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Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1561.  ヴェノム アメコミ映画が飽和状態で、食傷気味になりつつある中、今作が孕んでいたテーマとアイデアからは、充分に新たな独自性を放つ可能性を感じた。 そうきっぱりと断言できるくらい、“ヴェノム”というダークヒーローの存在感は魅力的だったと思う。 宇宙の果てから明確な“悪意”を持って地球に侵入した謎の生命体(実は負け犬)が、人生に打ちひしがれた主人公(もちろん負け犬)に寄生し、融合し、共に傍若無人で残虐な制裁を繰り広げるというプロット。 宇宙の片隅で奇跡的に混じりあった負け犬同士の“リベンジ”を描く物語構造は、間違いなく胸熱で、ボンクラ映画ファンを狂喜に包み込むだけの可能性を秘めていたと思う。 日本のポップカルチャーファンとして、そこに垣間見えたのは、「寄生獣」のおぞましさと、「ど根性ガエル」の可笑しさだった。 が、しかし、残念ながらこの映画が表現し得たのは、あくまでもその一端に過ぎず、随所に目を引く娯楽性は散見するものの、トータル的には、僕たちボンクラ映画ファンが求める娯楽性を突き詰め切れていなかった。 この映画に足りなかったものは明らかだ。 クライマックスに向けて、主人公とヴェノムの間に生じたのであろう互いに対する「信頼性」と「必要性」の描きこみが、全くもって希薄であったことに尽きる。 残虐で不可思議な宇宙生命体との間で「友情」なんてものを安易に描く必要はないけれど、“彼ら”が稀有な運命の中で邂逅し、反目と拒絶を繰り返しながらも、徐々にお互いを必要とするプロセスをちゃんと描いてほしかった。 それは、この映画にとって、ド派手なアクションシーンなんかよりもずっと重要なものであり、せめてあと2、3シーンでも彼らがキャッキャする様が軽妙な掛け合いと共に描きこまれていたならば、今作はもっとサイコーな映画になっていただろう。 また、「最も残虐な悪」なんて謳ってはいるけれど、その表現方法も極めて中途半端だった。 元々、スパイダーマンに登場するヴィランのダークヒーロー化なわけだから、ヴェノム自体を“純真な悪”として振り切って描くべきだった。 表向きには主人公との共存共栄を望んでいるようにみせて、実のところは主人公の心身を侵食し支配していくおぞましさを表現してほしかった。 そういうこの題材がもつツボをちゃんと理解し、それこそ「寄生獣」や「ど根性ガエル」すらもフォローするオタク魂全開で、映画世界を構築することが出来る人が監督を担っていたならば……極めて“好物”な雰囲気を醸し出していただけに、口惜しくてならない。[映画館(字幕)] 6点(2018-11-02 23:14:11)《改行有》

1562.  ドント・ブリーズ “最凶盲目爺さん”が織りなす恐怖と狂気。貧困による若者の絶望と犯罪。 デトロイトを舞台にして、現代社会が抱える“病”とそれに伴う“鬱積”が、一軒の古屋敷の中で渦巻き、恐怖と悲劇のるつぼと化しているようだった。 両者に同情の余地はあり、だからこそ両者ともに罪と罰を叩きつけられる。完全に是となる者が存在しないサスペンスホラーの構成が新しい。 盲目の屈強な老人が、暗闇の中で襲ってくる様は、恐怖体験としてフレッシュであり、その“モンスター性”にも独自性と魅力があったと思う。 “悪しき者”のアンチヒーロー化は、実にサム・ライミ(製作)らしいと思えた。 盲人役を演じたスティーヴン・ラングは、「アバター」で悪役軍人を憎らしく演じた様が印象的に記憶に残っているが、あの軍人が盲目になって襲ってくると想像すると、そりゃあ恐ろしい。 というわけで、盲目の老人が襲ってくるというアイデアを礎にして、アクション性とサスペンス性を散りばめた上で、確固たるホラー映画として成立させていることは、映画作品としてとても独創的だったとは思う。 ただし、ストーリー展開的には、どうしても粗というか、無理が生じていることを否めない。 逃げ場がないとはいえ、舞台は一般的な家の中なわけだから、いざとなったら如何様にも脱出は可能に見える。 盗み目的で侵入した若者たちが、自ら積極的に袋小路に入り込んでいるように見え、序盤から「お前らは馬鹿なのか?」やや鼻白んでしまった。 そして、最凶爺さんの方も、流石に超人的すぎてリアリティラインの境界を見失ってしまった。 元軍人という設定で、身体的な能力の高さや、玄人的な銃器の取り扱い、殺人に対する躊躇いのなさ等は理解できるが、盲目の状態であのような異様で綿密な“企み”を遂行できるわけがない。 ただシンプルに、実は何人もの侵入者を返り討ちにしていたということであれば許容範囲だったが、あそこまでいっちゃうともはやファンタジーだ。 まあしかし、そのぶっ飛び方が良い意味でも悪い意味でも常軌を逸しているポイントであることは確かで、それが老人のモンスター性を高めているとも言える。 もはや彼は、憎しみの権化として「人間」という領域を逸脱した悪魔的な存在であり、それを劇中で速やかに呑み込めさえすれば、心ゆくまで楽しむことができる恐怖映画だと思う。 僕自身は、そのリアリティラインの境界を呑み込みきることが出来なかったので、完全にこの映画を楽しみきるには至らなかった。 けれど、悪魔的な存在性へと高まった盲目爺さんが、主人公を追ってカリフォルニアで新たな恐怖を展開する“逆・ホーム・アローン2”的な続編があるのならば、それはそれで観たい。[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-21 17:45:34)(良:1票) 《改行有》

