士の主人公を演じる津川雅彦は当時23歳。 この俳優は、こんな大昔から女性の体をまさぐっていたんだなあと、この映画のラストシーンを観ながら呆れてしまった。 立身出世を夢見て幕末の混乱の中に身を投じ、終始フラフラと自分の行動に対して葛藤を繰り広げつつ、女に走る主人公のキャラクター性は、主演俳優の性格に合致していたと思う。 そのことが、映画そのものの立ち位置を明確にしていて、物語自体に大した魅力があるわけではないにも関わらず、オリジナリティーに繋がっていたとは思う。 三隅研次による映像世界は流石に卓越していて、殺陣シーンのスピーディーさが作品にメリハリを与えている。 ただ同時に、この人の監督作品にしては登場人物のそれぞれに深みがなく、全体的に平坦な印象も拭えなかったと言える。 どんな時代にも大義名分のすぐ後ろ側には、個々人の思惑が存在し、結局すべてのことはそういうものの連なりで動いている。 主人公は、自分自身の行動原理に、そういった人間としての根本的な愚かさが存在していることに気づき、葛藤が深まっていく。 一風変わった青春時代劇と言えなくはなく、製作された時代感も含めて味わうべき要素はある作品ではあるが、全体的に中途半端に終わってしまった感も拭えず、満足感はそれ程高くない。[CS・衛星(邦画)] 5点(2012-07-13 16:30:27)《改行有》

994.  外事警察 その男に騙されるな 仕事として「嘘」をつくプロフェッショナルがいるのならば、それは「真実」を生み出すことが出来る人間のことなのだろう、とこの映画を観て思った。 「公安の魔物」と称される渡部篤郎演じる主人公の生業は、まさに「嘘」を操り「真実」を作り出すことである。それはもちろん「捏造」と言えるが、それが本当の意味でまかり通ったなら、その時点で「嘘」は「真実」に転じる。 このポリティカルサスペンスのエンターテイメントの醍醐味は、「嘘」と「真実」が表裏一体に存在する社会の真相そのものだと思う。 まずテレビドラマシリーズの評になるが、「公安」しかも国際案件を担う「外事警察」という存在を、これほどメインに描いたドラマはこれまでなかったので、その題材自体が新鮮であったことは言うまでもない。 実際に描かれるドラマの世界観において、どこまでのリアリティがあるのかは一般人には判別が付けきれないが、安直な娯楽性に走らず、たとえ“地味さ”が先行しても「現実感」を優先したドラマづくりはNHKならではで、クオリティーの高さを保っていたと思う。 そして満を持しての映画化。キャラクター設定や基本的展開の説明省略等、テレビシリーズを礎にして成立している映画作品であることは否めない部分があるにはあるが、そういう部分をさっ引いても、充分な質の高さと、これまでの国内のサスペンス映画にはない新しい緊張感を備えた作品に仕上がっていると思えた。 今作はキャスティングが素晴らしい。 渡部篤郎をはじめとするメインキャストはもちろん、今回の映画作品においても田中泯や真木よう子の起用とその配役は抜群だったと思う。両者とも大河ドラマ「龍馬伝」の主要キャストであり、NHKの息のかかったキャスティングであることは明らかではあるが、そう言う部分の“間違いなさ”も流石だと思う。 ストーリーとしてはやや様々な要素を詰め込み過ぎている印象もあり、そのせいで主要キャラクター同士のドラマ性が希薄に映ってしまう感もあるにはあるが、ポリティカルサスペンスの娯楽性という部分では充分なクオリティーを示していると思う。 ラスト、立て続けに映し出される「真実」と「嘘」の関係性などは、テレビシリーズを観ている者として薄々感づいてしまう部分ではあるけれど、それでもニヤリとしてしまうし、陰に隠れて見えない主人公の表情で締めるラストカットは思わず唸ってしまった。[映画館(邦画)] 7点(2012-07-05 00:08:19)《改行有》

