みんなのシネマレビュー |
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161. フェイシズ(1968) カサヴェテスが俳優業で稼いだ金を全部注ぎ込み自宅で作り上げたこの作品は、まちがいなくハリウッド受けしない作品である。カサヴェテスなら当然と言えば当然なのかもしれない。 まず劇中劇として始まる斬新なオープニングに引きつけられ、初老の主人公を含めた男二人と女一人の一見楽しい、しかしどこか空虚なパーティのシーンが生々しく飛び込んでくる。家に帰れば妻の顔のアップが乾いた夫婦関係を物語る。口論がおこるが、このままなんの問題もなく夫婦関係を続けてゆくことも十分可能だし、お互いが何がしかの不満を抱えながらも続けてゆくことはいたって普通のことであるし今までそうやって続けてきたことも映像から伝わる。しかしこの二人の関係は崩壊へとなだれこむ。登場人物たちの顔のアップはそれぞれのバックボーンを語り、場面ごとに変貌する心情を映す。表情だけで心の揺れや他愛も無い企みを丁寧に描いてゆく。ラストは言葉の無い画で終わる。そして私も何も言わずにただそのエンディングを見つめるのみ。えらいもんを見せられた。8点(2005-03-15 12:22:14)(良:1票) 162. 10ミニッツ・オールダー イデアの森 「人生のメビウス」よりも“時間”をより深く突き詰めたような作品群。観る前に一番興味をひいたのがベルトルッチ。壮大で長尺というイメージを持っているのでどんな短編になるかワクワク。 ■「水の寓話」一番解かりやすく“時の流れ”を魅せてくれます。作品は10分ですが撮影時間は長かったろうなぁと思いました。時の流れを現す細かな描写に手抜きがありません。 ■「時代×4」それぞれをワンカットで撮った4分割の映像は正直見ていて疲れました。一人の男が少年期、青年期、中年(?)期の自分とともに同じ家の中を移動していくのを4つのカメラが追います。面白い試みだとは思うんだけど一度に4つの画面は見れません。 ■「老優の一瞬」一人の老優のアルバムを見て時を長く刻むことの意味深さを感じました。 ■「10分後」これもほとんどワンカット。“ほとんど”というのは最後ちょこっと編集されてるから。10秒くらいオーバーしたんだろうか?おしい!でも見応えのある長回しです。 ■「ジャン=リュック・ナンシーとの会話」列車の中での時間の過ごし方。会話が無くても快適な時をすごすこともある。 ■「啓示されし者」なんで蚊なの?(笑) ■「星に魅せられて」時間の残酷な一面を見せる。 ■「時間の闇の中で」・・・凄い!!10分の中に「○○の最後の瞬間」と題した10の超短編。自分の作品も含めた様々な映像を引用しながら美しいピアノの音色にのせてそれぞれの“時間の終わり”を見せる。10コ目の“最後”は当然「映画」。スクリーンが映像を拒んでいる。 総評、平均点では付けません。最後にアレを見せられたんじゃね。8点(2005-03-09 13:33:21)《改行有》 163. オール・アバウト・マイ・マザー 《ネタバレ》 息子の事故のシーンはまるまま、カサヴェテスの『オープニング・ナイト』。テレビに映し出されるのは『イヴの総て』。どちらも女優を演じた女の話。そして今作品の主人公も冒頭では臓器移植コーディネーターとして息子を亡くした母の役を演じ、中盤では代役として舞台に上がり、最後には託された赤子の母親役として生きてゆく。テーマは女=女優。上記の二つの作品の女優の名前がラストに流れる。ジーナ・ローランズとベティ・デイビス。そしてもうひとり、息子を事故で亡くしたロミー・シュナイダー。もうひとつのテーマは女=母。 この作品は、息子の死、女になった元夫、エイズ、ドラッグ、痴呆症、妊娠出産というおよそあり得ないほどのドラマをしょい込ませ、それでも強く生きてゆく女を「女優」と「母」に関連づけて描いていきます。女がなぜ強いのか、それは女優であり母であるから。男は女になっても子供を産めないのである。すべての女性は女優であり母であると謳いあげている。 同じく女優と母を描いた『ハイヒール』、他人がどこかで繋がって自分の人生の中に入ってゆく『ライブ・フレッシュ』。アルモドバルがこれまでに描いてきたものの集大成として『オール・アバウト・マイ・マザー』がある。と思う。8点(2005-03-03 18:07:39)(良:2票) 164. ライブ・フレッシュ 私は後年の『オール・アバウト・マイ・マザー』に匹敵する傑作の臭いを感じました。