1563.  トランスフォーマー/最後の騎士王 「もはやナニがナンだかわからん!」のは、今に始まったことではなく、シリーズ3作目あたりから大体同じ印象をすべての鑑賞者が持っているはずだ。 このブロックバスターシリーズのファン、非ファンに関わらず、その“ワケの分からなさ”もしくは映像的膨大な物量の中で展開されるストーリーの“どうでもよさ”自体を受け入れられないような人は、そもそもこの映画を観るべきではない。その場合、非難されるべきは作品ではなく、鑑賞者の方だろう。 というわけで、前作(完全蛇足の中国観光映画)に対して、映画産業全体における危機感も含めて「0点」を献上した僕も、あらゆることを「覚悟」した上で、この150分に渡る超大作の鑑賞に至った。 先ず序盤から大いに戸惑う。「あれ?(録画リストから)間違えてキング・アーサーを再生してしまったのかな」と。 恐らくは、同年製作の「キング・アーサー」より多大なバジェットをかけていそうな暗黒時代の合戦シーンにあんぐりとした。 ただし、結果的にはこの大仰な大風呂敷の広げ方が、一辺倒だった当シリーズのエンターテイメント性に多様性を生んだとも言えると思う。 まったくもって「強引」極まりないが、謎の金属宇宙生命体であるトランスフォーマーと地球の因縁を、人類史を遡ってこじつけたことで、「ダ・ヴィンチ・コード」的なミステリーとアドベンチャー要素が加わっている。 その他にも、スパイ映画、宇宙人侵略映画、カーアクション映画、潜水艦映画etc様々な要素を増し増しに盛り込んで、胸焼け必至のボリュームでまとめ上げている。 サービス過剰の執事ロボットや、侵略者に慣れ過ぎちゃって平然とタイマンで交渉に臨んじゃうレノックス大尉など、惰性だろうとなんだろうと5作目まで続けてきたからこそ辿り着いた娯楽性も確実に存在する。 この映画世界はまさに「カオス」そのものであり、何を見せられているのかも分からなくなってくる。 が、マイケル・ベイ監督をはじめ製作陣は、そんな作風に対してとうの昔に開き直っているので、内容がどうであれその“映画づくり”においてはもはや迷いなどはなく、ワケのわからないものをワケのわからないままに堂々と作り込んでいるように感じる。 結果として、観ている側も「コレはこういうものだ」と納得せざるを得ない気持ちになってきた。 どうやら大風呂敷は更に広がり、トランスフォーマーたちとの因縁は地球という惑星そのものの誕生まで遡って、「エイリアン:コヴェナント」的な展開を目論んでいるようだ。 もう、どこまでも好きなだけ突き進めば良いと、諦観半分で応援したくなる。[CS・衛星(字幕)] 6点(2018-10-14 17:54:20)(良:1票) 《改行有》

1564.  イット・フォローズ 概念的な死生観そのものを「それ」と表現して、確かにそこに存在するのに正体が明らかにならない「恐怖」のメタファーとして描き出したホラー映画であることは理解できる。 しかし、ハイティーンの主人公の目線を主眼として、こんこんと紡ぎ出されたそのテーマ性が、ストーリーの中で最終的に腑に落ちず、靄々としたままエンディングロールを見送ることになってしまった。 “新しい視点”のホラー映画だと思うし、面白くない訳ではないけれど、恐怖映画が苦手なため評判の良さを耳にしながら後回しにしつつ、いたずらに期待感を膨らませ過ぎてしまったことが良くなかったと思う。 やはりこういう映画は、空いた時間にたまたま入った映画館や、眠れない夜にふと見始めた深夜放送で観た時に、最良の映画体験となるものだと思う。 思うに、この映画は主人公らの“お年頃”同様に、ティーン・エイジャー向けの、いやティーン・エイジャーのためのホラー映画なのではないか。 確実に意識的にだろうが、この映画のストーリー上に「大人」が直接的に絡むことが殆ど皆無であることからも、それは明らかだ。 この映画で描き出される「恐怖」の根幹にあるものは、「性」即ち「セックス」との距離感と、意味合いが、より強い年頃の若者たちの中に渦巻く不安定さや曖昧さに直結するものなのだと思う。 セックスという行為に触れることで露わになる自分自身の“生物感”と“不確定要素”。 それは人間としての経験が浅く、故にその行為そのものに対して憧れや畏怖、不安などといった様々な感情が渦巻く若者だからこそ鋭敏に感じ取れてしまう「恐れ」なのではないか。 このホラー映画における「それ」とは、まさにその得体の知れない曖昧な「恐れ」のことだったのではないだろうか。と、思う。 だからこそ、とうの昔に大人になり(別にセックスに精通しているとは言わなけれど)、少なからず何かしらの経験を重ねて、子どもまで生まれてしまった自分には、この映画で表現される恐怖の正体について理解めいたことはできるものの、実体感を感じることが出来なかったのだと思う。 したがって、「それ」という表現から滲み出る曖昧さ自体に対して靄々した感情が拭えず、物語上の整合性の欠如や、論理性の脆さが、雑音として響いてしまった。 しかし、この映画が新しい視点とアイデアを礎にしつつ、或る世代における普遍的な「畏怖」を具現化したチャレンジングなホラー映画であることは間違いない。“或る視点”の映画として、長く評価される作品だとも思う。[インターネット(字幕)] 6点(2018-10-08 00:03:34)《改行有》