995.  テキサスの五人の仲間 《ネタバレ》 BS放送分を取り敢えず録画していて、いつの時代のどんな映画かほとんど分かっていない状態で鑑賞をした。 この映画において、その鑑賞のプロセスはとても幸福なものだったと思う。 古い映画だけに、少しでも予備知識が入ってしまっていたなら、この映画の素晴らしい娯楽性を完全に堪能することは出来なかったろう。 テキサスきってのギャンブラー5人が集い年に一度のポーカー・ゲームに興じるホテルに、旅の夫婦と息子が辿り着く。夫は無類のポーカー狂で妻と息子の制止を顧みず、ポーカーに混ざり全財産をつぎ込んでしまう……。 原題は「A Big Hand for the Little Lady」。訳すならば「淑女の大いなる一手」といったところだろうか。 このタイトルも洒落ているが、珍しくも“邦題”に対しても「ウマい!」と言いたくなる映画だったと思う。 ポーカーというトランプゲームは、玄人が突き詰めていくほどに「運」というよりは「ハッタリ」が勝負の行方を左右するギャンブルであり、そういう観点からすれば映画ならではの“騙し合い”を描き出しやすい題材ではあると思う。 しかし、故に数多くのギャンブル映画の題材になってきたし、そもそも観客には疑心が伴いやすいので映画として“ウマくダマす”ことが非常に難しいとも言えると思う。 そんな中にあって、40年以上前の映画でありながら、映画の中の住人たちはもとより、現代人の観客まで“気持ちよく”騙してくれるこの映画の娯楽性は見事なもので、「傑作」という呼称に相応しい。 勝負において感情を表に出さない勝負師を「ポーカーフェイス」と表すが、もっともポーカーフェイスが巧くない者が、実は最もポーカーフェイスが巧かったという、言葉にすると矛盾に溢れる逆転の顛末が爽快だった。 「スティング」を彷彿とさせる爽快感を携えた逆転劇に素直に感嘆できたことは、映画ファンとして幸福以外の何ものでもない。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-07-04 14:33:03)(良:1票) 《改行有》

996.  アメイジング・スパイダーマン 恋をした同級生の男子が“スパイダーマン”であることを知り、その背中を見送るヒロインは一言「ああ困った」と呟く。 その彼女のテンションは、スーパーヒーローを好きになってしまったという極端な動揺ではなく、警察官の娘なのに街のちょっとした問題児を好きになってしまって「ああ困った」というような、ハイティーンの普遍的な動揺として表現される。 このシーンによって、この映画のスタンスは、つまるところ若い男女の恋模様を主軸とした青春ドラマであり、それ以上でもそれ以下でもないということを宣言していると思えた。 アメコミヒーロー映画としての“エンターテイメント性”という部分において、及第点を越えていることは間違いない。しかし、サム・ライミ版の第一作目と比べると、すべての娯楽性の部分において衝撃度は劣る。 でもだからと言って面白くなかったかと言うと決してそんなことはなく、ヒーロー映画云々以前に映画として素直に面白かったと言える。 そしてその面白さこそが、冒頭に記したこの映画のスタンスに尽きると思う。 膨大なアクションシーンのボリュームの力技で貫くのでもなく、はたまたライミ版の「スパイダーマン」や「ダークナイト」の如くヒーローの内面的な葛藤に対してディープに踏み込んでいくわけでもない。 悪漢に制裁を与えるシーンで軽妙な振る舞いをしてみたり、一旦恋に落ちれば“秘密”や“約束”なんてないがしろにしてみたり、良い部分でもあり悪い部分でもあるそういったハイティーンの“軽さ”と“若々しさ”それに伴うポップさこそが、この映画におけるエンターテイメントそのものとして存在している。 まさにそれこそが「(500)日のサマー」のマーク・ウェブが今作を監督をした価値だったろうと思う。 どういう捉え方をするかによって、観賞後の満足感は大いに左右するだろう映画であることは確かだと思う。 単純に比較するべきではないかもしれないが、サム・ライミ版と比べて映画のテンションからキャスティングに至るまでどちらが「スパイダーマン」という素材に相応しいかと問われれば、ライミ版に優位性があることは間違いない。 でも、個人的には、主人公とヒロインが誰もいない学校の廊下でデート(じみた何か)の約束をするという、アメコミヒーロー的な側面には何も関係ないシーンに心を掴まれてしまった時点で、この映画を揶揄する気は毛頭無くなってしまった。[映画館(字幕)] 8点(2012-07-02 16:32:55)(良:3票) 《改行有》