登場人物たちの人生がドラマチックに絡み合っていく展開の妙!フランコ政権下のクリスマスの夜に始まり、さまざまな偶然が必然へと変わるニ十数年後のクリスマスの夜で幕を閉じるまで、たっぷりと人生模様を堪能しました。これまでのアルモドバル作品ではサスペンスの部分が浮いていたように感じましたが、今作品は人生劇にサスペンスが見事に融合しています。登場人物それぞれの人生の曲がり角に、ある事件が微妙に絡まる。冒頭の出産シーンにリンクさせたエンディングも偶然が必然へと変わる人生劇を象徴していて面白い。8点(2005-03-02 12:21:25) 165. 愛に関する短いフィルム 究極の純愛を描いた作品。最近だとアルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』が同じテーマを同じ角度から扱っています。この二つの作品を観て、「愛」という言葉はこういうことを指すんだろうなと思った。べつにストーカー行為や覗きが「愛」と言ってるわけじゃなく、その行為自体は単に「愛」に付随するものでしかなくてけして「愛」に含まれるものじゃないと思います。同じように相手を知りたいとか肉体関係を持ちたいというのも「愛」に付随するものでしかない。愛しているからこうするとか、こうしてほしいとかというのは嘘で「愛している」というのは「愛している」でしかない。(あー、何言ってんだかわからなくなってきた~。)とにかく「愛」が描かれています。そして「愛」は「孤独」と対に描かれることによってその本質を見せてくれます。(使いなれない「愛」という言葉を連発してちょっと恥ずかしい..)8点(2005-02-17 13:58:21) 166. サクリファイス のっけから長~いワンシーンの連続で長~いセリフが続きます。しかしこの長~いセリフの一言一言が後々の伏線となっていきます。この作品もまた「信仰」が、ベースのテーマとなっていると思われます。人間の行ってきた過ちを独白するアレキサンデル。しかし人間であるかぎり過ちは止められない。独白中に幼い息子がアレキサンデルを驚かそうと後ろから飛びつく。とっさに振り払い息子に怪我をさせてしまう。また、母との思い出を告白するところでは、母を喜ばそうとして庭の模様替えをしたが元の美しさを壊してしまったと悔いる。人間が存在するかぎり暴力と自然破壊が続いてゆくことを暗示しており、自分もその憐れな人間の一員であることを認めてゆく。そしてイコン画を美しいと眺める姿も無神論者であるアレキサンデルが奇跡を求めるに変貌してゆく伏線となる。未来のため、そして未来を生きる息子のために自らが犠牲となり奇跡を願う。家を燃やすシーンでは、この作品を作る前に決意したというタルコフスキー監督の亡命を連想し、感慨深かった。8点(2005-02-10 12:38:58)(良:2票) 167. ストーカー(1979) たしかに「信仰」がひとつのテーマとしてベースにあると思われます。現実から超越した世界に我々もストーカー(ゾーンへの案内人)によって作家と教授と共に導かれていきます。極端な長回しによる静寂と独特な色で被われた映像が緊張感を煽ります。じっと静止した何も起こらない画がなぜか何かが起こっているように感じられる。目に見えない超越した力を我々も感じているような錯覚に陥ります。ストーカーは奇跡の存在を信じる布教者と言えます。それは違法行為であり、また皮肉にもストーカーを愛する妻が作家や教授以上に現実的に生活をしています。そんな中で「奇跡」らしきものを我々に提示して映画は終わります。けしてゾーンがいったいなんだったのかや、超越した力をはっきりとした形として見せずに。何も起こらない、しかし何か起こっているのかもしれない、でもそれも錯覚かもしれない。そんなものを映像化したこの映画、一言で感想を言うなら「凄い!」です。8点(2005-02-09 15:02:10) 168. 太陽はひとりぼっち 自身も10年連れ添った妻に突然別れを告げられたという過去を持つアントニオーニの「愛の不毛三部作」の三作目。前作『夜』では愛の喪失の理由が語られるが、この作品では「わからない..」を繰り返す。こちらのほうがより現代的で「愛の不毛」の名に相応しい。 株価暴落で損をした顧客たちが怒る。損をするというリスクは最初からあったのに損をしてはじめて現実を見る。突然やってくるこの現象は冒頭の突然の別れと似ているように感じた。愛したいが愛に意味を求める、あるいは本当に愛したいのかさえ分からない、そんな女が作りだす乾いた関係が建設途中の高層住宅の殺伐とした風景にオーバーラップして描かれる。