1565.  エスター 《ネタバレ》 長年に渡って各方面からの好評は当然耳に入っていたものの、ホラー映画が大の苦手なので、常に“鑑賞予定リスト”に入りっぱなしだった今作をようやく鑑賞。 当然ながら序盤からビクビクしっぱなしで、恐怖感と不穏感をこれでもかと煽る演出と、卓越した画作りは際立っていたと思う。 基本的なプロットとしては、ホラー映画の傑作「オーメン」を彷彿とさせる。ただ、描き出される物語の本質は、現代社会と、或る夫婦間における普遍的な「鬱積」を炙り出しており、主人公と同様に二人の子を育てる同世代の者としては、殊更に映画世界が醸し出す居心地の悪さと不気味さを感じずにはいられなかった。 決して著名な監督が手がけていたり、有名な俳優が出ているわけでもない極めてミニマムなバジェットのホラー映画でありながら、評判通りに独自性に溢れた恐怖感を生み出す映画ではあったと思う。 しかし、ある意味致し方ないことではあるのかもしれないが、“ネタバレ”以降のクライマックスにおける恐怖感は、それまでに比べて著しく急降下してしまっていることは否めない。 “エスターは実は○○でした!”という真相は確かに衝撃的だけれど、それを突きつけられた途端、得体の知れない不穏な恐怖感は一気に霧散した。 その真相は、ある意味では確かに恐ろしいけれど、裏を返せば、ただただ“イタい”浅はかな狂った女の凶行にしか見えず、一旦そういう見え方をしてしまうと、この映画が行きつく顛末も容易に想像できてしまう。 作風に同じ匂いを感じた「オーメン」は、“オーメン”の天性的な悪魔性と表現した演出同時に、彼を「悪魔」の権化として捉えてしまう要因が、主人公夫婦をはじめとする周囲の人間の精神的な脆さにも起因するのではないかという疑念を絡ませたストーリー展開が極めて巧かった。 今作に隠された「真相」の部分が決して悪いとは思わないが、そういうことなのであれば、もっとエスターの言動は天才的に狡猾なものとして描き出されるべきだったのではないか。 すべての言動があまりにも子ども臭く、そもそも狂人であったとしても、もう少し上手く世渡りしろよと、いらぬ感情を抱いてしまう。 “ネタバレ”された瞬間に、そういった点での符号が成されなかったことが、ホラーとしても、サスペンスとしても、非常に残念だったと思う。 まあ、同じ人の親として口幅ったく言わせてもらうならば、実子たちの瞳に滲み出ている明確な「恐怖」を感じ取れていない時点で、主人公夫婦は「親失格」だったと断言せざるを得ない。 そういう意味では、不気味すぎるエスター役の子よりも、勇敢なマックス役の子の女優としての表現力の確かさの方が凄いと思える。[インターネット(字幕)] 6点(2018-09-24 01:02:33)(良:1票) 《改行有》

1566.  ゲット スマート よくあるタイプのスパイ映画パロディのコメディ映画だろうなと思いつつも、方々から意外な程の好評も耳にする作品だったので、期待を膨らませてようやく鑑賞した。が、正直な感想としては、“よくあるタイプのスパイ映画パロディのコメディ映画”だった。 公開から10年間に渡って、無意味に期待感を膨らませ過ぎてしまったのかもしれない。 そもそも映画という娯楽においてほとんどのジャンルは、良作であればあるほど、国や文化の違いを超えて受け入れられるものだが、「コメディ」というジャンルだけは、時に良作であればあるほど、文化の違いによりウケ方が全く異なることは多々ある。 繰り広げられるコメディ描写に対して、愉快ではあったけれど、心から笑いきることができなかったことは、この映画の敗因ではなく、僕自身の敗因だろう。 映画の中で殆ど笑顔を見せない演技で観客を笑わせるスティーヴ・カレルは優れたコメディ俳優だと思うし、もはやスキンヘッドの印象しかないドウェイン・ジョンソンの“髪型”にも笑ってしまった。 そして、個人的には、この映画のアン・ハサウェイだけはずっと見ていたい。[インターネット(字幕)] 6点(2018-09-17 01:15:57)《改行有》

1567.  怪盗グルーの月泥棒 何だか知らぬ間に、ミッキーマウスやハローキティ並の大人気キャラクターになっちゃってる“ミニオンズ”。今更感は強いが、ミニオンズが初登場する今作を子どもたちと鑑賞。 なるほど、ミニオンズの造形や動きはユニークで、ポップアイコンとしての魅力は抜群だ。子どもや女性に人気があるのはよく分かる。 「その他」と言っちゃあなんだが、主人公グルーのビジュアルやキャラクター性も、アニメらしく過剰な娯楽性も含めて良いと思う。 少なくとも、共に鑑賞していた6歳と3歳の子どもたちは画面に釘付けだったので、アニメ映画として及第点だろう。 ただ、ピクサー映画やディズニー映画のように、老若男女が楽しめる映画かというと、その点は少々疑問だ。 キャラクターの造形が魅力的な反面、キャラクター性に説得力がない。 特に主人公グルーは、端々の描写から察するに、もっと心の奥底に「孤独」を抱えたキャラクターであるべきだったと思うが、今ひとつ真に迫ったものが伝わってこない。 彼がなぜ「月」に執着したのか?「母親」との関係性に鬱積があるのか?そういう主人公造形の核になるべき部分の描き込みが極めて軽薄で中途半端なので、あって然るべきののドラマ性が生まれていないと思う。 とはいえ、前述の通り“子供向け”だということを割り切れば問題はなかろうし、本来アニメとはそういうものだろう。 そして、“ミニオンズ”という人気キャラクターを生み出したことによる商業的成功も、賞賛すべきことなのだろう。[CS・衛星(吹替)] 6点(2018-05-05 20:21:58)(良:1票) 《改行有》