997.  八日目の蝉 3年前に小豆島へ行った。当時付き合っていた彼女との初旅行だった。 思い返してみれば、「小豆島へ行きたい」と思ったきっかけは、角田光代の「八日目の蟬」を読んだことだった。 幼子を誘拐した主人公が逃亡の果てに安住したのが小豆島だった。文体からは、偽りの母娘を包む優しい島の光と空気と香りがありありと伝わってきた。 あれから3年が経ち、あの小説の映画化作品を観た。 いつぶりだろうか、映画館で号泣した。泣いた。めくり上げていたパーカーの袖を手首まで戻して、とめどない涙を拭った。もれ出そうな嗚咽を必死に抑えた。 素晴らしい小説の映画化は非常に難しい。ただし、それが成功した時、その映画は特別なものになる。 この映画は、映画が好きな人、小説が好きな人、その両者にとって幸福な奇蹟だと思う。 子を産むという愛、子を育てるという愛、本来合致しているべき二つの愛が分断されてしまったことによる悲哀。 もちろん、それは「幸福」なことではなかった。 ただそれが、そのまま「不幸」でもないということに、二つの別々の愛を受けて生きた娘が気付いたとき、この物語はその真の意味に辿り着く。 文体が映像化されることにより生まれる“差異”は、多くの場合弊害となる。でも、この映画にはそういう弊害がまるでない。 それはこの映画が、良い意味で原作に依存していないからだと思う。 文体が伝える情感に寄り添いつつも、映画表現として一線を画し、映画作品ならではの新たな情感を生み出している。 決して消えることのない悲しみを抱えながら偽りの母を演じ、子を育てる幸福を心の底から感じた女の心情。 子を育てる幸福を奪われ、戻ってきた子にまっすぐな愛情を注ぐことが出来なかった女の心情。 その狭間で苦悩を抱えながら成長し、自らが宿した子への愛に気付いた女の心情。 それはもう、喜びも悲しみもすべてひっくるめた眩しい光のようだ。あまりに眩しいその光を覆うように、涙が溢れた。 男の僕は、子を身籠るということの本当の意味を一生理解できない。絶対に。 それでも、それぞれの激しい心情の吐露に、胸が締め付けられた。 3年前に小豆島へ行った彼女は、妻になり、もうすぐ母になる。 僕自身が親になるこのタイミングで、この素晴らしい映画を観られたことを幸福に思う。[映画館(邦画)] 10点(2012-06-29 00:25:23)(良:3票) 《改行有》