背景のひとつひとつが心情をあらわしており、どうしようもない不条理感で溢れている。私見ですが、背景になんらかの意味を持たせる作家は数多くいれど、アントニオーニほど徹底している人もアントニオーニほど的確な人もおそらくいない。8点(2005-01-19 12:25:50)(良:1票) 169. 雨月物語 私もぐるぐるさん同様、溝口初体験がこの作品。溝口という名が日本よりもヨーロッパのほうが知名度が高いということ、『雨月物語』がこのうえなく美しいということ、くらいは前々から耳にはしていました。で、いざ鑑賞。はじまってすぐに「え?これのどこが美しいの??」しかし最後まで、いや、途中まで見て納得。私はこの作品で言われるところの「美しい」の意味を取り違えていました。ここでいう「美しい」はモノクロであることを活かした美や目にやさしい美ではなく、構図とカメラワークで見せる美。とくにスローボートさんが絶品とおっしゃるところのシーンと大河内伝次郎ノ介さんが泣けてきたとおっしゃるシーン。あまりの美しさに2度目の鑑賞ではこの二つのシーンを何度も巻き戻して見てしまいました。 「溝口見ぬものは人にあらず」ですか..誰が言ってるんですか?(ニガ笑) でも日本映画の巨匠=クロサワの図式が定着している今日の日本において、そう言われるお気持ちもわかるような気がします。8点(2005-01-05 15:38:08)(良:1票) 170. 野いちご 名声を得た老医師が式典へ向かうまでのロードムービーと自身を振り返り自らを罰する追憶のロードムービー、この二つのロードムービーの絡みぐあいがホントにお見事。同乗する若者たちの屈託無く感情を表に出す姿にそれまでの孤独な生き方に人生の虚無を感じてゆく。そして夢を通して、これまで人との距離を置き大人の対応をしてきたがそこに愛は無くまわりの人たちを傷つけてきた自分を心の深層から引っ張り出す。現実のシーンが無駄無く夢に投影され、夢が現実に影響してゆく。で、その夢のシーンがまた素晴らしい。人生を振り返るきっかけとなる死への不安を意味する冒頭の夢も衝撃的だが、昔住んでいた家に寄り、当時を回想するシーンでその回想されたシーンに現在の自分がいるという斬新な作りにもびっくり。W・アレンよりはるか以前にやってたんですね、凄い!8点(2004-12-24 12:08:48)(良:2票) 171. ざくろの色 抽象的すぎる作風が旧ソ連では許されず、当局による20年以上の迫害、投獄を繰り返し、生涯でわずか4作品(長編)しか残せなかった伝説の巨匠、セルゲイ・パラジャーノフの代表作。投獄された際に、ヴィスコンティ、フェリーニ、トリュフォー、ゴダールといったヨーロッパ中の映画人たちの抗議運動を起こさせたことからもその偉大な映画人ぶりがうかがえる。この作品は8章からなる詩を映像化したものです。大抵の映画は物語を映像で語るもの ( 昨今の娯楽作では映像で語っているとは言い難いものが多々ありますので物語を映像にのせていると言ったほうがいいかも。あとゴダールは映像表現の一手段としてしか物語が存在しないところがあるのでこの人も例外 ) なので詩の映像化というだけでかなり異質な作品ということになると思います。かといってストーリーが無いわけではないですが、この作品にとってはさして重要なものでもありません。詩の世界をいかに映像で表わすかが重要であって、見事にその前衛的思想を具現化し得た作品だと思います。当然ながら物語を映像で語る映画ではないので既存の映画文法から逸脱しているところがあります。よって狭い価値観で見るとこの作品の良さがわかりにくいかもしれません。何が良いのかは私の乏しいボキャブラリーでは説明できません。ひとつ言えることは、他には無い美しさが在るということ。そんなことしか言えない自分が疎ましい。8点(2004-12-22 12:40:57)(良:2票) 172. ファニーとアレクサンデル ベルイマンはこの作品を最後に映画を作らないことを宣言。よってこの作品はベルイマン映画の集大成とも言われます。私が見たのは3時間バージョン。見応えのある一大絵巻でしたが、もともとテレビ放映用に作られたオリジナル版の5時間バージョンはさらに完成度が高いと評されているようです。 高貴漂う装飾品の数々、数え切れないほどのロウソク、足の太い馬車馬、、、細部まで本物に拘った重厚かつ美しく息づく背景をバックに、大家族群像劇を奥行きある映像で見せた前半がとても好きです。中盤からの展開で人それぞれの生活や宗教を対比しながら最後には家族が助け合って生きてゆくことがいかに素晴らしいことかを説いていきます。