1568.  キングスマン: ゴールデン・サークル 相変わらず容赦ない“悪趣味”と“死亡フラグ”の連発。大ヒットした前作は、個人的にその悪ノリぶりに若干ついていけなかったけれど、今回は「免疫」があった分楽しめたとは思う。 特に序盤から惜しみなく繰り広げられるギミックのエンターテイメント力が素晴らしい。往年の「007」のテイストも存分に引き継いだクラシカルかつハイテクて漫画的なギミックの数々が、文句なしに楽しい。 だがしかし、これでもかと終始盛りだくさんのギミックアクションには大満足な反面、ストーリーテリングは前作同様に雑で稚拙だった。もちろんその独特なチープさは、マシュー・ボーンの趣向通りなのだろうけれど、このクセの強さは合わない人間にとっては雑味として残り続けてしまし、楽しみ切ることができなかったことは否めない。 最凶最悪な大悪女ぶりを披露したジュリアン・ムーアをはじめ、錚々たるアカデミー俳優たちの揃い踏みは、当然ながら豪華で、それだけで娯楽性は高い。 ただやはり、それぞれのキャラクターの描き出し方についても“ハズし”のクセが一々強くて、居心地が悪い。 まあともあれ、ランスロットちゃんの死亡がフェイクであることを願いつつ、続編にも期待はする。[映画館(字幕)] 6点(2018-01-20 22:22:09)《改行有》

1569.  女囚701号 さそり 「梶芽衣子全曲集」というアルバムを持っている。 クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」公開当時に、劇中とエンディングで使用された「修羅の花」と「怨み節」に聞き惚れて即刻入手したものだ。 「修羅の花」が主題歌の梶芽衣子主演映画「修羅雪姫(1973)」は、「キル・ビル」公開直後に観ていたのだけれど、「怨み節」が主題歌の今作は今まで観られていなかった。 “オリジナル”映画での「怨み節」をようやく聴けて、そのことが先ず感慨深い。 「修羅雪姫」を観た時の衝撃も物凄いものだったが、ほとばしる女の情念そのものにおいては、今作もまたとんでもない。 殆ど主演女優「梶芽衣子」の眼力だけで押し通す見紛うことなきトンデモ映画ぶりに呆然とするしかない。 徹頭徹尾ためらいも遠慮もなければモラルも何もあったもんじゃない。コレが人気映画としてシリーズ化されるわけだから、当時の“ニッポン”はどうかしている。 改めて、クエンティン・タランティーノが惚れ込むわけだと思い知った。 あらゆる意味で、このカルト映画の「再現」は不可能だろう。 その理由は、現代社会のモラルや常識が今作のあらゆる表現を許容しないこともあるが、それよりも何よりも、この時代の「梶芽衣子」という存在が唯一無二だからということに他ならない。[インターネット(邦画)] 6点(2018-01-06 01:20:08)《改行有》

1570.  トリプルX 再起動 2002年(15年前!)の第一作目は、低迷していたアクションスター型アクション映画に一石を投じる文字通りの快作だった。 その成功の要因は、やはり主演のヴィン・ディーゼルという俳優の特異性にあったと思う。 「ワイルド・スピード」シリーズが世界的大ヒットコンテンツとなった今となっては、もはや彼の特異性には「愛着」しかないけれど、当時はまさに売り出し中、モロに悪役面で豪腕を振り回すヴィン・ディーゼルのアンチ・ヒーローぶりは、新鮮で、エキサイティングだった。 そのヴィン・ディーゼルが降板し、代わりにアイス・キューブが主演を務めたシリーズ第二作目は未見だが、最大の見どころであった主演俳優が交代してしまっては、その苦戦ぶりは想像に難くない。 そしてその第二作からも12年の月日が過ぎ去った上でのまさかのシリーズ最新作には、当然ながら“今更感”は拭い去れない。 けれど、もはやアクションスターとしての絶対的な地位を確立したヴィン・ディーゼルが、「xXx」として復帰している以上、相応の娯楽性自体が復活していることは言うまでもない。 そして何と言ってもこの「再起動」は、競演陣が豪華だ。 サミュエル・L・ジャクソンが相変わらずのノリの良さで唯一シリーズ皆勤賞の指揮官役を喜々として怪演する。その傍らにはネイマール! アジアからは、絶好調ドニー・イェンとトニー・ジャーが参戦し、圧倒的な説得力を備えた体技の数々で、娯楽性に華を添えてくれる。 それに、コケた前作の屈辱を呑み込んだ上で再登場したアイス・キューブは、なんていいヤツなんだ!と思わずを得ない。 ストーリーテリングの目論見自体は、「ワイルド・スピード」シリーズの成功の二番煎じ狙いであることは明らかだし、サミュエル・L・ジャクソン演じる指揮官ギボンズのキャラクター性にも、“ニック・フューリー”の焼き直し感は否めない。 決して志の高い映画ではないことは間違いないが、そんなこと誰も求めていないこともまた然り。 そういう意味で、この映画を観ようとするファンが「観たいもの」をしっかりと観せてくれる作品だと思う。[インターネット(字幕)] 6点(2017-12-24 01:22:47)《改行有》