998.  俺たちに明日はない 人間としての“何か”が明らかに欠損している情緒不安定な男と女が、出会い、滅茶苦茶に共に生き、そして共に死んでいく物語。 二人の主人公に対して、微塵も共感できない映画だった。「面白い」と感じられたかどうかも微妙だ。 でも、何だろうこの観終えた途端に生じた「興味」が尽きない感覚は……。 “ボニー&クライド”という強盗カップルの名称自体は知っていたが、この有名な映画が彼らが主人公の映画であるということを観る直前になって初めて知った。 原題(「BONNIE AND CLYDE」)知っていれば、そんなことは明らかだったろうが、「俺たちに明日はない」という邦題からは、西部劇の印象に近い古風なアクション映画のイメージを勝手に持ってしまっていて、そのことが長らく今作を敬遠してきた大きな理由だった。 だが、ある評論を読んでその認識があまりに大きな間違いだということを知った。 そして初鑑賞に至り、この作品が、現在の映画という娯楽を構築する紛れもない主軸である「暴力」というエンターテイメント性の“礎”となった映画であるということを思い知った。 もちろん、現代人である自分にとっては、この作品で映し出される“暴力性”に斬新さや革新的なものを直接感じることはなかった。 しかし、この映画が持つ“意気込み”みたいなものの異様さは、ひしひしと感じた。 フェイ・ダナウェイの淫靡な唇の大写しから始まり、踊り狂っているかのように無数の銃弾を受け続ける主人公らのラストシーンまで、映画の全編に渡り、公開当時に今作を目の当たりにした人々のあらゆる「動揺」が時空を超えて間接的に伝わってくるようだった。 貧困、抑圧、戦争、格差……あらゆる鬱積を抱えた1967年という時代において、この映画が与えた影響力はいかなるものだったのか。その本質は、その時代に生き、本当の意味で“観たことがない映画”としてこの映画を観た人々にしか分かるまい。 そういうことを味わうことが出来ないのは、非常に悔しい。 ただし、現在もまた幾重にも折り重なった鬱積を世界中が抱えている時代である。 現在における「俺たちに明日がない」が新たに生まれ出ることを渇望せずにはいられない。[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-06-14 00:54:43)(良:1票) 《改行有》

999.  メン・イン・ブラック 1500年前地球は宇宙の中心と考えられていた 500年前まで地球は平ら 15分前まで君は宇宙人を信じていなかった 常識なんて儚いものさ という台詞は、トミー・リー・ジョーンズが新人エージェントしてウィル・スミスをスカウトするシーンで発せされる。 とても良い台詞で、想定以上にハチャメチャなテンションで描かれたこの映画が、頭のいい人たちによって目論見通りに作られた作品だということが垣間見える。 最新作のパート3を劇場で観たばかりで、おそらく最新作を観た多くの人が同じように思ったことだろうが、第一作目である今作を無性に観たくなり、TSUTAYAを巡り借りてきた。 久しぶりに観ると、この映画が、スピルバーグを筆頭にエンターテイメントとしてのSFの何たるかを熟知している人たちによって、表面的に伝わる娯楽性以上に”しっかり”と作られていることがよく分かった。 主演俳優二人の絶妙なバランスも含め、いろいろな要素がとても絶妙な塩梅で合致した幸福なエンターテイメントだと思う。 [映画館(字幕)] 8点(2012-06-12 23:45:56)《改行有》

1000.  アドレナリン(2006) 何か知らんが、アドレナリンを出し続けなければ心臓が停止するという毒薬を注入された男が、己の生命と復讐をかけ、他人の命と迷惑なんて顧みず街中を走り回るという映画。 馬鹿馬鹿しいにも程があると言わざるを得ないストーリーだが、それでもかろうじてエンターテイメントとして成立させている。 そして、この馬鹿馬鹿しさをまかり通せるのは、今はこの男しかいないだろう。 ジェイソン・ステイサムが、表現通りに“アドレナリン分泌しっ放し”の主人公を、“いつも通り”の存在感で体現してみせる。この映画のエンターテイメント性は、もうその存在感に頼りっぱなしと言っていい。 90%以上は「くだらない」と一笑に付してしまって良い映画だが、困ったことに主演俳優の存在性を盾にして、どうしたって印象に残ってしまうシーンが所々で映し出され、時に大笑いしてしまい、時にウルッときてしまうものだから、尚更始末が悪い。 公然○○○シーンや、まさかのラストシーンでの愛の告白からの衝撃のラストカット。 本当にこの映画を作った方々の頭はどうかしてしまってるんじゃないかと思ってしまう。主演俳優も含めて……。 そしてッ、このラストで続編があるってんだから、いよいよどうかしてるぜ![CS・衛星(字幕)] 6点(2012-06-10 18:50:16)(良:1票) 《改行有》

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