ベルイマンの分身であるアレクサンデル少年の特別な力は、芸術の世界に生きる人に不可欠な超越した想像力を象徴的に描いたのだと思います。それにしても、家族愛を通して人間賛歌を描くに終わらせず、最後に”アレ”を出すところがベルイマンらしく、他とは一味も二味も違う。(5時間バージョンを見る事があればまた追記したいです。) //追記// 5時間バージョンを見ました。まず2時間も削った3時間バージョンが、5時間バージョンにひけをとらない出来に仕上がっているところにあらためて感服。3時間バージョンでもじゅうぶんに理解できますが、さらにわかりやすくなっています(例えば幽霊話しの真偽)。理解できるなら、より短いほうが優れていると考えますが、ベルイマンの最後の映画を少しでも長く見ていたいという欲求に答えてくれるという意味において、5時間バージョンはやっぱり素晴らしい。そしてなにより5時間が全く長く感じなかった。1点追加します。[DVD(字幕)] 8点(2004-12-17 15:28:00)(良:2票) 173. 花とアリス〈劇場版〉 花とアリス、ふたりの会話が楽しい。説明としての会話が無いどころか、言葉無く表情やしぐさだけで会話をしているところもあり、その様はすごく自然で素直に「ふたりはいつもいっしょで仲がいいなぁ」と思わせてくれる。そしてお互い別の人間と会話するときには微妙に別の顔を見せる。とくにアリスの目上の人と話すときの舌ったらずなしゃべりと硬い表情、父親と話すときの気をつかわないぶっきらぼうな言葉と居心地の良さそうな表情がアリスという人間をうまく表現している。よくよく考えれば同じ人間でも相手によっていろいろな顔をみせるというのは当たり前のことなんですが、その当たり前のことを丁寧に描いているところが好感を持てるし、だからこそ自然に感じるんです。アリスの何かを食べるときのブサイクな顔も面白かった。そして花の泣き顔。コレはやっぱどアップで正解だと思います。素敵な泣き顔です。ラストのバレエも美しかったけどその後の広末の「あっ、パンチラ..」の一言!いや、バレエがホントに美しかったんであって、あの、その、そりゃたしかにソレも...という微妙な男心をチクリと一刺し。ヤラレタ(笑)。それからチータさんのレビューで「あぁ!」と思いました。なるほどモネの絵のようです。私、モネの絵、好きです。だからこの映画も内容云々以前に生理的に好きなのかもしれません。8点(2004-12-13 12:34:03)(良:1票) 174. 炎628 美しい音楽とおぞましい効果音、そして激しい爆撃音が同時に流される。それらの音をバックに終始リアルな戦争の悲劇が描かれる。悲劇という言葉で片付けるにはあまりにすさましく、あまりに恐ろしい事実。悲しんでる余裕すら与えない人間の非情を描く。人間はここまで残酷になれるものなのかと目を背けたくなる。血が飛び交うなどのスプラッター系の直接的な描写はありません。ただ自分と同じ人間が実際に行ったという事実に目を背けたくなるのです。ヒトラーでさえも同じ人間なのだということを表すラストシーンで戦争の本質に迫る。非常に完成度の高い作品です。8点(2004-12-02 10:27:47)(良:1票) 175. ツィゴイネルワイゼン 難解ということでリンチの名前が挙がるんでしょうが、鈴木清順という人はどちらかというとゴダールの系統だと思います。映画文法を意図的に壊してますから。でもその部分だけであとは完全な独自の世界感を持っている。この作品では”あの世”というあいまいなものを彼の独特なセンスでもって描いているので余計に奇怪なものとなってます。驚かされるシーンは挙げればキリがないのですが、ひとつ。青地の現実と妄想(妄想も現実かもしれない)の中、小稲(あるいは園)が着物を脱ぎます。そこでオッパイもあらわにニッコリとポーズをとるカットが一瞬映し出される。ゴダールの踊らないミュージカル『女は女である』のアンナ・カリ-ナを彷彿させますが、こちらはオッパイ付きですからこちらの勝ち、、(冗談ですよ)。もうこのシーンだけでこの映画を愛せます。大正浪漫三部作の中でこの作品だけ未見のままで、本年ようやく観ることが叶った作品なのですが、期待を裏切らない傑作でした。これは今後、何度も観ることになると思います。8点(2004-10-19 15:34:30)(良:1票) 176. 黄金の馬車 舞台の幕が上がりこの映画は始まる。主人公は旅芸人一座の女優。