1571.  ブレードランナー ブラックアウト2022 「ブレードランナー2049」の公開に先立ててWeb公開された短編3作品の内の一作。 リドリー・スコットの息子ルーク・スコットが監督した他2本は、あくまでも本編に入り切らなかったシーンの補足といったところだったが、このアニメーション短編のクオリティと立ち位置は全く別物。 15分の短い尺の中で、日本人のアニメクリエイターが渾身の「ブレードランナー」を表現している。 本編でも重要なキーワードとして度々登場した「大停電」を描いた今作は、充分に一本の長編になり得るプロットとキャラクター設定を備えている。 この短編をパイロット版とした、長編アニメーション映画の製作を期待。[インターネット(字幕)] 6点(2017-11-14 15:49:59)《改行有》

1572.  22年目の告白 -私が殺人犯です- オリジナルの韓国映画「殺人の告白」は3年前に鑑賞済み。 入江悠監督によるこの日本版リメイクは、オリジナル作品の悪しき部分を是正して、日本でリメイクすることの意義を加味することは出来ている。 ただし、同時にオリジナルと比較しての圧倒的な“物足りなさ”も感じさせ、確実なブラッシュアップを果たしているからこそ、日本映画としての「限界」を感じさせる何とも皮肉な仕上がりになっていると思う。 オリジナル作品の最大のマイナス要因は、ストーリーテリングのテイストと乖離した演出過剰なアクションシーンの羅列だった。 観客をアッと言わせ得るサスペンス性に溢れた物語構造こそが醍醐味の作品であるにも関わらず、ただただ「蛇足」と言わざるを得ない荒唐無稽なアクションの連続が、著しく興ざめだった。 その点、このリメイク作においては、無意味なアクションシーンは極力廃して、ストーリーのサスペンス構築に注力することが出来ている。 更には、日本社会における「凶悪殺人事件」と「時効」の因果関係を時代性に合わせてストーリーに反映させ、この20年余りの間に国内で起こった数々のリアルな「事件」の要素も巧みに絡ませつつ、今この国でこの題材のサスペンス映画を作ることの「意義」をプラスすることも出来ていると思う。 そういう意味では、この日本版リメイクは一定の「成功」を果たしていると言えるだろう。 少なくとも、単なる韓国映画の焼き直しではない仕上がりに対してリメイクの「意義」を感じることが出来る。 元々、オリジナルの韓国映画自体が完成度の高い作品とは言い難いものだったので、この日本版の「勝利!」と断言したいところなのだが、実際はそう言い切れない悩ましさが残る。 冒頭にも記した通り、何だか映画として圧倒的に「物足りない」のだ。 映画作品としての完成度は、日本版の方が優れていると思う。 しかし、「殺人の告白」と「22年目の告白」、結局どちらの作品が映画として「面白かったか?」と問われれば、僕は悩んだ挙句に韓国映画の方を推すだろう。 では、何が違うのか? 端的に言ってしまえば、演者たちの「実在感」とそれに伴うインパクトの優劣だと思う。 オリジナル作品の韓国人俳優たちの存在感が「リアル」だったというわけではない。ただ、荒唐無稽なストーリーをまかり通す説得力が、核となるメインキャラクターのそれぞれに備わっていた。 一方で、日本版の俳優たちは、それぞれが熱のこもった“いい演技”をしていたとは思うけれど、総じて「非現実的」に見えてしまい、それが映画世界全体の薄さに繋がってしまっているように思う。 俳優力の差とは言いたくはないが、どの韓国映画を観ても、韓国人俳優たちの「実在感」は、主役級から脇役、端役に至るまで総じて高く、それだけで強烈なインパクトを観客に与えてくれる。 その要因は、「演技」における技術的なことばかりではないのかもしれないけれど、日本人俳優たちは今一度「役づくり」の部分から「演技」の在り方を見直していくべきなのではなかろうかと思えてならない。[インターネット(邦画)] 6点(2017-11-12 23:43:51)《改行有》

1573.  猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー) 《ネタバレ》 「面白い映画だっとは思う」 とは、6年前のリブート第一作「創世記(ジェネシス)」を鑑賞した際の第一声だった。 このリブート第三作を観終えて、まったく同じ感想を抱いた。 リブートシリーズ通じて、三作とも極めてクオリティの高い作品揃いだったことは否定しない。 だがしかし、“オリジナル5部作”のファンとしては、このリブートの映画世界に「SF」としての魅力を殆ど感じることが出来なかった。結局その部分が、最後まで個人的に肌に合わなかった要因だった。 もはや個人的な趣向の問題に過ぎないけれど、「猿の惑星」という映画世界に求めることは、「科学的空想(SF)」の妙だ。 詰まるところ、“シーザー”という特別な存在の「英雄譚」に終始したシリーズのコンセプトそのものが、根本的な部分でカタルシスに繋がらなかった。 このリブートシリーズを絶賛する映画ファンの多くは、“シーザー”という稀代の英雄のヒーロー性を賞賛する。 でも、個人的にはその部分においても疑問符を拭えない。 今作で、シーザーはエイプたちを導き、人間たちにその存在を認めさせ、打ち勝ち、ついに安住の地を得た。 確かに「英雄」であろう。しかしそれは、あくまでも“一部分のエイプたちにとって”である。 結局彼は、人類自身の過ちによる進化と滅亡の大渦の中で、ただただ必死に生き抜いただけのように見えてしまう。 この映画の顛末を観る限り、おそらくは、シーザーというリーダーが居なくとも、人類は勝手に退廃し、それに取って代わったエイプたちは繁栄を果たしたであろう。 この映画の主題が、“シーザー”という人類とエイプの狭間に存在した「英雄」の中で生じ渦巻いた憎しみと悲しみの葛藤であり、それが即ち我々人類に対する戒めであることは理解できるし、充分に伝えきっているとは思う。 しかしその結果として、彼が成し遂げた「功績」が、愚かな人類の自滅を横目で見て、命からがら安住の地を得たということだけでは映画的カタルシスを覚えることが出来なかった。 今作でついに旧シリーズへのブリッジを果たしたと言うけれど、オリジナル第一作でチャールトン・ヘストンが不時着するのであろう湖を映し出して終いということでは、リブート作としてはちょっと芸がないし、あまりにSF的機知に富んでいない。 “シーザーの物語”が、今作で完結したことは明らかだけれど、噂では「第四作」の企画も進んでいるとかいないとか。 ついに誕生した“猿の惑星”が、この後どういう道程を辿って成り立っていくのか。 旧シリーズが、「5部作」を通じたSF映画シリーズとして、トータル的な価値を爆発的に高めたように、この先の顛末をどう描き出すかによって、この「英雄譚」の価値も変わってくるように思う。 ラストシーンは、“コーネリアス”と“ノヴァ”が手を取り新しい時代への一歩を踏み出しているようにも見える。 「猿の惑星:新世界(ニューワールド)」(予想)への布石は着実に打てている。[映画館(字幕)] 6点(2017-11-01 23:34:39)(良:1票) 《改行有》

1574.  華麗なる晩餐 とどまることのない人間の欲望のおぞましさと滑稽さ。 どこまで落ちても着地を許さない。 その実態が怖い。 「next floor !」と、あくまでも淡々と料理を提供し続ける給仕の、無表情に見えて絶妙な冷笑を携え続ける視線が印象的。 12分の短い映像世界の中で、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作家性が強烈に焼き付いている。[インターネット(字幕)] 6点(2017-10-15 21:09:38)《改行有》

1575.  複製された男 “いかにも”な邦題を踏まえて、「フィリップ・K・ディックもどきのクローンものなのだろう」と認識し、サクッと観てさっさと寝るつもりだったのだが……。 何なんだ、これは?何を見せられたのか? 時折挟み込まれる不可解なカットに困惑を残しつつ、それら困惑の極みとも言える“ラストカット”を目の当たりにして、思考が停止した。 まったくもって変な映画だった。完成度の是非は別にして、そのことは間違いない。 邦題による“ミスリード”がどういった意図によるものかは分からないが、前述の通り“クローン”を描いたSFとしてこの映画を観た者は、大いに面食らう。 この映画は、“クローンもの”でもなければ、“SF”でもなく、或る強迫観念めいたものを主題にした“精神”にまつわる映画である。 詰まるところ、“複製された男”の正体は、クローンではなく、“ドッペルゲンガー”であった。 主人公の男は、ふいに現れたドッペルゲンガーと対峙し、それが現れた理由と意味を盲信的に追い求めていく。 それは詰まり、自らが「自分」という人間の本性、深層心理を丸裸にするプロセスであり、深みにのめり込んでいくほどに、彼の精神は疲弊し、或る臨界点を迎えたのだと思う。 非常に奇妙な映画ではあったけれど、「ドッペルゲンガー=自己像幻視」を描いた作品であることを踏まえて省みてみると、諸々の不可解描写も途端に理解しやすいものではあった。 「蜘蛛」も「ブルーベリー」も「女性」も、この主人公が抱えた強迫観念の象徴であり、映画世界の中で映し出されるすべてのものが、彼の精神世界そのものであったと捉えれば、腑に落ちやすい。 そう考えると、極めてシンプルな話とも思え、映画としてももう少しコンパクトにまとめた方が良かったのかもしれない。短編映画として、不可解を不可解なままに一方的に投げ出した方が、観客の想像力を更に刺激し、カルト的な傑作となったようにも思える。[インターネット(字幕)] 6点(2017-10-08 23:10:25)《改行有》