ルノワールの映画に主役はいないと言われるが、この作品の場合はまぎれもなく主役がいる。アンナ・マニャーニの強烈な存在感がそう感じさせているのかもしれない。上流階級の世界に、その世界の枠にはまらない異国の女がひとり入ることで無様な醜態を見せる貴族たち。国民のためと称した欲のために築かれてきたルールの崩壊。まるで『ゲームの規則』を別の視点からとらえた映画だ。女の元を去り軍隊に入り帰ってきた男が、敵は悪い奴等じゃなかったと言う。むしろその思想に同調しそこで暮らすと言う。『ゲームの規則』の「人にはそれぞれ言い分がある」という救いの無いセリフの答えのひとつを提示しているように感じる。劇中劇という手法とマニャーニの最期の独白に「映画」と「役者」に対しオマージュをささげた作品とも感じた。全く存在意義のなかった欲の象徴の「黄金の馬車」が最期には価値を見出すというくだりといい、この映画は非情に多面的な側面を持っている。これもまた傑作。8点(2004-10-08 17:20:40)(良:1票) 177. 大いなる幻影(1937) 戦争そのものを描かずに戦時下での男たちのドラマを描く。戦時においてあたりまえのタテの関係が捕虜収容所内では様々な階級の男たちがヨコで繋がっているというのが面白い。戦争であることを忘れてしまいそうなくらいの和やかで楽しい雰囲気。鱗歌さん同様、私もあの楽しげな演芸会を見ていたかった。しかしドゥオ-モン奪還の報が戦争という現実世界へ引き戻す。収容所所長との敵味方を越えた友情も戦争という現実が悲劇へと導く。「幻影」と「現実」は常に「現実」が勝つ。もしかしたらエルザにまた会いに戻るという誓いも「現実」に負けるかもしれない。それでも「幻影」を見つづけること、「幻影」を追い続けることが人として大切であると言っているように感じる。一人一人が思いつづけることが平和への道。「幻影は大いなるもの」と、とりました。8点(2004-10-05 12:13:48)(良:1票) 178. ジャン・ルノワールのトニ 《ネタバレ》 実際におこった事件を映画にするとき、いかにドラマチックに脚色し演出するかがキーになる。しかしこの時代においてドラマチックに仕上げるのではなくリアルに撤したルノワールはやはり凄い。リアルに仕上げることによってよりドラマチックになる。泣かせようとせずとも泣ける。殺人事件が主ではなく、季節労働者と彼等の暮らす町全体が主として描かれる。殺人事件てのはそのもの自体がリアルと相反するもの。そのリアルと相反するものがリアルな世界に唐突に訪れる。その殺人事件の裏には男と女のドラマがある。そのドラマでも感動をあおらない。女が自首したことを男は知らない。男が死んだことを女は知らない。すごく悲しい。作られた悲しみではなく本気で悲しい。そしてその後はいつもどうり季節労働者はこの町にやってくるし、我々も普段の生活に戻るのです。リアリズム映画の祖であると共にリアリズム映画の傑作です。8点(2004-10-04 12:59:41)(良:1票) 179. 話の話 初めて見た時は、なんじゃこりゃ?でした。点数にしてせいぜい5点がいいところか。ただあまりにも意味不明だったのでもう一度見てみました。ところどころの意味がわかってきました。全てはわかりません。でも少しわかっただけでたまらなく好きになってしまいました。もう一度見ました。今度は考えずに眺めました。どんどん好きになってきました。さらにもう一度見ました。なんなのでしょう、この感じ。映像詩という言葉がぴったり。いろんな時代を見てきたオオカミの子供。牛や猫がでてくる家族団欒の画は理想郷?光は眩しく火は温度を感じ、さまざまなエピソードに季節が宿る。また見たくなってきた。8点(2004-10-01 16:24:37)(良:1票) 180. 霧につつまれたハリネズミ 《ネタバレ》 こぐまに会いに行く途中でハリネズミのヨ-ジックが霧に包まれて右往左往。ここで私はヨージックを応援するのではなく完全にヨージックになります。霧に包まれた世界は不安でいっぱい。枯葉の下からかたつむりのオバケが~!実際は小さいかたつむりもヨージック自身が小さいのと不安な気持ちがそう見えさせるのでしょう。川に落ちちゃったときは冷たかった。無事にたどりついて「よかったね」とはならない。「よかった」となる。ヨージックと共に馬のことを思い、そして「心配かけてごめんね、くまさん」と心の中で言うのでした。8点(2004-09-30 11:35:55)(良:2票)
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