1576.  三度目の殺人 硝子を挟んで二つの「顔」が重なる。 利己的な弁護士と虚無的な殺人犯。両者の発言と深層心理は時に絶妙に重なり合い、発される言葉が一体誰のものなのか一寸分からなくなる。 主人公は、或る殺人犯の靄がかった深層に、自分自身の本性を見つけるのだ。 ラストカット、彼は一人十字路に立ちたたずむ。果たして、どの路を進むべきなのか。答えの見えない葛藤に途方に暮れるかのように。 映画が終幕し、主人公と同様に映画館のシートでしばし呆然とたたずんだ。 秋の夜長、味わいがいがある余韻を残すサスペンス映画であることは間違いないと思う。 「三度目の殺人」というタイトルからも伝わってくる通り、往年の国産サスペンス映画を彷彿とさせるクラッシックな佇まいは、非常に上質だった。 と、今の日本映画界におけるトップランナーであることは間違いない監督の最新作を大いにべた褒めしたいところではあるのだけれど、あと少しのところで諸手を挙げて賞賛することが出来ない悩ましさがこの作品には確実に存在する。 先ずはストーリーの練り込み不足。最終的に示される深いテーマ性に対して、ストーリーの奥行きに物足りなさを感じずにはいられなかった。 意味深長でシンボリックな描写は随所に散りばめられ、その一つ一つの場面は極めて映画的で、非常に印象的ではあるけれど、同時にそのすべてに説得力が乏しい。 なぜ殺人犯は十字を切ったのか?少女の父親の愚劣な行動の実態は? と、物語の核心となる重要なポイントの描き出され方が、あくまでも象徴的で類型的な処理をされるため、ストーリーテリングとしても、人間描写としても、掘り下げが浅いと感じざるを得なかった。 それに伴い、各俳優陣の“良い演技”も何だか“型どおり”に見えてくる。 殺人犯を演じた役所広司は凄まじい演技をしているとは思う。言葉では表現しきれない空虚さと漆黒の闇を抱えた殺人者を、圧倒的な存在感で演じている。時に少々オーバーアクトにも見えなくもないが、この役柄のある種のメフィスト的立ち位置を踏まえると、正しい演技プランだったと思う。 しかしながら、肝心の人物描写が浅く中途半端なので、やはり最終的な印象として説得力に欠け、実在感が希薄だった。 広瀬すず&斉藤由貴の母娘像も、両者の好演により絶妙に忌まわしい関係性を醸し出せてはいるのだけれど、実際に彼女たちが抱えたであろう「痛み」の描写が皆無であるため、「そういう設定」の枠を出ず描かれ方が極めて軽薄だったと思う。 広瀬すずに関して言えば、昨年の「怒り」での“或るシーン”があまりに強烈だったため、殊更に今作での彼女の使い方に「弱さ」を感じたのだと思う。 そして、このサスペンス映画が、一級品になれなかった最大の理由は、「主演俳優」だと思う。 主演である福山雅治の演技者としての奥行きが、そのままこの映画自体の奥行きの無さに直結している。 決して、福山雅治が悪い俳優だと言っているわけではない。演者として、表現者として彼のことが嫌いなわけではない。むしろファンだ。 ただ、この映画においては、福山雅治という俳優の良い部分でも悪い部分でもある「軽さ」が、肝心な部分で引っかかってしまっている。 同じく是枝裕和監督が福山雅治を主人公に抜擢した「そして父になる」は素晴らしかった。 あの映画においては、主演俳優の軽薄さが最良の形で活かされる主人公造形が出来ていたからこそ、新しくも普遍的な父像を浮かび上がらせ、難しいテーマを孕みつつも、新たな家族映画の傑作として成立したのだと思う。 「そして父になる」と同様に、今作の主人公造形においても、おそらくは主演が福山雅治に決まった上での“当て書き”だったのだろう。 だからこそ、当然ながら主人公キャラクターの設定自体はマッチしているし、映画の構成的にもビジュアル的にも商業的にもバランスはよく纏まっているように見える。 だがしかし、突如として目の前に現れたメフィストフェレスと対峙して、自分自身の存在性と、「正義」というものの意味を突き付けられるというあまりにも深淵な人物表現を必要とされる役どころを演じ切る力量と適正を求めるには、彼には荷が重すぎた。 少なくとも、この映画においては、クライマックスに入り主人公の感情が揺れ動き、感情的になるほどに、演者としての空回り感が際立っていたことは明らかだ。 くどくどと長くなったが、結論として「面白くない」ということではなく、充分に見応えのあるサスペンス映画であったことは冒頭の通りだ。 傑作を通り越して名作になり得る「雰囲気」を感じる映画だっただけに、口惜しさも大きいという話。[映画館(邦画)] 6点(2017-09-22 23:59:36)(良:2票) 《改行有》

1577.  BLAME! 原作版「風の谷のナウシカ」を崇拝するという共通項を持った古い友人が、人生において最も影響を受けた漫画として教えてくれたのが、今作の原作である弐瓶勉の「BLAME!」だった。 そこまで言うならば是非読んでみようと思っていた矢先、この映画化作品がNetflixオリジナル作品として配信されていることを知り、原作未読のまま鑑賞に至った。 成る程、友人が好むのはよく分かる。物語の世界観は、超ハードSFアクション版「風の谷のナウシカ」という風合いだった。 人間社会崩壊後の黄昏の時代を舞台にし、少女戦士の活躍、救世主の登場と、類似点は多い。 映画版「風の谷のナウシカ」と同様に、濃密な原作が持つ一部分を映画化したようで、原作者が生み出した物語の世界観が実は孕んでいるのであろう深い全容は掴みきれないが、精密なアニメーションによるハードSFの雰囲気は堪能できたと言える。 この映画作品の構造自体が、壮大な物語の“番外編”的なニュアンスで語られていることからも明らかだが、今作のみでストーリーの委細を理解しようとすることは無意味だし、製作者側もそういう意図では作っていない。 文字通り「多層的」に孕んでいる膨大な情報量から漏れ伝わる物語の雰囲気を堪能しつつ、濃ゆい原作漫画に触れてみるのが得策なのだろう。[インターネット(邦画)] 6点(2017-09-16 20:05:34)(良:1票) 《改行有》

1578.  黒の奔流 鑑賞後に原作が松本清張であることを知った。 「清張っぽくないな」などというと、いかにも文学通のようだが、恥ずかしながら実際に松本清張の小説を読んだことは一度もない。 映画やドラマの映像化作品の印象に過ぎないが、松本清張の原作にしては、物語としての独特の“重さ”のようなものは感じなかった。 ただし、それが即ち映画として面白くなかったというわけではなく、いたずらに重々しくない軽薄さみたいなものが映画全体を包み込んでいて、それが伝える“危うさ”こそがこの映画の味わいだと思えた。 愛憎渦巻く法廷劇として展開するのかと思いきや、もっとダイレクトで明確な「愛憎劇」へと展開していくストーリーテリングに面食らう。 しかしそこには、主演の山崎努と岡田茉莉子の艶めかしい男と女の「艶」がほとばしる。 ストーリーラインとしてはとても混濁していて、上手ではない。“決め画”を多用し、ある種強引に各シーンを締める。でも、それをまかり通す演者たちの力技が凄い。 やはり、この時代の日本映画の俳優たちは半端ない。 夏休み、家族と訪れた旅先の宿にて、妻子が寝静まった後、安いワインを飲みながら一人Netflixで鑑賞。 45年前の古い映画を、どこに居たって思いつきで観られる時代だ。 旅先の高揚感も手伝って、映画自体の善し悪しは別にして酒が進んだ。[インターネット(邦画)] 6点(2017-08-13 00:19:51)《改行有》

1579.  美しい湖の底 或る強盗事件の発生前後の4日間が、一日ずつ章立てされた時間逆行型のストーリーテリングで描かれる。 今更、時間逆行型サスペンスなんて珍しくもなく、Netflixオリジナルの劇場未公開映画ということもあり、あまり期待せずに観始めたが、なかなかどうして、充分に一定の見応えを備えた作品であった。 語り口とルックだけ捉えれば非常に洗練されていて、犯罪映画としてコーエン兄弟監督作のような佇まいも感じる。 監督はコメディ畑の作り手らしく、一見陰鬱な映画世界の空気感の中に絶妙な塩梅で挟み込まれるコメディセンスが、映画のテイストに対してとてもフレッシュで、光っていたと思う。
 あまり有名な俳優は出演していないが、キーパーソンである主人公の兄を演じるレイン・ウィルソンは、アンチヒーロー映画の傑作「スーパー!」の記憶が新しい。今作においても、ブラックなユーモアと狂気性に満ち溢れたキャラクターを見事に演じている。 期待が低かった分、鑑賞中は概ね満足はしたのだが、観終わってみるとストーリーの描き込みの弱さは目立つ。 予算の都合も多分にあるのだろうけれど、絡み合う人物たちにとって重要な「過去」の描写が全く映し出されないため、今ひとつ人間関係が掴みづらいままクライマックスを迎えてしまう。 ラストのワンカットでも、“湖での出来事”の真相なり、キャラクターたちの若かりし頃の描写なりを見せていたならば、もっと味わい深く、エモーショナルなサスペンス映画に仕上がっていたかもしれない。 まあ取り敢えず、Netflixオリジナル作品は今後もしっかりと追っていかねばならないとは思う。[インターネット(字幕)] 6点(2017-07-09 22:45:49)(良:1票) 《改行有》

1580.  アドレナリン:ハイ・ボルテージ 相変わらず「馬鹿」過ぎるテンションに面食らう。ギリギリ良い意味で。 前作の衝撃的なラストカットから間髪をいれず始まるこの続編、正直色んな意味でイカれている。 あまりにも劣悪な状況下での心臓移植手術シーンから始まり、すべての設定、展開が、“悪ふざけ”のオンパレード。エログロ展開は完全に前作以上。 もしも、前作を踏まえずに今作を観たならば、いきなりの暴走ぶりに対してひそめた眉が戻らないだろう。 前作は謎の“中国毒”によって常にアドレナリンを出しっぱなしにしておかなければ心臓が停止するという、文字通りの暴走馬鹿映画だったが、今作は謎の中国フィクサーによって無理矢理心臓を抜き取られ、“充電式”の人工心臓を強引に埋め込まれ、常に感電し続けなければ死んでしまうという前作に輪をかけた超暴走馬鹿映画。 この映画に携わるすべての人間が“悪ふざけ”を楽しんでいるが、誰よりもそれに興じているのは、他でもない主演のジェイソン・ステイサムだろう。 アクションスターとしては現役トップスターであろうこの英国人俳優が愛されるのは、どんな映画においても「全力」で挑むからだろう。寡黙で屈強な殺し屋を演じることにも、一転して馬鹿すぎるジャンキー野郎を演じることにも、一切躊躇がない。 彼がテンションを上げっぱなしのイカレ野郎をてらいなく演じているからこそ、この馬鹿映画は成立しているのだと思える。 二作目にしてもはやお約束の「公開○○○シーン」も健在。しまいには既にクセになっちゃってるヒロイン役のエイミー・スマートちゃんが、馬のアレを見て興奮するシマツ。 「馬鹿な映画だなー」と何度呟いたか分からないが、同時にニヤニヤが止まらないことも事実。 前作も“どーかしてる”テンションの映画だったが、それを越えて完全に頭がイカれている領域。ここまでされては、ただ笑うしかない。[インターネット(字幕)] 6点(2017-04-09 01:28:31)《改行有》

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